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ぷしろぐ >> 登山編
【 カ テ ゴ リ 】


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August 17, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

米子を訪れたついでに私は伯耆大山にハイキングに出かける事にした。


伯耆大山の山頂は避難小屋のある「弥山」とされているが、実は伯耆大山の最高峰は「弥山」から稜線伝いに東に位置する「剣ヶ峰」である事は、あらゆる伯耆大山に関するガイドブックに記載されている。

だが一〇年以上前に起きた地震の影響で稜線は崩壊してしまったため、現在「剣ヶ峰」へと至る縦走路は立ち入りが禁止されている。もし今日、伯耆大山を初めて目指すハイカーがどこかでそのルートマップを手に入れたとしても、「弥山」から東に登山道は存在しない事になっているだろう。

反対の天狗ヶ峰側から「剣ヶ峰」へと至る稜線も同じ理由で「立ち入り禁止」だ。にも関わらず、今日に於いてもいずれかのルートを辿って「剣ヶ峰」を目指す不届きなハイカーが跡を絶たないようだ。けしからん話じゃないか。よし、私が行って一言注意してあげなければ。


東京を発つ前に私がガイドマップを参考にこさえた手製のルートマップによれば、大山情報館前の駐車場から「天狗ヶ峰」までのコースタイムは一三五分だ。そこから先はルートがない事になってるので距離を元に大体の所要時間を推測するしかないが、まぁ一〇時に登り始めれば、槍ヶ峰まで足を延ばしてから剣ヶ峰に向かい、そこで捕まえたハイカーにお小言を言ってやって、それから下山しても日没までには余裕があり過ぎるくらいだろう。

私は睡眠時間をたっぷり取って九時半ごろに旅館を出発した。


観光マップを参考に駐車場を目指したが、途中で道を間違えたりして、駐車場に着いた頃にはとっくに一〇時を過ぎていた。まぁ問題ない。時間に余裕はある。

「文政の大鳥居」前で尿意を催しトイレを探し回ったりして(結局なかったが)多少の時間を浪費し、「大山寺」への参拝は省略して、いよいよ鳥居をくぐったのは一〇時四七分。





そこからしばらく、自然石のものとしては国内最長を誇るとされる石畳の参道。





「奥宮」は結構な段数の石段の上にある。そこでトイレを見つけた私は無事に放尿を終え、建物の裏にある「行者登山口」へ。時刻は一一時一〇分。

五分もしないうちに分岐が現れ、左に折れる。岩のゴロゴロした道を三〇分ほど登ると「下宝珠越」。

多くのハイカーはそのまま「中宝珠越」側へと進むところだろうが、私は好奇心から「宝珠山」に寄り道する事にする。

五分ほど歩いて宝珠山の山頂。恐ろしいほど凡庸でつまらない。





下宝珠越まで戻ってさらに宝珠尾根を歩いて行くと、次第に視界が開けて来る。はるかかなたに見える「ユートピア避難小屋」。





このあたりから岩をよじ登ったり、崩落した巻き道を越えたり、とハイカーにあまり親切でない道のりになる。この時点で時刻は一三時〇五分。あれ?何かおかしくないか?

駐車場を出発してから二時間少しで天狗ヶ峰に着いてるはずじゃなかったか?もう一度、手製の地図を取り出して確認した私は愕然とした。登りのコースタイムを合計した「一八五」という数字が丸で囲んである。くそったれ!

私はどうやら昨夜、間違えて同じように丸で囲んだ下りのコースタイム「一三五分」を登りのコースタイムだと思い込んで寝てしまったようだ。実際にはここから天狗ヶ峰まではさらに一時間以上かかる計算になる。私はこの時点で、剣ヶ峰に到達する事を優先する必要から、槍ヶ峰の往復をすっぱり断念した。


上宝珠越に着いたのが一三時一五分。さらに肩で息をしながらニ〇分ほど登ってようやく「三鈷峰」の山頂(一五一六米)に到達。由緒ある参道だと聞いていたが、このコースはなかなかハードだ。暑さもたたって疲労困憊の私はニ〇分ほど休憩。





三鈷峰から避難小屋までは一五分ほどの距離だ。先客ハイカーが一人いたが、小屋の中で何やらごそごそしてから下山方向に去って行った。





さぁ、ここからが本番だ。時刻は既に一四時ニ〇分。常識的に考えて、もう誰も登って来る事はありえない。この先、もし私が不注意から足を滑らせ、不幸にも谷の底までまっさかさまに落ちてしまうような羽目になっても、誰も気づいてくれやしないって事だ。気合を入れなければ。

私は最後のおにぎりを頬張り、バックパックのボトルにある水分をベルトに括り付けたパウチのボトルに移しかえられるだけ移しかえてから天狗ヶ峰方向へと歩き始めた。


しばらくは、確かに細いうえにいやらしい砂利道だが、特に難しいとも思わない踏み跡が続く。





ユートピアを発ってからニ〇分ほど歩いたあたりで、前方の稜線に人陰を確認する。私が言うのも何だが、こんな時間にあんなところをうろうろしやがって何考えてるんだ?

