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September 27, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

来月の大キレットに備えて足慣らしにトミーと武尊山へ。武尊神社側からのコースは手軽過ぎて私たちの目的にふさわしくない。川場谷の駐車場から始まる登山道を登って前武尊経由で山頂を目指すコースは、それなりに登り応えもありそうだ。

前日に行きつけの本屋に行くと、あろうことか駐車場からの登山コースを収録した地図が売り切れていてコースタイムが分からない。ゆとりを見て〇七時には登山口に着きたいもんだ、とトミーにEメールを送ったら、〇四時三〇分に私の自宅まで迎えに来るという。やれやれ、まったく早起きは苦手なんだが、こればかりは仕方がない。


天気予報によれば午前中は曇りがちだが午後からは晴れるらしい。いいねぇ、朝方は涼しい方がペースもあがるってもんだ。登山口から山頂までの標高差はせいぜい九〇〇米ってところだが、登りルートの大半は岩場と鎖場らしいじゃないか。まったく八海山の屏風道の二の舞だけはごめんだぜ。


ほぼ予定通り〇七時一〇分には駐車場に到着。霧が漂っていて小雨がパラついてすらいる。カンカン照りよりはましだが昼にはちゃんと晴れてくれるんだろうな?





先客の車が五台ほど止まっていて、私が放尿を済ませてトイレを出た頃に二人組の男が登山道の方へと歩いて行くと駐車場には私たち以外に人っ子ひとりいなくなった。さぁ、私たちもとっとと準備を済ませて〇七時四〇分に出発だ。


しっとりと濡れた登山道を三〇分も歩くと不動岩への分岐に到着。





帰りは天狗尾根を下って楽をする代わりに行きは不動岩のコースを辿ることにする。分岐から三〇分ほど登って川場尾根に合流。





事前に仕入れた情報によれば、岩場や鎖場が連続して険しいうえに傾斜も急でそれなりにハードなルートとされている川場尾根だが、私たちにとってはいたって普通の山歩きだ。しばしば現れる鎖場の鎖にもあまり必要性を感じない。そしてコースは頗る明瞭なうえに先行者の足跡もくっきり残っているので道迷いの懸念もまた皆無だ。


途中、紅葉の美しい岩場を通りがかる頃に雲が晴れて来た。休憩がてら記念撮影。





川場尾根に合流してから一時間も歩かない地点で、左手の岩壁から一五米ほどはあろうかという一本の鎖が垂れ下がっている事に気付いた私は立ち止まってトミーにそいつを報告した。これまで歩いて来た道は何の問題もなく先まで続いていて、明らかにその鎖に手をかける事は寄り道以外の何者でもないのだが、何と言うかその鎖と来たらいかにも私たちに「登ってくれ」と言わんばかりの垂れ下がり方をしている。

私の行きつけの本屋の発注処理を担当しているろくでもない店員のせいで山頂に辿り着くまでにいったいどれだけの時間が必要なのかがはっきりしない以上、本来であれば道草など食ってる余裕はないのだが、それでもそこを素通りしたら間違いなく後悔しそうな気がした私は、あまり前向きでないトミーを説き伏せて、その鎖を伝って上まで登ってみることにした。


いざ登り始めてみると足場に乏しい何とも不親切な岩壁だ。腕力と、それから少しばかり頭を使って登らなければならない。





登ってみるとなかなかの好展望だ。前武尊の向こうにかろうじて剣ヶ峰のてっぺんも見える。





ただ何と言うか展望はなかなかのものなのだが、その岩場の上はあまりハイカーにとって都合のいい形状をしてなくて、ゆっくり寛げるようなスペースなど全くなかった。おまけに両サイドはすっぱり切れ落ちていて、先にそこに登った私はトミーが四苦八苦しながら鎖を登り切るまでの時間と、それからすぐさま「下ります」と言って今しがた登って来た鎖をトミーがそそくさと下り切るまでの時間、きんたまが縮む思いでその岩場にしゃがみ込んでなければならなかった。


