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ぷしろぐ >> 時事評論編
【 カ テ ゴ リ 】


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December 05, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

北海道の積丹岳にスノーボードに出かけた末に遭難した当時三八歳の男が警察の救助隊の不手際で死んだとかで、ご両親が八六〇〇万円もの賠償を求めて起こした裁判で、警察に一八〇〇万円の賠償を命じた判決が確定した。

雪山に何度も出かけたうえにいつも無事に帰って来る私が言うのだから間違いはないが、常識的に考えて、雪山で遭難するのはそいつが自分の能力を過信するバカだからだ。にも関わらず、わざわざ助けに行ってあげた救助隊が悪い、というのだから、この救助隊はよっぽど邪悪な救助隊で、死んだ男はよっぽどかわいそうな被害者だったんだろう。私は興味をそそられた。


事故のあらましはこうだ。死んだ男は二〇〇九年一月三一日に仲間二人と入山、下山中に仲間とはぐれて道に迷い、山頂付近でビバークすることにした。男はGPSで割り出した現在地を無線機で仲間二人に知らせていたようだ。

仲間から通報を受けた北海道警の「山岳救助隊」は翌早朝に捜索を開始したが、GPSの位置情報を誤って二時間あまり浪費し、男を発見後、二人の隊員が抱きかかえて移動中に今度は雪庇を踏み抜いて男もろとも二〇〇米ほど滑落し、最後に男をソリで引き上げる途中、ソリをロープでハイマツに固定したらハイマツの枝が折れ、男はさらにソリと共に六〇〇米滑落した。

視界五米の吹雪のなか、救助隊は男を見捨てて下山。翌日ソリに縛られた状態で男が凍死しているのが見つかった。


いろいろ情報をあたってみたところ、どうも北海道警の山岳救助隊というのは「救助隊」とは名ばかりで、大した予算もつけられず貧弱な装備しか持たないうえに、ろくな訓練も積んでいない寄せ集めのような集団なんだそうだ。男のご両親は、「道警の救助隊にはプロ意識が足りない」、「一般の登山者にとっては警察や救急が頼り」、「次の犠牲者が出ないように優秀な救助隊に改善されることを願って提訴した」などと主張していたらしい。


この死んだ男のように、山に登る際にGPSを携帯するというのは立派な心がけだ。一年間に何千(万?)人のハイカーが雪山に出かけるのか知らないが、そういう正しい心がけのハイカーはほとんどいないはずだ。ここだけの話だが、この私ですらそんなものは携帯していない。

問題は、GPSを持っていたはずの男が何で道に迷うのかってことだ。GPSやコンパスは携帯している地図や自分自身の地形図を読み解く能力とセットで使って初めて役に立つ。

ただGPSを携帯しているだけのハイカーというのは、(この男がそうしたように)遭難したときに現在地を伝えて第三者に「助けて頂く」前提のハイカーだ。一部には、男の装備は完璧だったなどと男を擁護する空とぼけた主張があるようだが、こんなヘボハイカーに雪山に入山する資格などない。


提訴したご両親も審理を担当した裁判官も、今からでもいいから一度、気象条件が整った日にちを選んで冬山に出かけ、吹雪で視界が五米しかない状態を経験してみるべきだ。プロフェッショナルよろしく手際のいい救助活動を行うことが口で言うほど容易いことではないという事実を身を以て痛感しながら、どうせ五分と持たずにしっぽを巻いて逃げ帰って来ることだろう。


悪天候にも関わらず救助に出かける決心をした男気溢れる救助隊のみなさんに対して「金をよこせ」と裁判を起こしたご両親に対する世間の嫌悪感はすさまじい。実際には道警という組織に対して裁判を起こしたのだが、世間にとってそんな事はどうでもいい事だ。

逆恨みとも言うべき恨みを晴らしてご両親はさぞ本望かもしれないが、その副作用として、今後、同じように遭難死したボーダーやハイカーの遺族が責任を救助隊になすりつけようとして裁判を起こす度に、息子の名前が悪しき前例を残した張本人として世間の記憶によみがえることだろう。


ところで当然、このご両親は自分たちが発表した提訴の理由に則って、手に入れた賠償金は全額、この北海道警の「山岳救助隊」に寄付するんだろうな?

もし万一この両親が、是非とも隊員の皆さんが装備を充実させてしっかり訓練するための財源として活用してください、と潔く全額を差し出さないような事があるならば、この両親はエラそうな事をぬかしながら結局「金目当て」で裁判を起こしたんじゃないか、やれやれ、全くこの親にしてあの子だな、と冷笑する巷の人々に、私はこっそりと共感するだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




November 30, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

去年の4月に千葉県で「一八歳の女性」が畑で生き埋めにされて殺された事件で、実行犯の一人である二一歳の男に「無期懲役」の判決が下された。


男女四人に車で拉致された被害者は、そのまま予め穴を掘ってあった畑に連れて行かれ、両腕を縛られたまま生き埋めにされたらしい。被害者が「殺さないで」と泣きながら懇願したにも関わらず、実行犯の男は「冷酷に」土をかぶせ続けたとされる。

インターネット上では、この一見残虐極まりない事件を引き起こした実行犯に対する「無期懲役」という判決は甘すぎるという怒りの声であふれている。


だが犯罪者に対する量刑が甘いか否かの判断は、事件の背景をしっかり汲み取ったうえでなされるべきだ。


たしかに「生き埋め」とか「泣きながら懇願」なんてキーワードを目にしてしまうと、私もつい、司法はこの実行犯どもを被害者と同じ目に合わせてやるべきだ、なんて考えてしまうが、よくよく情報を収集してみると、この「被害者」は借りた金は返さず、転がり込んだ友人宅の服は勝手に持ち出すようなトラブルメーカーだったらしい。最終的に知人から借りた中学時代の「卒業アルバム」を返さなかったことが、この「被害者」の命取りになったようだ。


こういう思わず「あれ?」となってしまうような情報を、メディアはきちんと丁寧に検証しない。


所詮ひとごとだと割り切って、傍観者として冷静にこの事件を評価するならば、被害者に向けられた殺意の原因は突き詰めれば被害者本人の不行状にほかならない。まさしく「身から出た錆」そのものだ。私の脳裏には、シマウマの子供がライオンにちょっかいを出して襲われてしまうシーンしか浮かばない。

外国のことは分からないが、日本の司法制度にはこうした被害者(?)側にある事件の原因を公正に評価する仕組みが致命的に欠けていると私は思う。


例えば公共住宅で騒音を起こして近隣住民の怒りを買った挙句に大体は階下か隣の部屋の住民に殺されてしまうマヌケがたまにいるが、このマヌケの命は周囲の善良あるいは無害な住民の命と等価値だろうか。

みんな口にしないだけで、実はそのマヌケが死んでくれたおかげで平穏な生活を取り戻すことが出来て、ほっと胸を撫で下ろしている住民が少なからずいるはずだ。視点を変えれば、このケースにおいてマヌケに天誅を加えた「殺人犯」は社会に対してよいことをしたと評価することも出来るのだ(もちろんそんな物騒な人間を野放しにされても困るので一定の刑罰は必要だ)。


生き埋めにされた被害者の母親は裁判員たちに「事件の残酷さを見てほしい」と号泣しながら訴え、父親は実行犯に「娘の苦しみの何倍もの苦しみを味わわせてやりたい」と言い放ったらしいが全く白々しい。

時計の針を巻き戻せば、この夫婦が娘に対して、借りた金は返す、友人の自宅のものは勝手に持ち出さない、という当たり前なしつけを施すことにすら失敗した時点で、娘の運命は半ば決まってしまっていたのではなかったか。私が裁判員ならそこまで考えていただろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




November 26, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

電車の優先席に座っている若者に席を譲れと執拗に詰め寄る初老の男が、当の若者に「残念だったな」などと軽くあしらわれている様子を動画撮影されてインターネット上で晒し者になっている。

まず、初老の男の要求に屈せずに最後まで席を守り抜いた若者に、私は心から敬意を表したい。まさに他人の目が気になる根性なしには出来ない荒業だ。だいたいあの二本足でしっかり立っている初老の男こそ、男の言い分に則れば「席を譲るべき」側の人間にしか私には見えなかったが・・・。


いたるところで指摘されていることだろうが、あらゆる乗客には優先席に座っているからといって老人に席を譲る義務などない。優先席は「皆さまの善意」に依存するシステムに過ぎない。人権国家では全ての人々が他者に善意を強制されない権利を持っている。そんな事も理解できないノータリンが、まるで自分が他人に善意を振舞われるだけの値打ちのある人間ででもあるかのようなフリをして、他人の善意にたかるざまほど見苦しい光景はない。


そもそも老人には席を譲らなければならないなんて考え方はどういう根拠に基づくものなのか、きちんと説明できる人物がいるのだろうか。疲れているのは若者も同じだろうし、人として敬意を払われるべき対象か否かは年齢とは関係がない。それでなくても老人の暴力や万引きやストーカー行為が日々、話題になっている。そう言えば最近では車もまともに運転できないバカな老人のニュースで持ち切りだ。


私もいずれは「老人」になる。だからこそ老人はあらゆる点で若い世代の人間に劣る存在だという正しい自己認識を持たなければならないと今のうちから覚悟を決めている。若い頃より身体能力も脳のはたらきも衰えてしまった人間が拠り所に出来るのは経験値くらいのものだろう。その「経験」ですら、場合によっては社会環境の変化に適応するにあたっての「弊害」になるおそれもあるのだ。

もっとも、それらの事実を正しく認識し、老いというハンディを抱えながらも世の中を上手に生き抜くことが出来る人物には、幸福で充実した老後の人生が残されている事だろう。その一方で、現状も認識できずに周囲が自分を尊重してくれないからと言って怒り出すような頭の悪い人間には、そういう愚者が迎えるに「ふさわしい」老後が待ち受けているに違いない。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




