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ぷしろぐ >> 登山編
【 カ テ ゴ リ 】


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May 2, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

芳しくない結果に終わった唐松岳の尻滑りは私のハートを火打山へと向かわせた。トミーに話を持ちかけてみると、〇七〇〇時に行動を開始するには、連休の渋滞まで考慮した場合、私を〇二〇〇時には自宅前でピックアップしなければならない、と言う。おいおい、ちょっと待ってくれ。それって「寝るな」ってこと?


ガイドブックを紐解いてみると、夏場に笹ヶ峰から山頂まで往復するのに見込まれる標準所要時間は九時間ってところのようだ。雪が積もってるんなら登りの所要時間は夏場よりも当然上乗せされる。ただし下りは重力に身をまかせて滑り落ちていくだけだ。まぁ往復で差引きプラスマイナスゼロってところだろう。トミーの設定したスケジュールはまぁまぁ現実的な線のようだ。


交替で助手席で居眠りをしながら私たちはトミーご自慢のアウディで笹ヶ峰の登山口へと向かった。私はいつものように高速道路の担当だ。トミーの懸念は全く空振りだった。つまり高速はこよなくスムーズに流れていた。

ついでに私は助手席で眠るトミーの期待に応えて、当初カーナビが予想した「目的地までの所要時間」を三〇分ほど縮めておいてやった。


〇五時四五分の駐車場。





インターネットで収集した情報によれば、〇六時三〇分には満車になる、とあったが、私たちがそこに着いたときにはほかに四台の車がとまっているだけだった。

何組かはまだハイキングの準備中だ。みんなスキーヤーのようだ。


駐車場から道路を隔てて向かいにある山小屋は閉鎖中だった。トミーは用を足すためにそちらへと歩いて行き、すがすがしい表情で戻って来て「トイレも閉まってます」と言った。

やれやれ、女の子たちはみんな大変だな、と私は他人の心配をしながら、たぶんトミーがやったのと同じことをするために山小屋の裏手へと向かった。


トミーに負けず劣らずすっきりした表情で駐車場へと戻った私が準備をしていると、元気そうな爺さんが一人、ツボ足で登山道へと踏み入って行った。それを見た私はトミーに「アイゼンなんていらないんじゃないのか?」と意見を求めたが、トミーは頭でもおかしくなったのか?と言わんばかりの表情で私を見ながら「そんなわけないでしょう」と言った。

トミーに言われるがままに登山口のゲートにうず高く積もった雪壁の向こう側を覗いてみた私はトミーの意見に全面的に賛同の意を表したが、そうするとさっきの爺さんはいったい何者だったんだ?


爺さんのほかにも数組のハイカーが準備をしている私たちを尻目に登山道へと出発して行った。彼らは私たちが車をとめた「登山口に最も近い」駐車場とは別の場所に車を止めてわざわざ車道を歩いて来たのか、いつの間にかひょっこり現れては出発して行った。駐車場にはいくらでも空きがあるっていうのに、彼らの意図は結局私たちには最後まで分からなかった。


ちなみに今回の山行で私と一緒に尻滑りに興じるために前日までには「ソリ」を購入して準備万端だったトミーは、例によって「ソリ」を自宅に忘れてきたらしい。まぁアイゼンを忘れられるよりは全然ましだがな。


〇六時二〇分、私たちも出発。





登山口ゲートは雪に埋まっているので、その脇の雪壁を登って「入場」する。


先に行った人々は既にどこにも姿が見えなかったが、足跡だけはちゃんと残してくれて行ったので、私たちはそれをたよりに前進する。万がいち道に迷ってしまったらトミーのGPSだけが頼りだ。

私は地図もコンパスも、ガイドブックすら自宅に置いて来た。まぁ何と言うか、一台の車のダッシュボードに二つも三つもカーナビを置いたってしょうがないってことだ。そうだろ?


しばらくはほぼ水平方向にだらだら続くだけの退屈な道を行く。





雪はそこそこ締まりがよくて、そしてまだまだ潤沢に積もっていた。気象情報のウェブサイトで気温が常時摂氏5度前後であることをチェックしてあった私としては意外な限りだった。


何と言うか、燦燦と照りつける陽射しのもとで溶けた雪が土と交じって登山靴がどろどろになってしまう情景を思い浮かべながら、雪山には必ず持参するようにしているオーバーブーツは自宅に置いてきてしまった私はメレルに直接アイゼンを装着して登る羽目になってしまったが、そいつはとんでもない判断ミスだった。山頂近くを歩いている頃には、マジで両足が凍傷になるかと思った。

ついでに今日の私は防寒ジャケットも家に忘れて来てしまっていた。


〇七時二〇分、トミーが左手の谷の方角から川のせせらぎの音を聞きつけて、そっちの様子を見に行った。トミーの懸念したとおり、私たちが追いかけて来た足跡の主は、私たちが渡るべき「黒沢橋」を通り過ぎてしまっていた。


五〇米ほど後方にたたずむ「黒沢橋」。





橋の方へと引き返してそこを渡る前に少しばかり休憩。スノーボードを背負った若者のグループが追いついて来たので、彼らに先を譲ることでトミーと私は合意したのだが、彼らも私たちから少し離れた地点で休憩を始めた。

仕方がないので先に橋を渡ることにする。


トミーは私よりも真面目に予習をして来たようで、私たちが歩いて行くべきコースの概要について私よりも詳しくて有益な情報をいくつも提供してくれた。例えば「このあたりから、登りがきつくなります」といった、聞きたくもない情報も含めて、だ。


黒沢橋を渡った先から始まる登り坂。





私は早速ピッケルを取り出した。雪がほとんど溶けてしまった道のりを想定していた私は、まさかこんなに早くからピッケルにお出まし願うことになろうとは想像すらしていなかったが、それはそもそも私が帰りに山頂付近で取り出して、尻滑りのブレーキに使うためだけに持参したものだった。いやはや、全くもって私は本当にツいていたというほかはない。


その登りは後で知ったのだが「十二曲り」と呼ばれるスポットだったようだ。そこにはご丁寧に一二か所に渡って看板が設置されている、ということも後から知ったが、それらの看板は私たちがそこを通ったとき、一番うえに設置されたやつ以外はひとつ残らず雪の下に埋もれてしまっていたに違いない。


〇八〇〇時に「十二曲りの頭」まで登り切る。背後に高妻山。





そこから先に見えるのはなだらかな稜線だ。トミーの情報によれば、十二曲りを登り切りさえすれば、前半戦の山場は既に超えたと言ってもいいらしい。

少々の休憩を挟んで〇八時一〇分に出発する。


トミーの情報はでたらめだった。





こっちの登りでは、ストックを持っているので普段は頑なにピッケルを出さないトミーですら、いそいそとピッケルを取り出した。

踏み跡は腐った雪を避けるようにいったん日陰側まで回ってから急な登り斜面を直登するようにつけられていた。なかなか「できる」先行者たちのようだ。


その坂を登りきってからしばらく行くと林を抜けて道が開ける。





トミーのGPSから得られる情報によれば、踏み跡は「富士見平」と呼ばれる黒沢池ヒュッテに向かうルートとの分岐点よりもやや西側についているようだ。

私たちを天上の世界にいざなうかのように青い空へと向かって延びる雪の道を登り切って右に曲がり、しばらく行くと広っぱから火打山が見えて来た。





撮影タイムをかねてしばし休憩。


次にとりかかるのは黒沢山のトラバースだ。





左手遠くに見える白馬連峰。





高谷池ヒュッテと火打山を一望。





目の前に広がる人っこひとり見えない大雪原に私は思わず感嘆のうめき声をもらした。


一〇時二〇分、高谷池ヒュッテ前に到着。





先客が何組かテントの設営を終えて昼食をとっている。トミーにここで昼食にするか聞いてみたが、まだ時間が早いというので、ここでは休憩だけとることにする。

トミーがベンチに仰向けに寝転んで仮眠をとっている横で私はポテトチップスを平らげながら雪に覆われた美しい高原の景色をぼーっと眺めて過ごす。

雲ひとつない快晴で気象条件も申し分ない。何時間もかけて歩いて来た苦しみをきれいさっぱり忘れてしまえる至福のひとときだ。ただ行動中は暑いくらいだったが、そこでポテトチップスをもぐもぐやってる私に吹き付ける風は少々冷たかった。


一〇時四五分、山頂に向けて出発。





私は手持ちのガイドブックにヒュッテから山頂までのコースタイムが四五分と書いてあったように記憶していたんだが、そいつは何と言うか、まぁ私のとんだ勘違いだった(実際には一時間と四五分だ)。

そうとは知らない私は、歩いても歩いても腐った雪に足をずるずるとられて時間ばかり過ぎていく割には一向に前に進めない状況にただただイラつく。


おまけに私たちの少し前を行っていたスキーヤーの二人組がみるみる私たちから遠ざかっていくのが見える。





そいつも後になって気付いたんだが、私はてっきりスキー板みたいな、私に言わせれば無駄に巨大で重たいだけの「靴」を履いて山道を歩くなんて、私たちのようなハイキングシューズにアイゼンというシンプルなスタイルで歩くよりはるかにキツくて非生産的な運動だとばかり思っていたが、あれは細長いカンジキだと思えば、私の仮説が単なる思い込みに過ぎないことは明らかだ。

つまり一番キツくて非生産的な運動にいそしんでいるのは他ならぬ私たちだったってわけだ!


