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ぷしろぐ >> グルメ・旅行編
【 カ テ ゴ リ 】


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August 29, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今日で盛岡ともおさらばだ。最後に「あきを。」でじゃじゃ麺。

大通り(ストリートの名前)に面した店のガラス戸というガラス戸は全て開け放たれていてクーラーが全く効いてない。間違っても夏には訪問したくない店だ。

食券を先に買って店員に渡すと何故かちょうど「六分」でじゃじゃ麺が提供される。事前にインターネットで仕入れた情報のとおりだ。





それから二分はかけて徹底的に混ぜる。





そのまま口に入れるが、やはり何か物足りない。

カウンターにはラー油や紅生姜に加えて黒味噌も置いてある。ほう、白龍(パイロン)にはなかったな。

私は自分のじゃじゃ麺に黒味噌をたっぷり加えてみてから味見をした。その瞬間に私は自分の判断が最も正しかった事を認識した。ワオ!こいつは美味いじゃないか!!


私は二度目のチャレンジで早くもじゃじゃ麺の奥義を見極めた気がした。結局じゃじゃ麺は黒味噌が命という事だ。この舌触りとこの味が両立するならば、たしかにこいつは何度食っても飽きない「ご当地グルメ」に違いない!


〆はもちろん「チータンタン」。こいつも二度目だ。もう勝手は心得てる。





私は満足して店を出た。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/盛岡じゃじゃ麺 あきを。]


ところで盛岡の街を歩いている女性(老人を除く)は私好みの女性が実に多い。ざっと五人に三人は私好みだ、とまで言ってもいい。

みなそれほど垢抜けてこそいないものの、スラリとした健康的なプロポーションをしていて、さらに身体が健康的であるから心も健康的であるのか、歩く姿には全く女性らしい気品が満ち溢れている。私は既に全国の主要な都市は一通り訪問したつもりでいるが、ここまで街を行く女性たちに目を奪われ続けた記憶がない。

なぜ私はそのように感じるのか。二日前、白龍(パイロン)の帰りにふらりと立ち寄った「もりおか歴史文化館」で盛岡の歴史をおさらいしていた時に私にはその謎が解けた。

近世以来、盛岡では飢饉が頻発し、度々農民の反乱が起きている。つまり飢饉が頻発した結果、その時代を通じて無駄に食っては身体に蓄えるタイプの遺伝子は淘汰されたに違いない。盛岡の街では、過去の歴史を通じて健康的でスタイルのいい遺伝子だけが生き延びたのだ。


私の打ち立てた定説に反発したい者がいれば好きなだけ反発するがいい。どんなに彼らが反発したところで、あるひとつの真理が覆る事はない。

醜い者は何を言っても醜い。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 27, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

「盛楼閣」の冷麺に味をしめた私は、続く盛岡名物「じゃじゃ麺」を賞味すべく「白龍(パイロン)」へ。

行列覚悟で訪問したが、カウンター席がうまい具合に空いていた。朝食をとってから時間が経っておらず、あまり腹が減ってないので(小)をオーダー。





事前に収集した情報のとおり、味噌が均一に麺にからむまで徹底的にかき混ぜる。

ニ分ほどで完成。





いざ、口に入れてみると、うどんとキュウリの舌触りが心地よいハーモニーを奏でるが、トータルな印象として今ひとつパンチが弱い。目の前に並んでいるニンニクやラー油を適宜加えてみてもそれは変わらなかった。

それより店があまりに狭いので、カウンター席に座っていると、ホール担当の婆さんが後ろを通る度に、そのデカいケツが背中にぶつかって私はいらついた。


テーブル席が空いたので、そっちに移動してやろうかと思っていたら、タイミングよくふらりと入って来た一人客にそのテーブルを占領されてしまった。ツいてるやつだな、と思って食事を続けていたら、その客はカウンター席に空きが出来るや否や、誰に言われるでもなくそっちに移った。

随分とマナーのいい客がいるもんだ、と私は感心しながら他の客を観察していると、他の客も妙に店員に対する態度が礼儀正しかったり、どうも客の方が店に気を遣っているような雰囲気を感じる。


別に店や店員に敬意を払うこと自体は全く悪い事じゃない。ただそいつが「じゃじゃ麺発祥の店」というブランドを前にした時に限られた態度なんだったら全くクソみたいなやつらだぜ、と思いながら(私はそれがたとえ私自身のものに対してであっても、「肩書き」に媚びる連中を見下して生きてるタイプの人間だ)、少量のうどんを残して皿ごと店員に渡し「ちーたんたん」をオーダー。





