banner_pussylog_top | Home | Military | Trekking | Gourmet | Life | Contact |
<<  2015年10月  >>
October 16, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

私が「農鳥オヤジ」の存在を知ったのは、「農鳥オヤジ」とのドラマチックな対面を果たすことになるわずか四日前のことだった。


トミーとともに北岳を起点として白峰三山を縦走する計画に着手した私は、初日は肩の小屋、二日目は大門沢小屋に宿泊するプランを立てたが、間の悪いことに大門沢のヒゲで有名な例の小屋主が屋根から落ちたとかで今年は早々に小屋じまいしてしまったらしい。

となると、二日目の行動時間が短くなってしまうのが少々具合が悪いが、稜線上の「農鳥小屋」に宿泊するしかないってわけだ。まぁ仕方がないな、それでその「農鳥小屋」って小屋ではちゃんと水が手に入るのか?

私は小屋の基本的なスペックを確認するために「農鳥小屋」をキーワードにしてインターネットで検索することにした。


そこで私が目にしたものは、「農鳥オヤジ」なる愛称とも蔑称ともつかない特別な称号を下界の人々より勝手に授けられた、「農鳥小屋」の小屋主に対する悪評の数々だった。

かいつまんで言えば「農鳥オヤジ」は短気で気むずかしく気に入らない登山客をすぐに怒鳴りつける、といったもので、遅い時間に小屋に到着したり、勝手に小屋の周囲に荷物を置いたり、用もないのに間違って小屋の敷地内に侵入してしまったがために「農鳥オヤジ」に口汚く罵しられたという被害者たちの怨嗟の声とも言うべき証言の数々が各所にあふれていた。


たまたま(?)ラジオを持たずに彼の小屋を訪問してしまった登山客たちに彼が浴びせたという、それを浴びせられた者の胸をえぐるような一言を知る人は少なくないだろう。ただ怒鳴りつけるだけじゃない。「農鳥オヤジ」は嫌味のセンスも秀逸でなかなか手ごわい。

私はウィットに富んだ皮肉やからかいは嫌いじゃないが、そいつが自分の身にふりかかるとなると話は別だ。好むと好まざるとに関わらず縦走計画を遂行するためには「農鳥小屋」に宿泊せざるをえない私は、いそいそと自宅のパソコンをインターネットに接続して、 amazon で手ごろな値段の携帯ラジオを注文した。


もっとも、情報収集を進めるうちに、「農鳥オヤジ」には少なからぬファンがいることもまた明らかになった。彼らの言い分は、「農鳥オヤジ」は登山客をただ怒鳴りつけているのではなくて、登山客の安全のために彼らを「叱りつけている」のだ、というものだった。

なるほど、小屋への到着が遅かったり、ラジオを持たずにのこのこ「農鳥オヤジ」の前に姿を現した登山客を待ち受ける試練の背景は分かった。では荷物の置き方がオヤジの気に触れた連中や小屋の敷地に侵入した連中が経験した災難はどう説明すればいい?

まぁ、そのときの「農鳥オヤジ」の心中を代弁すれば、さしずめこんなとこだろう。「お前ら、オレの小屋で勝手なマネをするな!」


「農鳥オヤジ」以外にも「農鳥小屋」には登山客がそこを避けて通るに十分に値するほかの事情がいくつかあった。例えばある情報筋によれば、「農鳥小屋」では夕食として白米と味噌汁、漬物と名前の分からないようなキノコや山菜のごった煮しか提供されないらしい。つまりほかの山小屋に比べて著しく粗末な食事しか出て来ないってわけだ。

私は、それは違うと思った。冷凍もののハンバーグや魚の切り身なんて出されるくらいなら、大自然から収穫されたキノコや山菜という素材を活かした食事の方が美味いに決まってる。

ただし、小屋に湯呑みはないので、茶を飲みたい場合は先に白米なり味噌汁なりを平らげて空にした器で飲まなければならないらしい。私は荷物の中にマグカップを放り込むのを忘れなかった。


食事の件は私にとって何の障壁にもならなかったが、「農鳥小屋」の便所がどのようなものであるのかを知ったときにはさすがの私も戸惑わずにはいられなかった。

その便所でクソをするのが真っ昼間か、夏場の気候が温暖な時期だったら私にとって大した問題ではなかっただろう。氷点下近くに冷え込む標高三〇〇〇米地点の秋の夜明け前に、斜面を吹き上げる冷たい強風にわざわざケツを向けてクソをしなければならないなんて悪夢がほかにあるだろうか。ホッキョクグマですらクソをするのにもう少しマシな場所はないのか、探して歩き回るに違いない。

私は、その日は太陽が昇って少し暖かくなってから、稜線下の樹林帯で野グソに取り組む覚悟を決めた。


もっとも、トミーと示し合わせて今回の山行のために押さえた三日間の天気予報はめまぐるしく変わった。最も行動時間が長くなるうえに前半は稜線歩きを強いられる三日目の気象予報が芳しくないので、私たちは北アルプスでの山行プランも同時並行で進めなければならなかった。

