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July 25, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

先週末に日帰りで甲斐駒にでも行こうかとトミーと示し合わせていたが、悪天候でお流れ。急きょ別の日にちでリベンジしようかと話し合っていたら、甲斐駒に関して、何でも台風の影響で道が通行止めになったせいで登山口に向かうバスが運休だとか、もう一方の登山口だと朝の三時には登山口に着かなければならないとか、全くろくでもない情報しか入ってこないので私たちは他の山をあたる事にした。


木曽駒、苗場、雨飾山、巻機山、妙高山とあれこれ候補を上げた挙句に、行先はトミーが見つけて来た燕岳に決まった。日帰りで北アルプスの山に登るなんて私にはまったくありえない発想だ。なかなかやるな、トミー!


天気予報が二転三転するなか、念のために雨飾山をプランBに想定しつつ、私たちは前日の夜を迎えた。気象予報によれば燕岳界隈は雨飾山のエリアよりも曇りがちのようだったが、トミーは標高の低い雨飾山の予想気温が気に入らないと言って燕岳を強硬に主張したので、別にどちらでも構わなかった私はその案に同意した。


想定コースは次のとおりだ。つまりセオリー通り中房の登山口から合戦尾根コースを辿って山頂を往復するか、あるいは山頂からさらに北燕岳、東沢乗越と進んで中房まで戻る周回コースをとるか、だ。ガイドブックによれば周回コースの標準所要時間は一〇時間弱とあるので、標準タイムよりよほど早く山頂に着く等の好条件に恵まれないと厳しいだろう。

おまけにインターネットで情報を収集していると、東沢乗越から下る中房川沿いの下山コースは道も荒れていてペンキマークも消えかかっているだの、山ヒルがポタポタ落ちてくるだの、とてもじゃないが私好みのコースとは言いがたい。しかも天気予報では夕方以降に降雨が予想されていて増水の危険もある。はっきり言ってあまり気乗りはしないが、私は冒険が大好きなトミーがその私が嫌いな方のコースを大喜びで下りていくさまを思い浮かべながら、雨具一式とヒル退治用のライターをバックパックに突っ込んでおくことにした。


当日、ご自慢のアウディで四時前には私の家の前に乗り付けたトミーは、四時間弱で中房登山口の駐車場まで私を運んでくれた。トミーは県道から様子がよく見えなかった第3駐車場を素通りして第2駐車場へと向かい、ちょうど何人かのハイカーたちがそこから登山装備姿で出てくるのを確認してから入り口にアウディを滑り込ませた。


当局によって設置された駐車場利用者向けに警告を発する案内板。





人々の反応。





私たちがそこに着いた〇七時五〇分の時点で、正規の駐車スペースは既に満車で、通路も上のようなざまだったが、トミーは私と、それからまさに登山口へと出発するために通りかがった五〇代かそこらの親切なご夫婦のアドバイスにより、当局の意向に逆らうことなく見事に駐車スペースを確保した。

私たちが装備を整えている間に七、八台の車が駐車場に入って来て、それから諦めて引き返して行ったから、まさにトミーのアウディこそ「最後の一台」だった。なぜか私とトミーはそういった強運に恵まれる事が多い。


装備を整え終えたら早々に出発だ。駐車場から登山口までは登り坂の県道を一〇分かそこら歩いていかなければならない。

賑わう登山口の温泉施設前。善良なハイカーたちのために登山届を書くためのテーブルまで設置されている。





善良でない二人のハイカーは用便を済ませて〇八時一〇分に登山口をスタート。


中房から燕岳を目指すこの「合戦尾根コース」は「北アルプス三大急登」のひとつとされる一方で、危険個所もなく入門者向けのコースとしても紹介されるという二つの顔を併せ持つ。実際、そこを登るハイカーたちは、その多くが大して実力派には見えない。

