banner_pussylog_top | Home | Military | Trekking | Gourmet | Life | Contact |
<<  2016年 1月  >>
January 25, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ベッキーとか言う珍妙な顔立ちの女タレントが猛バッシングにあっているようだが、やってることは今井美樹と大して変わらないだろう。男の方も布袋や「ミスチル」と何ら変わらない。ベッキーたちを罵ってる連中は、何で今回に限ってあれほど盛り上がっているのか。


別にベッキー女史がどうなろうと私の知ったことではないが、それよりもこの社会に蔓延している安易に雰囲気に流される人々の言動を見ていて、その知性の軟弱さにほとほと感心してしまう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




January 18, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

例の国民的アイドルグループの解散話が立ち消えになったとやらで、ファンというカテゴリ層に位置づけられる一部の無邪気な人々はほっと胸をなでおろしているらしい。

普通の感性をもって眺めれば、いい大人が四人もテレビカメラの前に引きずり出されて晒し者にされていただけにしか見えないが、それも含めたうえで解散さえ回避できればそれでいいってことか。世の中にはいろんな考え方をする人々がいるもんだ。


もっとも一部には問題の四人が「かわいそう」だとする向きもあるが、それもどうなんだ?彼らは既に長い年月にわたってあんな目にあってもお釣りが来るほど十分な報酬を得ている人々だ。ほんの少しだけ周囲を見渡せば、彼らよりも報われない暮らしを送っている「かわいそう」な人々は世の中にいくらでもいる。


お詫びの言葉とやらを並べる彼らのうちの誰かが口にした「支えられていると気付いた」「感謝しています」なんてメッセージを自分たちに向けられたものだと思い込んでる「ファン」とやらは少なくないだろうが、たぶんそいつは大きな勘違いだ。今回の一件で彼らが身に染みて理解させられたこととは、あくまで彼らのビジネス上での利害関係者を蔑ろにすることの代償がどれほどのものかって事の方だろう。

その実態が人々が期待するような美しいものか、そうでないかには関わりなく、実のところ彼らが誰に支えられていて、そして誰に感謝するべきか、という問いへの答えはそこにしかない。


そもそも私には例のグループの「ファン」と呼ばれる階層の人々の感受性も、まるで不可解としか言いようがない。大手メディアは報じないが、あの事務所の社長の性癖は既に裁判で明らかになっているし何人もの被害者の証言もある。それらの情報が示唆するところによれば、あの事務所は社長の「寵愛」を受けた者から順番に階段を上がって行くという業界内でも独特のシステムを採用しているそうじゃないか。

だとすれば、問題の五人組を含む割と名前を知られたあの事務所関係者の全員が、今日の地位を得るための代償を少年の頃にその幼いケツで支払っていたとしても全くおかしくないってことだ。少なくとも私はそういう疑いの目で彼らのことを見てしまうし、そんな彼らの歌や踊りを見せられたところで、生々しい老人のセクシャルな欲望の残り香を嗅ぎ取りこそすれ、どこに夢のあるファンタジーな要素を見出せばよいと言うのか?

陰部を丸出しにして深夜の公園で大騒ぎしたとか、警官を車で撥ねて逃亡を企てたとか、そんな愚かな実績以前の問題だ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




January 11, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

マダム・メルケルは実にすばらしい国家指導者だ。自身の権威に泥を塗る羽目になる危険も省みずに難民を無制限に受け入れるなどと大胆な政治的決断を下した挙句に、そうした頭のおめでたいヒューマニズムに侵された愚策を責任ある立場のリーダーが強行すれば何が起こるか身を以って証明してくれた。

数百人に及ぶとも言われている被害にあったドイツの一般市民は本当に気の毒だと思うが、まぁ、被害者のうちメルケル支持者についてはその対象から除いてもいいかもしれない。


もちろん「難民」と呼ばれる人々の全てが人格的にレベルの低い、救うに値しないゴミのような連中だとは限らない。基本的に「難民」と呼ばれる人々は祖国に安住の地すら与えられなかったような、運命に翻弄されるばかりの立場の弱い無辜の人々だ。