結局、北アルプスよりも南の方がマシだ、と判断して、当日は奈良田の駐車場に向かおう、とトミーに連絡を入れたのは前日の夕方のことだった。さぁ、これで私が噂の「農鳥オヤジ」にお目にかかる舞台は整ったってわけだ。私は念のため、トミーにもインターネットで「農鳥オヤジ」の過去の言動について詳しく研究しておくように忠告した。


行先が決まったときにはとっくに日が暮れていたので、私は気を遣ってその場では小屋に連絡を入れず、翌朝、奈良田の駐車場から予約の連絡を入れることにした。当日泊まる肩の小屋にはスムーズに予約の連絡を入れることに成功したが、インターネット上で公開されている「農鳥オヤジ」の携帯に電話をかけると二回ほど転送された挙句に誰も出なかった。

携帯は奈良田ではつながるが広河原ではつながらないらしい。奈良田から広河原に向かうバスがやって来たので、私は明日になって「農鳥オヤジ」に「貴様ら、予約も入れずにオレの小屋に泊まろうって言うのか!?」などと怒鳴りつけられたりしないか、一抹の不安を覚えながらも仕方なく携帯の電源を切った(三日後に下山してから確認すると、私が「農鳥オヤジ」の携帯を鳴らしてから約一時間後に、立て続けに五件の着信履歴があった。全て他ならぬ「農鳥オヤジ」からのものだった)。


初日、肩の小屋への道すがら、私とトミーの間で交わされる会話のネタの殆どが当然ながら「農鳥オヤジ」に関するものだった。「農鳥オヤジ」が間ノ岳から小屋の方へと下山してくるハイカーたちを、小屋の前に設けられたオヤジの指定席とされる「ドラム缶前のベンチ」で双眼鏡を片手に監視しているという情報を入手した私は、それにちなんで今回自らに課したいくつかのミッションをトミーに紹介した。

ひとつめは、間ノ岳から下りて来るハイカーたちを双眼鏡で監視している「農鳥オヤジ」を、「農鳥オヤジ」に見つかることなく私が間ノ岳の山頂から双眼鏡で監視したうえに、こちらを見上げてきょろきょろしている「農鳥オヤジ」の様子をこっそりカメラで撮影する、というものだ。

ふたつめは、小屋まで下りて行ったら、その「農鳥オヤジ」の指定席なる「ドラム缶前のベンチ」に「農鳥オヤジ」が見てない間にこっそり腰かけ、手持ちの双眼鏡で私が「農鳥オヤジ」の代わりに間ノ岳から下りて来るハイカーたちを監視する、というものだ。

みっつめは、一五〇〇時を過ぎて小屋に到着したハイカーを私が「農鳥オヤジ」の代わりに怒鳴りつける、というものだったが、トミー曰く、「農鳥オヤジ」の半分はおろか一〇〇〇分の一すら貫禄のない私がそれをやってもハイカーたちはちっとも怖くないだろう、というのでやめにした。


それから私は「農鳥オヤジ」に何を言われても一切の反論や言い訳をしないことをトミーに宣言した。世界一、少しでも気に喰わないことがあると誰かれ構わず反論する男のくせにそんなことが出来るのか?というような事をトミーは言ったが、「農鳥オヤジ」がハイカーたちにあれこれとやかましく指摘する、その理由を確信している私の決意は固かった。

その代わり、もし私が「農鳥オヤジ」に怒鳴りつけられるようなことがあったら私は必ず「農鳥オヤジ」に怒鳴り返してやるだろう、とも宣言した。 何と言って怒鳴り返すかって?「本当に申し訳ありませんでした!!」以外に適切な言葉など私にはただのひとつも思い浮かばない。


二日目、初日に宿泊した肩の小屋を〇七〇〇時に後にした私たちは、素晴らしい秋晴れの空の下を農鳥小屋を目指して前進した。肩の小屋から農鳥小屋までの標準所要時間は手持ちのガイドブックによれば四時間あまりだ。

いつものようにあれもこれも写真に撮ったり、のんびり休憩を挟みながら行っても一二〇〇時までには農鳥小屋に着いちまいそうだ。私たちは「農鳥小屋」で昼食をとるのも悪くない、なんて話をしながら、常に強風こそ吹き付けるものの絶景の広がる稜線歩きを楽しんだ。


いろんなところで道草をして写真を撮ったり、稜線上の風避けにちょうどいいハイマツ帯で陽光を浴びながら仮眠をとったり、あるいは立ち止まって目の前に広がる絶景を楽しみ過ぎた私たちが間ノ岳の山頂に到着したのは一一四〇時のことだった。そこから農鳥小屋までは一時間ほどかかるらしいが、そろそろ私もトミーもいい具合に腹が減っている。協議の結果、私たちはそこで昼食を摂ることにした。

おまけに山頂には風を遮るのにとてもいい感じの岩場があったうえに「農鳥オヤジ」が機嫌を損ねるといわれる小屋への到着タイムリミット即ち一五〇〇時まではまだたっぷりと時間があった。私たちはさもそれが当然のことであるかのように、そこでも食後の昼寝をすることにした。


一三〇〇時過ぎにのっそりと起き上った私たちは行動を開始した。だだっ広い間ノ岳の山頂から一段下がった南側の平面に「農鳥オヤジ」から姿を隠しつつ、その陰から農鳥小屋を見下ろすのにうってつけのケルンを見つけた私は、双眼鏡を片手にこそこそとそれに近づいた。

