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ぷしろぐ >> 登山編
【 カ テ ゴ リ 】


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October 19, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今日は岩木山にハイキングに出かける事にする。手元のガイドブックによれば岩木山神社から山頂までの登り所要時間が四時間四〇分、下りが三時間一五分、往復でほぼ八時間とある。休憩その他まで考慮すると一〇時間程度は行動時間を確保しておく必要があるだろう。

大崩山のハイキングで散々な目にあった私はまじめに早起きして七時には岩木山神社を出発できるよう六時半にはホテルを出発した。


カーナビを睨みながら車を走らせていた私はふと車窓から見える岩木山を見て愕然とした。あれ!?山頂付近は雪で真っ白じゃないか!





紅葉など堪能するつもりで呑気な計画を立てていた私は全くの軽装しか準備していない。あれじゃ山頂まで行けないかもしれない。とんでもない事だ!


結局、神社の駐車場に到着したのは七時過ぎ。一般の観光客は何人かいるようだがハイカーは私一人のようだ。根性のないハイカーのなかにはスカイラインを走るバスで八合目まで登ってしまうようなのもいると聞く。そんなの山登りでも何でもないじゃないか。

着替えや小便を済ませて大きな鳥居をくぐった頃には既に予定の七時をニ五分も過ぎていた。鳥居からかろうじて見えるやっぱり雪の積もった山頂。





岩木山神社の境内まで階段を上がって左にそれ、砂利道を一五分ほど歩き、車道を跨いで芝生敷きの公園を突っ切る遊歩道を五分ほど歩くとスキー場のレストハウスにたどり着く。標柱の案内に従って従業員の通用口みたいなところを遠慮なくくぐり抜ける。





レストハウスを抜けると悠然とした岩木山の山容が一望できる。





砂利道を直進し、途中で左に折れて林の中に入るとまもなく登山口が現れる。八時ちょうどに到着。





そこからしばらくは本当につまらない山道歩きだ。

すぐに「七曲」の標柱が現れる。





つまらない、つまらない、と文句をたれながら登って行くと、三〇分ほどで「鼻コクリ」の標柱。





「鼻をこするほど」急な坂なので鼻コクリと言うらしいが、まるで口ほどにもないと言うか、その坂が「鼻コクリ」なんだったら世界中のエスカレーターが「鼻コクリ」だ。


その先で道の上にスズメバチを発見。しばらく睨み合ったが弱ってるのか何なのかまるで飛び立つ気配がない。

珍しいので記念にアップで撮影。





いつも私の快適なハイキングの邪魔をする憎たらしいやつなので踏み潰してやろうかと思ったが、別にこいつにハイキングの邪魔をされたわけではないので許してやる事にする。


「鼻コクリ」から三〇分ほどで「姥石」。女人禁制時代の名残だ。





男向けの登山道はちょっと険しい。





溶け残った雪が地面に散見されるようになった頃に「焼止りヒュッテ」に到着。時刻は〇九時四〇分。

夏山装備のハイカーは帰れ、と言わんばかりに立派な雪ダルマが置いてある。





ここまでの標準コースタイムが二時間四〇分。七時ちょうどに出発する予定だったから遅れは取り戻したって事だ。気分をよくして暫く休憩。

これまでは展望もクソもなくてちっとも面白くない山道歩きだったが、ヒュッテ前の眺めはなかなかだ。





そこから先は手元のガイドブックによれば百沢コースの「核心部」とされる大沢だ。

足元の悪い枯れた沢を登り詰めていく。





先人の踏み跡を頼りに滝になってる箇所は迂回しながら沢道を登る。

普段は枯れ滝らしいが、雪解け水が落ちて来る。





前半戦でそのコースのつまらなさにずっと文句をタれていた私を岩木山の神様はお見過ごしにはならなかった。

「大沢」はただでさえ険しいガレ道なのに、溶けた雪で岩が濡れて滑るので私は極度の神経戦を強いられた。何もヒントがなければどこをどう行けば安全なのか見当もつかないので、先人の踏み跡がなかったら私は諦めて帰っていたかもしれない位だ。





そして偉大なる先人の踏み跡を辿っているうちに、それは笹薮のトンネルの中を流れる沢そのものへと続いていたので、私は一度はそのトンネルへと進入しておきながら全く信じられない思いで、それが本当に正解である事を確かめるために引き返す事にした。

そのとき私はいつものように「信じられない!」「クレイジーだぜ!」と罵り声をあげながら引き返していたので、いつの間にか私に追いついていた後続のハイカーとトンネルの入り口で鉢合わせたときに恥ずかしい思いをした。





私がそのベテランの風格漂う初老のハイカーに、どうもこの足元を水の流れるトンネルをくぐって行かなければならないようだが、そいつは正しい道なんだろうか、と意見を求めると、彼は事もなげに「そうでしょう」と言ってすたすたと行ってしまった。

