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October 19, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

結局、盲導犬オスカーはフォークになんか刺されてなくて、ただの皮膚病だったという報道がある。経緯をたどっていくと、獣医は端から皮膚病を疑っていたが、目は見えなくてもオスカーのことなら何でも分かると豪語する全盲のじいさんが、オスカーの皮膚には直前まで異常などなかった、と強硬に言い張ったことで、「それならフォークか何かで刺されたのかもしれない」と獣医が言ったのをマスコミが断定的に報道してしまったらしい。

無抵抗の犬をフォークで刺すなんて本当にひどいことをするやつがいるもんだ、と私は胸が張り裂けるような悲しみをおぼえたが、皮膚病ならオスカーも納得してることだろう。そして何より実際にオスカーの傷がただの皮膚病だったんだとしたら、私たちがこの事件から得る教訓とはほかでもない。

結局、目の見えない人間のいうことなんて信用できないじゃないか、ってことだ。そうだろ?


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




October 18, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今回はカワハギ狙いでいつものメンバーと城ヶ島の黒島堤防へ。〇七時頃に釣り場に着いてみると、既に堤防はほぼ満席。





外洋側がカワハギの釣れるスポットと聞いていたが、回遊魚狙いでカゴ釣りにいそしむ釣り人たちが占領していて蟻の入る隙間もない。仕方がないので反対側に釣り座を構えることに。


今日はサビキ釣りではなくチョイ投げ仕掛けでカワハギ諸君に勝負を挑む。量販店で売りに出ていた廉価版のエギングロッドにいつものナイロン3号を巻いたダイワ製二五〇〇番のリールの組み合わせ、ハリス代わりに市販のカワハギセットをサルカンにくくりつけて先端には3号のナス錘だ。付けエサには前回と同じく「三浦フィッシングセンター」で入手したアオイソメを使用する。


第一投は軽く二〇米ほどから始める。早速ヒットしたので釣り上げてみると小さなベラ。その後、何度やってもベラしかかからないので五〇米ほど飛ばしてみることに。

今度はサビハゼばかりかかり始めた。サビハゼは総じて引きが弱い。三匹ほど釣ったところでちょっと強めのアタリが来たので、期待を込めて釣り上げてみると、またしてもベラ。メンバーもベラばかり釣ってるようだ。いったいカワハギはどこにいるんだ?


途中、小便をするために釣り座を離れ、戻りしなに岸壁の限りなく堤防寄りで釣ってる青年に話しかけてみる。何とそこではメジナがぽつぽつ上がってるらしい。そして青年の隣はガラ空きだ。


早速メンバー一同で釣り座を移動する。青年の邪魔にならないように青年とは一〇米ほど離れたところに釣り座を構えて仕切り直しだ。さぁ、次は何が釣れるかな?カワハギも悪くないが、メジナなんか釣れてくれるとさらに嬉しいねぇ。


足元に仕掛けを落としてみると、早速ヒット。釣り上げてみるとウミタナゴだ。塩焼きにすると決して不味くはない魚だが、次に釣れたのもウミタナゴ。ついでにその次もだ。おいおい、やっとベラ地獄から解放されたと思ったら今度はウミタナゴかよ。


昼前にメジナ釣りの青年がお帰りになったので、私は試しにそこに仕掛けを垂れてみた。仕掛けが着底するや否や強烈に竿がしなったので私は期待に胸を躍らせた。上がって来たのは「巨大な」ベラだった。しかも二匹同時にだ。


そんなわけで、私は一五時頃にベラとウミタナゴを合わせて四〇匹ほどと、それからサビハゼ五匹とスズメダイを釣ったところでやめにした。私は、たぶんメジナを狙うのにチョイ投げ仕掛けは不適切だという事実を学習した。カワハギ用の仕掛けを使ってるのにカワハギが一匹も釣れなかった理由は私にも分からなかったが、そもそもそこにいないものを釣り上げるなんてどんな名人にも不可能だ。


