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ぷしろぐ >> 登山編
【 カ テ ゴ リ 】


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September 21, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

昨日、九州に於ける初めてのハイキングで散々な目にあった私がホテルに戻ってインターネット上の気象情報のサイトにアクセスすると、今日の予報がそれまでより少しばかりいい方向に変わっていた。あれこれ考えた末、私は明日に予定していた祖母山へのハイキングを明後日に延期して、今日もう一度「大崩山」の山頂を目指してみる事にした!

私のガイドブックにある、九州では大崩山に登って初めて一人前のハイカーだ、なんてフレーズがそこまで私を駆り立てたと言ってもいいだろう。だいたい延岡なんて辺鄙な街に上陸するのは私の人生の中でもこれで最後かもしれない。何としても今日こそ大崩山の山頂に立たなければ!


昨日の失敗を教訓に、食糧や飲物は前日のうちに用意して車に積み込み、万一に備えて昨日より二時間も早起きをした私が登山口に着いたのは八時過ぎの事だった。つまり私は、九州の独特な山岳事情のおかげで昨日のようなひどい目にあっても次善の策がとれるように、一〇時間程度の行動時間を確保して今日の大崩山ハイキングに臨んだってわけだ。そいつは、ある意味忌まわしい九州の独特な山岳事情に対する私なりの精一杯の敬意の表し方でもあった。

登山口前の車道に車を停めていると、ちょうど四人の若者が登山口から歩き始めるところだった。それほど山慣れた感じには見えなかったが、大崩山に挑戦しようというその意気込みが素晴らしいじゃないか。私が一声かけると、彼らは礼儀正しくそれに応えて山道を登って行った。


〇八時三〇分に登山口を出発した私は一〇分ほど歩いたところで一人の若いハイカーとすれ違った。何だってこんな時間に登山口の方に戻ってるんだ?私が事情を尋ねると、若いハイカーは「忘れ物をしてしまった」と言い、「全く最悪ですよ!」と半分泣きそうな表情で答えた。

まぁそれは全て本人が悪いのだが、それにしても私もそうだし昨日この辺りですれ違った二人組もそうだが、本当にこの大崩山って山には邪悪な神か何かが住んでいて、そこを訪れるハイカーに試練を与えては一人でにやにや喜んでいるのではないか、と思わずにはいられない程、誰もがスムーズに山頂に辿り着けないでいるようだった。


山荘前を〇八時五五分に通過、渡渉点には〇九時ニ〇分に到着。

渡渉点には例の若者四人組がたむろしていた。ひょっとしたら三人だったかな?例の「うっかりハイカー」が大事な忘れ物を持って戻って来るのを待っていたのかもしれない。とにかく彼らは沢を渡る事に全く関心がないようだった。

悪いが私には時間がない。また昨日のような目に合わない保証はどこにもないからな。若者たちに軽く会釈だけした私は、昨日そうしたようにロープの垂れた対岸の岩にさっさと取り付こうとして沢を覗き込み、困惑した。

昨晩の雨のせいだろう、昨日より明らかに水位が上がっている。昨日は何の苦もなく渡ったはずのポイントの水面からは、いかにもそいつに足を乗せたが最後、つるりと足を滑らせてしまいそうなスベスベ岩がちょこんと顔を出していて、そいつを踏み台に無事に渡れればいいのだが、間違って足を滑らせちまったら全く困った事態になりそうだ。

とは言っても他に安全な渡渉ポイントはないように見える。暫く思案した私は、私が一歩目を踏み出す安全な足場を構築するために、その辺にある手で運べる範囲で大きめの石を次々に渡渉ポイントに投げ入れるという作業を開始した。私が間違いなく安全に渡る事ができると判断を下すまで、私は一〇分近くも延々とそのくだらない作業に従事する羽目になった。


若者たちの何人かは私の作業の様子を何かを期待しながら遠巻きに観察しているようだった。後にして思えば、彼らは「うっかりハイカー」の仲間でも何でもなくて、ただ単に沢を渡る事が出来ずにその場に停滞していただけだったかもしれない。でもそいつは私にとってはどうでもいい事だ。ただひとつだけ、一〇分近くの貴重な時間を私がそこで浪費した、という事実は、やはりどこかに隠れているに違いない「邪悪な神」に対する、私の対決心を煽るのに十分だった。


〇九時五五分、昨日、私が致命的なミスを犯した「運命の分岐案内」を通過。





一〇時を少し過ぎた頃に雨がパラつき始めた。天気予報では昼過ぎまでは持つはずだったが少し早い。

大して雨足が強まる気配はなく、「様子見」の判断をして特に何の対処もせずにそのまま歩いていると、前方にカップルのハイカーが現れた。四〇代半ば位の夫婦だろうか、慌ててバックパックからレインウェアを取り出しているようだ。男の方が何となくアップル創設者のスティーブ・ジョブに似ていたので、私は勝手に彼らの事を「スティーブ夫妻」と命名した。夫妻は後ろから近づく私に気づいてすぐに道を開けてくれた。


ありがたく先を行かせてもらった私だったが、結局、雨足が少しばかり強くなって来たのでパックにカバーだけでもかけておくために立ち止まった。すると早くもスティーブ夫妻が私に追いついたので今度は私が夫妻にそそくさと道を譲らければならなかったが、歩き出すとすぐに私はスティーブ夫妻に追いついた。


結局、一〇時五〇分、私が先に袖ダキに到着。昨日とは打って変わって何も見えない。





軽くおにぎりなど頬張っていたら、五分ほどでスティーブ夫妻が到着。昨日一度は景色を堪能している私と違って初めて訪れた夫妻は何も景色が見えない事をぼやいた。

聞けば夫妻は福岡から日帰りの予定で高速を飛ばしてやって来たらしい。行きの渡渉点に橋がない事を不思議がっていた事から推測する限り、夫妻はかなり古い情報を元に大崩山ハイキングに挑戦しているようだった。

雨のせいで増水して帰りは渡渉出来ないのではないかとしきりに心配しながら、彼らは私を置いて出発した。


私は一一時ちょうどに出発。まず現れる案内板。





この板の言う事は嘘っぱちだ。黄色とか白のテープも追いかけないと正解のルートにたどり着く事は出来ない。

ニ〇分ほど歩いて私はついにスティーブ夫妻の後姿を捉えたが、彼らは「下和久塚」と近道の分岐を近道側に進路をとった。





「和久塚」にわざわざ登ってもろくに景色すら見えないので山頂への到達を優先する事にしたのだろうか。賢明な判断じゃないか。私はもちろん「賢明ではない」方へ。


ハシゴ登りから始まる「下和久塚」へのコースには随所にロープが現れる。足場なんてないツルツルの岩をよじ登るためのロープだ。





目の前に立ちはだかる元々ツルツルなうえに雨にまで濡れてる巨岩をこんな頼りないロープに掴まってよじ登るなんて生まれて初めての経験だ。始めは「おいおい、冗談じゃねぇぜ」と思ったが、実際にロープに取り付いて色々やってみるうちに、接地面積を最大化出来るように常に靴底を岩の表面に対してフラットに置く事を心がけていればスリップの心配はない事を私は学習した。