遠くから見ている限り、前進するのにかなり手こずっているようにすら見える。


私の行く稜線は、片側は切れ落ちているものの、まだ大丈夫だ。





いやいや、そんな事を言ってられるのは前に進んでいる間だけだった。しばらく歩いてからいま来た道を振り返るとき、愚かなハイカーたちは退路を絶たれた絶望感を味わう事になるだろう。





山で起きる事故ってのはだいたい下りで起きると相場が決まっている。下り道の方が登りよりはるかにバランスを保つのが困難だって事だ。ましてこんな両サイドの切れ落ちた砂利道を下って行くなんて私にとっては少々受け入れがたいリスクだ。

おまけにあの宝珠尾根のしんどいコースを下って行くのもまっぴらだ。夏山登山道ならどうせビギナー向けだし下っていくのも楽そうだ。私はそのとき喜んで弥山まで縦走する事を決意した。


前方を見やると一本道の少し向こうに「天狗ヶ峰」の山頂が見えて来た。例のハイカーがいてこちらを見ている。下って来る気か?一本道のうえですれ違う事は到底不可能だ。私は「こっちに来るかい?」というジェスチャーをして見せた。

それを見たハイカーは「お前が来い」と言わんばかりに手招きをした。ありがたい。正直ちょっと先を急ぐんだ。私はそそくさとその一本道を渡り終えて彼の元にたどり着いた。

一人だと思っていたそのハイカーにはもう一人、女ハイカーのお供がいた。男の方は随分とダンディーな雰囲気を漂わせた初老の人物だった。サングラスで顔が隠れているが、マダムの方もたぶん同年配だろう。夫婦かとも思ったが、あまりに男の方がダンディーなので、ちょっとわけありの二人かもしれないな、などと私は余計な心配をした。


てっきりもう剣ヶ峰まで到達して引き返して来ているのかと思ったら、二人はまだ剣ヶ峰に向かっている途中で、先に進むのが怖くなったが戻るのも怖くて、もうどうしようかしら、とマダムが楽しそうにまくし立てた。

それを決めるのは彼らの仕事だが、私は、ここからユートピアに引き返す位なら縦走してしまいますね、と個人的な意見を述べた。それを聞いたマダムは「ついていくわ!」と即答した。ダンディー氏は何も言わなかった。私は、私が谷の底に落ちてしまったら然るべき機関に通報してくれるよう頼んでから、彼らの先を歩き始めた。


剣ヶ峰に至る稜線はそれまで以上に神経を使う。踏み跡は途中で右(北)側のヤブの中を通る巻き道へと続くが、そこを通る誰もが心の安らぎを覚えるはずだ。





天狗ヶ峰から一〇分ほどで剣ヶ峰に到達。三脚をセットし終えたら、さっそく剣ヶ峰を尻に敷いて記念撮影だ。





私が一人で写真を撮って遊んでいると、ダンディー氏とマダムもほどなく到着した。だがあまりゆっくりしてる暇はない。ここから弥山までの稜線こそ最も根性を入れてかからなければならない本日のメイン・ステージだ。

時刻は既に一五時三〇分だ。私は二人に一声かけてからいよいよ弥山への縦走路に足を踏み出した。


縦走路はそれまでにもまして、稜線崩壊の傷跡をまざまざと見せつけてくれる。特に右(北)側面の崩壊が著しい。





足を乗せた瞬間に崩れ落ちそうだ。





たぶんこいつが難所として名高い「ラクダの背」だろう。遠慮なく尻を使って下りる。





振り返ると、(四つん這いで)奮闘するダンディー氏。





たしかにもはや道でも何でもない。


ときには尻を使い、ときにはタマをこすりながら前進を続け、ようやく「三角点」に到達したのが一六時一五分。


弥山側から稜線への入り口には、夏山登山道を登り切った程度のハイカー風情には絶対に立ち入らせないという当局の強い姿勢を感じさせるロープが二重三重に張り巡らされている。





あれ?ところで私は何か目的があってあんなクレイジーなルートにハイキングと洒落こんだんじゃなかったっけ?まぁいい。無事にここまでたどり着けたのだから「よし」としなければ。


途中で姿の見えなくなったダンディー氏一行の身を案じつつ、時間も時間なのでとっとと下山(彼らは六合目で写真を撮っていた私に追いついて、そのまま風のように去って行った)。

夏山登山道で下りきってもよかったが、「大山寺」に参拝するのを忘れていたのを思い出し、元谷を渡って大神山神社経由で「大山寺」へ。

夜には撞くな、と書いてあったが、一九時なんてまだ夜じゃないだろう、と「開運鐘」を力いっぱい撞いてから駐車場に帰り着いたのは一九時〇五分。率直に言って、下山を完了する時刻としては甚だ不適切だが、昨夜たっぷり睡眠をとったおかげで今日のハイキングを無事に終える事が出来たのだと思えば許容範囲だ。


駐車場から見上げると、今日歩いた三鈷峰から弥山に至る稜線がはっきりと夕暮れの空に浮かび上がり、その上に月が輝いていた。





何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 10, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

西条までやって来た私が石鎚山に登ることなくこの地を後にするなんて事はありえない。レンタカーを借りて一路ロープウェー乗場へ。

山頂の駅に着いたのは一〇時前だ。気温は標高一三〇〇米地点でも摂氏ニ七度。





下界に比べれば幾分ましとは言え率直に言って暑い。駅舎で小用を足したり売店で売られているカブト虫を観察してから出発したのはちょうど一〇時。

一五分ほど歩いて成就社に到着。形ばかりの参拝をしておみくじを引いたら「小吉」。





鳥居をくぐって登山道に入る。「登山道」のくせにしばらくは下り坂だ。ニ〇分ほど下って「八丁鞍部」に着いた先から、いよいよ登りが始まる。

石鎚山は基本的に「階段を登る」山だと形容されるべきだ。登山道の整備が行き届いているとも言えるが、私にとっては全くいい迷惑だ。普通の坂道なら最短の動きでステップを踏む事が出来るが、なまじ階段なんてものがあるとその分余計に脚を上げなければならない。

周りにほとんどハイカーがいないのをいい事に、ぶつぶつ文句をたれながら三五分ほど歩いて「度胸試しの鎖」の取っ付き地点に到着。





一般的に山で見かける鎖より一回り太くて逞しい鎖だ。この鎖場は登りよりも岩場の反対側の下りがきついので自信がなければ素直に巻き道を行け、といった内容の注意書きがあって、さっき私を抜いて行ったばかりの先客グループは、それを見てそそくさと巻き道の方へ行ってしまった。

