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ぷしろぐ >> 登山編
【 カ テ ゴ リ 】


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Octber 1, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

トミーと二人で昨年は天候不順で見合わせた剱岳ハイキングへ。


木曜日から剱御前小屋に二泊。二日目(金曜日)に登頂を済ませたうえで、気象条件次第ではさらに大日小屋でもう一泊し、日曜日に下山する贅沢プランだ。

初日の気象予報は最悪だが、室堂から小屋の建つ稜線まで三時間ほど歩くだけなので大した問題ではない。二日目の予報は「快晴」とまでは行かないまでも雨は降らないようでまずまずだ。


曇り空の下でのハイキングには興味がないと言っていたトミーだったが、室堂周辺の紅葉を餌に半ば強引に誘い出す。結局、彼はしぶしぶ準備を済ませて、ご自慢のRV車で〇六〇〇時に私の自宅にかけつける羽目に。


思えば私がハイキングを始めてから今年で六シーズン目になる。始めの頃はガイドブックを何冊も買い込んで、一度は登ってみたい山をいくつもピックアップしつつ、いつかその日が来たときのためにコースマップと睨めっこをしながらあれこれとルート計画を考えてみたものだが、剱岳は私がピックアップしたいくつものそんな山の中でも、最後にアタックするべき山のように思われた。

剱岳は一般的な登山ルートとされる別山尾根経由のルートであっても、ガイドブックにおける技術的な難易度評価は五段階のうちの最高ランクにレートされていた。その山に登るための最も容易なルートにそのような評価が下される山は全国にも数えるほどしかない。

私にとって剱岳とは、まさに選ばれし者のみがその頂を目指すことが出来る、(当時の)私のようなひよっ子ハイカーには近寄ることすら許されない存在だった。


特に私が目にした山岳雑誌において一般ハイカー向けに執筆された記事は、「カニのたてばい」と「カニのよこばい」と呼ばれる二箇所の鎖場が、とんでもない難所であるかのような印象を私に植え付けた。

この二つの難所を苦もなくクリアすることこそが、私にとって、ハイカーとしての大きな目標のひとつとなった。そして私はそのとき、いつの日かその目標が間違いなく達成されたことを証明するために、その鎖場につけられた名前にふさわしい格好で−つまりカニのかぶりものを頭にかぶって−その鎖場をクリアする、世界で恐らく初めてのハイカーになることを誓った。


初日の一〇〇〇時過ぎに扇沢の駐車場に到着すると早くも雨。予想に反して平日にも関わらず駐車場は八割方埋まっている。後で判明したことだが、車は大半がハイカーのものではなくて、ただ単に(紅葉狩りという名の)物見遊山にやって来た観光客のものだった。

どうせ霧で何も見えないのにご苦労なこった。


扇沢は三年前の春先に立山ハイキングのために訪れて以来だが、明らかに私の嫌いな国からの観光客が激増している。ほぼ満員のケーブルカーの車内では、私たち二人以外のおそらく全員が中国語を駆使しながら所構わず大声でおしゃべりに興じていて、マジでうんざりした。


一三〇〇時に室堂のバス停に到着すると、たぶん天気予報を見てないか、ただ見ただけで活用しようとしない多くの(マヌケな)人々が濡れねずみ姿で帰りのバスに乗り込むところだった。

バス停から階段を上がって建物の外に出てみる。標高二五〇〇米かそこらのだだっ広い高原が見渡す限り霧に覆われて何も見えないうえに強風が吹きつけている。そこそこ「デキる」ハイカーたちでも恐らく顔をしかめたくなるような有様だ。ただの観光客など、ひととまりもないだろう。


私とトミーは事前の計画通り、まずはホテル立山内の「レストラン立山」で昼食。

私がオーダーしたのは「アルパインカレー」。





つまるところ、ただのカレーだ。


一四〇〇時にホテル立山を出発。小ぶりになった雨の中を、明日は晴れるに違いない、とトミーに言い聞かせながら雷鳥平へと向かう。

もちろん、天気が悪いからと言って必ずしも悪いことばかりではない。


久しぶりに出会った(晴天時にはどこかに隠れて姿を現さない)ライチョウ。





雷鳥荘前を通り過ぎ、四年前に初めて立山を訪れたときにトミーと二晩も世話になった、相変わらず暇そうな「ロッジ立山連峰」を左手に眺めながら雷鳥平へと下る。

その先は、トミーのご希望で新別山乗越経由のルートを採ったが、ルート上に左右から覆いかぶさるように茂るハイマツのせいで、私の全身はレインウェアを着用しているにも関わらず、あっと言う間にずぶ濡れに。


稜線上で出会った二羽目のライチョウは、わざわざ私たちの道案内を買って出てくれた。





一六三〇時に剱御前小屋着。人柄のよさそうな妙齢のご婦人が温かいお茶を出して迎えてくれた。

ずぶ濡れの私が、何はさておき乾燥部屋にあれこれ持ち込んで作業をしているうちに、そのせっかくの温かいお茶が冷めてしまったのは残念なことだったが・・・。


一七〇〇時には慌ただしく夕食のために食堂へ。

剱御前小屋、初日の夕食。





正直なところ、量だけは立派だった「アルパインカレー」を食してから大した運動もしていないので、あまり食欲が湧かない。


食堂に集結したのは私たちを含めて全部で八組、二〇名ほどのハイカーたちだった。私たちの隣で食事をしていた妙齢の婦人ハイカーの二人組が、明日はどこへ行くのか?と話しかけて来たので、剱岳に向かう、と答えると、そのうちの一人が、剱岳の山頂から眺める景色がいかに素晴らしいものであるかについて熱心に語り始めた。

