banner_pussylog_top | Home | Military | Trekking | Gourmet | Life | Contact |
<<  2013年 6月  >>
June 21, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

浜松町界隈での所用ついでに、そのハンバーガーがインターネット上で異様に評判の高い「マンチズバーガー」を訪問した。


ちょっと不潔な女の子を想起させる店名の由来は私には分からないが、肉にもバンズ(パンのことだ)にも相当こだわったハンバーガーを客に提供しているらしい。ランチにはかなり遅い時間に入店した私は、ガラガラの店内に少々居心地の悪さを感じながら「テリヤキバーガー」を注文した。


芝/マンチズバーガーの「テリヤキバーガー」


マクドナルドで提供される食べやすそうなハンバーガーは邪道だ、とでも言わんばかりのノッポなハンバーガーが醸し出す手作り感が私の期待を煽る。


芝/マンチズバーガーの「テリヤキバーガー」



とりあえず手のひらで縦に潰してかぶりつけるようにしてから、私は両手で持った「テリヤキバーガー」をおもむろに口元へと運んだ。私が一口かぶりつくと、反対側から大量の肉汁が噴き出した。そのとき私は、真っ当なハンバーガー職人によって作られた「本物の」ハンバーガーに出会えた事を確信したし、もはや全くの別物としか思えないマクドナルドで提供されるアレは、どのような材料にどのような薬剤を混ぜたうえにどのような加工を施して出来上がるのか、たぶん私たちのような善良な市民は知るべきでないことを理解した。


ちなみにマンチズの「テリヤキバーガー」は一〇八〇円だ。私は味わった「テリヤキバーガー」の質相応に対価を支払わなければならなかった。つまり、その「テリヤキバーガー」ひとつの値段はマクドナルドの実に四個分だという事実には、公平を期するためにも触れておく必要がある。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/マンチズバーガー シャック]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




June 8, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今日は「トミー」とその友人(もはや私の友人でもあるが)の三人で、八丁尾根経由の両神山ハイキングだ。明日も山に登るのでなるだけ短いコースを採りたいという「トミー」のご要望に応じて、上落合の登山口から登って、ハイカーたちには「作業道」と呼ばれている地図にも載ってない胡散臭い近道を降りる事にした。

私たちを乗せたトミーのアウディが駐車場に着いたのは九時少し前だったが、トミーが適切なスペースにバックでアウディを滑り込ませると同時に駐車場は満車になった。あと五分遅かったら、私たちの五分後にやって来たセダンのハイカーがそうしなければならなかったように、駐車スペースを求めて落石だらけのそのへんの道をうろつくはめになっていただろう。


スタートは〇九時〇五分。




登山口から八丁峠までは、標高差三五〇米をひたすら登って行くだけの退屈な道だった。私は、母親に嫌いな神父さんのいる教会に連れて行かれる子どものように半分ふてくされながら、最後尾をちんたらと登って行った。

八丁峠にたどり着いたのは〇九時五〇分。





ここから先は鎖場の連続する岩場歩きらしい。難易度がどれほどのものなのかについては様々な意見があるようだが、中には「連続する鎖場」の鎖に一度も手を触れることなく踏破するハイカーもいると言う。

面白い。私も是非そいつをやってみよう。

私はその事を二人に宣言し、まるでここまでの道のりもそうであったかのように、誰に断るでもなく当たり前のように三人の先頭に立って歩き始めた。


そして早速ひとつめの鎖場が現れたとき、私は颯爽とその岩場に取り付き、鎖に手を触れずに登っていくルートをイメージしながらものの数秒ほど考えて、それは無理だ、とトミーに宣告した。


別に弁解をするわけじゃないが、私は一〇〇パーセント安全だという確信を持てないような行動はとらない。たぶんあの鎖場だって九五パーセントの確率で、私にはクリアする事が出来たと思う。だが残りの五パーセントに当たってしまった時にもたらされる結果を考えれば、それについて見て見ぬふりをしなければならない理由なんてどこにもない。そうだろ?


正直に告白すると、私は山頂にたどり着くまでに、それを入れて四回も鎖を使った。別にいいじゃないか。それよりはるかに多くの鎖を使わずにすませた事実は私を大いに満足させた。




事前に収集した情報では、このルートの核心部は西岳から東岳に至る稜線までで、東岳までたどり着けば、あとは比較的穏やかな尾根道歩きになるらしかった。たしかに西岳と思しきピークを過ぎてからはハードな鎖場(私にとっては殆どの場合ただの「岩場」なわけだが)が連続して現れ、私たちはこのルートの「醍醐味」を十分なほど味わった。

なので行く手に私のペニスのようにそそり立つ東岳らしき岩峰が現れ、私がそれを二人に指摘したとき、私たちの全員が「もう一息だ」という安堵の表情を浮かべた。

それにしても、その最後の登攀はなかなかハードな作業になるだろうが、体力も気力もまだまだ十分イケる、楽勝だ、それに標準的なコースタイムよりもかなりいいペースでここまで来ている、私たちは本当に優秀なハイカーだ、と心の中で頷きながら歩いていたときに「西岳まで百米」と書かれた案内板を見つけた私たちは大いに混乱した。

