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私は漁岳へのアタックの三日前までには、その日に必要となる登山装備、つまり今回、私が初めて使うことになるクランポンやゲイター、例の青いチリトリ、それからいつしか山を歩くのに両手の妨げにしかならないように思われて使うことのなくなったトレッキング・ポールなんかを念入りに点検して荷造りをし、私が登山ベースにすることにした苫小牧のビジネスホテルに送った。そのビジネスホテルは、ビジネスホテルにしては珍しく、畳敷きで日本風の客室を備えたホテルだった。いつかまたあのあたりの山に登る機会があったら、その時も私は間違いなくそのホテルを予約するだろう。
 


札幌でのビジネスは問題なく終了した。私が帰り支度をしていると、先方の責任者の男が「この後はすぐに東京に帰るのかい?」と聞いてきたので、実はこのあと苫小牧に移動して明日は山に登ろうと思ってると答えると、彼は「一体どこの山に登るんだい?」と私に尋ねた。私は、あなたは聞いたこともないと思うが、支笏湖の近くに「漁岳」という山があってそこに登るんだ、と答えると、彼は、「あぁ、あそこは今の時期でないと登れないからねぇ」と言った。私が驚いて「漁岳」を知ってるのか?と聞くと、五〇歳位に見えるその男はニヤリと笑って頷き、実は昔は登山を趣味にしていたので、北海道の山は一通り登った事がある、と言った。

彼は「漁岳」には登山道らしきものがなく、雪のない時期にそこを登ろうとするハイカーは沢筋をずぶ濡れになりながら登っていかなければならない事も知っていた。彼が「明日はスキーで登るのかい?」と聞くので、つぼ足で登ろうと思っていることを告げると、途端に彼の表情が曇った。どうやら私がやろうとしている事は、地元のベテランハイカーにとっては少し頭のイカれた人間のやる事に見えるようだった。

彼は別れ際、北海道の春山は冬山と同じなのだから、とにかく気をつけなさい、と言った。
 


私はハイウェイバスで札幌から苫小牧へと向かった。終点の苫小牧駅に着きバスを降りると札幌に比べて少しばかり寒かった。ホテルに着いてフロントで確認すると、私が東京から送った荷物は無事に届いていた。私はフロントで渡された鍵のナンバーの客室まで自分でその荷物を運び、そいつを開梱して中味をチェックし、問題が起きてない事を確認してから駅前の飲み屋に繰り出し、そこでホルモン焼きをつつきながら何杯かビールを飲んだ。それから部屋に戻って、もういちど地図で明日のルートを確認してから眠りに着いた。
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