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<< 2015年 9月 >> |
September 22, 2015 やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。 例によって「メバルマン」と下田へ。ここのところ目も当てられないスコアが続いているが、今回は夜釣りと朝釣りのダブルヘッダーだ。腹を空かせた魚どもに目にもの見せてくれるぜ! 意気込みは十分に一一三〇時に東京を出発したのはいいが、下道もハイウェイも大渋滞だ。連休とは言え中日だから、という考えは少々甘かった。 釣り場近くの「上の山亭」にようやく到着したのが一七〇〇時ちょうど。もともとその予定はなかったが、開店直後で待たずに席につけそうなことと空腹に耐えかねて早めの夕食。 五目ラーメン(八〇〇円)。 二〇〇円増しだかで大盛りがオーダーできるそうだが、並盛で本当に十分だ。 その後、一八〇〇時過ぎに既に真っ暗な犬走島堤防に到着。みな明るいうちに帰ってしまったのか、釣り人の数はいつもと大して変わらない。 大急ぎで準備を済ませて試合開始。前回と同じく島の手前の沖側に釣り座を構えるが、何をどうやってもエサが取られないまま戻ってくるので二時間で見切って切り上げる。 予定ではこの後「朝釣り」を楽しんでから帰路に着くことになっているわけだが、明るいうちに帰路に着いても、またぞろ渋滞に巻き込まれていらいらするだけだろう。私たちは協議の結果、翌日は福浦堤防で夕方までのんびり釣って、暗くなってから下田を出発することにした。 翌日に備えてコンビニエンスストアで食料を、上の山亭向かいの釣具屋で追加のオキアミ冷凍ブロックを調達し、福浦堤防の駐車場へと向かう。二二〇〇時の段階で一台分の空きスペースしかなかったが、翌朝の状況を見る限り、ここは多少であれば路上駐車も黙認されているらしい。 「メバルマン」は早々に助手席で就寝するなか、私はシュアファイヤー片手に現地視察に向かう。事前に得た情報によれば駐車場からかなり歩かなければならないのがネックだとあったが、路面がきれいに舗装されている分、犬走島堤防よりも移動は楽だ。 犬走島堤防と違って、こちらは夜釣りの釣り人で溢れている。とは言っても、みな沖向きに釣り座を構えていて反対側はガラ空きだ。手前の方は誰も釣ってないので海面をシュアファイヤーで照らしてみたら、ボラの群れが海面近くを悠々と泳いでいる。 ボラのいるポイントにはクロダイあり、だ。いいねぇ、期待が持てるじゃないか。 二三〇〇時までには車に戻って私も就寝。どうせ熟睡できないだろうし、〇三〇〇時頃には勝手に目が覚めるだろう、と思っていたが、気が付いたら〇五〇〇時をとっくに過ぎている。くそっ!寝坊しちまったぜ!! 大慌てで「メバルマン」をたたき起こして、その割には悠長に車内で朝食を済ませ、それから荷物をまとめて移動を開始する。ちょうど同じタイミングで前に一組、後ろに一組の釣り人たちも堤防へと移動していたが、前の一組はフェンス内側へと向かう正解ルートを辿らずに 舗装された道をそのまま右折してくれたので、私たちがトップに躍り出た。少なくともこの三組のなかでは私たちが最もよい釣り座を確保する権利を得たわけだ。 〇五三〇時過ぎに堤防に到着。 沖側の先端から八割方は主にカゴ釣りの釣り人たちに占拠されてしまっている。 反対側はやはりガラ空きだ。 それはそうと沖向きの手前側には磯魚が住みついているという情報もあって(ちょうど夜のうちにボラが泳いでいるのを確認したあたりだ)、私はむしろその辺りを本命視していたから、まぁ希望通りの釣り座がまだ何とか空いていたってわけだ。 すぐ右手(先端側)でルアーを振っていた釣り人に丁重に断りを入れて釣り座を確保する。私たちの後ろの一組は私たちのさらに手前側(つまり左手)に入り、道を間違えた先頭のカップルは、ルアーマンのさらに先端側(右手)に少々強引に入り込んで釣り座を構えた。 道を知らないだけあって、マナーもあまり心得てない連中だ。 あわよくば、いいサイズの「回遊魚」狙いということで、四号遠投磯竿仕込みのカゴ釣りタックルも用意してはいるものの、まずは手堅く一.五号の「リーガル」でウキフカセから着手する。「メバルマン」もウキ釣りからスタートだ。 私の用意した今回の付け餌は「Mサイズ」のオキアミ。そしてハリスはチヌ針一号とフロロ一.五号の組み合わせだ。 常に大物狙いで、前々回まで四号針と二.