少しばかりの小休止を兼ねて水分を補給してると、もう一組のグループが現れたが、彼らもその注意書きを見て巻き道へと消えた。私は何だかいけないことをしているような気分でその鎖に取っ付かなければなならなかった。

始めはスパイダーマンよろしく軽快に登って行った私だったが、程なくして適切な足場が見つからずに頭を悩ませるようになった。実際にそこを登る人々がそうしているのかどうかは分からなかったが、仕方がないので私は鎖の継ぎ目の輪っかを足場にしながら登る事にした。

たぶんその長さ四八米の鎖を登りきるのに私は五分以上も時間を費やしてしまったようだった。おまけに暑さのせいもあってそれを登り切った頃には肩で息をしているような始末だった。この鎖場を登りきるのに度胸は大して必要なかったが、相応の腕力と体力が必要な事は間違いなかった。

ちなみに鎖を登り切った岩のてっぺんは「前社森」という。敢えて苦難の道を選んだハイカーはその功績により、そうしなかった人々を随分と上から見下ろすという特典が与えられる。





私がそうしたのを見たからかどうかは分からないが、後続のハイカーたちはどんどんこの鎖場を登って来た。一五分ほどそこで過ごした私は喧騒を避けるようにその場を後にした。

ちなみに下りの鎖場がきついと注意書きにあったが、多少でも鎖場をかじった事のあるハイカーたちにとってそれは当てはまらないだろう。明らかに下りの方が足場は豊富だ。


前社森からはニ〇分ほどで「夜明峠」に到着。残念ながら目指す天狗岳はガスで見えない。





夜明峠から一〇分ほどで「一ノ鎖」の取っ付き地点。もう十分に暑さと階段のせいでへばってしまった私はおにぎりを頬ばりながら暫く休憩。





「一ノ鎖」は三三米と最も短い。あっさりクリアしたものの、私にとって熱中症の初期症状である「頭の血がドロドロした感じ」を発症。気づかない事にして前進を再開、「ニノ鎖」の取っ付き地点に到着。

「ニノ鎖」は長さ六五米。





ここでは先客がいい感じでもたついてくれたので、休憩を挟みながらゆっくりと登る事が出来た。


いよいよ「三ノ鎖」を上りきれば山頂だ、と思っていたら、「三ノ鎖」は工事中で使用不可。

迂回路は私に対する嫌がらせとして最強レベルを誇る鉄製階段。





弥山山頂には一三時一〇分に到着。前社森や鎖場の手前で随時休憩を挟んでいるとは言え、標準タイムより一〇分遅れ。





もっとも、私にとって石鎚山の山頂とは最高点である「天狗岳」のてっぺんにほかならず、弥山はただの通過点に過ぎない。ハイカーたちで賑わうそこをさっさと素通りして私は一路「天狗岳」へ。

弥山から天狗岳に至る稜線は、私の持っている古いガイドブックによれば「ナイフリッジ」と紹介されているが、私がその権限を以って正確に表現するならば、れっきとした「尾根道」だ。ただ一部だけ、崖に向かって斜めに切れ落ちた露岩部を通過しなければならず、ハイカーによっては足のすくむ思いをする事もあるだろう。





コース上、概ね稜線部にあたる「岩」の南側には巻き道が付けられている。多くのハイカー、と言うか、私が目にした全てのハイカーはそちらを歩いていたが、プロセスを重視するハイカーなら堂々と岩の上を歩こうとするだろう。必要と思われる箇所には十分過ぎるほど足場も手がかりもしっかりとある。

天狗岳(一九八ニ米)に到着した私はさっそく三脚とカメラを取り出して記念撮影だ。





南尖峰まで足を延ばして山頂を独り占めしながら昼食。二人組のハイカーがやって来たので挨拶を交わして早々に退散。


帰路はロープウェーを使わず天柱石を経由して西之川まで歩いて下るつもりで夜明峠へ。八丁方面に戻る道を分けて右に折れる道に足を踏み入れた私は三歩進んだところですぐさま引き返した。

トミーのおかげでトラウマを抱えた私にこんなヤブ道は荷が重過ぎる。





実に四.五リットルも持ち込んだ水分も全て使い果たし、暑さと階段のせいでよれよれになりながら成就社まで辿り着いた私は、たまらず売店に駆け込んで「みぞれ」味のカキ氷を注文。その美味かったことと言ったら何に例えればよいのか私にはさっぱり見当がつかない。





ただし、それまで熱中症寸前まで体温が上昇していた体にいきなりカキ氷をたらふく掻き込んだ事で、私の体温は一気に下降して肌寒さまで感じた。代謝や心臓の働きに問題のあるハイカーはたぶん私のまねをするべきでない。

どこかの国の首相のように、すぐにお腹を壊すような人々も同様だ。


充実したハイキングを終えて西条のホテルに戻った私は、早速パソコンをインターネットに接続して、どこで夕食をとるべきかのリサーチを開始した。

色々調べてみたが、地方の寂れた町ではありがちなように、どうも私をして是非訪ねてみたいと思わせるような適切な店が見つからない。

面倒くさくなった私は、たったニ九〇円でラーメンを提供しているという経営努力を意気に感じて「天風」というラーメン屋を訪問してみる事にした。

注文したのは「とんこつしょうゆラーメン」。それだけではちょっと物足りないかと「味玉(一〇〇円)」をトッピング。





それが私の手元に届けられるまで全く想定してなかったのだが、まずニ九〇円のくせに味玉が半個分はじめから乗せられてるじゃないか!

