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September 27, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

来月の大キレットに備えて足慣らしにトミーと武尊山へ。武尊神社側からのコースは手軽過ぎて私たちの目的にふさわしくない。川場谷の駐車場から始まる登山道を登って前武尊経由で山頂を目指すコースは、それなりに登り応えもありそうだ。

前日に行きつけの本屋に行くと、あろうことか駐車場からの登山コースを収録した地図が売り切れていてコースタイムが分からない。ゆとりを見て〇七時には登山口に着きたいもんだ、とトミーにEメールを送ったら、〇四時三〇分に私の自宅まで迎えに来るという。やれやれ、まったく早起きは苦手なんだが、こればかりは仕方がない。


天気予報によれば午前中は曇りがちだが午後からは晴れるらしい。いいねぇ、朝方は涼しい方がペースもあがるってもんだ。登山口から山頂までの標高差はせいぜい九〇〇米ってところだが、登りルートの大半は岩場と鎖場らしいじゃないか。まったく八海山の屏風道の二の舞だけはごめんだぜ。


ほぼ予定通り〇七時一〇分には駐車場に到着。霧が漂っていて小雨がパラついてすらいる。カンカン照りよりはましだが昼にはちゃんと晴れてくれるんだろうな?





先客の車が五台ほど止まっていて、私が放尿を済ませてトイレを出た頃に二人組の男が登山道の方へと歩いて行くと駐車場には私たち以外に人っ子ひとりいなくなった。さぁ、私たちもとっとと準備を済ませて〇七時四〇分に出発だ。


しっとりと濡れた登山道を三〇分も歩くと不動岩への分岐に到着。





帰りは天狗尾根を下って楽をする代わりに行きは不動岩のコースを辿ることにする。分岐から三〇分ほど登って川場尾根に合流。





事前に仕入れた情報によれば、岩場や鎖場が連続して険しいうえに傾斜も急でそれなりにハードなルートとされている川場尾根だが、私たちにとってはいたって普通の山歩きだ。しばしば現れる鎖場の鎖にもあまり必要性を感じない。そしてコースは頗る明瞭なうえに先行者の足跡もくっきり残っているので道迷いの懸念もまた皆無だ。


途中、紅葉の美しい岩場を通りがかる頃に雲が晴れて来た。休憩がてら記念撮影。





川場尾根に合流してから一時間も歩かない地点で、左手の岩壁から一五米ほどはあろうかという一本の鎖が垂れ下がっている事に気付いた私は立ち止まってトミーにそいつを報告した。これまで歩いて来た道は何の問題もなく先まで続いていて、明らかにその鎖に手をかける事は寄り道以外の何者でもないのだが、何と言うかその鎖と来たらいかにも私たちに「登ってくれ」と言わんばかりの垂れ下がり方をしている。

私の行きつけの本屋の発注処理を担当しているろくでもない店員のせいで山頂に辿り着くまでにいったいどれだけの時間が必要なのかがはっきりしない以上、本来であれば道草など食ってる余裕はないのだが、それでもそこを素通りしたら間違いなく後悔しそうな気がした私は、あまり前向きでないトミーを説き伏せて、その鎖を伝って上まで登ってみることにした。


いざ登り始めてみると足場に乏しい何とも不親切な岩壁だ。腕力と、それから少しばかり頭を使って登らなければならない。





登ってみるとなかなかの好展望だ。前武尊の向こうにかろうじて剣ヶ峰のてっぺんも見える。





ただ何と言うか展望はなかなかのものなのだが、その岩場の上はあまりハイカーにとって都合のいい形状をしてなくて、ゆっくり寛げるようなスペースなど全くなかった。おまけに両サイドはすっぱり切れ落ちていて、先にそこに登った私はトミーが四苦八苦しながら鎖を登り切るまでの時間と、それからすぐさま「下ります」と言って今しがた登って来た鎖をトミーがそそくさと下り切るまでの時間、きんたまが縮む思いでその岩場にしゃがみ込んでなければならなかった。


ところで道中に「不動岩」なるものが最後まで現れなかったので後から調べてみたら、どうやらこの岩が「不動岩」だったらしい。私が見つけた鎖は本来その岩を下るためだけに使われるべきもので、どうやら私たちは素直に踏み跡を辿っているうちに巻き道へと入り込んでしまったようだ。何てこった。


それまで辿って来た道に戻った私たちは前進を続ける。同じような鎖場をひとつ経由した後で現れる「カニの横這い」。





足を滑らせてもすぐ下は踏み跡だ。特に盛り上がりもないままクリア。


ところで私には最後までこの右手の鎖の意味が分からなかった。まさか左手の真新しい鎖がつけられるまではこいつに足を掛けて登っていたとでも言うのかい?





