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May 19, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

マダニに咬まれたら皮膚科を受診しましょう、とインターネットのどこを調べても書いてある。率直に言って、既にそいつは適切に処理されビニールの袋の中で囚われの身になっているのだから、今さら私の腕を医者に見せる必要はないし、そんなのは面倒だ、というのが私の考えだったが、「面倒だ」という理由でするべき事をしないような人間は周りの人間からの尊敬を集める事はできないだろう、というのが私の基本的な価値観でもある。

私はバスに乗って、日曜日だというのに開業している感心な皮膚科医を訪問する事にした。


受付で問診票に記入するよう言われ、マダニに咬まれたと書いて渡すと、三〇分ほど待たされてから診察室に呼ばれた。

待ちうけていたのはアジアンの隅田によく似た三〇絡みの女医だった。隅田先生は開口一番「登山にでも行かれたのですか?」と聞いて来たのでイエスと答えた。隅田先生はマダニについての心得を多少お持ちのようだ。

まだついたままなのかと聞くので、見つけてすぐに除去した事を伝えると、頭や足が残ってる場合があるのでその場合は皮膚切除ですね、と早くもオペにかかる気満々のように答える。ところが私が上着を脱いでわざわざマーカーペンで丸印を付けておいた患部を見せると、拍子抜けしたように「何も残ってないようですねぇ」とおっしゃる。


隅田先生が興味を示したので、私は透明なビニールの袋の中で今も元気に這い回っているそいつの姿をお見せする事にした。頭も足も全て揃っている事を確認した隅田先生は「大丈夫のようですのでお薬だけ出しておきますね」と言った。

てっきり万一に備えて抗生物質を処方してくれるものだと早合点した私が念のために、それは何の薬か、と聞くと塗り薬だと言う。それって必要か?とは思いながら、つまり悪性の病原菌の心配はないという事でいいのですね、と念押しすると、隅田先生は、普通にこうしてお話出来ているのだから大丈夫ですよ、と言った。どうやら隅田先生は、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)ウィルスの潜伏期間に関する正確な知識を持ち合わせていらっしゃらないようだ。


私は肩書きではなく、その人物が話す内容から私の立場が上か下かを判断するタイプの人間だ。私が何の遠慮もなくその「潜伏期間」に関する指摘をすると、隅田先生は一瞬言葉に詰まりながら、そもそも私がビニールの袋に密封してお持ちした生命体はマダニではないと「思います」とおっしゃった。隅田先生曰く、マダニはもっとサイズの大きな虫であるらしい。


マダニは取りついた相手の血を一週間近く吸い続けて肥大化する。一般論として、皮膚科を受診する患者がその気になった頃には、既にその患者に取りついているマダニは十分な栄養を吸収してそれなりのサイズに膨らんでいる事だろう。私がお持ちした状態の「マダニ」を過去に隅田先生が一度も目にした事がなかったとしても不思議はない。


賢明な人物であれば、その小さな生命体がほんの数時間の間とは言え私の腕の皮膚に頭を突っ込んでいて容易に離れない状態にあった事に大きな関心を払うべきなのだが、まぁ隅田先生と論争をして圧倒的な勝利を手にしても私には大して利益がない。それに隅田先生は皮膚病全般にある程度通じた人物ではあってもダニの専門家ではないのだから、その事も考慮してあげるべきだ。そもそも必要性を感じてないのに酔狂でのこのこやって来たつもりの私は、適当に相槌を打ってそろそろ退室する事にした。


退室際に、隅田先生はもう一度「お薬を出すので朝と夜に一度ずつ・・」と言いかけ、思い出したかのように「何でしたら今お塗りしておきますけど?」と言った。隅田先生の親切を積極的に断る理由も思いつかないので、私はそうしてもらって部屋を出た。


最後に診療明細を受け取って気づいたのだが、患者に塗り薬を塗るというただそれだけの「医療行為」によって、私自身が支払う分と、保険組合から口座に振り込まれる分を合わせると、その病院は一般的なパート労働者が二時間働いたのと同じ程度の収益を得るらしい。悪意があるにせよないにせよ、親切にされたらついありがたく思ってしまう患者心理につけ込むような「医療行為」が各地で当たり前のように行われている陰で、この国の社会福祉予算は膨張を続けている。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