雪の状態が「マジで最悪」な山頂手前のピークをトラバースし、何度も足を滑らせ、ひぃひぃ言いながらようやく山頂直下の稜線に取っついたのは一二時〇〇分。


最後の斜面を仰ぎ見る。





何度もずぼずぼ足を突っ込んでるうちに靴を通して浸みこんできた来た雪のせいで足の感覚が麻痺してきてるのが分かる。おまけに地形のせいなのか何なのかこの辺では背後から容赦なく風が吹き付ける。

あいにくジャケットは私の自宅のクローゼットに吊るされたままだ。全身寒くて鼻水が止まらない。


トミーはどこだ?振り返ると一〇〇米ほど後方をよたよた歩いているのが見える。彼は登りではいつだって私よりはるかに敏速に行動する優れたハイカーだが、前回の唐松岳と言い、どうやら雪の斜面を登るのだけは苦手のようだ。

山頂にさえたどり着けば風を凌げる場所が必ずあるはずだ、と自分に言い聞かせながら重たい足取りで一歩一歩斜面を登る。


一二時〇五分、ようやく山頂に到着。





山頂に着いた瞬間、いままでが幻ででもあったかのようにピタリと風がやんだ。ぽかぽかと暖かい日差しを全身に浴びて生き返るような心地だ。


連休にもかかわらず山頂には私たちを置き去りにしてすたすたと先を行ってしまった例のスキーヤー二人組以外には誰もいない。大して人気のない山なのか?などとこっそり思いながら、山頂の西寄りの一角を占拠して昼食の準備だ。

一〇分ほど遅れてトミーも到着した。


もちろん昼食はいつも通りの鹿児島ラーメン。





そこに至るまでの道のりの厳しさはともかく、山頂自体は家族連れがピクニックで出かけて行きたくなるようなのどかな環境だ。そこですするお手製の鹿児島ラーメンに至福のときを感じないわけがない。


山頂は三六〇度の展望が広がっているが、特に感動的というほどのものでもない。つまり近隣にこれと言って目を見張るほど美しい名峰が控えているわけではない。


隣の山から煙がちろちろ上がっているのでトミーにそいつを指摘すると、あれは焼山だ、と教えてくれた。





二人して思い思いのときを過ごし、一三時三〇分に山頂を後にする。


さぁ、いよいよここからが本番だ。私はバックパックから何度見ても出来損ないのチリトリにしか見えない例のソリを取り出し、上から急斜面を見下ろした。

ふむ、なるほど。結構な角度の斜面じゃないか。良くも悪くも、やはり唐松岳なんぞとは一味違う。


もちろん私には「恐れ」の感情など無縁だ。早速ひと滑り。※映像はトミー提供。





初回にしてはまずまずの滑りだ。


ソリを自宅に忘れて来たうっかり者(トミー)にもソリを貸してみたが、足の上げ方に思い切りが足りないのかいまいち滑りがよくない。


お手本代わりにもう一度私が滑る。※映像はトミー提供。





いいねぇ、六時間もかけて苦しい道のりを乗り越えて来た甲斐があったってもんだ。ここまでは山頂直下の斜面。


圧巻だったのは山頂の隣(ヒュッテ側から見て山頂手前)のピーク斜面での一コマだ。私は往路で散々苦労しながらトラバースした急斜面を、自分のつけた踏み跡に対して直角に「滑り落ちて」やった。

まさに全ての尻滑りファンにとってのお手本とも言うべき、この私の優雅でエキサイティングな素晴らしい滑りっぷりをお見せしよう。※映像はトミー提供。





あまりに高速に達しすぎたので、ピッケルで滑落停止の手順を踏んで止まろうとした私は容易に止まることが出来ないまま何度も回転しながら全身雪まみれになってしまった。ひゃー、こいつはサイコーだぜ!!


その後も何度か尻で滑りながら、一四時四五分に高谷池ヒュッテに到着。

午前中に出発したときよりも明らかにテントの数が増えている。





日帰りでこの山にやって来るハイカーはあまりいないようだ。あれ?そう言えばインターネットで見かけた「日帰り」ハイカーたちはみんなスキーヤーだった気がして来たぞ?

ひょっとして私たちは結構バカな計画を立てちまってやしないかい?


小屋のトイレで用を足すためにアイゼンを外すことになったトミーに、ついでに小屋でスポーツ飲料を買って来てくれるように頼んだ私は、親切なトミーが全ての用事を済ませて戻って来るまで小屋の外で寒さに震えながら待った。行動中はそれほどでもないが、止まるとジャケットなしではやはり寒い。

結局、トミーは小屋のスタッフに去年の一二月に賞味期限が切れたダカラを掴まされて戻って来た。それしかなかったのか、古い方から先に出していくという小屋の一方的な在庫管理上の都合でそうなったのかは知る術もないが、私は小屋にトミーを介してきっちり三〇〇円を徴収された。


一五時一五分にヒュッテ前を出発。もういい時間だと思うが一泊行程なんだろう、登って来るハイカーが跡を絶たない。


黒沢山のトラバースに差しかかった頃に見かけた、はるか前方からこちらに向かってぞろぞろ歩いて来るハイカー集団。





彼らの先頭を歩いていた、いかにも「山の男」といった風の屈強な五〇年配の男たちは、さり気なく道を譲った私たちの前を通り過ぎざま、私を見て「便利そうなものをぶら下げてるな」と声をかけ来た。

私は装帯のパウチのフラップを開け閉めしながら、行動中であってもいちいちバックパックを下ろしたりせずに飲み物や食糧を手早く手にすることが出来るその便利さを説明しようと試みたが、実は彼らが興味を示したのは装帯ではなくて、私が首から紐でぶら下げていた例のソリの方だったので、私はとんだ赤っ恥をかいた。

山男たちはソリで滑り降りた場合の速度が気になるようで、それについて率直な質問をぶつけて来たのだが、私はあいにく彼らの言葉がよく聞き取れなかった。すると事もあろうにトミーが横から勝手に「大してスピードは出ない」と応えてしまった。おいおい、トミー。君のはともかく私の斜面上を疾走するような滑りっぷりを君だってその目で見ていたんじゃなかったのか?

後でさり気なく山男たちに正確な情報を伝えなおしてから下山を再開する。


当たり前だが雪の状態は朝来たときよりも明らかに悪くなっていた。登りで手こずったかなりの急坂をやっぱり手こずりながら下り切って、十二曲りの頭を通過したのが一六時二五分。黒沢橋に着いたのは一六時五〇分のことだった。

そこから踏み跡を頼りにひたすら退屈な道を歩いて登山口に辿り着いたのは一七時三〇分。休憩時間も相応に含まれるとは言いながら、私たちは山中で一二時間近く行動してたってわけだ。全くタフな休日だったぜ。


それから私たちは、例によってトミーがどこからか見つけて来た温泉で心行くまで疲れを癒し、それから夕食のために、これまたトミーが選定したイタリアンの店へと向かい、たぶんその選定の際に料理の値段をチェックし忘れたトミーが入店してからボードに書かれたそれぞれの料理の値段を初めて知ってヒソヒソ文句を言い出したのを聞きながら私は必死に笑いをこらえ、結局二人ともピザやパスタだけでは飽き足らず、パフェやケーキまでぺろりと平らげてから店を出て東京へと戻った。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。







March 28, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

水曜日に天気予報を見ていて素晴らしい好天が見込まれることに気づき、週末に唐松岳に行かないか?とトミーにEメールを送ったら二つ返事でOKと来た。トミーも割と暇なんだな。


