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March 21, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

開聞岳で出会った「ホワイトベアー」とは、あれからずっと連絡を取り合う仲だったが、お互いのスケジュールがなかなか合わないことと、彼の山岳家としてのレベルが私のはるか上を行っていて、彼の提案してくる山行プランが私にしてみればあまりに現実離れしている(例えば早月尾根を往復して剣岳に日帰りで出かけよう、とか)こともあって、彼と山行を共にする機会にはなかなか恵まれなかったのだが、ようやくお互いのスケジュールを合せてそいつを実行するときが訪れた。ターゲットは雪の八ヶ岳だ。


今回のプランは美濃戸から入って赤岳鉱泉で一泊、翌日は文三郎道か、場合によっては地蔵尾根経由で赤岳に登り、その日のうちに下山する、という、きわめてオーソドックスなものだ。そいつは「ホワイトベアー」のこれまでの輝かしい経歴を考えるときわめて平凡なプランだと言うほかないが、言うまでもなく彼の意見を私が押し切った成果にほかならない。

私の友人であり偉大なるハイカーでもある「ホワイトベアー」から発案された、まず阿弥陀岳、それから赤岳、横岳と経由して硫黄岳まで一日で周回しよう、なんて非常識なプランを私は一蹴した。


今回のプランには名実ともに私の山行パートナーとも言うべきトミーも参加する。〇六〇〇時に私の自宅にご自慢のアウディで乗り付けたトミーは私を拾うとすぐさまホワイトベアーの回収地点へと向かい、そこでホワイトベアーと初めての対面を果たした。彼らはフェイスブックを通じて事前にいろいろとやり取りをしていたので、まんざら知らない仲というわけでもなかった。

私たちはまるで三人とも一〇年来の友人であるかのようなムードで美濃戸までのドライブを楽しんだ。


美濃戸口の八ヶ岳山荘前には一〇時一五分に到着。





駐車場にはほかに四台の車しかとまってない。


ひと月前に厳冬期の八ヶ岳ハイキングを既にお楽しみ済みのホワイトベアーは、そこから歩いて一時間ほどかかる美濃戸山荘までトミーのアウディで移動できないか確認する、と言って誰か(たぶん美濃戸山荘のスタッフだろう)に電話をした。

そのとき小型のセダンで美濃戸口までやって来たホワイトベアーは、その先の凍結した「くそったれ林道」を車で進むことを断念せざるをえなかったが、たまたま大型の四輪駆動車で通りがかった見ず知らずの親切なハイカーによって美濃戸山荘まで運んでもらえるという幸運に恵まれたらしかった。

残念ながら今回、ホワイトベアーの電話の相手が導き出した慎重なる回答は「歩いて来い」だった。トミーはそそくさと山荘の売店に駐車料金を支払いに行った。


全員が身支度を整えて一〇時四〇分に八ヶ岳山荘前の駐車場を出発。ハイウェイを走ってる間じゅうどんよりしていた空模様はいつしか青空に変わっていた。いいねぇ、のどかな春の陽射しを浴びながらの雪山ハイキング。だが上々の滑り出しから一〇分と歩かないうちにストックを使わない私は早くも凍結した「くそったれ林道」につるつると足を滑らせて、それ以上進めなくなった。私は舌打ちをしながら前を行く二人に大声でアイゼンの装着を宣言した。


私たち全員がアイゼンを装着して再び歩き始めたころに小型のジープが「くそったれ林道」をのろのろとやって来たので、私たちは道を譲った。そのまま美濃戸山荘まで車で乗り付けるハイカーだろうか?

しばらく歩くと私たちを追い抜いて行ったそのジープが進行方向斜めを向いて停車していて、ジープの主とおぼしき初老の男がその脇で涼しげな顔で遠くの山を見上げていた。

その初老の男は地図の製作会社のロゴの入ったジャケットを羽織っていた。現場調査にやって来てジープが立ち往生しちまったので、それを良いことに仕事をさぼって自然の景色を楽しんでるってとこだろうか。

いずれにせよ、小型のジープでは歯が立たないくらい「くそったれ林道」の路面状況はサイテーだった。


一二時に赤岳山荘の前を通過し、美濃戸山荘に着いたのは一二時一〇分。駐車場からの標準コースタイムが六〇分であることを考えると、アイゼンの装着に浪費した時間はまったく余計だった。