May 18, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

「ヘイポー」が久しぶりに山に登りたいというので何人か誘い合わせて「高原山」へのハイキングを設定したら、前日になって「ヘイポー」から「ふくらはぎが痛くて参加できない事を申し訳なく思います」といった内容のEメールが届いた。

全くいつもながら彼らしい展開だ。


残ったメンバー五人は当日、西平岳登山口から西平岳と中岳を経て釈迦ヶ岳を目指すルートを辿った。登山口を出発したのはちょうど九時頃だった。




標高差はせいぜい七〇〇米ほどだ、とたかをくくっていたが、急登なのと、雪山を除いてこの手の山登りは半年ぶりのせいか、すぐに息があがる。

にせピークを山頂と勘違いして三〇分ほどのんびりしてから本物の西平岳山頂に辿り着いたのは一一時一五分。そこから五分ほど下ったザレ場の展望が素晴らしい。





中岳への登りも急登で、さらにちょっとした岩山の趣もある。登り下りするには楽しい山だが山頂は平凡だ。

休憩もそこそこに鞍部まで急坂を下り、笹の刈り払われた急斜面の道を登り返せば釈迦ヶ岳の山頂だ。到着時刻は一二時三〇分。

先客は一〇人ほど。言葉を交わした地元のハイカー氏によれば、三〇分ほど前まで山頂は混んでいたが皆下山してしまったらしい。実のところ一週間前にトミーに教えられるまで存在すら知らなかったが、それなりに人気の山のようだ。


高原山/釈迦ヶ岳山頂で記念撮影


ここで昼食。

登山口を目指すトミーのアウディの助手席で、コンビニで手に入れた「お徳用パック」のシュークリームを八個も平らげた私は全く腹が空いてなかったが、何も口に入れないわけにもいかないので「しぶしぶ」調理を開始する。

今日のは叉焼と卵入り。





帰路は前山経由だ。来た道をほんの少し下れば左に分岐するはずだが、ルート計画責任者のトミーは分岐が分からないので偵察してくる、と言う。

腹もこなれたところでトミーが戻って来て、分岐は見つけたがちょっと危ないルートだと言う。見に行ってみると、笹やぶの急斜面に、踏み跡に見えなくもない微かな筋が一本下の方へと延びている。


私もそれほど熱心に情報収集したわけではなかったが、はて?藪を漕いで下山したハイカーの体験談なんてあったかな?と、率直に言ってその判断を心の底からいぶかしく思いながら、とりあえず「トミー」について行ってみる事にした。その藪の斜面を下りた方向に帰路に辿るべき尾根道が見えているのは事実だし、仮にその選択が「ハズレ」だったとしても生きるか死ぬかと言ったレベルのもんでもないだろう。


結果:ハズレ。何度も足を滑らせながら笹やぶを下りて行った私たちをあざ笑うかの如く、笹やぶを横切るように正しい道が現れた事を、トミーは少しだけ申し訳なさそうな顔をしながら私たちに報告しなければならなかった。

まぁ正しい道に復帰できたわけだから結果オーライというやつだ。


前山経由の帰りのルートはよく言えば歩きやすい、違った言い方をすれば実に単調な道だった。前山あたりで分岐が現れて、一方は私たちが辿るべき林道終点(釈迦ヶ岳登山口)へと続くルート、もう一方は「のんびり」ルートである事を示す案内板が現れたが、私たちにとっては前者のルートものんびり歩くのにうってつけなコースだった。


そこからは各々のペースで下山して、一五時ちょうどには全員が「釈迦ヶ岳登山口」に集合し、そこから「西平岳登山口」まで林道を二〇分ほど歩いて戻った。途中、まるで閉じられたゲートのように倒木が林道を全て塞いでいたので、「釈迦ヶ岳登山口」まで車で行って登り始める計画だったならば、その計画は始めから躓くところだった。



「やしおの湯」に立ち寄ってから、インターネットで見かけた妙に評判のいい中華料理屋に向かい、夕食。

シュークリームと久留米ラーメンがまだ私の胃の中で完全に消化されていなかったので、「F定食」にチャレンジ出来なかった事は非常に残念だ。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/日光 翠園]


家に帰り着いてからふと洗面所の鏡を見ると、右腕の上の方に何かついてる。直接見づらい位置にあるのだが手で払っても落ちない。鏡に映してよく見てみると、どうも虫のようだ。