〇四〇〇時にご自慢のアウディで自宅まで私を拾いに来てくれたトミーを気遣って、高速道路の大半は私がハンドルを握った。土曜日であるにも関わらず高速は渋滞することもなくスムーズに流れていた。スキーヤーもずいぶんと減ってしまった、と助手席で眠り込んでいた元スキーヤーのトミーはいつの間にか目を覚まして溜息をついていたが、彼こそスキーをやめてしまった張本人でもあった。


八方尾根スキー場の無料駐車場は、なかなか見つけづらいところにあった。親切な案内板が付近の道路に立ってないのは、その界隈で有料駐車場を営んでいる地主たちへの配慮だろう。

ゴンドラ乗り場のスタッフにでも駐車場の位置を聞いてみようと乗り場まで偵察にいった私は、スキーヤーで混雑している割にちっともスタッフらしき人間が見当たらないので、すぐにあきらめてすごすごと車に戻った。それでも私たちは絶対に悪徳地主に金は払わない、という屈強なる意志をもって無事に無料の「第三駐車場」を発見した。


〇七時三〇分にはほぼ満車。





身支度を整えて駐車場を出発し、ゴンドラ乗り場へと向かう。まぁ歩いてざっと一〇分かそこらってとこだろう。ぞろぞろとゴンドラ乗り場の方へと歩いているスキーヤーたちに交じって、登山姿をした人々も何組かいるようだ。


大勢のスキーヤーに交じってゴンドラに乗るのは私にとって初めての経験だ。学生時代に散々スキーをやったというトミーもハイカーとして乗るのは初めてだろう。なので切符の買い方からして私たちには少々ハードルが高かった。

つまりそこにやって来るほとんどの乗客が帰りの切符を必要としない窓口の係に、私たちにかぎっては往復の切符が必要なことをきちんと理解させなければならない。しかも私たちはスタート地点の「八方池山荘」にたどり着くまでに三本のゴンドラかリフトを乗り継がなければならなかった。つまり切符を買う回数も「三回」だ。

私は「たまたま」三回ともトミーの後ろに並んだので、トミーが切符を買い終えてから私の順番になったら窓口の係に「同じものを」とオーダーした。


ゴンドラはともかく、雪山の斜面を宙吊りになって吹きさらしのまま運ばれる「リフト」なる乗り物に乗ったのもまた生まれて初めての経験だった。乗ってみるまで気付かなかったが、あれはとんでもなく寒い!まだ歩き始めてすらいないのに、トミーは今日も隣で私の罵り声を聞かされる羽目になった。


リフトの終点には雪に埋まった「八方池山荘」があり、その前では私たちと同じようなただのハイカーのほかにスキー板を携えたハイカーたちも出発の準備にいそしんでいた。

彼らは帰り道ではかなり楽をできるんだろうが、あれを履いたりかついだりして山道を登って行かなければならない苦しみというのは、ちょっと私の想像できる範囲を超えている。私は尻滑り用のソリをバックパックにしのばせてあるので、それに適した斜面があれば使うつもりだったが、もう本当にそれで十分だ、と思った。

ちなみにトミーは大雪渓で私がそれに興じている姿を目の当たりにして密かに自分もソリを入手することを計画し、いざ今回の山行に備えて何軒かの登山用品店を見て回ったのだが、どこも在庫がないか、やっと見つけた店でもピンクのやつしか在庫がなかったので入手することをあきらめたらしい。

別に色なんて何でもいいじゃないか、と私は思ったが、彼にとって尻滑り用のソリは、あくまで男らしくカッコいいマシンでなければならないようだ。


〇九〇〇時に山荘前を出発。今回のハイキングに関しては地図もコンパスもなしだ。標準コースタイムが往復で七時間弱ということは覚えてるが、それも大してあてにはならない。

つまり私たちが気を配るべきこととは、現時点でどれだけかかるかは分からないが、とにかく山頂に着いたら登りにかかった時間の七割くらい下山にかかるものとしてその場で下山開始時刻を設定し、最後のリフトが出てしまう一六〇〇時までにはここに戻って来なければならない、ということだ。


登り始めは概ね空が雲に覆われていたので、まぁ絶景というわけにもいかなかったが、それにしてもこのハイキングルートはのっけから雪をかぶった白馬三山や五竜岳を楽しみながら登ることが出来て素晴らしい。何の景色も見えない「くそったれ林道」を三時間も歩かされた前回のハイキングとはうって変って、私は大喜びでそこを登りながら何枚も写真を撮りまくった。


〇九時一五分にひとつめのケルン(八方山ケルン)を通過。バックの稜線は白馬三山。





私とトミーの計画方針上それは滅多にないことだったが、今回のハイキングに限っては私たちのほかにも周囲に何人ものハイカーがいた。踏み跡から少し外れるとくるぶし位まで足が雪に埋まってしまう。ひいひい言いながら登ってる山道で誰だってそんな目にあいたくないから必然的にほぼ全てのハイカーが一筋の踏み跡に沿って行儀よく一列に並んで登っていくことになる。


要するにこんな感じだ。





それはそれで結構なことなんだが、このルートは初心者向けのルートとしていろんなガイドブックに取り上げられてしまっているので、なかには快適に歩く周囲のハイカーの足を引っ張るような不届き者も紛れ込んでいる。まぁ、そんなやつに運悪く出くわしてしまったら暫く立ち止まって美しい周りの景色でも眺めてるしかない。


○九時三五分、便所前を通過。





白馬三山をバックに第二ケルン。





八方ケルン。





そして○九時五〇分には第三ケルンに到着。





赤岳の(たぶん主に「くそったれ林道」の、だろう)ダメージから完全には回復してないのでペースの上がらないトミーをしばらくそこで待つ。


トミーと合流して一○○○時に第三ケルンを出発し、一○分ほどで「下の樺」に差しかかる。





その先はちょっと手ごわい急斜面だ。主にガイドブックの情報を鵜呑みにしてやって来てしまったあわて者が最も大勢のハイカーに白い目で見られるスポットでもある。

私の前にいた二人組は、その会話を盗み聞きするかぎり、かなり「できる」ハイカーのようだったが、その四、五人前を歩いていた初老の男のおかげで彼らも急な斜面上で半分足止め状態にあった。そのとき彼らのうちの一人が、おや?富士山が見えるじゃないか、と言ったのを私は聞き逃さなかった。


もちろんすぐにそっちを見たら彼らの会話を盗み聞きしていたことがバレちまうし、何だか富士山さえ見えれば喜んでしまう軽薄なハイカーに思われてしまうのも少々不愉快だ。私はしかるべき時間が経過したのちにそちらにさり気なく目をやった。

なるほど、いくつもの山塊を超えたはるか向こうの方に見覚えのある例のシルエットがはっきりと見える。あとでトミーにその話をしたら、そんなことより富士山の手前に赤岳が見えますよ、と教えてくれた。

明らかに至近距離にある赤岳からちっとも見えなかった富士山がこんなに遠く離れた唐松岳から見えるというのもおかしな話だが、そればかりは私たちの努力でどうにか出来るものでもない。


一○時三五分に「上の樺」を通過し、丸山には一一時一〇分に到着。

「下の樺」から見上げる丸い山はただの丸い山であって「丸山」ではない。その奥の大き目のケルンが立ってるやつが正解だ。


白馬三山の稜線をバックに雄々しくそびえ立つ「丸山ケルン」。





トミーは相変わらず私のはるか後方を歩いているようだ。振り返ってどの辺を歩いているのか探してみるのだが、トミーと同じ服装(赤いジャケットと黒いパンツ)のハイカーだらけで、どれがトミーなんだかちっとも分からない。私はトミーを信頼して、つまり放っておいて先を急ぐことにした。


地形的に白馬側から抜けてくる風の通り道に当たるのか、丸山から先では一気に体感温度が下がる。寒さに耐えかね、途中に現れたなだらかな斜面で荷物を下ろしてジャケットを取り出すことにする。

この時点で私が山頂だと思い込んでいる手前のピークは偽物だ。本物はその奥(画像では右側)に見える三角形の方だ。





偽物のピークには一二〇〇時ちょうどに到着。そこは頂上山荘の「展望台」とされているところで、剣岳を始め、立山連峰の山々を一望できる。





トミーは一五分ほど遅れて到着した。協議の結果、見晴しがサイコーなうえに時間も時間なのでその場でランチにする。

もちろん私はいつもの「鹿児島ラーメン」。





出来あがり。





展望台に辿り着いた途端に視界が開け、素晴らしい景観が一気に目の前に広がるので、後続のハイカーたちがやって来る度に歓声があがるのだが、私の昼食まで目ざとく見つけては「おいしそう」とか何とか黄色い声をあげる山ガールがいたのには閉口した。