つまりよくある普通の「玉子スープ」だが、まぁこれはこれで悪くない。

全て飲み終えた私は四五〇円のみ支払って退店。そう考えるとコストパフォーマンスは申し分ないのだが、「盛楼閣」ほどの感動は味わえなかった。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/白龍 本店]


その日のビジネス相手である地元の人物にその話をしてみたら、地元の人々のお勧めは必ずしも「白龍(パイロン)」ではないらしい。「白龍(パイロン)」のじゃじゃ麺は、客が自分好みに味付け出来るよう薄味で提供される。彼女は、何軒か回ってみたらきっと美味しい店が見つかるわ、といった趣旨の事を言った。


ビジネスを終えて、ディナーはこちらも有名処の「一力」で特上鮨。





カウンター席に一人で陣取った私に気を遣ってか、大将は面白い、或いはためになる色んな話をしてくれた。

そして彼は、自分は料理人ではなく「職人」だと名乗った上で、私と会話をしている間にも、私が握りを箸で挟んで醤油につける度に、そのつけ方を真剣な目つきでチラリと見るので、私は今にも私が彼の前で粗相をしでかしてしまうのではいないか、と緊張した。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/鮨一力]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 26, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

夕方からの盛岡でのビジネスに備えて移動する前に、駅前の「牛玄亭」でランチを頂く事にしよう。

牛玄定食、ニ〇〇〇円。





なかなかの美味だ。

ランチにはちょうどよいボリュームの上質な肉を頬張りながら周囲を観察していて気づいたことは、この店は女性の店員が多くて、しかも容姿のチャーミングな店員を優先的にホールでの接客にアサインしているようだ、という事だ。

もちろんキッチンにアサインされてしまった女性たちだって心は美しいに決まってる。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/秋田牛玄亭]


ゆっくり食後のコーヒーを味わってから新幹線に飛び乗り、盛岡まで移動した私は手際よくビジネスを片付け「盛楼閣」へ。

もちろん狙いは「盛岡冷麺」。インターネットでは随分と評判だが一体どれほどのもんだって言うんだ?





辛さは六段階から選べる事になっているが、「別辛で」とオーダーすると、辛味を別皿に分けて持って来てくれる。私は目の前に供された冷麺にひとくち口をつけて驚愕した!

この店の冷麺について特筆すべきは辛味を投入する前のスープの美味さにある。牛骨を煮込んでダシを取るらしいが、そのひんやりと舌に沁みこむように伝わって来るほかの何者にも例えようのない旨みをどう言葉で表現するべきか、私には想像もつかない。

程よくスープを味わい尽くしたところで辛味を全て投入。





率直に言って辛い料理の苦手な私ですら「美味い」としか思えない。ベースになるスープの旨みが、ただ辛いだけの他店のスープを圧倒的に凌駕している。


正直に告白すると、私は「冷麺」という料理に満足感を覚えた事がこれまで一度もなかったので、焼肉屋に行くたびに、当たり前のように「冷麺」を注文する同伴者が一人でもいると、こいつは頭がおかしいのではないか、と呆れた思いで見ていたが、そのような考えを私は改めなければならないだろう。

ただ「盛楼閣」の冷麺に匹敵するだけの冷麺を提供できる店がこの国に一体何件あるというのか。私と焼肉屋に入店して、私に白い目で見られる事なく「冷麺」を注文しようと企む者がいたとしても、そいつに課せられたハードルは果てしなく高い。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/盛楼閣]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 24, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

私は基本的に、子どもと接する場合であっても、大人に対してそうするのと同様に、ひとりの人間としてその人格を尊重しつつ接するように心がけるタイプの人間だ。

その代わり、大人に対する敬意に欠けていたり公共マナーを身につけてないやつは、たとえ子どもでも容赦はしない。

その結果、その場ではその子どもが恐怖に怯えて心に傷を負うことになっても、彼(あるいは彼女)にとってその経験は必ずや生きていくうえでの財産となるだろう。もしそうならなかったら?別にそれでも構わない。そいつがなぜそんなひどい目に合わされたのかをその場で理解できなかった場合、その後のそいつの人生は概ねろくなものにならないだろうが、私には関わりのない事だ。

子どもの人格を尊重するという事と、子どもを傷つけまいとして公共の場での無作法もただ見守る事しか出来ないような幼稚な親のやっている事とは根本的に質の異なるものだ。


私は「なまはげ館」を訪問してそのような事を考えた。


「なまはげ」のコンセプトは実にシンプルだ。

夜中に突然、我が家を訪れた異様な風体の妖怪が、周囲の大人や自然に対する敬意に欠ける子どもは有無を言わせず裏山に連れ去るぞ、と子どもたちに恐怖を植え付ける事で、子どもたちはそれから謙虚に生きる事を覚え、宿題をちゃんとやったり出された食事を残さず食べようと努力する。

