banner_pussylog_top | Home | Military | Trekking | Gourmet | Life | Contact |
<<  2016年 5月  >>
May 21, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

例年この時期はトミーとスケジュールを合わせて北アルプス界隈に雪山ハイキングに出かけるんだが、今年はどこの山も雪が少ないようだ。西穂高か槍ヶ岳を想定していたが、雪山歩きを楽しめないんなら既に一度登ったことのある山々にわざわざ出かけることもないだろう、というトミーの判断で、今年は趣を変えて白山へ。


早起きして東京を出発し、七時間かけて登山口まで移動、それから五時間ほどかけて室堂まで登って一泊、というプランを提案したところ、ドライブ担当のトミーからの返事は「勘弁してくれ」。

そんなわけで白峰温泉の旅館に一泊した私たちは、〇六〇〇時に旅館を出発して別当出合を目指す。例年この時期はまだ市ノ瀬までしか道路が開通してないんだが、今年は雪が少ないので別当出合まで車で乗り込める。それに五月中はまだそれほどハイカーもやって来ないだろうし、静かなハイキングが期待できる。何から何までいい巡りあわせじゃないか。


別当出合には「上の駐車場」と「下の駐車場」がある。「下の駐車場」は、「上の駐車場」沿いに走る道から見下ろすと本当にかなり下の方にあるので、全てのハイカーたちは出来ることなら「上の駐車場」に車を置きたいところだろう。私たちが〇六五〇時くらいにそこに着くと、「上の駐車場」にはまだ七、八台分ほどの空きがあった。

ちなみに下山して来たときには「上の駐車場」には二、三台ほどの空きしかなくて(つまりタイミングさえ合えば、そちらに止めることも不可能でなはいにせよ)、「下の駐車場」に何十台も車が止められていたから、まぁ、「上の駐車場」に車を置きたければ、 私たちのように平日朝に出発するスケジュールを組む必要があるってわけだ。まだ五月なのに!


ちなみに、気象予報によれば山頂付近の気温は二、三度ってところのようだ。つまり、一五〇〇米ほど標高の低い登山口の気温は一二、三度ってことになるはずなんだが、既にかなり暑い。

トミーはソフトシェルなんぞ着込んでいるようだが、私は一度は着てみた長袖シャツをすぐに脱ぎ去り、タンクトップ姿で行動することにする。


二人ほどのハイカーが私たちより先に駐車場を出発するのを見やりながら身支度を整え、それから少々車道歩きをして登山口前にそびえ立つ大鳥居の前まで移動する。

そこにある便所でトミーが小用を足している間にも一人のハイカーが鳥居をくぐって出発して行った。人気の山だとは聞いていたが、平日にも関わらず結構な数のハイカーがやって来ているようだ。


〇七四〇時に鳥居をくぐり、右手の砂防新道へと向かう吊り橋には目もくれずに観光新道の登山口から出発。





歩き始めて五分も経たないうちにトミーが行軍停止を要求する。もちろんクソ暑そうなご自慢の真っ赤なソフトシェルを脱ぐためだ。


観光新道は砂防新道より見晴らしがいい、という情報を得て、こっちを行くことにしたんだが、歩いてみたらどうってことはない、ありふれた登山道だ。

噂に聞いていたとおり階段が多いことにもやや閉口したが、右手には常に舗装道路が見えるうえに、たまに車のエンジン音まで聞こえて来るのは興ざめだ。





登山口から一時間ほど登って越前禅定道との合流点(別当坂出合)に到着。





一〇分ほど休憩して〇八五〇時に出発。

いやもう、とにかく気温もさることながら、このコースは日当たりが良すぎてマジでクソ暑い。二日間の行程で二.五リットル必要だとはじき出して持って来た水分が、みるみる減っていく。