November 9, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

正直なところ私もメディアの事前予想を鵜呑みにしていたのでトランプ氏の当選は全く想定外だったが、世界中が悲観するほどの事だろうか。政治経験がないという懸念点はあるにせよ、彼が公約に掲げているのは不法移民を追い払うという、本来すぐにでも着手されるべき真っ当な政策だ。イスラム教に毒された若者が世界各地でテロを起こしているのも事実だし、「スター」にしっぽを振って言い寄って来る女性が存在するのもまた事実だろう。

過去の言動を引っ張り出しては執拗にトランプ氏を攻撃した女性司会者に対してトランプ氏が言い放ったという「(体の)どこであれ血が出ていた」のコメントに、私は大笑いしたものだ。そのコメントを「勝手に」生理と結びつけて「女性蔑視だ」などと批判する人々がいたが、本人が主張していたようにトランプ氏はそんな事は一言も「言ってない」。たしかに言ってないのだが笑えてしまうのがトランプ氏のユーモア・センスの秀逸さだと私は思う(分からないひとには一生分からないだろう)。


今回の投票結果が教えてくれるのは、トランプ氏が公約で提示した「行き過ぎた人権主義」に対する疑念を、多くのアメリカ人が共感をもって受け入れたという事実だろう。感情論に訴えては不法移民を甘やかし、平等や信教の自由という理想論的な価値観の名の下にテロのリスクから目を反らし、女性は常に正しく清廉な存在だとでも言わんばかりの幻想をばら撒くロマンチストたちに迎合することを半ば強要される社会に、多くの人々はいい加減に嫌気がさしているという事ではないか。

実際に同じようなことは他の国々でも起きている。怠け者の南部ヨーロッパ人に愛想を突かしたイギリス国民はEUからの離脱を選択したし、無制限に難民を受け入れる「人道的な」決断をしたメルケル一派に対してドイツ国民は失望を露わにした。日本では生活保護受給者に対する社会の目は厳しく(冷たく?)なる一方だ。


トランプ氏の当選に絶望している人々はクリントン氏が大統領になることを望んでいたんだろうが、本当にそれが人々にとっての正解だったのだろうか。クリントン氏はトランプ氏と比較する限りにおいては良識をそなえた人物に見えなくもないが、オバマ氏と対決していた八年前のキャラクターは醜悪そのものであったように記憶している。人間の本性が八年かそこらで簡単に変わるものだとは、私には思えないんだがな。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




November 1, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

自民党の若手集団が発表した政策提言に盛り込まれた「健康ゴールド免許」が脚光を浴びている。たぶん自分の健康管理もできない能無しか、そもそも政策提言の内容を正しく理解できていないアホどもが一斉に反発しているようだ。


まず「健康ゴールド免許」の背景にある思想は、きちんと健康管理につとめる人々を優遇しようというものであって、つとめない能無しの負担増を趣旨とするものではない。その時点で、健康管理が出来ない連中が反発するべき類のものではない。遺伝性疾患を持つ人々を切り捨てる政策だ、などという連中の頭の悪さは絶望的だ。例え生まれつきの病気持ちでも、きちんと健康管理につとめている人々だと認定されれば、優遇策が受けられるのだ。

受益者負担を徹底して公平性を強化するべきだと考える私は「健康ゴールド免許」のやり方には反対だ。医師に「生活習慣に問題あり」と診察された患者は一律(自己負担額ではなく)保険料率を引き上げ、所定の「健康管理」を真面目に実施した場合のみ料率を戻すという懲罰的な制度こそ、元来「怠け者」である人間に突きつけるにはふさわしい。


一部にはこの若手集団の政策提言を「きれいな長谷川豊」だと揶揄する連中がいるようだが、そうではないだろう。私に言わせればこんなのは「生ぬるい長谷川豊」に過ぎない。

長谷川豊に対する(感情的な)反発はともかく、「健康ゴールド免許」にも反発を覚えるような甘い世界観を持つ連中は、たぶんこの先ますます厳しくなって行くであろう(福祉制度の転換を含めた)社会環境に適応していくのは難しいだろう。もっとも、既に現時点で適応出来ていない連中も少なくないんだろうがな。


ところで今回の政策提言には、年金の受給開始年齢をさらに遅らせるという内容も盛り込まれている。本来、最も問題視されなければならないのはこっちの方だろう。メディアが取り上げた一部分にしか関心を持たずに、簡単に踊らさる愚か者どもがいっちょ前に意見を主張するなど一〇〇年早い。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




Octber 7, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

どこかの生臭坊主(尼?)が死刑制度支持者を「殺したがるバカ」と中傷して犯罪被害者遺族の反感を買っているようだ。実は作家を生業としていて、ブランドバリューを保つために宗教色を前面に出しているだけの紛い物のような坊主(尼?)の主張にどれほどの価値があるものか、はさておき、日本弁護士連合会がこの「作家」の主張を「ビデオメッセージ」として、死刑制度を批判するシンポジウムの場で利用したらしい。


だいたいこの「作家」の老婆は、過去に複数の死刑囚と「お友だち」の関係になったことがあると聞く。そんな人間に「死刑制度」を客観的に論じる資質など期待できるだろうか。その言動を見るにつけ、自分の書いた本を売るために、いつもニコニコしながら好感度をばら撒いているだけで、実は頭空っぽのお婆さんなんだろう、と私は思っていたが、あながち間違ってなかったのではないか。


それよりも弁護士というものは賢い人間がなるものだと思っていたが、実はそうでもないらしい。「連合会」の面々は死刑制度を本気で廃止したいと考えているようだ。何のために?

死刑廃止派の面々は「冤罪」の可能性を持ち出して、自分たちがまるで正義の味方か何かのような大きな顔をしているが、この連中には、池田小の宅間とか、秋葉原の加藤とか、最近起きた相模原の一件然り、明らかに冤罪でない犯罪者をどう取り扱うのかという視点が決定的に欠けている。冤罪のおそれがあるなら(例えば和歌山の林眞須美とか)十分な審理がなされるべきなのは当然だ。だがそれを理由に死刑制度の「廃止」を持ち出すなど論理の飛躍も甚だしい。


人間は誰しも社会からその命を尊重される「権利」を持っているが、同時に社会の人々の命を尊重する「義務」をも負っている。権利と義務は常にワンセットだ。他人の命を尊重する義務を放棄した犯罪者が権利だけを主張するなど「図々しい」というものだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




Octber 2, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ブログ上で「人工透析患者を殺せ」などという過激な意見を表明したフリーアナウンサーに対して厳しい社会的制裁が下されているようだ。このアナウンサーはあくまで「食生活と生活習慣」に問題のある「自業自得」の透析患者に甘すぎる現行制度の問題点を指摘しているのだが、そうではない患者たちまで傷ついてしまうじゃないか、という事らしい。

その表現の仕方が様々な議論を呼ぶのは致し方ない一方で、本来このアナウンサーが指摘したかったであろう「自業自得」で「迷惑な」患者たちをこのままにしておいていいのか、という本質的な問題については、どのメディアも本気で取り上げてないように見えるがどうなんだ?


アナウンサーによれば、医者にとって透析患者は「金のなる木」らしい。ついつい歯医者に行くのをサボってしまう私とは違って、腎臓病の患者たちは透析をやめるわけには行かないので真面目に「定期的に」通院して来る。彼らの面倒を見る医者に対して支払われる医療報酬は年間五〇〇万円にもおよぶらしい。なかなか興味深い情報だ。

アナウンサーも指摘しているが、客観的な視点で見る限り、これは立派な「利権」のひとつだと言える。アナウンサーの主張するように「自業自得」の患者に対する社会保障を打ち切ってしまえば、その患者の末路はさておき、医療業界は利益手段のひとつを失うことになる。スポンサーの顔色が気になって仕方のないメディアが、この一件の「核心的な」部分を積極的に取り上げない理由として考えられなくもない。


このアナウンサーを叩いていい気になっている愚かな大衆は、たぶんそんなことまで自分の頭で考えてもいないだろう。その身に起こったことはお気の毒としか言い様がないが、このアナウンサーは、騒ぎに乗じて他者を貶めることしか能がない多くのマヌケたちよりも、はるかに立派な人物だと私は思う。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 24, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

大女優の息子である二世タレントが一般人を強姦して逮捕された一件で、母親の大女優が「かわいそう」だとする声が多数挙がっているなんて報道がある。何がだ?

この一件で母親が「かわいそう」だなんて本気で思ってるやつらは、川崎の事件とか少し古いが神戸の事件の犯人の親に対しても「かわいそう」だなどと考えるのか?