〇号のラインのセットに「Lサイズ」のオキアミ一本で勝負して来た私にしては、はっきり言って「弱気な」仕掛けだ。そりゃそうだろう、ここ三ゲームほど、ろくに小魚すら針にかけられない展開が続いてるんだから・・・。 いつものチヌがどうたらとか言う名前の集魚剤は今回はお休み。ブロックのオキアミが既に横たわる新調した四〇センチバッカンには今回初めて使用する「粗挽きサナギ」を投入してみることにする。 現場で初めて袋を開封した私は、その強烈な臭いに思わず身をのけぞってしまったが、ブレンド作業を終えて試しに海面に撒いてみると、あっと言う間に無数の小魚が殺到してそいつを貪り始めた。ふむふむ、今回は何とかまともな釣りが出来そうだ。 二〇センチメートルほどのカワハギも足元を泳いでいるのを見つけて魚影の濃さに舌を巻きつつ、私が竿やタナの調整に勤しんでいる間に早くも「メバルマン」が一〇センチにも満たないイシダイの稚魚を釣り上げた(リリース)。 それから間もなく、釣り座から見下ろす限り海藻が途切れている足元から五〜一〇米ほど沖の水深六〜七米付近を狙い澄ました私のリーガルもほどよく曲がり、仕掛けが右に左にと小気味よく泳ぎだす。 釣り上げたのはイトヒキアジの幼魚。 さすがは下田湾だ。珍しい獲物がかかってくれるじゃないか。 はるか堤防先端の方に時折目をやると、コンスタントにソウダガツオらしき銀色の魚が釣り上げられているのが見える。いつだったか網代の呑み屋で口にしたことがあるんだが、まぁ食味という点でソウダガツオは私にとってあまり魅力的な釣りモノとは言えない。 せっかく大がかりなカゴ釣り仕掛けを振り回してまで狙うんだったら、やはり大サバ、大アジあたりを釣り上げてやりたいもんだ。もちろんイナダなんて釣れてくれたら何も言うことはない。 そして私たちの周りではまるで魚が釣れてる気配がないなか、続けて私の仕掛けにかかったのは二〇センチメートル弱の「小メジナ」。 三尾連続で同じサイズの「小メジナ」が続いたところでぱったりと釣れなくなってしまったが、エサはきれいに盗まれる。 そこで私が小ざかしい泥棒対策の秘密兵器として取り出したのは、いつだったか夕飯の焼きそばを作ったときに余った「剥きエビ」。 ついでにハリスも四号針と二.〇号ラインの組み合わせに交換したうえで、道糸も二号から三号に増強する。いつもの「大物狙い」のスタイルにシフトするってわけだ。 さて、しばらくは剥きエビと言えども器用に盗み去る怪盗どもに煮え湯を飲まされていたわけだが、ついに私の〇.五号の円錐ウキがすっぽり海面下に消し込んだ。 暫く引きを楽しんでからするするとリールを巻いて釣り上げてみると、かかっていたのは二〇センチメートルのキュウセン。 暫く「チョイ投げ」に挑んでない私にとっては、初めて釣り上げる珍客だ。 これまでに散々釣り上げたクソベラとは違って西の方では人気の釣りモノらしいが、そうは言ってもこの私が全知全能を傾けて秘密兵器を投入してまで釣りあげる獲物としては、いささか貫禄不足の感が否めない。 続けて「小メジナ」のくせに私の秘密兵器に食らいついて来た、またしても二〇センチメートルほどのうっかり者を釣り上げて、「まったく生意気なやつだぜ!」と毒を吐きながらも夕食のおかず用にちゃっかりそいつを「トランク大将」に放り込んでいた頃に、「メバルマン」が私たちから見て二組向こうの先端側でサビキ釣りを楽しんでいたカップルのどちらかの竿に「クロダイ」がかかった、とか言って騒ぎ出した。 サビキ仕掛けにクロダイがかかるなんて事があるのか!?私はもう一度「メバルマン」に確認したが、三〇センチを優に超える眩いばかりの銀鱗に覆われた凛々しい魚体をたしかに見た、と「メバルマン」は主張する。 もっとも海面から姿を見せるや否や、あっと言う間に仕掛けが外れてそいつは逃げて行ってしまったそうだが、私の釣り座のすぐ近くの海中をサビキ仕掛けにかかってしまうようなウブなクロダイが泳ぎ回っている、というのは聞き捨てならない情報だ。 私はそれまでにも増して「秘密兵器」を丁寧に針に通して海藻の切れ目近くに投入した。 まさに「劇的な」展開だった。間もなく私の〇.五号の円錐ウキが二〇センチメートルほど海面下に消し込んだかと思うと、あちらへこちらへと所在なさげにゆっくりと泳ぎだした。間違ってもメジナの動きじゃねぇぜ!こいつはもしや・・・? 私は軽く手首のスナップを利かせてアワセを入れた。さぁ、ファイト開始だ。 「小メジナ」どもとは明らかに一線を画するパワーでそいつが抵抗を始める。しばらくはリーガルをただ立てて弾力を使いながらいなす。