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「隊長」と「ジャンキー」と私の三名が雲取山に日帰りで登ることになるまでにはそれなりの経緯があった。まず私が二週間後の富士山への登頂に備えた演習を「隊長」に申し出た。「隊長」はターゲットに雲取山を指定した。「隊長」は一泊二日での行程を提案し、私はそれに同意してプランを練ったが、「ジャンキー」が一泊二日という行程に難色を示した。私はもう一度インターネットで情報を収集しなければならなかった。

調べていくうちに、「鴨沢ルート」と呼ばれる、奥多摩湖畔、南側山麓の鴨沢地区から山頂へとアプローチするルートであれば、日帰りでも十分に可能だという何人かのブロガーを発見したので、私はそれを「隊長」に申告した。「隊長」は最後までその情報の信憑性に疑いを抱いていたようだったが、私が入手した鴨沢ルートの地形図は、そのルートが概ね緩やかな登りか尾根歩きが続くだけの、過去に走破したいくつかの山々のそれに比べればいくらか楽に走破できそうなものである事を示唆していたし、「隊長」も最後はそれに納得した。

そうして八月中旬のある土曜日に、私たち三人は東京で最も高い標高(二〇一七メートル)を誇る雲取山の山頂まで登ったその足で、その日のうちに下山を強行するという「上級訓練」に挑むことが決定された。
 


私は、三人が午前七時に高田馬場駅に集合し、そこで調達したレンタカーで鴨沢ルートの途中「小袖乗越」まで移動し、その辺にある駐車スペースに車を停めて概ね午前九時にそこを出発し、日没までにはそこに帰還するというプランを立てた。

ある筋の情報によれば、一般登山者の標準コースタイムは休憩時間を含まないで登りが四時間五十分、下りが三時間十分で合わせて八時間だったので、休憩時間に一時間を見込んでも十八時には駐車場まで帰還完了するものと思われたし、私たちの健脚(少なくともその時、私たちは、私たちの過去の実績から、その優れたハイカーにのみ与えられるべき聞き慣れた称号を私たちもまた与えられる事を当然のことのように思っていた)を以ってすれば、何らこの計画に問題があるとは思われなかった。

ただし、下山時に足元の明るさが十分でない可能性は考慮される必要があった。「隊長」は既に富士登山に備えてヘッドライトを所持していたし(私たちの計画では、その神聖なる日の出を山頂で仰ぎ見るために夜間の山行が必要だった)、私もサバゲーで暗闇の敵をあぶり出して弾をぶち込んでやるために使っている軍用のフラッシュライトが二つほどあったので、私たちは当日それらを持参することにした。
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