この場合、犯人が未成年かどうかは大した問題ではない。むしろあの女優のこれまでの言動を見てると、ある程度の年齢に達した一般的な未成年者の親よりも、まるで子離れが出来てなかったじゃないか。


息子が出演予定だったドラマが撮り直しになるとか、事件が関係者に与える影響は小さくないようだが、穿った見方をすれば、母親まで降板だの撮り直しだのということになると、関係する企業の出費や手間がさらに増える事になるので、そいつらとの裏取引に応じたメディアが世論操作のために、母親が「かわいそう」なんて提灯記事をばら撒いてるんじゃないか?とすら私は「洞察」してしまう。

有名、無名を問わず、世の中には立派に育て上げた子供を社会へと巣立たせることが出来る素敵な親もいれば、結果的に有害な個体を社会に放出するだけの無能な親もいる。三田佳子然り、みのもんた然り、後者のタイプの親にそれ相応の報いがあるのは仕方のないことだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 21, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

銀メダルの獲得に終わった日本代表の女子レスリング選手が表彰台で泣いているのを見て「しらけた」と発言したタレントが誹謗中傷を受けているようだ。タレントには「しらける」自由もないのか?どうしてこういう自分とは違った感性の持ち主に対しては何を言っても許されると勘違いしている愚劣な一般人が跡を絶たないのか。


タレントの発言を「許せない」と息巻く連中の怒りの根拠は、このレスリング選手がこれまでに払って来た努力に対する敬意が足りないとか言う類のもののようだが、所詮レスリング選手が払って来たその努力は「勝ちたい」という自分の欲のために払われて来た努力に過ぎない。

もちろん、五輪の表彰台に立つほどまでに努力を払い続ける事が出来る驚異的な精神力そのものは感服に値するが、別にその努力がタレントのために払われたものでも何でもない以上、そいつを好意的に受け止めるか、冷めた目で受け止めるかなんてタレントの勝手だ。


そういえば、不本意な結果に終わったうえに開き直ったコメントを出した女子マラソン選手に対して、これまたいちいち誹謗中傷にいそしむ暇な一般人が大勢いたようだが、まさかこのタレントにキレてる連中と同じやつらじゃないだろうな。

例えメダルを獲れなくても、最後のコメントが不快なものであっても、あのマラソン選手は五輪に出場することが出来ただけでも、ただテレビを見ながら目を吊り上げるくらいしか能がない愚民の皆さんより遥かに「敬意に値する」多くの努力を払って来た人物であることは明らかだ。


レスリングの件に関して言えば、なぜ日本人はもっと、あの金メダルを獲った美しいアメリカ人選手の方に注目しないんだ?日本代表に勝った瞬間、あの美しいアメリカ人選手はマットに突っ伏して号泣していたじゃないか。

あの姿に心を動かされることもなく、ただ自分の国の代表の言動にしか関心が持てないなんて、もちろんそいつもまた個人の勝手だが、たぶんそういう連中は、客観的に国際問題を論じるに足る頭の持ち主ではないんだろうな、ということはすぐ分かる。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




July 29, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

「モンスター」とやらを捕まえて遊ぶくだらないゲームを巡ってテレビタレントらが論争を起こしているようだ。


否定派の漫画家(この漫画家もあまり賢い人物には見えないのだが)に対して肯定派の急先鋒のタレントが「親子間のコミュニケーションツールになる」などと息巻いているようだが、そんなものは反論でも何でもなくて、改めて自分たちの愚か者ぶりにハイライトをあてる「オウンゴール」でしかない。

否定派が指摘しているのは、要約すれば「そんなくだらない方法でしか貴様ら親子はコミュニケーションがとれないのか?」って事ではないのか?少なくとも私にとっては、ゲームを通じてしかコミュニケーションをとれない親子の異常性を認識できない時点で、奴らは「頭の劣った」哀れな存在だ。

自分たち「哀れな親子」だってゲーム以外の方法でもコミュニケーションはとれる、と奴らは反論するかもしれない。是非そうあって欲しいもんだ。だがもし本当にそうなら、わざわざくだらない方のコミュニケーション方法に喜んで時間を費やしている時点で、やっぱり奴らはただの「知的弱者」なのだ。漫画家の主張する「虫を捕まえる」というやり方が、漫画家が威張って言い散らすほど崇高なコミュニケーションかどうかは別にして、な。


何より私が嫌悪感を抱くのは、「歩きスマホ」ばかりか車や自転車の運転中にまでプレイに興じようとする「バカタレ」が必ずこの社会には存在することが分かりきっているにも関わらず、自分たちの利益のために、このような「危険な」プレイスタイルのゲームをあえて市場に投入する企業側の姿勢だ。

従業員が過労死するような居酒屋チェーンに客が寄りつかなくなって潰れるのは当然の報いだと考える私にとって、この企業の商品を手にとる消費者自体が「安きに流れる」人間性の劣った存在に見えるだけのことだ。


もちろん「法律や施設ごとのルールを遵守する範囲において」ゲームに興じるのはそいつの自由だから、彼らが「法律や施設ごとのルールを遵守している限りは」モンスター収集だかモンスターしごきだか知らないが、勝手にやってればいい。ただし、そういう連中を見かけたときに、あぁ、こいつは有意義な時間の使い方というものも知らずに、その日暮らしの哀れな人生を送ってる、頭の弱い気の毒な人間なんだなぁ、と白い眼で見てしまうこともまた私たちの「自由」だ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




July 28, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

上野千鶴子なんかが陣営についた時点で、多少なりとも良識を備えた都民なら、あんな病み上がりの老人になどさっさと見切りをつけるだろう。あるいは元建設官僚なんぞが知事になっても、都民の税金はどうせろくな事に使われない。

票を入れるに値する候補者が皆無の選挙で有権者に出来ることとは、とにかく「どうしようもない」候補者をまず弾いてから、さて、残ったうちの誰に入れようかな、と鼻をほじりながら考えることくらいしかないってわけだ。


あぁ、そんなことすらまともに分かってない有権者が社会(都内)に溢れてるから、(都民は)また選挙に行かなきゃならないんだったな。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




June 3, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

別に弁解でも何でもなくて、置き去りにされた人気のまるでない山林内のある地点から、たまたま歩き出した方角の徒歩到達圏内の車道沿いに、水道はおろか就寝用のマットまで用意された宿泊施設があって、さらにその日はたまたま鍵がかけられてなかったなんて、これを奇跡と言わずに何を奇跡と言えばいいんだ?


さて、父親が犯罪者でないことがはっきりした時点で言えることは、この男は我が子の失踪時の服装すらまともに説明できないウスラ馬鹿かもしれないが、今回の一件については何も悪いことはしていない、という事だ。ただ、やる事が中途半端だった。

もしこの七歳児が、これだけの騒動を経験してもなお性懲りもなく人や車に石を投げるようなら、この父親には今度こそ、半径五〇マイル以内に人工設備が一切ない深い密林の車道からも遠く離れた藪の中にこの七歳児を置き去りにしてもらいたい。何なら目隠しをして手足も縛っておいてもらいたいくらいだ。


まぁ何にせよ今回の騒動で最もはっきりした事は、あのオカマの教育評論家が、目障りな感情論を展開する事しか能がない、この父親のはるか上を行く救いようのない大マヌケだって事だろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




May 31, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

たぶん今こうしている間にも、北海道の山林で「しつけのため」と称して両親に置き去りにされたとか言う七歳の男児が早く見つかって欲しい、と多くの人々が願っている。

父親の証言はころころ変わるので、この男の言うことは全く信用できないが、仮にこの父親の話す最新のシナリオが事実に沿うものだとしたら、食料も防寒着も持たない、サバイバル訓練を受けたわけでもない七歳児が、春先の北海道の山林に一人で放置され、見つからないまま三日も経ってるわけだから、もし生きて見つかるようなことがあれば、それはもう奇跡に近い。


そもそも全てが父親らによる狂言だ、と考える人々もいるようだが、私は父親の(最新の)証言が真実であることを願わずにはいられない。七歳にもなって、ひとや車に石を投げることが悪いことだと分からないような有害な個体は、この社会からひとりでも減ってくれた方がありがたいからな。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




May 12, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

二五年も前から今日まで流通している、ほぼ全ての三菱車の燃費データはニセモノらしい。つまり、街で三菱車に乗ってるドライバーを見かけたら、そいつらのほとんどは「見る目のない」哀れな人間ってことになる。

「見る目のない」のは舛添に投票した都民も同様だが、パッと見ただけではどの知事候補に投票したかまでは分からない。そう考えると、車に乗ればすぐにバレる三菱車のオーナーはかなり恥ずかしい。

リコール隠しをするようなメーカーが心を改めることなどないってことが今回の件でよくわかったが、オリンピックをコンパクトにしよう、なんてカッコをつけていたくせに自分の出張代だけは青天井にしていい思いをするような男の人間性もまた、そう簡単に変わるわけはない。この期に及んで、舛添だって心を入れ替えるに違いない、なんて自分の投票行動を正当化しようとする(舛添に票を入れた)有権者がいるとすれば、そいつらの人間理解は、三菱車のオーナーと同じく、底に近過ぎて救いようのないレベルだ。


もっとも、仮に舛添が失職した場合、次の都知事の五輪に対するスタンスには注意深く関心が向けられるべきだ。つまり、主要メディアは総じて舛添に対して厳しいスタンスを取り続けるくせに、五輪の不正招致(特に広告屋の関与)に対する事実究明には及び腰に見えるのはなぜなんだ、ってことだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




March 24, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ゲス川谷やイクメン議員と比べて乙武(「純愛エロメガネ」)氏に対する世論の追及は少し生ぬるい気がするが、国際情勢や経済動向より他人のスキャンダルが大好きな大衆層といえども、やはり生まれつき手足のない「弱者」に対する人格攻撃は気が引けるのだろうか。

だが、そういう態度は昔から「障害者を弱者と決めつけるな」と言い続けて来た乙武(「純愛エロメガネ」)氏に大変失礼だ。


一部に、乙武(「純愛エロメガネ」)氏には裏切られた、という声もあるようだが、いったいあの、人前ではエラそうに振舞いながら、結局は周りの手助けがなければ生きられないだけの痛々しい人間に何を期待していたというのか。

政界進出が噂されているが、エレベータのない飲食店では従業員が進んで自分を抱えて階段を上がってテーブル席まで運んでいくのは「当たり前だ」と言わんばかりの主張ついでに営業妨害をしかけて腹いせするような男に、国政選挙をアイドルの人気投票か何かと勘違いしているような愚民以外のいったい誰が票を入れるのか、と思っていたが、それでも仮に選挙に打って出れば一定の票は集めるんだろう。

少々雲行きが怪しくなって来たとは言え、擁立を画策していたのは、ご立派な企業理念とやらで若者を洗脳する人殺しですら公認するような政党だから、目が完全に潰えたとは言えない。


ところで不倫という行為自体は所詮、当事者間の問題に過ぎないんだから、そんなのは外部の人間がいちいち目くじらを立てて追及する必要はないし、私自身、個人的には、あんな身体でどうやって相手の女性をイカせるんだ?ってことについては興味が尽きないが、その他のことはどうでもいい。

