banner_pussylog_top | Home | Military | Trekking | Gourmet | Life | Contact |
<<  2015年 5月  >>
May 23, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

映画「American Sniper(邦題:アメリカン・スナイパー)」のクリス・カイルセット。





キャップはアメリカのある財団が販売しているものだ。

私は、国際郵便で届いたキャップに同封されていた手紙を読む限り、何だかとても不幸な人生を歩んでいそうなその財団のCEOと何度もメールのやり取りをして、注文してから二カ月がかりでようやくそいつを入手した。


セピア風なチャーリー(キャデラック)中隊・第三小隊(=「3rd Platoon Charlie Company」)のロゴ。





背面には「Charlie」と刺繍されている。





オークションで信じられないような高値で出回ってる類似品を見かけるが、やたらカラフルなロゴの「C」の字の上の端が直線的なフォルムをしているうえに背面の「Charlie」が安っぽいやつは全部まがいものだ。


サングラスは Wiley-X 製の「Saint」。





本来、「グロスブラック」というバリエーション名が付与されたロゴがシルバーのフレームからなるモデルは、ポラロイズド(偏光)レンズがセットになった「CHSAI04」という型番のみのようだ。





本国での実勢価格は一〇〇ドル前後。

インターネットで検索してみると、日本の代理店がフレームはそのままで、より安価なノーマルレンズに差し替えたモデルを「日本限定版」などと称して、これまた私に言わせればとんでもない値段で売り出していた時期もあったようだ。


本国のメーカーのホームページでは完成品とは別に「パーツ」も販売されている。試しにフレーム(五四ドル)と安価なレンズ(二二ドル)を注文してみたら、フレームにはご丁寧にハードケースまでつけて送られて来た。





なんだ、レンズに拘らないなら値段はしめて七六ドルぽっきりで済んじまうじゃないか!


もっとも、私は「スナイパーごっこ」をやるつもりはないので、ゲーム中にこれらのアイテムを着けることはないだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




May 16, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

いつものメンバーとアジが大量に湧いているという噂の南房は乙浜漁港へ。


〇九〇〇時に東京を出発。あいにくの雨だが天気予報によれば昼過ぎにはやむはずだ。

満潮は一六〇〇時の少し前らしいので、まぁ一四〇〇時に釣り座についていれば、三人がかりで私が持参した容量三五リットルの「トランク大将」をピチピチはねる活きのいい黄金アジで満タンにするくらいわけもないことだろうって寸法だ。


アクアラインの橋を渡る頃には雨しぶきで前が見えないくらいのひどい雨だったが、私たちは日本の気象予測技術を信頼して、まずはのんびり昼食にするべく「福喜庵」へ。

一一時一五分の到着で私たちが三組めの客だったようだが、すぐに満席になってしまった。


噂に聞く「福喜丼(一,三〇〇円・一日限定十食)」。





いや、もうとにかくネタがどっさり乗っているので、米が全く足りない。

私は塩焼き定食を注文したメンバーが「おかわり」をしたライスを適量横取りした。


一三時過ぎには現地に到着したものの、近隣にコンビニエンスストアがないことを学習した私たちは、食糧その他を手に入れるために、いま来たばかりの道を引き返して一〇分ほど前に見かけたコンビニエンスストアまで舞い戻る。

ほかの二人はもちろん「お得意の」サビキ釣りでアジ狙いのようだが、私は夕方まではシロギス狙いだ。漁港に戻って近くの釣具屋に「ジャリメ」を調達しに向かった私は、「ジャリメ」は置いてない、という衝撃の事実を店主に告げられてしまったので、代わりに「アオイソメ」を入手した。

ここしばらくは「分相応に」小物狙いに徹して来た私にとっては「ジャリメ」こそがお気に入りの虫エサだったんだが、こればかりはどうしようもない。

店主が冷蔵庫から取り出して来て私に手渡してくれた1パックは、五〇〇円という値段の割には本数が少々少ない気もしたが、まぁそいつはたぶん最近私が身の細い「ジャリメ」ばかり目にしていたからだろう。