難所らしい難所もないまま、さらに一時間ほど歩いて前武尊に到着。





トミーが、後ろのボートは何に使うのか、と、とても気にしていたので、私は、そいつはソリじゃないのか?と冷静に指摘しておいた。


一〇分ほど休憩して一一時二〇分に出発。前武尊から山頂までの標準所要時間は私の持っているガイドブックによれば二時間だったはずだ。既に出発してから三時間四〇分経過している。つまり登り行程は概ね五時間半ってわけだ。

登るのに五時間半かかる山を下るのに必要な時間は、私たちの脚力をもってすればだいたい三時間半から四時間ってところだろう。てことは、どんなに遅くても一四時〇〇分には下山を開始しなければならない。山頂で寛げる時間はせいぜい三〇分ってところか。


前武尊から少し先へと進むと紅葉に彩られた剣ヶ峰(南峰)が眼前に迫って来る。この頃には雲も晴れて青空が広がり、まったく申し分のない眺めだ。





前武尊から二〇分ほど歩いたところで剣ヶ峰の鞍部に到着。剣ヶ峰が立ち入り禁止だ、という情報は事前に仕入れてあったので素直に巻き道を行くつもりだったが、ふと案内板に目をやると、剣ヶ峰の「北峰」とやらは立ち入り規制の対象ではないようだ。





少しでも早く山頂に着きたいのはやまやまだが、私やトミーがこの状況でしっぽを巻いて巻き道へこそこそ逃げ込むようなオカマ崩れのハイカーであるわけがない。それ以外の選択などありえない、という足取りで私たちは二人して剣ヶ峰の「北峰」へ。

てっぺんまで登り詰めてみると、これから辿ることになる家ノ串、中ノ岳、沖武尊(山頂)までの稜線が一気に目の前に広がった。ひゃー、何とも素晴らしい眺めじゃないか!





そして剣ヶ峰からの下りは、秩父の二子山を彷彿とさせる高度感の溢れる岩場歩きで、その魅力もまた捨てがたい。





剣ヶ峰を下り切った私たちは、ときに前日までの雨でぬかるんだ悪路に悩まされながら、一二時二五分に家ノ串、一二時五〇分には「中ノ岳南の分岐」を通過。

このあたりからちらほらと現れ始めた他のハイカーたちを次々に抜き去り先を急ぐ。


さらに鳳池を通り過ぎて五分も歩くと、またヤツが現れる。





まったくしつこいやつだ、とトミーと二人で陰口をたたいている間に一〇人程度のハイカーが寛ぐ山頂に到着。時刻は一三時一〇分、想定より少し早い。これならまぁ少しはゆっくりできそうだ。


だが昼食の準備をしていると、武尊神社側のコースからガイドに引率された五〇人はくだらない団体のハイカーが現れた。やれやれ、心の洗われる思いで優雅な大自然の魅力を肌で感じる素晴らしいひとときをぶち壊しにされる瞬間だ。

そいつは言うならば上質な空間と繊細な料理で客をもてなす事を趣とする静かな呑み処に数十人の酔っ払いがずかずかと入店して来るようなものだ。周囲に対するちょっとした気配りのできる人間ならそんな無粋なまねはしないだろう。恥ずかしげもなくああいった団体登山に参加するようなやつらは、いろんな意味で標準より1ランクか、もしくはそれ以上レベルの低い人間の集まりだ、と主張する勢力がいたとしても、私はあえて異を唱えようとは思わない。


だが幸運なことに、そいつらをシめるポジションにいる引率ガイド役の若い男はなかなかやり手で切れ者だった。一三時二〇分を過ぎて到着したにも関わらず、そのガイドの若者はたぶん自分の親よりも年かさの連中が多くを占める数十人のひよっ子ハイカーどもに向かってきっぱりと「一三時四五分には下山を開始する」と言い放ち、そして一切の抗議を受け付けずに、その言葉通り、実に見事にそいつをやってのけた!バタバタと食事と記念撮影を終えた嵐のような集団が姿を消すと、山頂には再び静寂が訪れた。