迷彩柄のツバ広帽をかぶってケルンと同化しつつ、小屋の様子を双眼鏡で覗う私を怪訝そうな目で見ながら一人のハイカーが小屋の方へと下って行った。おい、頼むから山頂に怪しいやつがいる、なんて余計なことを「農鳥オヤジ」に吹き込まないでくれよ。


監視地点から双眼鏡越しに捉えた農鳥小屋。





地図を見る限り私たちの位置から小屋までの距離はざっと一マイル(≒一六〇〇米)ってとこだろう。私の双眼鏡ではそれだけ離れた距離にいる「じっとしている」人間を見つける事は不可能だった。ひとつめのミッションは失敗だ。

それにしてもクリス・カイルってやっぱりすげぇな、なんて事を考えながら私は立ち上がり、後ろで待機していたトミー共々、こちらを監視しているであろう「農鳥オヤジ」に堂々と姿を晒して間ノ岳を下ることにした。


間ノ岳からの下りは足の滑りやすいザレ道だったが、ちょっとでも油断をして半フィートすら足を滑らせようものなら、後で「農鳥オヤジ」に「貴様らは山道を下るのが本当にヘタクソだな!!」などとお叱りを頂戴することになりかねない。

私とトミーは二人とも集中力を切らすことなく、とびっきり上手な歩き方を心掛けて、下界にその名を轟かせる「農鳥フォント」がそこら中に目につく忌々しいザレ道を抜群の安定感を見せつけながら下った。





とても残念なことに、いざ私たちが小屋の前に着いてみると「農鳥オヤジ」の姿はどこにもなかった。何だよ、今日は見張り番をサボってるってわけか?


私の前を歩いていたトミーが必然的に私よりも先に小屋の敷地へと侵入し、作業小屋に潜んでいた「農鳥オヤジ」を発見した。私の位置までは聞こえなかったが、たぶん泊めてくれとか何とか、トミーは手短に用件だけを「農鳥オヤジ」に伝えたんだろう。私の位置からは小屋の陰に隠れてまだその姿を確認することは出来なかったが、世界中の無愛想な人間のお手本にすらなりそうな面倒くさそうな口調で「はい」とだけ一言、「農鳥オヤジ」らしき人物がトミーに答えているのが聞こえた。

腕時計を見ると時刻は一三五五時。到着期限の一五〇〇時にはまだ一時間ほどある。少なくとも対面早々怒鳴りつけられるような悲劇を回避できた事を理解した私はそっちに歩いて向かって、いよいよ彼らの前に躍り出た。


そこには突然、物陰から現れた私に向かって無言で鋭い視線を投げかけている一人の老人がいた。おぉ、こいつはすげぇ!トレードマークとされるあのモンゴロイド系の遊牧民族が愛用してそうなツバなし帽をかぶって貫禄のある顎鬚を生やした、小柄ながらどうにも近寄りがたい雰囲気を醸し出しながら私の眼前に佇んでいるその老人こそ、まさしくこれまでに数々のハイカーを震え上がらせ、あるいは彼らに極限まで不快な思いをさせて来た歴史を誇る悪名高いこの小屋の主人、「農鳥オヤジ」に違いない!

私はひとまず「あんたの事なんて知らないぜ」って風を装って一度だけ軽くペコリと会釈をした。「農鳥オヤジ」はそれに対しては何の関心も反応も示さずに、そのまま私たちを宿泊手続きとやらのために宿泊棟へと連行した。


「農鳥オヤジ」が宿泊棟の引き戸をガラリと開けると、中には既に四人のハイカーが奥のコタツに入って寛いでいた。私たちを入口の土間に留め置いた「農鳥オヤジ」は棟の奥から宿泊台帳を持って来るなり私たちへの尋問を開始した。

「明日はどちらへ?」


事もあろうに、それまで「農鳥オヤジ」との交渉窓口を務めていたトミーは、そんな基本的な質問にすら満足に答えられずに言葉に詰まって私に答えるように促したので、私は「農鳥オヤジ」に奈良田に下山する、とだけ答えた。


次に「農鳥オヤジ」は「代表の方は?」と尋ねて来たが、すかさずトミーはその座も辞退して私を指差した。年齢を聞かれたので私が答えると、「農鳥オヤジ」はそれを聞き間違えて宿帳に記入したので、私とトミーがほぼ同時にその間違いを指摘した瞬間、「農鳥オヤジ」は「貴様ら、オレに何か文句があるのか!?」とでも言わんばかりの鋭い調子で聞き返した。

「あ!?」


事前に「農鳥オヤジ」の耳が遠いことを知っていたのは私にとって幸いだった。何も知らずにやって来たハイカーが同じ目に会ったら、その出来事だけで心がポッキリ折れてしまっても仕方がなかっただろう。それくらい「農鳥オヤジ」の「あ?」は威圧的な響きを帯びていた。

だがそいつは単にそう聞こえるだけで、実のところ「農鳥オヤジ」は「よく聞こえなかったのでもう一度言ってくれないか?」と私たちに頼んでいるだけなのだ。私はただ、下界で暮らしていればそこら中で見かけるような、周囲に対して友好的に振る舞うことのできる普通の老人にそうするのとまったく同じようにゆっくり、かつはっきりと正しい年齢を伝え直せばそれでよかった。