私たちはアジの回遊に備えて堤防先端にほど近い港内向きに釣り座を構えた。立ち入り禁止と書かれた柵のすぐ手前で一人の若者がへち釣りか何かに興じていて、五米ほど間を取ってそのすぐ隣が私たちだ。


外向きのテトラ帯には何組かの釣り人がいるようだが、港内向きに陣取っている釣り人はほとんどいない。





かなり混雑する釣り場と聞いていたのでそれなりに覚悟をしていたのだが、午前中に雨が降ってくれたおかげで、遠方の釣り人は諦めてくれたのかもしれない。


ほかの二人が早々に仕掛けを用意してサビキ釣りを開始する横で、私はシロギス狙いの「チョイ投げ」仕掛けと、アジ狙いの「カゴ釣り」仕掛けの準備に入る。いずれも今回初めて挑むタックルだ。


「チョイ投げ」タックルは、去年ルアーでブリを釣るために入手した一〇フィートのジギングロッドにダイワの3500番、ナイロンの四号ラインに一〇号のミニジェット天秤、そして既製の「キス釣り仕掛け(三本針)」の組み合わせだ。

これまで三号以上の錘を使った経験のない私が、いきなり一〇号の、しかも天秤仕掛けにパワーアップしたってわけだ。もちろんそのことは、これまでに三号錘を使った「チョイ投げ」釣りで私が生み出して来た飛距離にそろそろ不満が生じて来たことに起因する。

PEラインを使えば容易に飛距離がアップするらしい事実は私も承知しているが、以前、それを使ってルアー釣りにチャレンジしたときは一投ごとにラインがからみまくって釣りにならなかった。PEラインを使う場合、糸の質が悪いか、投げるのがヘタクソだと、それはよくあることらしい(たぶん理由は後者だろう、分かっているとも)が、そうと分かった以上、私としては、ではナイロン糸に拘ってどれだけ飛距離を伸ばせるのか、という崇高なテーマにチャレンジしないわけにはいかない。


そしてさらに欲を言えば、力糸みたいな面倒なセッティングも出来ることなら免除してほしい。何と言っても私はまだまだ入門者なんだからな。そういうわけで、まぁ、無難なところで今日のところはナイロン四号に一〇号天秤を直結するスタイルでチャレンジしてみることにする。


もう一方の「カゴ釣り」仕掛けは、新調した四号の遠投磯竿に六号のナイロン糸が巻かれたノーブランドの6000番リールをセットし、ウキとカゴはこれまた初めて入手した、知る人ぞ知る「タナトール」を使用する。「タナトール」をチョイスしたのは、もちろんカゴ釣りなんて未経験のひよっ子(私のことだ)でもそいつを使えば何とかなりそうだったからだ。

その先には、もちろん大アジ狙いで船釣り向けのアジ用サビキ仕掛け(一.八米、三本針)をくくりつける。


ところで「タナトール」はインターネット中を探しまくったものの、どこの店も品切れだらけだった。本当は一二号を入手したかったんだが、私の磯竿の適合範囲(八〜一二号)におさまる中で入手可能なのは八号だけだった。

メーカーのホームページもちっとも更新されてないようだが、つぶれちまったのか?


駐機場に待機する戦闘機よろしく出番を待つ私のタックルたち。





メンバーのひとりがフグを釣ってしまって大騒ぎしているのを尻目に、まずは「チョイ投げ」タックルに「ゴーサイン」が下る。いつもの手順でオーバースローの構えに入り、一〇フィートのジギングロッドを頭上でシャープに振り抜く。

ぱっと見た感じ一投目の飛距離は三〇米前後ってとこだろうか。M4の射程距離を基準に目測しただけなのであまりあてにはならないが、私が初めて海に向けて投じたジェット天秤は、私が想像していたのよりははるか手前の海面にボチャンと落ちた。