ところで道中に「不動岩」なるものが最後まで現れなかったので後から調べてみたら、どうやらこの岩が「不動岩」だったらしい。私が見つけた鎖は本来その岩を下るためだけに使われるべきもので、どうやら私たちは素直に踏み跡を辿っているうちに巻き道へと入り込んでしまったようだ。何てこった。


それまで辿って来た道に戻った私たちは前進を続ける。同じような鎖場をひとつ経由した後で現れる「カニの横這い」。





足を滑らせてもすぐ下は踏み跡だ。特に盛り上がりもないままクリア。


ところで私には最後までこの右手の鎖の意味が分からなかった。まさか左手の真新しい鎖がつけられるまではこいつに足を掛けて登っていたとでも言うのかい?





難所らしい難所もないまま、さらに一時間ほど歩いて前武尊に到着。





トミーが、後ろのボートは何に使うのか、と、とても気にしていたので、私は、そいつはソリじゃないのか?と冷静に指摘しておいた。


一〇分ほど休憩して一一時二〇分に出発。前武尊から山頂までの標準所要時間は私の持っているガイドブックによれば二時間だったはずだ。既に出発してから三時間四〇分経過している。つまり登り行程は概ね五時間半ってわけだ。

登るのに五時間半かかる山を下るのに必要な時間は、私たちの脚力をもってすればだいたい三時間半から四時間ってところだろう。てことは、どんなに遅くても一四時〇〇分には下山を開始しなければならない。山頂で寛げる時間はせいぜい三〇分ってところか。


前武尊から少し先へと進むと紅葉に彩られた剣ヶ峰(南峰)が眼前に迫って来る。この頃には雲も晴れて青空が広がり、まったく申し分のない眺めだ。





前武尊から二〇分ほど歩いたところで剣ヶ峰の鞍部に到着。剣ヶ峰が立ち入り禁止だ、という情報は事前に仕入れてあったので素直に巻き道を行くつもりだったが、ふと案内板に目をやると、剣ヶ峰の「北峰」とやらは立ち入り規制の対象ではないようだ。





少しでも早く山頂に着きたいのはやまやまだが、私やトミーがこの状況でしっぽを巻いて巻き道へこそこそ逃げ込むようなオカマ崩れのハイカーであるわけがない。それ以外の選択などありえない、という足取りで私たちは二人して剣ヶ峰の「北峰」へ。

てっぺんまで登り詰めてみると、これから辿ることになる家ノ串、中ノ岳、沖武尊(山頂)までの稜線が一気に目の前に広がった。ひゃー、何とも素晴らしい眺めじゃないか!





そして剣ヶ峰からの下りは、秩父の二子山を彷彿とさせる高度感の溢れる岩場歩きで、その魅力もまた捨てがたい。





剣ヶ峰を下り切った私たちは、ときに前日までの雨でぬかるんだ悪路に悩まされながら、一二時二五分に家ノ串、一二時五〇分には「中ノ岳南の分岐」を通過。

このあたりからちらほらと現れ始めた他のハイカーたちを次々に抜き去り先を急ぐ。


さらに鳳池を通り過ぎて五分も歩くと、またヤツが現れる。





まったくしつこいやつだ、とトミーと二人で陰口をたたいている間に一〇人程度のハイカーが寛ぐ山頂に到着。時刻は一三時一〇分、想定より少し早い。これならまぁ少しはゆっくりできそうだ。


だが昼食の準備をしていると、武尊神社側のコースからガイドに引率された五〇人はくだらない団体のハイカーが現れた。やれやれ、心の洗われる思いで優雅な大自然の魅力を肌で感じる素晴らしいひとときをぶち壊しにされる瞬間だ。

そいつは言うならば上質な空間と繊細な料理で客をもてなす事を趣とする静かな呑み処に数十人の酔っ払いがずかずかと入店して来るようなものだ。周囲に対するちょっとした気配りのできる人間ならそんな無粋なまねはしないだろう。恥ずかしげもなくああいった団体登山に参加するようなやつらは、いろんな意味で標準より1ランクか、もしくはそれ以上レベルの低い人間の集まりだ、と主張する勢力がいたとしても、私はあえて異を唱えようとは思わない。