夫人がかわいそうだ、と言う声もあるようだが、ピンと来ない意見だ。わざわざ手足のない障害者と生きる道を選ぶ気概には頭の下がる思いだが、代わりに「乙武(「純愛エロメガネ」)夫人」であることによって、それなりにいい思いもして来たことだろう。

ただ「お忍び旅行」にわざわざ「カモフラージュ要員」として付き合うことを厭わない人物が周囲にいるという事実からは、乙武(「純愛エロメガネ」)氏が周りからとても大切にされている、何とも恵まれた羨ましいご身分でいらっしゃることだけはよく分かる。

もっとも私自身は、そんな身分より両手両足の揃った人生の方が百倍ありがたいが・・・。


ところで夫人が出した、どこかのコンサルタントにでも作文させたと思しき謝罪メッセージに反発する声もあるらしい。自分にも責任の一端がある、という一節が、そういう考え方が世間にまかり通ると、自分が浮気をされた場合に自分も悪いことになるから気に食わないという人々の声らしいが、くだらない。

そういう人々は、結局「自分」のことだけ気にしてればいい気楽な人生を送っているんだろうが、所詮、この夫人とは生きているステージがまるで違う、というだけの事だ。

それよりも、そんな見え透いた手段で大衆に目くらましを仕掛けて、さっさと幕引きを図ることで、乙武(「純愛エロメガネ」)夫妻がいったい何を手に入れようとしているのか、にこそ世間の関心は向けられるべきだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




Feburuary 22, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ある若手の女区議会議員が、同性愛は「個人の趣味」と議会で発言した、として一部で話題になっている。医師の認定が必要な「トランスジェンダー」はともかく、単なる性的嗜好に過ぎないホモやレズに自治体が金や時間をかけてわざわざ手厚く処遇する必要があるのか、という「質問」をしたらしい。

要するに男に抱かれたがる男は、ガールフレンドに看護婦の格好をさせたり目の前で放尿させたりする男と同じく「趣味で」そうしている、という全く新しい発想のもとに議会の場で堂々と質問したってわけだ。当然、当事者のホモやレズの人々は反発しているようだ。


問題の女性議員の後ろ盾はどうやら「維新の党」の幹部から落ちぶれてあちらこちらにふらふらした挙句に次の選挙では現与党から立候補するつもりの「右寄り」のオジサマらしい。同性愛者の人権などという概念にははなから興味がない筋の人物だろう。


もっとも、インターネットに掲載されているこの女議員の「質問」の全文を丁寧に読んでいくと、問題提起としては素晴らしいの一言に尽きる。簡潔にまとめてしまえば、マイノリティの権利も大事だが、過剰反応はいかがなものか、ということだ。

要するにこの議員氏は、何かと言えば権利意識だけを剥き出しにして社会に反発し、要求する少数派の主張を何でもかんでも取り上げればいいってもんじゃないですわよね?とおっしゃっておいでなのだ。言わんとするところはまったくもって正しい。


議員氏は、アメリカのキリスト教徒のケーキ職人が同性婚のカップルからのウェディングケーキの注文を自身の信仰を理由に拒否したところ、裁判によって多額の賠償を命じられた、という大変興味深い事例を引き合いに出しながら、性的マイノリティがマジョリティのいわゆる「信仰の自由」を侵害した例だと言い切った。

この事例は、少数派自身はさておき、自身は多数派に位置していながら少数派に寄り添うポーズを見せる人々に対して、多数派の価値観がまるごと否定されることになっても少数派の価値観を優先してありがたがる社会を受け入れる覚悟が本当にあるのか、 という本質的な問いを突き付ける事になる。

このような事例を元に社会における議論が深まれば、大した思考もないままに周囲の空気に流されているだけのニセモノの「人権派」の人々は簡単に切り崩されていくことになるだろう。


ところでこの事例のケースで言えば、ケーキ職人が賠償金を払わされたのは仕方のないことだ。あらゆる「たかが」宗教の教義は社会の一般法規より格下に位置づけられる。つまり自分の信仰という「個人的な趣味」を理由に他人を差別するようなことが許されるわけがない。

逆のパターンを考えてみればいいだろう。豚肉を食べたくないイスラム教徒の主張がいつも認められてしまったら、彼らに訴えれた餃子屋はみんな潰れちまう。

ホモやレズが死ぬほど嫌いで、そんなやつらにはどうしてもケーキを作りたくない、と言い張るケーキ職人がいるならば、もし自分の元にその手のカップルが現れてしまったら、今日は気分が悪いので、とか何とか言って「上手に」拒否するべきだ。


ところで、私は例の議員氏の問題提起は素晴らしい、と言ったが、議員氏の見識まで評価しているわけではない。ホモやレズがただの「趣味だ」と言い切るだけの生物学的根拠をこの議員氏は持ち合わせてないだろう。

彼らに時間や金をかけるのが正しいのかどうか、という議論はあっていいが、同性愛が単なる「趣味だ」と決めつける態度は、結局、この議員氏が単なる知性に欠けた「差別屋」であることを証明している。

この議員氏を手放しで絶賛している一般ピープルにしても同じことだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




Feburuary 12, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

国会に育児休暇制度を導入しようというあまりに先鋭的な提言をしてしまったばかりに、大勢の自民党の古株議員を敵に回す羽目になってしまった可愛そうな若手議員が、出産間近の妻をさしおいてオバサン臭いB級タレントと自宅で密会していたのが発覚して、今度は支持層だったはずの女性層を含む世の中の大半の人々まで敵に回してしまうという、政界のニュースとしては久しぶりに腹を抱えて笑ってしまったとても愉快なコメディー劇は、結局「イクメン議員」氏があっさり議員辞職するという結末で終わった。

イクメン氏の会見を目にしたが、報道陣に聞かれるがままにFカップ・オバサンとの馴れ初めから過去の女性遍歴まで洗いざらい答えてみたり、辞め際といい何とも正直で潔い男じゃないか(もちろん国会議員としての資質は別問題だ)。


広告主が最も気を遣う女性層の顔色でも伺いたいのか、イクメン氏に対して厳しい論陣を張るメディアばかりが目に着くが、本気でイクメン氏の行状を糾弾したいなら船田とか後藤田とか、未だに生き残ってる自民党内の古株のコメントを求めて各社一丸となって突撃していくべきだろう。甘利の追及も尻すぼみだし、結局、手軽に叩けるところを叩いて頭の軽い視聴者のご機嫌をとっているだけなのは明らかだ。


そもそも私生活での振る舞いを取り上げて政治家を評価する事にいったいどれほどの価値があるのか。実際のところ、育児休暇制度の普及を願っているのに今回の出来事でこのイクメン氏に「裏切られた」みたいな論調を展開する女性たちは(男もそうだが)、目先の出来事にしか注意を払わない典型的な愚か者だ。結果的に彼女たちは、育児休暇の提言なんて「単なるパフォーマンスだ」と息巻いていた守旧派が勢いづくのにただ手を貸しているだけにしか見えないのだが、そうは考えないのか。


もちろんイクメン氏の家庭にとっては大きな問題なんだろうが、こんなのは国民がことさら関心を抱くほどの出来事じゃない。何百兆円とも言われる借金を後の世代に押し付けてまで株相場に注ぎ込んで年金資産をパーにした挙句に普段からエラそうな答弁を繰り返す割には田舎議員の顔色を窺って定数削減もぐずぐずと実現できない、そのくせトカゲみたいな顔をした女大臣を使って放送法なんぞちらつかせつつメディアに圧力をかけることは忘れないような、自民党政権としても近年例を見ないこんな質の悪い政権でみんな本当にいいのかい?ってことに、最近の政治経済情勢に最低限の関心を払う賢明な人々は目を向けているだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




January 25, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ベッキーとか言う珍妙な顔立ちの女タレントが猛バッシングにあっているようだが、やってることは今井美樹と大して変わらないだろう。男の方も布袋や「ミスチル」と何ら変わらない。ベッキーたちを罵ってる連中は、何で今回に限ってあれほど盛り上がっているのか。


別にベッキー女史がどうなろうと私の知ったことではないが、それよりもこの社会に蔓延している安易に雰囲気に流される人々の言動を見ていて、その知性の軟弱さにほとほと感心してしまう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




January 18, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

例の国民的アイドルグループの解散話が立ち消えになったとやらで、ファンというカテゴリ層に位置づけられる一部の無邪気な人々はほっと胸をなでおろしているらしい。

普通の感性をもって眺めれば、いい大人が四人もテレビカメラの前に引きずり出されて晒し者にされていただけにしか見えないが、それも含めたうえで解散さえ回避できればそれでいいってことか。世の中にはいろんな考え方をする人々がいるもんだ。


もっとも一部には問題の四人が「かわいそう」だとする向きもあるが、それもどうなんだ?彼らは既に長い年月にわたってあんな目にあってもお釣りが来るほど十分な報酬を得ている人々だ。ほんの少しだけ周囲を見渡せば、彼らよりも報われない暮らしを送っている「かわいそう」な人々は世の中にいくらでもいる。


お詫びの言葉とやらを並べる彼らのうちの誰かが口にした「支えられていると気付いた」「感謝しています」なんてメッセージを自分たちに向けられたものだと思い込んでる「ファン」とやらは少なくないだろうが、たぶんそいつは大きな勘違いだ。今回の一件で彼らが身に染みて理解させられたこととは、あくまで彼らのビジネス上での利害関係者を蔑ろにすることの代償がどれほどのものかって事の方だろう。

その実態が人々が期待するような美しいものか、そうでないかには関わりなく、実のところ彼らが誰に支えられていて、そして誰に感謝するべきか、という問いへの答えはそこにしかない。


そもそも私には例のグループの「ファン」と呼ばれる階層の人々の感受性も、まるで不可解としか言いようがない。大手メディアは報じないが、あの事務所の社長の性癖は既に裁判で明らかになっているし何人もの被害者の証言もある。それらの情報が示唆するところによれば、あの事務所は社長の「寵愛」を受けた者から順番に階段を上がって行くという業界内でも独特のシステムを採用しているそうじゃないか。

だとすれば、問題の五人組を含む割と名前を知られたあの事務所関係者の全員が、今日の地位を得るための代償を少年の頃にその幼いケツで支払っていたとしても全くおかしくないってことだ。少なくとも私はそういう疑いの目で彼らのことを見てしまうし、そんな彼らの歌や踊りを見せられたところで、生々しい老人のセクシャルな欲望の残り香を嗅ぎ取りこそすれ、どこに夢のあるファンタジーな要素を見出せばよいと言うのか?