話をしていて分かったことは、二人のうち、お喋り好きな方のご婦人は「プロ」の登山家だということだった。登山家の「プロ」の定義は私にはよく分からないが、まぁ何にせよ「プロ」ともなると一年に六〇回はハイキングに出かけるらしい。うへー、ここ数年来、私なんて一年に六回すら山に出かけてないのに。

二人は翌日、阿曽原小屋を目指すと言っていたが、さすがは「プロ」らしいシブいチョイスだ。私も友人らに何度か誘われた記憶があるが、水平歩道は「山とは言えない」という理由で毎回、断り続けてたっけ。


食事が終わってみんなが部屋に戻ってしまってからも私とトミーはいつものように、小屋のスタッフに食堂を追い出されるまでお茶をガブガブ飲みながら話し込む。

一八〇〇時少し前に食堂を追い出されてからは部屋に戻って、私は翌日の行動に備えてパッキングの作業にいそしむ。NHKによる一八五〇時の天気予報を見るまでは眠らないと豪語していたトミーは早速、部屋の布団の上で大いびきをかいていたが・・・。


ところで剱岳を目指すうえで、あえて行動拠点に「剱御前小屋」をチョイスするハイカーはどれほどいるだろうか?翌日の行動を少しでも楽なものにしたければ、剱沢小屋や剱山荘にアドバンテージがあるのは否めない。だが私が感心したのは剱御前小屋のホスピタリティだ。

私たち二人にあてがわれたのは八人部屋で、経験上、てっきり他の見知らぬハイカーと相部屋にされるもんだとばかり思っていたが、その八人部屋は二泊とも私たちの貸切だった。他の山小屋なら−たぶん掃除の手間を惜しんで−可能な限り少ない部屋数ですませるために、ハイカーたちを定員一杯まで詰め込もうとするだろう。

この心配りに溢れる稜線上の素敵な山小屋は、そんなセコいマネはしない。


天気予報の時間にトミーを叩き起こしてテレビの設置された談話室へと向かうが、私たちのほかに気象情報が気になる真面目なハイカーは五人ほどしかいなかった。もっとも天気予報とは言いながら、一般市民向けにNHKが流しているものに過ぎないので、大した情報を仕入れることは出来ない。

とりあえず分かったことは、明日の天気は曇りか晴れってことだ。ところでこの小屋ではAUの電波をしっかり受信できるので、トミーのスマートフォンの予報アプリを見れば済む話だった事に気付いたのは、翌々日、私たちが家に帰るために小屋を出発する三時間ほど前のことだった。


訪問時にお茶を出してくれたご婦人とは別の、もっと若くて(ご婦人同様)感じのいい女性のスタッフに明日のコースに関する注意点をいくつかインタビューしてから、二〇〇〇時前には私も就寝。


翌朝の起床は〇四〇〇時。

朝食代わりに出してもらった弁当の一部を腹に入れてから身支度を整え、〇五〇〇時過ぎに小屋の外に出る。


たしか日の出は〇五三〇時という予報だったが、既にヘッドランプなしでも行動できる程度に空は明るくなっている。


剱沢へと下る途中に目にした朝焼け。





うひゃー、何て美しい!


剱御前をトラバースするルートをチョイスしても良かったのだが、例の感じのいい女性スタッフ曰く、暗がりでは剱沢に下るルートの方が道迷いの心配がないということだったので、私はそれに従った。もっとも目にする「景色」という観点からも、こっちのルートの方が正解だ。


剱沢のテント場から眺める、朝焼けに映える剱岳(と前剱)。





〇六一〇時に剱山荘前に到着。

ここで朝食。





剱御前小屋のホスピタリティは脱帽ものなんだが、持たされる弁当は私がこれまで目にしたなかでも「最低」の部類に入るものだ。

まぁ、しかし、この食事の利点は保存が効くことだ。二日目の朝と昼用に提供された(そして私が食べ残した)二食分の弁当の一部は、三日目の朝食として大活躍した。


〇六四〇時に剱山荘前を出発。


私たちの前には三組ほどのハイカーが先行している。一服剱の登り斜面で後ろを振り返ると、二人組のハイカーが二組、私たちの後を追って来る。

二組のうち、ほとんど手ぶらに近い体格のいい男の二人組は、あっと言う間に私たちに追いつき、そのまま颯爽と私たちを追い抜いて行った。どこかの小屋のスタッフだろうか?

もう一組は六〇代かそこらの夫婦のようだった。こちらは剱岳に挑むハイカーに全くふさわしくない、早くも全てのスタミナを使い果たしてしまったかのような投げやりなフォームで、一歩一歩よたよたと登って来る。

前の二人組に追い抜かれたときにはトミーと二人で、さすがに剱岳ともなると健脚なハイカーだらけだな、という会話を交わしたばかりだったが、この夫婦に追い抜かれることだけはなさそうだ。


複数のソースから情報を収集した結果、前剱を超えるまでは難所とは言えないというのが私の判断だったが、あながち間違っていたとは思えない。「あの」剱岳にアタックしようとしている実感も大してないまま、淡々と歩く。

一三箇所あると言われる鎖場のうち、最初の鎖場と二番目は特に鎖が必要だとは思えなかったが、これらの鎖場は私のように大してスタミナのないハイカーが、帰路でありがたく使わせてもらうために設置されているのだろう。


〇七〇五時、一服剱に到着。五分後には出発して、その先はひたすらガレ場を歩く。


ガレ場歩きでは前を行くトミーが頻繁に落石を起こす。落石を起こさないためには惰性にまかせて歩くのではなくて、地面に余計な動的エネルギーを伝えないように下半身の粘りを効かせながら歩く必要があるというのが、私が経験則から導き出した結論だ。

このような場面では、どうしても普段からポールに頼りきって歩いているハイカー(誰とは言わないが)と、はなからポールなど必要とせずにどんな山でも歩ききるハイカー(私)との間では結果に大きな差が出てしまう。


そんな事を考えているとトミーが、「ヘルメット持ってるならかぶったら?」などと提案して来た。何のために?私は身軽な状態が好きなハイカーだ。出来ることならヘルメットをかぶる時間は必要最小限に留めたい。例え前を歩くハイカーが、後ろのハイカーを狙って石を蹴り落とす名人だとしても!


