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May 2, 2015 やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。 芳しくない結果に終わった唐松岳の尻滑りは私のハートを火打山へと向かわせた。トミーに話を持ちかけてみると、〇七〇〇時に行動を開始するには、連休の渋滞まで考慮した場合、私を〇二〇〇時には自宅前でピックアップしなければならない、と言う。おいおい、ちょっと待ってくれ。それって「寝るな」ってこと? ガイドブックを紐解いてみると、夏場に笹ヶ峰から山頂まで往復するのに見込まれる標準所要時間は九時間ってところのようだ。雪が積もってるんなら登りの所要時間は夏場よりも当然上乗せされる。ただし下りは重力に身をまかせて滑り落ちていくだけだ。まぁ往復で差引きプラスマイナスゼロってところだろう。トミーの設定したスケジュールはまぁまぁ現実的な線のようだ。 交替で助手席で居眠りをしながら私たちはトミーご自慢のアウディで笹ヶ峰の登山口へと向かった。私はいつものように高速道路の担当だ。トミーの懸念は全く空振りだった。つまり高速はこよなくスムーズに流れていた。 ついでに私は助手席で眠るトミーの期待に応えて、当初カーナビが予想した「目的地までの所要時間」を三〇分ほど縮めておいてやった。 〇五時四五分の駐車場。 インターネットで収集した情報によれば、〇六時三〇分には満車になる、とあったが、私たちがそこに着いたときにはほかに四台の車がとまっているだけだった。 何組かはまだハイキングの準備中だ。みんなスキーヤーのようだ。 駐車場から道路を隔てて向かいにある山小屋は閉鎖中だった。トミーは用を足すためにそちらへと歩いて行き、すがすがしい表情で戻って来て「トイレも閉まってます」と言った。 やれやれ、女の子たちはみんな大変だな、と私は他人の心配をしながら、たぶんトミーがやったのと同じことをするために山小屋の裏手へと向かった。 トミーに負けず劣らずすっきりした表情で駐車場へと戻った私が準備をしていると、元気そうな爺さんが一人、ツボ足で登山道へと踏み入って行った。それを見た私はトミーに「アイゼンなんていらないんじゃないのか?」と意見を求めたが、トミーは頭でもおかしくなったのか?と言わんばかりの表情で私を見ながら「そんなわけないでしょう」と言った。 トミーに言われるがままに登山口のゲートにうず高く積もった雪壁の向こう側を覗いてみた私はトミーの意見に全面的に賛同の意を表したが、そうするとさっきの爺さんはいったい何者だったんだ? 爺さんのほかにも数組のハイカーが準備をしている私たちを尻目に登山道へと出発して行った。彼らは私たちが車をとめた「登山口に最も近い」駐車場とは別の場所に車を止めてわざわざ車道を歩いて来たのか、いつの間にかひょっこり現れては出発して行った。駐車場にはいくらでも空きがあるっていうのに、彼らの意図は結局私たちには最後まで分からなかった。 ちなみに今回の山行で私と一緒に尻滑りに興じるために前日までには「ソリ」を購入して準備万端だったトミーは、例によって「ソリ」を自宅に忘れてきたらしい。まぁアイゼンを忘れられるよりは全然ましだがな。 〇六時二〇分、私たちも出発。 登山口ゲートは雪に埋まっているので、その脇の雪壁を登って「入場」する。 先に行った人々は既にどこにも姿が見えなかったが、足跡だけはちゃんと残してくれて行ったので、私たちはそれをたよりに前進する。万がいち道に迷ってしまったらトミーのGPSだけが頼りだ。 私は地図もコンパスも、ガイドブックすら自宅に置いて来た。まぁ何と言うか、一台の車のダッシュボードに二つも三つもカーナビを置いたってしょうがないってことだ。そうだろ? しばらくはほぼ水平方向にだらだら続くだけの退屈な道を行く。 雪はそこそこ締まりがよくて、そしてまだまだ潤沢に積もっていた。気象情報のウェブサイトで気温が常時摂氏5度前後であることをチェックしてあった私としては意外な限りだった。 