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June 29, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今年で三年(三代)目となる昆虫飼育。





先週から姿を現し始めて、一〇匹は羽化したのを確認したんだが、なぜかどいつもこいつもオスばかり。





メスはあまり地上には出て来ないもんだが、それにしてもバランスが悪過ぎやしないかい?


ところで驚いたことに、週末に出かけた千葉の某フィールドでゲーム仲間が見つけたノコギリクワガタ。





フィールド内のシイの木の幹にとまって食事中の彼を見つけた私の仲間は実に連れて帰りたそうにしているのだが、たぶん同じく食事に参加したいのであろう活きのいいスズメバチが一〇匹ほど獲物の周りを飛び交っていて、ビビって手が出せない。

私は彼が完全に獲物の捕獲を諦めたのを確認してから、一直線にスズメバチが飛び交うそのシイの木の元へと向かい、指で獲物をつまんで幹からひっぺがした。

スズメバチは巣を守るためには攻撃的にもなるだろうが、少しばかり食事の邪魔をしてやったところで怒ったりはしないものだ。


あとはどこかで「彼女」を手に入れて来てやれれば言うことなしだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




June 18, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

トミー、ヤギ男と戸隠山へ。


戸隠山はもう何年も前から、いつかは登らなければならない、と思い続けていた山だ。日帰りハイキングレベルの冴えない低山でありながら、定番とされる「八方睨みルート」経由で登頂するには、その幅一フィートほどの両サイドが切れ落ちた断崖絶壁上を歩かされる「蟻の塔渡」をクリアしなければならないなど、日本屈指の危険ルートとされている。

既に伯耆大山を経験済みの私としては、後はここさえ登ってしまえば、「少しだけ勇気のあるハイカー」を自称しても、それほど的はずれな振る舞いとは言えないだろう。


〇五〇〇時に私の自宅前まで迎えに来てくれたトミーご自慢のRV車に乗り込む。その後、然るべき駅でヤギ男をピックアップしたトミーは、ご機嫌なフュージョン系のナンバーを車内に流しながらハイウェイを疾走する。


〇九一〇時、奥社入口の駐車場に到着。





装備を整えて〇九二〇時には出発。観光客らしき人々に交じって参道を歩く。


大鳥居を過ぎて一五分ほど歩くと、萱葺き屋根が目を引く随神門。





さらに一〇分ほど歩くと、奥社裏の登山口。





五分ほど休憩してから出発。しばらくはキツいだけで何の楽しみもない急坂登りだ。

ひと月前の白山ハイキングと同様、気温が高くて汗が止まらず、三.五リットル用意した水分がみるみる減っていく。


一○二五時、最初の鎖場に到着。





一般論として、これと二番目は鎖を使わなくても大して苦労はしないだろう。三番目からはかなりキツい(少なくとも私には)。


百間長屋。





西窟。





蟻の塔渡手前の鎖場。





一一三五時、蟻の塔渡の出発点に到着。

万一の事態も考慮して、遺影代わりに記念撮影。





私がそこを、四つん這いになったり馬乗りに跨ぐ(!)ようなみっともない姿勢ではなく、背筋をピンと張って堂々と渡りきったのだという証拠を残すためにトミーにカメラを渡し、すぐにでもOps-Core製のヘルメットをかぶってその仕事に取り掛かろうとしたとき、 トミーが反対側の小高いピーク(八方睨み)から下りてくる三人組を見つけて待ったをかけた。

トミーは彼らと私が「蟻の塔渡」上ですれ違うことが出来ないことを気にしたのかもしれないが、私にとってはバカげたことだった。だって私にはその「蟻の塔渡」を渡りきるのに、ものの一分すらかかるようには見えなかったのだから。

三人組が(彼らにとっての)スタート地点にまで下りて来たときには、既に私はその難所を半分以上渡りきってしまっているか、あるいは谷底で二つに割れた頭をどうやって元に戻そうか苦痛に呻きながら薄れ行く意識の中で悩んでいるに違いない。


そんなことより問題なのは、私の大切な「証拠写真」に見知らぬ三人組が写り込んでしまうことの方だった。やっぱりトミーはいつだって「結果的には」適切なアドバイスをしてくれる頼もしい男だ。私たちは然るべき待機地点まで戻って荷物を下し、遠くに見える三人組に、私たちが彼らより先にその難所に進入する意思がないことをアピールした。