メジナと違って底へ底へと突っ込む感じが伝わってこないので、ついリールを巻くのを忘れてしまうくらい緊張感のない展開だ。 だがリーガルの曲がりっぷりは、どっちに逃げればいいのか分からないまま暴れ回ってるそいつが、間違ってもつまらない小物なんかじゃないことを証明している。未だにサビキ仕掛けにクロダイがかかったという「メバルマン」の証言を少し疑っている私は、いち早く私のタモ網を片手に駆け付けた「メバルマン」の方を振り返って声をかけた。「よぉ、本物のクロダイってのはこいつの事じゃないのかい?」 やれやれ、私はいつかの犬走島堤防で学習したんじゃなかったっけ?私がたぶん私の言動を含めてこちらの様子をそれとなく覗っていた大勢の釣り人たちの間で赤っ恥をかく羽目になるまで、そう時間はかからなかった。 間もなく海面に姿を現して私に絶望のうめき声をあげさせた、あのお魚(撮影後、投棄)。 強いて言うならば、前回は途中でハリス切れだったが、今回は左手でリーガル、そして右手で決して軽いとは言えないダイワの五.〇米仕様のランディングポールにセットされたタモ網を操って単独での取り込みを成功させたことは貴重な経験だった。 今回初めてそいつで(落し物とか海藻ではなくて)獲物を掬い上げたんだが、実際、五.〇米のポールはマジで重い。そして伸ばしきった状態では実によくしなる、と言うかブレるので本当にコントロールが難しい。それに堤防でどんなに釣りの経験を重ねたって、そんなタモ網を手足のように使いこなす釣り人なんてまず見かけることはないから、お手本もなしに自分で全て操作方法を考えなければならない。 とりあえず獲物が網に入ったら片手でポールを保持して、もう一方の片手でポールを縮めて来ればいいことくらいは私も知ってる。あれ?その場合、それまで持ってた竿はどうすりゃいいんだ? いやもう、本当にタモ網のオペレーションってのは奥が深い。 同じ釣り座で一〇時間近く粘ったが大した獲物にも恵まれず、さすがに釣り座を変えたくなってしまった私は「メバルマン」と相談して、堤防中央の反対側(湾内向き)に移動したものの、「夕まずめ」まで竿を振り続けて小イワシ一匹釣り上げただけだった。 そして同じころ、反対側の沖向きに(たぶん朝から)釣り座を構えていた釣り人が、アジだかサバだかの結構なサイズのやつを二、三尾続けて釣り上げているのを見て、多少の睡眠時間と引き換えに失ったものの大きさを肌で感じながら、私たちは帰り支度を始めた。 もっともフカセ釣りの合間に八号のカゴをドッキングした「カゴ釣り」仕掛けで遠投にチャレンジしてみたものの、ちっとも真っ直ぐ飛ばすことの出来なかった私は、周囲の釣り人に迷惑をかけないように、しばらくそのタックルでカゴ釣りにチャレンジするのはやめておく事にした 何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。 以上だ。 September 19, 2015 やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。 五月の火打山以来ハイキングに出かけてない私とトミーで、来月の「ちょっとした」泊りがけのハイキング計画の足慣らしに西穂高へ。 西穂は私にとってかれこれ三年以上「いずれ登ってみなければ」と考え続けていた山でもあって、実際、何度か具体的な計画を立てたのだが、そのたびに天候に恵まれないとか何かの理由で断念してきた経緯がある。 当初は山荘で一泊するプランで検討していたものだが、三年という月日は私をして、わざわざ泊りがけで出かけるほどの山でもないだろう、という慢心を抱かせるには十分だった。そもそも人々が殺到することが目に見えてる連休初日に好き好んで山小屋泊まりなんて頭がイカれてる。 そうは言ってもロープウェイの運行状況を調べてみると、始発便と最終便を組み合わせても、登山口を〇九〇〇時発、一六三〇時には戻ってこなければならないから、確保できる行動時間は七時間半しかない。 オーケー、帰りはうわさに聞く「ボッカ道」とやらを歩いて降りて来ればいいか、なんてことをトミーと話し合っていたのだが、私の情報収集網は、実は休日に限って「しらかば平」発限定で六時台には始発便が運行している事実を見逃さなかった。 代わりに麓の駐車場が満車になるリスクを考えて、トミーには前日二三〇〇時に私の自宅前までご自慢のアウディで駆けつけてもらうことにする。当然、連休にはありがちな往路の渋滞まで考慮した結果のプランだ。それもこれも含めて〇四〇〇時くらいには駐車場に着いていたいものだ。 