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私が伊吹山に目をつけたのは、随分前にあるガイドブックを読んでいた時だった。そのガイドブックはどちらかというと登山入門者向けのもので、きわめて基本的な登山技術を紹介する傍ら、実際にいくつかの山のハイキングコースを取り上げ、それに即した形で登山技術の実践方法が解説されていた。その本の中で伊吹山は、登山口と山頂の標高差一二〇〇メートルあまりの往復に相応の体力を要求される、中級者向けの山岳として取り上げられていた。

既にその程度の標高差は雲取山で経験済みだったが、私の目を引いたのは、三合目から上には樹林帯のないその山容だった。ガイドブックの写真は、その山は歩いている間中、いつだって琵琶湖や、その周囲の街並みや、さらにそれらを取り囲む山々の展望を楽しんでいられる事を伝えていたし、山一面が色鮮やかな新緑に包まれていて、私はその美しさにも魅せられた。

それに雲取山の日帰りハイキングで散々な目に遭った私が、その後九カ月ほどの時を経て、どれだけハイカーとしての実力を向上させたのかを試すいい機会だとも思った。五月の連休に京都でのビジネスの予定が入った私が、その山を目指さない理由はどこにもなかった。
 

作戦決行日の一カ月ほど前、大阪でのビジネスの帰りに新幹線の車内から伊吹山を見上げる機会があった。米原を過ぎたあたりから注意深く窓の外を見ていると、いくつかの小さな山を通り過ぎたあとで、西側の斜面がざっくりと削り取られた巨大な山が姿を現した。もう日はほとんど暮れていてあたりは暗く、曇り空でもあったので、それは概ね黒い不気味な塊として私の目に焼き付けられた。

山頂部にはほんの少しだけ雪が積もっていたが、一カ月も経てばなくなっているだろうと思われた。私は自分の計画が間違いなく実行される事を確信し、ゆっくりと後ろへ遠ざかって行く伊吹山に心の中で再訪を誓った。
 

いざ五月の連休を迎え、京都でのビジネスを終えた私は、新幹線で今回の登山ベースとして選んだ旅館のある米原へと向かった。イカれた「てんかん持ち」が軽自動車を暴走させて何人もの命を奪った痛ましい出来ごとの記憶も薄れないうちだっていうのに、京都の街は観光客で溢れかえっていて、私は京都駅に向かう地下鉄の切符一枚買うために何分も列に並んで待たなければならなかった。

それにしても米原というのはどうしようもない田舎町で、私が事前に集めた情報によれば、駅の周りにコンビニの一件すらなかった。そのような田舎町で私は今まで何度も痛い目を見て来た。つまりそのような田舎町は概ね夕食を提供してくれるような、それはレストランでも飲み屋でも何でもいいんだが、そのような施設がろくにないか、あっても驚くほど早い時間に店を閉めてしまうので、私が腹を空かしてその店を訪ねる頃には、入口の扉に「閉店(closed)」と書かれたあの忌まわしい札がかけられていて、その度に私は途方にくれなければならなかった。

私は京都のデパートの地下で寿司折を買い、それからコンビニで缶ビールと、明日の朝食と昼食用の食料をいくらか買い込み、それらをわざわざ米原の旅館まで持っていくことにした。
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