その後、年齢以外の項目について私が宿帳への記入を済ませた頃に「農鳥オヤジ」が「今日はどこから来ました?」と私たちに尋ねたので、これにはすかさず前日泊まった小屋の名前くらいは覚えていたトミーが「肩の小屋から来ました」と即答した。

それを聞いた「農鳥オヤジ」は、「貴様らはオカマか!?」「マジで信じられない!」とでも言いたげなすっとんきょうな声をあげた。「何だぁ?えらく時間がかかったな!?」


噂によれば「農鳥オヤジ」は登山客のその日の行動時間を聞けば瞬時にその登山客のハイカーとしての実力を見極めることができるらしい。早朝に肩ノ小屋を出発したはずのハイカーが一四〇〇時近くにもなって彼のもとを訪れた、という事実から「農鳥オヤジ」が連想することと言えば、いま目の前で彼の小屋に泊まりたいと申し出ている二人の男−私たち−はとんでもないノロマでよちよち歩きの屑ハイカーだってことに違いない。

その事実を丁重に否定させていただくために、私は「間ノ岳で昼寝をしておりました!」と正直に白状した。なぜかトミーはそれを聞いて「ハハハハ」と大笑いした。「農鳥オヤジ」は・・・。「山で昼寝?貴様ら舐めてるのか!?」と私を一喝する代わりに「あぁ、そうかい」とただ納得して次の手続きへと移った。


続けて、小屋に泊まるにあたっての数々の注意事項−この小屋に限っては「掟」とでも呼ぶのがふさわしいだろうか−が「農鳥オヤジ」によってすらすらと暗唱された。

その間、「農鳥オヤジ」の口調は終始穏やかで、言葉使いも丁寧なものだった。「農鳥オヤジ」は、彼が頭にインプットしている限りのひとしきりの決まり事を空んじ終えてから、「そんなところかな」と独り言を言って、最後に、明日は天候が崩れそうだから暗いうちに小屋を出発してもらいたい、今のうちに農鳥岳に向かう道を下見しておいてください、と私たちに言った。私たちはすぐさまその言葉に従い、何かの仕事を命じられた警察犬より素早く小屋の外へとダッシュで移動した。


翌朝の出発ルートは明瞭で、「農鳥オヤジ」から課された宿題はすぐに終わった。私たちが宿泊棟に戻ると、ちょうど一組のハイカーが土間で宿泊手続きをしているところだったが、戻って来た私たちを見咎めるなり、「農鳥オヤジ」は私たちが許可を得たうえで座敷の一画に転がしておいた私たちの荷物を指差しながらこう言った。「あんたたちはまだ若いのにセッピョー装備はどうした?」

おぉっ!ひょっとしてこいつが噂に聞く、数知れぬハイカーたちの精神をずたずたに切り刻んで葬り去って来たとか言う「農鳥オヤジ」のありがたいお小言なのか!?私は身の引き締まる思いで農鳥親父閣下から下される次の一言を待った。ところでセッピョーって何だ?


私が、そして多分トミーも「セッピョー」の意味が分からずきょとんとしているのを見てとったのだろう、農鳥親父閣下は「雪と氷だ」と、このうえなく分かりやすい補足の説明を差し挟んでから続けた。「いま何月だ?もう一〇月半ばだよな?」「ここは標高三〇〇〇メートルだ」

要するにこういうことだった。「貴様ら、この季節にもなってピッケルも持たずによくもおめおめとオレの前にツラを出しやがったな!?」


よせばいいのに冒険心豊かなトミーが「軽アイゼンを持って来ました」などと発言して農鳥親父閣下にささやかな反抗を試みた。ひょっとするとトミーはその一言で閣下を黙らせることが出来ると踏んでいたかもしれないし、その一言は閣下におかれてもやや想定外のものだったかもしれない。

だが農鳥親父閣下はそいつを耳にすると落ち着き払って「軽アイゼンか・・・」とボソリと呟き、しばらく間を置いてから、今度はおもむろにザックに括り付けられているトミーのトレッキングポールをとんとんと人差し指で小突きながら、「おい、若いの、二度とオレに口ごたえなんてするんじゃねぇぞ」とでも言いたげな厳粛なる響きを湛えて静かに言った。「でもこいつじゃ雪洞は掘れないな。」トミーは二度と余計な口をきこうとはしなかった。


私はあらかじめトミーに宣言していた通り、「農鳥オヤジ」に何を言われても反論も言い訳もしないと決めていたので、黙って「農鳥オヤジ」の言葉を聞いていた。実際、その場で「農鳥オヤジ」に一言言い返すことはそう難しいことではなかっただろう。

「よぉ、爺さん、新雪によく利く魔法のピッケルはどこに行けば手に入るんだ?」「おいおい、この辺りの山じゃ一晩で雪洞が掘れるほど雪が積もるって言うのかい?」「だいたいそんなもの持ち歩いてるやつが一人だっているのかよ?」

だがそうすることに一体どれだけの意味があっただろうか。


「セッピョー装備」は「農鳥オヤジ」が言わんとしていることの表面的な一要素でしかない。私たちがそのとき「農鳥オヤジ」に突き付けられていた問いかけの本質とはこういうことだったろう。