私はその回答にうんざりしたが、そのハイカーは頼もしく見えたので、彼と同じルートを歩いて行けばいいという事実に安堵感を覚えた。


私がトンネル手前で少しばかり休憩しているわずかなうちに、その野ウサギばりに俊敏な初老のハイカーは姿が見えなくなってしまったが、立派な踏み跡を残して行ってくれたので、私はそれをただ追跡した。


完全に「雪山」と化したコース上に続く立派な踏み跡。





そうは言っても踏み跡を辿って登っていくうちに、雪山用の装備を何も持たないで帰りにこの道を下って行くのはどうにも無謀な行為のような気がして来た。たしか八合目にバス停があったな。帰りはそっちに逃げようか。

そんな事を考えながら登っていたとき、澄み切った青空をバックに一人で下って来るハイカーを見つけて私は仰天した。ストックこそ持ってはいるが、その他は私の装備と大差ないじゃないか!


彼がいよいよ私とすれ違うとき、私は、本当にこの道を下って行く気か?と彼に尋ねた。私と同年代と思しきその爽やかなハイカーは笑いながら、そうだ、と答えた。ひゃー、何ともイカれたハイカーだぜ!

私は「そいつはすげぇ!」という思いを表す精一杯の反応をして見せて彼を見送った。何だよ、それじゃぁバス停の方に逃げちまったら私はまるでオカマみたいじゃないか。


一一時ちょうどに「種蒔苗代」に到着。完全に凍結している。





私は汗かきなのでタンクトップ姿でここまで登って来たが、雪山をバックにその格好で写真に写ったらいい記念になるじゃないか、と思い、荷物を下ろして三脚をセットしていると何組かの後続ハイカーが姿を現した。どうも神社前のバス停から登り始めた同じバスの連中らしい。

先頭を歩いていた若いソロのハイカーが私に声をかけて来たので、私は、まったく忌々しい雪だ、と言った。すると彼は火でもついたかのように彼がいかに苦労をしてここまで辿り着いたかを一気にまくし立てた。何でも東京からやって来た彼は、その日どうしても山に登りたくて、天気のよくない関東地方の山に見切りをつけて急遽、青森まで駆けつけたらしい。


私は、彼が随分と熱心なハイカーである事に敬意を覚えたが、彼は私に伝えたい事が多すぎて、それをずっと聞いていたタンクトップ姿の私は身体が芯から冷えてしまった。彼は実に三〇分ほど私に色んな話をしてから「では失礼」といった感じで先に行ってしまった。私は写真を撮る気力もなくして呆然とした。


タンクトップ姿を諦めて上に一枚着込んで山頂を目指す。避難小屋(鳳鳴ヒュッテ)の前でスカイラインを八合目までバスで登って来た連中が合流した。ほとんどはスニーカーとかローヒールなんかを履いた観光客くずれのような連中だった。彼らに前を歩かれるという事は私にとってハイウェイを自転車で横並びになって走られるようなものだった。そして普通のときでさえ邪魔な彼らが歩いているのは雪が積もった山道だった。


たぶんそいつらのせいでかなり時間をロスしているはずだが、一一時五〇分、山頂に到着。





雪に覆われた山頂は大勢の人々で賑わっていた。三〇人はいたと思うが私と同じコースを辿って来たハイカーは一〇人もいなかったろう。

腰を下ろすのによさげな所は全て先客に占領されていたが、一段小高く岩が積み重なった所の雪には足跡ひとつついてない。私が慎重に足元を探りながらその小高い岩場の一番快適な所まで歩を進めて陣取ると、これ幸いと何人もの見知らぬ連中がその足跡に続いて岩場に侵入して来た。


ここは私が一番始めに見つけた休憩スポットだぜ、って態度で、やつらの撮影の邪魔になろうがまるでお構いなしに、私は三脚をセットして思う存分に記念撮影。





澄み切った青空の下には右手の下北半島はおろか、遠く北海道の山並みまで見渡せる。こんな素晴らしい展望に恵まれたのは初めてだと言ってもいいくらいだ。

私は昼食や撮影がてら山頂で一時間以上ものんびり過ごしてからようやく重い腰をあげて下山にとりかかる事にした。


山頂直下の急坂は登りではそう気を使う必要はなかったが、そこを下って行くのはなかなか骨の折れる作業だった。アイゼンとまでは言わずせめてストックだけでもあれば少しは違ったかもしれなかったが、今さらそんな事を言っても遅い。

私はバランスをとりながら出来るだけ慎重にそろそろと下って行ったが、途中で思い切り足を滑らせ、身を反転してうつぶせの姿勢で雪を掴もうとしたとき、一番初めに着地した右手の親指一本で一瞬だけほぼ全ての体重を支える羽目になった。私の親指は通常とは反対の方向にぐにゃりと曲がった。こいつはマジで痛い!


