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私が大学生の頃の友人に、とにかく人をあっと驚かせるような事をするのが大好きな男がいた。彼の奇行を挙げればきりがないのだが、例えばある時、私は彼が、自分の住んでるアパートの廊下を全裸で走りまわっているのを目にする機会があった。それを見ていたやつらはこう言っていた。「あれって先週やったばっかりなんだぜ!」 彼は万事がそんな調子で、とにかく周りにいるやつらを驚かせ、呆れさせ、そして笑わせた。

あるとき彼が立てた計画は、スクーターで大阪から富士山の麓まで走って行って、そのまま富士山の山頂をサンダル履きで往復して、そしてスクーターで大阪まで帰るというものだった。

そのバカげた計画は着実に実行され、彼はまたひとつの伝説を築いた。私にはその計画がどれほど無謀なものなのか、あるいはそれほど大した事でもなくて、一般的に少しだけ頭がおかしなやつがそれを考え付いたら達成してしまえる範囲の計画なのかは分からなかったが、少なくともその一連の出来事を耳にして、私もいつかは富士山に登ってみるのも悪くないと思ったものだった。
 


随分と年月を経て私にそのチャンスが訪れたのは、「隊長」が女の子との出会いを求めて山登りを始めて間もない頃の事だった。彼はどこからか「山ガール」のブームの事を聞きつけて、登山用品のショップが主催する初心者向けのハイキングツアーに参加した。

そのツアーは定員が二〇人だったが、そのうち実に一七人は「山ガール」だった!彼は「ヘイポー」と共にそのイベントに出かけ、片っぱしから一七人の山ガールに、今度一緒に山登りをしないか、と声をかけ、片っぱしから断られ続けたが、その失敗を教訓に、今度は友人の「しょこたん」を別のイベントに連れ出した。

「隊長」と「ヘイポー」の胡散臭い「山ボーイ」コンビに「しょこたん」というれっきとした「山ガール」が加わることで、声をかけられる「山ガール」の警戒心は随分と薄らぐだろう、という「隊長」の読みは的確だった。そこで何人かの「山ガール」と親しくなった「隊長」は、富士登山の計画立案に入った。
 


「隊長」が富士山への登山を計画しているという情報は、いくつかのルートで私の元にもたらされた。その時、私は山登りという娯楽に対してこれっぽっちも興味を持ってはいなかったが、「隊長」が、随分と昔に私が登ってみるのも悪くないと思った富士山に登るという事なのであれば、そこに私も連れて行ってもらうのは悪くない気がした。

その話を「隊長」にした時に「隊長」から私に下されたお言葉は、いきなり何の準備もなく富士山に登る、というのは思慮の足りない人間のやる事なので、まずは近場の低山にいくつか登ってみて登山の感覚を培っておいた方がいい、という事だった。たまたま一月に御岳山へのハイキングの予定があるというので、私はそこに同行することになった。

「隊長」は常に冷静沈着で思いやりにあふれたリーダーであり、山行を計画するにあたっては参加するメンバーの力量を熟慮したうえで無理のないプランニングを行う事で定評があったし、その後、実際に私もそのようなケースをいくつも見て来たが、こと、初めて私が彼のパーティーに参加したその御岳山の山行計画に限っては、初めて山に登る私に対して徹底して無慈悲な計画が立案された(たしか三つほどの山を縦走させられた!)。

もしそのパーティーに「ヘイポー」が参加してなかったら、私はパーティーの足を引っ張っている自分の姿にはらわたが煮えくり返って、二度と山になんかに登るまいとその場で固く神に誓っただろう(「ヘイポー」はみんなのペースについていけないのをいい事に、事もあろうに私に借りたトレッキングポールを二度と返そうとしなかったので、私はその辺に落ちている木の棒に自分の体重を託しながら、その辛い山歩きに耐えなければならなかった)。
 


その後、私は「ジャンキー」や「ヘイポー」と登山用品店のイベントにも参加した。それはケーブルカーと徒歩で丹沢の大山を往復するというかなり初歩的なハイキングで、私はもちろん「隊長」と「ヘイポー」が体験したのと同じように、定員の実に八五パーセントが「山ガール」を占める、とても楽しいハイキングを想像して現地に向かったのだが、そこに現れた「山ガール」たちはボーイフレンドと一緒にやって来たのが何人かと、母親と参加した小太りのやつだけで、私はちっとも楽しくなかった。

イベントには眼鏡をかけてがっしりした体型のインストラクターの男もいて、彼の歩き方はとてもしなやかで、その歩き方を身につけることが出来たなら全く疲れ知らずで何万フィートでも登って行けそうな気がしたので、私はそのハイキングの間じゅう、インストラクターの歩き方を観察していた。
 


それからも私はいくつかの山に登ったし、富士登山の決行二週間前には、富士登山の標高差(一四〇〇メートルと少々)を意識して、「隊長」や「ジャンキー」と共に雲取山の山頂ピストンを一日行程で強行したりもした。

私と「隊長」は、登山用品店が開いている富士登山をテーマにした座学会にも出かけて行った。そこでは高山病の予防のためには深呼吸と水分補給が重要である事を学んだ。

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