そしてニ九〇円のくせに麺は全て自家製の無添加らしい。ニ九〇円のくせに叉焼もきくらげも全く手抜きを感じない。そしてスープも申し分ない。

そのラーメンより美味いラーメンを提供する全国のラーメン屋を私はたしかに何件も知っている。だがそれをニ九〇円か少々甘く評価してもそれに近い値段で提供出来るなんて店すら、私の知る限り皆無だ!私は必ず明日の夕食にもこのラーメン屋を訪問する事を固く心に誓った。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/ラーメン天風 西条店]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




July 10, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

富士山に徹夜で登って日の出を堪能し、山小屋には泊まらずそのまま下山する「弾丸登山」が大流行しているそうだ。私も富士山の登山は 経験済み だ。あんなのろのろ登山のどこが「弾丸」だって?まぁそれはいい。

その「弾丸登山」とやらが「危険だ」という理由で当局は自粛を呼びかけているらしい。まことに馬鹿げている。

私はむしろ富士山でいま営業している各山小屋に「宿泊する」事の方を自粛するよう登山者たちに呼びかけたい。何も私の泊まった山小屋の味噌汁が四〇〇円もした事を根に持っているわけではない。その就寝環境の劣悪さで体調を崩す登山者こそ、未知の高地で「危険な」目に合わせられる人々に他ならないからだ。

世界中どこでもそうだろうが、世界遺産への登録に熱をあげる自治体の動機は「経済効果」だ、というのが私の断定的な推測だ。経済効果?深みのあるいい言葉だ。平たく言うと「金」だ。

登って降りるだけの登山者はほとんど金を落とさない。「ほとんど」と言うのは、仮に小屋には泊まらなくても、登山者たちは富士山で便所を使うときには強制的に「チップ」を徴収されるからだ。その「チップ」は登山者たちのクソや小便に富士山の美しい自然を冒涜させないための必要経費であって、誰かの利益になるものではない。

話は戻るが、「弾丸」たちは自治体の目論見通りに金を落とさない代わりに、あの山小屋の劣悪な環境がそれ以上劣悪にならない事には少しだけ貢献する。この事は誰にも否定できない動かしがたい事実だろう。私は、誰も山小屋に泊まらなければ山小屋はどんどん潰れて、跡地にもっと立派なのが建つだろうから今ある山小屋には泊まるな、とは言ってない。私は思った事を何でも口にするほど思慮の浅い人間ではない。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




June 8, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今日は「トミー」とその友人(もはや私の友人でもあるが)の三人で、八丁尾根経由の両神山ハイキングだ。明日も山に登るのでなるだけ短いコースを採りたいという「トミー」のご要望に応じて、上落合の登山口から登って、ハイカーたちには「作業道」と呼ばれている地図にも載ってない胡散臭い近道を降りる事にした。

私たちを乗せたトミーのアウディが駐車場に着いたのは九時少し前だったが、トミーが適切なスペースにバックでアウディを滑り込ませると同時に駐車場は満車になった。あと五分遅かったら、私たちの五分後にやって来たセダンのハイカーがそうしなければならなかったように、駐車スペースを求めて落石だらけのそのへんの道をうろつくはめになっていただろう。


スタートは〇九時〇五分。




登山口から八丁峠までは、標高差三五〇米をひたすら登って行くだけの退屈な道だった。私は、母親に嫌いな神父さんのいる教会に連れて行かれる子どものように半分ふてくされながら、最後尾をちんたらと登って行った。

八丁峠にたどり着いたのは〇九時五〇分。





ここから先は鎖場の連続する岩場歩きらしい。難易度がどれほどのものなのかについては様々な意見があるようだが、中には「連続する鎖場」の鎖に一度も手を触れることなく踏破するハイカーもいると言う。

面白い。私も是非そいつをやってみよう。

私はその事を二人に宣言し、まるでここまでの道のりもそうであったかのように、誰に断るでもなく当たり前のように三人の先頭に立って歩き始めた。


そして早速ひとつめの鎖場が現れたとき、私は颯爽とその岩場に取り付き、鎖に手を触れずに登っていくルートをイメージしながらものの数秒ほど考えて、それは無理だ、とトミーに宣告した。


別に弁解をするわけじゃないが、私は一〇〇パーセント安全だという確信を持てないような行動はとらない。たぶんあの鎖場だって九五パーセントの確率で、私にはクリアする事が出来たと思う。だが残りの五パーセントに当たってしまった時にもたらされる結果を考えれば、それについて見て見ぬふりをしなければならない理由なんてどこにもない。そうだろ?


正直に告白すると、私は山頂にたどり着くまでに、それを入れて四回も鎖を使った。別にいいじゃないか。それよりはるかに多くの鎖を使わずにすませた事実は私を大いに満足させた。




事前に収集した情報では、このルートの核心部は西岳から東岳に至る稜線までで、東岳までたどり着けば、あとは比較的穏やかな尾根道歩きになるらしかった。たしかに西岳と思しきピークを過ぎてからはハードな鎖場(私にとっては殆どの場合ただの「岩場」なわけだが)が連続して現れ、私たちはこのルートの「醍醐味」を十分なほど味わった。

なので行く手に私のペニスのようにそそり立つ東岳らしき岩峰が現れ、私がそれを二人に指摘したとき、私たちの全員が「もう一息だ」という安堵の表情を浮かべた。

それにしても、その最後の登攀はなかなかハードな作業になるだろうが、体力も気力もまだまだ十分イケる、楽勝だ、それに標準的なコースタイムよりもかなりいいペースでここまで来ている、私たちは本当に優秀なハイカーだ、と心の中で頷きながら歩いていたときに「西岳まで百米」と書かれた案内板を見つけた私たちは大いに混乱した。

まるで、その日のコースに十分に満足して最後にデザートとコーヒーが運ばれて来るのを待っていたら、ウェイターがやって来てジャンボステーキの皿を目の前に置いて去って行ってしまったような気分だ。つまり要約すると、私たちは「クソでも食わされた」気分になった。