実際にその伝統行事の様子を撮影した映像は実に愉快だ。妖怪役の村人の迫真の演技を前に、子どもたちは本気で恐れおののき逃げ惑い、妖怪役の村人に許しを請う。本当に裏山に連れ去られんばかりに妖怪役の村人に抱え上げられた少年が、ただ硬直した表情で必死に柱に掴まって渾身の抵抗を試みるシーンを見た私は、周りでそれを見ていた他の観光客と一緒に大笑いした。

とらえ方によっては実に暴力的な手段による「教育」にほかならないが、どこかの人権団体の代表がそんなたわ言を主張しても誰も耳を貸さないだろうし、また貸すべきでない。子どもの分際で調子に乗るなよ、というその種の警告は「その子どもたちのために」誰かによって為されなければならないし、私たちもまたそのようにして育てられたはずだ。


一通り「なまはげ館」を見て回り、古き良き伝統行事に関する私なりの考察を加えたところで、隣接する「男鹿真山伝承館」に移動する。そこでは概ね三〇分単位で、実際にその地域で現在も行われている「なまはげ」の様子を再現するショーが催されている。





まずスタッフによるショーの概要の説明があり、次に家の主人役の初老の男性が場を和ませるトークをする。

それから実際にその伝統行事が執り行われるときと同様、まず「なまはげ」グループの男(人間)が挨拶に訪問し、家の主人の許しが出たところで、いよいよヤツらが登場する。





浪曲師顔負けのハスキーな節回しには、真摯な稽古の痕跡が伺える。

その後、家の主に酒を勧められて落ち着きを取り戻した「なまはげ」と家の主との間でコントのようなやり取りが繰り広げられる。つまり「なまはげ」が持ち歩いている謎の「台帳」には、その家の子どもや嫁の悪行の全てがしたためてあり、「なまはげ」がそれを読み上げるごとに家の主が釈明をしながら酒を勧めるというシナリオだ。

彼らの会話はその界隈の訛りのまま行われるので、私は字幕なしで洋画を見ているような気分になったが、周りの観光客は大喜びだった。


ショーが終わったので、私はそこから歩いて五分ほどの距離にある「真山神社」を訪問することにする。

「真山神社」は「なまはげ」の黒幕とも言うべき神が祀られているとされる歴史的宗教施設だ。駐車場にあった案内図によれば、村の家々を荒らし回った「なまはげ」たちが最後に帰って行くとされる「本殿」まで 2.3KM とある。





ほう、私の足なら三〇分もかからずに着きそうじゃないか。


明日は鳥海山のハイキングが控えている。まぁその足馴らしにすらならないだろうが、毎年のように人里に乗り込んで来る「なまはげ」の住処にこちらから乗り込んでやるというのも面白い。

一時間後には戻って来る事になるだろうと踏んだ私は、水分すら持たずに手ぶらで本殿を目指して歩き始めた。


まず「拝殿」横の石段からスタートだ。





一般の観光客がそう思うかどうかはともかく、参道はよく手入れがされている。

前日の雨で所々ぬかるんでいて、サンダル履きの私を少々苛つかせたが、少なくとも道迷いの心配は皆無だ。





だが歩いても歩いても本殿らしきものは見えて来ない。

三〇分ほど歩いた頃に現れた標柱。





あれ!?まだ半分しか歩いてないって事か?

補給用の水分が全くないのは少々気になるが、そうは言っても、ここまで来ておいて引き返したりしたら、かなりマヌケだ。


どうやら街で 2km 歩くのと山道を 2km 歩くのとではわけが違うらしいという事実を学習してまたひとつ賢くなった私は、結局さらにニ〇分歩いて「本殿」に到着。





「本殿」二階からの展望。

「回転展望室」が特徴的な寒風山(中央)を見下ろす。





行けるものならその先にあると言う「本山」まで足を延ばそうかと思っていたが、「本殿」から先の道は草に覆われていてサンダル履きで行く気にはならずさっさと下山。


私がそれを見て思いつきで「本殿」まで乗り込む事にした案内図のもとに戻って来たのは、そこを出発してから一時間と四〇分後の事だった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 23, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ビジネスのため秋田に移動しなければならない私は駅の自動券売機へ。

私は新幹線に指定席で乗るのを好まない。指定席の車両では、混み具合には関係なく、私の隣の席を指定された客は当たり前のように私の隣の席に座ろうとするだろう。

自由席の場合、ちょっとだけ早めに行って自分好みの席をとってしまえば、よほど混んだ車両でない限り敢えて私の隣に座ろうとする客はまずいない(もちろん後から乗り込んで来る乗客の皆さんとの「心理戦」というプロセスは必要だ)。