そこから先、無数に現れる雨に濡れた岩の難所にぶつぶつ文句を言いながら下和久塚のてっぺんと思しき地点と中和久塚のてっぺんと思しき地点をほぼ素通りして(何も景色が見えないからだ!)上和久塚の取っ付き地点にようやくたどり着いたのが一二時ニ五分。

もっともそこにたどり着いたとき、私はすぐにその場所が上和久塚の取っ付き地点だと気づいたわけではなかった。上和久塚と思しき岩峰が左手にあるのにそいつに登る方法が分からなくてきょろきょろしながら歩いていたとき、私はまず例によって何と書いてるあるのかちっとも分からない案内板をコース脇に見つけて立ち止まった。





何と書いてあるのかはまるで分からないが、この山ではどんなに小さなサインであっても決して軽んじてはならない事を私はもう知っている。こいつはこいつで何か意味があるに違いない。私はすぐさま周辺の捜索にとりかかった。

案の定、私の後方、それまで左手に見ていた岩峰のコースから見て裏側の地面に、もう一枚の案内板がポトンと落ちているのを発見。





全くどこまでも余計な頭を使わせる山道だな。またひとつパズルを解いて頭のキレるところを大崩山の神に見せつけてやった私は早速、前半戦最後の難所「上和久塚」に取っ付いた。


岩と岩の隙間を縫うように登っていった私を迎えてくれた、例によって真っ白な展望。





五分ほど休憩して下まで降りると例の若手ハイカーたちがいた。彼らもスティーブ夫妻同様「近道」ルートを辿ってここまでやって来たらしかった。だが私の遥か前方を歩いていると思われる夫妻と違って彼らは私よりもかなり遅いペースで移動していた。

この時点で既に一三時近くだ。私は彼らに別れを告げて先を急ぎながら、はたして彼らが彼らのペースで日没までに下山出来るのか気になった。


五分ほどで「りんどうの丘」の分岐に到着。





ここからちっとも面白くない山道歩きが始まる。まずガレ道。





退屈な山道。この辺りで帰りを急ぐスティーブ夫妻と遭遇。山頂は近いようだ。





スズ竹の藪。たまに道に覆いかぶさるように生えてるやつがいてムカつく。





一三時四五分、ようやく山頂に到着。

噂には聞いていたが山頂自体はまるで面白みがない。





おにぎりを頬張って記念撮影を済ませてから早速下山にとりかかる。一四時ちょうどに山頂を出発。

坊主尾根方面への分岐までは山頂から引き返してニ〇分ほどで着く。崩壊した案内板。





一五分ほど歩くとさらにもうひとつ。ちょっとふざけてるとしか思えない和久塚コースと違って至れり尽くせりだ。





さらに一五分ほど行くと「小積ダキ」との分岐。





この時点で「小積ダキ」が正しいのか「小積タギ」が正しいのかも知らないし、そもそもそれが何なのかを分かってない私はそいつを無視して坊主尾根方面へ。次に行く事があったら何としても「小積ダキ」には立ち寄らなければ!


かなり濃い笹ヤブに心底ムカつきながら一五分ほど歩くと「カラビナ推奨」の例の岩場に。





もちろんその手順は省略して手でワイヤーを掴む。

登り下りと同様に横切るときも靴底を岩の表面にフラットに置く事を心がけてさえいればまず安全だ。


何段かのハシゴを下りつつ少し進むと、またツルツル岩にロープ。そろそろうんざりだ。





崖の下が見えて高度感を味わう事が出来れば少しはスリルを楽しめるんだろうが、見渡す限り真っ白いガスしか見えないので、今となってはただ前に進むために淡々とやるべき事をこなしているだけの感じだ。

そんな私の退屈な心の叫びに応えて下さるかのように、大崩山の神は、私が松の木の根元までロープをよじ登ったときに恐ろしい二匹の巨大なスズメバチを私の周りによこしてくれた。もっとうんざりだ。


飛び回る神の使者を適当にやり過ごしてからさらに進むとロープの先にちょこんと下りのハシゴが見えて来た。私のガイドブックに、ロープからハシゴに移らなければならない岩場があって、そこが坊主尾根の「核心部」だと書いてあったがたぶんそれだろう。





ガイドブックにはロープで確保してもらうのが望ましいとまで書かれていたので、どれだけの難所なのかと内心ビビってたんだが、とにかく下の様子が見えないのでちっとも恐怖心が沸かない。私はその「核心部」も淡々と処理するしかなかった。

下から見るとこんな感じだ。





ハシゴが岩にべったりくっついているので、ハシゴにかけた足が爪先立ちになってしまう点には注意が必要だ。


そこからさらに岩と岩の間をくぐり抜け、ハシゴを下り、ロープを頼りに岩を下っていくと、橋と共にまた現れるワイヤー。





あまりにもロープとワイヤーが多すぎて私のグローブに穴があいてしまった。


そこから五分も歩かないうちに見えて来た、坊主尾根の名前の由来になったとされる通称「坊主岩」。ガイドブックには「米岩」と書かれていたが同じものらしい。





この時点でほぼ一六時。その後は私の感覚が麻痺している事もあって、特に印象深い難所もなく一六時ニ五分、林道分岐に到着。

そこからいよいよ本格的な下りが始まる。





三〇分も下ると沢が見えてくる。やっと帰りの渡渉点か、と安心するのはまだ早い。見えて来た沢が祝子川(ほうりがわ)の本流と合流する地点が渡渉点だ。

沢沿いの木々には、まだ沢を渡らずにこっちへ来い、という強いメッセージ性を感じさせるテープが大量にぶら下げられている。それを頼りになかなか現れない渡渉点にブツブツ文句を言いながら私がようやくそこにたどり着いたのは一七時ちょうどの事だった。





やりやれ、どうやら日没までには登山口に帰り着く事が出来そうだ。一安心した私は急に尿意を催したが、そこで私がどのような行動に出たかなんて誰も知る必要はない。


記念撮影などしながらそこでニ〇分ほどゆっくり過ごしてから、私は沢を渡った。

スティーブ夫妻が気にしていたそこの水位はまるで問題なかったが、仮に少々水位が上がって飛び石伝いにそこを渡る事が出来なかったとしてもちっとも構わなかった。私のシューズは水の中をじゃぶじゃぶ歩いても気にならないほどに、とっくに雨や汗のせいでずぶ濡れになっていた。