夕食のおかずになる新鮮な魚を自分の手で調達する喜びを得るために釣りを始め、釣った魚はどうしても食えないやつ(フグ)以外は全てその場でよく冷えたクーラーボックスに放り込む事を信条にしている私は、今日釣った魚も全て自宅に持ち帰り、サイズが大きめの何匹かを煮付け用に回すことにして、ほかは全部唐揚げ用に冷凍庫に放り込んだ。そしてついでに、今日を最後にその信条を改めることにした。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。







October 16, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

さぁ、今年もそろそろ北アルプス界隈の山域に出かけるハイカーが激減して静かな通好みのハイキングを楽しむことのできる「登山適期」だ。今年はかねてから気になっていた「大キレット」とやらを踏破してみることにしようじゃないか。


今回、私とトミーが練り上げたプランは、初日に新穂高温泉から一気に奥穂高まで標高差二〇〇〇米を登り切る、穂高岳山荘と槍ヶ岳山荘に一泊ずつの縦走プランだ。初日は六時には現地の駐車場に着いていたいもんだ、とトミーにオーダーを出したら、〇一時五〇分には私の自宅に迎えに来るという。げー、全く寝る暇がないじゃないか・・・。


はたしてほぼ定刻通りに自宅まで迎えに来てくれたトミーだったが、なぜかトミーのカーナビの示す到着予定時刻はその時点で限りなく〇七時に近い。そこで高速では私が運転を代わり、トミーが助手席で眠りこけてる間にコースタイムを短縮しておいた。

〇六時を少し過ぎたころには無事に現地に到着し、有料である第二駐車場に車を停めることにした私たちだったが、そもそもこのエリアには出発地点となる林道ゲートまで歩いて一五分ほどの位置に登山者用の無料駐車場というのがあって、同じくそこそこ林道ゲートからは離れた場所にある第二駐車場をわざわざ選ぶメリットなど何もないことを、私は穂高岳山荘の手前で出会った老ハイカーに教えられて初めて知った。


そいつはともかく、一日で標高差二〇〇〇米を登り切るというのは私もトミーも未知の領域へのチャレンジだ。初日に奥穂高の山頂を踏んでおきたい私たちには、不測の事態に備えて可能な限り迅速に行動する事が要求される。手際よく準備を済ませた私たちは〇六時二〇分には第二駐車場を出発し、〇六時三五分にはゲートを通過して右俣林道へ。


〇七時二五分に穂高平小屋に到着。暫し休憩。





雨こそ降ってはいないが、初日はどんより曇り空。だが奥壁バンドや大キレットを通過することになる翌日は好天の予報であることは押さえてある。ところで三日目は雨らしい。まぁ下山するだけだから問題ないだろう。


続いて〇八時一〇分に「奥穂高岳登山口」に到着。なかなかいいペースだ。





五分ほど休憩して先を急ぐ。そこから先は暫く雑木林の中を行くありきたりの登山道といった趣だ。


〇九時二〇分に重太郎橋に到着。一〇分ほど休憩したら梯子を登って手すり状の鎖がかけられた石切道を進む。





二〇分ほど歩くと右手に白出大滝。





一〇時に鉱石沢の標柱を通過し、一〇時四〇分に荷継沢に到着。下って来るハイカー一人とすれ違う。





ここで一旦、腹ごしらえを済ませ、一一時ちょうどに出発。

さぁ、ここから一気に「白出沢」を登り詰めれば穂高岳山荘だ。標高差がおよそ八〇〇米。手元のガイドブックによれば標準所要時間は三時間とある。一四時には山荘に辿り着ける計算だ。いいぞ、今日中に奥穂高はいただきだな。


「白出沢」はひたすら大小さまざまな岩の転がる急斜面を登り詰めていくだけの、まぁ何というかあまり楽しくないルートだ。おまけに霧が出て来て上の方がどうなってるのかちっともわからない。