ここで北沢コースと南沢コースを分ける。





私たちがそこで小休止していると、山の方からキャタピラ式の小型トラックがやって来て、私たちはもの珍しさに歓声をあげた。ホワイトベアーの情報によれば、今日我々が投宿する赤岳鉱泉に生活物資を運び上げるための特注トラックらしい。


一二時二五分に美濃戸山荘前を出発。もちろん赤岳鉱泉を目指す私たちが進むのは北沢コースだ。


展望も何もない「くそったれ林道」が延々と続く。私はただぶつぶつ文句を言いながら前を行く二人についていく。





私にのしかかる私にとって小屋での快適な暮らしに不可欠な着替えその他のさまざまな「生活必需品」の重量に加えて、四か月ぶりの山歩きということもあって、とにかく「くそったれ林道」歩きは苦痛だった。おまけに私は足腰の鍛錬のためにストックを使わない主義で、ホワイトベアーとトミーは素直にそれを使う。

苦痛に顔をゆがめながら、私はトミーに今すぐアウディを売り払ってさっきのキャタピラ付きトラックを手に入れ、私をそいつで小屋まで運ぶべきだ、と意見を言った。トミーは買い替えるならスバルの4WDだな、と呟いたあと、毎回のように登りの山道で文句を言う私に、いい加減に泊まりの荷物を減らしたらどうです?と言った。


堰堤広場には美濃戸山荘からの標準コースタイムを二〇分オーバーして一三時三五分に到着。途中で休憩を挟んでいることもあるが、主に私が二人の足を引っ張ってるようだ。


そこから先、沢を渡るいくつかの橋が現れる。





私が相変わらず展望もクソもないあまりにも退屈な「くそったれ林道」を罵りながら歩いていると、ホワイトベアーが、赤岳鉱泉で提供されるカレーは実に美味いんだ、という話を始めた。

その感じは私にも何となくわかる。要するにへとへとになってたどり着いた山小屋でようやくありついた食料は、下界で口にしたら思わず顔をしかめたくなるような粗悪なものであっても大そう美味に感じるものだ。私はそのことを指摘してみたのだが、ホワイトベアーは、そういうことではなくて、そもそも赤岳鉱泉には専属のシェフがいて、カレーだけでなく夕食も抜群に美味いのだ、と頑なに主張した。


荷物の重さとストックを使わず二本足だけで歩くハンディに苦しめられながらも、ホワイトベアーの言葉を信じて美味なるカレーにありつくことを励みに歩き続け、ようやく一四時五五分に赤岳鉱泉に到着。


まず目に飛び込んで来る「アイスキャンディー」。





赤いペンキが転落死したクライマーの血糊にしか見えない。


小屋に入ってアイゼンを外し、小屋の若者に乾燥部屋はどこだ、と聞くと、食堂のストーブの前で乾かしてくれ、と言う。二五〇人収容と言われる赤岳鉱泉にも今日は大して宿泊客がいないようだ。


予約担当のホワイトベアーによるチェックインの手続きが終了し、三人で大部屋へと向かう。戸を開けて中に入ってみると、一段あたり一〇人ほど詰め込めそうな二段ベッドが入口から見て左右両脇に設置され、その間は畳敷きの宴会場のような大広間になっていた。そこに布団を敷きつめれば−あくまで宿泊客の快適さを犠牲にしたうえでだが−一〇〇人は収容可能だろう。

部屋の広さは気に入ったが、広間のテーブルを陣取って昼間から宴会に興じている団体客はいただけなかった。いずれも四〇から六〇歳くらいの男女の酔っ払いが五、六人、トレイルランナーはハイカーにとって迷惑な存在か、というテーマについて、周囲で小さくなっているその他数人のハイカーのことなどお構いなしに大声で語り合っていた。

そのざまを観察している限りトレイルランナーより彼らの方がよっぽど迷惑で場違いな存在にみえたが、私は黙っていた。やつらをぶっ飛ばしに行くのは、やつらが消灯時間を過ぎても騒いでいた場合だけでいい。


ホワイトベアーはよりわかりやすいやり方で、彼らの存在が目障りであることを表明する手段にうって出た。彼は私たちに一言だけ断ってから、すぐに小屋のスタッフの元に駆け付け、個室が空いてるなら手配するよう要求した。