何と言うか、燦燦と照りつける陽射しのもとで溶けた雪が土と交じって登山靴がどろどろになってしまう情景を思い浮かべながら、雪山には必ず持参するようにしているオーバーブーツは自宅に置いてきてしまった私はメレルに直接アイゼンを装着して登る羽目になってしまったが、そいつはとんでもない判断ミスだった。山頂近くを歩いている頃には、マジで両足が凍傷になるかと思った。 ついでに今日の私は防寒ジャケットも家に忘れて来てしまっていた。 〇七時二〇分、トミーが左手の谷の方角から川のせせらぎの音を聞きつけて、そっちの様子を見に行った。トミーの懸念したとおり、私たちが追いかけて来た足跡の主は、私たちが渡るべき「黒沢橋」を通り過ぎてしまっていた。 五〇米ほど後方にたたずむ「黒沢橋」。 橋の方へと引き返してそこを渡る前に少しばかり休憩。スノーボードを背負った若者のグループが追いついて来たので、彼らに先を譲ることでトミーと私は合意したのだが、彼らも私たちから少し離れた地点で休憩を始めた。 仕方がないので先に橋を渡ることにする。 トミーは私よりも真面目に予習をして来たようで、私たちが歩いて行くべきコースの概要について私よりも詳しくて有益な情報をいくつも提供してくれた。例えば「このあたりから、登りがきつくなります」といった、聞きたくもない情報も含めて、だ。 黒沢橋を渡った先から始まる登り坂。 私は早速ピッケルを取り出した。雪がほとんど溶けてしまった道のりを想定していた私は、まさかこんなに早くからピッケルにお出まし願うことになろうとは想像すらしていなかったが、それはそもそも私が帰りに山頂付近で取り出して、尻滑りのブレーキに使うためだけに持参したものだった。いやはや、全くもって私は本当にツいていたというほかはない。 その登りは後で知ったのだが「十二曲り」と呼ばれるスポットだったようだ。そこにはご丁寧に一二か所に渡って看板が設置されている、ということも後から知ったが、それらの看板は私たちがそこを通ったとき、一番うえに設置されたやつ以外はひとつ残らず雪の下に埋もれてしまっていたに違いない。 〇八〇〇時に「十二曲りの頭」まで登り切る。背後に高妻山。 そこから先に見えるのはなだらかな稜線だ。トミーの情報によれば、十二曲りを登り切りさえすれば、前半戦の山場は既に超えたと言ってもいいらしい。 少々の休憩を挟んで〇八時一〇分に出発する。 トミーの情報はでたらめだった。 こっちの登りでは、ストックを持っているので普段は頑なにピッケルを出さないトミーですら、いそいそとピッケルを取り出した。 踏み跡は腐った雪を避けるようにいったん日陰側まで回ってから急な登り斜面を直登するようにつけられていた。なかなか「できる」先行者たちのようだ。 その坂を登りきってからしばらく行くと林を抜けて道が開ける。 トミーのGPSから得られる情報によれば、踏み跡は「富士見平」と呼ばれる黒沢池ヒュッテに向かうルートとの分岐点よりもやや西側についているようだ。 私たちを天上の世界にいざなうかのように青い空へと向かって延びる雪の道を登り切って右に曲がり、しばらく行くと広っぱから火打山が見えて来た。 撮影タイムをかねてしばし休憩。 次にとりかかるのは黒沢山のトラバースだ。 左手遠くに見える白馬連峰。 高谷池ヒュッテと火打山を一望。 目の前に広がる人っこひとり見えない大雪原に私は思わず感嘆のうめき声をもらした。 一〇時二〇分、高谷池ヒュッテ前に到着。 先客が何組かテントの設営を終えて昼食をとっている。トミーにここで昼食にするか聞いてみたが、まだ時間が早いというので、ここでは休憩だけとることにする。 トミーがベンチに仰向けに寝転んで仮眠をとっている横で私はポテトチップスを平らげながら雪に覆われた美しい高原の景色をぼーっと眺めて過ごす。 雲ひとつない快晴で気象条件も申し分ない。何時間もかけて歩いて来た苦しみをきれいさっぱり忘れてしまえる至福のひとときだ。ただ行動中は暑いくらいだったが、そこでポテトチップスをもぐもぐやってる私に吹き付ける風は少々冷たかった。 