標準的なコースタイムよりいいペースどころか全く仕事がはかどってなかった事に気づいた私たちは、うんざりしながら先を急いで、一一時一〇分に西岳の山頂にたどり着き、それからさっさとそこを素通りして、いよいよそこから東岳に至る「核心部」へと足を踏み入れた。


いくつかの印象に残る鎖場と同様に、このルート上の一番の難所とされているらしい「ナイフリッジ」も、西岳と東岳の間(龍頭神社の奥社付近)にあった。左側を巻いて通るハイカーのために岩の左斜面にはちょうど手すり代わりに使えるように鎖が水平に取り付けられていたが、私たちはそれには目もくれずに岩の上を歩いて渡る事にした。その方が「クールだから」。

私は後ろで待機する事になるトミーに自分のカメラを渡して、私の雄姿を撮影しておくように依頼した。トミーはとてもいい仕事をしてくれたのだが、トミーの友人はさらに素晴らしい事に、岩の上をよたよた歩いて進む私の姿を何とビデオカメラで撮影してくれていた。何てことだ!そうと知ってたら、後世まで記録として残されるに相応しいもっとスマートでカッコいい渡り方だって出来たのに!





いずれにしても実際に東岳まで辿り着いてみて分かった事は、それは慣れの問題でもあるだろうが、少なくとも私にとっては「核心部」とされている西岳から東岳に至る稜線よりも、手始めに西岳に至るまでの道のりの方がはるかにハードだった、という事だ。そしてもうひとつ、このコースはマジで「面白い!」


一二時四〇分に東岳の山頂に着いたとき、私はそこも素通りしようとしたが、二人は空腹のあまり東岳で昼食をとることを主張したので、私はベンチに荷物を下ろし、例によって「五木食品」の熊本ラーメンと具にするための生卵とベーコン、それに調理器具を取り出した。

鍋を水筒の水で満たしてバナーに火を着け、湯が沸騰したのを確認して麺を鍋に放り込んだときに、あろうことか私は箸を持って来るのを忘れた事に気づいて怒りのあまり悲鳴を上げた。

麺を鍋に放り込む前に気づいていればどうにかしようもあったろうがもう遅い。私は鍋の取っ手を外して箸の代わりにすることにした。そのスノーピーク製の鍋の取っ手は先端がL字状に曲がっていて、特製の熊本ラーメンが完成すると、私はパスタ職人のようにそのカーブに麺を引っかけては口に運んだ。その不便さと来たら、まるで道具を使うことを初めて覚えた原始人の食事じゃないか!

私はトミーがさっさとカップ麺とカップ春雨(なぜかトミーの山上での昼食はいつもその組み合わせだ)を完食して彼が使い終わった箸を快く私に寄贈するのを今か今かと待ち続けなければならなかった。





一三時ニ〇分に東岳を後にした私たちは、三〇分もしないうちに両神山の山頂までたどり着いた。その狭さで有名な山頂は一〇人ほどのハイカーで「混雑」していたが、それでも多くのハイカーが既に下山した後だったろう。

私たちはやや曇りがかっていてそれほど眺望がいいとは言いがたい山頂で一時間ほどのんびりしてから、予定通り「作業道」から下山するために入り口の方へと移動した。


「作業道」の入り口にロープが張られている事は知っていたが、そのロープをくぐって少し進むと分岐の案内板が現れて、「作業道」と書かれた板が指している方向には何重にもロープが張られたうえに、絶対に入るなと言う当局の強い意志を感じさせずにはおかない案内が表示されていて、私たちは少々困惑した。





何がどのように危険なのかは私たちには分からなかったが、たとえその道が駐車場への最良の「近道」だったとしても、その警告を真剣に受け止める事のできる良識あるハイカーなら、この道に安易に踏み入るような判断はしないだろう、と私は思った。そして私たちがその「良識あるハイカー」であるか否かを私たちはもちろん十分に理解していた。

なので、今になって私に言える事は「もしあのとき私たちがその道を使って下山していたら」駐車場まで一時間半ほどで帰りつけていただろう、という事や、「もしあのとき私たちがその道を使って下山していたら」踏み跡はそれなりに明瞭で目印のテープもいい感じで付けられていただろうから、注意深く下山していれば致命的な道迷いを犯す事はなかっただろう、という事や、「もしあのとき私たちがその道を使って下山していたら」道の整備は最低限でそれなりに険しかっただろうし、難所にはロープも付けられていたかもしれないが、少なくとも私はそれらのロープを必要としなかっただろう、という事くらいだ。

そして「もしあのとき私たちがその道を使って下山していたら」八丁尾根を往復するのとはまた違った、往きと帰りで変化に富んだ山歩きを楽しむ事が出来た「かもしれない」。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。


両神山/東岳山頂にて







May 19, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

マダニに咬まれたら皮膚科を受診しましょう、とインターネットのどこを調べても書いてある。率直に言って、既にそいつは適切に処理されビニールの袋の中で囚われの身になっているのだから、今さら私の腕を医者に見せる必要はないし、そんなのは面倒だ、というのが私の考えだったが、「面倒だ」という理由でするべき事をしないような人間は周りの人間からの尊敬を集める事はできないだろう、というのが私の基本的な価値観でもある。

私はバスに乗って、日曜日だというのに開業している感心な皮膚科医を訪問する事にした。


受付で問診票に記入するよう言われ、マダニに咬まれたと書いて渡すと、三〇分ほど待たされてから診察室に呼ばれた。

待ちうけていたのはアジアンの隅田によく似た三〇絡みの女医だった。隅田先生は開口一番「登山にでも行かれたのですか?」と聞いて来たのでイエスと答えた。隅田先生はマダニについての心得を多少お持ちのようだ。

まだついたままなのかと聞くので、見つけてすぐに除去した事を伝えると、頭や足が残ってる場合があるのでその場合は皮膚切除ですね、と早くもオペにかかる気満々のように答える。ところが私が上着を脱いでわざわざマーカーペンで丸印を付けておいた患部を見せると、拍子抜けしたように「何も残ってないようですねぇ」とおっしゃる。