三人組は若い男二人と女一人で構成されるチームで、全員がヘルメットを着用していた。早速、難所に取りついた一人目の男は、綱渡りの名人がいつもそうするように両腕を広げてバランスをとるポーズをしながら歩き始めた。そして途中で何度か立ち止まりながらも、 周囲に全く不安感を与えることのない、終始安定した足取りで、あれよあれよとそこを渡りきってしまった。

彼がゴールにたどり着いたのを確認した私がかけ声と共に拍手を送ると、彼は声援を送られたセレブ俳優か何かのように、決して豊かとは言えない表情でこちらを一瞥して軽く手を挙げた。私は心の中で、生意気なガキだな、と思ったが、まぁそいつは声には出さないことにした。紳士の対応ってやつだ。


ところで生意気なガキ氏が私の目の前でまるっきり危なげなくそこをクリアしてしまったので、私は何だか国内きっての「難所」との呼び声高いこの「蟻の塔渡」が、実は大した「難所」でも何でもないように思えて来て、少々失望した。

考え方によっては、その生意気なガキ氏が私にほんの少しの「勇気」を与えてくれた、と言えなくもない。続く二人も足を滑らせることなくそこを渡りきったのを確認して、私はバックパックに括り付けてあったOPS-CORE製のプラスティックヘルメットをおもむろに頭にかぶって顎紐を締めた。


さて、スタート地点側からこの「蟻の塔渡」を見渡すと、前半部がまさしく「ナイフリッジ」になっていて、そこに足を踏み入れることこそ、この世の中で想定されうる何者よりもヤバい冒険のように感じられるのだが、実際に歩いてみるとまるでそんなことはない。

はっきり言って「ラクショー」だ。





その「ナイフリッジ」は、始めはやや登り気味に歩かされるが、その後一旦下るような形状をしている。そしてその「ナイフリッジ」が途切れて次の岩場へとつながる、ちょうど「蟻の塔渡」の中間点あたりの左手に、土が露出したちょっとした足場がある。

そこに足を置こうとしたとき、初めて私は、戸隠山の神々が、私のハイカーとしての覚悟と実力がどれほどのものなのかを意地悪くお試しになっているのを感じた。

つまり、そこに足を置くという作業こそ、この「難所」に足を踏み入れたハイカーが「どんな状況にあっても」集中力と冷静さを失わないタフな精神力を最も要求される場面だと言っていいだろう。


まさに今、ハイカーとしての覚悟と実力を試されている私。





正直に告白すると、今となっては私自身、何をどうやってそこをクリアしたのかよく覚えていない。覚えているのは、とにかくいろいろ姿勢やホールドを変えたりして、絶対に「悔いを残さない」と確信できるベストポジションをとることだけを心掛けながら、慎重にそこへ下りていったという事実だけだ。

そしていざ、ようやくその足場に足を置いて、ほっと一息ついたとき、私は自分の心拍数がみるみる急上昇するのを感じた。ついでに息まで上がっている。ふと集中力が途切れた瞬間に、意識のうえではそれまで自覚することのなかった恐怖を、身体が本能的にしっかりと感じ取っていた事を理解する。


まだ前半戦が終わったばかりだ。息苦しさを感じながらも、後ろから私の姿を凝視しているトミーやヤギ男にはそのことを一切気取られないように平静を装いつつ、顔をあげてゴールまでの経路を確認し、その危険度の分析を試みる。結果はシンプルだ。「行ってみなきゃわからねぇぜ、くそったれ」

私は自分の精神を蝕もうとする恐怖心を抑え込むことの出来るタフな人間なのか、それともただのオカマなのか。自分自身に問いかけながら、私は残りの半分をさっさと片付けるために、目の前に立ちはだかるようにすら見える岩肌に取っ付いた。





実際のところ、後半の部では自分の精神の限界を試されるようなヤバい箇所は現れなかった。「蟻の塔渡」を渡り切り、続く「剣の刃渡」はセオリー通り「刃」の部分に手をかけて左手のステップ上を歩いて渡る。こいつもどうって事ない。