だが幸運なことに、そいつらをシめるポジションにいる引率ガイド役の若い男はなかなかやり手で切れ者だった。一三時二〇分を過ぎて到着したにも関わらず、そのガイドの若者はたぶん自分の親よりも年かさの連中が多くを占める数十人のひよっ子ハイカーどもに向かってきっぱりと「一三時四五分には下山を開始する」と言い放ち、そして一切の抗議を受け付けずに、その言葉通り、実に見事にそいつをやってのけた!バタバタと食事と記念撮影を終えた嵐のような集団が姿を消すと、山頂には再び静寂が訪れた。

帰りのバスの時間か何かの都合で彼はそうせざるをえなかったのだろうが、私と利害が一致さえしてればその背景などどうでもいい。私はそのガイド役の若い男に畏敬の念をすら覚えた。


さて、昼食はいつもの「熊本ラーメン」。





できあがり。





またしても箸を家に忘れて来てしまった私は、一年前と同じくトミーが食事を終えるまで鍋の取っ手で掬ってラーメンを食わなければならなかった。少々頭に来た私は自宅に帰り着くなりガスの容器の目立つところに油性ペンで大きく「ハシ」と書いてやった。


昼飯もたいらげ、邪魔者が姿を消して静けさを取り戻した山頂でひとしきり記念撮影などに興じた私たちは、一四時〇五分に下山を開始することに。

最後に私たちが往復することになる前武尊に至るまでの稜線の眺めをこの目に焼き付ける。





中央に見えているのが中ノ岳。稜線ではなく鳳池沿いに巻き道がつけられている。紅葉を楽しむには少し時期が早かったかもしれないが、瑞々しさの溢れる緑色の斜面に僅かに紅葉が点在するさまも、それはそれで美しい。


一四時二五分に「中ノ岳南の分岐」、一四時四五分に家ノ串を通過。そして私がトミーより一足早く前武尊まで辿り着いたのは一五時三〇分のことだった。一組のハイカーが銅像の正面で休憩中で、私は彼らの邪魔にならないように(そして彼らが私の邪魔にならないように)銅像の裏側に荷物を下ろしてトミーの到着を待つことにした。そこは風下側で、銅像がいい風よけになってくれたのは幸運だった。

タンクトップ姿で寒さに震えながら荷物を下ろし、パックのペットボトルから装帯のペットボトルに最後の水分の詰め替えなどしていると、不動岩のコースから二人組の若者が突如として姿を現したので私は混乱した。おいおい、一体いま何時だと思ってるんだ?


もちろん彼らはこれから沖武尊(山頂)を目指すわけではなくて、ただ単にこの前武尊までのハイキングだけを楽しむためにここまでやって来た、まぁ何と言うか「欲のない」ハイカーなのかもしれなかった。五分ほど遅れてようやく姿を現したトミーが長めの休憩を要求したので、私は寒さを堪えながら彼らの動向を注視した。先に休憩していた二人組がこれから私たちの辿る天狗尾根の方へと出発し、ほどなくして姿を現したばかりの二人組も天狗尾根へと向かった。

なるほど、彼らは身の程知らずの無謀で愚かなハイカーなんかではなかったってわけだ。でも前武尊で引き返しちまうハイキングなんて何が面白いんだ?


