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December 17, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

夫婦別姓が認められない民法の規定が憲法に反するなどという壮大な名目を掲げて最高裁まで頑張ったお婆さんの訴えは、あっさりと却下された。そりゃそうだろう。あれだけ露骨に国民の間の不平等を放置している「一票の格差」問題にすら混乱を恐れて斬り込めない司法が、こんな些末なテーマを取り上げて違憲判決なんて出せるわけがない。


もちろん当事者にとっては大問題なんだろうが、裁判官ばかりか客観的な立場に立つことのできる一般の人々にとっても、そんな事は「どうでもいい」というのが実際のところだろう。判決文にもお婆さんたちの名誉に配慮して言葉を選びつつ、そういう内容のことが書いてある。

そう言えば合議に参加した三人の女裁判官は全員が合憲の判決に反対意見をつけたらしい。その結果をみて「裁判所まで頭の固い男社会だからこんなひどい判決が出るのよ」と苛立たしく思うか、「裁判官にまでなって女は結局そんな感情的な判断しかできないのか」と鼻で笑うかは人それぞれだろう。


姓を名乗るというしきたりが社会に定着してからの歴史はまだ浅い、というのは別姓推進派の主張するとおりだ。家父長制は現憲法の精神に照らし合わせれば否定されるべき過去の遺物だ、という彼らの主張も全く正しいし、夫婦別姓を導入することで家族の絆が弱まってしまうなんて根拠もない幼稚な意見は聞くに堪えない。

だが残念ながら現行の納税や福祉といった社会制度は世帯単位での運用を前提に設計されている。姓が世帯を表す記号として定着してしまっている以上、これをひっくり返したければ、個人の価値観以上に説得力のある理由づけを考えておくのが推進派の連中が用意しておくべき最低限の戦略だったろう。いったい原告陣営のブレーンたちは一審、二審の敗訴で何を学んだつもりだったんだ?


実際のところ、この問題は率直に言って私にとっても「どうでもいい」問題だ。推進派の連中は、彼らが主張しているのが「選択的」別姓制度であることを理由に、「どうでもいい」という意見が多数派なのであれば自分たちの希望が受け入れられるべきだ、と 主張するだろう。そして彼らが主張するように、この制度を導入しても本当に社会に何の混乱も起きなければ既存のシステムに何の不都合ももたらさないというのであれば、どうぞ制度の実現に向けて頑張ってください、と私は彼らに暖かい言葉をかけるだろう。

だが、仮にこの制度をいざ導入して何らかのデメリットが明らかになったとき、彼らにその責任を取る覚悟があるのだろうか?彼らの過去の言動を注意深く振り返る限り、おそらく「ノー」だ。彼らの一見無害に見える主張は、その仕組みをわざわざ少なからぬ手間をかけて変えるにあたって実質的に何の保険にもならない。

そうであるなら、既存の仕組みで何の不都合も感じていない私を含む多くの人々が、その仕組みを「無理に変える必要なんてないだろう?」と彼らを突き放す立場に立つことは全く合理的な態度だ。客観的に見て、彼らは自分の希望をただ実現したいだけの自己利益追求集団でしかないからだ。


こうなると、お婆さんが存命中に夫婦別姓とやらが実現できる可能性はかぎりなくゼロに近い。願わくばお婆さんには、戦いには負けたけれどもたくさんの仲間たちが勝ち目のない戦いを支援するために集まってくれた事実に喜びを感じながら穏やかに余生を暮してもらいたい。

もしそうでないなら?この一件は、社会の仕組みと自分の器や力を照らし合わせて現実的な落とし処で折り合いをつけるセンスのない人間は、結局、不平や不満だらけの暗い人生を寂しく終えるしかないという事実を示す分かりやすい一例だってことだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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