結果的に私は自分のお気に入りの席で誰に気を使うでもなくリラックスして長旅を楽しむことになる。


そしていつものように自由席のチケットを購入しようとした私は、秋田新幹線が全席指定である事を初めて知った。ちっ、面倒だな。仕方なく指定席券を買おうとした私に券売機が「買え」と促して来たのは「立席特急券」という見慣れない名前のチケットだった。

私が乗らなければならない列車は、どうやら既に「満席」のようだ・・・。





四時間立ちっ放しという事実を突きつけられて、さすがの私も少々動揺する。自由席の車両が一両でもあれば絶対に起こりえない「トラブル」だ。そもそも全席指定なんだったら、もっとその事実をしっかりと(要するに私がその事に気づくように)事前に周知しておくべきだ、と思いかけて私はやめた。

目の前の状況を誰かのせいにして不平をたれる事にエネルギーを注ぐ人間と、そいつを楽しむ方法を考える作業にさっさと取りかかれる人間との違いこそ、私が軽蔑するタイプの人間と、この私との違いじゃないか。


私が東京駅のホームで駅員を捕まえて手に入れたばかりの「立席特急券」を見せ、では私は車両のどこに立っていればいいのか、と聞くと、駅員はまるでそれは全て自分の責任だとでも言わんばかりに申し訳なさそうに、デッキに立っててもらいたい、と言った。

私は早速、私が乗るべき車両の到着を待つ行列に並び、車両が到着するや否や乗り込んで行ってデッキの一画を占領した。

哀れなことに、私とは別にお婆さんと孫らしき少女の二人組も「立席特急券」での長旅を強いられているようだった。気の毒だが私が二人にしてやれる事は何もない。


大宮を出れば次の仙台までは一時間以上かかる。その間ひとの乗り降りはない。私は早速デッキに座り込んで東京駅のホームで買っておいた「サバ寿司」を掻き込んだ。「立席」とは書いてあっても私に与えられたスペースでどんなポーズをとっていようが私の勝手だ。ふむ、こいつはいい。独り占めした床にあぐらをかいて誰に気を使うでもなく「サバ寿司」なんて、ちょっと風流じゃないか。

私がたしか三貫目の「サバ寿司」に箸をつけようとした頃に、車掌が通りがかってお婆さんと孫に何事か話しかけ、そのまま二人を客室へと連れていった。たぶん空いてる席を見つけて案内してやったんだろう。話の分かる車掌じゃないか。

私はどうしようか。登山用具を詰め込んだニ〇キロ級のキャリーバッグを引いて混みあう車両の一画にわざわざ移動するのも面倒だな。それにこの場所はそろそろが私の「お気に入り」になりつつある。よし、私は車掌の親切には丁重に礼を言いつつ、その申し出は断ることにしよう。

そして車掌がまた現れたとき、もちろん私にも一声かけてくれるもんだと思っていたら、車掌は私には見向きもしないで行ってしまったので私は少し傷ついた。


後で分かった事だが、明日は大曲で花火大会があるらしい。平日の昼間に秋田に向かう新幹線が満席だなんてどうもおかしいと思っていたが本当に迷惑な話だ。


その四時間の旅はなかなか快適だった。私がノートパソコンを開いたり、本を読んだり、荷物に足を投げ出して仮眠をとったりしているうちに列車は秋田に着いてしまった。ビジネスの約束の時間に遅れることもなく、それをさっさと終わらせた私は、豪雨をものともせずホテルから歩いて「秋田長屋酒場」へ。


秋田の郷土料理は「全て揃っている」と豪語するその店に入ると、歓迎のしるしに太鼓を叩かれる。カウンター席に着いた私は、その内容を予習しチェックしておいた「郷土料理」の名前を次から次に挙げて注文した。

「いぶりがっこ」は燻製にした沢庵。





「とんぶり」はキャビアのような食感をした粒々の草の実。





「あみこ茸」というキノコの煮付けは少々塩辛いが酒の肴にはもってこいだ。





ハタハタの一夜干し。こいつは美味かった。

ししゃもみたいに頭から丸ごと頂ける。





「ギバサ」とはアカモクの現地語で、ヒジキと同じホンダワラ科に属する海藻の一種だ。





かき混ぜればかき混ぜるほど粘り気が出る。その喉ごしは秀逸だ。





「寿司はたはた」。

握り寿司をイメージして注文すると「何だこれは?」となる。





〆は「きりたんぽ味噌田楽」。

食事というよりおやつに丁度いい。





あれもこれもと注文していたので結構な金額になってしまった。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/秋田長屋酒場 秋田駅前店]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 18, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