帰りのバスの時間か何かの都合で彼はそうせざるをえなかったのだろうが、私と利害が一致さえしてればその背景などどうでもいい。私はそのガイド役の若い男に畏敬の念をすら覚えた。


さて、昼食はいつもの「熊本ラーメン」。





できあがり。





またしても箸を家に忘れて来てしまった私は、一年前と同じくトミーが食事を終えるまで鍋の取っ手で掬ってラーメンを食わなければならなかった。少々頭に来た私は自宅に帰り着くなりガスの容器の目立つところに油性ペンで大きく「ハシ」と書いてやった。


昼飯もたいらげ、邪魔者が姿を消して静けさを取り戻した山頂でひとしきり記念撮影などに興じた私たちは、一四時〇五分に下山を開始することに。

最後に私たちが往復することになる前武尊に至るまでの稜線の眺めをこの目に焼き付ける。





中央に見えているのが中ノ岳。稜線ではなく鳳池沿いに巻き道がつけられている。紅葉を楽しむには少し時期が早かったかもしれないが、瑞々しさの溢れる緑色の斜面に僅かに紅葉が点在するさまも、それはそれで美しい。


一四時二五分に「中ノ岳南の分岐」、一四時四五分に家ノ串を通過。そして私がトミーより一足早く前武尊まで辿り着いたのは一五時三〇分のことだった。一組のハイカーが銅像の正面で休憩中で、私は彼らの邪魔にならないように(そして彼らが私の邪魔にならないように)銅像の裏側に荷物を下ろしてトミーの到着を待つことにした。そこは風下側で、銅像がいい風よけになってくれたのは幸運だった。

タンクトップ姿で寒さに震えながら荷物を下ろし、パックのペットボトルから装帯のペットボトルに最後の水分の詰め替えなどしていると、不動岩のコースから二人組の若者が突如として姿を現したので私は混乱した。おいおい、一体いま何時だと思ってるんだ?


もちろん彼らはこれから沖武尊(山頂)を目指すわけではなくて、ただ単にこの前武尊までのハイキングだけを楽しむためにここまでやって来た、まぁ何と言うか「欲のない」ハイカーなのかもしれなかった。五分ほど遅れてようやく姿を現したトミーが長めの休憩を要求したので、私は寒さを堪えながら彼らの動向を注視した。先に休憩していた二人組がこれから私たちの辿る天狗尾根の方へと出発し、ほどなくして姿を現したばかりの二人組も天狗尾根へと向かった。

なるほど、彼らは身の程知らずの無謀で愚かなハイカーなんかではなかったってわけだ。でも前武尊で引き返しちまうハイキングなんて何が面白いんだ?


トミーが心から満足できるだけの十分な休息をとってから、一五時四五分に私たちは風の冷たい前武尊を後にした。歩き出して間もなく先を行く私とトミーの間には結構な距離が開いてしまった。これまでハイキングに出かける度にストックを持参し続けて来たトミーは、最近あまりストックに頼らない山歩きを心掛け始めたようで、たぶんそのせいだったに違いない。


スキー場との分岐に差し掛かる前に前武尊から山を下りて行ってしまった例の二人の若者が休憩している現場に遭遇した私は、あまり馴れ馴れしく思われない程度に友好的な態度で彼らに話しかけてみた。話してみると二人とも実に清々しい好青年で、出発する時刻が遅かったうえに川場尾根のコースが予想していた以上にハードで本当は山頂を目指すはずだったのだが諦めて前武尊から下山することにしたことを私に正直に話してくれた。

少しばかり二人との世間話に興じてから私は先を急ぐことにしたが、彼らはまだ暫くその場に留まるつもりのようだったので、私は彼らに、もし私の友人であるトミーが通りがかったら、休憩なしで四〇〇米は下りて来いと伝えてくれ、と頼んだ。つまり前武尊から登山口までの標高差が約八〇〇米なので、その半分くらいは立ち止まらないで下りて来て欲しいって事なんだ、と私は彼らに説明を試みたのだが、果たして彼らがどこまで正しくその意図を理解してくれたのかは分からなかった。


一六時〇五分にスキー場との分岐を通過。私のベクターが前武尊から四〇〇米ほど下ったことを示す地点で荷物を下ろし、地面に座り込んで水分などガブ飲みしながら休憩していると、間もなくトミーが姿を現した。そしてつまらない伝言のために足留めを食らうことになってしまった二人の若者の代わりに、私のせいで二人の若者は全く気の毒な目に合った、というような事を言った。私は何度も、もしトミーが通りがかったら、でかまわない、と念押ししたつもりだったんだが・・・。とにかくその二人の若者はとんでもなくいい奴だった。