もう何年も前からラップトップを開いては、インターネットに掲載された、まだそこを訪ねたことのないハイカーたちのチャレンジ精神を徒らに煽る、クレイジーなハイカーどもの写真の数々に見入って手にあぶら汗をかきながら、「いつかはここを渡らなければ」と思い続けて来た、あの「蟻の塔渡」をついに渡り終え、万感の思いとともに仲間たちの安否を気遣って後ろを振り返ると、事もあろうにトミーがスタート地点で早くも「四つん這い」になっているところだった。

その様子を写真におさめてやろうと、二台目のカメラを装帯のパウチから取り出してもう一度トミーの方を見てみると、さらに驚いたことに、トミーはちゃっかり「巻き道」に逃げ込んで姿を消してしまった後だった・・・。


やがて稜線に戻って来たトミーと、私と同じルートをきちんと辿った感心なヤギ男の奮闘ぶりをニヤニヤしながら観戦している私の背後から、西岳経由でやって来たという若いカップルが現れた。私の愛する仲間たちがそこを渡りきるまで、カップルにはしばらく待機してもらう。

その爽やかなカップルの男の方はクライミングの経験者で、もう何度もこのルートを制覇したことのある猛者だったが、女の子の方は初めてチャレンジするらしい。何と豪胆な山ガールだろう・・・。


私とカップルが雑談をしながら見守るなか、トミーが「蟻の塔渡」を何とか渡り終え−と言っても大半は巻き道を歩いただけだったが−、「剣の刃渡」までやって来たところで「こんなところは渡れません」とか何とか悲鳴をあげたので、私は正しい渡り方をレクチャーしてやった。


ところでクライマー上がりの若者曰く、こちら(八方睨み)側から渡る際は、剣の刃渡といえども、その上を歩いて行くのが習わしのようだ。なるほど、こちらからだとやや登りになっているので、そいつはあながち不可能なことでもなさそうだ。

だからと言って、山頂まで行ったら引き返して来て、この難所にもう一度チャレンジしようぜ!と提案しても、トミーもヤギ男もどうせ首を縦に振らないだろうからやめておいたが・・・。


ついにトミーとヤギ男の二人も無事にゴールに辿り着き、私たちは互いの健闘を称え合ってから爽やかなカップルに別れを告げて先を急ぐ。達成するべきミッションは終わらせてしまったので、こうなると私たちに残された問題は昼食をどこでとるのかってことだけになるんだが、まぁ、間もなく山頂に着くはずなんで、そこいらで荷物を下ろしてゆっくりランチってのがベストな選択だろう。


「蟻の塔渡」を抜けて西岳からの縦走路に合流したら右手に折れ、私のご自慢のペニスよろしくそそり立つ岩峰の急坂を登り詰める。てっぺんに着いたのは一二一五時。


実際のところ、私はその登り詰めた先に現れた小広場こそ戸隠山の山頂だとばかり思っていたんだが、実はそこは「八方睨み」と呼ばれる、ただの立ち寄り地点でしかなかった。

そいつを知ったのは、ちょっと時間が早くないか?という私に対して一歩も引かずに腹の空きっぷりを強硬にアピールするトミーに根負けし、二人と共にそこで荷物を下ろして昼食をとることにした私が、いつもの熊本ラーメンを完成させてズルズル啜っているときに、九頭竜山側からやって来た妙齢の婦人ハイカーの一団のひとりが「あら、ここが八方睨みなのね」などと大きな声で独り言を口にするのを聞いたときだった。

昼食前に苦労して撮り取り終えた記念写真は全部パーだ・・・。


いつもの熊本ラーメン。





そして三人揃って山頂で一三〇五時までのんびり休憩。


「八方睨み」からは、「蟻の塔渡」の全景が見下ろせる。例の婦人ハイカー集団(と何人かの爺さんたち)がそこまで下りて行って挑戦中だったが、コースに跨ったまま動けなくなるのやら、いの一番にエスケープルートに逃げ込もうとするのやら、全くあんたら いったい何しにここに来たんだ?ってざまだった。