例によってハイウェイでは私がドライブを担当して、カーナビの現地到着予想時刻を一時間かそこら前倒ししてから松本インターでトミーと交替する。その時点で〇二三〇時くらいだったと思うが、それから助手席で眠りについた私が目覚めたのは、〇五二〇時に駐車場でトミーにたたき起こされたときのことだった。 〇五五五時に駐車場を出発。当然、その時点で登山者用の「無料駐車場(鍋平園地駐車場)」は満車。 トミーの証言によれば、想定より少し早い〇三三〇時頃に到着した時点で「ほぼ」埋まってしまっていたらしい。 ロープウェイの駅まで歩いて行く途中に見かけた看板に「三〇〇円」と書かれた、より駅に近い有料駐車場はガラ空きだったので、だったら帰りのことまで考えたらこっちでよかったじゃないか、ってことで、私はトミーに三〇〇円やるからアウディをここまで持って来てくれ、と頼んでみたが、もちろん彼は「ふざけてんじゃねぇよ」ってな顔をしながら私の依頼を断った。 ところであとからあるハイカーに聞いた情報によれば、有料の方は昼間しか止められないとか、(どういう計算方法だか知らないが)一泊したら二〇〇〇円も徴収されるとか、まぁ何かと不都合があるらしい。結局、私のプランは当初のもので概ね正解だったってわけだ。 〇六二〇時にしらかば平の駅に到着。やはり無料駐車場からは結構な距離だ。 始発便の次にあたる〇六四五時発の便に乗り込むことにする。周りにいるのはハイカーだらけだが、そりゃたしかにこんな時間から観光のためだけにやって来る物好きもいないだろう。 混み合うチケット売り場でトミーに金を渡して往復分の搭乗チケットを買って来てもらった私は、手渡された二枚のチケットは往きと帰りで一枚ずつだと思っていたら、うち一枚は「荷物券」とかいうやつで、往きの便に乗り込むときに二枚とも提示しなければならなかったのにそいつを知らなかったので、私はいざやって来たロープウェイに乗り込むのにもたついたせいでトミーと離ればなれになってしまった。おかげさまで、私は二階建式のロープウェイの一階部分に案内される三番目の乗客となって席に座れる幸運に恵まれた。 登山口に着いて、気持ちばかりの柔軟運動を終えてから〇七〇〇時に行動開始。 私たちより早く出発したハイカーたちを基本的にはするする追い抜いて、退屈な山道をひたすら歩く。手元のガイドブックによれば山荘までの標準コースタイムは九〇分とあったので、当然〇八三〇時くらいに着くもんだと思っていたら、前を歩いていたトミーがまだ〇八〇〇時にもなってないのに小屋が見えて来たとか何とか言い出した。 「ちょっと早すぎやしないか!?」とかなり後ろを歩いていた私は大声で返事をしたが、実際、そこまで行ってみると立派な小屋が建っていた。 小屋前のテラスで一〇分ほど休憩してから〇八〇〇時に出発。 大岩の転がるゾーンを抜けると展望が開けてくる。 丸山を〇八二〇時に通過。 連休初日ということで多少の混雑は覚悟していたが、思ったほどハイカーは歩いてない。そして気象予報によれば雲が出るということで展望には大して期待してなかったが、実際のところ、雲は我々の足元に広がっていた。 これってすげぇいい日にハイキングにやって来たってことじゃないか!? それにしても、いやはや、前方に見えるピラミッドピークがマジでクールだ! あらゆるガイドブックに説明されているとおり、独標までは何てことないただのハイキングコースだ。観光客崩れのようなハイカーもちらほら見かける一方で、「デキる」ハイカーたちはあっと言う間に私たちを追い抜いて行く。 途中、写真など撮りまくってちんたら登って行ったが、結局ほぼ標準コースタイム通り、山荘を出発してから八〇分後の〇九二〇時に独標に到着。 一〇人ほどのハイカーがくつろぐ中、息をのむような美しい雲海と青空をバックに記念撮影。 休憩がてらトミーと二人でピークの一画を陣取って、これまでのルートの振り返りとここから先の行程の再確認を行う。 トミーに言わせれば、何の変哲もない山道を「登る」というプロセスはひたすら体力を消耗するばかりで嫌いだが、岩場歩きは時が経つのも忘れてしまうくらい楽しくて、おまけに体力的にも楽なものらしい。なるほど、そんなものかもな。 そんなわけで一五分ほどの休憩を終え、二人揃って身支度を整えた〇九三五時、いよいよトミーお待ちかねの「岩場歩き」のお時間だ。 まずは独標からの下り。 急傾斜の岩場を、過剰なほど親切につけられたペンキの印を頼りに下りて行く。 