リールを巻いて糸フケを取ったらしばらく待機する。シロギス狙いに限らず、砂底にすむ魚を狙う場合は、あまりエサを動かさず、手前にさびく場合もゆっくりやるのが定石らしいじゃないか。

以前、城ケ島でもっとライトなタックルを使って「チョイ投げ」釣りに挑んでみたものの大量のベラしか釣れずにうんざりしてからというもの、私も少しは勉強して世の中に賢い釣り人がまた一人増えたってわけだ。


名人の域になると、錘をずるずる引きずる感触で海底の起伏がつかめるらしいが、私にそんな能力があるわけがない。とにかく竿を右手前に引いて仕掛けを動かしては竿を正面に戻して糸フケをとる、という地味な作業をたっぷり時間をかけて繰り返し、ようやく足元まで戻って来た仕掛けを回収してみたら、驚いたことに一〇センチメートルオーバーのシロギスが一匹かかっていた。えぇ?キス釣りってそんなに簡単なものなのか!?





気分をよくして二投目だ。同じ要領でさびいているうちに早速根がかりしちまったようだ。ラインをじかに手で掴んで引っ張ってるうちに根がかりは外れた。回収してみると仕掛け先端の針を一本だけロストしたものの、ほかの部分は無事だ。

ついでにアオイソメが全部なくなってる。つまり、その一パック五〇〇円という私の高価な虫エサをただ食いしやがった奴らが何者なのかはともかく、私が仕掛けを投げ込んだポイント付近に腹を空かせた魚がいることだけは間違いない。


三投目は空振りしたが、四投目ではっきりと「魚信」を探知。主は一匹めより気持ちばかり大きめのシロギス。





いいねぇ、その調子でどんどん行こうぜ。


それから何投目かのキャストを無事に終えてさびいているところで明らかに魚が針にかかって暴れているのが分かったので、私は思わず満足感に浸ってニヤリとしながら無言で独りうなずいた。

こいつは間違いなくさっきの二匹目よりも良型だろう。ひょっとして噂に聞く「尺ギス」ってやつじゃないか?





世の中そんなに甘くはない。


結局、その後はエサを盗まれるだけで小ベラ一匹針にかかることはなかった。


それにしても四号ラインと一〇号錘の組み合わせは、率直に言って期待外れに終わったというほかはなかった。あくまで目測に過ぎないが一番飛んだキャストでも五〇米すら飛んでなかったように思われたし、糸がリールから吐き出される様子も何だかのろのろと鈍重だ。

まぁ動物に例えると間違ってもイルカではなくて、トドとかカバのイメージだ。分かってもらえるだろうか。


「アオイソメ」を使いきった一六時三〇分に「チョイ投げ」タックルは駐機場に帰投させて遠投サオに切り替える。本当はもう少し早くそうしたかったんだが、一度だけ用足しに向かった便所が私たちの釣り座からあまりにも遠すぎて少し遅くなってしまった。

まぁ、ずっとサビキ釣りに励んでるメンバー二人は小イワシをポツポツ釣り上げてるだけで、今のところ、まだアジが回遊して来た気配はないから、まるで問題はない。


ところで隣で寡黙にへち釣りに挑んでいると思っていた青年がそわそわしながらたも網を手にとったので、何か釣れたのかと思って様子を見ていると、たしかに海面を引き寄せられて来る仕掛けに何かがひっかかっている。

私にはてっきりそいつがヤシの木の枯れ葉か何かに見えたんだが、近づいて来たそいつをよく見ると、何とそいつは巨大なアオリイカだった!