「貴様ら、山を相手に遊びたいって?それだけの覚悟は出来てんだろうな?」


まして「農鳥オヤジ」は機嫌が悪かったから、とか、あるいは単なる嫌がらせのためにそんな事を言っているのではなかった。「農鳥オヤジ」の、台風崩れの低気圧がどこそこの海上にあって、寒気団はいまどこそこまで下りて来ていて、と言った現状の気象状況に関する分かりやすい名解説を、 演奏される国歌に直立不動で聞き入る愛国心豊かな兵士よろしく「農鳥オヤジ」から目をそらすことなく一言一句聞き漏らすまいと拝聴していた私の姿勢に満足したのか、或いは相手が誰であれ最後はいつもそうしているのかは分からなかったが、「農鳥オヤジ」は不意に目を細め、表情を崩して白い歯を見せると再び穏やかな口調に戻ってこう言った。「必ず雪が降るとは言いません。でもそうなる可能性もあります、ってことなんですよ」


ちょうどそのとき宿帳を記入していた例のハイカーがそいつを書き終えて閣下に手渡したとき、閣下の「明日はどちらへ?」との問いに対して「北岳へ」と答えてくれたので、閣下の関心はそちらに向けられ、私たちは解放された。

「下った方がいい」 農鳥親父閣下は私たちより年かさの北岳に登りたいハイカーに問答無用といった口調でピシャリと言った。「え?」と聞き返した北岳に登りたいハイカーを待ち受けていたのは、もちろん閣下からのとどめの一撃だった。「明日は天候が崩れる。さっさと下れ、と言ったんだ」


農鳥親父閣下の私たちに対するありがたいコンサルティングの時間はこれだけに留まらなかった。「すぐに(雲で)見えなくなるから今のうちに山を見とけ!」という閣下の親切心に満ちあふれつつ絶対的な命令に従って私たちが小屋を飛び出し、間近にそびえる間ノ岳や西農鳥岳を下界の喧騒を忘れながら見上げていたときに、閣下に散々ビビらされて不安になったのか、トミーが「明日、雪が降ったら奈良田に下るのがいいのか、北岳側に戻った方がいいのか、(閣下に)聞いて来ます」と言うので、そんなことも分からない者が山に来るな、とか何とか言われて火に油を注ぐだけだからやめた方がいい、と私は忠告したのだが、結局、トミーは目下の重大な疑問を解消するために閣下の下へと走った。

私が十分に小屋の周囲からの眺めを楽しんで宿泊棟に戻ろうとすると、ちょうどトミーが農鳥親父閣下に明日の行動に関する指針を下し置かれているところだった。私がそこをブラリと通りがかったことで、農鳥親父閣下の権威ある講義の時間が再開される条件は整った。

知見に満ちた閣下のお話は全く私を飽きさせないものだったが、やがて話題はいつしか心構えの甘い登山客に対する閣下の苦言へと移って行った。「必ずいるんだ」 閣下は、オレは何でもお見通しだ、とでも言いたげな確信に満ちた口調で仰せられた。「川を渡るときに、あぁ、やっぱりあのオヤジの言うことをちゃんと聞いておきゃよかった、なんて後悔するやつらがな」


農鳥親父閣下が、大門沢が雨で増水するリスクまでよくよく考慮したうえでザイルを携帯することなく彼のもとを訪れるようなハイカーは愚かなやつだ、という考えをお持ちであることは私も知っていたし、実際、まぁザイルなんて持ってないので持って来ようもなく、翌日、雪が降ることよりも雨で沢が増水した場合のことを懸念していた私にとって、そいつは身に沁みる話だと私は思ったが、不意に閣下は、念のために聞いておくが、と言った感じで私に尋ねた。「どこの川だか分かるか?」

自信に満ちた口調で「それは大門沢のことでしょうか!?」と、私はほかに答えなんてあるわけがない、とでも言わんばかりに胸を張って答えたのだが、後から思えばそいつはかなりとぼけた回答だった。私の答えを耳にした瞬間、農鳥親父閣下は鋭く眼光を光らせ、険しさを帯びた表情で私を見据えるなりこう言い放った。

「三途の川だ!」


まさかそんなところでアクション映画のラストシーンに登場するヒーローよろしく取って置きの決め台詞をかまされるなんて想像だにしていなかった私は、もうただただ、桜の彫り物をお奉行様に見せつけられて観念した悪徳商人のように「畏れ入りました」と言うほかなかった。


ところでそれらの会話が、窓ガラスを割ったボールを片手に仁王立ちしている頑固じじぃの元に謝罪に訪れた野球少年よろしく、私たちがただ頭を垂れながら「農鳥オヤジ」の一方的な話を聞いているような感じで展開されたものだと思っているなら、そいつは全く違う。

実際のところ、「農鳥オヤジ」は泊り客の夕飯の支度にあてるべき結構な時間を犠牲にしてまで、すぐ傍で散歩をせがんでうるさく吠える愛犬をどやしつけながら、全ての登山者が身につけるべき安全登山の心得について私たちに熱心に話をしてくれたが、基本的にその口調は終始、私たちを諭すような穏やかなものだった。