なかには悪政を敷く為政者との戦いに敗れて祖国を追われてしまったような、勇敢で偉大な市民も含まれている事だろう。ただ「難民」というだけで偏見に満ちた目で彼らを見下そうとする態度に対して、私は反対の意思を表明する。


だからと言って、ろくに受け入れの準備も整わないうちに「何人でもいらっしゃい」なんて「いいひと気取り」をやることが一国のリーダーとして責任ある態度であるわけがない。

たしかメルケルは FUKUSHIMA の事故を教訓に自身の過去の過ちを認めて脱原発に舵を切った聡明な指導者だったはずだが、こと「難民」に関しては何ともお粗末で稚拙な判断に走ってしまったのは、マダムがかちかちのキリスト教徒であることと無縁ではないかもしれない。


結局のところ、「難民」受け入れ派が主張する、「難民」を受け入れたからと言って社会の治安が悪くなることはない、という楽観論は、この期に及んで「原発は絶対に安全です」と言い切るどこかのボンクラ首脳と同じレベルの世迷言だ、ということだ。なるほど、原発は「概ね」安全なんだろうが、想定外の事故が起きてしまったときの被害の規模やそのリスクを正しく評価したうえでエネルギー政策は論じられるべきなのだ。


そして同じように、社会に対して「ゼロリスク」で「難民」を受け入れることは出来ないという事実から、私たちは安易に目をそらすべきではない。


受け入れた「難民」を全員、街中に野放しにするのは論外だが、彼らを隔離するような方法に頼れば後になって人権問題だと騒がれるおそれがあるし、審査の段階で大量のリンゴの中から腐ったやつだけピンポイントでつまみ出すのは現実的に不可能だろう。

そう考えると、あえて社会にリスクをもたらさない、つまり難民は「受け入れない」というカードを選択したい人々が私たちの身近にいたとして、誰が彼らを責めることが出来るというのか。


全ての「難民」が無慈悲に見捨てられることが「良い事」か、と問われれば、そいつも少し違う気がするが、少なくとも「難民」の受け入れ拒否派が何か意見を言っているのを見かけても、ただそれだけで彼らをひとでなし扱いするのは間違った態度だ、という事実を、私たちは空虚で無責任なヒューマニズムや宗教観に惑わされることなく、偉大なるメルケル首相がもたらしてくれた大変分かりやすいドイツの事例からしっかりと学ぶべきだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




January 02, 2016


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

トミーに加えてひょんな事から知り合った山ガール二名と四人組で蓼科山へ。


多くのハイカーは南側の登山口を使うようだが、我々のパーティーは、例年、この時期は車道が積雪のために封鎖されるらしいが今年は雪不足でそこまで車で登れる北側の七合目登山口から出発する。





北側の斜面であることと新雪ということで三年ぶりに Denali Evo Ascent を持ち込んでみたが、ところどころ岩が階段状に露出しているので歩きにくいことこのうえない。アイゼンか軽アイゼン着用の他の三人はさぞ快適に登れたことだろう。





〇九一〇時に出発して一〇五〇時に辿り着いた蓼科山荘で二〇分ほど休憩、再出発して一一五〇時に雪煙の舞う山頂に到着。





いや、もうとにかくクソ寒くて、記念撮影だけ済ませたらとっとと下山しちまおうぜ、って感じだ。


雪の蓼科山ハイキング/山頂にて記念撮影(1)



山頂ではほかに五組ほどのハイカーを見かけたが、いずれも私たちが記念撮影に興じているうちに、あっと言う間にいなくなってしまった。考えることはみな同じって事だろう。


蓼科山荘まで舞い戻って昼食をとってから一五〇〇時には登山口に帰着。寒さのあまり展望を楽しむ気分でもなかったが、下山中に浅間山が見えたとだけ言っておこう。





特筆すべきは、その後、夕食に向かった中村農場の「親子丼」。





満席なのでストーブもない店外で待て、と言われて心底ムカついたが、ひと口そいつを口にした瞬間に怒りも収まった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



雪の蓼科山ハイキング/山頂にて記念撮影(2)



1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
>>> 最新の記事へ


−プッシー大尉烈伝−[人生編]に戻る >>> 
Copyright (C)2011 Lt.Pussy All Rights Reserved.