青年は私たちがそこに釣り座を構えたときからへち釣りではなくて「エギング」に興じていたらしい。竿先を海面につけていたのはみち糸に吹き付ける風の影響を軽減するためだったんだろう。

無事にその巨大なイカを回収した青年は、その場に座り込んでたぶん遅めの昼食をとり始めた。ひと仕事終えて遠くを見つめながら満足げにくつろぐその姿はまさに職人そのものだ。

一口サイズのシロギスをたかだか二尾釣り上げただけでちょっと気分を良くしていた私は大いに反省した。


それにしても初めてチャレンジした「カゴ釣り」は本当に仕掛けを使いこなすのが難しい釣りだった。特にハリスの選択は現場での作業効率を大きく左右することを私は学習した。

私は仕掛けを回収してカゴにコマセを詰め込む作業に取り組むたびにハリスがぶらぶら邪魔をすることに悪態をつきながら、少し欲張って三本針にしてしまったハリスを次からは一本針にすることを誓った。ついでに長さも一米前後にすることにしよう。


「タナトール」の機能美を確認できたことは大きな収穫だった。つまり、たぶん「タナトール」のおかげでキャストに伴う糸絡みは一度も起きなかった。

かなり力を抜いてキャストしたつもりだったが、飛距離は二〇〜二五米といったところだったろう。私のような新米が取り組むカゴ釣りは、足元のサビキ釣りと差別化できれば十分だから、それくらい飛べば合格だ。

それに「タナトール」は錘もウキも、それ単体で交換することが可能だ。飛距離をもっと稼ぎたければ、ただ単に適当な市販品を買って来て号数をアップしてやればいいはずだ。


唯一、難点をあげるとしたら、本体と一緒に送られてきた説明書のイラストだろう。どう見たって針金にみち糸を通してるように見えるじゃないか!





実は下の方に針金は梱包用だからすぐに外せと書いてあったのを見落としてしまった私が、現地で何をどうやってもウキが針金にひっかかって深い棚をとれなかった理由を理解したのは、自宅に帰り着いて腹立ちまぎれに改めて説明書を読み返したときのことだった。


結局アジが回遊して来なかったことは快く水に流して釣り座を撤収し、中味はほぼ氷と海水と空気しかない容量三五リットルの「トランク大将」やその他三人分の釣り具を車のトランクに積みこんで夕食に向かったのは「きよ都」。


人気店だけあって一九時三〇分に現地に到着したところ満席。駐車場にとめた車の中で待っているように言われたが、幸い一五分ほどで店内に招かれた。

私は刺身の盛り合わせ(一,一〇〇円)とライスや汁物のセット(三五〇円)をオーダーする。


料亭あがりの熟練職人による芸術まがいの一品。





料理の質もさることながら、この店の接客姿勢はあまりに丁寧過ぎてかえってこちらが恐縮してしまうくらいだった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




May 2, 2015


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

芳しくない結果に終わった唐松岳の尻滑りは私のハートを火打山へと向かわせた。トミーに話を持ちかけてみると、〇七〇〇時に行動を開始するには、連休の渋滞まで考慮した場合、私を〇二〇〇時には自宅前でピックアップしなければならない、と言う。おいおい、ちょっと待ってくれ。それって「寝るな」ってこと?


ガイドブックを紐解いてみると、夏場に笹ヶ峰から山頂まで往復するのに見込まれる標準所要時間は九時間ってところのようだ。雪が積もってるんなら登りの所要時間は夏場よりも当然上乗せされる。ただし下りは重力に身をまかせて滑り落ちていくだけだ。まぁ往復で差引きプラスマイナスゼロってところだろう。トミーの設定したスケジュールはまぁまぁ現実的な線のようだ。


交替で助手席で居眠りをしながら私たちはトミーご自慢のアウディで笹ヶ峰の登山口へと向かった。私はいつものように高速道路の担当だ。トミーの懸念は全く空振りだった。つまり高速はこよなくスムーズに流れていた。