トミーが先に下りて行く私のバックパックにぶら下げられたヘルメットを見て「そろそろそいつをかぶらないのか?」と言うので、私が重たいからまだかぶらない、と答えると、トミーは、自分が間違えて上から石を蹴落としてしまうかもしれないからかぶってくれ、なんて物騒なことを言い出した。 ここだけの話、たしかにトミーはハイキング中によく石を蹴っ飛ばす。私は独標を下りきった平らな道でいそいそとヘルメットをかぶった。 独標からしばらく進んで振り返ると、私たちがそこにいたときよりもはるかに大勢のハイカーが独標のピークにたむろしているのが見えた。もちろんその中には、あらゆるガイドブックに書かれてある警告にしたがって、自分の身の丈に応じたハイキングを楽しむために、大人しく独標から山荘へと引き返すハイカーもいるんだろう。 そして彼らの位置からは私たちの一挙手一投足が丸見えだ。この状況で、いかにも「よっこらしょ」なんて声の聞こえて来そうな鈍くさい無様な登り方を見せてしまったら、とんだ笑いものになっちまうぜ。 私はいつにも増してルートをよく観察し、足場とホールドを計算しながらカモシカのように俊敏な動きでハイカーたちのお手本よろしく岩の斜面を這い上がった。 あまりよく予習してなかったんだが、このルートでは「11峰」とされる独標を皮切りに「10峰」「9峰」「8峰(ピラミッドピーク)」とひとつずつカウントダウンしながらいくつもピークを越えて行って、最後の「1峰」にあたるのが山頂ということらしい。 それまで同じような岩場が延々と続くわけだが、それぞれのピークにはそこが何番目のピークなのかペンキで大書きしてあるので、だいたいの現在地は分かる。 「10峰」の先に岩場をへつるポイントがあって、トミーの前を歩いていた私は、そこを安全に通り抜けるために足をどこに置けばいいやら、なかなか正解に辿りつけずに難儀をした。トミーも同様にそこでは苦戦をしたようだったが、結局のところ、今回の山行で多少なりとも私たちを悩ませたのは後にも先にもそのポイント一か所だけだった。 技術的には特に大きな見せ場もないまま、一〇一〇時、ピラミッドピーク(8峰)に到着。 誤算だったのは、とにかくそこにたどり着くまでに両手両足をフル稼働する羽目になったせいで、考えていた以上に体力を奪われてしまったことだ。久しぶりのハイキングって事もあるんだろうが、そいつはトミーにとっても同じことだった。 トミーも私も、そのさき二度と、岩場歩きは楽ちんで楽しいなんて減らず口を叩こうとはしなかった。 周囲がガスに覆われて展望もつまらないものに変わりゆくなか、一〇二五時に暫くへたれ込んでいたピラミッドピーク(8峰)を出発。 一〇五〇時に「4峰(チャンピオンピーク)」を通過。 そして一一三〇時、ついに一〇人ほどのハイカーがくつろぐ山頂に到着。 私がそこに着いたときに、ちょうど一人の若い細身のハイカーが山頂碑のてっぺんに手をかけたかと思うと、そのまま飛び上がって開脚し、華麗に跳び箱を跳んでるようなポーズで仲間に写真を撮ってもらっていた。何だ?最近そういうのが流行っているのかい? その若者に同じポーズを使用する許可を得たうえで、カメラマン・トミーの到着を待って、早速、私もチャレンジだ。山頂碑に手をかけて飛び上がるところまではうまく行ったが、脚が全く開かない。 おまけに身体が重くていつまでも腕で支えられないので、トミーがカメラを構えてから構図を微調整し終えてシャッターを押す頃には私の腹をかろうじて山頂碑が支えてるざまだ。撮り上がりをモニタで見せてもらうと、まるで木の枝に串刺しにされたモズのエサ(カエルか何か)にしか見えなかったので、その写真はもちろん「ボツ」になった。 周囲は完全にガスに覆われていて展望もクソもない。おまけに小雨もパラついてるありさまだ。昼食にしてもいい時間だが、あまり気分が乗らない。 トミーに意見を求めると、独標とピラミッドピークで平らげたゼリー状の栄養補助食品がちっとも消化されてないので昼食はまだいらない、と言う。私は、せっかくなので山荘まで戻って噂に聞く「西穂ラーメン」を昼食にするべきだ、とトミーに提案した。 ラストオーダーが一五〇〇時であることは事前にチェック済みだ。そして急げばまだ間に合うはずだ。トミーは、それまで腹が持つわけがない、と反論したが、ひとまず山頂では昼食を摂らないことで合意して、さっさと記念撮影を済ませた私たちは、(ガスのせいで)大して見るべきものもない山頂を一二○○時には後にした。 帰路はスムーズだった。