昼食を終えて「展望台」を一二時四五分に出発。


二五分ほど歩いて一五人ほどのハイカーがくつろぐ山頂に到着。





人の溢れかえる賑やかな山頂は私たち好みじゃない。さっさと記念撮影をすませて引き上げることにする。


みんな山頂碑を背景にして記念撮影に興じているが、その奥の方には誰もいない。そっちに行けば素晴らしき立山連峰の壮観な眺めを背景にできるばかりか見知らぬハイカーたちが私たちの記念写真に写り込むなんてこともなく撮影ができる。

早速、三脚をセットしてカメラのセルフタイマーを起動し、一〇枚連続で撮影できる設定にしてからシャッターボタンを押してトミーの隣へと走る。

所定の位置についたところで撮影ランプが小刻みに点滅し始めた。一枚、二枚、三枚・・・ 少しずつポーズを変えていき、八枚目が撮影されたその瞬間、突然一陣の風が吹きつけ私のお気に入りの帽子をさらって断崖絶壁の向こうへと連れ去ってしまった。くそっ、何てこった!!


ちょっとした気のゆるみで顎ひもをかけるという何でもないことを面倒がったためにとんでもない代償を払う羽目になった私は、二度とそんなくだらないことで自分を甘やかしてはならない、と自分を戒めながら、一三時二五分に下山を開始する。


山荘までの帰路、ちょっとしたトラバースが必要になる割と急な斜面があって、前を行く若いハイカーがビビってしまったので、私たちはそこで足止めを食らった。踏み跡を見ればどこをどう歩いていけばいいか分かりそうなもんだが、たしかに足を滑らせちまったら数百フィートは滑落することになるだろう。初心者でも楽しめるルートということになってはいるものの、それはそれで本当の初心者には少しばかり酷なように私には思われた。


一三時四五分に、まだ一〇人ほどのハイカーが寛ぐ山荘の展望台を通過し、一四時一五分には丸山を通過する。同二五分に「上の樺」に到着。

ダケカンバだか白樺だか知らないが、青空と雪山を背景によく映える。





下山中にちょっと年のいったご婦人が尻滑りにチャレンジしている場面に遭遇する。尻滑りは大胆さが重要だ。ソリを尻の下に敷いて両足をその前の地面におく。ソリと雪面の間の摩擦抵抗はほぼゼロに等しく、地面に置いた両足だけがブレーキだ。そして何も考えずに両足をひょいと上げた瞬間、ソリはゲートから放たれた競走馬よろしく斜面のうえを勢いよく走りだす。

ご婦人はまだあまり経験がないか、ひょっとすると初めてのチャレンジだったかもしれない。足の上げ方に思いきりのよさが感じられない。


私はアイゼンを外すのが面倒なのと、登りの道中で注意深く観察してみたものの、それほど尻滑りに適した斜面があるようにも思えなかったので、今日は尻滑りはなしで下山するつもりだったが、ご婦人の尻滑りの様子を少々じれったく思いながら見ているうちに、無性にそいつがやりたくなった。


ご婦人の目の前でやるのは少々気が引ける。そこからしばらく下りてある斜面に到達すると、私はトミーにこれから私がやることを宣言し、バックパックから何度見てもチリトリの出来損ないにしか見えない自分のソリを取り出した。


映像はトミー提供。





こうして客観的に見せられると、私もさっきのおばさんと大して変わらないことがよくわかる。ただ午後の遅い時間帯の雪は多くの場合腐ってしまっているので「尻すべり」にはあまり向いてないということだけは指摘しておこう。


結局、私たちは一五時二〇分には山荘前に到着したので、ゆっくりとアイゼンその他の装備を外してリフトに乗り込んだ。朝、それに乗るときにそれぞれ往復のチケットを買っておいたリフトやゴンドラを下りる度に、いちいち帰りの分のチケットを取り出すという面倒な作業に取り組まなければならなかったので、私は少々いらついた。取り出しやすいところに仕舞っておけばいいと思うだろうか?それはどこだ?ポケットか?不用意なところに仕舞っておいたがためにハイキング中になくしちまったら元も子もないじゃないか。


無事に駐車場まで辿り着いた私たちは例によってトミーがどこからか見つけて来た温泉へと向かった。そこは出来たばかりの温泉なんだ、とトミーは嬉々として私に、その温泉に関するちょっとしたレクチャーをした。

トミーが期待を寄せるその「出来立てほやほやの」温泉施設に着いてみると、その広大な駐車場は既に主にスキー客のものらしい三、四〇台ほどの車であふれ返っていて、トミーは正直に、その事実を快く思わない事実を、あまり上品でない言葉で表明した。

私はその時点ではたぶんトミーよりもいくらか楽観的だったが、いざ券売機で買ったチケットをフロントの男に渡し、脱衣場に進入してみて愕然とした。たった二〇フィート四方かそこらの脱衣場には四、五〇人分はあろうかというロッカーがただでさえ狭苦しい脱衣場の空間を我が物顔に占有していて、残された空間の中で一〇人ほどの先客が肌も触れ合わんばかりにして服を着たり脱いだりしている。

一番むかついたのは、そんな状況であるにも関わらず目障りな清掃員の男がその狭苦しい空間の中をあっちへうろうろ、こっちへうろうろしながら自分の仕事をさっさと終わらせようとしていることだった。トミーはその脱衣場の温度調整に対してかなりいらついていた。冷房が効いてるのかどうかはよく分からなかったが、たしかにそこにあって当たり前の扇風機はどこにも設置されてなかった。


帰り際にトミーは「何で駐車場だけはこんなに広いんだ?」と毒づいたので、私もロッカーの数が不適切であることを指摘した。あの施設の経営者は客を詰め込めるだけ詰め込めば利益につながるとでも考えたんだろうか?

あいにくだが私たちは二度とそこを訪れようとは思わなかったし、トミーはフェイスブックにまでその施設の悪口を投稿して何人かの潜在的な顧客からあの施設が得られたかもしれない分の売り上げを奪うことに成功した。


その後、私たちは「ガーリック」に向かったが、新しく入店したと思われるとても可愛らしい女の子の店員に「満席です」と言われて追い払われ、続けて向かった「グリンデル」では玄関前に一〇人ほどの行列ができているのを見て入店をあきらめ、大急ぎでタブレット端末を取り出して私が見つけた「白馬飯店」という中華料理屋に滑り込み、そこでも二〇分ほど待たされたが最終的には無事に夕食にありついた。スキーシーズンの白馬は初めてだったが、その集客力は全くもって侮れない。

結果的に「白馬飯店」で夕食をとることが出来たのは私たちにとってとても素晴らしい経験だった。私たちは白馬で三件目のお気に入りのレストランが出来たことを喜ばしく思いながら、白馬の地を後にした。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。







March 21, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

開聞岳で出会った「ホワイトベアー」とは、あれからずっと連絡を取り合う仲だったが、お互いのスケジュールがなかなか合わないことと、彼の山岳家としてのレベルが私のはるか上を行っていて、彼の提案してくる山行プランが私にしてみればあまりに現実離れしている(例えば早月尾根を往復して剣岳に日帰りで出かけよう、とか)こともあって、彼と山行を共にする機会にはなかなか恵まれなかったのだが、ようやくお互いのスケジュールを合せてそいつを実行するときが訪れた。ターゲットは雪の八ヶ岳だ。


今回のプランは美濃戸から入って赤岳鉱泉で一泊、翌日は文三郎道か、場合によっては地蔵尾根経由で赤岳に登り、その日のうちに下山する、という、きわめてオーソドックスなものだ。そいつは「ホワイトベアー」のこれまでの輝かしい経歴を考えるときわめて平凡なプランだと言うほかないが、言うまでもなく彼の意見を私が押し切った成果にほかならない。

私の友人であり偉大なるハイカーでもある「ホワイトベアー」から発案された、まず阿弥陀岳、それから赤岳、横岳と経由して硫黄岳まで一日で周回しよう、なんて非常識なプランを私は一蹴した。