陰部を丸出しにして深夜の公園で大騒ぎしたとか、警官を車で撥ねて逃亡を企てたとか、そんな愚かな実績以前の問題だ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




January 11, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

マダム・メルケルは実にすばらしい国家指導者だ。自身の権威に泥を塗る羽目になる危険も省みずに難民を無制限に受け入れるなどと大胆な政治的決断を下した挙句に、そうした頭のおめでたいヒューマニズムに侵された愚策を責任ある立場のリーダーが強行すれば何が起こるか身を以って証明してくれた。

数百人に及ぶとも言われている被害にあったドイツの一般市民は本当に気の毒だと思うが、まぁ、被害者のうちメルケル支持者についてはその対象から除いてもいいかもしれない。


もちろん「難民」と呼ばれる人々の全てが人格的にレベルの低い、救うに値しないゴミのような連中だとは限らない。基本的に「難民」と呼ばれる人々は祖国に安住の地すら与えられなかったような、運命に翻弄されるばかりの立場の弱い無辜の人々だ。

なかには悪政を敷く為政者との戦いに敗れて祖国を追われてしまったような、勇敢で偉大な市民も含まれている事だろう。ただ「難民」というだけで偏見に満ちた目で彼らを見下そうとする態度に対して、私は反対の意思を表明する。


だからと言って、ろくに受け入れの準備も整わないうちに「何人でもいらっしゃい」なんて「いいひと気取り」をやることが一国のリーダーとして責任ある態度であるわけがない。

たしかメルケルは FUKUSHIMA の事故を教訓に自身の過去の過ちを認めて脱原発に舵を切った聡明な指導者だったはずだが、こと「難民」に関しては何ともお粗末で稚拙な判断に走ってしまったのは、マダムがかちかちのキリスト教徒であることと無縁ではないかもしれない。


結局のところ、「難民」受け入れ派が主張する、「難民」を受け入れたからと言って社会の治安が悪くなることはない、という楽観論は、この期に及んで「原発は絶対に安全です」と言い切るどこかのボンクラ首脳と同じレベルの世迷言だ、ということだ。なるほど、原発は「概ね」安全なんだろうが、想定外の事故が起きてしまったときの被害の規模やそのリスクを正しく評価したうえでエネルギー政策は論じられるべきなのだ。


そして同じように、社会に対して「ゼロリスク」で「難民」を受け入れることは出来ないという事実から、私たちは安易に目をそらすべきではない。


受け入れた「難民」を全員、街中に野放しにするのは論外だが、彼らを隔離するような方法に頼れば後になって人権問題だと騒がれるおそれがあるし、審査の段階で大量のリンゴの中から腐ったやつだけピンポイントでつまみ出すのは現実的に不可能だろう。

そう考えると、あえて社会にリスクをもたらさない、つまり難民は「受け入れない」というカードを選択したい人々が私たちの身近にいたとして、誰が彼らを責めることが出来るというのか。


全ての「難民」が無慈悲に見捨てられることが「良い事」か、と問われれば、そいつも少し違う気がするが、少なくとも「難民」の受け入れ拒否派が何か意見を言っているのを見かけても、ただそれだけで彼らをひとでなし扱いするのは間違った態度だ、という事実を、私たちは空虚で無責任なヒューマニズムや宗教観に惑わされることなく、偉大なるメルケル首相がもたらしてくれた大変分かりやすいドイツの事例からしっかりと学ぶべきだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




December 17, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

夫婦別姓が認められない民法の規定が憲法に反するなどという壮大な名目を掲げて最高裁まで頑張ったお婆さんの訴えは、あっさりと却下された。そりゃそうだろう。あれだけ露骨に国民の間の不平等を放置している「一票の格差」問題にすら混乱を恐れて斬り込めない司法が、こんな些末なテーマを取り上げて違憲判決なんて出せるわけがない。


もちろん当事者にとっては大問題なんだろうが、裁判官ばかりか客観的な立場に立つことのできる一般の人々にとっても、そんな事は「どうでもいい」というのが実際のところだろう。判決文にもお婆さんたちの名誉に配慮して言葉を選びつつ、そういう内容のことが書いてある。

そう言えば合議に参加した三人の女裁判官は全員が合憲の判決に反対意見をつけたらしい。その結果をみて「裁判所まで頭の固い男社会だからこんなひどい判決が出るのよ」と苛立たしく思うか、「裁判官にまでなって女は結局そんな感情的な判断しかできないのか」と鼻で笑うかは人それぞれだろう。


姓を名乗るというしきたりが社会に定着してからの歴史はまだ浅い、というのは別姓推進派の主張するとおりだ。家父長制は現憲法の精神に照らし合わせれば否定されるべき過去の遺物だ、という彼らの主張も全く正しいし、夫婦別姓を導入することで家族の絆が弱まってしまうなんて根拠もない幼稚な意見は聞くに堪えない。

だが残念ながら現行の納税や福祉といった社会制度は世帯単位での運用を前提に設計されている。姓が世帯を表す記号として定着してしまっている以上、これをひっくり返したければ、個人の価値観以上に説得力のある理由づけを考えておくのが推進派の連中が用意しておくべき最低限の戦略だったろう。いったい原告陣営のブレーンたちは一審、二審の敗訴で何を学んだつもりだったんだ?


実際のところ、この問題は率直に言って私にとっても「どうでもいい」問題だ。推進派の連中は、彼らが主張しているのが「選択的」別姓制度であることを理由に、「どうでもいい」という意見が多数派なのであれば自分たちの希望が受け入れられるべきだ、と 主張するだろう。そして彼らが主張するように、この制度を導入しても本当に社会に何の混乱も起きなければ既存のシステムに何の不都合ももたらさないというのであれば、どうぞ制度の実現に向けて頑張ってください、と私は彼らに暖かい言葉をかけるだろう。

だが、仮にこの制度をいざ導入して何らかのデメリットが明らかになったとき、彼らにその責任を取る覚悟があるのだろうか?彼らの過去の言動を注意深く振り返る限り、おそらく「ノー」だ。彼らの一見無害に見える主張は、その仕組みをわざわざ少なからぬ手間をかけて変えるにあたって実質的に何の保険にもならない。

そうであるなら、既存の仕組みで何の不都合も感じていない私を含む多くの人々が、その仕組みを「無理に変える必要なんてないだろう?」と彼らを突き放す立場に立つことは全く合理的な態度だ。客観的に見て、彼らは自分の希望をただ実現したいだけの自己利益追求集団でしかないからだ。


こうなると、お婆さんが存命中に夫婦別姓とやらが実現できる可能性はかぎりなくゼロに近い。願わくばお婆さんには、戦いには負けたけれどもたくさんの仲間たちが勝ち目のない戦いを支援するために集まってくれた事実に喜びを感じながら穏やかに余生を暮してもらいたい。

もしそうでないなら?この一件は、社会の仕組みと自分の器や力を照らし合わせて現実的な落とし処で折り合いをつけるセンスのない人間は、結局、不平や不満だらけの暗い人生を寂しく終えるしかないという事実を示す分かりやすい一例だってことだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




December 2, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

どこかの田舎議員が、同性愛者は異常動物だ、とインターネット上で発言した結果、世論のバッシングにあった挙句に議会に辞職勧告まで突き付けられたらしい。

その発言は同性婚を取り上げた新聞記事に対して出されたコメントだ。「無人島に佐藤かよとおかずクラブしかいなかったら、どっちと付き合いますか?」と聞かれて「佐藤かよ」と答えてしまうようなネガティヴな嗜好者ではなくて、結婚相手にも同性を選びたい筋金入りの同性愛者に対する発言と理解するのが自然だろう。だとすれば、あながち間違ったことを言ってるわけでもないじゃないか。


「異常」という言葉を辞書で調べれば、普通でないこと、といった意味のことが書いてある。そして「普通」という言葉を辞書で調べると、一般的なこと、とある。お世辞にも、同性婚まで希望する人々は一般的とは言えない。そして以下の点が非常に重要なポイントなのだが、「異常」であることは、ただそれだけなら−本人たちがどう思っているのかはともかく−悪いことでもなければ恥ずかしいことでも何でもない。

つまりそうした人々の人格を否定する意図などさらさらないままに、ただ単に言葉の意味を正しく駆使して素直に現実のありのままを表現するならば、そうした人々はやはり「異常な」存在なのだ。


この手の発言を批判する人々が論拠として持ち出すのは、結局のところ、そいつを聞いた誰かが不快だとか、傷つくとかいった感情論でしかない。真理から目を背けて、いち田舎議員の言論を封殺することで正義の味方気取りをやっているようだが、結局やつらはただ単に同調圧力をかける側に回って楽しんでいる知恵の浅い人々にしか見えないのは私だけだろうか。


私は問題の議員がどれほど功績のある(ない)人物なのかも知らないし、私の居住地にまるで関わりのない自治体のいち議員がどのような末路を辿ることになろうと関心はないが、感情論で他人の思想、信条の自由−というよりもただ単に「事実を指摘する」自由−を侵害しようとする連中が許されるべきだとは思わない。


たしかに議員という立場を考えれば「異常」なんて刺激的な言葉をストレートに用いずに、「とんでもなく個性的な」「まるで一般的でない」といった、もう少し耳触りのいい(と言っても結局おなじ意味だが)言葉を使うのがスマートなやり方だったかもしれない。