つまり、往路ではなぜそこにルートを取るのか分からないようなところにペンキの〇印がいくつもつけられていて、私は内心、首を傾げながら極力そのルートをなぞるように心がけていたが、帰路では一変してそのペンキの印をつけて回った連中の意図が分かった。 同じルートを辿るにしても、方向によっては面倒なルートにもなれば快適なルートにもなるってわけだ。おかげで、パラつく小雨のせいで濡れて滑りやすくなった岩場も私たちはストレスなく通過したし、往路で手間取った10峰手前の難所も、帰りは何なくクリアした。 ちょうど私たちがそこを通りがかったときに独標を下りて来ていた青年がとんでもないヘタクソで、そいつがそこを下り切るまで待機するのにかなりの時間を費やした以外は順調なペースを維持して歩き続けた私たちは、一四二〇時には丸山に到着した。 トミーはそこで休憩を挟むことにしたが、たまに決められたラストオーダーの時間を勝手に切り上げてしまう不届きなコックがいることを警戒している私に気を遣ったのか、私には先に山荘まで戻るように促した。お言葉に甘えて疾走するごとく一気にザレ道を下り切った私は、一四三○時に山荘に到達し、入り口からずかずかと侵入して調理場で忙しそうに働いている女の子を掴まえるや否や「西穂ラーメン」はまだ注文できるのかどうかを確認した。女の子はにっこり笑って「大丈夫です」と答えた。 無事に対面を果たした、格調高い色合いのスープを湛えて美しく輝く「西穂ラーメン(しょうゆ)」。 さらに本来であれば山頂かどこかで消費されるはずだった手持ちの具材を勝手にトッピング(さすがに角煮は遠慮した)。 正直、あまり期待してなかったんだが、独特なコクのあるスープは私好みの逸品だった。 遅れて山荘に辿り着いたトミーは、結局、午前中に怪しいゼリーを食い過ぎたせいで「お汁粉」しか注文できなかった。いつかの穂高岳山荘でもそうだったが、まったくトミーはいつだって気の毒な男だ。 テラスで食事を終えたら二人揃ってベンチに腰掛けたまま仮眠をとって一五一五時にその場を後にする。登山口には一六〇五時に到着。 どうやら日帰り登山に挑むハイカーはあまりいないようで、帰りのロープウェイには私たちのほかにハイカーは一組だけで、あとは皆、軽装の観光客だらけだった。 何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。 以上だ。 September 5, 2015 やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。 先々週の大原港、先週の城ケ島と二試合続けて「丸坊主」だった私は(さすがの「メバルマン」は城ケ島では小メバル一匹釣り上げた)、背水の陣の思いで「メバルマン」と共に乙浜漁港へ。 一五〇〇時頃に現地に着いてみると、前回「黄金アジ」を大釣りした突堤が空いている。 ここは「潮通しもよい」のでクロダイも狙えると評判のスポットでもある。早速釣り座を構える準備をしていると、最先端で釣っていたソロの釣り人がもう帰るようだ。 挨拶もそこそこにインタビューを敢行した結果、釣り人氏はアイゴを何と6枚も釣り上げたことが判明した。なるほど、魚たちの食い気は良好というわけだ。こっそりといやな顔をする「メバルマン」とは対照的に、私は何事もポジティブに評価したうえで釣り座を先端の外海向きに構えなおす。 実は大原港でデビューしたばかりのリーガルを水洗いしてバスルームに干していたら、ちょうど翌日にやって来た配管工掃除の男が何らかのアクシデントがあったにも関わらず私に申告しなかったようで、そいつがこっそり帰って行ったあとでふと見ると、そこには先端が1インチほど折れてしまったリーガルがあった! すぐにでも電話で呼びつけてドジでマヌケな配管工野郎に然るべき罰を与えるべき局面だったんだが、証拠がないので白を切られたらそこまでだ。くそっ、私に代わって神がやつにふさわしい罰を下すまで指をくわえて待つしかないのか! そんなわけで、予備にシマノのランドメイトを入手した私は、今日は上州屋のとても親切なスタッフがトップガイド代だけで修理してくれたリーガルと新調したランドメイトの二機体制で挑む。 ランドメイトは前から気になっていた二.〇号仕様だ。二号にしておけば大物釣りにも使えるうえに、錘を仕込んだライトなカゴ釣り仕掛けを組んで軽く遠投することだって出来るからな。 ついでに万一ナブラが目の前で展開する事態にそなえて(そんな事態は起こらなかったが)、リーガルと同じく大原港でデビューしたリバティクラブとレブロスのコンビも竿立てに配備済みだ。 