一〇時四五分、山頂に向けて出発。 私は手持ちのガイドブックにヒュッテから山頂までのコースタイムが四五分と書いてあったように記憶していたんだが、そいつは何と言うか、まぁ私のとんだ勘違いだった(実際には一時間と四五分だ)。 そうとは知らない私は、歩いても歩いても腐った雪に足をずるずるとられて時間ばかり過ぎていく割には一向に前に進めない状況にただただイラつく。 おまけに私たちの少し前を行っていたスキーヤーの二人組がみるみる私たちから遠ざかっていくのが見える。 そいつも後になって気付いたんだが、私はてっきりスキー板みたいな、私に言わせれば無駄に巨大で重たいだけの「靴」を履いて山道を歩くなんて、私たちのようなハイキングシューズにアイゼンというシンプルなスタイルで歩くよりはるかにキツくて非生産的な運動だとばかり思っていたが、あれは細長いカンジキだと思えば、私の仮説が単なる思い込みに過ぎないことは明らかだ。 つまり一番キツくて非生産的な運動にいそしんでいるのは他ならぬ私たちだったってわけだ! 雪の状態が「マジで最悪」な山頂手前のピークをトラバースし、何度も足を滑らせ、ひぃひぃ言いながらようやく山頂直下の稜線に取っついたのは一二時〇〇分。 最後の斜面を仰ぎ見る。 何度もずぼずぼ足を突っ込んでるうちに靴を通して浸みこんできた来た雪のせいで足の感覚が麻痺してきてるのが分かる。おまけに地形のせいなのか何なのかこの辺では背後から容赦なく風が吹き付ける。 あいにくジャケットは私の自宅のクローゼットに吊るされたままだ。全身寒くて鼻水が止まらない。 トミーはどこだ?振り返ると一〇〇米ほど後方をよたよた歩いているのが見える。彼は登りではいつだって私よりはるかに敏速に行動する優れたハイカーだが、前回の唐松岳と言い、どうやら雪の斜面を登るのだけは苦手のようだ。 山頂にさえたどり着けば風を凌げる場所が必ずあるはずだ、と自分に言い聞かせながら重たい足取りで一歩一歩斜面を登る。 一二時〇五分、ようやく山頂に到着。 山頂に着いた瞬間、いままでが幻ででもあったかのようにピタリと風がやんだ。ぽかぽかと暖かい日差しを全身に浴びて生き返るような心地だ。 連休にもかかわらず山頂には私たちを置き去りにしてすたすたと先を行ってしまった例のスキーヤー二人組以外には誰もいない。大して人気のない山なのか?などとこっそり思いながら、山頂の西寄りの一角を占拠して昼食の準備だ。 一〇分ほど遅れてトミーも到着した。 もちろん昼食はいつも通りの鹿児島ラーメン。 そこに至るまでの道のりの厳しさはともかく、山頂自体は家族連れがピクニックで出かけて行きたくなるようなのどかな環境だ。そこですするお手製の鹿児島ラーメンに至福のときを感じないわけがない。 山頂は三六〇度の展望が広がっているが、特に感動的というほどのものでもない。つまり近隣にこれと言って目を見張るほど美しい名峰が控えているわけではない。 隣の山から煙がちろちろ上がっているのでトミーにそいつを指摘すると、あれは焼山だ、と教えてくれた。 二人して思い思いのときを過ごし、一三時三〇分に山頂を後にする。 さぁ、いよいよここからが本番だ。私はバックパックから何度見ても出来損ないのチリトリにしか見えない例のソリを取り出し、上から急斜面を見下ろした。 ふむ、なるほど。結構な角度の斜面じゃないか。良くも悪くも、やはり唐松岳なんぞとは一味違う。 もちろん私には「恐れ」の感情など無縁だ。早速ひと滑り。※映像はトミー提供。 初回にしてはまずまずの滑りだ。 ソリを自宅に忘れて来たうっかり者(トミー)にもソリを貸してみたが、足の上げ方に思い切りが足りないのかいまいち滑りがよくない。 お手本代わりにもう一度私が滑る。※映像はトミー提供。 いいねぇ、六時間もかけて苦しい道のりを乗り越えて来た甲斐があったってもんだ。ここまでは山頂直下の斜面。 圧巻だったのは山頂の隣(ヒュッテ側から見て山頂手前)のピーク斜面での一コマだ。私は往路で散々苦労しながらトラバースした急斜面を、自分のつけた踏み跡に対して直角に「滑り落ちて」やった。 