おまけに「農鳥オヤジ」は長い講義の合間に以下のような言葉をたびたび口にした。「厳しいことを言ってるのは分かってるがね」「うるさく言ってごめんなさいね」「素直に話を聞いてくれてありがとうね」

最後の一言がオヤジの口から発せられた瞬間、私もトミーも畏れ多さのあまり「何を言い出すんだ」と言わんばかりにオヤジの言葉を慌てて遮ろうとしたくらいだった。


「農鳥オヤジ」と私たちのコミュニケーションは、何も登山の心得に関するものだけに留まらなかった。往復するのに優に二〇分以上はかかる、稜線から高度一〇〇米は下らなければ辿り着けない(ってことはもちろん一〇〇米登らなければ帰って来れない)水場で水を汲み終えた私たちが稜線まで戻って来て息を整えているのを見かけた「農鳥オヤジ」は、すかさず「いい水場だったろう?」と話しかけて来て、その水場はどこそこから水を汲みあげているとか、夏場はそこで行水することも出来るとか、孫を自慢する爺さんのように、その水場がいかに素晴らしいものであるのかを私たちに伝えようとした。


清らかな水を絶えることなくペンキ缶に注ぎ続ける農鳥親父閣下ご自慢の水場。





おまけに私たちが宿泊棟に戻って、なぜ「農鳥オヤジ」の飼ってる犬はトミーにはちっとも吠えないのに私にばかり唸り声まであげて吠えるのか、についてあれこれ議論をしていると、ガラリと引き戸を開けて登場した「農鳥オヤジ」は私たちを見つけるなり、素晴らしい水を手に入れた私たちにはそいつを目に焼き付ける義務がある、とでも言わんばかりに、水場近くで撮ったもんだ、と言って、鹿が何頭も写っている写真の束を私たちによこしたうえで、その山域の食害に関するレクチャーまでしてくれた。


もちろん噂のコーヒーと紅茶のセルフサービスについても「農鳥オヤジ」は私たちに熱心に勧めてくれた。何でもポットを夕食に流用しなければならない、とかで、そのサービスは毎日一六〇〇時きっかりに有無を言わさず打ち切られる決まりなのだが、私たちを小屋の外で見かける度に「農鳥オヤジ」は、オレは本当にお前たちにコーヒーか紅茶を飲んでもらいたくて仕方がないんだ、とでも言わんばかりに「さっさと飲め」と何度も言った。


農鳥小屋名物、コーヒー、紅茶のセルフサービスセット。





私はオヤジのお言葉に甘え、手持ちのマグカップで一杯目はレモンティーを、二杯目はアップルティーを啜った。それらは粉末タイプのインスタント飲料だったが、これまでに多くの登山客たちがそれらで喉の渇きを潤して来たのだろう、粉は袋の中に殆ど残っていなかった。

レモンティーもアップルティーも、私が自分の分をこさえるとあと一杯分しか残らなかったので、必然的にトミーがそれらの飲み物を楽しむことの出来る最後の人物になった。だから理屈のうえでは、今後「農鳥オヤジ」がそれらの飲み物をほかの登山客に提供できなくなった事実を「農鳥オヤジ」に報告する義務があったのはトミーということになる。

もしも「農鳥オヤジ」が、まだ私たちがそこに滞在している間に例によってガラリと引き戸を開け、「レモンティーとアップルティーが残ってないじゃないか!!」などと血相を変えて怒鳴り込んで来たら、私は喜んで仲間−トミー−を売っただろう。


ところでレモンティーもアップルティーも、その粉末は妙に湿気を含んでいたので、私は怖いもの見たさにそれらの賞味期限をチェックすることを忘れなかった。結果?どうせ残りはトミーが全部飲んじまったんだから、今さらそいつを公にして何の意味があるって言うんだ?

まぁ数日とか数週間とか、実のところ数か月とか、そんな生ぬるい単位の話ではなかったのは事実だが、だったらどうだと言うのか?そいつは農鳥親父閣下のご厚意によってタダで提供されてるもんだって事を忘れちゃいけない。


私は「農鳥オヤジ」との記念撮影も忘れなかった。私が一緒に写真に写ってほしいと申し出ると、「農鳥オヤジ」はボソリと「いいけど・・・?」と呟いてから、「オレはそのへんをうろついてるから勝手に撮ってくれ」と言った。そんな適当な写真でいいわけないだろう。

トミーにシャッターを押せば撮影できる状態にしたカメラを手渡した私は、次に私の近くを「農鳥オヤジ」が通りがかったときに「それではお願いします!」と言って、忙しく動き回る「農鳥オヤジ」の都合も省みず、半ば強制的に私の隣に並んでもらった。

しぶしぶ私に付き合ってくれた「農鳥オヤジ」は「オレはレンズは見ねぇぞ」「遠くの山を見てる感じで写る」などと、さすがはその道一筋に生きて来た山男らしい(が、私にはよく分からない)こだわりを見せながら、最終的には快く記念撮影に応じてくれた。





ついでに私はミッションその2に取り組むことも忘れなかった。事前の情報ではドラム缶の前にベンチがある、ということだったが、それらしきドラム缶の前には何も置いてなくて、代わりにそのすぐ脇に木組みのベンチ(らしきもの)があった。