一〇〇五時、猛暑が和らぐことはないままに雪道が登場。





満を持して今回新調したNEOS製のオーバーシューを取り出す。登山靴の上から履けるうえに底にはスパイクピンが穿たれたスグレモノだ。





つまり、私の愛用しているメレルは雪の上ではツルツル滑るうえに、メッシュ部分から雪が浸み込んで来るので、私はいつも両足の指先が凍傷みたいになっちまうんだが、こいつがあればそれらの問題は全て解決ってわけだ。

ただし、一般的な登山靴より外周が二回りほど大きいので、その上からアイゼンを装着することは出来ない。


さらに二○分ほど歩いたところで、殿ヶ池避難小屋が見えて来た。手前の急坂にはふんだんに雪が残っているので、ストックのない私は、尻滑りのブレーキ用に持参したピッケル片手に登る羽目に。





一○四○時、殿ヶ池避難小屋着。





日当たりのいいベンチに腰かけて、一人でカップ麺など啜っていた初老のハイカーが、この先の道に雪はあるのか?なんて話しかけて来た。私たちもこれから登るところなので分からない、と答えると、私たちに着いて行くという。

何のことはない、雪山装備を何一つ持参してないので、スパイクブーツ(私)や軽アイゼン(トミー)を持参している私たちの踏み跡を辿ろうって魂胆のようだ。

私たちの歩くペースは遅い、ということを念押ししたうえで、一一○○時に避難小屋を出発。


四〇分ほど歩いたところで現れた雪の残ったトラバース。





踏み跡はしっかりついてるが、はるか下まで続く斜面には滑落を止めてくれそうなものが何もない。万一のことを考えて、トミーが軽アイゼンを着けている間に私はピッケル片手にクリアしたが、例の初老のハイカーは何とストックと夏靴だけで颯爽とクリアしてしまった。うへー、なかなかやるじゃないか。


その初老のハイカー氏は、先頭を歩いていた私よりも後ろを歩いていたトミーとの会話を楽しんでいたが−と言うよりも、そのハイカー氏は全般的にごにょごにょ喋って何を言ってるのか分からないので、私は出来るだけ会話に参加しなかったのはここだけの話だ−後でトミーに聞いたところでは、白山にはこれまでもう何度も登って来たかなりのベテランハイカーらしかった。

はじめはただの準備の悪いマヌケなハイカーだと思ったが、実はかなりのキレモノだったってわけだ。


一二一○時、砂防新道との合流点でもある黒ボコ岩に到着。





そこから木道を経て雪の積もった弥陀ヶ原へと進む。





前方にそびえ立つ御前峰。





日帰りプランでやって来た初老のハイカー氏とはここでお別れだ。


弥陀ヶ原を渡り切って最後のハイマツ帯の登り。





何だかんだで炎天下をもう五時間以上歩いている。一泊分の荷物の重量もあって、この最後の登りがマジできつかった。


一三〇○時、ようやくビジターセンターに到着。





建物の中に入ると、三人のハイカーがテーブルの周りに置かれた椅子に座って寛いでいた。私は無人のカウンターに置かれたブザーを鳴らしてスタッフを呼び、予約済みであることを伝えてチェックインの手続きをする。

スタッフがやって来たのをいい事に、休憩組のうち二人のハイカーが登山記念のバッジを買っていた。こういう場合は、「そんなもの集めてどうすんだ?」と心の中で思ったとしても、口に出して言うべきではない。


スタッフに確認したところでは、本日の宿泊客は私たち二人だけだと言う。当日予約は受け付けてないはずだから、貸切確定だ。一昨年は白馬山荘を貸切にしてやったが、それも含めて、つくづく私たちは山へ出かけるべき最良のタイミングを心得たハイカーだと感心せずにはいられない。


ところで六月いっぱいは売店も食事の提供もなし、と聞いていたが、飲み物やカップ麺だけでも売られているのはありがたかった。ここに来るまでに二日分のペットボトルをほぼ空にしちまった私は、早速、飲み物と、それからおやつ代わりに計画外のカップ麺を購入した。