そういう意味では、この男が議員にふさわしい資質を持ち合わせた人物に見えるかと聞かれたら、明らかに「ノー」だ。だがそのことと、それを暴露されると都合の悪い人々の言い分に迎合して真実に蓋をするのが社会的に正しい態度なのかどうか、いち議員が事実を指摘したに過ぎない発言ひとつを取り上げられて議会に辞職勧告まで突き付けられる事態が「正常な」事態なのかどうか、はまったく別問題だ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




November 20, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

横綱・白鵬の「猫だまし」に賛否両論が起こっていて、ルールで禁止されてないからよし、とする一派と、百歩譲って「横綱の品格」はまだ分かるとして、「武士道の精神」などとわけの分からない(いったいいつから白鵬は二本差しになったんだ?)ことを口にしながら批判する一派がインターネットで論戦を繰り広げている。

結局のところ対立する彼らの主張の違いは、相撲を鑑賞するにあたって、そこに「競技性」を求めるのか「伝統」や「様式美」を求めるのか、という立脚点の違いから起こるものであって、どちらが唯一の正解というものでもないだろう。楽しみ方は人それぞれってことだ。


同様に、横綱として「猫だまし」をやってもよいのか、やめておくべきかは、それをやる(やらない)本人が好きに決めればよいことだ。この一件で白鵬を批判する多くの連中を見ていて思うのは、それまでの人生において、白鵬自身が横綱になるために積み重ねて来た努力の、どうせ一パーセントも努力をして来なかった外野の素人の分際で、白鵬に対してあれこれケチをつける資格が本当にそいつらにあるのか?ってことだ。

横綱の品格とやらに譲れない一線がある、と主張するなら、今からでもどこぞの相撲部屋に入門して白鵬を超える横綱になってから自分でそいつを実現すればよいのだ。野球の世界大会にしてもそうだが、私には、自分では何の努力もしないくせに、はるかに多くの努力をして来たスポーツ選手が自分の思い通りにならないという理由でいっちょ前に文句ばかりたれてるような連中は、人として根本的に大きな勘違いをしているように思えてならない。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 4, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

つい先日、オリジナル案に「似たような作品」が既に商標登録されていたために「修正」されたインチキデザイナーの盗作(の疑いのある作品)を「(オリジナル案より)進歩した」などと絶賛していた審査委員長が、舌の根も乾かないうちに、実は盗作(の疑いのある作品)を「しょうがなく」了承した、などと言い出した。

何のために前言を翻してわざわざ自分の首を絞めるような事を言い出したのかと思ったら、どうやら最終的に盗作(の疑いのある作品)を選考したことについて、自分には責任がない、ということを言いたいらしい。


息子のマブダチの作品が盗作ではない事を世間に印象付けたくて余計なことを口にしたのはいいが、次から次に盗作疑惑が発覚するのでもう庇えないと踏んだんだろう、一人だけこそこそ泥舟から逃げ出そうとしているざまを見ていると、過去にはそれなりの業績を残したと言われている老デザイナーが、何ともその晩節は見苦しい。


インチキデザイナーの「当初案」とやらに似ているとされる「既に商標登録されていた」誰かのデザインがきちんと提示されていない以上、そもそもインチキデザイナーの当初案に「修正が入った」というシナリオ自体が作り話で、はなからインチキデザイナーが提出した案は、ベルギーの高貴な演劇場のシンボルマークの盗作だったんだろう、という、各所で囁かれる「憶測」はなかなか辻褄が合っている。

そもそも委員長を含めた審査員の連中とインチキデザイナーが「グル」であることを裏付けるような事実が次々と暴露されるなか、嘘の上塗りでずるずる墓穴を掘っていく愚か者たちの宴を見ているようで、何とも笑える話じゃないか。


それにしても、この期に及んで、この一件でオリンピック開催に「ケチがついた」なんて言ってる連中はまだ目が覚めてない。もともとオリンピックなんてものは一部の既得権益層の金儲けのために開催されるものなのだ。利害関係者の間を一通り金が飛び交ったあとで、いよいよ大衆の前で華やかに取り行われる各種目の試合は「おまけ」のようなものに過ぎない、と考えるくらいでちょうどいい。

そういう考え方は国を代表して戦う選手たちに失礼だろうか?いやいや、そんなことはないだろう。所詮彼らも好きでやってるに過ぎないんだから。

アスリートとしては尊敬するが、では彼らが活躍するための試合会場に無駄な税金がじゃぶじゃぶ浪費されていいのかってことになれば、そいつは全く別の問題だし、もし彼らがそれを当然視してるんだとしたら思い上がりもはなはだしい。


一番いいいのは、わざわざオリンピックを自分の住んでるエリアで開催して欲しいなんて考える酔狂な人たち「だけ」が金を出し合って開催資金にすることだ。どうせ一部の既得権層だけが儲かる仕組みに過ぎない「オリンピック」の開催を、そうと分かっていても「感動」とやらを買うために身銭を切ってまで支持する覚悟のある人々が実際どれだけいるって言うんだ?

偉大なる古代ギリシャの哲学者・ソクラテスの残した「無知は罪なり」の一節は、本当に人間社会の本質をよくあらわしていると思う。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 2, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

東京五輪の疑惑のエンブレムが取り下げられたようだ。


私はあのキツネ目のインチキデザイナーがフランスパンの一件を白状した時点で、組織委員会の連中がなぜそうしないのか、ずっと不思議に思っていたが、まぁそもそもあのインチキ氏が組織委員会の役人とグルなのか、あるいは組織委員会の連中が無能で底抜けのバカなのか、のどっちかだったってことだ(たぶん両方だろう)。


インチキ氏の家族に対する嫌がらせもエスカレートしているらしい。家族と言うのは例のいかにも大人気ない対応で一部の人々の怒りの炎に油を注いだあのインチキ氏の事務所の「広報担当」とか言うインチキ氏の妻のことだろうか。

私は違法行為に走る心ない市民のスタンスをことさら支持するつもりはないが、その一方で「身から出た錆」という言葉に込められた先人の深い思いを改めて考え直さずにはいられない。


これだけ不名誉なかたちで世間に名前が知られてしまった以上、どれだけインチキ氏が「盗作疑惑」を否定し続けたとしても、順風満帆だったはずのインチキ氏のキャリアが失速していくことは避けられないだろう。

世間にはインチキ氏の過去の作品はどうせ全て盗作だろう、と徹底的にインチキ氏の業績を否定したい人々もいるだろうが、実際のところインチキ氏が本当に盗作の常習犯であるのか、それともインチキ氏が主張するように実は彼は潔白なのかは大した問題ではない。


仮にフランスパン以外は本当にインチキ氏のオリジナル作品で、それがたまたま既にほかの誰かが発表していたデザインに「酷似していた」だけなのだとしても、結局インチキ氏は既に誰かが発表してしまったような使い古しのデザインしか創出できない、オリジナリティの欠片もない三流デザイナーだということなのであって、その程度のデザイナーが今までの地位にいたこと自体がそもそもインチキなのだ。ちがうかい?


「デザイン」という実務は下っ端がやっていて、本人は単なるチェック係に過ぎないならなおさらのことだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 28, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

やはりこの男、ただ者ではない。今度は証券会社が特別に設けている「とされる」未公開株引受の「国会議員枠」なる特別枠の存在を世間に暴露してくれた。

おまけに議員宿舎に二万円で買った「少年」を連れ込んでは夜な夜な「奴隷プレイ」を楽しんでいたらしい。国益とやらのためには基本的人権をすら否定するカリカリの保守政治論者がゲイ?何て面白いやつなんだ!


この若手議員(と言っても、もう三〇過ぎの中年予備軍だが)が実際に「国会議員枠」とやらを割り当てられていたのか、それともただ単に金を集めるための口からでまかせだったのか、はこの際たいした問題じゃない。

そもそもこの男に金をだまし取られた奴らはただのバカだ。ありえないような投資話に退職金やら年金やらを全部注ぎ込んで、地道に細々と生きている人々を出し抜いて大儲けしてやろうと企んだ挙句に騙されたと気付いて「老後の生活資金がなくなってしまった」などと被害者ヅラして泣きを入れる「欲ボケ老人」と同じで、生きる価値があるとも思えない「愚かな」連中だ。


それよりも賢い有権者なら当然目を向けるべきなのは、リクルート問題に匹敵する一大スキャンダルの香りが漂うこの事態を前にして、与野党問わず誰もこの男を証人喚問と称して国会の場に引きずり出そうとしないのはなぜなのか?ってことだ。ついでになぜメディアの追求がそれほど厳しくないのか、ってことも。

この男一人をいじめて葬り去ることに大した意味はない。この男が提示してくれた大きな「ヒント」は本来どのように活かされるべきなのか、こそが考えられるべきなのだ。


ところでホモだからと言って人を差別するのはよくない。性癖も個人間の合意のもとで成り立っているのであれば当人たちの自由だろう。そのへんのあれやこれやは「プライバシー」の領域であって、それだけなら他人がとやかく言うことじゃない。

問題は、それらの行為がこの男が吹聴している政治理念と照らし合わせてどうなのか、ってことだ。自分を偽って善良な市民の票を集めるのは最もよくないことだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 21, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

法的には一部の例外を除いて労働者に無条件でその行使が認められている「有給休暇」の取得を巡って、いくつかの「休暇取得の理由」を例にあげ、それぞれがマナーに違反するものではないか、などと独自の解釈を加えてみせた自称コンサルタントの女にインターネット上で猛反発の声があがっている。

女の風変わりな「マナー論」もずいぶんと隅々まで心配りが行き届いていてかなり笑えるものだが、それに反発する人々の感情的な反応も、 彼らがそもそも物事への対処がヘタクソなのか何なのか、現実世界ではおそらく日頃から周囲に対してやる方ない不満や鬱憤を溜め込んでいることを覗わせて興味深い。