私がそこを出発してから実に九時間半ぶりに登山口に帰りついたのは一八時少し前の事だった。既にそこに車は一台もなく、スティーブ夫妻はもちろんのこと、例の若者四人組ですら私を置いてさっさと帰ってしまったようだった。

その頃には登山道はとっくに薄暗くなっていて、その事は昨日、一〇時一五分なんてふざけた時間に歩き始めた私が、もし道に迷う事なく山頂を目指してずんずん前に進んで行ってしまっていたならば、日没までに下山できずに真っ暗な山の中で野宿をする羽目になっていた事を意味していた。八海山でも似たような事があったな。結局、どうも私は山々の神に気に入られているようだった。


私の当初の計画は一日遅れで無事に達成された。雨のせいで何の景色も見えなかったそのハイキングに不満を感じるか、雨という悪条件にも関わらずそこを踏破した事に意義を見出すかはそのハイカー次第だ。早く風呂に入りたくてホテルへと車を飛ばしながら、少なくともこの山には後者を選択するだけの価値が十分にある、と私は思った。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 20, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

私の手元にある九州地方の山岳ガイドブックに「九州ではこの山に登って初めて一人前のハイカーだ」なんて洒落た事が書いてある「大崩山」を前にして、私がそいつを素通りするわけがない。延岡駅前のホテルを出発した私は登山口目指してレンタカーをかっ飛ばしたんだが、いきなり私の計画にケチがついた。


延岡駅前から三〇キロメートル弱のところにある登山口まで一件たりとてコンビニがないという事実は衝撃的だ。山間のホテルからの道のりじゃない。駅前のホテルだぜ?そこを出発して五分も走ると住宅街を抜けて川沿いの田舎道に入る。いやな予感がしたがそのまま車を走らせてしまった私はすぐに後悔した。


結局、駅前まで戻ってコンビニで食糧を調達した私は三〇分以上の時間を無駄にした。登山口に着いたのはほぼ一〇時ちょうどの事だった。登山口前の車道には既に五台ほどの車が停められていた。ほぅ、みんな頑張ってるじゃないか。

準備を済ませて一〇時一五分に出発。登山道の入り口には、よくあるヘボハイカー向けのものとはまるで次元の違う親切な警告の書置き。





ガイドブックによれば、三つの「和久塚」を経由して山頂を目指し、帰路は「坊主尾根」を下る王道コースの標準所要時間は八時間といったところだ。八海山で少々「日没時刻」に関する見通しの甘さを反省する羽目になった私だったが、まぁ仮にも九州なんだから一八時までに下山出来れば全く問題はないだろう。

途中、夫婦と思しき二人組の老ハイカーとすれ違う。まさかもう山頂まで行って帰って来たわけではないだろうから、実際に歩いてはみたものの自分たちのスキル不足を痛感して引き返して来たのかもしれない。いいねぇ、そういう実力者向けコースのハイキングは大好きだ。


大崩山荘前を一〇時四五分に通過。いい調子だ。





小屋前の坊主尾根との分岐を見送って和久塚方面を目指す。分岐の案内板には「三里河原」と書かれてある方角だ。


この山の登山道は、つるつるの岩の上を平気で歩かせる傾向がある。たまに谷側に傾斜していたりして、雨で濡れているときには絶対にその上を歩きたくないようなやつもある。





一一時〇五分に和久塚への分岐に着く。祝子川(ほうりがわ)の渡渉ポイントがすぐに現れる。

渡渉ポイントの全景。





つまりこの水に濡れたツルツル岩を渡って向こう岸の岩に垂れてるロープに取っ付けという事らしい。





そいつは不可能ではないだろうが、もう少しハイカーに親切な渡らせ方が出来ないものだろうか。


その先は概ね木の枝にぶら下げられたテープを目印に進む。踏み跡は必ずしも一本に統一されてないので、私は注意深くテープを探して、それに忠実に進む事を心がけた。


渡渉してからニ〇分ほど歩いたところで、私は珍しい案内板を見つけた。





何かの際には岩の下にでも潜ってろという事らしい。どうも九州の登山事情というのはこれまで私が経験して来たそれとは若干ズレているように感じる。


もう少し行くと、今度はこんな案内板。





読めない。

たぶん「山頂」という文字と左を指す矢印がうっすらと見えるような気はするが、率直に言って案内板としての役目をまるで果たしてない。右側は岩に阻まれて行き止まりで左側に踏み跡があるからいいようなものの、この山は本当に私がこれまで経験して来た山々の中でもとりわけハイカーに対する思いやりに欠けた山だ。


少し歩くと左手に巨大な滑り台のような岩が現れた。この「滑り台」は沢の一部になっていて、その上を水が流れている。





さすがにあの上を歩かせられちゃたまらないぜ!とか何とか思いながら、引き続きテープを目印に進む。


どんどん道が荒れて来る。





う〜ん、やはり九州の山ってのは一味違う。相変わらず要所にはぶら下げられているテープを目印に、どうもさっきから私にまとわり付き始めたように思えるスズメバチの羽音を気にしながら進んでいたとき、突然耳元で「ブオッ」という、これまで耳にした事のないような低音の羽音がしたような気がして、私は思わず「ホワット(何だ)!?」と叫んでそっちを見た。

それは昆虫やその他の動物の羽音でもなければ私の耳元で発せられたものでもなかった。私の目線の先、一五メートル程向こうに、たぶん私の姿に身の危険を感じて大慌てで逃走を図る二匹の子連れの母イノシシの姿があった。あれは羽音ではなくて、母イノシシがかわいい子どもたちに向けて発した警戒音だったのだ!ハイキングコースに野生のイノシシだって!?おいおい、九州の山ってのはちょっとヤバ過ぎるぜ!


さらに進むと、巨大な岩峰に両側を挟まれた枯れた沢底にたどり着いた。先の方にいくつものテープがぶら下げられてるのがはっきりと見える。うひゃー、今度はこいつを登って行くのかい?