つまり、一体あとどれくらい登ればいいのか見当もつかない。





途中、何度か沢筋が分かれる地点では、リボンやケルンを見つけてルートを判断する。


一時間ほど登ったところで霧が晴れた隙に、すかさず記念撮影。





しかし遠いな・・・。


一二時三〇分、噂に聞く「アビナイヨ」を通過。





ペースの落ちて来たトミーにはゆっくり登って来てもらうとして、私はマイペースで岩屑の転がる沢をせっせと登り詰める。普通に歩いてると足を乗せる石の三つに一つは浮石で歩きにくいことこの上ない。たまに現れるペンキ印通りに進めばかすかな踏み跡らしきものを追跡できるので多少登りやすいのだが、そのうち踏み跡らしきものはなくなって、また三つに一つは浮石のルートに戻ってしまう。

登って行くうちに霧が濃くなって来て後ろを歩いていたトミーを見失ってしまった私が、適当な頃合いで荷物を下ろして岩の上に座り込みポテトチップスなど頬張っていると、一人の初老のハイカーが通りがかって私に声をかけて来た。


たしかこの沢の歩きにくさに関する話題から私たち二人の会話は始まったのだが、そのうち私たちは時が経つのも忘れて話し込んでしまい、その初老のハイカーが朝からこの沢を登り、奥穂高を通り過ぎてあの「ジャンダルム」まで行って来た帰りであることや、その初老のハイカーは毎月のようにそのルートを日帰りで楽しんでいる、ということや、何でそんな無茶な日程なのかと言えば、その初老のハイカーは二日続けて休みが取れない仕事に就いているからだ、ということや、この沢は落石が多いので実はあまり端の方を歩くのはとても危険であることなんかを彼は教えてくれた。駐車場の件を教えてくれたのもその初老のハイカー氏だった。


そのうちトミーが現れるだろう、と思って実に三〇分はそのハイカー氏と話し込んでしまった私だったが、一向にトミーが現れる様子はなく、登って来た道を見下ろしても見えるのは濃い霧ばかりだ。すっかり身体が冷えてしまった私は初老のハイカー氏に別れを告げて先を急ぐことにした。


一四時二〇分に山荘前に到着。初老のハイカー氏との団欒のひとときにかかった三〇分を差し引くとしても、やはり私の脚でも荷継沢から三時間は必要だったってわけだ。





ガラガラと引き戸を開けて中に入ると、ちょうど一人のハイカーがチェックインの手続きをしている最中だったので私はしばらく待たされた。入り口の左手にストーブがあるのを見つけたが、その周りは三人の白人ハイカーが占領していた。二人の若い男と、それからブロンドの美女ハイカーが一人だ。ちょっと躊躇ったが、やはりそこは図々しく「エクスキューズミー」と言いながら空いたスペースにお邪魔すると、ブロンド美女は私ににっこりと微笑みかけてくれた。若い男たちも紳士的で、私はこの白人グループにとても好印象を持った。

私の番が来たので受付の女の子に二人泊めてくれるよう要請し、それから明日の分の弁当を注文するかどうかを決めるために北穂高小屋では何時から昼の食事が出来るのか尋ねてみると、その受付の女の子は「わからない」と即答した。公衆電話があるので電話をかけて聞いてみてくれ、と言う。あぁ、そうか、この山荘と北穂高小屋は同じグループの経営じゃなかったのか・・・。

私は女の子に弁当を注文するかどうかは相棒と相談して決めるのでちょっと待ってくれ、と言い、代わりにその場で「ラーメン」を注文した。賢いハイカーは山登りでへとへとに疲れてしまったら何はともあれ「ラーメン」を食うもんだ。


自分の分を注文したのはよかったが、ラストオーダーが一四時三〇分だという衝撃の事実を知った私は、トミーの分も注文してやった方がいいのではないか、という相棒として当然の衝動に駆られた。問題はトミーが一体いつここに辿り着けるのか、という肝心なことについて何も情報がないということだ。ラーメンは時間が経つと麺が伸びてクソ不味くなっちまう。

私は山荘の外に駈け出して裏手に回り、今しがた登って来たばかりの白出沢の岩屑道を見下ろした。五〇米ほど下の方まで視界がきく以外は霧しか見えない。私の信頼する相棒・トミーがこれしきの道で遭難しているなんてことはありえない。その安心感は決して揺らぐことはないのだが、それにしても一体トミーは何をやってるんだ?