マダニだ・・・・。





つい最近、マダニの感染症による死亡例を新聞で見かけて、それなりに情報を収集してはいたが、こんなに早くお目にかかる事になろうとは・・・。


体長は一ミリ弱だからまだ子供だろう。尻丸出しの無防備な姿で頭だけを皮膚の下に食い込ませて束の間の食事を楽しんでいるようだ。ひとまず三脚とカメラを持って来てセルフタイマーをセットし、記念撮影だ。非常に残念なことに、その被写体はあまりにちっぽけ過ぎて、私の手持ちのカメラでは満足のいく写真が撮れなかった。

お遊びがひと段落したら、数日後に病院のベッドで泡を吹いてるような目に遭わないために、少々面倒な作業に取りかからなければならない。無理に払い落したりつまんだりして頭がちぎれて皮膚の下に残りでもしたら厄介だ。まず教科書通り、麺棒と消毒用のオキシドールを用意する。麺棒にオキシドールを浸して二、三分つついてみたが全く取れる気配がない。

次に脱脂綿にポビドンヨード(うがい薬の原液)を浸して二分ほど被せてみたが、これも効き目がないようだ。皮膚切除が脳裏にちらつき始めたが、さらにしつこくオキシドールを浸した麺棒でつついてやると、今度は足をバタつかせ始めた。


さらに根気よく、女性の性感帯を刺激してあげるように、やさしくやさしく麺棒でいじってるうちにそいつはポロリと取れた。インターネットでより詳しく情報を集めてみると、マダニは笹やぶに隠れるのが大好きで、しかも「けもの道」で飛び移るべき相手を待ち伏せするのが得意らしい。それってトミーが誤って私を誘い入れたまさにあそこの事じゃないか!


もっともマダニに咬まれた事で重篤な症状を引き起こすのは、そのマダニがいくつかの悪質なウィルスの「保菌者」であるケースのみだ。保菌率についての正確なデータはないようだが、症例数で判断する限り、見知らぬ女性と一夜を共にして陰部にカビを伝染される確率よりはるかに低いだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。


高原山/西平岳山頂直下のザレ場にて




May 9, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今年二回目の山行は、例によってトミーの発案で「立山」だ。昨日から一泊二日の旅程だった。

「行き先」以外の全てを計画するのは私の仕事で、日取りを決めたのは日曜日だ。私のような駆け出しのハイカーでも、気象庁のウェブサイトに掲載される天気図をまめにチェックする癖をつければ、「ハズレ」の日に出かけない事はそう難しいことではない。

連休中は私が許容し難いレベルで賑わっていたようだが、少しだけ日をずらしてやれば、扇沢からバスに乗ったのは私たちのほかに僅か五人ほどだった。日本人の休暇取得率はなかなか上がらないと言われているが、悪くない事だ。




室堂には多少の観光客がうろついていたが、その数は控えめで私が不愉快になるようなレベルではなかった。天候も申し分ない。





夕焼けに映える飛行機雲。




宿泊先は「みくりが池温泉」。

「板前さんが腕を振るう」山小屋とは思えない夕食が供され、女性の宿泊客にとても評判らしい。個人的にはシンプルにカレーライスでかまわないんだが、まぁこれはこれで良しとしよう。





朝は四時三〇分に起床。朝日を浴びる奥大日岳を堪能する。





朝食を終えて準備を終えたらスノーシューを履いていよいよ出発だ。時刻は八時を少し過ぎた頃だった。稜線右端のピークが目指す雄山。

トミーはその後、稜線を真砂岳手前まで(つまり画像の稜線を左方向に)歩いて大走り経由で下山するコースを主張しているが、私はコースタイムを考えると半信半疑だ。





今回、初めて実戦投入した MSR 製の「Denali Evo Ascent」はアメリカの海軍特殊部隊でも採用されているスノーシューだ。それって私のようなスノーシューの良し悪しなんてよく分からないベイビーな雪山ハイカーにとっては、その選定にあたってとりわけ重要な意味を持つ情報だ。

つまり「カッコイイ」。





一の越にたどり着いたのが一〇時少し前。ニ〇人ほどのハイカーが寛いでいた。

後立山連峰の眺めが素晴らしい。





雄山への登り斜面。





ここで私はアイゼンに履き換えヘルメットをかぶる。なぜわざわざヘルメットをかぶるかと言えば、恐らくいまこの場にいるハイカーの中で、私が最も雪山登りの下手くそな滑落予備軍だからだ。