試しに21グラムのメタルジグを二、三投したら早速がっつりと根掛かりしたので、リール操作を諦めてラインを握って渾身の力で二、三分も引っ張ていると、海藻の枝を引きちぎってジグは見事に回収された。それって私の電車結びの結束がいかに強力かってことを示す出来事だろう?私は大いに満足した。 突堤の付け根ではベテランらしき夫婦がダンゴ釣りをやっている。私たちが釣りを開始して間もなく現れた、これまたベテランのオーラが漂うソロの釣り人は私たちの左隣でフカセ釣りだ。 隣のベテラン氏の釣りざまをそれとなく観察していると、華麗なるサイドスローで二〇ヤードほど沖まで円錐ウキを飛ばすと、右手に持ったひしゃくで撒き餌をウキから一フィート(≒三〇センチメートル)と離れてないポイントに正確にボチャンと投入する。うへー、どうやったらあんな見事なコマセワークを身に着けられるって言うんだ? 私は、それほどまでに熟練したフカセ釣り師ともなると、釣り上げてしまったアイゴを蹴っ飛ばして海に追い返している様子にすら後光が差して見えることを学習した。 ところで前回、前々回と小魚一匹針にかけられなかった私は、ハリスの改良に着手した。つまり針に「七五センチ」のナイロンラインが結ばれた状態で売られている既製品を使うのをやめて、針とフロロカーボンを買って来て自分で結ぶってわけだ。 ラインにフロロカーボンを採用して材質面で強化を図った分、太さは一.五号に落とす。長さも七フィート(≒二.一米)ほどにして、(テキストいわく)よりエサが水中を自然に漂うようにする。針は銀針をやめて黒針に替えたうえでチヌ針の一号と三号を用意した。 結び方は「内掛け結び」を採用した。一般的には外掛けの方が容易とされているようだが、もう何度もウキ止め糸を結んで来た私には内掛け結びもそれほど難しいようには思えない。 自宅のリビングで何度かチャレンジしているうちに要領を得た私は、いざ大物をかけたときにヘタクソな結び目がすっぽ抜けて獲物に針だけ持ち逃げされる事を大いに心配しながら、一号針と三号針で三本ずつ、計六本を完成させた。 もちろん「すっぽ抜け」の心配は杞憂だった。三号の方をさっそく実戦投入して一六〇〇時に始めて翌〇一〇〇時まで粘ったが、大物なんてかすりもしなかったんだからな。 代わりと言っては何だが、底を狙ってタナを深くするたびに釣れる無駄に巨大でヘビーな海藻を何本陸揚げしても針がすっぽ抜けることはなかったから、まぁ少なくとも「内掛け結び」はきちんとマスターできたようだ。 ところで、肝心の「まともな」獲物はムツ一匹。 塩焼きにして食う分にはなかなか美味だが、仮にもリーガルを駆る釣り人が満足する結果には程遠い。 そしてランドメイトの方は、アミエビ用と思しきプラカゴからLサイズのオキアミがちっとも出て行かないので、早々に竿仕舞いにした。 ちなみに「メバルマン」はチャリコ(マダイの幼魚)だかウミタナゴだかよく分からない一〇センチほどの珍魚を二匹と二〇センチオーバーのクサフグを一匹、私はムツのほかにはゴンズイを二匹釣っただけだった。 周りの釣り人も(アイゴ以外は)何も釣ってなかったようだから、まぁ私たちの腕に特段の問題があったわけではなかったということにしておこう。 何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。 以上だ。 September 4, 2015 やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。 つい先日、オリジナル案に「似たような作品」が既に商標登録されていたために「修正」されたインチキデザイナーの盗作(の疑いのある作品)を「(オリジナル案より)進歩した」などと絶賛していた審査委員長が、舌の根も乾かないうちに、実は盗作(の疑いのある作品)を「しょうがなく」了承した、などと言い出した。 何のために前言を翻してわざわざ自分の首を絞めるような事を言い出したのかと思ったら、どうやら最終的に盗作(の疑いのある作品)を選考したことについて、自分には責任がない、ということを言いたいらしい。 息子のマブダチの作品が盗作ではない事を世間に印象付けたくて余計なことを口にしたのはいいが、次から次に盗作疑惑が発覚するのでもう庇えないと踏んだんだろう、一人だけこそこそ泥舟から逃げ出そうとしているざまを見ていると、過去にはそれなりの業績を残したと言われている老デザイナーが、何ともその晩節は見苦しい。 