結論から言えば、私は通常なら「何かおかしい」と気づかなければならない事態に陥っても、それは九州の山がそもそもおかしいのだ、と勝手な推測をしたばかりに、それに気づくまでに少しばかり時間をかけ過ぎた。その沢底を一〇分ほど登った私はついに岩峰に行く手を遮られた。





間違いなくテープはぶら下がってるが、何度見てもその先は行き止まりだ。この沢底はそもそもハイキングコースなんかじゃないと判断せざるを得ない。

登りにかけたのと同じ位の時間をかけて下って沢底のスタート地点に戻ってみると、全く違う方角にぶら下がってるテープが目についた。何だ?あっちが正解か?ニセのテープをぶら下げて置くなんてマジでふざけた山だな。私は正解のテープの方向へと歩き始めた。


いやいや、そいつも正解でも何でもなかった。途中でそれ以上テープを見つけられなくなったばかりか踏み跡らしきものすらまるで見当たらなくなった。地図を取り出して今さらながら周りの地形から現在地を判断しようかと試みてみたが、まるでちんぷんかんぷんだ。

くそっ!登山道なんてものは全国どこでもテープを信頼すればそれでいいと思っていたが考えが甘かったようだ。時刻は一二時五〇分。正しい道に復帰する事が出来ても日没までに山頂に行ってさらに帰って来るのはさすがに不可能だろう。この山は是非一度踏破してみたかったんだが仕方がない。男は諦めが肝心だ。


そうは言っても日没までにはまだ時間がある。落ち着いて行動すれば少なくともどこかのマヌケなハイカーみたいに真っ暗な山中で計画外の野宿をするような羽目にはならないだろう。そこまで切羽詰った状況なんかじゃないさ。私は少しばかり後ろ髪を引かれる思いをしつつ山頂踏破の計画を放棄する事を決断し、私がこれまで目印にして来たテープと、それから私が今日つけてやったばかりのほやほやの足跡を頼りに下山を開始する事にした。


結局、正しい登山道らしきものに復帰できたのはそれから三〇分後の事だった。行きでは見かけなかった山頂の方向を明確に示す案内板を見つけた私はとりあえず、どこかの救援組織に探し回ってもらって助けて頂くような、ハイカーとしてとんだ「恥晒し」に合う危機を脱した事は理解した。





そのままふてくされてホテルに帰ってもよかったが、まだ行動できる時間はあり余ってる。何年後の事になるか分からないが、次に来た時のためにもう少し先まで行ってコースを偵察しておくか。

袖ダキという名前の展望所までなら一時間足らずで行けそうだと踏んだ私は、そいつを目指して正しいコースを歩き始めた。そこから先は、私が迷い込んだ謎のエリアとさほど変わらないくらい荒れた山道がところどころに現れたものの、テープと踏み跡をしっかり追跡していけば迷いそうなポイントはなかった。

五〇分ほど歩いて「袖ダキ」と書かれた案内板を発見。





ロープを掴んで岩を登ると、花崗岩で生成されていると言う、ガイドブックに写真で載っていたのと全く同じ岩峰の姿が視界に飛び込んできた。こいつはなかなかの奇観じゃないか!





私は袖ダキで遅めのランチを貪りながらそこでの見晴らしを堪能し、ニ〇分後には帰路についた。


結局、私が何を間違えて山頂踏破の計画を台無しにされてしまったのかは帰路で判明した。私は、案内板の表示が読み取れないと思った時でも、目を皿のようにして案内板を凝視しなければならない事を学習した。

矢印らしきマークの左側の先っぽが尖がってるからって、そっちが進むべき方向とは限らないって事もだ!





もちろん、たとえ「右側は岩に阻まれて行き止まり」に見えたとしてもそれは変わらない。





そしていくら左側に踏み跡があったって、それは私と同じような目に合った悲劇のハイカーたちが残していったものかもしれないって事も忘れてはならない。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 14, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

九月も後半になればアルプス界隈をうろちょろするハイカーが少なくなって来る頃合いだ。山小屋だって適度に空いてるだろう。私は来月のどこかで西穂高岳にでも登らないか?とトミーに連絡をとった。

トミーは快諾したが、何でもトミーは六月のある日、バトミントンを楽しんでる最中に足首を捻挫してしまって暫く山に登ってないらしい。そこで私たちはトミーのリハビリがてら、以前からトミーがそこに登る事を切望していた新潟の「八海山」に日帰りのハイキングに出かける事にした。


一般的なハイカーなら、ロープウェーで尾根まで登って八つ峰を往復するだけの「楽ちんな」コースを歩こうとするだろうが、そんなのは私たちのような「健脚」ハイカーにはちっともふさわしくない。私はトミーに「鎖場」がそこら中に現れるという屏風道を一五〇〇米ほど登り切って千本檜小屋まで行き、そこから八つ峰を縦走して新開道を下る「一一時間コース」のハイキングを提案した。

だいたいトミーが「八海山」に魅力を感じたきっかけは八つ峰コースに連続すると言われる「鎖場」だったので、もちろんトミーは私の予想通り、屏風道コースの概要に気分を良くしたようだったが、そのコースの標準コースタイムを知ると、暗くなる前に下山できるのかを訝った。私は一九時まで山道を徘徊していた私の最近のいくつかのハイキングの例を引き合いに出して、それは全く問題ない、と言い切った。そして私たちは朝の七時三〇分には登山口の駐車場に到着した。

駐車場には四台の「先客」がいた。土曜日なのにたった四台だ。しかも何台かは、その持ち主が千本檜小屋に泊まるために前日からそこに停められてる車かもしれない。どれだけ一般的なハイカーに敬遠されるか、或いは存在すら知られていない「通好みの」ルートなのかが分かるってもんだ。そうだろ?


屏風道コースはその途中にトイレがひとつも設置されてない事を知っていた私は、駐車場の然るべき一角の藪に向けて放尿を済ませた。それを見たからかどうかは知らないが、トミーも駐車場の入り口の方へ行って放尿を始めた。

すると突然、老人を満載したハイエースが駐車場に進入して来たので、トミーのご自慢のペニスは何人かの老人の好奇の目線に晒される羽目になった。教訓:放尿する場所と方向はあらゆる事態を想定して慎重に選ばなければ。


私たちは〇七時五〇分、「2合目」と書かれた案内板のある屏風道コース入り口から、私を先頭に山頂へと移動を開始した。





スタートしてすぐ最初の渡渉点が現れる。水位にはまるで問題がないので、残念な事に、増水時に備えて設置されてある立派な「渡し籠」の出番はない。





そこから先は普段からあまり人が歩かないからだろう、トカゲやヘビがそこら中を這い回る少々エキセントリックな山道だ。トミーは早速トカゲを一匹捕まえて嫌がらせを始めた。

ところどころ藪も濃くて、タンクトップで歩いていた私の腕が何かの葉っぱに触れた途端、激痛が走った。たぶん毛虫にでもやられたんだろう。このコースは色んな意味でなかなか手ごわい。


その後も何度か渡渉を繰り返しつつ、清滝小屋には〇八時五五分に到着。





清滝小屋は登山道から少し外れていて山頂を目指すだけなら立ち寄る必要はないが、小屋の前を通り過ぎて少し行くと、私のお目当ての「水場」がある。





水を汲み終えて登山道に戻ろうとすると四人組の老ハイカーがやって来て私とすれ違った。おや?彼らはあのトミーの神々しいチンポを拝む幸運に恵まれた例のハイエースの人々じゃないのか?ハイエースには七、八人は乗ってた気がしたが、残りはどこに行ったんだ?