トミーはとにかくお疲れのようで、要所要所で私に休憩を要求したので、そのうち例の二人の若者は私たちに追いついてしまった。だがそれは私にとってはひとつのチャンスでもあった。二人に追い抜かれ際、私は彼らに丁重に礼を述べることを忘れなかった。


天狗尾根のコースは取り立てて注意を引くようなところなど何もない、とても平凡な山道だった。何よりも楽に山を登り下りしたいハイカーならそのコースをきっと気に入るに違いない。またしてもトミーに先行して一六時五五分に不動岩コースへの分岐を通過した私は、一七時〇五分には無事に駐車場まで辿り着き、その有意義で充実した早秋のハイキングを終了した。下りにかかった時間は、十分に休憩をはさみながらでもたったの三時間。大キレットのための足慣らしとしては上出来だ。


例の若者たちはとっくにそこに着いて着替えまで済ませてしまった後だった。そこでも彼らとおしゃべりに興じた私は、彼らが一週間前に谷川岳を踏破した事を知った。

その山は本来なら私とトミー、それにヤギ男の三人で二週間前には登頂を済ませてしまっていたはずの山だったが、私以外の二人が揃いも揃って風邪をこじらせてくれたおかげでその計画はお流れになっていた。私は彼らから谷川岳に関するいくつかの情報を聞き出したが、彼らは私たちのプランとは違ってロープウェーを使うルートを辿っていたので、あまり有用な情報を得ることはできなかった。

最後に彼らもまた、山で私に話しかけてくる多くのハイカーと同じように、私に「あなたは自衛隊員ですか?」と聞いた。その道に造詣のない人々に自衛隊員の装備に関する解説を一通り終えてから私の装備との違いを説明するなど全く楽な仕事ではない。私はいつものように、家にあるもので装備を揃えたらこうなったんだ、とだけ答えておいた。


若者二人との会話が終盤に差し掛かった頃にようやくトミーが姿を現し、それと入れ替わるようにしてミニバンに乗った若者二人は彼らの住む街へと帰って行った。私たちは大急ぎで着替えを済ませ、トミーがインターネットか何かで見つけて来た近場の温泉へと向かった。もちろん私もトミーも、そこから〇八時の方角に一二〇マイルほど離れた、いつだって大勢のハイカーで賑わう美しくも荘厳なるあの名峰で、ほんの五時間前にいったい何が起きたかなど知る由もなかった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 23, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

例の釣り好き共 が江ノ島の大堤防でサバを大量に釣り上げたのでまた行くというので、もちろん私も飛び入り参加だ。私の狙いはもちろんアジ。似たようなものなんだからサバがいるならアジだってその辺をうようよ泳いでいるに違いない。江ノ島に辿り着いたのは昼過ぎ。


まずは釣り場に向かう途中の定食屋で腹ごしらえを済ませ、それから向かいの釣具屋で解凍を頼んでおいた「コマセアミ」を受け取りがてら、情報収集を行う。

私が、これから大堤防に行ってアジをどっさり釣ってやろうと思うんだ、と言ったら、店主は、世の中はそんなに甘くない、というような事をやんわりと諭すように言った。先日、那珂湊 で見かけたサビキ針にもアミエビをひっかける釣り方(あの漁師一家のオリジナルかと思っていたら「トリックサビキ」というよく知られた釣り方らしい)の話をすると、店主は、だったらこいつを一番下の針につけなさい、と言って、にょろにょろ動く虫エサをいくらか私にくれた。

つまり、上の層には海中に漂うプランクトンであるアミエビのついた針を、底層には従来そこに住みついている虫エサをつけた針を、それぞれ同時に送り込め、ってわけだ。誰が考えたのか知らないが、実に効率的で、かつ理に叶ったクレバーな仕掛けじゃないか!


今後どれだけ時が経とうとも、無知な私にそんな素敵な釣りの方法を教えてくれたばかりか、虫エサまでプレゼントしてくれたその親切な店主に対する私の感謝の気持ちが少しでも薄れる事はないだろう。ところで私は虫エサを針につける方法がわからなかったので、その日もらった虫エサは一匹も針に刺されることなく、私たちが釣り場を引き揚げるときに足元を泳ぐ魚たちの夕食に化けてしまったのはここだけの話だ。


店主に丁重に礼を言ってから釣具屋を後にし、一〇分ほど歩いて現地に到着。うへー、釣り人がいっぱいで私たちの入り込める隙間なんてどこにもないじゃないか!