インチキデザイナーの「当初案」とやらに似ているとされる「既に商標登録されていた」誰かのデザインがきちんと提示されていない以上、そもそもインチキデザイナーの当初案に「修正が入った」というシナリオ自体が作り話で、はなからインチキデザイナーが提出した案は、ベルギーの高貴な演劇場のシンボルマークの盗作だったんだろう、という、各所で囁かれる「憶測」はなかなか辻褄が合っている。 そもそも委員長を含めた審査員の連中とインチキデザイナーが「グル」であることを裏付けるような事実が次々と暴露されるなか、嘘の上塗りでずるずる墓穴を掘っていく愚か者たちの宴を見ているようで、何とも笑える話じゃないか。 それにしても、この期に及んで、この一件でオリンピック開催に「ケチがついた」なんて言ってる連中はまだ目が覚めてない。もともとオリンピックなんてものは一部の既得権益層の金儲けのために開催されるものなのだ。利害関係者の間を一通り金が飛び交ったあとで、いよいよ大衆の前で華やかに取り行われる各種目の試合は「おまけ」のようなものに過ぎない、と考えるくらいでちょうどいい。 そういう考え方は国を代表して戦う選手たちに失礼だろうか?いやいや、そんなことはないだろう。所詮彼らも好きでやってるに過ぎないんだから。 アスリートとしては尊敬するが、では彼らが活躍するための試合会場に無駄な税金がじゃぶじゃぶ浪費されていいのかってことになれば、そいつは全く別の問題だし、もし彼らがそれを当然視してるんだとしたら思い上がりもはなはだしい。 一番いいいのは、わざわざオリンピックを自分の住んでるエリアで開催して欲しいなんて考える酔狂な人たち「だけ」が金を出し合って開催資金にすることだ。どうせ一部の既得権層だけが儲かる仕組みに過ぎない「オリンピック」の開催を、そうと分かっていても「感動」とやらを買うために身銭を切ってまで支持する覚悟のある人々が実際どれだけいるって言うんだ? 偉大なる古代ギリシャの哲学者・ソクラテスの残した「無知は罪なり」の一節は、本当に人間社会の本質をよくあらわしていると思う。 何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。 以上だ。 September 2, 2015 やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。 東京五輪の疑惑のエンブレムが取り下げられたようだ。 私はあのキツネ目のインチキデザイナーがフランスパンの一件を白状した時点で、組織委員会の連中がなぜそうしないのか、ずっと不思議に思っていたが、まぁそもそもあのインチキ氏が組織委員会の役人とグルなのか、あるいは組織委員会の連中が無能で底抜けのバカなのか、のどっちかだったってことだ(たぶん両方だろう)。 インチキ氏の家族に対する嫌がらせもエスカレートしているらしい。家族と言うのは例のいかにも大人気ない対応で一部の人々の怒りの炎に油を注いだあのインチキ氏の事務所の「広報担当」とか言うインチキ氏の妻のことだろうか。 私は違法行為に走る心ない市民のスタンスをことさら支持するつもりはないが、その一方で「身から出た錆」という言葉に込められた先人の深い思いを改めて考え直さずにはいられない。 これだけ不名誉なかたちで世間に名前が知られてしまった以上、どれだけインチキ氏が「盗作疑惑」を否定し続けたとしても、順風満帆だったはずのインチキ氏のキャリアが失速していくことは避けられないだろう。 世間にはインチキ氏の過去の作品はどうせ全て盗作だろう、と徹底的にインチキ氏の業績を否定したい人々もいるだろうが、実際のところインチキ氏が本当に盗作の常習犯であるのか、それともインチキ氏が主張するように実は彼は潔白なのかは大した問題ではない。 仮にフランスパン以外は本当にインチキ氏のオリジナル作品で、それがたまたま既にほかの誰かが発表していたデザインに「酷似していた」だけなのだとしても、結局インチキ氏は既に誰かが発表してしまったような使い古しのデザインしか創出できない、オリジナリティの欠片もない三流デザイナーだということなのであって、その程度のデザイナーが今までの地位にいたこと自体がそもそもインチキなのだ。ちがうかい? 「デザイン」という実務は下っ端がやっていて、本人は単なるチェック係に過ぎないならなおさらのことだ。 何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。 以上だ。 |
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