まさに全ての尻滑りファンにとってのお手本とも言うべき、この私の優雅でエキサイティングな素晴らしい滑りっぷりをお見せしよう。※映像はトミー提供。 あまりに高速に達しすぎたので、ピッケルで滑落停止の手順を踏んで止まろうとした私は容易に止まることが出来ないまま何度も回転しながら全身雪まみれになってしまった。ひゃー、こいつはサイコーだぜ!! その後も何度か尻で滑りながら、一四時四五分に高谷池ヒュッテに到着。 午前中に出発したときよりも明らかにテントの数が増えている。 日帰りでこの山にやって来るハイカーはあまりいないようだ。あれ?そう言えばインターネットで見かけた「日帰り」ハイカーたちはみんなスキーヤーだった気がして来たぞ? ひょっとして私たちは結構バカな計画を立てちまってやしないかい? 小屋のトイレで用を足すためにアイゼンを外すことになったトミーに、ついでに小屋でスポーツ飲料を買って来てくれるように頼んだ私は、親切なトミーが全ての用事を済ませて戻って来るまで小屋の外で寒さに震えながら待った。行動中はそれほどでもないが、止まるとジャケットなしではやはり寒い。 結局、トミーは小屋のスタッフに去年の一二月に賞味期限が切れたダカラを掴まされて戻って来た。それしかなかったのか、古い方から先に出していくという小屋の一方的な在庫管理上の都合でそうなったのかは知る術もないが、私は小屋にトミーを介してきっちり三〇〇円を徴収された。 一五時一五分にヒュッテ前を出発。もういい時間だと思うが一泊行程なんだろう、登って来るハイカーが跡を絶たない。 黒沢山のトラバースに差しかかった頃に見かけた、はるか前方からこちらに向かってぞろぞろ歩いて来るハイカー集団。 彼らの先頭を歩いていた、いかにも「山の男」といった風の屈強な五〇年配の男たちは、さり気なく道を譲った私たちの前を通り過ぎざま、私を見て「便利そうなものをぶら下げてるな」と声をかけ来た。 私は装帯のパウチのフラップを開け閉めしながら、行動中であってもいちいちバックパックを下ろしたりせずに飲み物や食糧を手早く手にすることが出来るその便利さを説明しようと試みたが、実は彼らが興味を示したのは装帯ではなくて、私が首から紐でぶら下げていた例のソリの方だったので、私はとんだ赤っ恥をかいた。 山男たちはソリで滑り降りた場合の速度が気になるようで、それについて率直な質問をぶつけて来たのだが、私はあいにく彼らの言葉がよく聞き取れなかった。すると事もあろうにトミーが横から勝手に「大してスピードは出ない」と応えてしまった。おいおい、トミー。君のはともかく私の斜面上を疾走するような滑りっぷりを君だってその目で見ていたんじゃなかったのか? 後でさり気なく山男たちに正確な情報を伝えなおしてから下山を再開する。 当たり前だが雪の状態は朝来たときよりも明らかに悪くなっていた。登りで手こずったかなりの急坂をやっぱり手こずりながら下り切って、十二曲りの頭を通過したのが一六時二五分。黒沢橋に着いたのは一六時五〇分のことだった。 そこから踏み跡を頼りにひたすら退屈な道を歩いて登山口に辿り着いたのは一七時三〇分。休憩時間も相応に含まれるとは言いながら、私たちは山中で一二時間近く行動してたってわけだ。全くタフな休日だったぜ。 それから私たちは、例によってトミーがどこからか見つけて来た温泉で心行くまで疲れを癒し、それから夕食のために、これまたトミーが選定したイタリアンの店へと向かい、たぶんその選定の際に料理の値段をチェックし忘れたトミーが入店してからボードに書かれたそれぞれの料理の値段を初めて知ってヒソヒソ文句を言い出したのを聞きながら私は必死に笑いをこらえ、結局二人ともピザやパスタだけでは飽き足らず、パフェやケーキまでぺろりと平らげてから店を出て東京へと戻った。 何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。 以上だ。 |
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