米子を訪れたついでに私は鳥取砂丘まで足を延ばす事にした。


途中「お魚センターみくりや」で軽く腹ごしらえだ。刺身定食一一〇〇円。





それとは別に「岩ガキ」を注文。五〇〇円。





広島あたりで注文したらたぶん倍額だろう。東京だといくら取られるのか想像もつかない。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/地魚料理 恵比須]


真っ昼間からミルキーなぷりぷりオイスターを堪能した私は一路「鳥取砂丘」へ。


「お魚センター」で見つけた観光客向けのパンフレットには砂丘に関する基本的なデータが掲載されていた。砂丘は平坦地ではなく起伏に富んだ形状をしていて、「馬の背」と呼ばれる高さ五〇米ほどの丘から眺める景色はなかなかのものらしい。

マップに駐車場からの遊歩ルートがあったが、三時過ぎに駐車場に着くと満車のようだ。有料というのも気に食わないのでその前を素通りして少し行くと一キロメートル程先に「良心的な」駐車スペースがあった。そこから徒歩で海岸に侵入できるようだ。

私は迷わずそこに駐車し、ペットボトルとカメラと小銭を少々カーゴパンツのポケットに突っ込むと、砂浜を横切って波打ち際を「馬の背」の方へと歩き出した。


ほどなくして「馬の背」が見えて来た。観光客の姿も見える。





鞍部からなだらかに海岸へと降りてくる斜面には無数の足跡がある。「馬の背」から景色を眺めるだけでは飽き足らない観光客は、そこを辿って下まで降りて来るようだ。

「馬の背」の稜線までの「直登ルート」はかなり急角度の斜面だ。足元は砂。あれを駆け上ってみると面白そうだが、そんな事ができるやつはそうはいないだろう。

だいたい歩いて降りるやつすらいないようで、そもそも足跡が全くついてない。


よし、やってみなければ。





そいつはまるで不可能だ。助走が長過ぎたとか言い訳はしない。その後、カメラを回収してから歩いて上まで登ったが、それでもノンストップで登り切る事は出来なかった。


くだらない遊びはそれくらいにして、自然の織り成すアートを堪能する。





帰路はわざわざ浦安の有名店に立ち寄って「牛骨ラーメン」とやらを堪能しようとしたら、夜の営業を「お休み」と店先に貼り紙がしてあった。舐めやがって・・・。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 16, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

米子を訪れたついでに私は石見銀山まで足を延ばす事にした。途中、出雲大社に寄り道する事にしよう。

臨時駐車場に車を止めてシャトルバスに乗り込むと、バスは「古代出雲歴史博物館」まで私たちを運んでくれた。そこから出雲大社までは歩いて五分もかからないのだが、その博物館もなかなか面白そうだったので、私は参拝帰りに立ち寄る事にした。

「松の参道」を歩いて行くと左手に手水場が現れるがこのざまだ。





神には悪いが私は手洗いを省略した。


鳥居をくぐるとすぐ目の前にある拝殿には参拝客が殺到していた。たぶんそれでも正月の参拝客に比べれば控えめな方なんだろう。炎天下にも関わらず私は辛抱強く私の番が来るのを待ってから、コインを木箱に投じて形ばかりの参拝をした。





周りの参拝客を観察してると、どうやらここでは四回も手を叩くのが流儀らしかったが、そんなものは無視だ。


参拝を終わらせて建物の裏側に回ると、そこでも別の建物の前で参拝客が列を為して自分の番を待っている。後から調べて分かった事は、わたしが始めに参拝した建物は「拝殿」と呼ばれる建物で、その裏に神がおわします「本殿」というのがあるという事らしい。

おまけについ先日まで、そこの神はその「本殿」の改修のために本来の神の家を離れて「拝殿」の方に滞在していて、いまはやっぱり元の棲み家に戻っているらしい。で?結局どっちで参拝すればいいんだ?


私は一応「本殿」の方でも形ばかりの参拝をした。こう言っては何だが、私にとって「参拝」という行為は、例えばクリスマスの夜になるとみんなでケーキを食べるのと同じようなものだ。それをやったから良い人生を送れるわけでもないし、実際、神がおわすとされている聖なる空間には空気しかないと分かっていても、それはちょっとした旅の記念のイベントとして実施されるべきものだ。

私はそういう科学的なスタンスを重視する人間なので、たぶん神に本気でいろんな願い事をしているからか、いつまでも手を合わせて拝み続けてるような参拝客を見ると、本人は信仰心が厚いゆえにそうしてるつもりなんだろうが、私にはただの欲深い人間にしか見えない。