今日から暫く右手では何も掴めない気がしながら避難小屋(鳳鳴ヒュッテ)前、種蒔苗代と通り過ぎ、一人の山ガールがこんな時間によたよた虫の息で登って来るのを見つけて全く信じられない思いで彼女を見送ってから先を急ぐ。

下りは常にいい眺めだが、足元が心配でそれどころじゃない。





登りでは気づかなかった錫杖清水(しゃくじょうしみず)。

真夏だったら早速にでも顔を洗って生き返った心地を味わうところだが今日はちっともありがたみがない。





行きでは積もっていた雪が日に当たってどんどん溶けてしまったんだろう、帰りは本当に川の中を歩いているようなものだった。

飛び石伝いにぴょんぴょん行って足を滑らせるくらいだったら私は堂々と水の中を歩く。





一四時三〇分に焼止りヒュッテに到着。相変わらずなかなかの眺めだ。





後はひたすら例の「つまらない」山道を下る。一五時四〇分に登山口に到着。

スキー場まで歩いて振り返ると、明らかに朝方よりも雪は溶けてしまっていた。





そして一六時ちょうどに神社前の駐車場に到着して私の岩木山ハイキングは終わった。


いつもならささっと車の中で着替えてしまうところだが、神社への参拝客の車が溢れている駐車場でそれをやるのも気が引けるので、私はたぶん車なんて殆ど停まってないスキー場の駐車場まで移動することにした。

駐車場から車道に出てふとバス停を見ると、例の東京から駆けつけたとても熱心なハイカー氏がバスを待っていた。私は今度は彼に見つからないようにそそくさとその場を後にした。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 25, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

鹿児島でのビジネスを昨日のうちに終わらせた私は、今日はOFFにして開聞岳に登る事にする。

開聞岳は例の百選にこそリストアップされてはいるものの、標高は一〇〇〇米にも満たないばかりか登山コースは一本しかない。あまりにも簡単に登れてしまいそうな事実に対するせめてもの抵抗として、一般的な二合目からの登山ではなくちゃんと一合目から登る事にしよう。

照國神社近くのホテルから登山口まではだいたい車で一時間といったところだった。まずは多くのハイカーがそこに車を停めるであろう二合目手前の駐車場まで行き、小便をすませてから中学校の脇にある一合目の標柱まで戻る。車は例によって「そこに停めても誰にも怒られなさそうな」ところをセンスよく見つけて停めさせてもらう。


着替えを済ませたら歩いて一合目の標柱まで移動し、いよいよハイキングスタートだ。





時刻は一〇時五〇分。通常ならありえないスタート時間だが、開聞岳に限っては手元のガイドブックによれば二合目からの登りの標準所要時間がニ.五時間、下りは二時間だ。一合目から二合目の往復時間を加算しても私の行動時間が六時間を越える事はないだろう。


クソ暑い車道を五分も歩くと二合目駐車場に向かう車道を右手に見送り登山者用の遊歩道に入る。





遊歩道の途中にもトイレがあったので念のために立ち寄り、最後の一滴まで搾り出してから二合目へ。


一合目をスタートしてから、放尿に要した時間も含めて僅か一五分で二合目に到着。

想定してたのよりあまりにも近い。





二合目からは暫くありきたりな登山道が続く。木々に遮られて基本的に展望はない。

一五分ほど歩くと三合目。





三合目を過ぎたあたりで早速二人組みのハイカーに抜かれる。健脚そうなハーフパンツの男とその連れの男といった感じの二人組だ。年のころは六〇そこそこってとこだろうか。


その先で見かけた、岩の上に置いて行かれた靴底。





二つ同時に剥がれたって事か?楽しい想像は膨らむ。


三合目から一五分で四合目。




この辺りでも次々と後続のハイカーに抜かれる。クラブ活動のトレーニングにでもやって来た風の学生らしき若い男四人組と、ソロのハイカー二人ほどだ。

基本的に私は登山道で前のハイカーを抜き去る事はあっても、私を抜いて行くハイカーというのはあまりお目にかからない。なのにこの山ではさっきから私は抜かれる方専門だ。何だってこの山にやって来る人々はそんなに足が速いんだ?


だいたい一五分単位で一合ごとの案内板が現れるので、そろそろ五合目かな、と思ったあたりで、最初に私を追い抜いて行った二人組に追いつく。どうやらハーフパンツでない方の男の足が早くも音をあげたようだ。たぶんハーフパンツのペースに合わせて無理をしてしまったんだろう。

ハーフパンツの方も少しペースを加減してやるべきだったんだろうが、まぁ最終的には山ではどんな泣き言も通用しない。


予想通り四合目から一五分で五合目の案内板と、それからちょっとした休憩所みたいなスペースが現れた。





そこは展望台のようになっていて、私を抜いて行ったソロハイカーのうちの一人がちょうど休憩している所だった。五〇歳には満たないと思われる見るからに体力の塊のようなそのハイカーは、私がアクエリアスなど飲んでると話しかけて来て、彼が登山口から車で三〇分足らずのところに住んでいる鹿児島県民である事が判明した。