「八方睨み」から先は、猛暑のなかをあまり面白いとは言えない稜線歩きに興じて、山頂には一三一五時に到着。


背後は高妻山。


戸隠山ハイキング/山頂で記念撮影



五分後には出発して九頭竜山を目指す。ほどなくして現れた、ロープが備え付けられた下り道。





何でもない下り道だと思うだろう?こいつは私のような不用意なハイカーが何も考えずに侵入すると、思いきり尻もちをついて苦痛に顔を歪ませることになる魔の下り道だ。

まずは横着をしてロープを握らずに危険エリアに侵入し、間もなく派手に尻もちをついて痛みのあまり大声で悲鳴をあげたばかりにトミーやヤギ男に大笑いされた私は、続いて現れた同じような下り道には用心に用心を重ねてそろりそろりと侵入したが、同じように足を滑らせ、また大声で悲鳴をあげる羽目になった。


とにかく何度も現れる滑りやすい土で覆われたそれらの下り道は、私とまるで相性が合わなかった。さらに何か所かの「滑り台」が待ち受けるそのゾーンを抜け出すまでに、私はあと二回、尻もちをついて悲鳴をあげた。トミーは一回だけ尻もちをつき、ヤギ男は一度もつかなかった。


戸隠山の山頂から九頭竜山の山頂まで、休憩を挟みながら私たちの足では四五分ほどかかった。何より腹立たしいのは、途中で何度も現れるそれっぽいピークが全部ニセモノだって事だ。


本物の(九頭竜山の)山頂はこんな感じ。





記念撮影が終了したので後ろの薮に手をついたら、そこにあるはずの地面がなかったので、私は危うく数百米の崖下まで転落するところだった。どう見たって地面から生え揃ってるようにしか見えないのに、まったく悪意の塊のような薮だ。





何とも情けない悲鳴をあげた私にトミーとヤギ男は大喜びし、さらにトミーはそのシーンを写真に撮れなかったことを、ようやく母親に買ってもらえたソフトクリームをまるごと地面に落としてしまった子供か何かのような顔をして悔しがった。


一四二〇時に(九頭竜山の)山頂を出発。


五〇分ほど歩いて、ようやく一不動避難小屋に到着。そこでは戸隠山の山頂で見かけた初老のハイカーが一人、外のベンチで寛いでいた。

好奇心から小屋の中に侵入した私は、まったく不思議なことに、なぜか風のそよぐ小屋の外よりも窓ひとつない小屋の中の方がはるかに涼しいことを知って、そこに荷物を下すことにした。トミーは「そんなバカな」と言って、はじめは頑として小屋に入ろうとしなかったが、それも仕方のないことだ。


冷蔵庫にも負けない涼しさを誇る小屋の中で、三人で地図を囲んで今後のコースについて話し合う。要するに、牧場まで下りきったあと、ちょっと回り道になる自然散策コースを経由して駐車場を目指すのか、それとも一分でも早く駐車場に戻れるように最短ルートの車道を突っ切るのか、の選択だ。もはや駐車場まで戻った後の温泉と夕食のことしか頭にないトミーが車道を突っ切るルートを希望したので、私たちもその案にノった。

ところで私はもとより、トミーやヤギ男も、この時点では「どうせあとは下るだけだ」と、大洞沢沿いの下山ルートをかなり甘く見ていたに違いない。そいつがとんだ間違いであることを理解するのに、そう時間はかからなかった。


一五二〇時に、初老のハイカーに別れを告げて避難小屋を出発。


一五四五時に帯岩の鎖場を通過。





その後、現れた滑滝の鎖場。





こいつは、これまでに私が方々の山で目にしてきた数々の鎖場のなかでも、最も劣悪な鎖場に数えられるものだった。限りなく垂直に近い角度にすら感じられる岩の表面を水が流れているうえ、足場らしきものが何もないところに、六〇フィートほどの鎖が二本、無造作に垂れている。いかにも古びて赤茶色に変色してしまったやつと、銀色に光り輝く真新しいやつが一本ずつだ。

私がまず最初に古い方の鎖に取り付いたのだが、足場らしきものがどこにもないので、ラぺリングの要領で足の裏全体を岩に密着させつつ、ほぼ腕力(と重力!)に頼って降りていくしかない。

いや、もうとにかく「滑滝」という名前が表しているとおり、そいつは本当によく滑りそうな表面をした−しかも濡れた−岩だった。もし運悪く足を滑らせてしまったら、たぶん顔面を岩にしこたまぶつけて血まみれになりつつ滝の水で濡れ鼠になりながら鎖を掴んだまま、救助がやって来るまでそこにぶら下がる羽目になっていただろう。