参拝を終わらせてから境内を一周していくつかの歴史的な建造物を鑑賞し、最後に「おみくじ」。出雲大社の「おみくじ」は吉だの凶だのといった分かりやすいランクのようなものは書かれていない。私が引いたのは「第二十五番(内容はインターネットで検索すれば出て来るだろう)」。


その後、博物館に移動して出雲の国の歴史を勉強する。この博物館、かなり内容が濃い。真剣に観覧した場合の所要時間は二時間。

今でこそ人口は流出する一方で社会の発展から完全に取り残されてしまった感がないでもないこの地域も、「青銅器文化」の栄えたニ〇〇〇年以上前には非常に大きな勢力を持つ部族が支配していたと思われる事が近年になって判明し、従来の九州や近畿が当時の文化の中心を担っていたとされる通説は覆されつつあるようだ。

この地域は、ただ単に「縁結びの神様」がいるというだけではなく、もっと歴史的、文化的側面からその価値を広く認知されなおす必要があるだろう。ただ何でもお願いしに来ればいいってもんじゃない。


腹がへったので「出雲ぜんざい」を賞味するため神門通りへ。猛暑のなか、お目当ての店には何組かの行列が出来ていたので即座にパス。大鳥居の目の前にある「おくに茶や」という店はすぐに入店できるというのでそこにする。

おくに茶やの「冷やしぜんざい」。





お代は六〇〇円。もちのサイズが目を引くが、それだけに留まらず、小豆の風味がほどよい甘さに抑えられていて、なかなか私好みだ。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/おくに茶や]


シャトルバスで駐車場まで戻って、いよいよ石見銀山へと移動。

まずは「世界遺産センター」へ。一七時三〇分閉館だと言うが出雲の博物館で思いのほか時間を食ったので、私がそこに着いたのは一六時過ぎ。

少し遅かったか、と思ったが余計な心配だった。展示の内容があっさりしていて、観覧は小一時間で終了。

坑道の中を見てみたかったのだが、メインの坑道、つまり江戸時代初期に銀山奉行として名を馳せた長谷川長安の名前にちなんだ「長谷川間歩」に立ち入るにはガイド同行のツアーに事前に予約をしておく必要があると言う。予約なしで中に入れる「龍安寺間歩」というのもあるが、そこは受付が一七時までであるうえに「遺産センター」からはほどよく離れた場所にあって間に合いそうにない。

そうなると私がとるべき道はただひとつだ。たぶんもう誰もいないであろう「長谷川間歩」の入り口まで赴き、あわよくば SUREFIRE のライトを片手に「侵入する」。


「長谷川間歩」の探検ツアーの集合場所とされている駐車場まで車を走らせると、案の定、車は一台もとまっていなかった。そこから山道をニ〇分も歩けば「長谷川間歩」のようだ。

その先は(私にとっては)踏み跡も明瞭でサンダル履きでも何の問題もない「親切な」山道だ。いくつかの史跡の前を通り過ぎつつ、汗だくになりながら登っていくと、やがて前方に怪しい霧かもやのようなものが見えて来た。「長谷川間歩」だ。





坑道から冷気が漏れている。事実、坑道入り口の前に立つと入り口から何とも冷たい風が吹き付けて来て涼しいどころか寒い位だ。





入り口は南京錠で施錠されていた。私の技術ではそいつを破って侵入するのは無理だ(もちろんそんな事を実践するのは犯罪だ)。

いい塩梅に涼んだところでさらに先へと行くと「釜屋間歩」がある。岩に直接彫りつけられた階段で有名なスポットだ。





手元の案内図によれば、もう少し先まで行くと「石銀集落」というのがあるらしい。先人の暮らしの痕跡が伺い知れるような貴重なスポットだとしたら、そいつを目にしないでは帰れない。私はまた山道を登り始めた。

そこから先の山道はあまり人が踏み入ってないようで、草で覆われていた。自然生物に対して無防備極まりないサンダル履きで登って行くには少々勇気がいるシチュエーションだ。さらに登って行くと、あろう事かスズメバチが一匹、私を威嚇するように私に向かって飛んで来た。ミツバチが百匹単位でかかって行ってもかないそうにない巨大なやつだ。

おいおい、スズメバチの巣の前を通り過ぎてまで見に行かなきゃならないほどその集落は素敵なスポットなのかい?