本来なら九〇〇〇円とされる個室料金は、小屋のスタッフの善意によって五〇〇〇円まで減額された。ご丁寧に専用のストーブまで設置されたゴージャスな個室があてがわれることを思えば、三人で割ればまったく安い個室料金だ。


食堂でホワイトベアーが絶賛する専属シェフご自慢のカレーライスを平凡だと思いつつ口に運びながら、私はそのことにはあえて触れずに翌日のルートについてホワイトベアーに意見を言った。

私が収集した情報によれば、文三郎道は傾斜が急だが難点はそれだけ。地蔵尾根ルートには一部にナイフリッジがあって滑落しないよう注意を要するという事だった。当然、三月の三〇〇〇米峰なんて初めて体験する私としては無難なルートを行かせてもらえるとありがたい。

だがその「ナイフリッジ」の存在は認めつつもホワイトベアーの意見は違った。つまり彼の意見はこうだ。「あのねぇ、地蔵尾根にビビってほかのルートから赤岳に登ったなんて聞いたら僕の山仲間がみんな鼻で笑いますよ」。


そしてホワイトベアーはおもむろにスマートフォンを取り出し、(私は気付いてすらなかったが)私もホワイトベアーも持っている雪山に特化したあるコースガイドブックの表紙を飾っているとか言うその地蔵尾根の「ナイフリッジ」の写真を私に見せた。たしかに幅が1.5フィート程度と思われる足場の両端が切れ落ちてはいるが、その足場は平らだ。何だ、そんなに大したことないな、と私が呟くと、ホワイトベアーは「現場に行けばわかる」と不穏な事を言ったので私はうんざりした。


専属シェフのありがたいカレーライスを完食した私は、コーヒーを追加注文したホワイトベアーとトミーの二人を置いて荷物を整理するために一度部屋に戻った。用事を済ませて食堂に戻ると、ホワイトベアーもトミーもいなかった。そこは夕食の準備のために宿泊客は出て行け、という雰囲気になっていたので、談話室の方に移動したようだった。

談話室にいる彼らに合流してみると、ホワイトベアーが一人の山ガールと親しげにおしゃべりをしていた。小柄で二〇代後半かもうひと超えといった感じのとてもキュートな(そうでなければホワイトベアーが話しかけるわけがない)山ガールだった。

聞くところによると、彼女は私たちがそこに到着する数時間前には登山口に到着し、そこから硫黄岳まで足を延ばしてからこの小屋まで戻ってチェックインを済ませたらしかった。何てタフな山ガールなんだろう。ただこの小屋にたどり着くだけの行程で、考えられる限りのありとあらゆる悪態をつき尽くしたと思われる私は自分を恥ずかしくすら思った。


私も会話に参加して根掘り葉掘り聞いているうちに、彼女は芸術大学を卒業していて絵画をたしなむ事が判明した。彼女は今日も硫黄岳の山頂でのんびり絵を描いてから下りて来たのだ、と言った。

それから彼女の住んでる街の話、私の趣味の話(その話題は私の登山姿がちょっと変だというホワイトベアーやトミーの指摘から始まった)、ホワイトベアーは私と出会ったときはまともな職についていたのに、いつの間にか登山用品店の店員に変貌していた話などをした。


基本的に、私は一人でしんみりとハイキングを楽しんでいるハイカーに対しては気を使ってその意思を最大限尊重するタイプだが、ホワイトベアーはまったくそうではなかった。翌日の彼女の行動予定を聞きだし、彼女が地蔵尾根経由で赤岳に登るつもりだと知ると、 まるでそれは当然のことだと言わんばかりの言いぐさで、翌日は私たちと同道するように主張した。その時点で私にとってより無難だと思われる「文三郎道を登る」という選択肢が消えた。

彼女がそのときホワイトベアーの申し出を快く思ったのか面倒に思ったのかは分からない。結果的に彼女は次の日、私たちと一緒に赤岳に登った。


一八〇〇時に夕食。専属シェフが本日の夕食の献立に選んだのは「カツトジ」。





病院の給食まがいのシケたメニューしかよこさない山小屋もあるなかで、なかなか良心的だ。


翌朝の朝食が〇六三〇時に提供される、というので、私たちは起床時刻を一時間前に設定し、消灯時刻前の二〇〇〇時には床についた。 隣の個室の連中が少々騒がしかったので、消灯時刻を過ぎてもそのざまだったら遠慮なく怒鳴り込むつもりだったが、「くそったれ林道」の戦いで疲れ切っていた私はその前に深い眠りに落ちた。