まぁ私が気をもんだところでトミーの身に何か幸運が訪れるわけでもないので、山荘に戻って、とりあえず差し出されたラーメンに集中することにする。


ラーメン、しめて八五〇円。





うーむ、たぶん下界で八五〇円の支払いを要求されたら箸を投げつけたくなるような凡庸なラーメンなんだろうが、外気温が氷点下近い標高三〇〇〇米の地点に建つ山荘で頂けるともなるとやはり格別だ。


半分ほど平らげたところでようやく玄関の引き戸を開けてトミーが姿を現した。何でもハイドレーションパックの機能に一部不具合が発生し、そいつを治すのにえらく時間がかかっちまったらしい。私は事情を説明し、ついでに一度はわざわざ様子まで見に行った事を補足したうえで、潔くラーメンを諦めてもらった。


たっぷり休憩を挟んで一五時三〇分に奥穂高の山頂を目指して出発することにする。霧に包まれた山荘前からかろうじて目の前にこんもりしたピークが見えているが、これが山頂だとするとガイドブックにあった山荘からの標準所要時間が五〇分という情報とは明らかに矛盾する。念のため山荘に戻ってスタッフに確認すると「そんなわけないだろう」と言わんばかりに、山頂はそれよりずっと奥にある、と教えてくれた。


山荘前のテラスから岩場に取っ付いて鎖や梯子を頼りに登っていくと稜線に出る。なるほど、たしかにずっと奥の方に一段高い山頂らしきものが見えている。





四〇分ほどかけて標高差二〇〇米の岩場を登り切り、一六時一〇分、ついに山頂に到着。





駐車場を〇六時過ぎに出発してから実に一〇時間かけて標高差二〇〇〇米を登り切ったってわけだ。正直なところ計画段階ではどうなることやら見当もつかなかったが、人間やれば出来るじゃないか。


せっかく辿り着いた山頂だったが、風が吹き付けくそ寒いうえに景色も何も見えないので逃げるように退散する。そのうち雪までぱらつき始めて最悪な気分だ。


一七時には夕食と聞いていたが、山荘に辿り着いたのが一七時〇五分。衣類や装備を乾燥室に放り込んでから食堂に向かうと他のすべての泊り客が既に食事を始めていた。全部で二〇人ってとこだろうか。

トミーも既にテーブルの一番端の席に着いて食事を始めていて、私にはその真向いの席が宛てがわれていた。私が席に着くと、トミーの隣の席にいた青年ハイカーが私に「茶碗をください」と言い、自分の近くに置かれていた米びつから私の分をよそってくれた。そのとても親切な行為に私が感謝の思いを表明すると、今度は私の隣の席の青年が味噌汁をよそってくれた。うひゃー、何て素敵な若者たちなんだ!


その見事な連携プレーに私はてっきりその二人のナイスガイは知り合い同士だとばかり思って話しかけたのだが、実は二人はバラバラにこの山荘までやって来た見知らぬハイカー同士だった。トミーの隣の青年は上高地から涸沢小屋経由で、私の隣の青年は北穂高から縦走してここまでやって来たと言った。

私の隣の青年が辿ったルートは明日私たちが辿ることになるルートと一部重複しているので、早速コースの状況に関する情報収集を開始したが、登山を始めて一年かそこらの、自称「入門者ハイカー」である若者の回答は、雪も大して積もっておらず「何も問題ない」というものだった。私はその回答に大いに満足した。