立ち止まって様子を伺っていると、スズメバチは道のわきの葉っぱに止まって何やら仕事を始めた。そいつを千切ってって新しい巣でも作る気だろうか。少なくともやつは私にはもう興味がないようだ。私は何事もなかったかのようにまた山道を登り始めた。

そこから「集落」までは三分もかからなかった。案内板によれば、たしかにそこには銀山の運営に関わったひとびとが暮らしを営んでいた痕跡を示す数々の出土品があったらしい。

だが今はただの更地だ。写真か何かで見れば十分で、危険生物が出没する山道を汗だくになって登ってまで見に行かなければならないものではなかった。





私はやっぱり帰り道でも例のスズメバチに追いかけ回されながら、逃げるようにその地を後にした。


米子まで戻った私のディナーは「一番軒」の塩ラーメン。





もやしとネギのたっぷり入ったスープがほどよいコクを感じさせる私好みの一品だ。叉焼も柔らかくて言うことなしだ。並は五〇〇円で大盛は七〇〇円。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/一番軒]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 15, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ビジネスのために米子に降り立った私は、さっさとビジネスを片付けて夕食に角盤町へと繰り出した。

向かった先は、インターネットでやや評判のいい「炉端かば」だ。境の漁港に近い地の利を生かして、ボリュームの割りに安くて新鮮な魚が出て来るらしい。

カウンター席に腰掛けてメニューを見てみると「かば大盃盛」なる刺身の桶盛りがあって、ハーフサイズが一〇〇〇円だと言う。ふむ、その辺で店の品定めをしてから他のメニューを注文というのも悪くないな。私はアルバイト店員にそいつを一丁とビールを注文した。

ビールと共に付き出しが供され、それとは別にさっきのアルバイトが「サービスです」とハマチか何かの「あらだき」を持ってきた。メニューを見ると五五〇円で提供されているようだが、ただでくれると言う。なかなか気前がいいじゃないか。

そっちにはまだ箸をつけずに付き出しを肴にビールを飲んでいると、アルバイトが桶盛りを持って来て「お待たせしました」と言った。私は思わず「そいつがハーフか!?」と怒鳴り返した。





まず桶のサイズが一〇〇〇円のそれではないし、ネタが豊富でサザエの刺身まで乗ってるうえに全ての刺身一切れ一切れのサイズがでか過ぎる。後になって「実はあの桶盛は三〇〇〇円でした」と言われても私には全く反論できないような一品だ。それにそもそも一人で食う適量を完全に超えている。

アルバイトは私の質問に涼しい顔で、そうだ、と答えて行ってしまった。私は覚悟を決めてその桶盛を完食したが、もちろん全ての刺身は鮮度が抜群なうえにボリューミーで全くケチのつけようがなかったし、そしてそれだけで私は満腹になってしまった。

「あらだき」まで片付けた私は当然それ以上は何も注文する気にならず、膨れ上がった腹を抱えて店を出た。会計はたったの一七〇〇円。


米子なんて人口数でいつもビリの県にあって、空港駅は無人のプレハブ、アニメに出て来る一つ目妖怪で観光客を誘致しようなんて必死になって、ほかにもっとましな観光資源もないのかい?とかなり甘くみていたが(まぁそれらは全て事実なんだが)、私はこの街の魅力について公正に再評価をしなければならなくなった。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/炉端かば 米子店]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 11, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

西条から車で二時間かけて、「鯛めし」発祥の地と言われる宇和島は「とみや」へ。

「鯛めし定食」は一三〇〇円。





松山の「吉」と同じく生卵を使うスタイルだが、汁が少々多すぎて、かき混ぜると卵のとろみがなくなってしまう。





いろいろと意見はあるだろうが、「吉」の鯛めしの方が私好みだ。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/とみや]


昼食を終えたら、沈下橋(ちんかきょう)から四万十川に飛び込むために岩間へ。


沈下橋とは川が増水すると水面下に沈んでしまう橋のことで、増水時の耐久性を考慮し、欄干が付いていないものが一般的だ。読み方を正しく覚え、陰毛と同じ呼び方をしない事が重要だ。

もう何年も前に、四万十川流域の子どもたちは夏になると沈下橋にやって来て、その上から川に飛び込むという事実を知った私は、ぜひ自分でもそれをやってみなければならないと決意した。そしていよいよそのミッションが遂行されるときがやって来た。

岩間沈下橋は、四万十川に架けられた五〇近くの沈下橋の中でも特に象徴的な存在だ。観光客向けの資料に「四万十川の沈下橋」として写真が載っていれば、多くの場合この岩間沈下橋だ。私が現地に到着すると、いくつものグループが川遊びやキャンプを楽しんでいた。





私は周囲をひと通り偵察して、私が橋から飛び降りる姿を撮影するのに最もよいと思われるポイントを選んで占拠し、そこに立てた三脚のうえにカメラをセットした。


これから私の踏むべき手順はシンプルだ。カメラの録画ボタンを押したら橋の上まで駆けて行き、そのまま四万十川に飛び込む。そしてそのままカメラの元に駆け戻って来て停止ボタンを押す。