数百人が宿泊可能とされる「白山荘」なる薄暗い施設に私たちを案内したスタッフが、注意事項をひと通り暗唱しつつ私たちが自由に使える一画を指示してからいなくなったのを見計らって、私たちはそこに積まれていた就寝用のマットの幅の狭さに驚愕し、絶対にハイシーズンには泊まりに来るものか、という意見で一致した。それから私は持参したストーブで湯を沸かし、先ほど調達したカップ麺を平らげた。

トミーは行動食のようなものをモソモソ食っていた。カップ麺の方が絶対に美味いのに・・・。


一四〇〇時に大汝峰に向けて出発する。いつの間にか霧が出て来た。





計画では、白山三峰とされる御前峰、大汝峰、剣ヶ峰を踏破して下山する予定だが、剣ヶ峰にはそもそも登山道がないので、実際にそこに登ることが出来るかどうかは現地を見て判断するしかない。

初日に大汝峰に登りつつ剣ヶ峰の様子を偵察しておき、可能なようなら二日目の「お日の出」を御前峰で鑑賞した後に剣ヶ峰の山頂に立ち寄るというのが当初の目論見だったが、どうやらここまでの登りのどこかで、二〇キロ近い荷物を詰め込んだバックパックを背負い直したときに背中を捻るか何かして痛めちまったようで、その辺を動かすたびに激痛が走る。こうなると、剣ヶ峰のような「要注意ルート」を登るというのは少々「面倒」だ。


そんなわけで「剣ヶ峰偵察プラン」については、熱心に取り組む意欲を失いつつ大汝峰へと向かったわけだが、結果的にその偵察プランに関する私の内なる葛藤はまるで不要なものだった。霧が周囲を覆ってしまって、剣ヶ峰はおろか、自分たちの進行方向五〇ヤード先すら満足に見えなかったのだから。





出発段階で覚悟はしていたものの、見通しが悪いうえに、この時期、大汝峰まで足を延ばす感心なハイカーはいないと見えて、雪の上にはまるで踏み跡がない。私たちは事あるごとに立ち止まって、トミーが持参したGPSの情報を参照しなければならなかった。雪道を歩かされるのは承知のうえで、お互い足周りに不安を抱えながらの出発だったが、本格的なアイゼンを必要とするようなヤバい箇所が最後まで現れなかったのは幸いだった。


一五〇五時、散々道に迷った挙句に、ようやく「お池めぐり分岐」に到着。





トミーのGPSがなければ絶対に辿り着くことは出来なかっただろう。


五分も歩けば標柱が何本か立つ「大汝峰下の分岐」。





うっすらと見える黒い塊が大汝峰だ。


殆どの荷物をデポして山頂を目指す。結果論から言えば、そこから山頂まではルート上に雪はなかった。霧のせいで何度も偽のピークに騙されたのにはムカついたが・・・。


一五四○時、見晴らしもクソもない山頂に到着。





祠を取り囲むように組まれた石垣で風をしのいで休憩しがてら明日の行動についてトミーと話し合う。つまり、東京までのロングドライブも待ってることだし、御前峰で「お日の出」を堪能したら、剣ヶ峰なんか放っといて砂防新道経由の最短経路でとっとと下山しちまおうぜってことだ。

一〇分ほど話し込んでから石垣の外に出てみると、さっきまでが嘘のように霧が晴れて、周囲が見渡せるようになっていた。


右が御前峰、左が剣ヶ峰。





売店が閉まってしまう一八〇〇時までには何としても小屋に帰り着きたいというトミーの揺るぎない意志のもと、山頂を一六〇〇時に出発。

往路と打って変わってルートは明白だ。





いやいや、目的地が視認できるというのは本当にありがたい。





一七二〇時には「白山荘」に帰着。





各々閉店間際の売店で必要な買い出しを済ませたら、のんびりと夕食の支度などに取り掛かる。

小屋の中でいつもの鹿児島ラーメンを手際よく完成させた頃に、トミーが日の入りを撮影する、と言って小屋を出て行った。小屋の外は寒くてどうしても小屋の中でラーメンを平らげたい私は、ラーメンをひと口啜っては撮影のタイミングを見極めるために外に出るなどして何往復もする羽目に。