トミーが心から満足できるだけの十分な休息をとってから、一五時四五分に私たちは風の冷たい前武尊を後にした。歩き出して間もなく先を行く私とトミーの間には結構な距離が開いてしまった。これまでハイキングに出かける度にストックを持参し続けて来たトミーは、最近あまりストックに頼らない山歩きを心掛け始めたようで、たぶんそのせいだったに違いない。


スキー場との分岐に差し掛かる前に前武尊から山を下りて行ってしまった例の二人の若者が休憩している現場に遭遇した私は、あまり馴れ馴れしく思われない程度に友好的な態度で彼らに話しかけてみた。話してみると二人とも実に清々しい好青年で、出発する時刻が遅かったうえに川場尾根のコースが予想していた以上にハードで本当は山頂を目指すはずだったのだが諦めて前武尊から下山することにしたことを私に正直に話してくれた。

少しばかり二人との世間話に興じてから私は先を急ぐことにしたが、彼らはまだ暫くその場に留まるつもりのようだったので、私は彼らに、もし私の友人であるトミーが通りがかったら、休憩なしで四〇〇米は下りて来いと伝えてくれ、と頼んだ。つまり前武尊から登山口までの標高差が約八〇〇米なので、その半分くらいは立ち止まらないで下りて来て欲しいって事なんだ、と私は彼らに説明を試みたのだが、果たして彼らがどこまで正しくその意図を理解してくれたのかは分からなかった。


一六時〇五分にスキー場との分岐を通過。私のベクターが前武尊から四〇〇米ほど下ったことを示す地点で荷物を下ろし、地面に座り込んで水分などガブ飲みしながら休憩していると、間もなくトミーが姿を現した。そしてつまらない伝言のために足留めを食らうことになってしまった二人の若者の代わりに、私のせいで二人の若者は全く気の毒な目に合った、というような事を言った。私は何度も、もしトミーが通りがかったら、でかまわない、と念押ししたつもりだったんだが・・・。とにかくその二人の若者はとんでもなくいい奴だった。

トミーはとにかくお疲れのようで、要所要所で私に休憩を要求したので、そのうち例の二人の若者は私たちに追いついてしまった。だがそれは私にとってはひとつのチャンスでもあった。二人に追い抜かれ際、私は彼らに丁重に礼を述べることを忘れなかった。


天狗尾根のコースは取り立てて注意を引くようなところなど何もない、とても平凡な山道だった。何よりも楽に山を登り下りしたいハイカーならそのコースをきっと気に入るに違いない。またしてもトミーに先行して一六時五五分に不動岩コースへの分岐を通過した私は、一七時〇五分には無事に駐車場まで辿り着き、その有意義で充実した早秋のハイキングを終了した。下りにかかった時間は、十分に休憩をはさみながらでもたったの三時間。大キレットのための足慣らしとしては上出来だ。


例の若者たちはとっくにそこに着いて着替えまで済ませてしまった後だった。そこでも彼らとおしゃべりに興じた私は、彼らが一週間前に谷川岳を踏破した事を知った。

その山は本来なら私とトミー、それにヤギ男の三人で二週間前には登頂を済ませてしまっていたはずの山だったが、私以外の二人が揃いも揃って風邪をこじらせてくれたおかげでその計画はお流れになっていた。私は彼らから谷川岳に関するいくつかの情報を聞き出したが、彼らは私たちのプランとは違ってロープウェーを使うルートを辿っていたので、あまり有用な情報を得ることはできなかった。

最後に彼らもまた、山で私に話しかけてくる多くのハイカーと同じように、私に「あなたは自衛隊員ですか?」と聞いた。その道に造詣のない人々に自衛隊員の装備に関する解説を一通り終えてから私の装備との違いを説明するなど全く楽な仕事ではない。私はいつものように、家にあるもので装備を揃えたらこうなったんだ、とだけ答えておいた。


若者二人との会話が終盤に差し掛かった頃にようやくトミーが姿を現し、それと入れ替わるようにしてミニバンに乗った若者二人は彼らの住む街へと帰って行った。私たちは大急ぎで着替えを済ませ、トミーがインターネットか何かで見つけて来た近場の温泉へと向かった。もちろん私もトミーも、そこから〇八時の方角に一二〇マイルほど離れた、いつだって大勢のハイカーで賑わう美しくも荘厳なるあの名峰で、ほんの五時間前にいったい何が起きたかなど知る由もなかった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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