隅田先生が興味を示したので、私は透明なビニールの袋の中で今も元気に這い回っているそいつの姿をお見せする事にした。頭も足も全て揃っている事を確認した隅田先生は「大丈夫のようですのでお薬だけ出しておきますね」と言った。

てっきり万一に備えて抗生物質を処方してくれるものだと早合点した私が念のために、それは何の薬か、と聞くと塗り薬だと言う。それって必要か?とは思いながら、つまり悪性の病原菌の心配はないという事でいいのですね、と念押しすると、隅田先生は、普通にこうしてお話出来ているのだから大丈夫ですよ、と言った。どうやら隅田先生は、SFTS(重症熱性血小板減少症候群)ウィルスの潜伏期間に関する正確な知識を持ち合わせていらっしゃらないようだ。


私は肩書きではなく、その人物が話す内容から私の立場が上か下かを判断するタイプの人間だ。私が何の遠慮もなくその「潜伏期間」に関する指摘をすると、隅田先生は一瞬言葉に詰まりながら、そもそも私がビニールの袋に密封してお持ちした生命体はマダニではないと「思います」とおっしゃった。隅田先生曰く、マダニはもっとサイズの大きな虫であるらしい。


マダニは取りついた相手の血を一週間近く吸い続けて肥大化する。一般論として、皮膚科を受診する患者がその気になった頃には、既にその患者に取りついているマダニは十分な栄養を吸収してそれなりのサイズに膨らんでいる事だろう。私がお持ちした状態の「マダニ」を過去に隅田先生が一度も目にした事がなかったとしても不思議はない。


賢明な人物であれば、その小さな生命体がほんの数時間の間とは言え私の腕の皮膚に頭を突っ込んでいて容易に離れない状態にあった事に大きな関心を払うべきなのだが、まぁ隅田先生と論争をして圧倒的な勝利を手にしても私には大して利益がない。それに隅田先生は皮膚病全般にある程度通じた人物ではあってもダニの専門家ではないのだから、その事も考慮してあげるべきだ。そもそも必要性を感じてないのに酔狂でのこのこやって来たつもりの私は、適当に相槌を打ってそろそろ退室する事にした。


退室際に、隅田先生はもう一度「お薬を出すので朝と夜に一度ずつ・・」と言いかけ、思い出したかのように「何でしたら今お塗りしておきますけど?」と言った。隅田先生の親切を積極的に断る理由も思いつかないので、私はそうしてもらって部屋を出た。


最後に診療明細を受け取って気づいたのだが、患者に塗り薬を塗るというただそれだけの「医療行為」によって、私自身が支払う分と、保険組合から口座に振り込まれる分を合わせると、その病院は一般的なパート労働者が二時間働いたのと同じ程度の収益を得るらしい。悪意があるにせよないにせよ、親切にされたらついありがたく思ってしまう患者心理につけ込むような「医療行為」が各地で当たり前のように行われている陰で、この国の社会福祉予算は膨張を続けている。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




May 18, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

「ヘイポー」が久しぶりに山に登りたいというので何人か誘い合わせて「高原山」へのハイキングを設定したら、前日になって「ヘイポー」から「ふくらはぎが痛くて参加できない事を申し訳なく思います」といった内容のEメールが届いた。

全くいつもながら彼らしい展開だ。


残ったメンバー五人は当日、西平岳登山口から西平岳と中岳を経て釈迦ヶ岳を目指すルートを辿った。登山口を出発したのはちょうど九時頃だった。




標高差はせいぜい七〇〇米ほどだ、とたかをくくっていたが、急登なのと、雪山を除いてこの手の山登りは半年ぶりのせいか、すぐに息があがる。

にせピークを山頂と勘違いして三〇分ほどのんびりしてから本物の西平岳山頂に辿り着いたのは一一時一五分。そこから五分ほど下ったザレ場の展望が素晴らしい。





中岳への登りも急登で、さらにちょっとした岩山の趣もある。登り下りするには楽しい山だが山頂は平凡だ。

休憩もそこそこに鞍部まで急坂を下り、笹の刈り払われた急斜面の道を登り返せば釈迦ヶ岳の山頂だ。到着時刻は一二時三〇分。

先客は一〇人ほど。言葉を交わした地元のハイカー氏によれば、三〇分ほど前まで山頂は混んでいたが皆下山してしまったらしい。実のところ一週間前にトミーに教えられるまで存在すら知らなかったが、それなりに人気の山のようだ。


高原山/釈迦ヶ岳山頂で記念撮影


ここで昼食。

登山口を目指すトミーのアウディの助手席で、コンビニで手に入れた「お徳用パック」のシュークリームを八個も平らげた私は全く腹が空いてなかったが、何も口に入れないわけにもいかないので「しぶしぶ」調理を開始する。

今日のは叉焼と卵入り。





帰路は前山経由だ。来た道をほんの少し下れば左に分岐するはずだが、ルート計画責任者のトミーは分岐が分からないので偵察してくる、と言う。

腹もこなれたところでトミーが戻って来て、分岐は見つけたがちょっと危ないルートだと言う。見に行ってみると、笹やぶの急斜面に、踏み跡に見えなくもない微かな筋が一本下の方へと延びている。


私もそれほど熱心に情報収集したわけではなかったが、はて?藪を漕いで下山したハイカーの体験談なんてあったかな?と、率直に言ってその判断を心の底からいぶかしく思いながら、とりあえず「トミー」について行ってみる事にした。その藪の斜面を下りた方向に帰路に辿るべき尾根道が見えているのは事実だし、仮にその選択が「ハズレ」だったとしても生きるか死ぬかと言ったレベルのもんでもないだろう。