この山には何度も登ってるのか、と聞くので、私は東京に住んでいてビジネスのついでに今回初めてこの山にやって来た事を説明すると、彼は私とは違って登山が趣味なわけではなくて、ただ体力作りのために毎週登りに来てるのだ、と答えた。道理であんなスピードでも涼しげな顔をして登って行けるわけだ。

私は、あなたはそれ以上体力をつけなくてもいいでしょう、と答えた。


彼は最後にこの先のコースについて私に簡単な説明をしてくれてから山頂へと向かった。つまり山頂の展望はあまり彼好みではない事、七合目だか八合目だかの展望スペースは海が見渡せて彼好みである事、そこでは空気が澄んでいれば屋久島まで見える事、などだ。へぇ、そいつは素晴らしい!


五分ほど休憩してから出発。まもなく正午だ。休憩している間に二人組のハーフパンツの方が私を抜いて行った。どうやら相棒を置き去りにして前進する事にしたようだ。

きれい事を言うつもりはないが、あんまり一緒に登りたくないタイプだ。


そこを出て割りとすぐ見かけた、またしても底が剥がれた靴。





なぜこの山にやって来るハイカーは靴の点検という当たり前の事を前の日にやらないのだろう?


五合目から六合目も、六合目から七合目もだいたい一五分だった。

七合目の先で見かけたマダラチョウ。





七合目から五分ほどで親切なハイカー氏が教えてくれた海の見える展望台が現れた。なるほど、たしかに屋久島や種子島が見えると案内図にも書いてある。





残念ながら今日は氏のおっしゃる「空気の澄んだ日」ではないようだ。





山伏がこもったとか言う仙人洞は素通り。

七.一合目から八合目、八合目から九合目もやっぱりだいたい一五分。


九合目を越えると次第に展望が開けて来る。





登りも徐々に厳しくなって来て、木段を登ったり、ちょっとした岩場登りにも挑戦しなければならない。

この辺でハーフパンツ氏に追いついた私は、ハーフパンツ氏がそれらをゆっくりとやり終えるのを後ろで待つ。彼は明らかにバテてしまってるように見える。


一三時一五分、山頂に到着。一合目から登り始めても二時間半かからなかった。


山頂はニ〇人を越える人々で賑わっていた。親切なハイカー氏は、私を驚異的なスピードで追い抜いていった若者四人組と談笑していて、私を見かけるとこちらにやって来た。私は、屋久島が見えなかったのは残念だけど秋から冬にかけて来たらさぞ絶景でしょうね、と言った。

氏は私と少し会話をして四人組の方へと戻って行った。私はひとまず岩場の一画を占領し、荷物を下ろすと同時に汗でびしょ濡れになったシャツを脱いで日にあて乾かす事にした。

半裸で岩に腰かけおにぎりをパクついていると、私がそうしているのを見たからかどうかは知らないが、若者四人のうちの一人もシャツを脱いで半裸になった。いかにもアスリートといった風に無駄な脂肪が一オンスもついてないバッタのような身体をした若者を見て、私も昔はあぁだったのに、と過ぎ去った無情な時間に私は思いを馳せた。


いつもなら適当に記念撮影でもしてさっさと下山するところだが、狭い山頂に人が多すぎて私の気に入るような記念写真が撮れそうになかったので、私は彼ら全員が下山するまで粘る事に決めた。私が最後に山頂に着いたんだから私が最後まで山頂に居座るのは当然の事だ。そうだろ?

そして一人また一人と下山して行き、例の親切なハイカー氏も四人組と一緒に下山の準備を始め、それから四人のうちの一人のスマートフォンを持って私の方にやって来て、写真を撮ってくれないか、と私に頼んだ。

私はハイカー氏が五合目で私にそうしたように山頂でも見知らぬ四人組にフランクに話しかけて仲良くなったもんだとばかり思っていたが、どうやら彼らは元々知り合いらしかった。私は頼まれもしないのにいちいちアングルを変えて四、五枚撮影し、スマートフォンを持ち主の若者に返した。彼らは私に礼を言って山頂を後にした。


私を含めて山頂には三人しかいなくなった頃に、私を追い抜いていったもう一人のハイカーが私が占領していた岩場の方にカメラを片手にやって来た。年季の入った皮製の登山靴に短パン姿で、日に焼けた太い腕がタンクトップから覗く何やらマッチョなハイカーだ。年は私とそう変わらなそうだ。

私が占領していた岩場は周囲より一段高く、そこからは海側がとてもよく見渡せたので、彼はそこで写真が撮りたいんだろう、と私は快く場所を譲った。さぁ、さっさと写真を撮ってすぐにでも山を下りてってくれ。

するとそのマッチョなハイカーは私に何やら話しかけて来たので、私はそれに適当に応じたのだが、話の流れで私がつい先日「大崩山」に登った話をした途端に彼の何かにスイッチが入った。彼は突然わざわざ自分のパックを持って来てスマートフォンを取り出し、私に見せるためにそれに保存された取っておきの写真を探し始めた。


