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September 19, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

五月の火打山以来ハイキングに出かけてない私とトミーで、来月の「ちょっとした」泊りがけのハイキング計画の足慣らしに西穂高へ。


西穂は私にとってかれこれ三年以上「いずれ登ってみなければ」と考え続けていた山でもあって、実際、何度か具体的な計画を立てたのだが、そのたびに天候に恵まれないとか何かの理由で断念してきた経緯がある。

当初は山荘で一泊するプランで検討していたものだが、三年という月日は私をして、わざわざ泊りがけで出かけるほどの山でもないだろう、という慢心を抱かせるには十分だった。そもそも人々が殺到することが目に見えてる連休初日に好き好んで山小屋泊まりなんて頭がイカれてる。


そうは言ってもロープウェイの運行状況を調べてみると、始発便と最終便を組み合わせても、登山口を〇九〇〇時発、一六三〇時には戻ってこなければならないから、確保できる行動時間は七時間半しかない。

オーケー、帰りはうわさに聞く「ボッカ道」とやらを歩いて降りて来ればいいか、なんてことをトミーと話し合っていたのだが、私の情報収集網は、実は休日に限って「しらかば平」発限定で六時台には始発便が運行している事実を見逃さなかった。


代わりに麓の駐車場が満車になるリスクを考えて、トミーには前日二三〇〇時に私の自宅前までご自慢のアウディで駆けつけてもらうことにする。当然、連休にはありがちな往路の渋滞まで考慮した結果のプランだ。それもこれも含めて〇四〇〇時くらいには駐車場に着いていたいものだ。


例によってハイウェイでは私がドライブを担当して、カーナビの現地到着予想時刻を一時間かそこら前倒ししてから松本インターでトミーと交替する。その時点で〇二三〇時くらいだったと思うが、それから助手席で眠りについた私が目覚めたのは、〇五二〇時に駐車場でトミーにたたき起こされたときのことだった。


〇五五五時に駐車場を出発。当然、その時点で登山者用の「無料駐車場(鍋平園地駐車場)」は満車。





トミーの証言によれば、想定より少し早い〇三三〇時頃に到着した時点で「ほぼ」埋まってしまっていたらしい。


ロープウェイの駅まで歩いて行く途中に見かけた看板に「三〇〇円」と書かれた、より駅に近い有料駐車場はガラ空きだったので、だったら帰りのことまで考えたらこっちでよかったじゃないか、ってことで、私はトミーに三〇〇円やるからアウディをここまで持って来てくれ、と頼んでみたが、もちろん彼は「ふざけてんじゃねぇよ」ってな顔をしながら私の依頼を断った。

ところであとからあるハイカーに聞いた情報によれば、有料の方は昼間しか止められないとか、(どういう計算方法だか知らないが)一泊したら二〇〇〇円も徴収されるとか、まぁ何かと不都合があるらしい。結局、私のプランは当初のもので概ね正解だったってわけだ。


〇六二〇時にしらかば平の駅に到着。やはり無料駐車場からは結構な距離だ。


始発便の次にあたる〇六四五時発の便に乗り込むことにする。周りにいるのはハイカーだらけだが、そりゃたしかにこんな時間から観光のためだけにやって来る物好きもいないだろう。


混み合うチケット売り場でトミーに金を渡して往復分の搭乗チケットを買って来てもらった私は、手渡された二枚のチケットは往きと帰りで一枚ずつだと思っていたら、うち一枚は「荷物券」とかいうやつで、往きの便に乗り込むときに二枚とも提示しなければならなかったのにそいつを知らなかったので、私はいざやって来たロープウェイに乗り込むのにもたついたせいでトミーと離ればなれになってしまった。おかげさまで、私は二階建式のロープウェイの一階部分に案内される三番目の乗客となって席に座れる幸運に恵まれた。


登山口に着いて、気持ちばかりの柔軟運動を終えてから〇七〇〇時に行動開始。





私たちより早く出発したハイカーたちを基本的にはするする追い抜いて、退屈な山道をひたすら歩く。手元のガイドブックによれば山荘までの標準コースタイムは九〇分とあったので、当然〇八三〇時くらいに着くもんだと思っていたら、前を歩いていたトミーがまだ〇八〇〇時にもなってないのに小屋が見えて来たとか何とか言い出した。

「ちょっと早すぎやしないか!?」とかなり後ろを歩いていた私は大声で返事をしたが、実際、そこまで行ってみると立派な小屋が建っていた。





小屋前のテラスで一〇分ほど休憩してから〇八〇〇時に出発。


大岩の転がるゾーンを抜けると展望が開けてくる。





丸山を〇八二〇時に通過。





連休初日ということで多少の混雑は覚悟していたが、思ったほどハイカーは歩いてない。そして気象予報によれば雲が出るということで展望には大して期待してなかったが、実際のところ、雲は我々の足元に広がっていた。

これってすげぇいい日にハイキングにやって来たってことじゃないか!?