手前で仕掛けの準備などしていると、港内側の中央付近で釣っていた先客が一人うまい具合にお帰りになり、私たちはその場所を占拠する事にした。釣具屋の店主は先端の方ほどいいポジションだと言っていたが、そんな贅沢を言ってはおれない。左隣で一人で釣りに励んでいた青年が少し場所を詰めてくれたので、私たちは礼を言ってからお邪魔をしてそれぞれスペースを確保し、三人並んで「サビキ釣り」を開始した。面倒くさいので二人は嫌がったが、私だけは手間を惜しまずサビキ針にも一本一本ちゃんとエサを引っ掛ける「トリックサビキ」に挑戦だ。


神は努力をした者をこそ成功にお導き下さる。最初に魚を釣り上げたのはもちろん私だった。銀色に輝く平べったい小魚で、少なくともアジやその近縁種ではなさそうだ。何だこいつは?


隣の青年(ここでは「ボラ紳士」と呼ぶことにしよう)が、それは「ヒイラギ」だ、と教えてくれた。ふ〜ん、初めて聞く名前だな。ところでここからがすごく重要なポイントなんだが、その「ヒイラギ」ってやつは食えるのかい?


丸揚げにして食べられます、と「ボラ紳士」は教えてくれた。「ボラ紳士」はポテトチップス一枚分にしかならない、という事実を付け加える事を忘れなかったが、そこは大して問題視するべきところじゃない。自分で釣った魚を「食ってみる」事を何より楽しみにしている私は大喜びで「ヒイラギ」を氷でよく冷えたクーラーボックスに放り込んだ。


次に私が釣り上げたのも「ヒイラギ」だったので、私は「ヒイラギ」という魚が大好きになった。もちろんそいつはベテランの釣り人たちにとっては何の価値もない、まったくもってこの世の中に存在してもしなくてもどちらでもいいような実にくだらない魚なのに違いない。だが私にとっては陸上に於ける釣りで初めて針をその口にひっかけて釣り上げる事のできた記念すべき魚たちだ。そして我が家に持ち帰ってから腸わたごと丸揚げにした「ヒイラギ」はたしかに美味だった。





同行する二人がただカゴに詰めたエサを海に撒くだけの時間を過ごすなか、またしても私の1.5号のピカピカの磯竿が、今度は少々力強く引き込まれた。うむ、この感じは 先月 釣り船で釣ったアジの引きと何だか似てるぞ!


期待に胸を躍らせ、歓喜の声をあげながらリールを巻く私の前に姿を現したのは、それを釣った誰もが怒りと落胆のあまり顔をしかめる釣り場の嫌われ者「ゴンズイ」。

しかも二匹も同時にかかってやがるじゃないか!





私のあげる悲鳴とも罵り声ともつかない声を聞いて同行の二人は大笑いだ。「ボラ紳士」も笑いを堪えるのに必死だったに違いない。

背びれと胸びれのトゲに触れないように「メゴチバサミ」と針外しを使って用心深く針を外し、丁重に海へとお帰り頂く。


続けて私が釣り上げたのはシマダイ(イシダイの幼魚)。げー、何だってこいつがサビキ釣りで釣れるんだ!?こいつらは海底とか岸壁にへばりついてる虫とか貝なんかを食って生きてるんじゃないのかい!?





そいつを自宅に持ち帰って調理をしているときに分かったことだが、そのシマダイの腹の中には、主に(私のような)ビギナーレベルの釣り人たちが散々海に撒き散らかしたのであろうアミエビがぎっしりと詰まっていた。つまりこのシマダイは、地道にこつこつとエサを探す努力を怠り、代わりに横着な飯の食い方を覚えて味をしめてしまったばっかりに、私のような新米の釣り人にいとも簡単に釣り上げられてしまったってわけだ。そうだろ?