さて、山荘の夕食。





つい三時間前にラーメンを注文してしまったことを後悔したくなるほど重厚なボリューム感だ。いつだってそうだが、山小屋で提供される夕食の品質についてとやかく言うことは適切ではない。


そのいかにも大量生産に適した献立の夕食を平らげた私は、いつものように山荘からヤカンで提供される夕食用の茶を何杯も飲みながらトミーとのとりとめのない会話に興じ、それから少しだけトミーのハイドレーションパックの修理の手伝いをしてから二〇時にはさっさと就寝した。


さて、朝起きると事態は一変していた。つまり昨日の夕方パラついていた雪は一晩中降り続いたようで、あたりはたった一夜にして雪山の様相に変わってしまっていた。しかも予報では夕方から天候が荒れる恐れがあるという。こりゃぁ槍ヶ岳まで縦走なんてとてもじゃないが無理なんじゃないのかい?


今日の行動計画は涸沢岳に登ってその先のコース状況を確認してから検討するとして、私とトミーはひとまず「ご来光」の鑑賞のために、カメラ片手に厳重な防寒装備のもと表に出る。


何度体験しても心の踊る瞬間だ。





朝焼けに映える穂高岳山荘。





そして朝食。





準備を済ませて〇七時三〇分に山荘を出発。ひとまず涸沢岳に向かう。雪の上につけられた先行者の踏み跡があるのでそいつを追跡していく。率直に言ってコースのコンディションはかなり悪い。

半分ほど登ったところで山頂方向から下りて来る一人のハイカーとすれ違う。元からそうするつもりだったのか、その先に行くことを断念したのかは分からないが、彼こそが踏み跡の主で、涸沢岳のてっぺんまで行った足でそのまま引き返して来たんだろう。


〇七時五五分に私たちも涸沢岳山頂に到着。





うーむ、眺めは申し分ない。





そして私たちが槍ヶ岳までの縦走は断念して今日のうちに新穂高温泉まで下山するという決断を下すのに二秒とかからなかった。夏場の標準所要時間がおよそ八時間。このコース状況だと日暮れまでに槍ヶ岳山荘に辿り着けるかどうかはかなりリスキーなギャンブルだ。しかも夕方には天候が荒れるというじゃないか。導き出される答えなんてひとつしかない。


そうと決まったら折角の機会だ、昨日はろくでもない記憶しか残らなかった奥穂高に登り直して、今度こそ山頂からの素晴らしい展望を堪能することにしよう。


山荘前のテラスまで戻り、それから昨日取っ付いた岩場へと向かう。積雪にビビってるのか何なのか、若い四人組のハイカーがそこを登ろうかどうしようかと相談しているのを尻目に鎖に手をかけて登っていくと、例の白人グループが少し先の梯子を伝って下りて来るのが見えた。

先頭を歩いていた私は彼らに道を譲ろうとしたが、細面のハンサムな若い男が片言の日本語で「ドウゾ」と言って私たちに先に行くように促すのでお言葉に甘えることにした。もう一人の若い男とそれからブロンド美女が岩場に横向きに打ち付けられた鎖を掴んでいるので、私は掴むものがないまま彼らとすれ違わなければならなかったが、それを見たブロンド美女は咄嗟に私の腕を掴んでくれた。私が流ちょうな英語で礼を言うとブロンド美女ははにかんだような笑顔を見せてくれた。うーむ、悪くない気分だ。

そして三人目の若い男が私のオプスコア製のプラスチック・ヘルメットを指さして「ジャパニーズ・アーミー?」と聞いて来た。ほぅ、彼はこいつが軍用のヘルメットだと知ってるって言うのか。私は銃を撃つまねをしながら「ノー、ノー、アイ・ラブ・エアソフトゲーム!」と答えておいた。それが彼に通じたかどうかなんてどっちでもいい。