それにしても、いやはや、前方に見えるピラミッドピークがマジでクールだ!





あらゆるガイドブックに説明されているとおり、独標までは何てことないただのハイキングコースだ。観光客崩れのようなハイカーもちらほら見かける一方で、「デキる」ハイカーたちはあっと言う間に私たちを追い抜いて行く。


途中、写真など撮りまくってちんたら登って行ったが、結局ほぼ標準コースタイム通り、山荘を出発してから八〇分後の〇九二〇時に独標に到着。


一〇人ほどのハイカーがくつろぐ中、息をのむような美しい雲海と青空をバックに記念撮影。





休憩がてらトミーと二人でピークの一画を陣取って、これまでのルートの振り返りとここから先の行程の再確認を行う。

トミーに言わせれば、何の変哲もない山道を「登る」というプロセスはひたすら体力を消耗するばかりで嫌いだが、岩場歩きは時が経つのも忘れてしまうくらい楽しくて、おまけに体力的にも楽なものらしい。なるほど、そんなものかもな。


そんなわけで一五分ほどの休憩を終え、二人揃って身支度を整えた〇九三五時、いよいよトミーお待ちかねの「岩場歩き」のお時間だ。


まずは独標からの下り。





急傾斜の岩場を、過剰なほど親切につけられたペンキの印を頼りに下りて行く。


トミーが先に下りて行く私のバックパックにぶら下げられたヘルメットを見て「そろそろそいつをかぶらないのか?」と言うので、私が重たいからまだかぶらない、と答えると、トミーは、自分が間違えて上から石を蹴落としてしまうかもしれないからかぶってくれ、なんて物騒なことを言い出した。

ここだけの話、たしかにトミーはハイキング中によく石を蹴っ飛ばす。私は独標を下りきった平らな道でいそいそとヘルメットをかぶった。


独標からしばらく進んで振り返ると、私たちがそこにいたときよりもはるかに大勢のハイカーが独標のピークにたむろしているのが見えた。もちろんその中には、あらゆるガイドブックに書かれてある警告にしたがって、自分の身の丈に応じたハイキングを楽しむために、大人しく独標から山荘へと引き返すハイカーもいるんだろう。

そして彼らの位置からは私たちの一挙手一投足が丸見えだ。この状況で、いかにも「よっこらしょ」なんて声の聞こえて来そうな鈍くさい無様な登り方を見せてしまったら、とんだ笑いものになっちまうぜ。

私はいつにも増してルートをよく観察し、足場とホールドを計算しながらカモシカのように俊敏な動きでハイカーたちのお手本よろしく岩の斜面を這い上がった。


あまりよく予習してなかったんだが、このルートでは「11峰」とされる独標を皮切りに「10峰」「9峰」「8峰(ピラミッドピーク)」とひとつずつカウントダウンしながらいくつもピークを越えて行って、最後の「1峰」にあたるのが山頂ということらしい。

それまで同じような岩場が延々と続くわけだが、それぞれのピークにはそこが何番目のピークなのかペンキで大書きしてあるので、だいたいの現在地は分かる。

「10峰」の先に岩場をへつるポイントがあって、トミーの前を歩いていた私は、そこを安全に通り抜けるために足をどこに置けばいいやら、なかなか正解に辿りつけずに難儀をした。トミーも同様にそこでは苦戦をしたようだったが、結局のところ、今回の山行で多少なりとも私たちを悩ませたのは後にも先にもそのポイント一か所だけだった。


技術的には特に大きな見せ場もないまま、一〇一〇時、ピラミッドピーク(8峰)に到着。





誤算だったのは、とにかくそこにたどり着くまでに両手両足をフル稼働する羽目になったせいで、考えていた以上に体力を奪われてしまったことだ。久しぶりのハイキングって事もあるんだろうが、そいつはトミーにとっても同じことだった。

トミーも私も、そのさき二度と、岩場歩きは楽ちんで楽しいなんて減らず口を叩こうとはしなかった。


周囲がガスに覆われて展望もつまらないものに変わりゆくなか、一〇二五時に暫くへたれ込んでいたピラミッドピーク(8峰)を出発。


一〇五〇時に「4峰(チャンピオンピーク)」を通過。





そして一一三〇時、ついに一〇人ほどのハイカーがくつろぐ山頂に到着。


私がそこに着いたときに、ちょうど一人の若い細身のハイカーが山頂碑のてっぺんに手をかけたかと思うと、そのまま飛び上がって開脚し、華麗に跳び箱を跳んでるようなポーズで仲間に写真を撮ってもらっていた。何だ?最近そういうのが流行っているのかい?