その提案に従うのを渋っていると、既に剱山荘を過ぎたあたりからおろし立てでピカピカのプラスチック・ヘルメットをかぶっていたトミーが、そのオレンジ色をした新品のヘルメットのおかげでいかに命拾いしたかを力説し始めた。どうやらさっきの鎖場で鎖をひっぱって身体を持ち上げた瞬間、しこたま頭上の岩に頭をぶつけたらしい。

そのヘルメットの表面の、「このへんなんだけど」とトミーが指差したあたりは直径1インチほどの大きさで見事に陥没していた。

生まれて初めて山でヘルメットをかぶった男が、早速その日のうちには恩恵にあやかって災難を免れたってわけだ。なるほど、「事故」はいつどこで待ち受けているか分からない。ヘルメットとコンドームは常に身に着けるのが「男のマナー」ってわけだ。


もっとも、私は自分が(山であれベッドであれ)そんなヘマをやるようなハイカーだとは思わないので、いつものように「もう少し後でかぶるよ」と答えておいた。


「前剱大岩」なる奇岩の脇を通過し、またガレ場をしばらく登って前剱のピークに到着したのは〇八〇五時。





行く手の北側は曇り空だが、南側には青空が広がっている。

剱御前の遥か向こうには薬師岳と黒部五郎岳。





〇八二〇時に出発。


さて、前もって仕入れた情報によれば、いよいよここから剱岳ハイキングの核心部とやらが始まるってわけだ。

五番目の鎖場。





何なくクリア。

六番目の鎖場は通称「前剱の門」への下り。





ガレ場を登り返す。前方に見知らぬハイカーが一人。





平蔵の頭(ずこ)を超え、平蔵のコルへと向かう。まだ〇九〇〇時を過ぎたばかりだが、早くも下山して来るハイカーがいる。すれ違い際に声をかけ、「カニのたてばい」のすぐ手前に休憩に適したスペースがあることを確認する。

どれどれ、私の華麗なるミッションの準備は、そこで行うことにしよう。


〇九三〇時、「カニのたてばい」のスタート地点に到着。例のハイカー氏が言っていたらしきスペースに荷物を下ろして「カニのたてばい」用の装備を整える。


私がこの華麗なるミッションを思いついたときから、別に私がミッションを遂行している姿を誰かに見られるのが恥ずかしいという理由ではなくて、私の勇姿が刻まれる何枚ものフォトに見知らぬハイカーが写り込んで欲しくないという理由で、私は現場が混雑していなければいいんだが、と思い続けていたわけだが、全くありがたいことに、私がそのミッションの準備にとりかかった時から無事にミッションを終了するまでの間、現場に私たち以外のハイカーはただの一人として姿を現さなかった。


装備を身に着け終わり、いよいよ歴史にその名を残すであろう華麗なる作戦が開始される時が来た。


まずはスタート地点で記念撮影。





まさにカニが這うがごとくスムーズに移動を開始!





カニが這うがごとく!





這うがごとく!





何年間も温めて来たとっておきのミッションは、ものの数分であっさりと終了した。


事前に収集してあった情報のとおり、「カニのたてばい」をクリアしてしまえば、山頂までこれといった難所はない。もっとも、ここに至るまでの全行程を振り返ってみても、さほど難所と呼べるほどのポイントはなかった気がするが・・・。


一〇二五時、ついに剱岳山頂に到着。





山頂に人影はなく、思わず歓喜の雄叫びをあげてしまった私だったが、一人のハイカーが物陰に隠れていたのに気付いて、少々いたたまれない気持ちになった。

まぁ、何にせよ昨晩、食堂で隣合わせになったご婦人の言葉を思い出すまでもなく、見渡す限りの絶景だ。


針ノ木岳と蓮華岳を結ぶ稜線の背後には富士山。





立山連峰の背後には槍ヶ岳。





それにしても、ここまで天候に恵まれるとは。

アタックが一日ずれるだけで天国にも地獄にもなりうるのが三〇〇〇米峰の難点であると同時に魅力でもある。つまり日ごろの行いが優れている者のみが堪能できる素晴らしき世界というわけだ。


ミッションの成功を(一人で)喜びながら記念撮影。





トミーと二人で、主に写真撮影のために二〇分程そこで過ごしてから、昼食のために風をやり過ごせる場所まで引き返すことにする。


山頂直下に巨岩が立ち並ぶいい具合の斜面を見つけ、例のコストパフォーマンスに全く優れない「弁当」を適当に腹に流し入れていると、剱山荘あたりで見かけた例の夫婦らしき、剱岳には全く相応しからぬ技術水準のハイカーたちが登って来た。

うへー、諦めずにここまで登って来たってわけだ。その根性はなかなか立派じゃないか。


前を歩いていた亭主の方が明らかにルートを間違えそうになったのを見て、トミーが親切にもそれを指摘したところ、亭主はトミーの言葉が分からない、というようなジェスチャーをした。

トミーの尋問の結果、彼らは台湾人であることが発覚した。えぇっ!?観光ついでに剱岳登山!?まぁ、どの程度のスキルでどの山に登ろうと、それはそいつらの勝手だが・・・。