見た目は却っていっちょ前になった。





トミーは経験済みだが、私はアイゼンを自宅のベランダではなく山で実際に装着するのは初めての経験だ。案の定もたついてしまったので、出発できたのは一〇時半過ぎ。


雄山と言えば、室堂までやって来た軽率な観光客がつい軽い気持ちで登ってしまうようなイメージの山だが、傾斜や高度感は「高尾山」とは次元が違う。

左の方に小さく写っているのがホテル立山(室堂ターミナル)の建物だと言えば、私の言わんとする事が多少は伝わるだろうか。

後ろは大日連峰。





実戦初投入の Black Diamond 製「SERAC STRAP」は、四の越に辿り着くまでの登りの急斜面で実に三度も踵が抜けてしまったので、私はその度に腰を下ろせるような岩場までピッケルを頼りに這うように移動して、それを着け直さなければならなかった。

別に Black Diamond 社の設計者が悪いわけではない。ただでさえアイゼンはそれを着けるシューズを選ぶもんだってのに、彼らはまさか自分たちの設計したアイゼンを、冬山用ブーツの出費をケチってニ〇ドル足らずのオーバーブーツ越しに着けて雪と岩に覆われた急斜面を登る新米ハイカーがいるなんて想定すらしていなかっただろう。

四回目にそれを着け直したとき、私はどうやっても踵が抜けないような独創的なストラップ回しを思いついたので、私は二度と舌打ちしながら右足を引きずって(なぜか左は一度も外れなかった)雪の積もった急斜面をピッケル片手に這い回るような目に合う事はなかった。


四の越で少しばかりの休憩。相変わらず息を飲まずにはいられない後立山連峰の絶景。





四の越からはまた急斜面。結局、ようやく山頂にたどり着いたのが一二時ニ〇分。


早速、昼食。小屋で水筒に水を補充し忘れた事に気づいた私は、慌てずに雪を掴んで鍋に放り込み調理を開始する。メニューは「スグオイシースゴクオイシー」あれ。※卵入り





完成。





雪を沸かしてこさえたその素晴らしい昼食は最後の方でジャリジャリした食感を経験しなければならなかったが、まぁ貝汁みたいなもんだと思えば何も問題はない。


昼食も終わって山頂の景色も十分に堪能し、さぁ、行動再開、となった頃には一三時半を過ぎていたのでトミーの希望していたルート計画はもちろんお流れ。

と言っても、仮に私が初めて着けるアイゼンのために、登り斜面であれほど無様に時間を浪費していなかったとしても、私たちがそのルート計画を実践に移す事はなかっただろう。

いつだってより難しいコースへの挑戦を忘れないタフな男トミーは大汝山方面に向かう下りの斜面を一目見た途端「無理です」と言い放った!





来た道を一の越まで下りてアイゼンを外し、いよいよお待ちかねの「尻すべり」の時間だ。映像はトミー提供。





雪質の問題か、私の荷物が重過ぎた(それは出発前に計ったら丁度 20kg あった。そのうちいくらかは腹に入れて減らした)ためかは分からないが、私が五〇〇円で手に入れたチリトリ状のクールな乗り物は、持てるポテンシャルの半分も発揮できなかった。いつかの「漁岳」のように、条件さえ揃えば、その乗り物は映像よりはるかに高速で楽しい雪面滑降を私たちに体験させてくれる。


もっとも「スピードが出ない」ことなんて大した問題ではなかった。何がその理由であったにせよ、そのさき一度だって、私が「amazon」で購入したそのチリトリ状の乗り物が私を乗せて雪面を滑り降りる事はなかった。私が程度のよさげな斜面の手前で、それのうえに尻を下ろしてひょいっと足を上げても、それはぴくりとも動かなかった。ターミナルまでの帰り道の半分以上をそれに乗って颯爽と滑り降りる想定だった私は品のよくない罵り声をあげた。


もちろん、こんな事なら始めからスノーシューを履いておくべきだった、と私が思い至ったのは全ての斜面を限りなく 20kg に近い荷物を背負って「ツボ足」で下りきった後の話だ。何たることだ。楽しいハイキングの最後の最後にボッカの真似ごとをさせられるとは!


扇沢まで戻って「薬師の湯」に立ち寄ってから松本に移動し、最後は信州名物の馬肉料理で〆る。もちろん勘定は、雄山の登りで粗相をはたらきトミーの時間をいくらか無駄に浪費させてしまった私が全額「自発的に」支払った。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/三河屋]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。
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