便所のすぐ横で撮影に成功した「日の入り」のワンショット。





二〇〇〇時には消灯だというので、私は早めに明日の支度まで済ませ、一九四五時までには、ほかに宿泊客がいないのをよいことにマットの上に何枚も好きなだけ重ねて敷いた毛布の中にもぐりこむ。

トミーは消灯してからも荷物をガサゴソやりながら、ヘッドランプの電池が切れたとか何とか言いながら騒いでいた。


翌朝は〇二三〇時に起床。

日の出が〇四三〇時で、山頂までの標準コースタイムが四〇分だというので、〇三三〇時には出発して早めに山頂に到着し、撮影準備含めて万全の体制でそのときを迎えることにする。


小便のために小屋を出たときに、試しに小屋の前に少しだけ積もっていた雪を小屋で借りたサンダルで踏みつけてみると、夜の間にガチガチに凍ってしまっている。念のために軽アイゼンをバックパックにしのばせ、ピッケルもバックパックに括り付けてから、予定通り〇三三〇時には出発。

私たちと前後して、小屋のスタッフらしき人物が一人山頂の方へと歩き出したが、すぐに引き返して行った。忘れ物でもしたのだろうか。


出発直後の平地の部分(室堂平)は凍った雪に覆われていたが、登り斜面に差し掛かると夏道が露出していた。防寒のために何枚も重ね着している私は汗をかきたくないので特別ゆっくり歩いて、〇四一五時、山頂に到着。

空は私が想定していたのよりもはるかに白んでしまった後だった。北岳で目にしたこういうやつを鑑賞したかったんだが・・・。


そうは言っても「ご来光登山」で名高い白山だ。「お日の出」の瞬間を目にしつつ、ついでにその神々しい眺めを写真に残すことが出来れば、何ひとつ思い残すことはない。

撮影スポットを決めて準備を済ませたら、あとは太陽が顔を出してベストショットが撮影できる瞬間を待ちわびるのみだ。もっとも私のカメラは間違っても一眼レフだとか何だとか、そんな高級なものではないので、撮影モードを「夕焼け」に設定して三脚にセットしてしまえば準備は完了だが・・・。


岩なんかにもたれながら、遥か彼方、地平線上の太陽が顔を出しそうな辺りを注視していると、一人のハイカーが登場して私とは離れた場所でスタンバイしていたトミーの近くに陣取った。トミーの証言によれば、そいつは一人で夜通し登って「お日の出」を拝みに来た、少々キュートなついでに超人的な山ガールだった。

その後、小屋のスタッフらしき一人も山頂に到着したので、本日の観客は四名ってわけだ。小屋が貸切だから山頂も当然貸切になるもんだとばかり思っていたが、考えが甘かった。


いよいよそのとき。





まぁ、何と言うか、どこかの山で見たことのあるような「お日の出」だった。


ここからは私とトミーで思い思いの撮影タイムだ。

大汝峰。





別山と室堂ビジターセンター。





小屋のスタッフらしき人物は早々に下山し、その後、山頂碑の方にやって来た例の山ガールを、彼女のカメラで撮ってあげるようにトミーに促して、その作業が済むと彼女も早々に下山してしまったので、ようやく山頂は私たちの貸切タイムだ。





思えば(いつもはわざわざ朝から登ったりしないので)朝焼けの山頂碑を囲んで記念撮影なんて初めての事なんじゃないか?