私は片言の日本語と英語を織り交ぜつつ基本的には台湾語で喋るために何を言っているのか分からないその台湾人と、何があっても頑なに日本語でしか返事をしないトミーとの間で繰り広げられる不毛な会話にあえて参加する必要性を感じなかったので、それよりも眼前に広がる素晴らしい景色を楽しみながら黙って握り飯をむしゃむしゃ食っていたのだが、山頂まであとどのくらいだ?という趣旨の質問をしたらしい台湾人の男に向かって、トミーが一生懸命繰り出す日本語が一向に通じない様子を見るに見かねて、一言「テンミニュー」とだけ答えてやった。

その瞬間、台湾人の男は私を見て大きく頷き、トミーがこれまでに払って来た全ての努力は無駄になった。


昼食の場を後にしたのは一一三五時。私には、帰路で通過する「カニのよこばい」でも遂行しなければならない例のミッションが残されている。

事前に収集した情報によれば、「カニのよこばい」は第一歩を踏み出すのが非常に難しいらしい。つまり一歩目を踏み出すべき足場が、ハイカーからは見えない位置にあるらしい。


私が目にした多くのハイカーの意見は、右足から第一歩を踏み出すべきだ、という点で一致していた。なるほど、「カニのよこばい」とやらがどれほどの難所であるのかはまだ分からないが、少なくとも集中力を維持したまま取り掛からなければならない要注意ポイントであることだけは間違いなさそうだ。

それに過去に発生した多くの遭難事故は、まだハイカーに余力が残されている往路よりも、ハイカーの心身に疲労がたまり始める帰路でこそ起きている。私も気を引き締めてかからなければ!


一二二五時にケルンの積まれたちょっとした小広場に到着したので、私たちはそこで休憩をとることにした。地図を取り出して現在地を確認してみると、少し前にクリアした、三〇米かそこらよじ登らせられる、なかなかチャレンジし甲斐のある鎖場の上部が平蔵の頭(ずこ)だったようだ。あれ?そうなると、とっくに「カニのよこばい」を過ぎちまってるが?

トミーに、「カニのよこばい」になかなか辿り着けないんだが何かおかしくないか?と声をかけてみると、トミーは、お前はいったい何を言ってるんだ?とでも言いたげな表情で「もうとっくに通り過ぎたじゃないですか!」と素っ頓狂な声をあげた。何だって!?

ここに到着するまでに一本の鉄梯子を下ったことは覚えていたが、その前後にあった鎖場のことなんて私の記憶からは完全に抜け落ちていた。つまりそこは私にとって何の印象も残らないとんでもなく凡庸な鎖場だったってことだ。トミー曰く、その(私にとって)何てことはない鎖場こそが噂に名高い「カニのよこばい」だったらしい。げーっ、全く気付かなかったぜ!


例のミッションは私一人では成り立たない。現場にカメラマン(つまりトミー)が必要だ。いくら私とトミーの仲とは言え、まさかそんなくだらない(!)用事のために、これから一緒に引き返してくれ、なんて頼むわけにもいかない。私は断腸の思いで、その素敵なミッションを実に中途半端なまま終わらせる決断を下すしかなかった。

それにしても、何が一歩目を踏み出すのがとんでもなく困難だって?ヘタクソなウスラ馬鹿ハイカーどもが垂れ流すガセネタは全くタチが悪いぜ!


この後は大した難所もなく、淡々と帰路を急ぐだけであることが分かったところで、私にはとうとうあの剱岳を何なくクリアしたという実感が湧いて来た。いや、何なくと言うのは少し違うかもしれない。往路では気持ちが昂っているからか、あまり感じなかったんだが、冷静に振り返ってみれば、やはり剱岳はなかなか手ごわい山だった。

別山尾根ルートを辿る限り、戸隠山のように明らかに緊張を強いられるようなポイントはない。代わりにその長丁場のなかで、ハイカーの心身はじわりじわりと消耗戦を強いられる。

足場がしっかりと付けられてない岩場も少なからずあって、特に一部の鎖場は腕力だけに頼って力任せにそこを登り下りすることをハイカーに要求する。私の革製のグローブは一日でボロボロになってしまった。同じ理由で、私の腕では雨の日にこのルートをクリアする事は不可能だ。


延々と続く荒々しい岩場歩きの登り下りが下半身に与えるダメージも、これまでに経験して来た山々のそれとは一味違う。トミーの場合、それは直接太ももの痛みとなって現れた。私の場合は、このハイキングのおかげで、五年以上愛用して来たメレルのハイキングシューズのソールが見事に破れてしまった!





私がそいつに気付いたのは、空になった水筒に水分を補給するために剱山荘に立ち寄ったときだ。岩場では全く気付かなかったが、剱山荘のセメントで綺麗に舗装された土間に足を踏み入れたときに、私は初めて靴底に違和感を感じた。

五年強に渡って、私と共におよそ四〇もの山々のピークを踏んできたこのメレルとも、今回のハイキングを最後にいよいよお別れってわけだ。


それにしても、岩場を歩いているときにはソールの異変に全く気付かず、また足の裏にこれっぽっちも痛みを感じる事がなかったのは、やはりそれだけシューズ本体の底の部分が堅牢に出来ているからだろう。

やっぱりメレルは素晴らしい!