私は彼らをやり過ごし、それからトミーが彼らをやり過ごして私に追いついて来るのを待った。トミーは彼らと少し会話をしていたようだったので、残りの人々がどこにいるのかを聞き出せたのかと思ったのだが、トミーが彼らから得た情報とは、彼らは清滝小屋への道を「登山道」だと思って間違って進んで来てしまった事だけだった。

随分と事前の情報収集の甘い連中だな、と私は思ったが、それにしてもあの場で彼らとすれ違ったという事実は、彼らは私たちと同じか、或いはそれよりも少し速いスピードであそこまで歩いて来た事をも意味していた。何てこった!あの爺さん婆さんたち、全くタダもんじゃねぇぜ。


ところで清滝小屋が登山道から外れている事実は事前に把握していた私だったが、では山頂へと続く道がどこにあるのかはその時点では把握してなかった。来た道を戻りつつ付近にあるはずの分岐を注意深く探していたら、ハイカーたちの死角を突くように、ほぼコースから「直角に」左折(清滝小屋側からは右折)する分岐があった。もちろん案内板のようなものは何もない。これじゃあ誰だって気づかないで用もないのに清滝小屋まで歩いて行っちまうんじゃないのかい?

要するに当局のこのコースの整備担当者は、本当に最低限の整備しかしていない。それは経験値の浅いハイカーの目には、とんでもなく不親切なことのように映るだろう。刺激や緊張感を求めるタイプのハイカーの目にはさぞ魅力的なコースに映るに違いない。


分岐を折れて一〇分もしないうちに最初の「鎖場」が現れた。





正直に告白すると、私はその「最初の」鎖場がどんなだったかなんて全く覚えてない。そこから先、無数の鎖場が現れるのだが、少なくともそれらの鎖場のいくつかと比べてひどく印象の薄い鎖場だった事だけは間違いない。

つまり印象深い鎖場って言えば、例えばこんなやつだ。





こっちは鎖すらなかった。全く楽しいじゃないか!





ところで私は既に五合目を過ぎたあたりから、このハードな難路と暑さのせいでへばってしまって、年老いた山羊のようにどうにも自分の意のままには歩けなくなって来た。私はいつしか私の前を歩くようになったトミーに何度も休憩を懇願した。

そうしているうちに例の老ハイカー集団が私たちに追いついた。私がそこら中を飛び回っているスズメバチに対する不満を声高にトミーに主張しているのを耳にしたらしき先頭を歩いていた初老のハイカーが「ハチが飛んでるのかい?」と私に聞いて来たのをきっかけに、私たちは彼らといくらか会話をした。

彼らは千本檜小屋泊まりのプランを立ててこのコースを登っていた。それならもう少しゆっくり登ってもよさそうなもんだが、言い換えれば余裕をしっかり持たせた実に賢明なプランニングだった。それからハイエースに乗っていた他のハイカーたちは、清滝小屋に着く前の段階でこのコースの難路に恐れをなして退散してしまったらしかった。つまり今そこにいるのは、あのハイエース軍団の中でも粒ぞろいの精鋭ハイカーたちというわけだ。実に頼もしい人たちじゃないか!やれやれ、それに比べて全くこの私と来たら・・・。


精鋭たちに先を譲った後、一一時三〇分にようやく七合目を通過。さらに一〇分ほどで、噂の「横へつり」に到着。





こいつは大した事はない。いつも通り鎖すら使わずにクリア。

足を滑らせるハイカーより、むしろ横に伸びた木の枝に頭をぶつけるハイカーの方が多いはずだ。もちろん私たちはどちらでもない。


さらに一〇分も行った地点からは枯れた沢底を登る。





それは別に構わないんだが、この沢登りは途中でほぼ直角に右に曲がって登山道に復帰するのが正解だ。

そうとは知らない私たちは、厳密に言うと先に沢底の岩に取っ付いた私は、登山道への入り口を通り過ぎて延々とハードなロッククライミングに挑んでしまった!

その難易度の高さに(登山道でも何でもないんだから当たり前なんだが)私が思わず「おいおい、こいつの一体どこが登山道だってんだ!?」と罵ってるのを耳にしたトミーが、それをきっかけに他に道がないかを探し始め、そして間もなく正解を見つけた。

つまりトミーは私の罵り声に助けられ、そして私は今度は今しがた登らされたばかりの登山道でも何でもない岩壁を「降りる」という厄介な作業に取り組まなければならなかった。


そんな感じで、よろよろになって足が進まないうえに全く無駄な作業に時間を浪費した私がその事態に大きく貢献した事は間違いないが、私たちがようやく「八合目」と刻まれた石柱が倒れたまま放置されている地点に辿りついたのは一二時四五分の事だった。標準的なコースタイムによれば、既に小屋には着いてなければならない時間だ。

恐らく当初想定されていたコースを歩き切る事自体は可能だろうが、その場合、日没前に新開道を下り切るのはたぶん不可能だろう。私は持って生まれた「柔軟な」思考力に基づく賢明な判断により、少なくとも私はロープウェーで下山する事をトミーに提案した。八つ峰の鎖場をずっと以前から楽しみにしていたトミーはまだまだ体力があり余ってる風なので、トミーがどうするかは彼自身の判断に委ねる事にしたが、トミーは「もう鎖場は十分楽しみましたから」と言い、私と共にロープウェーで下山する、と答えた。

そいつが本音かどうかは分からない。だいたい私が余計な事を言い出さずに素直にロープウェーで登るコースを選択していれば、今ごろトミーは念願の八つ峰を踏破して山頂でランチを楽しんでいたかもしれないってのに、それでも彼は私に気を遣ってそんな風に答えたのかもしれない。何てナイスガイなんだ、トミー!


結局、私たちが千本檜小屋に着いたのは一三時五〇分の事だった。駐車場を出発してから既に六時間が経過していた。私たちは小屋の前のベンチを占領してランチを貪り、水場へ水を汲みに行ったりそこから見える景色を写真に撮ったりして一時間近くそこで過ごし、それから最終便のロープウェーを逃さないぎりぎりの時間と思われる一四時四〇分にはそそくさと出発した。


一六時三〇分にはロープウェーの「山頂駅」に到着した私たちは、最終便の一本前のやつに乗って麓まで下り、山麓駅の駐車場から一時間近くかけてスタート地点まで歩いて戻った。結論から言えば、私が登りコースでへばってしまった事が結果的に二人を救った。私は経験則から一九時までに下山できれば問題ないと本気で思っていたが、八海山は西日本のどこかの山と違って一八時には十分に暗かった!