トミーはいつだってどんな環境でもすぐ眠ってしまう。ただ一人、実はたぶんわたしたちの中で最も繊細な気質をしているのだと思われるホワイトベアーだけは、その夜なかなか寝付けなかったらしかった。


翌朝、起床して手際よく出発の準備を済ませ、朝食をとりに食堂へと向かう。

明らかに前夜のそれからグレードダウンした朝食の献立。





何でも写真に撮りたがるトミーがそいつを撮影せずに食事を始めたので私がそのことを指摘すると、トミーは一言、「撮るほどのもんじゃない」と言った。


例の山ガールは朝食をオーダーしていなかった。〇七時少し前に自炊室で朝食を済ませて食堂にやって来た彼女は、自分は歩くのが遅いので先に出発して行者小屋で絵を描いている、と言った。私たちは食事を済ませ、部屋を片付けて一部の荷物を小屋に預け、主に私がアイゼンの装着にもたついたために彼女の出発から遅れること約一時間、〇七時四五分に赤岳鉱泉を出発した。


行者小屋を目指して雪に覆われた単調な山道を行く。十分に睡眠を取ったうえに一部の荷物を小屋に置いて来たためか、ストックなんてなくても私の足取りは前日とは比べ物にならないほど軽い。


三〇分ほどで行者小屋に到着。はたして例の山ガールは本当に小屋の前で絵を描いていた。彼女はそこから見える青空をバックに威風堂々と鎮座する阿弥陀岳の姿をちょうど描き終えたところで、私たちに出来上がったばかりの作品を見せてくれた。何と言うか、額縁に入れられてお洒落な喫茶店の壁にでも飾られてそうなタッチの作品だった。


絵描きとしての豊かな才能もさることながら、彼女の登山姿もまたかなりさまになっていた。赤のジャケットに毛糸帽、オレンジ色に光り輝く軽量ヘルメットに加えて、彼女がかけている小柄な体に似合わない漆黒の巨大なサングラスが私の目を引いた。それって男用じゃないのかい?と私が聞くと、よく分からないが男性からのもらいものだ、と彼女は言った。私は心の中でこっそり彼女に「オークリー」というあだ名をつけた。


全員が出発準備を整えた〇九〇〇時ちょうどに私たちは地蔵尾根へと向けて行軍を開始した。行者小屋の前には無数のテントが張られていて、大勢のハイカーたちがまさに続々と思い思いのルートに向けて出発していくところだったが、地蔵尾根に向かうハイカーは私たち以外には数えるほどしかいなかった。誰もが文三郎道という無難なルートをチョイスしたのだろう、と私は思ったが、ホワイトベアーは、クライミングの連中は地蔵尾根の方には来ないからなぁ、と言った。


空は晴れ渡って登り始めはぽかぽか陽気だったものの、三〇分も歩いた頃には樹林帯を抜けて風が吹き付けるようになった。私たちは慌てて防寒装備を身に着けた。


それにしても文三郎道は急傾斜だとは聞いていたが、地蔵尾根ルートもまた結構な傾斜の登り坂だった。「オークリー」は事前に私たちに宣言したとおり、ゆっくりとした足取りのハイカーで、私たちも彼女に合わせてのんびりとハイキングを楽しんでいたが、それでもその急な登り坂を私たちより「ゆっくりと」登っている集団は少なくなかった。私たちは何組ものよたよた歩くハイカー集団を抜き去った。


ある地点で四人で小休止していたとき、私は自分のカメラをジャケットの腕ポケットにしまおうとして手を滑らせるという失態を犯した。私の手をはなれたカメラは雪に覆われた急斜面を滑り落ちて行った。メンバー全員が悲鳴とも罵声ともつかない声をあげながらその様子を見守るほかなかった。

が、二〇フィートほど滑り落ちたところで露出していた岩屑に引っかかってカメラは止まった。今度はメンバー全員が安堵の声をあげた。私は映画「ローンサバイバー」で主人公のマーカス兵曹が崖から落ちるときに見失ったライフルが自分のすぐ近くに落ちているのを見つけたときに仲間の将校に言ったのと同じことを三人に言った。「みろよ、神様がついてるぜ!」