この期に及んで急な登り下りはイヤだ、というトミーのご要望で、帰りは剱御前の巻き道を行くことにする。

一五〇〇時、剱山荘前を出発。





このルートはたしかに全般的にはなだらかと言えるかもしれないが、スタート直後の稜線への登りはなかなか辛い。





離れたところからは一見どこをどう歩けばいいのか分からないような箇所もあるのだが、踏み跡はちゃんとついている。迷いそうな地点にはペンキマークもある。





ようやく小屋が見えて来たあたりが正念場だ。最後の最後にずるずる滑る砂利道がハイカーの気力を蝕む。





一六三〇時、ほぼ一二時間ぶりに小屋の前に帰着。

翌日は早くも天候が崩れるらしいので、疲れ切った心身に鞭打ってクールなポーズで記念撮影。





昨日と同じく、部屋に荷物を放り込んだら慌ただしく食堂へ。

剱御前小屋、二日めの夕食。





率直に言って初日と大して代わり映えしないのだが、疲れ切った身体にはマジで美味かった。


例によってNHKの気象予報で、翌日はろくな天気にならない事を確認し、大日小屋プランはなかったことにして二〇〇〇時前には早々に就寝。


翌朝、朝食の時間に合わせて〇六〇〇時の少し前に起床する。

初日の支払いは私が済ませ、トミーの分も払っておいたので、二日目はトミーに支払いをまかせておいたのだが、何がどうなったのかは知らないが前日のトミーと小屋のスタッフとのやり取りのなかで「手違い」があったらしく、私たちは朝食を注文してない事になっていた。おい、何て事をしてくれるんだトミー!


スタッフとの交渉のために一階の受付に乗り込んで行ったトミーはまもなくとぼとぼと部屋に戻って来て交渉に失敗した事を私に告げ、代わりに売店で食料を調達することは可能だ、と言う。まぁ仕方がないか、と財布を片手に受付へ。

結果的には、一〇〇〇円も朝食代を支払うことを思えば、五〇〇円でフルーツ缶詰が手に入ったことは私にとって幸運だったかもしれない。





ついでに昨日、大量に残した弁当(?)も片付けることが出来る。さらにこのスタイルなら時間に縛られることもなく好きなときに食えばいい。


予報通り、外は雨。(きちんと注文を受け付けられた人々の)朝食の時間が終わる〇七〇〇時頃には、他の宿泊客たち(たぶん三〇人くらいはいただろう)はレインウェアに身を包んで、ぞろぞろとどこへともなく旅立って行った。まさかあの天気で剱岳に向かうってことはないと思うが、一体、彼らはどこへと向かったんだろうか?


実はこの小屋ではAUの電波を受信可能であることに気付いたトミーが、気象予報アプリで一一〇〇時頃には雨がやむという情報を掴む。そいつはいいや。私たちは、ずぶ濡れになるためだけにバタバタと出発して行ったような気の毒なハイカーの皆さんを尻目に、その時間まで談話室でのんびり読書をして過ごすことにする。


トミーのアプリの予報は驚くほど正確だった。一〇三〇時を過ぎる頃には小降りになり始め、私たちは出発の準備に取りかかる。

一一〇〇時ちょうどに小屋を出発、初日に私の全身をびしょびしょにしてくれた稜線のルートではなく、雷鳥坂を下るルートで室堂を目指す。


今度は三羽セット。





いい具合に霧も晴れて来た。





地獄谷。





室堂に近づくにつれて、観光客が増えて来た。こいつは私の偏見かもしれないが、ハイカーと違って自然の厳しさ(それはつまり人生の厳しさでもある)を知らない観光客のなかには、しばしば世の中を舐めきってるようなアホが紛れ込んでいる。

人が二人すれ違うのもやっとの幅の遊歩道にカメラの三脚をセットして立山の撮影に興じていた老人観光客は、ついさっき落とし物をしてしまった事に気付いてすぐさま引き返したにも関わらず、既に何者かに持ち去られてしまっていた事が判明して恐ろしく機嫌の悪かった強面のハイカー(私のことだ)に思い切りどやしつけられ、謝罪する羽目になった。


一三一〇時にホテル立山に到着した私たちは、ハイキングの成功を互いに喜びつつ、「ティーラウンジりんどう」で優雅な昼食にありついた。その後、バスやロープウェイを乗り継いで黒部ダムまで下った頃には、私たちの気分と同じように、空もまたどこまでも青く晴れ渡っていた。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




June 18, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

トミー、ヤギ男と戸隠山へ。


戸隠山はもう何年も前から、いつかは登らなければならない、と思い続けていた山だ。日帰りハイキングレベルの冴えない低山でありながら、定番とされる「八方睨みルート」経由で登頂するには、その幅一フィートほどの両サイドが切れ落ちた断崖絶壁上を歩かされる「蟻の塔渡」をクリアしなければならないなど、日本屈指の危険ルートとされている。

既に伯耆大山を経験済みの私としては、後はここさえ登ってしまえば、「少しだけ勇気のあるハイカー」を自称しても、それほど的はずれな振る舞いとは言えないだろう。


〇五〇〇時に私の自宅前まで迎えに来てくれたトミーご自慢のRV車に乗り込む。その後、然るべき駅でヤギ男をピックアップしたトミーは、ご機嫌なフュージョン系のナンバーを車内に流しながらハイウェイを疾走する。


〇九一〇時、奥社入口の駐車場に到着。





装備を整えて〇九二〇時には出発。観光客らしき人々に交じって参道を歩く。


大鳥居を過ぎて一五分ほど歩くと、萱葺き屋根が目を引く随神門。





さらに一〇分ほど歩くと、奥社裏の登山口。





五分ほど休憩してから出発。しばらくはキツいだけで何の楽しみもない急坂登りだ。

ひと月前の白山ハイキングと同様、気温が高くて汗が止まらず、三.五リットル用意した水分がみるみる減っていく。


一○二五時、最初の鎖場に到着。





一般論として、これと二番目は鎖を使わなくても大して苦労はしないだろう。三番目からはかなりキツい(少なくとも私には)。


百間長屋。





西窟。





蟻の塔渡手前の鎖場。





一一三五時、蟻の塔渡の出発点に到着。

万一の事態も考慮して、遺影代わりに記念撮影。





私がそこを、四つん這いになったり馬乗りに跨ぐ(!)ようなみっともない姿勢ではなく、背筋をピンと張って堂々と渡りきったのだという証拠を残すためにトミーにカメラを渡し、すぐにでもOps-Core製のヘルメットをかぶってその仕事に取り掛かろうとしたとき、 トミーが反対側の小高いピーク(八方睨み)から下りてくる三人組を見つけて待ったをかけた。