気持ちのいい白人たちに別れを告げて、後ろを振り返ると槍ヶ岳まで見通せる素晴らしい展望の稜線を写真を撮ったり休憩を挟んだりしながらちんたら歩いていると、薄着の若者二人が私たちを追い抜いて行ったが、ほかにはその先ひとりのハイカーの姿すら見えやしなかった。私たちのいつもの狙い通り、絶景をほぼ独占しながらの「静かな山歩き」だ。


そして昨日に続いて奥穂高の山頂に到着。私たちを追い抜いて行った薄着の若者たちが場所を空けてくれるのを待ってから記念撮影。





一際目を引くジャンダルム。





常念岳。その手前には屏風ノ頭。





上高地方面。中央に見えるのは霞沢岳。





三〇分ほど山頂に滞在して十二分に景色を堪能した私たちはそろそろ下山することにした。


山荘前まで戻ってテラスで弁当にしようとしたが風が強くて食事にならないので山荘の中へ。ついでに六〇〇円の「ホットココア」も注文して名残惜しいひとときを過ごす。


一二時一五分に山荘を出発。ただでさえ歩きにくい白出沢に雪まで積もっていて心底うんざりだ。





登って来たハイカーにコース状況を確認してから一気に沢を下る。一三時四五分に「アビナイヨ」を通過し、さらに二〇分ほど下ったところで五〇米ほど後ろを歩いていたトミーが突然わめき始めたので何事かと振り返ると、ちょうど電子レンジ大の岩が私から見て左手の崖からトミー目がけて落ちて来るところだったので、私は目を丸くした。

後からトミーに聞いたところでは、トミーは私に大声で落石を知らせようとしていたらしい。だがそいつを知る必要があったのはトミーだけだった。そのとき私が立っていた地点はまるで安全圏で、私が目にしたのはトミーから二〇米ほど離れた地面に衝突した岩が砕けて手裏剣状の破片がトミー目がけて一直線に飛んでいく情景だった。幸い岩陰にうまく隠れていたトミーをその破片が直撃する事はなかったが、そいつはまるでテレビでも見てるかのように非現実的な出来事に思えた。

それにしても恐ろしいことに、岩が落下した地点はペンキ印がそこを通るように指示していた地点と完全に一致していて、つい数分前に私が通った地点でもあった。そう言えば登りで出会った初老のハイカーが、このコースは落石がやばいって言ってたっけ。あれはマジだったんだな。


一四時四〇分にようやく荷継沢に到着。雪で足場が悪かったからだろうが、山荘から二時間半もかかっちまった。二〇分ほど休憩して一五時ちょうどに出発。鉱石沢の標柱を一五時二〇分、重太郎橋を一五時四〇分に通過した私たちは一六時二〇分に「奥穂高岳登山口」に到着した。

荷物を投げ出して休憩してると、槍ヶ岳の方から四〇代かそこらの二人組のハイカーが現れた。彼らは私たちに穂高岳から下りて来たのか?と尋ね、それから穂高岳まで登るルートはそこから槍ヶ岳まで登るのに比べてハードだと聞いたが本当か?と聞いて来た。私は「そうでもない」と答えておいたが、本音では、その標高差を思えば決して楽なルートではない、と思っていた。だがそいつはそこから槍ヶ岳まで登ったって同じことだ。


一六時四〇分に登山口を出発した私たちは途中でさっきの二人組を追い抜きつつ、一時間ほど歩いてようやく林道ゲートに辿り着いた。辺りは既に薄暗かった。そして槍ヶ岳の方を見上げると空に真っ黒な雲が漂っていた。やはりあそこで撤退して正解だった、と私は心の底から思った。