ところで「小さなシマダイはリリースしてあげよう」と、どこかで釣り人に呼びかけていたような気がしたので、そうした方がいいだろうか?と「ボラ紳士」に相談してみると、そんな必要はないというご意見だったので、私は迷わずそのシマダイもクーラーボックスへ放り込んだ。


メンバーの一人も何匹か「ヒイラギ」を釣り上げ始めた頃に、私の1.5号のピカピカの磯竿がへし折れんばかりに強烈にしなったので、私は思わずうめき声をあげながら慌ててリールを巻きにかかった。


釣り人ならわかるだろうが、1.5号クラスの磯竿なんてとにかく柔らかくて、小さめの網カゴに八分目ほどコマセを詰めて持ち上げただけでも竿がブランブランと揺れてしまうほど頼りないものなので、私は早くも先週手に入れたばかりのこの竿は折れてしまうだろう、と腹をくくったのだが、隣で見ていた「ボラ紳士」が、大丈夫だからそのままリールを巻いてください、と私を勇気づけてくれたので、私は素直に言われたとおりにした。


釣り上げられたのは私が全く想定してなかった「メジナ」だ。ひゃー、たった二回目の堤防釣りで「メジナ」を釣り上げることができるなんて、全く何てこった!





ところで私たち三人と「ボラ紳士」以外の、その日その釣り場で思い思いに釣り糸を海に垂れていた大勢の釣り人たちは、私の見たところ、ろくに魚を釣り上げてなかったので、「メジナ」なんて正統派の獲物を釣り上げた私は少々その場の注目を集めてしまったようだった。知らない誰かが私ににこやかに話しかけて来たようだったが、私は針が何本もぶら下がるサビキ仕掛けにかかって暴れまわるメジナが、そいつが咥えてる以外の針をその辺に置いてあるいろんなもの−ビニールシートや水汲みバケツのロープや私の指(!)−に引っ掛けてくれたために、そいつを一本一本外して回る作業に大忙しで、私に話しかけて来た謎の人物などにかまってる余裕などなかったのはとても残念なことだった。


メジナを釣りあげたところで、私は例の釣具屋に追加の氷を買いに行くことにした。そして一〇分ほど歩いて、決して釣り場から近いとは言えないその釣具屋に到着するなり店主にメジナが釣れた事を報告し、それから私がそんな幸運に恵まれたのも全て店主の様々な心遣いのおかげだ、と丁重に礼を言った。店主はまたしても、メジナは刺身にすると美味いんだ、と、とてもためになる知識を私に伝授してくれた。

もっとも私の釣り上げたメジナは三枚におろしてみると思いのほか大して身が取れそうになかったので、フライにして食っちまったのはここだけの話だ。


釣り場に戻ってもう一匹釣り上げた、さっきのより少し大きめのシマダイが私のその日最後の獲物だった。まぁ二回目の堤防釣りにしては上出来だと言ってもいいだろう。





ところで「ボラ紳士」には何かと世話になったので、私たちは自分たちの飲み物やホットドッグを買って来たついでに「ボラ紳士」にもそれらを差し入れした。そして私たちが「ボラ紳士」と世間話をしていると、「ボラ紳士」が置き竿にしたまま放置していた竿が今にも海中に引きずり込まれそうになっていたので私たちはそれを指摘し、「ボラ紳士」は慌てて竿を掴みに行った。


いかにもベテランの釣り人らしい華麗な竿捌きでかかった魚を寄せて来た「ボラ紳士」は、かかっているのがボラである事に気付くと「やれやれ」と言わんばかりの顔をした。「ボラ紳士」は彼の竿にかかった獲物がお気に召さないようだったが、五〇センチメートルは軽く超えてそうな魚が針にかかって暴れている姿を私たちのような新米の釣り人が目にすれば口をついて出て来る一言は決まってる。

「うわー、こいつはすげぇ!」


私たちの右隣にいた、無駄に巨大なウキをつけた仕掛けを目の前に垂らしっぱなしにしたままパイプ椅子に座ってタバコを吸ってるだけの(もちろんそんな仕掛けにかかる魚なんて一匹もいやしなかった)、やる気があるのかないのか分からないちょっと不快な釣り人が玉網を持って「ボラ紳士」の元に駆け付けたが、そいつと「ボラ紳士」とはうまく呼吸が合わなかったようで、最終的にボラは網に掬われることなく沖の方へと逃げて行った。「ボラ紳士」は、どうせいらない魚なんだから別にいいんです、とクールに言い放った。


その日「ボラ紳士」の狙いはどうやらハゼだったようで、私たちの見てる目の前で何匹も釣り上げたハゼを「天ぷらにするんだ」と言って満足そうな表情を浮かべながら、日も暮れて暗くなって来たころには帰って行った。程なくしてその日持参したエサを使い切ってしまった私たちが釣り場を後にする頃には、辺りはもう真っ暗になっていた。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 15, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