彼の事は「ホワイトベアー」という仮の名前で呼ぶ事にしよう。「ホワイトベアー」は福岡から仕事の休みを利用して車を飛ばしてここまでやって来た、と言い、九州の山はあらかた登ってしまって今日はついに一番遠い「開聞岳」まで駆けつけたのだ、と言った。そしてそんな彼にとって「大崩山」は一番お気に入りの山だった。

私が東京から来ていて、これから鹿児島市内のホテルに戻る事を伝えると、彼も鹿児島市内に寄り道をしてそこで夕食をとるつもりだ、と言う。私たちは知り合って三〇分も経たないのに今日の夕食を一緒にとることで合意した。


一時間以上「ホワイトベアー」と話し込んでいるうちに山頂にはほかに誰もいなくなってしまった。「ホワイトベアー」は着替えがてら二合目の駐車場近辺にあるとか言う登山者用のシャワーを浴びたい、というので先に下山してもらい、私は一人で心ゆくまで記念撮影にしゃれ込む事にする。

「ホワイトベアー」は印象深いセルフ写真を考案するセンスに長けたハイカーで、私は彼が下山する前に私にカメラを渡して私に撮らせた写真の構図とポーズのアイデアをそのまま失敬した。ただひとつ違ったのは、私は山頂に着いてからずっと半裸だった事だった。





半裸でポーズをとってからシャッターのタイミングを確認するためにカメラのランプを振り返ると、今ごろ山頂に着いたどこかの四人組のハイカーが私を見て笑っていた。


一五時に下山開始。

歩き始めてまもなく一人の初老のハイカーが登山道に大の字になって寝そべっているのを発見。山頂を目前に暑さのせいか何かで歩けなくなったらしい。

社交辞令で一声だけかけておいて先を急ぐ。私は実力に見合わない登山に挑んでしまったハイカーに対して徹底的に冷酷だ。その後ヘリコプターが飛んでいたので彼を拾い上げに来たのかもしれない。


時折現れる滑りやすい砂利道に悪態をつきながらも脇目もふらずに登山道を下る。二合目には一時間で着いたが「ホワイトベアー」には追いつけなかった。


その後、私たちは合流し、それぞれの車で、海の向こうに美しい三角錐の開聞岳を望めるという「番所鼻」に向かう。





やはりこの山は秋から冬にかけてが狙い目のようだ。


せっかくなので夕陽を鑑賞してから鹿児島市内へ。





まず「ホワイトベアー」が私を連れて行ったのは「ざぼんラーメン」。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/ざぼんラーメン 与次郎店]


だが彼が鹿児島市内に立ち寄りたかった本当の理由はこっちだった。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/天文館むじゃき]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。







September 23, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

九州に於ける初めての登山となる大崩山でのハイキングでは散々な目にあった私が、次に選んだのは祖母山だ。例の百選にも名前が挙がっている事から知名度こそ高いのかもしれないが、当たり前に登り下りしても、その難易度は私の一方的な基準に照らし合わせると「中の下」といったところだろう。

延岡に宿泊している私に最も都合がいいと思われる北谷登山口からのいくつかのコースを検討した結果、比較的難易度が高いとされる「風穴コース」で山頂に達してから障子岳や親父山を経由して黒岳まで縦走し、そこから登山口目指して下山するコースなら歩きごたえがありそうだ。ガイドブックに記載された標準コースタイムを元に、所要行動時間は最大でも九時間ほどと見込んだ私は、八時に登山口を出発できるように七時前には延岡を出発した。


途中、ガソリンが切れかかったりして、結局、登山口に至る林道の入り口に着いたのは八時少し前だった。林道に進入してニ〇分も車を走らせると、路肩に車を止めて山登りの準備をしている初老の男がいた。何だってこんなところに車を止めてるんだ?

私は車を止めて窓を開け、登山口の駐車場は満車なのか?と聞いた。男は空いていると言う。そうですか、なら何だってあんたはこんなとこに車を止めてるんだ?とお聞きしたいのを我慢して、礼を言ってさらに進もうとした私は、すぐにそこが黒岳に続く登りコースの入り口である事に気づいた。それはつまり夕方には私がそこに帰って来るべき地点なんだが、男は黒岳のピストンにでもチャレンジするつもりだろうか?


登山口の駐車場に着くとそこは広々としていて、先客が五台ほど停まっていたが、私の車をそこに停めるのに何の支障もなかった。車を降りて一通り周囲をブラブラ歩き回っているときに見かけた、「千間平コース」はともかく「風穴コース」は安易に登るな、といった趣旨の案内書き。





私が着替えを済ませて準備運動をしているそばから、服装からして大して山慣れているようにも見えない若いカップルが「千間平コース」を登って行った。ふむふむ、無理はしない方がいいね。登って行ったと思ったら男の方が忘れ物を取りに戻って来た。何だって九州のハイカーの連中はどいつもこいつも駐車場に忘れ物をして出発するんだ?