それから私たちは近場の露天風呂へと車を走らせ、お互い生まれて初めての「混浴風呂」で山歩きの疲れを癒すと同時に、お婆さんがちゃんと前をタオルで隠して風呂場に入って来る事に感心し、ディナーに向かった「欅亭」で私がニ〇〇グラムのステーキをオーダーしたらサービス精神旺盛な料理長は四〇〇グラムはあろうかという特大ステーキを焼いてよこしたので、一緒に頼んだオムライスはゆっくり味わうまでもなく無理やり腹に詰め込む羽目になり、そして私より調子に乗ってたくさん注文してしまったトミーは私の正面でナイフとフォークを両手にうめき声を上げていた。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/欅 亭]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 28, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

この私が盛岡の地を踏んだからには、早池峰山に登らないなんて事はありえない。

手元のガイドブックによれば、河原坊登山口から登って小田越に下るコースなら標準所要時間はわずかに五時間だ。もののついでに、すぐ南にそびえる薬師岳の山頂まで往復して河原坊まで戻る事にしてもせいぜい八時間といったところだ。

私は九時に登山口に到着すれば十分だと考えて、当日八時にレンタカーの予約を入れておいた。


定刻通りに車を借り受け盛岡市内を出発した私は、カーナビに「早池峰山」と打ち込み、指示されたルートに従って車を走らせた。カーナビ曰く、到着予定時刻は九時半とある。あれ?結構時間がかかるんだな。まぁ三〇分くらいどうって事ないさ。

途中、カーナビにインプットされてない新道との分岐に差し掛かった。カーナビは旧道の方に私を誘導しようとしたが、新道の方が車線も多くて走りやすそうだったので、私は迷わず新道へとハンドルを切った。

まもなく早池峰山の登山口へは道なりに行けという標識が立っていたので、私はカーナビの案内を無視して新道をひたすら走った。どうもおかしいな、と気づいたのは、私の行く国道が何かの線路沿いに走っている事に気づいたときだった。


車を止めて、トランクのバックパックからガイドブックを引っ張り出して来て地図を確認した私は、事態を掌握した瞬間に誰でもいいから殴りたい衝動に駆られた。

たしかにこの道は早池峰山の登山口を目指してはいるが、私が向かうべき河原坊とは全く反対側の門馬の登山口じゃないか!


門馬の登山口から山頂までは登りだけでも五時間以上かかる。林道を車で登って握沢まで行ってもそこから山頂まで四時間。林道を車で通行するのにどれほど時間がかかるかは分からない。どちらも選択肢として問題外だ。

私は腹を決めた。早池峰山の北側から東へ大回りして、本来、私が向かうべきだった山の南側、河原坊まで車を走らせる。私は道中、その辺を仕事熱心な警官の乗ったパトカーがうろついてない事を祈りながらクソ狭い田舎道を走った。


河原坊の駐車場にようやく着いた頃には既に一〇時半。起きてしまった事は仕方がない。与えられた条件の中でいかに最善を尽くす事が出来るのかで、そいつの人生の価値は決まる。あっという間に着替えを済ませて便所で放尿を終え、登山口に立ったのが一〇時四五分。





もちろん周囲には誰もいないが、そんなのはいつもの事だ。気にしないで出発だ。


河原坊からの登山コースは、歩き始めこそ一般的な登山道の赴きだが、一五分もしないうちに岩のごろごろ転がるガレ場歩きになる。


暑さに文句をタレながらちんたら歩いて、頭垢離(こうべごおり)には一一時四五分に到着。





この辺りで樹林帯を抜け、振り返ると薬師岳や周囲の山々の見事な展望が目に飛び込んでくる。

ここから山頂まではコース脇にロープの張られたザレ場の急登だ。登って行くうちに既に下山を開始した何組かのハイカーとすれ違う。時刻を考えれば、彼らのやってる事はまともだ。私はちょっと頭がイカれてる。


ふと見上げると、私のはるか前方に、まだ山頂を目指して登っている最中のハイカーが一人いる。「お仲間」の登場だ。

別に「お仲間」がいたところで何も嬉しい事はない。ただ私が前方に聳える早池峰山の写真を撮るときに彼が写り込まないように彼には邪魔にならない所にいて欲しいなんて事を考えながら歩いているうちに、私はあっさり彼に追いついてしまった。

そのハイカーは間近で見ると背筋のすっと伸びた実に紳士的な人物で、声をかけてみると、その物腰はとても柔らかく、私はすぐに好感を持った。

ただ彼の歩いている様子を見ていると、このザレ場の急登を登って行くには少々体力が足りないように思われた。とても残念な事に、好人物であるか否かとハイカーとしての実力の間にはいかなる相関関係も存在しない。


彼と分かれてそんな事を考えながら歩いていると「御座走り」と書かれた標柱に出くわした。何の事か分からないままその標柱を通り過ぎた私は、その先にあるロープの垂らされた岩を見てその意味を理解した。

どちらかと言うとその岩は、下りの目線の方が刺激的なように見える。





一二時三〇分、「打石(ぶつえず)」前を通過。





薬師岳を振り返る。





山頂には一三時一〇分に到着。





手元のガイドブックによれば標準コースタイムは三時間ニ〇分とあるから、それより一時間近く早く着いた事になる。私は下界で犯した数々の判断ミスからこさえた借金を帳消しにした。

山頂では三組ほどのハイカーが寛いでいたが、私が適当な岩に腰掛けてバックパックの中からおにぎりを取り出す頃には皆いなくなってしまった。いい流れじゃないか。いつもの事ながら私は山頂を独り占めする特権を享受してからランチタイムを楽しんだ。


鳥海山でも感じた事だが、東北エリアの山は森林限界が低いので低山でも素晴らしい展望のハイキングを楽しむ事が出来る。おまけに空気も澄んでいる。昼食を終えた私はどちらの方角を見渡しても素敵な景色の広がる山頂で、双眼鏡を覗き込んだり、写真を撮ったり、寝転んだりしながら一時間以上過ごした。

一四時ニ〇分、私は下山を開始した。結局、私が好感を抱いた例の初老のハイカーは最後まで山頂に姿を現すことはなかった。


小田越コースの下山路は、常に正面に薬師岳を見下ろしながらの爽快な下りコースだ。





八合目の先でちょっと長めの梯子を下りようとしたら、まさに今から梯子を上り始めようとしている二人のハイカーがいたので私は少々驚いた。三時近くにもなってまだこんな所をうろついてるなんて、私より頭のおかしな連中だぜ!