まるで、その日のコースに十分に満足して最後にデザートとコーヒーが運ばれて来るのを待っていたら、ウェイターがやって来てジャンボステーキの皿を目の前に置いて去って行ってしまったような気分だ。つまり要約すると、私たちは「クソでも食わされた」気分になった。

標準的なコースタイムよりいいペースどころか全く仕事がはかどってなかった事に気づいた私たちは、うんざりしながら先を急いで、一一時一〇分に西岳の山頂にたどり着き、それからさっさとそこを素通りして、いよいよそこから東岳に至る「核心部」へと足を踏み入れた。


いくつかの印象に残る鎖場と同様に、このルート上の一番の難所とされているらしい「ナイフリッジ」も、西岳と東岳の間(龍頭神社の奥社付近)にあった。左側を巻いて通るハイカーのために岩の左斜面にはちょうど手すり代わりに使えるように鎖が水平に取り付けられていたが、私たちはそれには目もくれずに岩の上を歩いて渡る事にした。その方が「クールだから」。

私は後ろで待機する事になるトミーに自分のカメラを渡して、私の雄姿を撮影しておくように依頼した。トミーはとてもいい仕事をしてくれたのだが、トミーの友人はさらに素晴らしい事に、岩の上をよたよた歩いて進む私の姿を何とビデオカメラで撮影してくれていた。何てことだ!そうと知ってたら、後世まで記録として残されるに相応しいもっとスマートでカッコいい渡り方だって出来たのに!





いずれにしても実際に東岳まで辿り着いてみて分かった事は、それは慣れの問題でもあるだろうが、少なくとも私にとっては「核心部」とされている西岳から東岳に至る稜線よりも、手始めに西岳に至るまでの道のりの方がはるかにハードだった、という事だ。そしてもうひとつ、このコースはマジで「面白い!」


一二時四〇分に東岳の山頂に着いたとき、私はそこも素通りしようとしたが、二人は空腹のあまり東岳で昼食をとることを主張したので、私はベンチに荷物を下ろし、例によって「五木食品」の熊本ラーメンと具にするための生卵とベーコン、それに調理器具を取り出した。

鍋を水筒の水で満たしてバナーに火を着け、湯が沸騰したのを確認して麺を鍋に放り込んだときに、あろうことか私は箸を持って来るのを忘れた事に気づいて怒りのあまり悲鳴を上げた。

麺を鍋に放り込む前に気づいていればどうにかしようもあったろうがもう遅い。私は鍋の取っ手を外して箸の代わりにすることにした。そのスノーピーク製の鍋の取っ手は先端がL字状に曲がっていて、特製の熊本ラーメンが完成すると、私はパスタ職人のようにそのカーブに麺を引っかけては口に運んだ。その不便さと来たら、まるで道具を使うことを初めて覚えた原始人の食事じゃないか!

私はトミーがさっさとカップ麺とカップ春雨(なぜかトミーの山上での昼食はいつもその組み合わせだ)を完食して彼が使い終わった箸を快く私に寄贈するのを今か今かと待ち続けなければならなかった。





一三時ニ〇分に東岳を後にした私たちは、三〇分もしないうちに両神山の山頂までたどり着いた。その狭さで有名な山頂は一〇人ほどのハイカーで「混雑」していたが、それでも多くのハイカーが既に下山した後だったろう。

私たちはやや曇りがかっていてそれほど眺望がいいとは言いがたい山頂で一時間ほどのんびりしてから、予定通り「作業道」から下山するために入り口の方へと移動した。


「作業道」の入り口にロープが張られている事は知っていたが、そのロープをくぐって少し進むと分岐の案内板が現れて、「作業道」と書かれた板が指している方向には何重にもロープが張られたうえに、絶対に入るなと言う当局の強い意志を感じさせずにはおかない案内が表示されていて、私たちは少々困惑した。





何がどのように危険なのかは私たちには分からなかったが、たとえその道が駐車場への最良の「近道」だったとしても、その警告を真剣に受け止める事のできる良識あるハイカーなら、この道に安易に踏み入るような判断はしないだろう、と私は思った。そして私たちがその「良識あるハイカー」であるか否かを私たちはもちろん十分に理解していた。

なので、今になって私に言える事は「もしあのとき私たちがその道を使って下山していたら」駐車場まで一時間半ほどで帰りつけていただろう、という事や、「もしあのとき私たちがその道を使って下山していたら」踏み跡はそれなりに明瞭で目印のテープもいい感じで付けられていただろうから、注意深く下山していれば致命的な道迷いを犯す事はなかっただろう、という事や、「もしあのとき私たちがその道を使って下山していたら」道の整備は最低限でそれなりに険しかっただろうし、難所にはロープも付けられていたかもしれないが、少なくとも私はそれらのロープを必要としなかっただろう、という事くらいだ。

そして「もしあのとき私たちがその道を使って下山していたら」八丁尾根を往復するのとはまた違った、往きと帰りで変化に富んだ山歩きを楽しむ事が出来た「かもしれない」。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。


両神山/東岳山頂にて



1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
>>> 最新の記事へ


−プッシー大尉烈伝−[人生編]に戻る >>> 
Copyright (C)2011 Lt.Pussy All Rights Reserved.