結果:ハズレ。何度も足を滑らせながら笹やぶを下りて行った私たちをあざ笑うかの如く、笹やぶを横切るように正しい道が現れた事を、トミーは少しだけ申し訳なさそうな顔をしながら私たちに報告しなければならなかった。

まぁ正しい道に復帰できたわけだから結果オーライというやつだ。


前山経由の帰りのルートはよく言えば歩きやすい、違った言い方をすれば実に単調な道だった。前山あたりで分岐が現れて、一方は私たちが辿るべき林道終点(釈迦ヶ岳登山口)へと続くルート、もう一方は「のんびり」ルートである事を示す案内板が現れたが、私たちにとっては前者のルートものんびり歩くのにうってつけなコースだった。


そこからは各々のペースで下山して、一五時ちょうどには全員が「釈迦ヶ岳登山口」に集合し、そこから「西平岳登山口」まで林道を二〇分ほど歩いて戻った。途中、まるで閉じられたゲートのように倒木が林道を全て塞いでいたので、「釈迦ヶ岳登山口」まで車で行って登り始める計画だったならば、その計画は始めから躓くところだった。



「やしおの湯」に立ち寄ってから、インターネットで見かけた妙に評判のいい中華料理屋に向かい、夕食。

シュークリームと久留米ラーメンがまだ私の胃の中で完全に消化されていなかったので、「F定食」にチャレンジ出来なかった事は非常に残念だ。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/日光 翠園]


家に帰り着いてからふと洗面所の鏡を見ると、右腕の上の方に何かついてる。直接見づらい位置にあるのだが手で払っても落ちない。鏡に映してよく見てみると、どうも虫のようだ。


マダニだ・・・・。





つい最近、マダニの感染症による死亡例を新聞で見かけて、それなりに情報を収集してはいたが、こんなに早くお目にかかる事になろうとは・・・。


体長は一ミリ弱だからまだ子供だろう。尻丸出しの無防備な姿で頭だけを皮膚の下に食い込ませて束の間の食事を楽しんでいるようだ。ひとまず三脚とカメラを持って来てセルフタイマーをセットし、記念撮影だ。非常に残念なことに、その被写体はあまりにちっぽけ過ぎて、私の手持ちのカメラでは満足のいく写真が撮れなかった。

お遊びがひと段落したら、数日後に病院のベッドで泡を吹いてるような目に遭わないために、少々面倒な作業に取りかからなければならない。無理に払い落したりつまんだりして頭がちぎれて皮膚の下に残りでもしたら厄介だ。まず教科書通り、麺棒と消毒用のオキシドールを用意する。麺棒にオキシドールを浸して二、三分つついてみたが全く取れる気配がない。

次に脱脂綿にポビドンヨード(うがい薬の原液)を浸して二分ほど被せてみたが、これも効き目がないようだ。皮膚切除が脳裏にちらつき始めたが、さらにしつこくオキシドールを浸した麺棒でつついてやると、今度は足をバタつかせ始めた。


さらに根気よく、女性の性感帯を刺激してあげるように、やさしくやさしく麺棒でいじってるうちにそいつはポロリと取れた。インターネットでより詳しく情報を集めてみると、マダニは笹やぶに隠れるのが大好きで、しかも「けもの道」で飛び移るべき相手を待ち伏せするのが得意らしい。それってトミーが誤って私を誘い入れたまさにあそこの事じゃないか!


もっともマダニに咬まれた事で重篤な症状を引き起こすのは、そのマダニがいくつかの悪質なウィルスの「保菌者」であるケースのみだ。保菌率についての正確なデータはないようだが、症例数で判断する限り、見知らぬ女性と一夜を共にして陰部にカビを伝染される確率よりはるかに低いだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。


高原山/西平岳山頂直下のザレ場にて







May 9, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今年二回目の山行は、例によってトミーの発案で「立山」だ。昨日から一泊二日の旅程だった。

「行き先」以外の全てを計画するのは私の仕事で、日取りを決めたのは日曜日だ。私のような駆け出しのハイカーでも、気象庁のウェブサイトに掲載される天気図をまめにチェックする癖をつければ、「ハズレ」の日に出かけない事はそう難しいことではない。

連休中は私が許容し難いレベルで賑わっていたようだが、少しだけ日をずらしてやれば、扇沢からバスに乗ったのは私たちのほかに僅か五人ほどだった。日本人の休暇取得率はなかなか上がらないと言われているが、悪くない事だ。




室堂には多少の観光客がうろついていたが、その数は控えめで私が不愉快になるようなレベルではなかった。天候も申し分ない。





夕焼けに映える飛行機雲。




宿泊先は「みくりが池温泉」。

「板前さんが腕を振るう」山小屋とは思えない夕食が供され、女性の宿泊客にとても評判らしい。個人的にはシンプルにカレーライスでかまわないんだが、まぁこれはこれで良しとしよう。





朝は四時三〇分に起床。朝日を浴びる奥大日岳を堪能する。





朝食を終えて準備を終えたらスノーシューを履いていよいよ出発だ。時刻は八時を少し過ぎた頃だった。稜線右端のピークが目指す雄山。

トミーはその後、稜線を真砂岳手前まで(つまり画像の稜線を左方向に)歩いて大走り経由で下山するコースを主張しているが、私はコースタイムを考えると半信半疑だ。





今回、初めて実戦投入した MSR 製の「Denali Evo Ascent」はアメリカの海軍特殊部隊でも採用されているスノーシューだ。それって私のようなスノーシューの良し悪しなんてよく分からないベイビーな雪山ハイカーにとっては、その選定にあたってとりわけ重要な意味を持つ情報だ。

つまり「カッコイイ」。





一の越にたどり着いたのが一〇時少し前。ニ〇人ほどのハイカーが寛いでいた。

後立山連峰の眺めが素晴らしい。





雄山への登り斜面。





ここで私はアイゼンに履き換えヘルメットをかぶる。なぜわざわざヘルメットをかぶるかと言えば、恐らくいまこの場にいるハイカーの中で、私が最も雪山登りの下手くそな滑落予備軍だからだ。