ついでに私は助手席で眠るトミーの期待に応えて、当初カーナビが予想した「目的地までの所要時間」を三〇分ほど縮めておいてやった。


〇五時四五分の駐車場。





インターネットで収集した情報によれば、〇六時三〇分には満車になる、とあったが、私たちがそこに着いたときにはほかに四台の車がとまっているだけだった。

何組かはまだハイキングの準備中だ。みんなスキーヤーのようだ。


駐車場から道路を隔てて向かいにある山小屋は閉鎖中だった。トミーは用を足すためにそちらへと歩いて行き、すがすがしい表情で戻って来て「トイレも閉まってます」と言った。

やれやれ、女の子たちはみんな大変だな、と私は他人の心配をしながら、たぶんトミーがやったのと同じことをするために山小屋の裏手へと向かった。


トミーに負けず劣らずすっきりした表情で駐車場へと戻った私が準備をしていると、元気そうな爺さんが一人、ツボ足で登山道へと踏み入って行った。それを見た私はトミーに「アイゼンなんていらないんじゃないのか?」と意見を求めたが、トミーは頭でもおかしくなったのか?と言わんばかりの表情で私を見ながら「そんなわけないでしょう」と言った。

トミーに言われるがままに登山口のゲートにうず高く積もった雪壁の向こう側を覗いてみた私はトミーの意見に全面的に賛同の意を表したが、そうするとさっきの爺さんはいったい何者だったんだ?


爺さんのほかにも数組のハイカーが準備をしている私たちを尻目に登山道へと出発して行った。彼らは私たちが車をとめた「登山口に最も近い」駐車場とは別の場所に車を止めてわざわざ車道を歩いて来たのか、いつの間にかひょっこり現れては出発して行った。駐車場にはいくらでも空きがあるっていうのに、彼らの意図は結局私たちには最後まで分からなかった。


ちなみに今回の山行で私と一緒に尻滑りに興じるために前日までには「ソリ」を購入して準備万端だったトミーは、例によって「ソリ」を自宅に忘れてきたらしい。まぁアイゼンを忘れられるよりは全然ましだがな。


〇六時二〇分、私たちも出発。





登山口ゲートは雪に埋まっているので、その脇の雪壁を登って「入場」する。


先に行った人々は既にどこにも姿が見えなかったが、足跡だけはちゃんと残してくれて行ったので、私たちはそれをたよりに前進する。万がいち道に迷ってしまったらトミーのGPSだけが頼りだ。

私は地図もコンパスも、ガイドブックすら自宅に置いて来た。まぁ何と言うか、一台の車のダッシュボードに二つも三つもカーナビを置いたってしょうがないってことだ。そうだろ?


しばらくはほぼ水平方向にだらだら続くだけの退屈な道を行く。





雪はそこそこ締まりがよくて、そしてまだまだ潤沢に積もっていた。気象情報のウェブサイトで気温が常時摂氏5度前後であることをチェックしてあった私としては意外な限りだった。


何と言うか、燦燦と照りつける陽射しのもとで溶けた雪が土と交じって登山靴がどろどろになってしまう情景を思い浮かべながら、雪山には必ず持参するようにしているオーバーブーツは自宅に置いてきてしまった私はメレルに直接アイゼンを装着して登る羽目になってしまったが、そいつはとんでもない判断ミスだった。山頂近くを歩いている頃には、マジで両足が凍傷になるかと思った。

ついでに今日の私は防寒ジャケットも家に忘れて来てしまっていた。


〇七時二〇分、トミーが左手の谷の方角から川のせせらぎの音を聞きつけて、そっちの様子を見に行った。トミーの懸念したとおり、私たちが追いかけて来た足跡の主は、私たちが渡るべき「黒沢橋」を通り過ぎてしまっていた。


五〇米ほど後方にたたずむ「黒沢橋」。





橋の方へと引き返してそこを渡る前に少しばかり休憩。スノーボードを背負った若者のグループが追いついて来たので、彼らに先を譲ることでトミーと私は合意したのだが、彼らも私たちから少し離れた地点で休憩を始めた。

