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三月の下旬に鳥取県でのビジネスに出かける予定だった私は伯耆大山への登山を計画していたが、そのビジネスが中止になってしまって登山計画も流れ、この一二〇〇年も前の神話に登場する美しく荘厳なる名峰に関する私の完璧なまでの情報収集も、わざわざ用意したブラックダイヤモンドのクランポンも、ついでに立てた砂丘への観光計画も、全てが無駄になってしまった。私はクソでも食ってるような気分になった。

そのようなとても不幸な出来事が私の身の上に起こってから数日後、三月の中旬に今度は伊豆方面に出かける予定が出来たために「天城山」への登山を計画した私をいったい誰が批難する事が出来るだろうか。私は早速、城ヶ崎海岸近くの素泊まり一泊二八〇〇円の宿に二泊の予約を入れた。
 


その宿は七〇歳をとうに超えてそうな爺さんが一人で切り盛りしている宿で、白壁造りの四階建ての建物は少々古びていたが、立派な門を開けると石段が二階にある玄関まで続いていて、ちょっとした金持ちの別荘のような雰囲気を醸し出していた。観音開きのガラスドアを開けると、中はどことなく病院のような作りになっていて、靴脱ぎ場のすぐ向こうのタイル床の足元には二十人分かそこらのスリッパが並べられており、受付のカウンターが右手にあった。

爺さんは恰幅のよい、少しばかり赤ら顔だが白い髪のしっかり生え揃った頑健な感じの男で、そのだみ声とは裏腹に、とても腰の低い丁寧な態度で私を出迎えてくれた。スリッパこそ賑やかに並んでいたが、彼が言うには、今日も明日も客は私一人だけだった。

私の部屋は三階にある六畳の和室だった。年季は入っているが清潔で落ち着いた部屋で、私は部屋に入るなりそこを気に入ってしまった。バスルームはなかったが、一階にある大浴場を私のためだけに沸かしてもらえるので何の問題もなかった。荷物を部屋に運び込んでから、私は夕食を取るために伊東で借り受けたレンタカーで稲取へと向かった。

そこには伊豆近海で獲れた金目鯛の料理を振舞う店があるというのでわざわざ出かけたのだが、その店で私に供された数々の料理は、私がそれにありつくためにかけた時間とお金に見合うほどの満足感を私に与える事はなかった。私は早々にそこを切り上げ宿へと向かい、翌日のハイキングの準備を始める事にした。
 


ところで全く忌々しい話だが、その日は朝から雨だった。私が稲取に向かう頃になっても相変わらず降っていたが、私が少々満ち足りない思いで会計を済ませて店を出た頃には雨脚もすっかり弱くなっていた。宿に戻ってテレビで見た明日の天気予報は「曇りのち晴れ」だった。OK。悪くない知らせだ。雨の中一人でとぼとぼと山道を歩く自分の姿を想像しても楽しくてしかたないなんてのは一部のクレージーなハイカーだけだからな。

だが正直なところ、ミスターフカダの「百名山」にリストアップされているその名を知られた山とは言え、私の「天城山」に対する期待値はそれほど高くはなかった。標高は一四〇〇メートルそこそこと中途半端で、木に覆われた山頂とやらは大した展望も期待できなかったし、私にとっては人生で二度目の単独登山になると言っても、インターネットで収集した情報は、私の辿るべき、ゴルフ場の裏手をスタートして万二郎岳から万三郎岳を経由してスタート地点に戻って来る最もポピュラーなコースは道案内もしっかりしていて地図を読む力などいらない事を示唆していた。

だがそれは私にとって四ヶ月ぶりの登山だったし、冬の間にすっかりたるみ切った足腰の錆落としにはちょうど良いかもしれないと思われた。私は六時少し前に起きられるように携帯電話のアラームをセットして一時前には床についた。
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