今回のプランには名実ともに私の山行パートナーとも言うべきトミーも参加する。〇六〇〇時に私の自宅にご自慢のアウディで乗り付けたトミーは私を拾うとすぐさまホワイトベアーの回収地点へと向かい、そこでホワイトベアーと初めての対面を果たした。彼らはフェイスブックを通じて事前にいろいろとやり取りをしていたので、まんざら知らない仲というわけでもなかった。

私たちはまるで三人とも一〇年来の友人であるかのようなムードで美濃戸までのドライブを楽しんだ。


美濃戸口の八ヶ岳山荘前には一〇時一五分に到着。





駐車場にはほかに四台の車しかとまってない。


ひと月前に厳冬期の八ヶ岳ハイキングを既にお楽しみ済みのホワイトベアーは、そこから歩いて一時間ほどかかる美濃戸山荘までトミーのアウディで移動できないか確認する、と言って誰か(たぶん美濃戸山荘のスタッフだろう)に電話をした。

そのとき小型のセダンで美濃戸口までやって来たホワイトベアーは、その先の凍結した「くそったれ林道」を車で進むことを断念せざるをえなかったが、たまたま大型の四輪駆動車で通りがかった見ず知らずの親切なハイカーによって美濃戸山荘まで運んでもらえるという幸運に恵まれたらしかった。

残念ながら今回、ホワイトベアーの電話の相手が導き出した慎重なる回答は「歩いて来い」だった。トミーはそそくさと山荘の売店に駐車料金を支払いに行った。


全員が身支度を整えて一〇時四〇分に八ヶ岳山荘前の駐車場を出発。ハイウェイを走ってる間じゅうどんよりしていた空模様はいつしか青空に変わっていた。いいねぇ、のどかな春の陽射しを浴びながらの雪山ハイキング。だが上々の滑り出しから一〇分と歩かないうちにストックを使わない私は早くも凍結した「くそったれ林道」につるつると足を滑らせて、それ以上進めなくなった。私は舌打ちをしながら前を行く二人に大声でアイゼンの装着を宣言した。


私たち全員がアイゼンを装着して再び歩き始めたころに小型のジープが「くそったれ林道」をのろのろとやって来たので、私たちは道を譲った。そのまま美濃戸山荘まで車で乗り付けるハイカーだろうか?

しばらく歩くと私たちを追い抜いて行ったそのジープが進行方向斜めを向いて停車していて、ジープの主とおぼしき初老の男がその脇で涼しげな顔で遠くの山を見上げていた。

その初老の男は地図の製作会社のロゴの入ったジャケットを羽織っていた。現場調査にやって来てジープが立ち往生しちまったので、それを良いことに仕事をさぼって自然の景色を楽しんでるってとこだろうか。

いずれにせよ、小型のジープでは歯が立たないくらい「くそったれ林道」の路面状況はサイテーだった。


一二時に赤岳山荘の前を通過し、美濃戸山荘に着いたのは一二時一〇分。駐車場からの標準コースタイムが六〇分であることを考えると、アイゼンの装着に浪費した時間はまったく余計だった。

ここで北沢コースと南沢コースを分ける。





私たちがそこで小休止していると、山の方からキャタピラ式の小型トラックがやって来て、私たちはもの珍しさに歓声をあげた。ホワイトベアーの情報によれば、今日我々が投宿する赤岳鉱泉に生活物資を運び上げるための特注トラックらしい。


一二時二五分に美濃戸山荘前を出発。もちろん赤岳鉱泉を目指す私たちが進むのは北沢コースだ。


展望も何もない「くそったれ林道」が延々と続く。私はただぶつぶつ文句を言いながら前を行く二人についていく。





私にのしかかる私にとって小屋での快適な暮らしに不可欠な着替えその他のさまざまな「生活必需品」の重量に加えて、四か月ぶりの山歩きということもあって、とにかく「くそったれ林道」歩きは苦痛だった。おまけに私は足腰の鍛錬のためにストックを使わない主義で、ホワイトベアーとトミーは素直にそれを使う。

苦痛に顔をゆがめながら、私はトミーに今すぐアウディを売り払ってさっきのキャタピラ付きトラックを手に入れ、私をそいつで小屋まで運ぶべきだ、と意見を言った。トミーは買い替えるならスバルの4WDだな、と呟いたあと、毎回のように登りの山道で文句を言う私に、いい加減に泊まりの荷物を減らしたらどうです?と言った。


堰堤広場には美濃戸山荘からの標準コースタイムを二〇分オーバーして一三時三五分に到着。途中で休憩を挟んでいることもあるが、主に私が二人の足を引っ張ってるようだ。


そこから先、沢を渡るいくつかの橋が現れる。





私が相変わらず展望もクソもないあまりにも退屈な「くそったれ林道」を罵りながら歩いていると、ホワイトベアーが、赤岳鉱泉で提供されるカレーは実に美味いんだ、という話を始めた。

その感じは私にも何となくわかる。要するにへとへとになってたどり着いた山小屋でようやくありついた食料は、下界で口にしたら思わず顔をしかめたくなるような粗悪なものであっても大そう美味に感じるものだ。私はそのことを指摘してみたのだが、ホワイトベアーは、そういうことではなくて、そもそも赤岳鉱泉には専属のシェフがいて、カレーだけでなく夕食も抜群に美味いのだ、と頑なに主張した。


荷物の重さとストックを使わず二本足だけで歩くハンディに苦しめられながらも、ホワイトベアーの言葉を信じて美味なるカレーにありつくことを励みに歩き続け、ようやく一四時五五分に赤岳鉱泉に到着。


まず目に飛び込んで来る「アイスキャンディー」。





赤いペンキが転落死したクライマーの血糊にしか見えない。


小屋に入ってアイゼンを外し、小屋の若者に乾燥部屋はどこだ、と聞くと、食堂のストーブの前で乾かしてくれ、と言う。二五〇人収容と言われる赤岳鉱泉にも今日は大して宿泊客がいないようだ。


予約担当のホワイトベアーによるチェックインの手続きが終了し、三人で大部屋へと向かう。戸を開けて中に入ってみると、一段あたり一〇人ほど詰め込めそうな二段ベッドが入口から見て左右両脇に設置され、その間は畳敷きの宴会場のような大広間になっていた。そこに布団を敷きつめれば−あくまで宿泊客の快適さを犠牲にしたうえでだが−一〇〇人は収容可能だろう。

部屋の広さは気に入ったが、広間のテーブルを陣取って昼間から宴会に興じている団体客はいただけなかった。いずれも四〇から六〇歳くらいの男女の酔っ払いが五、六人、トレイルランナーはハイカーにとって迷惑な存在か、というテーマについて、周囲で小さくなっているその他数人のハイカーのことなどお構いなしに大声で語り合っていた。

そのざまを観察している限りトレイルランナーより彼らの方がよっぽど迷惑で場違いな存在にみえたが、私は黙っていた。やつらをぶっ飛ばしに行くのは、やつらが消灯時間を過ぎても騒いでいた場合だけでいい。


ホワイトベアーはよりわかりやすいやり方で、彼らの存在が目障りであることを表明する手段にうって出た。彼は私たちに一言だけ断ってから、すぐに小屋のスタッフの元に駆け付け、個室が空いてるなら手配するよう要求した。

本来なら九〇〇〇円とされる個室料金は、小屋のスタッフの善意によって五〇〇〇円まで減額された。ご丁寧に専用のストーブまで設置されたゴージャスな個室があてがわれることを思えば、三人で割ればまったく安い個室料金だ。


食堂でホワイトベアーが絶賛する専属シェフご自慢のカレーライスを平凡だと思いつつ口に運びながら、私はそのことにはあえて触れずに翌日のルートについてホワイトベアーに意見を言った。

私が収集した情報によれば、文三郎道は傾斜が急だが難点はそれだけ。地蔵尾根ルートには一部にナイフリッジがあって滑落しないよう注意を要するという事だった。当然、三月の三〇〇〇米峰なんて初めて体験する私としては無難なルートを行かせてもらえるとありがたい。

だがその「ナイフリッジ」の存在は認めつつもホワイトベアーの意見は違った。つまり彼の意見はこうだ。「あのねぇ、地蔵尾根にビビってほかのルートから赤岳に登ったなんて聞いたら僕の山仲間がみんな鼻で笑いますよ」。


そしてホワイトベアーはおもむろにスマートフォンを取り出し、(私は気付いてすらなかったが)私もホワイトベアーも持っている雪山に特化したあるコースガイドブックの表紙を飾っているとか言うその地蔵尾根の「ナイフリッジ」の写真を私に見せた。たしかに幅が1.5フィート程度と思われる足場の両端が切れ落ちてはいるが、その足場は平らだ。何だ、そんなに大したことないな、と私が呟くと、ホワイトベアーは「現場に行けばわかる」と不穏な事を言ったので私はうんざりした。