仕方がないので先に橋を渡ることにする。


トミーは私よりも真面目に予習をして来たようで、私たちが歩いて行くべきコースの概要について私よりも詳しくて有益な情報をいくつも提供してくれた。例えば「このあたりから、登りがきつくなります」といった、聞きたくもない情報も含めて、だ。


黒沢橋を渡った先から始まる登り坂。





私は早速ピッケルを取り出した。雪がほとんど溶けてしまった道のりを想定していた私は、まさかこんなに早くからピッケルにお出まし願うことになろうとは想像すらしていなかったが、それはそもそも私が帰りに山頂付近で取り出して、尻滑りのブレーキに使うためだけに持参したものだった。いやはや、全くもって私は本当にツいていたというほかはない。


その登りは後で知ったのだが「十二曲り」と呼ばれるスポットだったようだ。そこにはご丁寧に一二か所に渡って看板が設置されている、ということも後から知ったが、それらの看板は私たちがそこを通ったとき、一番うえに設置されたやつ以外はひとつ残らず雪の下に埋もれてしまっていたに違いない。


〇八〇〇時に「十二曲りの頭」まで登り切る。背後に高妻山。





そこから先に見えるのはなだらかな稜線だ。トミーの情報によれば、十二曲りを登り切りさえすれば、前半戦の山場は既に超えたと言ってもいいらしい。

少々の休憩を挟んで〇八時一〇分に出発する。


トミーの情報はでたらめだった。





こっちの登りでは、ストックを持っているので普段は頑なにピッケルを出さないトミーですら、いそいそとピッケルを取り出した。

踏み跡は腐った雪を避けるようにいったん日陰側まで回ってから急な登り斜面を直登するようにつけられていた。なかなか「できる」先行者たちのようだ。


その坂を登りきってからしばらく行くと林を抜けて道が開ける。





トミーのGPSから得られる情報によれば、踏み跡は「富士見平」と呼ばれる黒沢池ヒュッテに向かうルートとの分岐点よりもやや西側についているようだ。

私たちを天上の世界にいざなうかのように青い空へと向かって延びる雪の道を登り切って右に曲がり、しばらく行くと広っぱから火打山が見えて来た。





撮影タイムをかねてしばし休憩。


次にとりかかるのは黒沢山のトラバースだ。





左手遠くに見える白馬連峰。





高谷池ヒュッテと火打山を一望。





目の前に広がる人っこひとり見えない大雪原に私は思わず感嘆のうめき声をもらした。


一〇時二〇分、高谷池ヒュッテ前に到着。





先客が何組かテントの設営を終えて昼食をとっている。トミーにここで昼食にするか聞いてみたが、まだ時間が早いというので、ここでは休憩だけとることにする。

トミーがベンチに仰向けに寝転んで仮眠をとっている横で私はポテトチップスを平らげながら雪に覆われた美しい高原の景色をぼーっと眺めて過ごす。

雲ひとつない快晴で気象条件も申し分ない。何時間もかけて歩いて来た苦しみをきれいさっぱり忘れてしまえる至福のひとときだ。ただ行動中は暑いくらいだったが、そこでポテトチップスをもぐもぐやってる私に吹き付ける風は少々冷たかった。


一〇時四五分、山頂に向けて出発。





私は手持ちのガイドブックにヒュッテから山頂までのコースタイムが四五分と書いてあったように記憶していたんだが、そいつは何と言うか、まぁ私のとんだ勘違いだった(実際には一時間と四五分だ)。

そうとは知らない私は、歩いても歩いても腐った雪に足をずるずるとられて時間ばかり過ぎていく割には一向に前に進めない状況にただただイラつく。


おまけに私たちの少し前を行っていたスキーヤーの二人組がみるみる私たちから遠ざかっていくのが見える。





そいつも後になって気付いたんだが、私はてっきりスキー板みたいな、私に言わせれば無駄に巨大で重たいだけの「靴」を履いて山道を歩くなんて、私たちのようなハイキングシューズにアイゼンというシンプルなスタイルで歩くよりはるかにキツくて非生産的な運動だとばかり思っていたが、あれは細長いカンジキだと思えば、私の仮説が単なる思い込みに過ぎないことは明らかだ。

つまり一番キツくて非生産的な運動にいそしんでいるのは他ならぬ私たちだったってわけだ!