第二駐車場まで戻って来た私たちは、寒空の下でさっさと着替えを済ませてアウディに乗り込んだ。そして駐車場のゲートで機械によって提示された支払額があまりに高額なのに目を丸くした。おまけにそのゲートでの支払いには一〇〇〇円札しか使えないという衝撃の事実に口をあんぐりさせた。両替もできないそのゲートで支払を済ませる方法はただひとつ、そこに書かれた電話番号に電話をかけ、担当者が両替用の一〇〇〇円札を五枚か一〇枚持ってどこかから車で駆け付けるのを何十分も待つ、というおよそ信じがたいものだった。私はそのうちゲートのバーが私たちと同じ目にあった何者かにへし折られるに違いない、と半ば呆れながら思った。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




October 4, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

江ノ島の堤防釣りでの上々の釣果に気をよくした私は、いつものメンバーと、タイミングさえ合えばサバが大量に釣れるという三崎港の花暮岸壁へ。

朝の五時に現地に着くプランで東京を出発することにした私たちは、ありがたいことに現地近くで二四時間営業している「三浦フィッシングセンター」なる釣具屋に「アミコマセ」の解凍を依頼してから現地へと向かう。


カーナビに導かれるまま、店の名前からして釣り具という釣り具は何でも揃う大手チェーン店にひけをとらない立派な店構えを想像しながらそこに到着した私は、掘立小屋のような古めかしい小規模の店舗が狭い敷地にぽつんと建っているのを見て一瞬戸惑った。

もちろんそいつは勝手に想像を膨らませた私がいけないのであって、「フィッシングセンター」には何の落ち度もない。


私は解凍を依頼してあったアミエビを1ブロック、それからまだカチカチに凍ってるアミエビを2ブロック購入し、さらに江ノ島の釣具屋で教わった釣り方を実践するために虫エサを買った。店主はどちらかというと寡黙な初老の人物で、私が虫エサは鋏でちょん切ればいいのか、と聞くと「手でちぎればいい」と教えてくれた。

うへー、そんなことは私がこれまでに読破したどのガイドブックにも書いてなかったぞ?やっぱり分からないことは恥ずかしがらずに釣具屋で堂々と質問するのが一番だ。


それから私は安いタモ網も一本購入した。ちょっとしたお試しということで持参した私の真新しいピカピカのメタルジグに大物のブリがかかったりしないという保証はどこにもないからな。

さぁ、準備は万端だ。私たちは店を出ると三崎港へと急いだ。


現地に着くと空はすでに白んでいて、それなりの数の釣り人が思い思いの仕掛けを垂れている。それにしても車でそのまま釣り場まで乗りつけられるというのは本当にありがたい。





駐車スペースを見つけて車を滑り込ませた私たちは、岸壁の中央付近に適当な空きスペースを確保して早速準備に取り掛かる。2人のメンバーはいつものようにただの「サビキ釣り」。私は手間を惜しまずサビキ針一本一本に餌をつける「トリックサビキ」だ。もちろん今回は一番下の針に活きのいい虫エサをブレンドする。


「フィッシングセンター」仕込みの「手でちぎる」という離れ業で適度な長さにカットされたアオイソメ氏の胴体を針がきれいに貫通するように丁寧に刺していく。OK。初めての挑戦だがちっとも難しくなんかないぞ。


そしてアミエビを針につけようと思ったら、まったく驚いたことに江ノ島で入手したそれとは違って「フィッシングセンター」で手に入れたアミエビは粒が小さすぎて何をどうやってもちっとも針にかからない!なんだよ、アミエビって言えばどこの釣具屋で買っても同じサイズじゃないのか!?

これでは釣りにならないので、私はシンプルな「サビキ釣り」をとっくに開始している二人を尻目に釣具屋を探し求めて旅に出る羽目に。

おまけに私が思わぬトラブルに見舞われて、まだスタートラインにすら立ててないってのに、メンバーの一人は早くもメバルを四匹連続で釣り上げた。うひゃー、何てこった!