彼らは私に気づいて梯子を上るのをやめ、私に先に下りるよう手招きした。私はありがたくそうさせてもらった。彼らのもとまで下りてみると、二人は六〇歳かそこらの夫婦と思しき二人組で、男の方は口を開くと金歯が眩いばかりに輝いた。

少々言葉を交わしてみると、今から山頂まで登って、その後どのコースで下山するのかも決めていないらしい。もちろんそれは彼らの自由なんだが、私は河原坊への下山コースは岩場歩きになるからやめておけ、とやんわり忠告だけしておいた。

彼らに分かれを告げて少し下ってから振り返って彼らが梯子を上っていくさまを見てみると、やはり彼らも、いま彼らが取り組んでいる物事をスマートに終わらせるには少々体力不足のように私は感じた。彼らが山頂に着くのはどんなに早くても三時半を優に過ぎた頃だろう。彼らは日没までに下山できる当てがあるんだろうか?そんな事を考えるよりも早池峰山の山頂に立つ事の方が彼らにとってそんなに大事な事なんだろうか。


途中、御金蔵(おかねぐら)に置いてあったツルハシを使って盗掘屋のマネをしている写真を撮るのに一五分も手間取り(結局、逆光で満足の行く写真を撮る事は出来なかった)、小田越の登山口に着いたのは一六時の事だった。薬師岳の往復計画はもちろんなかった事にして、さらに車道を河原坊まで歩いて駐車場に戻ったのは一六時ニ五分。

車道から見上げた青い空をバックに聳え立つ早池峰山の美しい姿が、最後に私の疲れを癒してくれた。





何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 25, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

この私が秋田の地を踏んだからには、鳥海山に登らないなんて事はありえない。


鉾立の駐車場に着いたのは九時過ぎ。ガスで視界が効かないばかりか小雨まで降っていて、そのへんをうろついているハイカーたちはみんな全身レインウェアのフル装備姿だ。

象潟から鉾立まで延びている道を鳥海ブルーラインと言う。名前は立派だが林道に毛の生えたような山道で、そこにはコンビニも何もなかった。食料を買いそびれた私は稲倉山荘でひとつニ〇〇円の「高級」おにぎりを二個調達し、便所で放尿を済ませてから車に戻ってレインウェアを着込んだが、雨足が強まる気配がないので上はすぐに脱いでバックパックに仕舞った。

〇九時五〇分に登山口を出発。





登山道は全て石畳が敷かれていて、ひたすらそれを辿る。相変わらず周囲はガスに包まれているが、道に迷う要素がまるでない。

時間が時間なので、前日御室か御浜の小屋あたりで泊まったと思われるハイカーたちが何組も降りて来る。


「賽の河原」には一時間で到着。この頃にはガスも晴れ、青空が見えて来た。ほぅ、なかなか楽しいハイキングコースじゃないか。





既に森林限界を越えているので、ガスさえ晴れれば常に素晴らしい展望の中を歩く事になる。早速、私はこの山がひどく気に入った。

御浜神社には一一時ニ〇分に到着。





裏手に回ると鳥海湖が見える。





一一時五〇分には御田ヶ原を通過。外輪山らしきものが見えて来る。





七五三掛の分岐には一二時ニ〇分に到着。

多くのハイカーは左に進路をとり、千蛇谷へと下って新山を目指すだろうが、私はあえて右手の外輪山経由だ。岩場に取っ付いて一気に高度を稼ぐ。


敢えて苦難の道を選んだハイカーはその功績により、そうしなかった人々を随分と上から見下ろすという特典が与えられる。





一二時五〇分に「文殊岳」に到着。





「雲さえなければ」新山が間近に見える素晴らしいスポットだ。外輪山コースに入ってからは誰とも会わなかったが、ここで無愛想なハイカー一人とすれ違う。

少々腹が減って来たが先を急ぐ。


外輪山のルートは「雲さえなければ」常に展望に恵まれていて、実に素敵なハイキングコースだ。途中「行者岳」手前の岩場で私は三脚を取り出し、いつものように母なる偉大な自然をバックにセルフ撮影を開始した。

タイマーをセットして私が然るべきポジションに移動し、カメラに向けてクールなポーズをキめた瞬間に、あろう事か三脚がカメラごと前に倒れて来てカメラのレンズが地面を直撃した。私は新山まで響き渡らんばかりの大声で下品な罵り声をあげた。


慌ててカメラを拾い上げてレンズを覗いてみると、その優秀なキャノン製カメラのレンズは割れてはいなかった。今のところ撮影に支障はなさそうだ。もちろん無傷と言うわけには行かない。私のカメラのレンズはケガをしてしまった。しかも撮影した写真に間違いなく悪い影響を与えそうなケガだ。そこにないものが微かにでも写り込んでる写真なんて私は何があっても許さない。あぁ、でもカメラは春先に買ったばかりだ。たしかまだ保証期間は終わってなかったな。

私はせっかくの楽しいハイキングの時間を、それを買った店に何と説明して金を払わずにそのカメラを修理させるかという困難な計画の立案に費やさなければならなかった。


「行者岳」を経由して旧山頂の「七高山」に到着したのは一三時五五分。

誰もいないのをいい事に、墓石みたいなオブジェを前に記念撮影。





さぁ、あとは「新山」の山頂に立ち寄って帰るだけだ。

「行者岳」の方へと戻る道の途中に御室小屋へと下る分岐がある。ロープ沿いにザレ場を下ってから登り返す。


「新山」はさながら巨大なケルンといった様相だ。山頂へは、火山活動で積み上げられたと思われるいくつもの巨岩をひたすらよじ登って行く。

最近あまり街では見かけなくなった例のメッセージが、どういうわけかそこら中の岩にしたためられている。





一四時三〇分、「新山」の隣のピークに到達。ようやくここで「高級」おにぎりの出番だ。

そいつを平らげ、「新山」を占拠していた四人組のハイカーたちが消え去ったのを確認してから「新山」によじ登って記念撮影。





誰もいない山頂で少しばかりのんびりしてから、そろそろ下山しようかとカメラを入れてあるパウチに突っ込んであった地図を取り出そうとすると、どこにもない。くそったれ!カメラを取り出すときにでも落としてしまったんだろうか。レンズの件といい、全く今日はろくでもない事ばかり起きやがる一日だな。

時間が時間なので、下山中に道迷いはおろか、ちょっと道を間違えて引き返すという事態すらも私としては受け入れがたい。つまり日が暮れるまでには駐車場に戻らなければならないし、あわよくば下山したら何件ものラーメン店がしのぎを削るという酒田まで車をすっ飛ばして閉店前のラーメン屋に滑り込もうと考えている私には、一分たりとも無駄にできる時間などないって事だ。