戸隠山のハイキングコースと言えば、誰もが「蟻の塔渡」こそが最大の難所で、そこをクリアすることこそハイカーにとって最高の栄誉である、といった「錯覚」をしているかもしれないが、コース上の随所に現れる、全くハイカーに対して親切とは言えない数々の鎖場をクリアするだけでも、それなりのスキルを要求される何とも難儀な作業じゃないか。

下りルートでは何度も尻もちをついて叫び声をあげたうえに、滑滝の鎖場でも十分に苦労させられた私は、そんなことを考えた。


ちなみに、私の次にその鎖場にチャレンジしたトミーは、「鎖を二本とも使えば楽に下れるんですよ!」などと、両手で一本ずつ鎖を掴みながら、エジプトの砂漠で古代王朝の財宝でも発見したかのように得意げな調子で私に教えてくれたが、もう遅い。私はもう一回その鎖場にチャレンジしてまで、トミーの発見が正しいものであるのか否かをいちいち検証する気には、とてもなれなかった。


牧場のゲートには一六三〇時に到着。





五分も歩くと出口。

左手からは高妻山でのハイキングを楽しんできたと思しき老ハイカーたちの集団が合流する。





そしてたまたま見つけてしまった「氷」の文字。





テラスのテーブル席を占領した私たちは議論の応酬の末、「氷」だけでは飽き足らずピザまで注文してここで夕食を済ませることにした。


ソーセージピザ。





オリジナルピザ。





オーナー夫人と思しき色気に溢れるレジ係の女性曰く、この店の自慢はピザ生地にそば粉がブレンドされていることらしいが、残念ながらそう言われないと口に入れてもまったく気付かない。もっともピザ自体が大変美味なので、私たちにとってそいつは大した問題ではなかった。


そして、そもそもこのカフェに立ち寄った理由をちゃんと覚えていた私は、もちろんピザを平らげてから、デザート代わりにこいつも忘れずオーダー。





テーブルにつくなり、夕食をここで済ませるかどうかについて三人の結論も出ないうちに氷を注文してしまったトミーを私は冷ややかな目で見つめていたが、全くトミーの選択の方が正しかった。食後の身体も冷え切った頃合いに「氷」なんか食ったって何のありがたみもないじゃないか!


ところでこのカフェの店主は大そう気さくな人物で、何度か外に出て来ては私たちにいろいろ話しかけて来たのだが、何でも彼はかつて戸隠山の山岳ガイドをしていた人物らしかった。私たちは店主の昔話に耳を傾けつつ、戸隠山でひとが死ぬのはせいぜい三年に一度だ、という有益な情報も入手した。


結局、大自然に囲まれながらの夕食という、何とも優雅な休日のひとときを過ごした私たちがそこを後にしたのは一七五〇時、駐車場まで舞い戻ることが出来たのは一八四五時のことだった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




June 3, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

別に弁解でも何でもなくて、置き去りにされた人気のまるでない山林内のある地点から、たまたま歩き出した方角の徒歩到達圏内の車道沿いに、水道はおろか就寝用のマットまで用意された宿泊施設があって、さらにその日はたまたま鍵がかけられてなかったなんて、これを奇跡と言わずに何を奇跡と言えばいいんだ?


さて、父親が犯罪者でないことがはっきりした時点で言えることは、この男は我が子の失踪時の服装すらまともに説明できないウスラ馬鹿かもしれないが、今回の一件については何も悪いことはしていない、という事だ。ただ、やる事が中途半端だった。

もしこの七歳児が、これだけの騒動を経験してもなお性懲りもなく人や車に石を投げるようなら、この父親には今度こそ、半径五〇マイル以内に人工設備が一切ない深い密林の車道からも遠く離れた藪の中にこの七歳児を置き去りにしてもらいたい。何なら目隠しをして手足も縛っておいてもらいたいくらいだ。


まぁ何にせよ今回の騒動で最もはっきりした事は、あのオカマの教育評論家が、目障りな感情論を展開する事しか能がない、この父親のはるか上を行く救いようのない大マヌケだって事だろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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