幸い、岸壁の後方の通り沿いにある本業ついでに釣り餌だけを売ってる飲み屋らしき店で粒が大きめのアミエビを入手した私は飛ぶように釣り座に戻って釣りを開始したが、その日それ以降、もう誰の仕掛けにも一匹たりとてメバルがかかる事はなかった。

ついでに「フィッシングセンター」で手に入れたカチカチのブロックの方はちゃんと針に刺せるサイズのアミエビだったのには心底参った。くそっ!こっちを解凍してくれてたら私にもメバルが何匹も釣れたかもしれなかったのに!


結局、私が一日がかりで釣り上げたのは、もちろんサバでもアジでもない、ハオコゼ、トウゴロウイワシ、スズメダイ、ウミタナゴ、ベラといった、一般的には釣り人にあまり歓迎されないであろう魚たちばかりだった。


ちょっと変わったところでは、とてもかわいらしいカワハギ。





持ち帰って捌いてみると、噂通り皮がベロンと剥げる。





一番の大物は、ヒレに毒のトゲを持つ釣り場の嫌われ者、アイゴ。





ヒレはすべて鋏で撤去し、潰してしまうと強烈な異臭を放つという内臓は頭ごと丁寧に引き抜く。





マナーのなってない釣り人は釣り場に捨てて帰るらしいが、なかなかどうして食味は決して悪くない。


ちなみにお試しで持参したメタルジグは、釣り人が帰り始めて釣り場に余裕ができた昼過ぎにメンバーの余った竿を借りて実施された試し投げの、たった2回目のキャストではるか沖へと飛んで行った。私のラインの結び方に何やら不手際があったらしい。

タモ網の方は隣で投げ釣りをしていた見知らぬ青年の針にかかった重量感の溢れる大物(たっぷり水を含んだスーパーのビニール袋)を水面から抜き上げるのに重宝された。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




October 3, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ラーメン屋で自分の荷物を置くために空いた席を引き寄せて、その椅子に足をかけていたさらに隣の客に怒鳴りつけられ、「いいじゃねえか」と応戦したばかりに踏み殺されたバカな中年男がいるらしい。

踏み殺した方の男は、その中年男が血だまりを作って床に倒れている店内でラーメンを追加注文し、警官がかけつけた時にもそいつを美味そうに啜っていたということで、報道やインターネット上に垂れ流される意見によれば、とんでもない人でなしの凶悪犯のような扱いを受けている。そいつがラグビー経験者で260ポンドの巨漢であったことも、そんなイメージに拍車をかけているかもしれない。


しかし報道されている一連の経緯を見る限り、この死んだ中年男というのも「自分さえよければいい」という考え方が頭を占めている典型的なろくでなしだろう。飲食店での空いた席の使い方にまつわるマナーに関しては各論あるだろうが、後からやって来て横取りするようなマヌケに砂一粒分の正当性すらない。どこかのラーメン屋で私と鉢合わせる前に死んでくれたのは、私にとってまったくもって幸運な出来事だったというほかない。


もちろん元ラガーメンの男ではなく相手が私だったとしたら、この中年男は命まで落とすことはなかっただろう。たぶん元ラガーメンよりも私の方が理性的で自分自身を制御できる人間だからだが、それはろくでなしの命や人生に価値があるからではなく、いかにそいつが救いようのないろくでなしでも、血まみれにして床に転がしてしまったりしたら、この私の充実したかけがえのない人生に対して負の影響をもたらすことになるからでしかない。

どれほど自分勝手で迷惑きわまりない人間でも、いっちょうまえにご立派な「人権」とやらが付与されているのが私たちの暮らしている社会なのだということを、周りより少しだけ私という人間が理解しているというだけのことだ。


別に元ラガーメンにことさら肩入れするつもりはないが、結果論として、勤務先や近所での評判は決して悪くなかったというその元ラガーメンの男は、自分の尊い人生を犠牲にしてまで犬の糞のような人間を社会からひとりだけ減らしてくれた、その他の善良な市民にとって態のよい人柱のようなものだろう。場末のラーメン屋で犬の糞に喧嘩を売られたりさえしなければ、それまで通りの人生を送れてたってのに、まったく気の毒な男だ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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