「貴様はオレの指定席で何をやっている!?」などと「農鳥オヤジ」に怒鳴りつけられたときの言い訳をあれこれ考えながら私はそこに腰かけて、不法入国者を取り締まる国境警備隊の隊員よろしく双眼鏡で間ノ岳の斜面をじっくりと時間をかけてスキャンした。なるほど、たしかにここからなら下山してくるヘボハイカーを一発で見つけ出すことが出来るってもんだぜ。


偉大なる「農鳥オヤジ」になりきって間ノ岳を監視中。





残念なことに、その日はそんな時間に間ノ岳をちんたら下って来て、数十分後にはようやくたどり着いた山小屋の小屋主を烈火のごとく怒らせる羽目になる哀れなハイカーは現れなかった。


全くうれしいことに、翌朝は出発前に便意を催すこともなく、マジでケツが凍っちまって明日からクソが出来なくなっちまうんじゃないか、という恐怖に怯えながらパンツを脱いで稜線上の吹き抜け便器を跨ぐ羽目にはならずに済んだわけだが、小屋に滞在中、何度か小用を足すのに「名物便所」にはお世話になった。





横幅が一〇インチにも満たないその穴を狙って正確に放尿するのは骨の折れる作業だったが、あの農鳥親父閣下の便所の踏板に一滴分のシミでもつけるなんて無礼なことが許されるはずがない、と私は自分を戒めながら一生懸命取り組んだ。


名コック、農鳥親父閣下の手による「農鳥オヤジ定食」はうわさ通り、まだ空の明るい一六三〇時には宿泊客たち全員に振る舞われた。私たちがくつろいでいる宿泊棟に、例によってガラリと引き戸を開けて登場した農鳥親父閣下が一言、「メシだ」と告げると、私たち宿泊客全員はすぐさま移動を開始し、最上級の統率のとれたボーイスカウトの少年少女にすら勝るとも劣らないスピードで食堂へと集結した。

たぶん六畳もないと思われる、その「食堂」と呼ばれる台所と一体化した食事用スペースには四つの「チャブ台」が置いてあって、うちひとつが茶の入ったやかん置き場、うちひとつは「絶対に動かすな」という貼り紙付きの「用途不明」、残りふたつが我々の食事用にアサインされていた。

私たちを含めた九名の宿泊客は、農鳥親父閣下の差配により男性チームと女性チームに分けられ、それぞれひとつのチャブ台をあてがわれた。もちろん「席が狭い」とか何とか、小さな不満すら漏らす者は一人もいなかった。当然だろう?


まぁ、とは言っても私たちが自由に身動きできる状態でなかったことは覆しようのない事実だったので、たまたま鍋(ライス用と味噌汁用)の近くの席をあてがわれた理解ある宿泊客が、自発的にみんなの夕食を器に盛って配膳する羽目になった。


ところで「農鳥小屋」では食事中も全員が農鳥親父閣下の厳重なる監視下におかれ、私語になんて興じようものなら閣下から「黙って食え!」とか何とか、きついお叱りを受けるという情報があったが、少なくとも私が泊まったその日に限っては、そんなことはなかった。

まぁその日、閣下は私たちの食事中、常に私たちに張り付いていられるほど暇ではなかったのだろうが、たまに姿を見せては、明日の気象予報に関する有益な情報を私たちにもたらしたり、その日のごった煮定食や味噌汁の具について宿泊客たちとの質疑応答に興じたり、(私はよく聞き取れなかったが)何かの冗談を口にして宿泊客たちを笑わせたりもした。


もちろんその日、私たちに供された「農鳥オヤジ定食」に対して、その場で消極的な評価を表明した宿泊客なんて一人もいなかったが、それは農鳥親父閣下のご威光の元に振りかざされる言葉の暴力を恐れた哀れな被害者たちが口をつぐんでいたからではないだろう。

実際、私と同席した男性客全員が「農鳥オヤジ」特製の味噌汁を絶賛した。色んな小屋を渡り歩いてきたと言うベテランのハイカー氏曰く、ほかの小屋で出される味噌汁とは具のクオリティがまるで違うらしかった。

一人のハイカーが、私が味噌汁を口にしないうちに味噌汁を啜るや否や、「このナメコは美味しいですね!」と「農鳥オヤジ」に声をかけると、「農鳥オヤジ」は、そのナメコはオヤジが自分で栽培して収穫したものを業者に卸して缶詰にさせたものだ、と解説した。


私はやはり「ごった煮」の方が気になっていたのだが、私の好物のフキが惜しみなく投入された「ごった煮」は、私が下界で想像していた以上に私を満足させる一品だった。


農鳥小屋名物「キノコと山菜のごった煮」。





食事を終えた私たちは全員が宿泊棟に戻ったが、その後、宿泊棟に灯りがつけられることはなく、一八〇〇時には宿泊棟の空間は漆黒の闇に包まれ、必然的に全員がその時刻には眠りについた。夜中に私は一度だけ小便のために棟を抜け出したが、夜空に瞬く無数の星屑と、遠くに見える甲府の町の夜景の美しさに思わず息を飲んだ。