私は早速どうにかその急な斜面を直接下って私のカメラを取戻しに行こうとしたが、冷静なホワイトベアーが、いったん今来たルートを下ってからトラバースした方がいい、と言ったので、私はそのアドバイスに従った。彼がそこまで考えたのかどうかは分からなかったが、たしかに真上からそいつを取りに行ったばかりに石ころのひとつも転がしてそいつがカメラを直撃してしまったら、私といくつもの思い出を共有してきた大切なそのカメラは二度と私の手の届かないところまで斜面を滑り落ちて行ってしまうに違いなかった。

私はカメラに手の届くポジションにつくと、ちりひとつ立てないようにそっと手を伸ばしてカメラをしっかりと掴み、その場で丁重にジャケットの腕ポケットにしまった。


さらに続く急斜面。





噂の「ナイフリッジ」。





拍子抜けするほど全員があっさりと通過。もちろんいまさら「全然大したことないじゃないか!」とホワイトベアーに食ってかかるのが大人のやることとは思えない。


地蔵の頭を一〇時三〇分に通過し、さらに一〇分ほど歩いて到着した、まだ閉鎖中の赤岳展望荘で昼食にする。

おあつらえ向きに雪に埋まった倉庫の屋根だけが露出していて、ベンチ代わりにちょうどいいので私たちはそこを陣取った。昼食のメニューはホワイトベアーとトミーが小屋で手配した弁当、オークリーは持参したパン。私はもちろん、いつものように持参した調理セットで角煮と卵の入ったスペシャル鹿児島ラーメンの製作にとりかかる。

いつもは湯を沸かすときに、少しでも荷物を軽くするために満タンにした水筒の水を使いきるのだが、日々進化し続ける私は今回初めて粉末のミルクティーとマグカップも持参しているので、水を半分ほど残すことにする。ガス缶にバーナーをセットし、水を入れたコッヘルを乗せてガスを放出したらライターで火を点ける(強風下ではもっとも確実な点火方法だ)。


湯が沸いて来た頃に麺を投入し、コウモリよろしくジャケットを着たまま広げて強風から火を守る。そろそろ麺もほどよい感じに茹であがった頃、たぶん風のせいでジャケットの一部がコッヘルに触れてしまったんだろう、あろうことかコッヘルがゴトクから滑り落ちて沸騰している湯とほどよく茹で上がった麺が隣で食事をしていたトミーの「陣地」に盛大にぶちまけられてしまったので、一瞬にしてそこは大パニックになった。

反射神経のよいトミーは火傷ひとつ負うことなく、ただ単にそこに置いてあった荷物を手早く移動させるという手間をかけなければならなかったのと同時に、平坦な倉庫の屋根に座って眼前に広がる美しい景色を眺めながら快適に食事をする権利を私に踏みにじられただけだった。そして次の瞬間には、その場にいた全員の関心が、私の昼食はどうなるのか、という一点に注がれた。下界のラーメン屋とは違って、そこでは丼をひっくり返してしまったからもう一杯追加で注文を、というわけにはいかない。

まず私にとって、−多くの人にとってそれは耐え難いことかもしれないが−屋根の上にぶちまけてしまった麺を拾い集めて改めて口にすることは何でもないことだった。そしてそこでも慈悲深い神様はそっと私を見守って下さっていたに違いない。いつもならそんなことはないはずなのに、今日に限って水筒にまだ半分水が残ってるじゃないか!!

私は何事もなかったかのようにもう一度湯を沸かし、麺を茹で、今度こそはコッヘルがゴトクから滑り落ちないように細心の注意を払いながら角煮と卵を投入して、いつも通りの−実際には二度も火にかけたのでいつもより麺を茹で過ぎてしまったが−スペシャル鹿児島ラーメンを完成させた!





こう言っちゃ何だが、どう控えめに評価したって私の昼食が四人のなかで一番豪華じゃないか!神は今日も最も手間ひまをかけた者に公平に報いて下さった。いろいろあったが私はようやくお待ちかねの昼食にありつき、眼下に広がる自然美豊かな風景を目に焼き付けながら塩分と脂にまみれたラーメンを啜った。


全員が食事を終えてうららかな陽射しの下でくつろぎのひとときを過ごすなか、オークリーがそこで赤岳の絵を描きたいというので、私たちもしばらくそこに滞在してのんびりすることにした。それぞれが思い思いの時間を過ごしているうちにどんよりとした雲が空を覆い始めたので、私たちはオークリーがたぶん本日二枚目の傑作を描きあげるや否や出発の準備にとりかかり、一一時三五分、もう目の前に迫った赤岳の山頂を目指してその場を後にした。


