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August 29, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

盲導犬がフォークで刺されたとか言って騒ぎになっている。報道しかり、インターネットに於ける人々の反応しかり、概ね「無抵抗の動物を虐待するひどい行為」として犯人を非難する論調一色と言ってもいい。

私もその論調自体に異論はないが、ではなぜそのような痛ましい事件が起きたのか、についての考察が足りないように思えてならない。名犬「オスカー」を連れ回していた盲人にムカついた奴のしわざなのか、ただ単にそいつは犬が嫌いだったのか、それとも何か全く別の理由でもあるのか・・・。


私はオスカーの身に起こった事実に関する様々な情報を耳にして心を痛めると同時に、自分が被害者だ、とでも言わんばかりの盲人の言動を見ていると気持ちが冷める。「私の目を刺されたのも同じ」だって?お前は目どころか皮一枚プスリとも刺されてなんかないだろう?痛い思い、怖い思いをしたのはあくまでオスカーだ。意地の悪い言い方をすれば、盲人はそんなオスカーを今まで都合よく利用して来ただけの「ユーザー」に過ぎない。


なまじ優秀な知能と素質を持って生まれたばかりに人間の道具として一生を生きる事はその犬にとって幸せな事だろうか?もちろん、犬の幸せより人間の幸せを優先する事が求められるこの社会に於いて、そのような問いかけはたぶん多くの人々にとって無意味なものだろう。だがその多くの人々も、フォークで刺されたと聞けば表面的には「犬」に同情して見せるのがこの社会の持つ側面だ。

ひとつだけ言える事は、たぶん危害を加えられるような理由、責任はオスカー自身にはなかったという事だ。何かしらの理由で他人を不快にさせた盲人の身代わりにやられたんなら盲人に責任がある。単なる犬嫌いが犯人なんだとしたら?あるいは他に何か理由が?盲導犬であればこそオスカーは被害にあった。つまり普通の犬はフォークで刺されれば声をあげるどころか反撃すら厭わないだろうし、駅や電車のような人ごみの中に連れ込まれる事もない。そしてオスカーはなりたくて盲導犬−自分の意思を殺して人間に尽くす事を求められる、人間にとって都合のいいひとつの道具−になったわけではないはずだ。


私は全ての盲人が取るに足らない人間だとは思わないが、全ての盲人が善人だと無条件に評価する事もしない。混雑する駅のホームで、周りの人間が自分のために道を開けるのは当たり前だと言わんばかりに白杖で自分の前の地面を叩きまくる盲人を私は何人も見てきた。私はそのような目だけでなく心まで腐りきった愚かな人間よりも人間に忠実な一頭の犬の生命にこそ価値を見出すだろう。だから私はオスカーを襲った出来事に心を痛める代わりに、この件について盲人たちが何を言っても私の心には何も響かない。そいつの言動が妙に感情的で胡散臭ければ猶更のことだ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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