雪の状態が「マジで最悪」な山頂手前のピークをトラバースし、何度も足を滑らせ、ひぃひぃ言いながらようやく山頂直下の稜線に取っついたのは一二時〇〇分。


最後の斜面を仰ぎ見る。





何度もずぼずぼ足を突っ込んでるうちに靴を通して浸みこんできた来た雪のせいで足の感覚が麻痺してきてるのが分かる。おまけに地形のせいなのか何なのかこの辺では背後から容赦なく風が吹き付ける。

あいにくジャケットは私の自宅のクローゼットに吊るされたままだ。全身寒くて鼻水が止まらない。


トミーはどこだ?振り返ると一〇〇米ほど後方をよたよた歩いているのが見える。彼は登りではいつだって私よりはるかに敏速に行動する優れたハイカーだが、前回の唐松岳と言い、どうやら雪の斜面を登るのだけは苦手のようだ。

山頂にさえたどり着けば風を凌げる場所が必ずあるはずだ、と自分に言い聞かせながら重たい足取りで一歩一歩斜面を登る。


一二時〇五分、ようやく山頂に到着。





山頂に着いた瞬間、いままでが幻ででもあったかのようにピタリと風がやんだ。ぽかぽかと暖かい日差しを全身に浴びて生き返るような心地だ。


連休にもかかわらず山頂には私たちを置き去りにしてすたすたと先を行ってしまった例のスキーヤー二人組以外には誰もいない。大して人気のない山なのか?などとこっそり思いながら、山頂の西寄りの一角を占拠して昼食の準備だ。

一〇分ほど遅れてトミーも到着した。


もちろん昼食はいつも通りの鹿児島ラーメン。





そこに至るまでの道のりの厳しさはともかく、山頂自体は家族連れがピクニックで出かけて行きたくなるようなのどかな環境だ。そこですするお手製の鹿児島ラーメンに至福のときを感じないわけがない。


山頂は三六〇度の展望が広がっているが、特に感動的というほどのものでもない。つまり近隣にこれと言って目を見張るほど美しい名峰が控えているわけではない。


隣の山から煙がちろちろ上がっているのでトミーにそいつを指摘すると、あれは焼山だ、と教えてくれた。





二人して思い思いのときを過ごし、一三時三〇分に山頂を後にする。


さぁ、いよいよここからが本番だ。私はバックパックから何度見ても出来損ないのチリトリにしか見えない例のソリを取り出し、上から急斜面を見下ろした。

ふむ、なるほど。結構な角度の斜面じゃないか。良くも悪くも、やはり唐松岳なんぞとは一味違う。


もちろん私には「恐れ」の感情など無縁だ。早速ひと滑り。※映像はトミー提供。





初回にしてはまずまずの滑りだ。


ソリを自宅に忘れて来たうっかり者(トミー)にもソリを貸してみたが、足の上げ方に思い切りが足りないのかいまいち滑りがよくない。


お手本代わりにもう一度私が滑る。※映像はトミー提供。





いいねぇ、六時間もかけて苦しい道のりを乗り越えて来た甲斐があったってもんだ。ここまでは山頂直下の斜面。


圧巻だったのは山頂の隣(ヒュッテ側から見て山頂手前)のピーク斜面での一コマだ。私は往路で散々苦労しながらトラバースした急斜面を、自分のつけた踏み跡に対して直角に「滑り落ちて」やった。

まさに全ての尻滑りファンにとってのお手本とも言うべき、この私の優雅でエキサイティングな素晴らしい滑りっぷりをお見せしよう。※映像はトミー提供。





あまりに高速に達しすぎたので、ピッケルで滑落停止の手順を踏んで止まろうとした私は容易に止まることが出来ないまま何度も回転しながら全身雪まみれになってしまった。ひゃー、こいつはサイコーだぜ!!