専属シェフのありがたいカレーライスを完食した私は、コーヒーを追加注文したホワイトベアーとトミーの二人を置いて荷物を整理するために一度部屋に戻った。用事を済ませて食堂に戻ると、ホワイトベアーもトミーもいなかった。そこは夕食の準備のために宿泊客は出て行け、という雰囲気になっていたので、談話室の方に移動したようだった。

談話室にいる彼らに合流してみると、ホワイトベアーが一人の山ガールと親しげにおしゃべりをしていた。小柄で二〇代後半かもうひと超えといった感じのとてもキュートな(そうでなければホワイトベアーが話しかけるわけがない)山ガールだった。

聞くところによると、彼女は私たちがそこに到着する数時間前には登山口に到着し、そこから硫黄岳まで足を延ばしてからこの小屋まで戻ってチェックインを済ませたらしかった。何てタフな山ガールなんだろう。ただこの小屋にたどり着くだけの行程で、考えられる限りのありとあらゆる悪態をつき尽くしたと思われる私は自分を恥ずかしくすら思った。


私も会話に参加して根掘り葉掘り聞いているうちに、彼女は芸術大学を卒業していて絵画をたしなむ事が判明した。彼女は今日も硫黄岳の山頂でのんびり絵を描いてから下りて来たのだ、と言った。

それから彼女の住んでる街の話、私の趣味の話(その話題は私の登山姿がちょっと変だというホワイトベアーやトミーの指摘から始まった)、ホワイトベアーは私と出会ったときはまともな職についていたのに、いつの間にか登山用品店の店員に変貌していた話などをした。


基本的に、私は一人でしんみりとハイキングを楽しんでいるハイカーに対しては気を使ってその意思を最大限尊重するタイプだが、ホワイトベアーはまったくそうではなかった。翌日の彼女の行動予定を聞きだし、彼女が地蔵尾根経由で赤岳に登るつもりだと知ると、 まるでそれは当然のことだと言わんばかりの言いぐさで、翌日は私たちと同道するように主張した。その時点で私にとってより無難だと思われる「文三郎道を登る」という選択肢が消えた。

彼女がそのときホワイトベアーの申し出を快く思ったのか面倒に思ったのかは分からない。結果的に彼女は次の日、私たちと一緒に赤岳に登った。


一八〇〇時に夕食。専属シェフが本日の夕食の献立に選んだのは「カツトジ」。





病院の給食まがいのシケたメニューしかよこさない山小屋もあるなかで、なかなか良心的だ。


翌朝の朝食が〇六三〇時に提供される、というので、私たちは起床時刻を一時間前に設定し、消灯時刻前の二〇〇〇時には床についた。 隣の個室の連中が少々騒がしかったので、消灯時刻を過ぎてもそのざまだったら遠慮なく怒鳴り込むつもりだったが、「くそったれ林道」の戦いで疲れ切っていた私はその前に深い眠りに落ちた。

トミーはいつだってどんな環境でもすぐ眠ってしまう。ただ一人、実はたぶんわたしたちの中で最も繊細な気質をしているのだと思われるホワイトベアーだけは、その夜なかなか寝付けなかったらしかった。


翌朝、起床して手際よく出発の準備を済ませ、朝食をとりに食堂へと向かう。

明らかに前夜のそれからグレードダウンした朝食の献立。





何でも写真に撮りたがるトミーがそいつを撮影せずに食事を始めたので私がそのことを指摘すると、トミーは一言、「撮るほどのもんじゃない」と言った。


例の山ガールは朝食をオーダーしていなかった。〇七時少し前に自炊室で朝食を済ませて食堂にやって来た彼女は、自分は歩くのが遅いので先に出発して行者小屋で絵を描いている、と言った。私たちは食事を済ませ、部屋を片付けて一部の荷物を小屋に預け、主に私がアイゼンの装着にもたついたために彼女の出発から遅れること約一時間、〇七時四五分に赤岳鉱泉を出発した。


行者小屋を目指して雪に覆われた単調な山道を行く。十分に睡眠を取ったうえに一部の荷物を小屋に置いて来たためか、ストックなんてなくても私の足取りは前日とは比べ物にならないほど軽い。


三〇分ほどで行者小屋に到着。はたして例の山ガールは本当に小屋の前で絵を描いていた。彼女はそこから見える青空をバックに威風堂々と鎮座する阿弥陀岳の姿をちょうど描き終えたところで、私たちに出来上がったばかりの作品を見せてくれた。何と言うか、額縁に入れられてお洒落な喫茶店の壁にでも飾られてそうなタッチの作品だった。


絵描きとしての豊かな才能もさることながら、彼女の登山姿もまたかなりさまになっていた。赤のジャケットに毛糸帽、オレンジ色に光り輝く軽量ヘルメットに加えて、彼女がかけている小柄な体に似合わない漆黒の巨大なサングラスが私の目を引いた。それって男用じゃないのかい?と私が聞くと、よく分からないが男性からのもらいものだ、と彼女は言った。私は心の中でこっそり彼女に「オークリー」というあだ名をつけた。


全員が出発準備を整えた〇九〇〇時ちょうどに私たちは地蔵尾根へと向けて行軍を開始した。行者小屋の前には無数のテントが張られていて、大勢のハイカーたちがまさに続々と思い思いのルートに向けて出発していくところだったが、地蔵尾根に向かうハイカーは私たち以外には数えるほどしかいなかった。誰もが文三郎道という無難なルートをチョイスしたのだろう、と私は思ったが、ホワイトベアーは、クライミングの連中は地蔵尾根の方には来ないからなぁ、と言った。


空は晴れ渡って登り始めはぽかぽか陽気だったものの、三〇分も歩いた頃には樹林帯を抜けて風が吹き付けるようになった。私たちは慌てて防寒装備を身に着けた。


それにしても文三郎道は急傾斜だとは聞いていたが、地蔵尾根ルートもまた結構な傾斜の登り坂だった。「オークリー」は事前に私たちに宣言したとおり、ゆっくりとした足取りのハイカーで、私たちも彼女に合わせてのんびりとハイキングを楽しんでいたが、それでもその急な登り坂を私たちより「ゆっくりと」登っている集団は少なくなかった。私たちは何組ものよたよた歩くハイカー集団を抜き去った。


ある地点で四人で小休止していたとき、私は自分のカメラをジャケットの腕ポケットにしまおうとして手を滑らせるという失態を犯した。私の手をはなれたカメラは雪に覆われた急斜面を滑り落ちて行った。メンバー全員が悲鳴とも罵声ともつかない声をあげながらその様子を見守るほかなかった。

が、二〇フィートほど滑り落ちたところで露出していた岩屑に引っかかってカメラは止まった。今度はメンバー全員が安堵の声をあげた。私は映画「ローンサバイバー」で主人公のマーカス兵曹が崖から落ちるときに見失ったライフルが自分のすぐ近くに落ちているのを見つけたときに仲間の将校に言ったのと同じことを三人に言った。「みろよ、神様がついてるぜ!」

私は早速どうにかその急な斜面を直接下って私のカメラを取戻しに行こうとしたが、冷静なホワイトベアーが、いったん今来たルートを下ってからトラバースした方がいい、と言ったので、私はそのアドバイスに従った。彼がそこまで考えたのかどうかは分からなかったが、たしかに真上からそいつを取りに行ったばかりに石ころのひとつも転がしてそいつがカメラを直撃してしまったら、私といくつもの思い出を共有してきた大切なそのカメラは二度と私の手の届かないところまで斜面を滑り落ちて行ってしまうに違いなかった。

私はカメラに手の届くポジションにつくと、ちりひとつ立てないようにそっと手を伸ばしてカメラをしっかりと掴み、その場で丁重にジャケットの腕ポケットにしまった。


さらに続く急斜面。





噂の「ナイフリッジ」。





拍子抜けするほど全員があっさりと通過。もちろんいまさら「全然大したことないじゃないか!」とホワイトベアーに食ってかかるのが大人のやることとは思えない。


地蔵の頭を一〇時三〇分に通過し、さらに一〇分ほど歩いて到着した、まだ閉鎖中の赤岳展望荘で昼食にする。

おあつらえ向きに雪に埋まった倉庫の屋根だけが露出していて、ベンチ代わりにちょうどいいので私たちはそこを陣取った。昼食のメニューはホワイトベアーとトミーが小屋で手配した弁当、オークリーは持参したパン。私はもちろん、いつものように持参した調理セットで角煮と卵の入ったスペシャル鹿児島ラーメンの製作にとりかかる。