さらに私が脚のストレッチなどしていると、駐車場の手前に車を止めていた例の初老の男が足袋姿で「風穴コース」の方へと歩いていった。うへー、って事は彼も私と同じ周回コースを辿るって事か?しかも足袋を履いて?

思えば心なしかその足取りや無駄のない身体の動きからもベテランの貫禄を感じさせる人物だった。私は彼に無断で、彼の事を「仙人」と名づけた。


〇八時四〇分、駐車場の少し先の「風穴コース」入り口から行動開始。





雲ひとつないとは言わないが予報通りまずまずの好天だ。


気分よくスタートを切った私は踏み跡を頼りに進んで行って沢を渡り、そして早速踏み跡を見失った。くそったれ!何で九州のハイカーどもは所構わずニセの踏み跡をつけやがるんだ!?


大崩山と違って周囲を見渡してもニセのテープはない代わりに本物のテープもまるで見当たらない。必然的に地面を睨み付けながら先人の踏み跡を頼りに正解のルートにたどり着くしかないが、私がその付近で見つけた踏み跡やそれらしき痕跡は全てまがい物だった。素直に沢を渡り返し、限りなく入り口近くまで戻ってやり直す事にする。


戻りで記念に撮っておいた肥溜めみたいなセメントの器。踏み跡を辿って行って脇にこいつが出てきたら「ハズレ」。





正解の渡渉地点にはちゃんと分かりやすい目印がある。ここで無駄にした時間はニ〇分。





そこからは暫く平和な山歩きだ。どこかの山と違って案内板や正しいテープが頻繁に現れて心強い。


風穴手前の案内板にたどり着いたのは〇九時四五分。ロスタイムを考慮するとほぼ標準コースタイム通りのペースだ。





ハシゴを登ると風穴の入り口がある。単なる風の通り道かと思っていたら、れっきとした洞窟らしい。




面白そうじゃないか。早速パックを下ろしてシュアファイヤーを取り出し、中に入ってみる。


狭い洞窟の入り口をゆっくり一段下りてみると、暗闇の中に斜めに下って行く滑り台のような岩があって、とんでもなく頼りないトラロープが一本その暗闇の中へと垂れている。シュアファイヤーで照らして見てもその先がどうなってるかなんて全く見えない。

もちろん私はそそくさと外に引き返した。


「風穴」から先は笹薮を切り開いたような道が続く。そいつを三、四〇分も歩くと稜線に乗り上げる。その手前で最後に登りが急になって来たところで四人組のハイカーがもたついている現場に出くわす。

四人のうち一人は私と同じ年代くらいだろうか。あとはみんな老人だ。その若いハイカーが私に気づいて道を開けるようにメンバーに指示を出すと、全員が敏速に道を開けてくれた。統率のとれたパーティーというのは見ていて本当に清清しい。


稜線に乗り上げると視界が開ける。さらに一五分ほど歩くと、主に東側がすっぱりと切れ落ち展望に恵まれた「二面岩」だ。さっきの四人組に追いつかれるまで一五分ほど小休止。





ただし二面岩からちょっと山頂方向に歩いた先には小広場があって、わざわざ二面岩によじ登って少々危ない思いをしながら景色に見入らなくても、そこでなら安全に、二面岩から見るのと全く同じ景色を堪能できる。


さらに一〇分ほど歩いてあっけなく山頂に到着。





時刻は一一時一〇分。

ガイドブックによれば登山口から山頂までの標準コースタイムは二時間四五分とあったが、一番始めのロスタイムと風穴や二面岩での寄り道を考えると、実質的な歩行時間は二時間足らずといったところだ。いい調子じゃないか。

時間に余裕が出来ていい気分になったところで早めの昼食。山頂にはアマチュア無線の使い手や四、五人組のグループに混じって「仙人」の姿もあった。「仙人」はグループのハイカーたちに何か質問をされたらしく、いかにも仙人らしい鷹揚な態度で彼らに何事かをレクチャーしていた。

昼食のおにぎりを平らげた私は、彼らの姿が写り込まず、逆光にもならず、そして絵になるスポットを見つけると手早く三脚をセットして記念撮影をし、一一時三〇分にはそこを後にして早々に周回コースへと向かった。ここまではただの足慣らしに過ぎない。さぁ、いよいよここからが本番だ。


障子岳方面へと続くコースはザレ場下りから始まった。その後ハシゴやロープのかけられた急峻な岩場を下って行くが、何だったら私はそれらを使わなくても下りていけそうな感じだった。大崩山のツルツル岩に比べれば、それらの登り下りは全然たやすい。

途中、ハシゴ場に差し掛かったところで下から登って来る一人のハイカーがいて、私は道を譲った。少々身体の大きなそのハイカーはパックの負い紐にGPSまで括り付けていて、それなりにベテランのハイカーにも見受けられたが、完全に息があがっていて、私が一声かけても返事が声にならない様子ですらあった。