何人かの「お日の出に間に合わなかった」ハイカーたちと入れ替わりに、〇五二五時に下山開始。

二五分で小屋前に戻って、外のテーブルで朝日を浴びながら朝食。それから小屋に戻ってゆっくりパッキングなど済ませ、〇七三〇時には出発。

少なからぬハイカーとすれ違いながら弥陀ヶ原を歩く。明るくなってから出発して、もうここまで登って来たってことだろうか。


三〇分で黒ボコ岩に到着。帰りは砂防新道だ。





昨日に負けず劣らず強烈な太陽光線が照りつける猛暑のなか、登って来るハイカーをひとり捕まえて、砂防新道ルートの雪の状況をインタビューすると、全体の三割ほどが雪道だ、と言う。

あぁ、たったそれだけか、と思ったが、雪が残された部分は、ほぼ上の方に集中してるので、しばらくは雪道ばかり歩いてる気分になる。だいたい何だって陽射しだけは強烈なのに、雪はちっとも溶けやがらないんだ?


途中で現れた急斜面。ピッケルを使って華麗に降下。





五分ほど歩いてから右手だけ手袋をしてないことに気付く。荷物を下ろしてトミーを待機させたうえで引き返したんだが、例の急坂の終点まで戻っても手袋は落ちてない。

何となくそんな気はしてたが、坂の上でピッケルを取り出すときに外してそのまま置き去りにしちまったようだ。


ジャージ姿の高校生をはじめ、何組もの「登りの」ハイカーたちとすれ違いながらトミーが待ってる地点まで引き返し、自分のピッケルを手にした私はそのまま例の急坂へとUターン。

四名の中学生らしき少年らを引率していた妙齢のご婦人が、さっきから何度も挨拶を交わしている私がまた姿を現したので、何をやっているのか?ともっともな疑問をぶつけて来る。

その一団は一団で、例の雪のついた急坂を前にさっきから立ち往生しているように見えなくもないんだが、まぁ、どうでもいい。私は正直に、手袋をこの上に置いて来ちまったんです、とご婦人に告げ、休む間もなく、自分の帰りのことまで考えてキックステップで立派な足場をこさえながら、その雪の急坂を一気に登りきる。

ふと途中で振り返ると、その私のこさえた足場の恩恵にあやかりながら、例のご婦人方が私の背後にぴったりつけて鬼の形相で登って来ていたのには、さすがの私もビビった。


思ったとおり、ピッケルを出した辺りの地面にポツンと落ちている手袋を発見した私はそいつを回収し、すぐさま、さっきこさえた足場を使って雪の急坂を一気に下る。要するに、私は帰りのルートのなかで最も面倒な、その雪の積もった急坂を一往復半させられたってわけだ。


それにしても初日に背中を痛めた私は、ソリを使った尻滑りになんて、もはや取り組む気力もなかったが、その「尻滑りのブレーキ用に」持参したピッケルは、正しい使い道において、終始、大活躍だった。


トミーと合流して行動を再開する。トミーはへっちゃらな顔をしているが、汗かきで暑さに弱い私は、もうきつくてきつくてたまらない。

何度も何度も休憩を要求しながら、〇九三五時に甚之助避難小屋に到着。





バックパックから「たけのこの里」を引っ張り出してトミーに振る舞いつつ、二五分ほど休憩。

そこから標準コースタイムによれば一時間ほどで辿り着くはずの、登山口の吊り橋にまで私たちが辿り着いたのは一二〇〇時のことだった。


登山口の休憩所には、行動中に暑さのせいで気分が悪くなって引き返して来たらしきジャージ姿の高校生が二人と、中年ハイカーが一人、思い思いのポーズでその苦しさを表現しながら休んでいた。

ちょうどいい時間帯にそこまで戻って来た私たちは、それぞれ昼食用に携帯していたラーメンをこさえてペロリと平らげ、その素晴らしい二日間のハイキングを締めくくった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
>>> 最新の記事へ


<<< 前の記事へ


次の記事へ >>> 
Copyright (C)2011 Lt.Pussy All Rights Reserved.