その若者に同じポーズを使用する許可を得たうえで、カメラマン・トミーの到着を待って、早速、私もチャレンジだ。山頂碑に手をかけて飛び上がるところまではうまく行ったが、脚が全く開かない。

おまけに身体が重くていつまでも腕で支えられないので、トミーがカメラを構えてから構図を微調整し終えてシャッターを押す頃には私の腹をかろうじて山頂碑が支えてるざまだ。撮り上がりをモニタで見せてもらうと、まるで木の枝に串刺しにされたモズのエサ(カエルか何か)にしか見えなかったので、その写真はもちろん「ボツ」になった。


周囲は完全にガスに覆われていて展望もクソもない。おまけに小雨もパラついてるありさまだ。昼食にしてもいい時間だが、あまり気分が乗らない。

トミーに意見を求めると、独標とピラミッドピークで平らげたゼリー状の栄養補助食品がちっとも消化されてないので昼食はまだいらない、と言う。私は、せっかくなので山荘まで戻って噂に聞く「西穂ラーメン」を昼食にするべきだ、とトミーに提案した。


ラストオーダーが一五〇〇時であることは事前にチェック済みだ。そして急げばまだ間に合うはずだ。トミーは、それまで腹が持つわけがない、と反論したが、ひとまず山頂では昼食を摂らないことで合意して、さっさと記念撮影を済ませた私たちは、(ガスのせいで)大して見るべきものもない山頂を一二○○時には後にした。


帰路はスムーズだった。つまり、往路ではなぜそこにルートを取るのか分からないようなところにペンキの〇印がいくつもつけられていて、私は内心、首を傾げながら極力そのルートをなぞるように心がけていたが、帰路では一変してそのペンキの印をつけて回った連中の意図が分かった。

同じルートを辿るにしても、方向によっては面倒なルートにもなれば快適なルートにもなるってわけだ。おかげで、パラつく小雨のせいで濡れて滑りやすくなった岩場も私たちはストレスなく通過したし、往路で手間取った10峰手前の難所も、帰りは何なくクリアした。


ちょうど私たちがそこを通りがかったときに独標を下りて来ていた青年がとんでもないヘタクソで、そいつがそこを下り切るまで待機するのにかなりの時間を費やした以外は順調なペースを維持して歩き続けた私たちは、一四二〇時には丸山に到着した。

トミーはそこで休憩を挟むことにしたが、たまに決められたラストオーダーの時間を勝手に切り上げてしまう不届きなコックがいることを警戒している私に気を遣ったのか、私には先に山荘まで戻るように促した。お言葉に甘えて疾走するごとく一気にザレ道を下り切った私は、一四三○時に山荘に到達し、入り口からずかずかと侵入して調理場で忙しそうに働いている女の子を掴まえるや否や「西穂ラーメン」はまだ注文できるのかどうかを確認した。女の子はにっこり笑って「大丈夫です」と答えた。


無事に対面を果たした、格調高い色合いのスープを湛えて美しく輝く「西穂ラーメン(しょうゆ)」。





さらに本来であれば山頂かどこかで消費されるはずだった手持ちの具材を勝手にトッピング(さすがに角煮は遠慮した)。





正直、あまり期待してなかったんだが、独特なコクのあるスープは私好みの逸品だった。


遅れて山荘に辿り着いたトミーは、結局、午前中に怪しいゼリーを食い過ぎたせいで「お汁粉」しか注文できなかった。いつかの穂高岳山荘でもそうだったが、まったくトミーはいつだって気の毒な男だ。


テラスで食事を終えたら二人揃ってベンチに腰掛けたまま仮眠をとって一五一五時にその場を後にする。登山口には一六〇五時に到着。

どうやら日帰り登山に挑むハイカーはあまりいないようで、帰りのロープウェイには私たちのほかにハイカーは一組だけで、あとは皆、軽装の観光客だらけだった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



西穂高岳日帰りハイキング/西穂高岳山頂にて



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