一般コースを登って来てこのざまなんだとしたら、ただ身体が重たいだけのうすのろハイカーという事になるだろう。でもひょっとすると彼は私が今から辿ろうとしている周回コースを私とは逆回りしてここまでたどり着いたのではあるまいか。だったらスタミナを使い尽くしていたとしても何の不思議もないし、むしろ敬意を表するべき素晴らしいハイカーだ。私は彼の辿って来たコースが気になったが、本人はとても尋問できる状態ではなかったのでそのまま後姿を見送るしかなかった。


さらに行くと、またしても笹薮を切り開いた風の道に変わった。前方に何かいるな、と思ってそちらに歩いていくと、驚いた事に例の「仙人」がコース脇の木を背もたれにして、私の通り道を横切るように堂々と足を投げ出してカレーを食っているところだった。何てこった!やつは一体いつの間にこんなとこまで来てやがったんだ?

そんな事よりも、やはり「仙人」も私と同じコースを辿るつもりでいる事が明らかになった。そのコースを選ぶハイカーなんて一人もいないだろう、と高をくくっていた私にとって、それは安心感を得られると同時に少々残念な知らせでもあった。ハイカーにとって、誰にも邪魔されずに大自然を独り占めしながら歩くってのは気持ちのいいもんだからな。

それにしたって昼飯にする場所のチョイスも只者でなければ、そこで「カレー」を食ってるってのも凡人ハイカーとは一線を画している。初めて見たときから薄々感じてはいたが、やっぱりやつはとんでもない爺さんだぜ!私は「仙人」に軽く会釈だけすると、彼の足を遠慮なく跨いで先を急いだ。


それから五分もしないうちにひょっこり現れた曰くありげな案内板。





何だ?そんなものガイドブックには載ってなかったし、インターネットで事前に情報を集めていたときにもそんなのは見かけなかったぞ?だが「展望台」とこれ見よがしに書かれてしまっては素通りするわけにも行かない。

結論から言うと、その「展望台」の案内板は残りのコース上でも何度か現れた。そしてその度に私はコースを外れ、往復一〇分から一五分ほどかけて律儀にそれを見に行った。そしてどの「展望台」でみた景色も、山頂で見た景色と大して変わらなかったので、私はその度にムカついた。


黒金コースとの分岐には一二時三〇分に到着。





何度もくだらない寄り道をしている割には、標準コースタイム通りに進んでいる。


さらに五分も歩くと現れる「天狗岩」への道のりを示す案内板。





見方がよく分からなくて暫く悩む。

そこから一〇分ほどかけて「天狗岩」のてっぺんと思しきところまで登って、それまでに見たのとさほど変わらない景色に失望して早々に縦走路に戻る。

ところで天狗岩に登るのは「危険だ」というハイカーがいるようだが、何が危険なのか私にはちっとも分からなかった。それってひょっとして私は最後までちゃんと登らないで、楽なところだけ歩いて途中で引き返して来ちまったって事かい?次の機会があったらもう少しちゃんと情報を収集してから行くようにしなければ。


コースに戻って途中の天狗岩がよく見えるスポットでセルフ撮影などしながら一〇分も進むと素晴らしい展望の岩場が現れた。私は荷物を下ろしてベビースターをパリポリつまみながら絶景を独り占めできる幸運を神に感謝したが、私の行き先である「障子岳」と思しき山がまだまだ遠くにある事に気づき、かなり大きな声で毒づいた。

すると私が歩いて来た道からひょっこり「仙人」が姿を現したので、私は少し恥ずかしい思いをした。


岩場からの展望。現地で見たときデコボコの山は大崩山だと思っていたが、実は傾山らしい。





「仙人」に丁重に挨拶をして先に出発。そこから一〇分ほどで、今度は「烏帽子岩」の案内板。





こっちはてっぺんまで五分もかからない。


「烏帽子岩」から眺める祖母山の山頂。





縦走路まで戻って一〇分もかからないうちに障子岳山頂を囲む鹿避けのフェンス前にたどり着く。





率直に言って今回は事前の情報収集がかなり甘かったとしか言いようがない。このフェンスの存在すら知らなかった私は、フェンスの外に踏み跡がないかを探し回るという無駄な作業に没頭する羽目になった。もちろんそんなものはどこにもない。

元に戻ってよく見るとフェンスの扉は施錠されてるわけではなくて、緑の紐でフェンスに結び付けられているだけだ。私は「ははーん」と閃きそこからフェンスの中に侵入した。

それにしても、その緑の紐は前に通ったハイカーが結んだものなんだろうが、必要以上に複雑な結び方をしていたので、そいつが私の前に姿を現したら、私は「おい、お前。相手は鹿だって分かってんのか?」と一言言わずにはおかなかっただろう。