その後も何度か尻で滑りながら、一四時四五分に高谷池ヒュッテに到着。

午前中に出発したときよりも明らかにテントの数が増えている。





日帰りでこの山にやって来るハイカーはあまりいないようだ。あれ?そう言えばインターネットで見かけた「日帰り」ハイカーたちはみんなスキーヤーだった気がして来たぞ?

ひょっとして私たちは結構バカな計画を立てちまってやしないかい?


小屋のトイレで用を足すためにアイゼンを外すことになったトミーに、ついでに小屋でスポーツ飲料を買って来てくれるように頼んだ私は、親切なトミーが全ての用事を済ませて戻って来るまで小屋の外で寒さに震えながら待った。行動中はそれほどでもないが、止まるとジャケットなしではやはり寒い。

結局、トミーは小屋のスタッフに去年の一二月に賞味期限が切れたダカラを掴まされて戻って来た。それしかなかったのか、古い方から先に出していくという小屋の一方的な在庫管理上の都合でそうなったのかは知る術もないが、私は小屋にトミーを介してきっちり三〇〇円を徴収された。


一五時一五分にヒュッテ前を出発。もういい時間だと思うが一泊行程なんだろう、登って来るハイカーが跡を絶たない。


黒沢山のトラバースに差しかかった頃に見かけた、はるか前方からこちらに向かってぞろぞろ歩いて来るハイカー集団。





彼らの先頭を歩いていた、いかにも「山の男」といった風の屈強な五〇年配の男たちは、さり気なく道を譲った私たちの前を通り過ぎざま、私を見て「便利そうなものをぶら下げてるな」と声をかけ来た。

私は装帯のパウチのフラップを開け閉めしながら、行動中であってもいちいちバックパックを下ろしたりせずに飲み物や食糧を手早く手にすることが出来るその便利さを説明しようと試みたが、実は彼らが興味を示したのは装帯ではなくて、私が首から紐でぶら下げていた例のソリの方だったので、私はとんだ赤っ恥をかいた。

山男たちはソリで滑り降りた場合の速度が気になるようで、それについて率直な質問をぶつけて来たのだが、私はあいにく彼らの言葉がよく聞き取れなかった。すると事もあろうにトミーが横から勝手に「大してスピードは出ない」と応えてしまった。おいおい、トミー。君のはともかく私の斜面上を疾走するような滑りっぷりを君だってその目で見ていたんじゃなかったのか?

後でさり気なく山男たちに正確な情報を伝えなおしてから下山を再開する。


当たり前だが雪の状態は朝来たときよりも明らかに悪くなっていた。登りで手こずったかなりの急坂をやっぱり手こずりながら下り切って、十二曲りの頭を通過したのが一六時二五分。黒沢橋に着いたのは一六時五〇分のことだった。

そこから踏み跡を頼りにひたすら退屈な道を歩いて登山口に辿り着いたのは一七時三〇分。休憩時間も相応に含まれるとは言いながら、私たちは山中で一二時間近く行動してたってわけだ。全くタフな休日だったぜ。


それから私たちは、例によってトミーがどこからか見つけて来た温泉で心行くまで疲れを癒し、それから夕食のために、これまたトミーが選定したイタリアンの店へと向かい、たぶんその選定の際に料理の値段をチェックし忘れたトミーが入店してからボードに書かれたそれぞれの料理の値段を初めて知ってヒソヒソ文句を言い出したのを聞きながら私は必死に笑いをこらえ、結局二人ともピザやパスタだけでは飽き足らず、パフェやケーキまでぺろりと平らげてから店を出て東京へと戻った。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。






1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
>>> 最新の記事へ


−プッシー大尉烈伝−[人生編]に戻る >>> 
Copyright (C)2011 Lt.Pussy All Rights Reserved.