全盲の少女が混雑する駅の構内で転倒させた(と本人が主張しているらしい)相手に足を蹴られて「心に傷を負った」事件の加害者とされる男は四四歳の知的障害者だった、という結末に私は大いに満足している。それはユートピアニズムに犯された多くの人々が直視しようとしない社会の摂理を端的に説明するもっとも分かりやすいシナリオだった。

他人を転倒させておきながら謝罪もしないのか、と一部の人々を憤激させておきながら、多くの人々には未だ一方的な被害者として扱われている全盲の少女の殊更肩を持つ連中の不見識なセオリーは、そっくりそのまま彼らにブーメランのごとく返って行った。盲人が他人を転倒させるのは仕方がないという理屈が通用するなら、知的障害者が哀れな少女に暴力を振るう事もまた須らく「仕方がない」。

少女に批判的なスタンスを取る意見に対して(おそらくは全盲少女の立場に立って考える、というような意味で)「想像力が足りない」などと一丁前な口を叩く連中の想像力など、所詮は「弱者はただいたわりましょう」などという一見善良なる価値観を思考もなく無批判に受け入れる事の延長線上にある、独善的で片手落ちな、お坊ちゃんお嬢ちゃんレベルの無邪気な「想像力」でしかない。


なるほど、たしかに目が見えない人間が道をのこのこ歩いていて他人にぶつかる確率は、目が見える人間のそれよりもいくらか高いだろう。そしてそのような事実を元に想像力を膨らませる事は決して悪いことではない。その事と、目が見えない事を理由に、自由に他人にぶつかる権利を盲人たちに与えるのが正しい事なのかどうかは全く別の問題だ。

いかにも想像力の豊かなふりをしている偽善者か、そうでなければただ単に頭の悪い連中は、是非その豊かな想像力でさらに想像してみるべきだ。その盲人がぶつかった相手が、とても優しくて周囲の誰からも慕われているが足腰はすっかり弱ってしまったお婆さんだったら?手を滑らせてあの白い杖を突き刺した相手がたまたまそこを通りがかった子供だったら?社会に参加する以上、たとえ盲人と言えども、他人の安全を脅かさないように配慮しながら日々の生活を送ることは最低限の義務だ。


例の事件の被害者とされる少女が、他人を転倒させた事に対して申し訳ない気持ちを持っているのかどうかは、この際たいした問題ではない。この事例を教訓として私たちが考えるべきなのは、視覚障害者であれ、知的障害者であれ、ハンディキャップを背負った人々が「社会参加」という果実を得る代償として、運の悪い一部の善良な市民が彼らによってその安全を脅かされ、場合によっては幸福な生活を破壊される事すら「仕方がない」などと言って受け入れる事が、私たちの社会にとって本当に正しい思考のベクトルなのか、という事だ。残念ながら私には、程度の低い感情論をベースに主張する事しか出来ない連中が軽々しく首を突っ込むべき問題とは思えない。


もちろん私は、私とは違った意見を持つ人々がそうする自由や権利を尊重する。だからそういう人々はどうぞ街に出かけて行って好きなだけ盲人にぶつかられたり杖で突かれたりしてればいい。願わくば、彼らはだからと言って私や私と同じような考えを持つすべての人々に対して、自分たちの価値観を押し付けられるほど大してエラくもなければ賢くもない事をよくよく自覚しておいてくれたらさらにいい。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 14, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

昨日の夜釣りはとんだ茶番だったが、そいつはさっさと忘れて、いよいよ待ちに待った「朝釣り」の時間だ。かなり早起きをしたつもりだったが、結局、港に着いた頃には六時を過ぎていて、頭上にはとっくに太陽が燦々と輝いていた。


昨日の夕方とは打って変わって釣り人が大勢並ぶ那珂湊港。





釣り座をどこにするか散々迷った挙句、私たちが陣取ったのは魚市場の南西角にあたる潮通しのよさげな一角だ。教科書通りに解釈すれば特等席にあたる角の部分は漁師の一家と思しき団体が占領していて、ポツポツと小アジらしき魚を釣り上げている。そのすぐ隣が私たちの釣り座だ。こいつはいい場所が空いていたもんだ。


私は早速、昨日手に入れたばかりのピカピカの磯竿に、これまた入手したばかりのリールをセットしてガイドに糸を通した。もちろん初心者にありがちな、リールのベイルを倒し忘れたばっかりに、全て仕掛けが完成したと思ったのに、また一からやり直しをする羽目になる事も忘れない。