多くの場合、初めて橋の上から飛び込む人々は橋の上から水面を覗き込んでいくらかの「心の準備」を終えたうえでようやく飛び込もうとするだろう。私にそんな時間は必要ない。


念のため、私は川の中から橋のうえの子どもたちに早く飛び込むようにと手招きをしている父親らしき男の元に行き、今日の水深で大人が飛び込む事に問題がないかを確認する事にした。

彼は実に親切な男で、事情を説明すると、私が飛び込むべき(要するに最も深い)ポイントの詳細まで私にアドバイスしてくれた。最も深いところでも私のみぞおち位までしか深さがなかったが、実際に飛び込んでる人々がいるのだから問題ないんだろう。私は彼に礼を言い、カメラの元へと戻った。


彼によって飛び込むように促された何人かの子どもたちは既にその宿題を片付けて川の中にいたが、一人だけ、怖気づいて橋の上にしゃがみ込んでいる少年がいる。周りの大人たちが口々に早く飛び込め、と彼に促すのだが、少年はなかなか決心がつかないようだった。

私は彼が飛び込んでから作戦を開始することにした。いま、世界は明らかに彼を中心に周っていて、周囲にいる誰もが彼の一挙手一投足に注目している。私のダイブに誰一人関心を持つ必要はないが、少なくとも私のカメラに記録される映像の主役は私である必要がある。


結局、彼は飛び込む素振りを見せてはやめる、というような事を一時間近く繰り返したあげくに、飛び込む事を諦めた。川に飛び込む勇気がなかった事を恥じる必要はない。ただ彼は諦めるならさっさと五分で諦めるべきだった。


少年が橋の上で徒らに時間を浪費しているうちに、上流から色とりどりのカヌーに乗った集団までやって来た。一〇やニ〇ではない。一〇〇艘近くはいそうな集団だ。

体験カヌーに興じていたと思われる彼らは、私が三脚をセットしていたあたりにぞろぞろと上陸し始めた。彼らは慣れない手つきでカヌーを片付けようとするが、強化プラスチック製と思われるカヌーと河原の石がぶつかる音がボコボコとうるさい。

まぁ仕方がない。私は、彼らが一人残らずきれいにこの河原から姿を消すまで撮影を延期する事にした。


二時にはそこにいた私がようやく行動を開始した頃には、もう四時を過ぎていた。それはちっともかまわない。二時間以上も「日本で最後の清流」と崇められる四万十川で川遊びに興じるひとびとをぼーっと眺めて過ごすという贅沢なひとときを体験できた幸運に、むしろ私は感謝をするべきだった。いよいよ私はカメラの録画ボタンを押して駆け足で橋の上へと向かった。





何て事だ!二時間もそこを観察してたってのに、肝心なときに降下ポイントを少し間違えてしまった!

もちろんやり直しだ。





今度はほぼイメージ通りの出来だ。誰も伴わず一人であの「岩間沈下橋」に初めて乗り込み、周囲の視線をモノともせず、リハーサルもなしで、川原から橋まで駆け上がってノンストップで四万十川に飛び込む姿を、誰の手も借りず、三脚にセットしたカメラでビデオ撮影する事に成功した男はたぶん過去に一人もいなかったか、いても数えるほどだろう。


夕食は西条まで戻ってまた「天風」。今日は鶏ガラベースの「中華そば」。やはりニ九〇円。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/ラーメン天風 西条店]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




August 9, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ビジネスのために昼から西条に移動しなければならないが、午前中は松山城で時間つぶしだ。

松山城は標高一三ニ米の山の上にあって、多くの場合、観光客はロープウェーでそこを訪れるようだが、私は宿泊していたホテルから最も近い「古町口」から歩いて登った。一五分も歩けば門(乾門)にたどり着くが、猛暑のせいで既に全身汗まみれだ。

「大天守」は国内で一二のみ残存すると言われる、徳川幕府時代に建造された天守閣のひとつだ。もっとも、同じように現存している姫路城や彦根城のそれに比べると小ぶりで華やかさに欠ける。





平野部にある山稜を利用して建てられた城郭を「平山城」といい、この松山城は「三大平山城」のひとつに数えられてもいる。わずか三階建てであるにも関わらず、天守からは松山市街を越え、はるか瀬戸内海まで見渡せる。





県庁側に下城して、昼は五志喜で「宇和島鯛めし」。





「吉」と食べ比べというわけでもないが、こちらは生卵ではなく山芋でとろみを出すスタイルだ。まぁ美味ければ何でもいい。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/郷土料理 五志喜 本店]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。





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