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その日は七月上旬のとても天気のよい日曜日だった。そこから群馬県の赤城山へと向かうために、私と友人ほか六名は午前七時に高田馬場駅に集合した。私がそこに着いた頃には、既に私の二人の友人が登山装備姿で立ち話をしていた。

一人は私の古くからのよき友人であり、そして我々パーティーのマスコット的な存在でもある「山ガール」で、彼女は休日になる度にどこかの山に出かけていくような少々クレージーな山ガールだったが、私はそのような彼女の山に対する姿勢を誰よりも尊敬しているし、そして周りの誰もが彼女のことを愛していた。

彼女はその風貌があるアイドルに似ていて、彼女のことを陰で「しょこたん」と呼ぶ者が少なからずいたが、本人にその事を指摘してもきっと彼女は否定するだろう。

彼女は本当に魅力的な女性なので周りの誰からも好かれていたし、実際彼女の事を本当に「好き」になってしまう男も少なくないようだった。そして彼女は数ヶ月前にもある男に交際を申し込まれたのだが、その頃ちょうどその男と分かれたばかりだった。赤城山へと向かう車の中で、彼女はその男のどういう処が「ダメ」だったのかを面白おかしく説明してくれたので、それを聞いた私たちは、その男には悪いとは思いながらも声をあげて笑わずにはいられなかった。

もう一人も私とは古くからの友人で、私たちが「ヘイポー」と呼んでいる男だった。彼がなぜ「ヘイポー」と呼ばれるのかは大した問題ではなかった。彼はとても正直な男で、山を歩いていて暑くなって来れば暑いと言い、キツくなって来ればキツいと言い、腹が減ってくれば私たちにそう伝えた。彼の意見や思いは時として私たちの誰からも聞き流されることがしばしばであったが、それでも私たちの誰もが彼のことを大好きで、彼は私たちにとってそこにいなくてはならない存在だった。

だいたい彼は大層な努力家で、「出てきたお腹をひっこめる」ために大好きだったタバコをやめ、ジョギングを始め、それだけでは飽き足らずに山登りまで始めた。一八〇ポンドを超えていた彼の体重は、あっと言う間に一三〇ポンドあまりにまで減った。仮に彼の体重が最終的には一七〇ポンドまで戻ってしまったとしても(実際そうだったのだが)、差引一〇ポンド分の彼の血のにじむような努力を否定するなんてことは誰にも許されないというのが私の意見だった。おかしいかい?
 


「しょこたん」と「ヘイポー」の説明によれば、他のメンバーも既に到着していて、今はトイレや買出しに行っているという事だったので、私はそのまま予約をしておいたレンタカーの受け取りに向かった。その日は総勢七名のメンバーを二台の車で現地に移送する事になっていて、そのうち一台のドライバーは私だった。もう一人のドライバー(彼は軽度のニコチンジャンキーだ)もすぐに現れたので、私たちは二人で車の受け取りに向かった。

二台の車を集合場所まで回送して来た頃には全員が登山装備姿でそこに集合していた。そこにはこのパーティーの「隊長」で、この日のプランの立案者であり責任者でもある男の姿もあった。彼もまた私にとっては古くからのよき友人であり、私よりも五つか六つ年下ながら、その的確な情報収集力と冷静沈着な判断力で我々パーティーをいくつもの山頂に導いて来た男でもあった。

彼は登山を始めてまだ一年にも満たない自称「入門者」だったが、毎週のように地図読みの「講習会」に出かけていくほど登山技術の習得に熱心だった。彼がこのパーティーの「隊長」となるのは、よく見積もって彼と同じ程度か、それよりも乏しい登山技術しかない他のメンバーたちにとってきわめて自然な選択だった。

私の車には「しょこたん」と「ヘイポー」が、「ジャンキー」の車には「隊長」と彼のフィアンセ、さらにその友だちの山ガール一名が乗り込み、二台の車はそのまま山麓の「赤城公園ビジターセンター」へと向かった。
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