きちんと仕掛けが完成したら、いよいよゲーム開始だ。海面すれすれを何かの魚が泳いでいるのは見えているが、私の俄仕込みの知識によれば、私のターゲットである脂の乗り切ったグラマーなアジは底に近い層を泳いでいるはずだ。私はひたすら網カゴに寄せ餌を詰めては仕掛けを海中に投入し、仕掛けが底に沈み切ってからリールを二、三回巻いて竿をしゃくり上げる作業を繰り返した。


ひゃー、ちっとも釣れない・・・。


周りを見渡しても多くの釣り人は何も釣れてなくて、ただ私たちの右隣の漁師一家の女の子だけがコンスタントに小アジを釣り上げている。彼女の釣り方を観察していると、まず網カゴにどっさり寄せ餌を詰め込んで、それから工作機械に使われるような頑丈な金属製の脚の上に程よい高さに設置された餌入れにてんこ盛りにされた寄せ餌の山に実に器用に仕掛けを二度、三度と通し、サビキ針にも寄せ餌を引っ掛けてから仕掛けを海中に投入している。


ほぅ、そんな釣り方もありなのかい?


私たちがその実に合理的な釣りのスタイルと、それからやろうと思えばそれ用の餌入れなんかなくたって針を手でつまんで寄せ餌に突っ込みさえすれば私たちだって同じ釣り方が出来たという事実と、ついでに潮の流れのせいで私たちが撒いた寄せ餌は全て右隣の漁師一家の足元へと流れて行ってしまっていた事実に気付いたのは、九時を過ぎてもうそろそろ帰らなければならない頃合いになってからだった。


私たちが帰り支度を始めた頃には、漁師一家を束ねる背丈は5フィート足らずのくせにいかにも屈強そうな親父が威風堂々とお出ましになり、四〇センチはあろうかという大アジを次々に釣り上げ始めた。私たちはただ茫然とその様子を眺めているほかなかった。私がその日釣り上げたのは、何やら違和感を感じて買ったばかりなのにもう壊れちまったのかと心配になりながらリールを巻いていたら、背中に針が引っかかって身動きできずにピチャピチャ暴れながら姿を現した気の毒なサッパ一匹だけだった。





何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 13, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

例の釣り好き共 と誘い合わせて一泊二日の行程で茨城の那珂湊へ。つまり私流に言わせれば、何十回もゲロを吐きながらなんかじゃなくて、もっと手軽にアジをわんさか釣ってやろうぜ!ってわけだ。


ところで同行の二人と違って自前の釣り道具を何ひとつ持ってない私は、大洗インターを下りてすぐの「釣侍」で道具一式を調達することに。

前もってそれなりに「勉強」をしておいた結果、堤防でのサビキ釣りに加えて磯場のウキ釣りにも応用が効くように竿は1.5号の磯竿、糸はナイロン3号を購入することにする。

何かちょうどいいリールはあるかい?と聞いたら、人のよさそうな店員がバーゲン用のカゴのようなところから既に糸の巻かれた二五〇〇クラスのリールを持って来た。値段はたったの二〇〇〇円ほどだが、メーカーはあの信頼のおけるダイワ製だ。へー、なかなかクールじゃないか。

竿も五〇〇〇円しなかったので、わずか七〇〇〇円ほどで立派に道具を揃えた私は、エサや小物を追加で買ってからほくほく顔で店を出た。


さて、初日の夕方の部を始める前に腹ごしらえだ。狙いはもちろん「市場寿し」。





サービスがいいのかやけくそなのかよく分からないが、とにかく巨大なボリュームのネタがシャリに覆いかぶさった握りが提供され、そしてどれもこれも美味い。


赤えび。





生サバ。





キントキ。





真鯛。





きわめつけはアジ。うへー、こいつはすげぇ!





五時過ぎには釣り場へ移動。インターネットで得た情報によれば「アジが釣れる」という東防波堤の湾内側に釣り座を設定する。

付近に釣り人は殆どいない。概ねみんなクロダイあたりを狙ってさらに堤防奥の赤灯の方まで足を延ばしているようだ。





その後、私たちは三時間ほどの釣りを楽しみ、魚が釣れるとか釣れないとかいう以前に夜になると何も見えなくなってとても不便だ、という事実だけを学習して、そそくさと近くの民宿に向かった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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