御室小屋まで降りて行くと、ちょうど鉾立の方から千蛇谷経由で登って来たと思われるハイカー集団がいた。私は躊躇なく一人の男に彼らが鉾立から登って来た事を確認した。それから別のグループの一人にも念のために同じ事を聞いた。どうやら私が戻りに使うべき道は間違ってないようだ。

一人目のハイカーは、ここに来るまでに疲れてしまったのか、或いはもともと陰気なのかは知らないが、あまり私に好意的な反応を示さなかったが、二人目の初老の男性は気さくな人物で、しばし無駄話に興じてしまった。


そのハイカーと分かれてから下山を再開した私は、間もなく一組の老ハイカーの集団とこそすれ違ったものの、その後は御浜神社に至るまで一人のハイカーとすら会わなかった。つまり周囲に広がる素晴らしい景色を私はいつだって独り占めしながら帰り道を歩いていった。

ところどころ雪の残る谷を隔てた左手の断崖絶壁の上部には私が往路に辿った外輪山コースの稜線がそのまま見渡せた。全く往きも帰りも私を飽きさせない山だぜ!私はそこら中で三脚を立てては自分の写りこんだ写真を撮りまくった。


そのうち雲が一面を覆い始め、一向に晴れなくなった。そういえば予報では夕方から雨だったな。私は三脚をさっさと仕舞って、後はひたすら帰りを急ぐ事にした。


ガスの中を順調に距離を稼いでいたとき、私が辿っていた道が突然ある地点で私を雪渓へと誘い込んだ。視界の効かない大自然の中を一人ぼっちで歩いていて想定外の事態に出くわす事ほど不快な事はない。唯一、地図がない事を不安に思った瞬間だった。

雪渓の先は外輪山コースの基部だ。う〜ん、まぁ往きに外輪山を辿ったんだから、そっち側に戻る道なら正解なんだろう。たぶん今年一番面倒くさそうな顔をしてそう考えてから私は雪渓を渡った。私の判断はいつだってシンプルだ。





一七時一〇分に御浜神社を通過。そろそろポツポツと雨が降り出した。だが上半身は無防備とは言え、下半身はいつひと雨来ても構わないように防水パンツにゲイターまで着けたままだ。まぁシャツなんて汗で濡れたって思えばいいさ。今さらいちいちバックパックを一度降ろしてレインウェアを取り出すなんて面倒なマネをするまでもなく、私はそのまま小走りで登山口を目指す事にした。


私が軽やかなステップで石畳の上を進んでいた時、本当に私は目を疑ったのだが、前方に二人のハイカーがいるのが見えた。どうやらカップルのようだ。女の方は朝方に稲倉山荘で見かけた気がするな。男の方は・・・ まったく記憶にない。とにかく彼らはバックパックを降ろしてレインウェアを取り出すという、私に言わせるところの「面倒な」作業の最中だった。

率直に言って、雨に濡れるのがいやなら、雨が降り出してからレインウェアを取り出すというのはあまり賢明でない、と私は思った。その日の雲の動きとか、或いは天気予報を頭に入れていれば、彼らはもっと早い段階でレインウェアを取り出せていたはずだ。

そんな事より、私が言うのも何だが、彼らは何でこんな時間にまだこんな所をうろついているのか?少なくとも私が二人に声をかけて颯爽と抜き去ったとき、男の方は一瞬驚き、それから少し安堵の表情を浮かべたように見えた。僕たちの他にもまだこの山に人がいたなんて!とでも言いたげな。女の方は座り込んでいて、私が見る限りもう体力の限界といった感じで、私が声をかけた事などどうでもいい、と思っているようだった。


しばらく行くと、さらに若い男の二人組が石畳の真ん中に座り込んでいた。もう少しで登山口だってのに最後の休憩か?あれ?新山の山頂で見かけた男たちのようだ。そのときは四人組だと思っていたが、あれは二組の二人組だったのか・・・。

彼らが随分と長く(少なくとも私はそう感じた)山頂を占領していたので、私の様々な予定がちょっとずつ後ろにずれてしまったのだが、まぁいい。マナーとして一声かけると彼らはとても爽やかな笑顔を見せて私に道を譲った。


それからさらに行くと、今度は石畳の道を登って来る男がいる。私は一瞬、彼が何をしようとしているのか理解できなくて困惑した。夕方の六時にたった一人であの鳥海山に登り始めるって?私が少々混乱しているとその男が話しかけて来た。

何でも下山中に足を挫いて動けなくなったハイカーが、彼の所属する組織に救援要請をよこしたので、彼はこんな時間にひと仕事する羽目になったらしい。ご苦労さん。彼はどうやら私が彼を迎えに来た尖兵だと思ったようだ。残念だが、私にそんなドジな知り合いはいないぞ?

心当たりを聞かれたが、まず真っ先に思い浮かんだのは、見るからに「もう動けないわ」というオーラを発散しながら座り込んでいたカップルの女だった。足を挫いたのは男なのか女なのかを尋ねると、救援組織の男は「分かりません」と答えた。普通、確認しないか?


まぁいずれにしたって状況から見てあの女ハイカーか、あるいは座り込んでいた若者二人のどちらかしかありえない。私は彼らを見かけた大まかな位置を救援隊員に説明して、彼と分かれた。それからカップルの男の事を思い出した。あの安堵の表情は「やっと迎えが来た」という思いから浮かんだものだったんじゃないのか。もしそうだとしたら冷たく抜き去ってしまって悪い事をしたな。


もう一組、五十がらみの男二人を抜き去って登山口まで戻って来たのは一八時一〇分の事だった。一般論としてハイカーの行動終了時間としては不合格だ。最近このパターンばかりだな。それでも私より遅い時間までハイキングにいそしむハイカーもいるわけだ。まぁみんなが無事に帰って来れれば何よりだ。


私が駐車場で着替えを終えて、酒田のラーメン店を目指してレンタカーのアクセルを踏み込み登山道入口の前を通り過ぎたとき、例のカップルがようやくそこに到着したのが見えた。じゃあ救援隊のお世話になったのはやっぱり若者の方か。私はそれほど気にしてなかったが、彼らが私の予定をほんの少しだけ狂わせた罰を神が彼らにお与えになったのかもしれないな、と勝手な事を考えながら私は酒田への道を急いだ。


そして七号線で事故渋滞に巻き込まれた私が酒田の町に到着したとき、私が事前にチェックしてあった七件のラーメン屋は全て店じまいした後だった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。





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