まず法律論とマナー論とはまるで別ものだ。もちろん法律上、労働者は好きなときに「有給休暇」を取得する権利を行使できる。そのうえで周囲に悪い印象を与えずに上手に「権利行使」するための手段のひとつが、この女のいうところの「マナー」ということだろう。

そういった意味では、もともと人目など気にしないし、仮に休暇を理由にトラブルに発展しても法的な正当性を担保してあって周囲といつでも争う用意ができているような労働者にはまるで必要のないものだ。そこまでの覚悟もなく、周りの人々からの評価が常に気になるような小心者の労働者にとっては、全く参考にならないものでもないだろう。


「可能であれば」菓子折りのひとつも持参するべきだ、と説くこの女のマナー論を、単純に「なぜ当然の権利を行使するのに、そこまでやらなければならないのか」と反発して切り捨てるのは簡単なことだが、それでも菓子をもらう側は悪い気はしないだろう。

金品で人を釣って歓心を買うようなやり方は実に安易で姑息な方法ではあるけれども、長期的な視野に立てば最も安上がりで楽な方法でもある。


そもそも普段から周囲よりもワンランク質の高い労働を供給して誰からも頼りにされている人物が二、三日休暇を取ったところで、周囲が「困る」ことはあっても「不快に思う」ことはないだろう。

そうした意味では、休暇を取得するための「最高のマナー」とは結局のところ、常日頃から自分を甘やかすことなく安易に楽な方に逃げずに周囲に一目置かれるような成果を生み出すために自らの仕事にこつこつ取り組み続けることであり、「やっぱりあんたがいてくれないと困るよ」と言われる立場の人々にとっては、たまの休暇取得は、むしろ自分の存在価値を周囲の人々に再確認させるいい機会でもあるだろう。


ちなみに、法的に労働者は休暇を取得するのにいちいち理由を告げる必要はない。この自称コンサルタントの女がそもそもその事実を理解しているのかいないのかは定かではないが、いずれにせよ、多少なりとも責任感を持ち合わせた労働者なら、この女が「マナー違反」の例にあげた「気分が乗らないから」「車がパンクしたから」なんて理由で当日いきなり休むようなまねはしないはずだし、賢い労働者はそんなバカな理由をわざわざ正直に申告するくらいなら別の理由を「考えて」申告するか、そもそも理由など告げずに「権利」を行使するだろう。

そして次の日にそいつが手ぶらで出勤してきたときに周囲がどう思うのかは、結局そいつの普段の仕事ぶりによって決まる、というだけのことなのだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 6, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

滋賀県選出の三〇代の国会議員が学生集団のデモを取り上げて「極端に利己的な個人主義」と批判したことで、各界から糾弾の声があがっている。


報道の内容からは個人として「戦争に行きたくない」と考えることが「利己的だ」と言っているかのように受け取れるので、それに釣られて批判者のトーンはヒートアップしているようだが、その議員のブログを読めば、彼の真意は(その真意が国民の共感を得られるかどうかはともかく)報道から受ける印象とは違うところにあることが分かる。却って過剰反応しているあのオカマの教育評論家の方が目障りだ。

もちろん与党の重鎮の誰かが指摘していたように、この議員は「舌足らず」で国民に誤解を与えたことは事実で、その言動の軽さを見るかぎり、そもそも国会議員としてふさわしい資質を備えた人物ではないようだ。


しかし彼のブログに目を通してみると、彼なりのぶれない政治信条を持っていて、適度に勉強熱心で、少なくとも、恐らくは現政権を支持する層に少なからず含まれているであろう、学校ではろくに勉強をしなかったうえに本や新聞をきちんと読む習慣もなかったので包括的な世界の歴史に関する知識、教養がないままに、右翼かぶれの俄か知識で安保、外交を語るのが大好きな、しかし現実の社会では思い描く自分の理想とは程遠い暮らしを強いられ低層で悶々としているのであろう「衆愚」の人々のそれよりはいくらか主張に筋が通っている(支持するに値する「主張」であるかどうかは別問題だ)。


集団的自衛権は、国民がそれを許容するなら当然あってもいい。問題視するべきなのは、法的安定性などどうでもいいと言い放って先人たちが積み重ねて来た法解釈を勝手に都合よく改変する前例を作り、メディアに圧力をかけて自分たちに都合の悪い情報の「隠ぺい」を試み、、そして「公共心」の名のもとに自分たちに従わない国民を「悪」とみなすような教育を浸透させようという政治勢力(つまり現政権)のその政治姿勢なのであって、では反対勢力の唱える平和の実現に武力は必要ない、という主張が正しいかと言えば、それはそれで空虚な理想論に過ぎず、まるで説得力はない。


結局、昨今の政治情勢における、各勢力同士の思想や方向性の対立を見ていると「どっちもどっち」としか思えない。ひとつだけ分かることは、どちら側の陣営であれ、ひとたび政治家ひとりひとりの資質に注意深く目を向ければ、ひと昔前のそれよりも明らかに「劣化」が進んでいるようにしか見えない、ということだ。

特に一番エラいやつの質の凋落ぶりは目に余る。自分の頭や見識がその程度だからと言って、「その程度」用の説明で国民も納得するだろう、という幼稚な思い込みぶりが見ていてまことに痛々しい。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




June 26, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

北海道の視覚障害者が通う学校が飛ばす「盲動鈴」なる名前の機械音に悩まされる付近の住民から苦情が寄せられたために、学校側が機械音を鳥の鳴き声に変更したりボリュームを下げるといった対応を迫られた、というニュースがインターネットで取り上げられている。何でも「盲動鈴」というのは視覚障害者たちが自分と目的地の位置関係を把握するために有用なツールであるらしく、いまのところ大きな影響はないものの、その対応によって結果的に視覚障害者たちにとっては「音が聞き取り辛くなる」というデメリットが考えられるらしい。

例によって、そのニュースが掲載されたページに設置された投稿欄は、苦情を入れた住民たちに対する誹謗中傷であふれ返っている。ただのクレーマーだ、心が狭い、自分がその立場になったらどうだ、なかには文句があるならば引越せばいい、という過激な考えの持ち主もいる。


しかしながら、発電用の風車が設置された地区の住民たちもそうだろうが、特定の周波数の音や振動が、その発生源の周囲で暮らす人々の一部に深刻な健康被害をもたらすことは紛れもない事実だ。

風車の件について、国や電力会社は「証拠がない」と言って逃げ回っているようだが、歴史上、公害による住民被害に対して国や企業が当初どのような態度で臨んで来たかを振り返れば、実際のところどうであるのかは推して知るべしだ。つまり、非常に多くの投稿者たちは自分たちが正義の象徴か何かのつもりでいるんだろうが、実は視野の狭い単なるバカ者だ、ということになる。それこそ自分が不眠や耳鳴りに悩まされる側の立場になってみればよく分かるだろう。


もちろん「盲動鈴」なるものの設置の背景も無視することはできないから、このケースでは苦情を入れる側にも受ける側にも一定の理がある。どちらが正しいとか間違ってるとか、そんな単純な問題じゃない。あえて言えるとすれば、そういった社会の多様性が理解できない大部分の投稿者たちは「バカだ」ということだけだ。


別に私は盲人に対して個人的な恨みもないし、レストランで盲導犬を見かけても不愉快には思わない(ただし、その犬が本当は違った生き方を希望してるのなら立派な動物虐待だ、とは思う)。ただ盲人の少女がぶつかった知的弱者に蹴りを入れられた件にしてもそうだが、結局のところ視覚障害者の人々や彼らの支援者の希望するあれやこれやは、しばしば周囲の人々の平穏と両立しないことだけはよく分かる。 彼らが自分たちの権利ばかりを主張しながら自分たちに対する「理解」とやらを求めれば求めるほど、客観的で聡明な人々はそういった負の事実に対する「理解」を深めていくことになるだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




February 25, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

サンダルにカメラを仕込んで女のパンツを盗撮したのがバレて警察に捕まった哀れな京都の元バス運転手が、自分の名前を検索するとそんな恥ずかしい過去の悪行が検索結果としてインターネット上で一覧表示されてしまうのは名誉棄損だ、とヤフーに難癖をつけた裁判の判決が出た。裁判官たちも心の中では「ふざけた事をぬかすな」とでも思ったにちがいない。


全くもって傑作なことに、その一件を大手メディアが取り上げ、一部の良識あるとても愉快なインターネットユーザーたちの知るところとなり、そいつの名前をどこかで見つけて来て惜しげもなくいろんなウェブサイトに投稿しまくったので、そのサンダルマンがまだそんなくだらない裁判を続けようと思っても、次はもう多分ヤフーを訴えるだけでは足りなくなってしまった。まさしく自分で自分の首を絞めるってのはこの事だ。


いわゆる法定刑を終えた犯罪者は許されたことになるのかどうか、という議論はあってもいい。「何があっても一生許さない」という被害者がいるならその意思は尊重されるべきだが、なかには心の広い被害者だっているだろう。だがそのことと、「おつとめ」を終えたからと言って、そいつがまるでそれまでの人生でただの一度だって犯罪を犯したことなんてないふりをして社会の中でのうのうと暮らしていいのかどうかは全く別問題だ。

やつらにだって堂々と「私は過去に犯した罪ををもう償いました」と主張する権利は与えられてもいい(もちろんそいつを受け入れるのかどうかは受け入れる側が決めることだ)。だが過去に犯した罪を「隠して」生きてるやつらは、つまりは周囲の人々を「騙して」生きてる連中だ。心底、自分の犯した罪を悔い、社会に対して申し訳ない気持ちを抱き続けている人間にそんなまねが出来るわけがない。そんなやつらが社会にあばき出されて最終的に冷淡な仕打ちを受ける羽目になったとしても、そいつはいったい誰の責任だろうか。


ところで問題の元バス運転手だが、まだ執行猶予中の身なので厳密には何ら罪を償ってすらいない。いったいどんな面を下げて訴状を裁判所に持ち込みやがったってんだ?おまけにそいつは過去にも同じような犯罪で二回捕まっている常習犯でもある。裁判では「軽微な犯罪だ」と主張したとも言われている。本当にそうなら他人に知られてもかまわんだろうが。まったくこの世の中には幸福に生きる権利になどおよそ値しない汚物のような人間が跡を絶たない。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




October 19, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

結局、盲導犬オスカーはフォークになんか刺されてなくて、ただの皮膚病だったという報道がある。経緯をたどっていくと、獣医は端から皮膚病を疑っていたが、目は見えなくてもオスカーのことなら何でも分かると豪語する全盲のじいさんが、オスカーの皮膚には直前まで異常などなかった、と強硬に言い張ったことで、「それならフォークか何かで刺されたのかもしれない」と獣医が言ったのをマスコミが断定的に報道してしまったらしい。

無抵抗の犬をフォークで刺すなんて本当にひどいことをするやつがいるもんだ、と私は胸が張り裂けるような悲しみをおぼえたが、皮膚病ならオスカーも納得してることだろう。そして何より実際にオスカーの傷がただの皮膚病だったんだとしたら、私たちがこの事件から得る教訓とはほかでもない。

結局、目の見えない人間のいうことなんて信用できないじゃないか、ってことだ。そうだろ?