いつもは湯を沸かすときに、少しでも荷物を軽くするために満タンにした水筒の水を使いきるのだが、日々進化し続ける私は今回初めて粉末のミルクティーとマグカップも持参しているので、水を半分ほど残すことにする。ガス缶にバーナーをセットし、水を入れたコッヘルを乗せてガスを放出したらライターで火を点ける(強風下ではもっとも確実な点火方法だ)。


湯が沸いて来た頃に麺を投入し、コウモリよろしくジャケットを着たまま広げて強風から火を守る。そろそろ麺もほどよい感じに茹であがった頃、たぶん風のせいでジャケットの一部がコッヘルに触れてしまったんだろう、あろうことかコッヘルがゴトクから滑り落ちて沸騰している湯とほどよく茹で上がった麺が隣で食事をしていたトミーの「陣地」に盛大にぶちまけられてしまったので、一瞬にしてそこは大パニックになった。

反射神経のよいトミーは火傷ひとつ負うことなく、ただ単にそこに置いてあった荷物を手早く移動させるという手間をかけなければならなかったのと同時に、平坦な倉庫の屋根に座って眼前に広がる美しい景色を眺めながら快適に食事をする権利を私に踏みにじられただけだった。そして次の瞬間には、その場にいた全員の関心が、私の昼食はどうなるのか、という一点に注がれた。下界のラーメン屋とは違って、そこでは丼をひっくり返してしまったからもう一杯追加で注文を、というわけにはいかない。

まず私にとって、−多くの人にとってそれは耐え難いことかもしれないが−屋根の上にぶちまけてしまった麺を拾い集めて改めて口にすることは何でもないことだった。そしてそこでも慈悲深い神様はそっと私を見守って下さっていたに違いない。いつもならそんなことはないはずなのに、今日に限って水筒にまだ半分水が残ってるじゃないか!!

私は何事もなかったかのようにもう一度湯を沸かし、麺を茹で、今度こそはコッヘルがゴトクから滑り落ちないように細心の注意を払いながら角煮と卵を投入して、いつも通りの−実際には二度も火にかけたのでいつもより麺を茹で過ぎてしまったが−スペシャル鹿児島ラーメンを完成させた!





こう言っちゃ何だが、どう控えめに評価したって私の昼食が四人のなかで一番豪華じゃないか!神は今日も最も手間ひまをかけた者に公平に報いて下さった。いろいろあったが私はようやくお待ちかねの昼食にありつき、眼下に広がる自然美豊かな風景を目に焼き付けながら塩分と脂にまみれたラーメンを啜った。


全員が食事を終えてうららかな陽射しの下でくつろぎのひとときを過ごすなか、オークリーがそこで赤岳の絵を描きたいというので、私たちもしばらくそこに滞在してのんびりすることにした。それぞれが思い思いの時間を過ごしているうちにどんよりとした雲が空を覆い始めたので、私たちはオークリーがたぶん本日二枚目の傑作を描きあげるや否や出発の準備にとりかかり、一一時三五分、もう目の前に迫った赤岳の山頂を目指してその場を後にした。


一二時二〇分、赤岳北峰通過。





そこから赤岳山頂(南峰)は目と鼻の先だ。到着するなり三脚をセットして記念撮影。





その頃には既に空は雲で覆われていて大した展望もなかったが、私たちは名残惜しさにそこでだらだらと時間を過ごした。そうしている間にも、ひっきりなしに地蔵尾根側からも文三郎道側からもハイカーが登って来た。そのうちホワイトベアーがその豊富な経験をもとに「天気が崩れる」と予言をし(結果的にはずれた)、私たちに迅速に次の行動に移るよう促したので、私たちはてきぱきと荷物をまとめて彼の指示に従った。


一三時一五分、下山開始。


文三郎道は下りが急なので注意を要する、とはホワイトベアーの言だったが、実際のところ少々注意を要するのは山頂から文三郎分岐にいたるまでの限られた区間だけだったろう。しかもそこには必要に応じて鎖が設置されていて、厳冬期にどうだったかは知らないが、少なくとも私たちがそこを通るときにはもうその大部分が雪の上に露出していた。つまり好きなだけ「使用可」だった。

後になって思うのは、私たちは一日を通じてよく締まった雪にかなり助けられたのだろう、ということだった。アイゼンさえしっかり利くのであれば、多少急な斜面であってもそれほど身構える必要はなくて、むしろあの角度だと雪が腐ってる方がヤバい。私は雪山へのハイキングの計画時に気象予報を参照するときは、行動する時間帯に見込まれる気温はより高い方が安全だ、と思っていたので、当日の赤岳山頂部の予想気温が昼間でも摂氏零度をやや下回っていることを少々忌々しく思っていたが、実はそいつは大変な間違いだったかもしれないことを身をもって学んだ。


下山途中で、行者小屋にもう一泊する予定なので慌てて下山する必要がないオークリーと再会を期して別れた私たちは、一四時四五分に行者小屋に到着して一五分ほどの休憩を挟んだ後、一五時三〇分にはに赤岳鉱泉に着いて、それぞれ預けた荷物を回収した。

土曜日だということは分かってはいたものの、小屋は私たちが想定していた以上の混雑ぶりで、外から窓を覗きこんだだけでも談話室の座席という座席がすべてハイカーたちによって埋め尽くされているさまが見て取れた。コーヒーの一杯もゆっくり飲んでから下山しようか、などと考えていた私たちは全くあてが外れてしまった。


一六〇〇時に赤岳鉱泉を出発し、一七〇〇時に美濃戸山荘前に到着。何としても日没までに駐車場に辿り着きたい私たちは五分ほど休憩して先を急ぐ。


さぁ、最後のお楽しみは、昨日とは打って変わって雪が溶けてぐずぐずになった「くそったれ林道」だ。





その「くそったれ」ぶりに拍車がかかった「くそったれ林道」を、ときには小走りに、ときにはみんなで談笑しながら、ときには近道をしようとして見当違いなところに迷い込みつつ私たちは下って行った。それにしても私は改めて心の中でこっそりホワイトベアーに感謝の思いを抱くことを禁じえなかった。結局のところ、彼は二日間を通じて今回のハイキングにおける頼もしい「ガイド役」にほかならなかった。そして私やトミーは、ただ彼に言われるがままにコースを歩いてさえいればいい「楽ちんな」人々だった。


一八○○時までには全員が八ヶ岳山荘の駐車場に到着した。日はまだかろうじて沈んではいなかった。私は山荘の営業妨害にならないことを祈りながら山荘のベンチに着替えを広げてパンツまではき替えた。ホワイトベアーはそんな私の行動に少なからずショックを受けていたようだったが、これから何度か行動を共にするうち、じきに慣れるだろう、と私は思った。

ホワイトベアーはすぐにでも風呂に入りたい、と言い、八ヶ岳山荘の玄関に掲示された、そこを通る人々に五〇〇円で風呂に入れることを知らせる看板に並々ならぬ関心を寄せた。だが私もトミーも、たとえ多少の移動時間を要しても、設備が充実して広々とした風呂に入るべきだというぶれない価値観を共有していた。私たちはすぐさまトミーのアウディに乗り込み、そのままトミーがどこからか見つけてきたトミー指定の温泉へと向かった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




November 08, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

事もあろうにトミーとヤギ男、二人そろって風邪をひくという失態のおかげで九月に予定されていながら延期になっていた彼らとの谷川岳ハイキングを、いよいよ決行するときが来た。


もちろん楽をしてロープウェーで途中まで運んでもらおうなんてオカマのような連中の辿る軟弱なルートはなしだ。「日本三大急登」のひとつに数えられるとも言う西黒尾根から山頂を目指し、帰路は巌剛新道を下る。ガイドブック記載の標準所要時間は七時間三〇分。「三大急登」がどれほどのものなのかは分からないが、コースタイムだけを見ればさほどハードなルートとも思えない。


〇四時一五分に私の自宅までご自慢のアウディで迎えに来てくれたトミーはそのままヤギ男との待ち合わせ場所となる埼玉県内のとある駅まで向かう。現地の立体駐車場には〇七時一〇分に到着。薄暗い空間に奇妙な音楽の流れる何だか薄気味悪い駐車場だった。