トミーは彼らと私が「蟻の塔渡」上ですれ違うことが出来ないことを気にしたのかもしれないが、私にとってはバカげたことだった。だって私にはその「蟻の塔渡」を渡りきるのに、ものの一分すらかかるようには見えなかったのだから。

三人組が(彼らにとっての)スタート地点にまで下りて来たときには、既に私はその難所を半分以上渡りきってしまっているか、あるいは谷底で二つに割れた頭をどうやって元に戻そうか苦痛に呻きながら薄れ行く意識の中で悩んでいるに違いない。


そんなことより問題なのは、私の大切な「証拠写真」に見知らぬ三人組が写り込んでしまうことの方だった。やっぱりトミーはいつだって「結果的には」適切なアドバイスをしてくれる頼もしい男だ。私たちは然るべき待機地点まで戻って荷物を下し、遠くに見える三人組に、私たちが彼らより先にその難所に進入する意思がないことをアピールした。


三人組は若い男二人と女一人で構成されるチームで、全員がヘルメットを着用していた。早速、難所に取りついた一人目の男は、綱渡りの名人がいつもそうするように両腕を広げてバランスをとるポーズをしながら歩き始めた。そして途中で何度か立ち止まりながらも、 周囲に全く不安感を与えることのない、終始安定した足取りで、あれよあれよとそこを渡りきってしまった。

彼がゴールにたどり着いたのを確認した私がかけ声と共に拍手を送ると、彼は声援を送られたセレブ俳優か何かのように、決して豊かとは言えない表情でこちらを一瞥して軽く手を挙げた。私は心の中で、生意気なガキだな、と思ったが、まぁそいつは声には出さないことにした。紳士の対応ってやつだ。


ところで生意気なガキ氏が私の目の前でまるっきり危なげなくそこをクリアしてしまったので、私は何だか国内きっての「難所」との呼び声高いこの「蟻の塔渡」が、実は大した「難所」でも何でもないように思えて来て、少々失望した。

考え方によっては、その生意気なガキ氏が私にほんの少しの「勇気」を与えてくれた、と言えなくもない。続く二人も足を滑らせることなくそこを渡りきったのを確認して、私はバックパックに括り付けてあったOPS-CORE製のプラスティックヘルメットをおもむろに頭にかぶって顎紐を締めた。


さて、スタート地点側からこの「蟻の塔渡」を見渡すと、前半部がまさしく「ナイフリッジ」になっていて、そこに足を踏み入れることこそ、この世の中で想定されうる何者よりもヤバい冒険のように感じられるのだが、実際に歩いてみるとまるでそんなことはない。

はっきり言って「ラクショー」だ。





その「ナイフリッジ」は、始めはやや登り気味に歩かされるが、その後一旦下るような形状をしている。そしてその「ナイフリッジ」が途切れて次の岩場へとつながる、ちょうど「蟻の塔渡」の中間点あたりの左手に、土が露出したちょっとした足場がある。

そこに足を置こうとしたとき、初めて私は、戸隠山の神々が、私のハイカーとしての覚悟と実力がどれほどのものなのかを意地悪くお試しになっているのを感じた。

つまり、そこに足を置くという作業こそ、この「難所」に足を踏み入れたハイカーが「どんな状況にあっても」集中力と冷静さを失わないタフな精神力を最も要求される場面だと言っていいだろう。


まさに今、ハイカーとしての覚悟と実力を試されている私。





正直に告白すると、今となっては私自身、何をどうやってそこをクリアしたのかよく覚えていない。覚えているのは、とにかくいろいろ姿勢やホールドを変えたりして、絶対に「悔いを残さない」と確信できるベストポジションをとることだけを心掛けながら、慎重にそこへ下りていったという事実だけだ。

そしていざ、ようやくその足場に足を置いて、ほっと一息ついたとき、私は自分の心拍数がみるみる急上昇するのを感じた。ついでに息まで上がっている。ふと集中力が途切れた瞬間に、意識のうえではそれまで自覚することのなかった恐怖を、身体が本能的にしっかりと感じ取っていた事を理解する。


まだ前半戦が終わったばかりだ。息苦しさを感じながらも、後ろから私の姿を凝視しているトミーやヤギ男にはそのことを一切気取られないように平静を装いつつ、顔をあげてゴールまでの経路を確認し、その危険度の分析を試みる。結果はシンプルだ。「行ってみなきゃわからねぇぜ、くそったれ」

私は自分の精神を蝕もうとする恐怖心を抑え込むことの出来るタフな人間なのか、それともただのオカマなのか。自分自身に問いかけながら、私は残りの半分をさっさと片付けるために、目の前に立ちはだかるようにすら見える岩肌に取っ付いた。





実際のところ、後半の部では自分の精神の限界を試されるようなヤバい箇所は現れなかった。「蟻の塔渡」を渡り切り、続く「剣の刃渡」はセオリー通り「刃」の部分に手をかけて左手のステップ上を歩いて渡る。こいつもどうって事ない。