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




October 3, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ラーメン屋で自分の荷物を置くために空いた席を引き寄せて、その椅子に足をかけていたさらに隣の客に怒鳴りつけられ、「いいじゃねえか」と応戦したばかりに踏み殺されたバカな中年男がいるらしい。

踏み殺した方の男は、その中年男が血だまりを作って床に倒れている店内でラーメンを追加注文し、警官がかけつけた時にもそいつを美味そうに啜っていたということで、報道やインターネット上に垂れ流される意見によれば、とんでもない人でなしの凶悪犯のような扱いを受けている。そいつがラグビー経験者で260ポンドの巨漢であったことも、そんなイメージに拍車をかけているかもしれない。


しかし報道されている一連の経緯を見る限り、この死んだ中年男というのも「自分さえよければいい」という考え方が頭を占めている典型的なろくでなしだろう。飲食店での空いた席の使い方にまつわるマナーに関しては各論あるだろうが、後からやって来て横取りするようなマヌケに砂一粒分の正当性すらない。どこかのラーメン屋で私と鉢合わせる前に死んでくれたのは、私にとってまったくもって幸運な出来事だったというほかない。


もちろん元ラガーメンの男ではなく相手が私だったとしたら、この中年男は命まで落とすことはなかっただろう。たぶん元ラガーメンよりも私の方が理性的で自分自身を制御できる人間だからだが、それはろくでなしの命や人生に価値があるからではなく、いかにそいつが救いようのないろくでなしでも、血まみれにして床に転がしてしまったりしたら、この私の充実したかけがえのない人生に対して負の影響をもたらすことになるからでしかない。

どれほど自分勝手で迷惑きわまりない人間でも、いっちょうまえにご立派な「人権」とやらが付与されているのが私たちの暮らしている社会なのだということを、周りより少しだけ私という人間が理解しているというだけのことだ。


別に元ラガーメンにことさら肩入れするつもりはないが、結果論として、勤務先や近所での評判は決して悪くなかったというその元ラガーメンの男は、自分の尊い人生を犠牲にしてまで犬の糞のような人間を社会からひとりだけ減らしてくれた、その他の善良な市民にとって態のよい人柱のようなものだろう。場末のラーメン屋で犬の糞に喧嘩を売られたりさえしなければ、それまで通りの人生を送れてたってのに、まったく気の毒な男だ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 15, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

全盲の少女が混雑する駅の構内で転倒させた(と本人が主張しているらしい)相手に足を蹴られて「心に傷を負った」事件の加害者とされる男は四四歳の知的障害者だった、という結末に私は大いに満足している。それはユートピアニズムに犯された多くの人々が直視しようとしない社会の摂理を端的に説明するもっとも分かりやすいシナリオだった。

他人を転倒させておきながら謝罪もしないのか、と一部の人々を憤激させておきながら、多くの人々には未だ一方的な被害者として扱われている全盲の少女の殊更肩を持つ連中の不見識なセオリーは、そっくりそのまま彼らにブーメランのごとく返って行った。盲人が他人を転倒させるのは仕方がないという理屈が通用するなら、知的障害者が哀れな少女に暴力を振るう事もまた須らく「仕方がない」。

少女に批判的なスタンスを取る意見に対して(おそらくは全盲少女の立場に立って考える、というような意味で)「想像力が足りない」などと一丁前な口を叩く連中の想像力など、所詮は「弱者はただいたわりましょう」などという一見善良なる価値観を思考もなく無批判に受け入れる事の延長線上にある、独善的で片手落ちな、お坊ちゃんお嬢ちゃんレベルの無邪気な「想像力」でしかない。


なるほど、たしかに目が見えない人間が道をのこのこ歩いていて他人にぶつかる確率は、目が見える人間のそれよりもいくらか高いだろう。そしてそのような事実を元に想像力を膨らませる事は決して悪いことではない。その事と、目が見えない事を理由に、自由に他人にぶつかる権利を盲人たちに与えるのが正しい事なのかどうかは全く別の問題だ。

いかにも想像力の豊かなふりをしている偽善者か、そうでなければただ単に頭の悪い連中は、是非その豊かな想像力でさらに想像してみるべきだ。その盲人がぶつかった相手が、とても優しくて周囲の誰からも慕われているが足腰はすっかり弱ってしまったお婆さんだったら?手を滑らせてあの白い杖を突き刺した相手がたまたまそこを通りがかった子供だったら?社会に参加する以上、たとえ盲人と言えども、他人の安全を脅かさないように配慮しながら日々の生活を送ることは最低限の義務だ。


例の事件の被害者とされる少女が、他人を転倒させた事に対して申し訳ない気持ちを持っているのかどうかは、この際たいした問題ではない。この事例を教訓として私たちが考えるべきなのは、視覚障害者であれ、知的障害者であれ、ハンディキャップを背負った人々が「社会参加」という果実を得る代償として、運の悪い一部の善良な市民が彼らによってその安全を脅かされ、場合によっては幸福な生活を破壊される事すら「仕方がない」などと言って受け入れる事が、私たちの社会にとって本当に正しい思考のベクトルなのか、という事だ。残念ながら私には、程度の低い感情論をベースに主張する事しか出来ない連中が軽々しく首を突っ込むべき問題とは思えない。


もちろん私は、私とは違った意見を持つ人々がそうする自由や権利を尊重する。だからそういう人々はどうぞ街に出かけて行って好きなだけ盲人にぶつかられたり杖で突かれたりしてればいい。願わくば、彼らはだからと言って私や私と同じような考えを持つすべての人々に対して、自分たちの価値観を押し付けられるほど大してエラくもなければ賢くもない事をよくよく自覚しておいてくれたらさらにいい。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 29, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

盲導犬がフォークで刺されたとか言って騒ぎになっている。報道しかり、インターネットに於ける人々の反応しかり、概ね「無抵抗の動物を虐待するひどい行為」として犯人を非難する論調一色と言ってもいい。

私もその論調自体に異論はないが、ではなぜそのような痛ましい事件が起きたのか、についての考察が足りないように思えてならない。名犬「オスカー」を連れ回していた盲人にムカついた奴のしわざなのか、ただ単にそいつは犬が嫌いだったのか、それとも何か全く別の理由でもあるのか・・・。


私はオスカーの身に起こった事実に関する様々な情報を耳にして心を痛めると同時に、自分が被害者だ、とでも言わんばかりの盲人の言動を見ていると気持ちが冷める。「私の目を刺されたのも同じ」だって?お前は目どころか皮一枚プスリとも刺されてなんかないだろう?痛い思い、怖い思いをしたのはあくまでオスカーだ。意地の悪い言い方をすれば、盲人はそんなオスカーを今まで都合よく利用して来ただけの「ユーザー」に過ぎない。


なまじ優秀な知能と素質を持って生まれたばかりに人間の道具として一生を生きる事はその犬にとって幸せな事だろうか?もちろん、犬の幸せより人間の幸せを優先する事が求められるこの社会に於いて、そのような問いかけはたぶん多くの人々にとって無意味なものだろう。だがその多くの人々も、フォークで刺されたと聞けば表面的には「犬」に同情して見せるのがこの社会の持つ側面だ。

ひとつだけ言える事は、たぶん危害を加えられるような理由、責任はオスカー自身にはなかったという事だ。何かしらの理由で他人を不快にさせた盲人の身代わりにやられたんなら盲人に責任がある。単なる犬嫌いが犯人なんだとしたら?あるいは他に何か理由が?盲導犬であればこそオスカーは被害にあった。つまり普通の犬はフォークで刺されれば声をあげるどころか反撃すら厭わないだろうし、駅や電車のような人ごみの中に連れ込まれる事もない。そしてオスカーはなりたくて盲導犬−自分の意思を殺して人間に尽くす事を求められる、人間にとって都合のいいひとつの道具−になったわけではないはずだ。


私は全ての盲人が取るに足らない人間だとは思わないが、全ての盲人が善人だと無条件に評価する事もしない。混雑する駅のホームで、周りの人間が自分のために道を開けるのは当たり前だと言わんばかりに白杖で自分の前の地面を叩きまくる盲人を私は何人も見てきた。私はそのような目だけでなく心まで腐りきった愚かな人間よりも人間に忠実な一頭の犬の生命にこそ価値を見出すだろう。だから私はオスカーを襲った出来事に心を痛める代わりに、この件について盲人たちが何を言っても私の心には何も響かない。そいつの言動が妙に感情的で胡散臭ければ猶更のことだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




February 21, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。


例のスケーターは「大事なときに必ず転ぶ」と放言したおしゃべり男の政権の方がよっぽど派手に大コケしたのを私は昨日のことのように覚えている。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。





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