準備を済ませて〇七時四〇分に行動開始。駐車場では何組かのハイカーを見かけたが、みんなロープウェー乗り場の方に行ってしまった。私たちは誰もいない舗装道路を歩いて登山口を目指す。


見上げると澄み切った青空に薄く色づいた紅葉。





いいねぇ、やっぱり秋山のハイキングはこうでなくっちゃな。


〇七時五五分、「西黒尾根登山口」に到着。少し手前で見かけた先行者二人は驚くほど俊足で、一度見失ったきり二度と見かけることはなかった。





さぁ、いよいよ出発だ。


「日本三大急登」とされる西黒尾根コースだが、登ってみれば樹林帯の中を里山に毛が生えたようなありきたりの登山道が延々と続く。私はいつものように気が向くたびに屁をしながら最後尾をちんたら登る。


一時間半ほどで南側の視界が開けて来た。ロープウェーの駅舎が見える。





〇九時四五分に最初の鎖場に到達。登り切ると稜線に出る。


眼前に何とも無骨な山頂が迫る。





さらに二〇分も歩くと「ラクダの背」。





その先のちょっとした小広場で休憩。見るとペットボトルに茶色い液体がほぼ満タンの状態で入ってるのが石の上に放置されている。ラベルが剥されているので中味が何なのかは推測するしかないが、お茶のようにも見えるし何かの揮発性の油のようにも見える。

ヤギ男に「飲んでみるかい?」と勧めたら、ヤギ男はひどく顔をしかめた。


一一時〇〇分にあの有名なスポットに到着。慣例に則って記念撮影。





ここを通過するハイカーは一人残らずこいつをやるもんだとばかり思っていたが、何組かのハイカーが撮影に励む私たちを横目で見ながらニヤニヤ顔で通り過ぎて行った。


一一時四五分に大勢のハイカーたちで賑わうトマの耳に到着。そのまま素通りして多少は人気の少ないオキの耳へと向かう。

少々雪の積もった歩きにくい稜線を一五分ほど辿ってオキの耳に辿り着いた私たちは、その少し先の西風を避けるのにちょうどいい岩場で昼食にする。


私はいつも通りの「熊本ラーメン」。





風が強いうえに上空には雲が漂い始めたが、目の前に広がる朝日岳の均整のとれた山容や川棚ノ頭に至る美しい稜線を飽きるまで眺めてたっぷり一時間ほどそこで過ごした私たちは、トマの耳に群がっていたハイカーたちが下山して姿を消したのを確認してからその場を後にし、邪魔者のいないトマの耳での記念撮影を無事に終えて帰路に着く。

まずは放尿のために肩ノ小屋に立ち寄ることに。


わざわざ回り道をした私たちを待ち受けていた厳しい現実。





まぁ、どうせ私たちと同じコースを下って行くハイカーなんていやしないんだから、我慢が出来なくなっちまったらその時はその時だ。


一三時三〇分に肩ノ小屋前を出発。往路では巌剛新道との分岐を見つけることが出来なかった私たちは、今度こそ分岐を見落とさないように周辺を慎重にスキャンしながら稜線を下る。


氷河跡あたりで前方から一〇歳くらいの少年を連れた父親らしき男が山道を登って来るのを見つけた私たちは閉口した。こんな時間にまだそんなところをうろついてる事実もさることながら、まだ年端も行かない子供にあの西黒尾根を登らせたって言うのか?

私たちがその実力に応じてそいつをどう評価するかはともかく、西黒尾根ルートは高度差もあれば岩稜歩きや鎖場の通過も強いられる「それなりの」ルートだ。少なくとも私には、明らかに少年は迷惑そうな顔をしながら父親の後ろを歩いているように見えた。

私が少年に声援を送ると少年は礼儀正しくそれに応えたが、その表情は決して楽しそうには見えなかった。その親子を見送った私たちは、少年の健闘と不屈の闘志を称えるとともに、父親のルート選択のセンスには疑問を抱いた。誰とどのようにして休日を過ごすにせよ、自分が楽しめる場所が相手も楽しめる場所だとは限らない。


まったく私もどこかのキュートな山ガールと仲良くなって一緒にハイキングに出かけるときは、どんなコースに出かけるかは慎重に選ばなきゃな。


少年の幸運を祈りつつ尾根道を下る。例の小広場に着くと、まだそのまま放置されてるペットボトル。





もう一度ヤギ男に勧めてみたが、答えは変わらない。


少しばかりの休憩を挟んでから、その中味が気になって仕方がないペットボトルに分かれを告げてさらに山道を下る。やがて数百米前方に、私たちが往路に辿った稜線上の道とは明らかにちがう、左手の谷側の斜面につけられた巻き道を登って来る二人組を見つけた私たちは、彼らが辿っている道こそが巌剛新道である事を確信した。その二人組が稜線に合流する地点こそ私たちが探していた新道への分岐ってわけだ。


トミーがひと足先に下って分岐点まで行き、その二人組にコンタクトを図って情報収集を試みる。後から追いついた私が見たところ、二人組はたぶんまだ二〇歳にも満たない若者たちで、装備の真新しさから推測するかぎり、さほど経験豊富なハイカーではないようだ。彼らはトミーのインタビューに対して、巌剛新道は一部の岩場が「凍結している」と答えたらしい。

トミーはその情報に少々不安を覚えたようだ。たしかに、主に太陽と地球の位置関係に起因する諸々の自然現象の結果として、北側の斜面はそうでない斜面よりも凍結するもんだ、と太古の昔から決まっている。トミーは帰りのコースを変更することを検討してもいい、という意見のようだ。


私の結論はノーだった。そのコースに凍結している岩場があるかどうかは大した問題じゃない。考慮すべきことは、その若者二人が登って来ることの出来た道をこの私たちが下って行くことが出来ないなんて事があり得るのかってことだ。そうだろ?


ところで分岐点の案内板は、山頂方向から下って来るハイカーにしか見えない向きに設置されていた。よほどのうっかり者でない限り、往路で見つけられなかったからって帰路でこいつを見落とすようなことはないだろう。





私たちがその案内板の前でのんびり休憩していると、山頂方向から一人の五〇年配のハイカーが素早い足取りで下りて来て、私たちに「これを上に忘れて来なかったか?」と言って、例の謎の液体の入ったペットボトルを差し出した。何てことだ!その親切なハイカー氏は、わざわざ私たちのためにゴミを拾って峻険な山道を急いで私たちを追いかけて来たらしい。

その状況で「それはゴミだ」とはさすがの私にも言いづらい。そいつは他の誰かが置き忘れたものらしくて、私たちが朝方あの広場を登りで通過したときからそこにあったのだ、という事実を丁寧に説明し、それから何だか申し訳ないような気分になった私は、とりあえず親切なハイカー氏に謝っておくことにした。

別に私たちは何も悪い事なんてしてやしない。ただそいつは結果論に過ぎないとは言え、その親切なハイカー氏は山のゴミをひとつ拾って、私たちは見て見ぬふりをした。その気の利かなさに対するお詫びだと思えば、そうおかしな事ではないだろう。それで多少はその親切なミスターの顔も立つなら何よりじゃないか。


一四時三〇分に分岐点を出発、巌剛新道へと進入する。西黒尾根コースほど使われてないと見えて、少々コースが荒れている印象はあるものの、要所はそれなりに整備されていて道迷いの心配はない。コース中にところどころ崩落箇所があるが、そういうところには怖がりのハイカー用に気を利かせてロープが引いてある。





その日、巌剛新道で見かけたハイカーは一人しかいなかった。肩ノ小屋のトイレが使えずに困っていた私にとってはまったくもって良いニュースだ。


そしてコース上では若者二人の証言通り、一部の岩に少しばかり付着した水分が「凍結」していた。だから何だってんだ?「凍結」の定義が私たちのそれとはあまりに違い過ぎた。若者たちには全く悪気なんてなかっただろう。だが何事も情報は正確に伝えないと、ときには陰で「嘘つき」呼ばわりされてしまう事だってある。


一六時二〇分、登山口となる「マチガ沢出合」に到着。すぐ目の前にベンチの置かれた休憩所があって、私たちはたっぷり一五分ほどそこで休憩。


振り返ると、完全に雲に覆われてしまった山頂。





そこから舗装された車道を二〇分ほど歩いて駐車場に到着した私たちは大急ぎで着替えを済ませ、冷え切った身体をどうにかするために近場の温泉へと直行した。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。





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