もう何年も前からラップトップを開いては、インターネットに掲載された、まだそこを訪ねたことのないハイカーたちのチャレンジ精神を徒らに煽る、クレイジーなハイカーどもの写真の数々に見入って手にあぶら汗をかきながら、「いつかはここを渡らなければ」と思い続けて来た、あの「蟻の塔渡」をついに渡り終え、万感の思いとともに仲間たちの安否を気遣って後ろを振り返ると、事もあろうにトミーがスタート地点で早くも「四つん這い」になっているところだった。

その様子を写真におさめてやろうと、二台目のカメラを装帯のパウチから取り出してもう一度トミーの方を見てみると、さらに驚いたことに、トミーはちゃっかり「巻き道」に逃げ込んで姿を消してしまった後だった・・・。


やがて稜線に戻って来たトミーと、私と同じルートをきちんと辿った感心なヤギ男の奮闘ぶりをニヤニヤしながら観戦している私の背後から、西岳経由でやって来たという若いカップルが現れた。私の愛する仲間たちがそこを渡りきるまで、カップルにはしばらく待機してもらう。

その爽やかなカップルの男の方はクライミングの経験者で、もう何度もこのルートを制覇したことのある猛者だったが、女の子の方は初めてチャレンジするらしい。何と豪胆な山ガールだろう・・・。


私とカップルが雑談をしながら見守るなか、トミーが「蟻の塔渡」を何とか渡り終え−と言っても大半は巻き道を歩いただけだったが−、「剣の刃渡」までやって来たところで「こんなところは渡れません」とか何とか悲鳴をあげたので、私は正しい渡り方をレクチャーしてやった。


ところでクライマー上がりの若者曰く、こちら(八方睨み)側から渡る際は、剣の刃渡といえども、その上を歩いて行くのが習わしのようだ。なるほど、こちらからだとやや登りになっているので、そいつはあながち不可能なことでもなさそうだ。

だからと言って、山頂まで行ったら引き返して来て、この難所にもう一度チャレンジしようぜ!と提案しても、トミーもヤギ男もどうせ首を縦に振らないだろうからやめておいたが・・・。


ついにトミーとヤギ男の二人も無事にゴールに辿り着き、私たちは互いの健闘を称え合ってから爽やかなカップルに別れを告げて先を急ぐ。達成するべきミッションは終わらせてしまったので、こうなると私たちに残された問題は昼食をどこでとるのかってことだけになるんだが、まぁ、間もなく山頂に着くはずなんで、そこいらで荷物を下ろしてゆっくりランチってのがベストな選択だろう。


「蟻の塔渡」を抜けて西岳からの縦走路に合流したら右手に折れ、私のご自慢のペニスよろしくそそり立つ岩峰の急坂を登り詰める。てっぺんに着いたのは一二一五時。


実際のところ、私はその登り詰めた先に現れた小広場こそ戸隠山の山頂だとばかり思っていたんだが、実はそこは「八方睨み」と呼ばれる、ただの立ち寄り地点でしかなかった。

そいつを知ったのは、ちょっと時間が早くないか?という私に対して一歩も引かずに腹の空きっぷりを強硬にアピールするトミーに根負けし、二人と共にそこで荷物を下ろして昼食をとることにした私が、いつもの熊本ラーメンを完成させてズルズル啜っているときに、九頭竜山側からやって来た妙齢の婦人ハイカーの一団のひとりが「あら、ここが八方睨みなのね」などと大きな声で独り言を口にするのを聞いたときだった。

昼食前に苦労して撮り取り終えた記念写真は全部パーだ・・・。


いつもの熊本ラーメン。





そして三人揃って山頂で一三〇五時までのんびり休憩。


「八方睨み」からは、「蟻の塔渡」の全景が見下ろせる。例の婦人ハイカー集団(と何人かの爺さんたち)がそこまで下りて行って挑戦中だったが、コースに跨ったまま動けなくなるのやら、いの一番にエスケープルートに逃げ込もうとするのやら、全くあんたら いったい何しにここに来たんだ?ってざまだった。


「八方睨み」から先は、猛暑のなかをあまり面白いとは言えない稜線歩きに興じて、山頂には一三一五時に到着。


背後は高妻山。


戸隠山ハイキング/山頂で記念撮影



五分後には出発して九頭竜山を目指す。ほどなくして現れた、ロープが備え付けられた下り道。





何でもない下り道だと思うだろう?こいつは私のような不用意なハイカーが何も考えずに侵入すると、思いきり尻もちをついて苦痛に顔を歪ませることになる魔の下り道だ。

まずは横着をしてロープを握らずに危険エリアに侵入し、間もなく派手に尻もちをついて痛みのあまり大声で悲鳴をあげたばかりにトミーやヤギ男に大笑いされた私は、続いて現れた同じような下り道には用心に用心を重ねてそろりそろりと侵入したが、同じように足を滑らせ、また大声で悲鳴をあげる羽目になった。


とにかく何度も現れる滑りやすい土で覆われたそれらの下り道は、私とまるで相性が合わなかった。さらに何か所かの「滑り台」が待ち受けるそのゾーンを抜け出すまでに、私はあと二回、尻もちをついて悲鳴をあげた。トミーは一回だけ尻もちをつき、ヤギ男は一度もつかなかった。


戸隠山の山頂から九頭竜山の山頂まで、休憩を挟みながら私たちの足では四五分ほどかかった。何より腹立たしいのは、途中で何度も現れるそれっぽいピークが全部ニセモノだって事だ。


本物の(九頭竜山の)山頂はこんな感じ。





記念撮影が終了したので後ろの薮に手をついたら、そこにあるはずの地面がなかったので、私は危うく数百米の崖下まで転落するところだった。どう見たって地面から生え揃ってるようにしか見えないのに、まったく悪意の塊のような薮だ。