まぁ、夜の稜線はあまりにも寒すぎて用を済ませた私は飛ぶように寝床に戻ったが・・・。


翌朝、〇四三〇時には例によってガラリと引き戸を開けて宿泊棟に登場した「農鳥オヤジ」が、二〇分後には朝食だ、と告げたので、またぞろその場にいた全員がボーイスカウト顔負けの迅速さで寝具を片付け、朝食後にはすぐに行動を開始できるように出発の準備を始めた。


朝食時、「食堂」に顔を出した「農鳥オヤジ」は天気予報が外れた、と言い、その日、少なくとも午前中は天候が荒れることはないだろう、と言った。だからそこにいる全員が安全に下山できるだろう、と。

オヤジはそこで「よかったなぁ」と何度も言ったし、食事を終えるなりいち早く宿泊棟に戻ってストーブに両手をかざしながらブルブル震えている私にも話しかけて来て、当然、私たちが奈良田に下山する計画であることを覚えていたうえで「あんたたちが上(稜線)にいる間は天気はもつよ」と予言をして見せたついでに「よかった、よかった」と繰り返し言った。


その後も「農鳥オヤジ」は、まだ出発しないでいる客と顔を合わせる度に「よかった、よかった」と言って回っているようだった。それはもうしつこい位に。

たしかに「農鳥オヤジ」のような、一部の人々に言わせれば「客を客とも思わない」ような小屋主というのは、もう時代遅れであまり見かけることもないような存在なんだろう。だが一方で、気象情報ひとつで登山客の身の安全を確信するなり、まるで自分のことのようにあれだけ無邪気に喜んでくれる小屋主が彼のほかに一人でもいるだろうか。


「農鳥オヤジ」が私たちを捕まえて、私たちに登山の心得に関する覚えきれないほどのあれこれを言い聞かせていたときに、ふと「農鳥オヤジ」が口にした言葉がある。「オレは商売人じゃねぇんだ。山小屋の主人だ」「山小屋の主人には客に嫌われたって言わなきゃならないことがあるんだ」


「パワハラ」なんて言葉が浸透してマネージャーが部下に対する指導法のひとつひとつにまで注文をつけられる昨今、叱られ慣れてない若者が増えていることは想像に難くない。一方で年を食った人々のなかには、ただそれだけで自分が叱る側の人間でこそあれ、叱られる側の人間ではないといった 思い込みをしているようなのも少なくないだろう。

その手の連中に、いざ自分が「叱られる」側の立場に立たされたときに自分を叱ってくれる側の意図やその背景を正しく理解するだけの能力や器量を期待できるだろうか?まぁ多くの場合、答えはノーだろう。そんな彼らが「農鳥オヤジ」に対して単純に良からぬ印象を抱くのもまた仕方のないことなんだろう。


私にはそういう連中のことを悪く言う筋合いもない代わりに、その必要もない。彼らに「農鳥オヤジ」の真意が伝わらなくて、結果的に彼らのうちの何人かが実際に「川を渡るときに」後悔する羽目になったとしても、そいつは全て身の程をわきまえない哀れな人間の「自己責任」だ。私の知ったことではない。

だが「農鳥オヤジ」はおそらく違う。どんなに人々に煙たがられても、彼には彼の仕切るあの稜線を通りがかる全てのハイカーに伝えたいことがあるのに違いない。事務的に、ではなく彼なりの真剣なやり方で、そいつを伝え続けることで、例えその代償としてオヤジの「商売」に差し障りが生じるような結果になったとしても。


夜も明けないうちに出発準備を整えた私は、最後に一人で「農鳥オヤジ」の作業小屋に挨拶に向かった。いかに「農鳥オヤジ」と言えども一〇月の稜線の夜明け前の寒さは身にこたえると見えて、彼は自分の小屋でストーブにかじりついていた。

私は出発する旨と、それから「農鳥オヤジ」と共有した短い時間のうちに私がオヤジから被った数々の恩恵に対する感謝の気持ちを述べた。「農鳥オヤジ」はわざわざ私を見送るために小屋の入口まで出て来て「気をつけて行けよ」と言った。


私が最後に「いつまでもお元気で」と言うと、彼は「オレはいつでも元気だ」「憎まれっ子何とかって言うだろう?」などと減らず口を叩いたので、私は親愛の情をこめて「農鳥オヤジ」をからかった。「だったらあと五〇年はこの小屋を続けてもらわないと!」

「農鳥オヤジ」はイタズラっ子、と言うよりまさにイタズラ爺ぃそのものの表情を見せて「へっへっへ」とだけ笑った。そして最後の最後に「貴様!オレを年寄りだと思ってバカにしてるのか!?」などと私を怒鳴りつける代わりにこう言った。「いろいろ話を聞いてくれてありがとうな」

何て畏れ多いことだ!!私はその場でさらに時間をかけて「農鳥オヤジ」に感謝の思いを伝えなければならなかった。


「農鳥オヤジ」に別れを告げて出発した私たちは、無事にその日のうちに奈良田まで下山して白峰三山の縦走計画を成功させた。次の日、自宅でインターネットを徘徊していた私は、私たちが下山したその日の夜に、あのオヤジの仕切る稜線が猛吹雪に見舞われたことを知った。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。






1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
>>> 最新の記事へ


<<< 前の記事へ


次の記事へ >>> 
Copyright (C)2011 Lt.Pussy All Rights Reserved.