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ろくに登山経験のない私が旭岳への単独登頂を思い立ったのは、たしかその年の六月末だった。七月の下旬に札幌での用事が出来た私は、その少々退屈なビジネスをさっさと終わらせてどこを観光するかに思いをめぐらし漫然と地図を眺めているうちに、見覚えのあるひとつの名前を見つけた。

数年前の春先に初めて北海道を訪れたとき、私は旭川のレンタカー屋で借り受けたブルーバードで、西の海岸線沿いに北端の稚内まで素敵なドライブをした。三日ほどのちょっとしたその旅は、私に北海道の大自然の魅力を知らしめるのに十分なものであった。私は少しばかりの高揚感に引きずられながら、東京へのフライトのために旭川空港へと向かった。

空港へアクセスするための国道の周囲は、遮るものの何もない見渡す限り一面の水田で、その遥か彼方には頂きにうっすらと雪をかぶった実に荘厳なる山々が見えた。私はいつか機会があればそこに「行って」みたいと思った。後から調べてみた処、その山々は「大雪山」と呼ばれるいくつかの名峰の集合体であると思われた。

実際の処、その時の私はそこに「登って」みたいと思ったわけではなかったし、率直に言ってしまえば、その時の私は、山登りなんてものは全くもって退屈で、ただ疲れるためだけにある、年寄り向けの取るに足らない娯楽だと思っていたのだが、そのような私の価値観はわずか一年余りの間に「柔軟に」修正されていた。何か問題があるかい?

そんなわけで、私はたった今しがた「登る」ことを決意した「大雪山」について情報収集を開始した。
 


まず私は観光客向けのホームページを見て自分の辿るべきルートを決定した。それはロープウェーの姿見駅から旭岳登頂、間宮岳を経由して中岳温泉で「足湯」をたしなんだ後、裾合平の「お花畑」を通過して姿見駅まで戻るという、登山経験の乏しい私にとっては少々欲張りな、ボリューム満点のルートだった。

愛らしい高山植物や、険しい山肌から噴出す噴煙や、そのほかにも何枚かの素晴らしい風景写真に彩られたとても素敵なそのホームページには、私が辿る事になるそのルートのコースタイムは、標準的な歩行速度で七時間程度だと書かれていた。

それであれば私が行けば六時間程度で一周出来るだろうというのが私の下した判断だった。私は登山経験こそ乏しいものの脚力には少々自信があってそのような判断をしたのだが、それはとんでもない誤りだった。

全く恐ろしい事に、そのサイトが謳う「七時間程度」の中には、ほんの一分だって休憩時間が含まれていなかった!私が実際に姿見駅に戻って来れたのは、その駅を出発してから八時間以上経ってからだった。
 


次に私は、既にそのルートを走破した登山家たちのブログやサイトから、さらに詳しい情報のを収集を試みた。

彼らは概ね始発の、つまりふもとの駅を朝の六時に出発するロープウェーに乗るためにわざわざ行列を作るのが、この山に登るハイカーに課せられた作法だと思っているようだった。

そのようなケースでは多くの場合、わざと一本後にずらしてやるのが私のセオリーだった(いったいぜんたい何だってお金を払って行列を作ってまでわざわざ座れもしない乗り物に乗らなきゃならないんだい?)。賢人の下すべきロジカルな判断により、私が乗るべきロープウェーは六時十五分にふもとを出発する便に設定された。
 


その次に私の関心を引いたのは、北海道で最も高い標高を誇るこの「旭岳」という名峰で、毎年のように遭難事故が起きているいう事実だった。

私は、天候が急変して周囲がガスに包まれたために下山コースを見誤り、あらぬ方向へと進んでしまった哀れなハイカーの事例をいくつか知ることになった。

私の得た情報によれば、彼らは現場で正しいルートを割り出すための事前の準備や能力、あるいはいつ起こるか分からない天候の変化に注意を払う姿勢に欠けていたように思われたし、彼らに降りかかった災いは彼ら自身が招いたものだと訳知り風に彼らを非難する人々にも異論を唱える気にはならなかった。

私は、私の進むべきルートを網羅した地形図を入手し、そのルートにマーカーで線を引いてからポイント間で想定されるコースタイムを書き込み、さらにポイントごとの情景をインターネット上の写真で確認して、天候による撤退の判断やエスケープルートについて「隊長」と意見を交わした。彼は私の計画に同行するわけでもないのにとても親身に相談に乗ってくれた。
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