何とも情けない悲鳴をあげた私にトミーとヤギ男は大喜びし、さらにトミーはそのシーンを写真に撮れなかったことを、ようやく母親に買ってもらえたソフトクリームをまるごと地面に落としてしまった子供か何かのような顔をして悔しがった。


一四二〇時に(九頭竜山の)山頂を出発。


五〇分ほど歩いて、ようやく一不動避難小屋に到着。そこでは戸隠山の山頂で見かけた初老のハイカーが一人、外のベンチで寛いでいた。

好奇心から小屋の中に侵入した私は、まったく不思議なことに、なぜか風のそよぐ小屋の外よりも窓ひとつない小屋の中の方がはるかに涼しいことを知って、そこに荷物を下すことにした。トミーは「そんなバカな」と言って、はじめは頑として小屋に入ろうとしなかったが、それも仕方のないことだ。


冷蔵庫にも負けない涼しさを誇る小屋の中で、三人で地図を囲んで今後のコースについて話し合う。要するに、牧場まで下りきったあと、ちょっと回り道になる自然散策コースを経由して駐車場を目指すのか、それとも一分でも早く駐車場に戻れるように最短ルートの車道を突っ切るのか、の選択だ。もはや駐車場まで戻った後の温泉と夕食のことしか頭にないトミーが車道を突っ切るルートを希望したので、私たちもその案にノった。

ところで私はもとより、トミーやヤギ男も、この時点では「どうせあとは下るだけだ」と、大洞沢沿いの下山ルートをかなり甘く見ていたに違いない。そいつがとんだ間違いであることを理解するのに、そう時間はかからなかった。


一五二〇時に、初老のハイカーに別れを告げて避難小屋を出発。


一五四五時に帯岩の鎖場を通過。





その後、現れた滑滝の鎖場。





こいつは、これまでに私が方々の山で目にしてきた数々の鎖場のなかでも、最も劣悪な鎖場に数えられるものだった。限りなく垂直に近い角度にすら感じられる岩の表面を水が流れているうえ、足場らしきものが何もないところに、六〇フィートほどの鎖が二本、無造作に垂れている。いかにも古びて赤茶色に変色してしまったやつと、銀色に光り輝く真新しいやつが一本ずつだ。

私がまず最初に古い方の鎖に取り付いたのだが、足場らしきものがどこにもないので、ラぺリングの要領で足の裏全体を岩に密着させつつ、ほぼ腕力(と重力!)に頼って降りていくしかない。

いや、もうとにかく「滑滝」という名前が表しているとおり、そいつは本当によく滑りそうな表面をした−しかも濡れた−岩だった。もし運悪く足を滑らせてしまったら、たぶん顔面を岩にしこたまぶつけて血まみれになりつつ滝の水で濡れ鼠になりながら鎖を掴んだまま、救助がやって来るまでそこにぶら下がる羽目になっていただろう。


戸隠山のハイキングコースと言えば、誰もが「蟻の塔渡」こそが最大の難所で、そこをクリアすることこそハイカーにとって最高の栄誉である、といった「錯覚」をしているかもしれないが、コース上の随所に現れる、全くハイカーに対して親切とは言えない数々の鎖場をクリアするだけでも、それなりのスキルを要求される何とも難儀な作業じゃないか。

下りルートでは何度も尻もちをついて叫び声をあげたうえに、滑滝の鎖場でも十分に苦労させられた私は、そんなことを考えた。


ちなみに、私の次にその鎖場にチャレンジしたトミーは、「鎖を二本とも使えば楽に下れるんですよ!」などと、両手で一本ずつ鎖を掴みながら、エジプトの砂漠で古代王朝の財宝でも発見したかのように得意げな調子で私に教えてくれたが、もう遅い。私はもう一回その鎖場にチャレンジしてまで、トミーの発見が正しいものであるのか否かをいちいち検証する気には、とてもなれなかった。


牧場のゲートには一六三〇時に到着。





五分も歩くと出口。

左手からは高妻山でのハイキングを楽しんできたと思しき老ハイカーたちの集団が合流する。





そしてたまたま見つけてしまった「氷」の文字。





テラスのテーブル席を占領した私たちは議論の応酬の末、「氷」だけでは飽き足らずピザまで注文してここで夕食を済ませることにした。


ソーセージピザ。





オリジナルピザ。





オーナー夫人と思しき色気に溢れるレジ係の女性曰く、この店の自慢はピザ生地にそば粉がブレンドされていることらしいが、残念ながらそう言われないと口に入れてもまったく気付かない。もっともピザ自体が大変美味なので、私たちにとってそいつは大した問題ではなかった。


そして、そもそもこのカフェに立ち寄った理由をちゃんと覚えていた私は、もちろんピザを平らげてから、デザート代わりにこいつも忘れずオーダー。





テーブルにつくなり、夕食をここで済ませるかどうかについて三人の結論も出ないうちに氷を注文してしまったトミーを私は冷ややかな目で見つめていたが、全くトミーの選択の方が正しかった。食後の身体も冷え切った頃合いに「氷」なんか食ったって何のありがたみもないじゃないか!


ところでこのカフェの店主は大そう気さくな人物で、何度か外に出て来ては私たちにいろいろ話しかけて来たのだが、何でも彼はかつて戸隠山の山岳ガイドをしていた人物らしかった。私たちは店主の昔話に耳を傾けつつ、戸隠山でひとが死ぬのはせいぜい三年に一度だ、という有益な情報も入手した。


結局、大自然に囲まれながらの夕食という、何とも優雅な休日のひとときを過ごした私たちがそこを後にしたのは一七五〇時、駐車場まで舞い戻ることが出来たのは一八四五時のことだった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。








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