一三時五〇分、障子岳山頂に到着。木々の隙間から祖母山も見える。





五分ほど休憩してすぐに行動開始。


親父山への縦走路は、基本的には笹薮を刈り払っただけの道だが、一部に有志の人々がコースの整備に着手し、そしてすぐに諦めたような痕跡もある。

足をとられるだけでちっともありがたくない整備跡。





とは言えアップダウンは殆どないので、まだ体力を消耗していない私には概ねとても快適なコースだ。


障子岳山頂から噂に聞く米軍機墜落地点までは一五分ほどの距離だ。





たしかに下り側の斜面の木々は何者かになぎ倒されたように見えるが、それが墜落機の仕業かどうかは分からない。


親父山には一四時ニ〇分に到着。障子岳からは二五分といったところだ。

味も素っ気もない山頂。





素通りして先を急ぐ。


親父山から黒岳までのコース上に、行く手を遮るように二つの巨岩が落ちている事は事前にリサーチ済みだ。

親父山から一五分、まずひとつ目が現れる。





左側に回り込めばロープがかけてあるので、そいつを使って乗り越える。


乗り越えたらすぐにふたつ目。右側に回りこめば抜け道がある。





正面にロープがかけられているが、見上げてみると何とも頼りない枯れ木の切り株にかけられているので私は遠慮する。





岩の横を通り抜けて五分も行けば下山道(北谷登山口)への分岐が現れる。





もちろん少し先まで歩いて「黒岳」の山頂に立ち寄る。

ロープを登り、ちょっとした藪を漕いで進んで行くと五分ほどで黒岳山頂だ。





写真だけ撮ったらさっさと分岐まで戻る。この先は国土地理院の地図にも取り上げられてない「裏コース」だ。今日のハイキングの中で最も注意を要する行程だ。

分岐を登山口側に入ると、まず分かりやすいやり方で正しい下山コースへとハイカーを導くリボンとロープが現れる。





それらに従って進んだハイカーを待ち受けるのは「藪漕ぎを要する」急な下り道だ。どれくらい急な下り道かというと、残念ながら写真ではその急な下りっぷりを伝えられない。





とにかくなかなかお目にかかれない程度に急な下り道だが、私は気力にも体力にも何の心配もない最高のコンディションでいまここに立っている。どんな難関でも私の全ての知性と技術を以って越えてみせようじゃないか。

笹ってやつは本当に想像を絶するような繁殖力で山道だろうが何だろうが所構わず生い繁る全く苛立たしいやつらだが、とにかく引っ張っても簡単には抜けないので場所と条件によってはこの上なく頼りになる「ホールド」になる、というのが、私のこれまでの山歩きの経験を通して構築されたセオリーだ。こんな急な下り坂にわんさか生えてるなんて「どうぞ私たちを好きなだけ掴んで下りて行ってください」と言ってるようなもんじゃないか。


私は早速、右手で笹を掴んで左足を大きく前に一歩踏み出し(その方が右足を出すよりも次のステップで遠くにある笹を掴む事が出来るからだ)、今度は左手で笹を掴んで右足を踏み出すという動作でこの下り道を踏破する事を決断し、機械のような正確さでその動作を実践し、顔色ひとつ変えずに実に安定したフォームでそれを繰り返しながらずんずんと道を下り、足を滑らせて尻もちをついた。

「尻もちのつきどころが悪かったので」私は経験した事のないような痛みを尻に感じて、山中に響き渡らんばかりの声で「くそったれ」と言った。


あまりの尻の痛みに顔を歪めながら、私はもう一度そのやり方で道を下り始めた。私は尻の痛みに耐えながら、そのやり方を一時間続けてでも下り切る覚悟だったが、「藪漕ぎを要する」急な下り道はほんの一〇分で終わったので拍子抜けした。


そこから先はひたすら枯れ沢のようなザレ場を下る。要所には案内プレートが木の幹にくくりつけてあるほか、コース上には適宜ケルンが積まれているので、テープと合わせてよく確認していけば道迷いの心配はないだろう。

終盤になると何度か沢筋を離れて沢沿いにつけられた道を歩き、渡渉を繰り返して最後は笹ヤブの中を走る踏み跡を辿る。

一六時ニ〇分、林道に到着。





「仙人」の車は、もうそこにはなかった。私があちらこちらに寄り道している間に私を追い抜いてさっさと帰ってしまったらしい。


駐車場までたどり着くと、そこには私の車以外に一台の車すらいなかった。周回コースをとったのは私と「仙人」くらいだろうから、それも不思議な事ではなかったろう。普通に登り下りするだけなら、技術的にも時間的にもそれほど大変な山でもない。





私はうららかな日差しの中、私のほかには誰一人いない駐車場でゆっくりと着替えを終え、車の助手席に座ってダッシュボードの上に足を投げ出しながら「ベビースター」の残りをパリポリと平らげ、そのまま暫く目を閉じて鳥の鳴き声や風の音に耳をすまし、それに満足すると車のエンジンをかけてその場を後にした。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。





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