一二時二〇分、赤岳北峰通過。





そこから赤岳山頂(南峰)は目と鼻の先だ。到着するなり三脚をセットして記念撮影。





その頃には既に空は雲で覆われていて大した展望もなかったが、私たちは名残惜しさにそこでだらだらと時間を過ごした。そうしている間にも、ひっきりなしに地蔵尾根側からも文三郎道側からもハイカーが登って来た。そのうちホワイトベアーがその豊富な経験をもとに「天気が崩れる」と予言をし(結果的にはずれた)、私たちに迅速に次の行動に移るよう促したので、私たちはてきぱきと荷物をまとめて彼の指示に従った。


一三時一五分、下山開始。


文三郎道は下りが急なので注意を要する、とはホワイトベアーの言だったが、実際のところ少々注意を要するのは山頂から文三郎分岐にいたるまでの限られた区間だけだったろう。しかもそこには必要に応じて鎖が設置されていて、厳冬期にどうだったかは知らないが、少なくとも私たちがそこを通るときにはもうその大部分が雪の上に露出していた。つまり好きなだけ「使用可」だった。

後になって思うのは、私たちは一日を通じてよく締まった雪にかなり助けられたのだろう、ということだった。アイゼンさえしっかり利くのであれば、多少急な斜面であってもそれほど身構える必要はなくて、むしろあの角度だと雪が腐ってる方がヤバい。私は雪山へのハイキングの計画時に気象予報を参照するときは、行動する時間帯に見込まれる気温はより高い方が安全だ、と思っていたので、当日の赤岳山頂部の予想気温が昼間でも摂氏零度をやや下回っていることを少々忌々しく思っていたが、実はそいつは大変な間違いだったかもしれないことを身をもって学んだ。


下山途中で、行者小屋にもう一泊する予定なので慌てて下山する必要がないオークリーと再会を期して別れた私たちは、一四時四五分に行者小屋に到着して一五分ほどの休憩を挟んだ後、一五時三〇分にはに赤岳鉱泉に着いて、それぞれ預けた荷物を回収した。

土曜日だということは分かってはいたものの、小屋は私たちが想定していた以上の混雑ぶりで、外から窓を覗きこんだだけでも談話室の座席という座席がすべてハイカーたちによって埋め尽くされているさまが見て取れた。コーヒーの一杯もゆっくり飲んでから下山しようか、などと考えていた私たちは全くあてが外れてしまった。


一六〇〇時に赤岳鉱泉を出発し、一七〇〇時に美濃戸山荘前に到着。何としても日没までに駐車場に辿り着きたい私たちは五分ほど休憩して先を急ぐ。


さぁ、最後のお楽しみは、昨日とは打って変わって雪が溶けてぐずぐずになった「くそったれ林道」だ。





その「くそったれ」ぶりに拍車がかかった「くそったれ林道」を、ときには小走りに、ときにはみんなで談笑しながら、ときには近道をしようとして見当違いなところに迷い込みつつ私たちは下って行った。それにしても私は改めて心の中でこっそりホワイトベアーに感謝の思いを抱くことを禁じえなかった。結局のところ、彼は二日間を通じて今回のハイキングにおける頼もしい「ガイド役」にほかならなかった。そして私やトミーは、ただ彼に言われるがままにコースを歩いてさえいればいい「楽ちんな」人々だった。


一八○○時までには全員が八ヶ岳山荘の駐車場に到着した。日はまだかろうじて沈んではいなかった。私は山荘の営業妨害にならないことを祈りながら山荘のベンチに着替えを広げてパンツまではき替えた。ホワイトベアーはそんな私の行動に少なからずショックを受けていたようだったが、これから何度か行動を共にするうち、じきに慣れるだろう、と私は思った。

ホワイトベアーはすぐにでも風呂に入りたい、と言い、八ヶ岳山荘の玄関に掲示された、そこを通る人々に五〇〇円で風呂に入れることを知らせる看板に並々ならぬ関心を寄せた。だが私もトミーも、たとえ多少の移動時間を要しても、設備が充実して広々とした風呂に入るべきだというぶれない価値観を共有していた。私たちはすぐさまトミーのアウディに乗り込み、そのままトミーがどこからか見つけてきたトミー指定の温泉へと向かった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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