見た目は却っていっちょ前になった。





トミーは経験済みだが、私はアイゼンを自宅のベランダではなく山で実際に装着するのは初めての経験だ。案の定もたついてしまったので、出発できたのは一〇時半過ぎ。


雄山と言えば、室堂までやって来た軽率な観光客がつい軽い気持ちで登ってしまうようなイメージの山だが、傾斜や高度感は「高尾山」とは次元が違う。

左の方に小さく写っているのがホテル立山(室堂ターミナル)の建物だと言えば、私の言わんとする事が多少は伝わるだろうか。

後ろは大日連峰。





実戦初投入の Black Diamond 製「SERAC STRAP」は、四の越に辿り着くまでの登りの急斜面で実に三度も踵が抜けてしまったので、私はその度に腰を下ろせるような岩場までピッケルを頼りに這うように移動して、それを着け直さなければならなかった。

別に Black Diamond 社の設計者が悪いわけではない。ただでさえアイゼンはそれを着けるシューズを選ぶもんだってのに、彼らはまさか自分たちの設計したアイゼンを、冬山用ブーツの出費をケチってニ〇ドル足らずのオーバーブーツ越しに着けて雪と岩に覆われた急斜面を登る新米ハイカーがいるなんて想定すらしていなかっただろう。

四回目にそれを着け直したとき、私はどうやっても踵が抜けないような独創的なストラップ回しを思いついたので、私は二度と舌打ちしながら右足を引きずって(なぜか左は一度も外れなかった)雪の積もった急斜面をピッケル片手に這い回るような目に合う事はなかった。


四の越で少しばかりの休憩。相変わらず息を飲まずにはいられない後立山連峰の絶景。





四の越からはまた急斜面。結局、ようやく山頂にたどり着いたのが一二時ニ〇分。


早速、昼食。小屋で水筒に水を補充し忘れた事に気づいた私は、慌てずに雪を掴んで鍋に放り込み調理を開始する。メニューは「スグオイシースゴクオイシー」あれ。※卵入り





完成。





雪を沸かしてこさえたその素晴らしい昼食は最後の方でジャリジャリした食感を経験しなければならなかったが、まぁ貝汁みたいなもんだと思えば何も問題はない。


昼食も終わって山頂の景色も十分に堪能し、さぁ、行動再開、となった頃には一三時半を過ぎていたのでトミーの希望していたルート計画はもちろんお流れ。

と言っても、仮に私が初めて着けるアイゼンのために、登り斜面であれほど無様に時間を浪費していなかったとしても、私たちがそのルート計画を実践に移す事はなかっただろう。

いつだってより難しいコースへの挑戦を忘れないタフな男トミーは大汝山方面に向かう下りの斜面を一目見た途端「無理です」と言い放った!





来た道を一の越まで下りてアイゼンを外し、いよいよお待ちかねの「尻すべり」の時間だ。映像はトミー提供。





雪質の問題か、私の荷物が重過ぎた(それは出発前に計ったら丁度 20kg あった。そのうちいくらかは腹に入れて減らした)ためかは分からないが、私が五〇〇円で手に入れたチリトリ状のクールな乗り物は、持てるポテンシャルの半分も発揮できなかった。いつかの「漁岳」のように、条件さえ揃えば、その乗り物は映像よりはるかに高速で楽しい雪面滑降を私たちに体験させてくれる。


もっとも「スピードが出ない」ことなんて大した問題ではなかった。何がその理由であったにせよ、そのさき一度だって、私が「amazon」で購入したそのチリトリ状の乗り物が私を乗せて雪面を滑り降りる事はなかった。私が程度のよさげな斜面の手前で、それのうえに尻を下ろしてひょいっと足を上げても、それはぴくりとも動かなかった。ターミナルまでの帰り道の半分以上をそれに乗って颯爽と滑り降りる想定だった私は品のよくない罵り声をあげた。


もちろん、こんな事なら始めからスノーシューを履いておくべきだった、と私が思い至ったのは全ての斜面を限りなく 20kg に近い荷物を背負って「ツボ足」で下りきった後の話だ。何たることだ。楽しいハイキングの最後の最後にボッカの真似ごとをさせられるとは!


扇沢まで戻って「薬師の湯」に立ち寄ってから松本に移動し、最後は信州名物の馬肉料理で〆る。もちろん勘定は、雄山の登りで粗相をはたらきトミーの時間をいくらか無駄に浪費させてしまった私が全額「自発的に」支払った。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/三河屋]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




February 16, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

「トミー」に誘われて那須の茶臼岳に行って来た。天気予報では気温が氷点下一〇〜一五度、一日中、風速 25m/s の風が吹き荒れるとあったが、そんな事で私たちの計画は覆らない。





もっとも私の目的は、手に入れてから一年近く部屋の隅で埃をかぶっていたピッケルを使ってみることだ。私は雪の斜面でわざと転んで雪面にピックをザクザクつき刺して楽しんだが、はなから山頂に行けるとは思っていなかった。

トミーはあくまで可能なようなら山頂を目指すつもりだったようだ。全くタフな男だが、森林限界の少し手前でいよいよホワイトアウトして来たときに、私が同道を丁重にお断りした。自分たちのつけた踏み跡がみるみる風で消されて行くのを目の当たりにしたからだ。





予想に反して、風や雪には全く脅威を感じなかった。私たちが身につけている防寒ウェアは総じて優秀だった。もっと些細な事で、たとえば昼食のラーメンを作るときに手がかじかんで箸がうまく使えない、とか、食事のために目出帽を取った途端に耳が凍るとか、実際に現場に行ってみないと分からないようないくつかの教訓を得て私たちは茶臼岳を後にした。

何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。





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