次々と先行者を抜き去って〇八時三五分には第一ベンチ、〇九時ちょうどに第二ベンチを通過する。標準所要時間が一時間と一〇分のところを五〇分で歩き終えた事になる。まぁまぁだな。


私たちの調子はなかなか良かったが、周りのハイカーたちの多くはまったくそうではなかった。どいつもこいつもとにかく登るスピードが遅い。もちろん(トミーはともかく)私だって登りのスピードはそんなに速い方ではないし、歩くスピードは人それぞれだから、彼ら全員を悪しざまに言うつもりはないが、まぁそんな中でも入門者と言うのか何なのか、ファッションか何かと勘違いをして山に現れてしまう観光客崩れのような、まるで余裕のない連中の多くがいつだってそうであるように、自分たちのせいで後ろが渋滞していても全くその事に気付いてないか、気付いていても道を譲ろうとしないようなウスラマヌケが次から次に現れる事に、私は心の底から辟易とした。

極めつけは夏休みを迎えた地元の中学生によって構成されるハイキング集団だった。もちろん彼らには全く悪気はないのだろうが、その三〇人かそこらで構成されるグループを引率する先生方はどれもこれもまるで統率力や判断力に欠けたノータリンどもだったのだろう、彼らが率いる集団に追いついてしまった私やトミー、それからその他の紳士的な何組かのハイカーの皆さんは、それでも道を開けようとしない彼らによってクソ暑い山中でとんでもない足止めを食らった。特にいつだって人のあまりいなさそうな時期を狙って山に入る私やトミーには、こんな事はまるで初めての経験だった。

周回コースを辿る事も想定している私たちにとっては、たとえ一分一秒の無駄と言えども死活問題だったのだが、もちろん私たちの前を行く少年少女たちや、その他の私に言わせれば「出直してもらいたい」ハイカーたちはそんな事情を知る由もない。後から聞いたところではトミーもそうだったらしいが、私にもその時、私たちの事情ではなく、私たちの快調な山歩きを妨げる、間の悪いことにたまたまそのとき居合わせてしまった何組かのハイカーたちの事情、「体力がない」とか「スキルがない」とか、そもそもそこにいるべきでない、とかいった諸々の事情によって、山頂に着いた私たちには恐らく周回コースを選択するだけの時間は残されてないように思われた。


ようやくあるポイントで前を行く中学生集団が私やトミーを含む何組ものハイカーに道を譲った。そして子供たちは通り過ぎる私たちにとても気持ちの良い挨拶をした。私は何もかもを水に流して、できる限り彼らの気持ちに応えられるよう礼儀正しく彼らに接した。そのうちの一人に聞いたところでは、彼らは山荘で一泊する予定で登っているらしかった。

ほほぅ、まだセックスも経験してないキッズどもが先に山小屋泊まりの方を経験するって言うのかい?そう言えば私が三年前に生まれて初めて宿泊した山小屋は富士山の何とかってボロ小屋で、私の人生に於ける最悪な思い出の中でもかなり上位にランクインするそれはそれはひどいものだった。私は彼らにとっての(たぶん)「初めての」山小屋泊まりが、後々まで良き思い出となって彼らの心に残る事を祈った。


第三ベンチを〇九時二五分、富士見台ベンチを〇九時五五分に通過した私たちが合戦小屋に着いたのは一〇時三〇分の事だった。登りの中学生集団をやっと抜いたと思ったら、下って来る中学生集団にも悩まされた割には、標準所要時間三時間のところを二時間と二〇分で歩き切った事になる。こりゃひょっとしたらトミーのお望み通り、帰り道は例の山ヒルが降り注ぐ「冒険コース」の方になっちまうんじゃないか?

ところで後から見知らぬハイカーに聞いたところでは、下って来た中学生集団は実に5クラス、一五〇人にも及ぶ大集団だったらしい。一五〇人の中学生たちも、ほぼ例外なく一人ひとりがとても気持ちのいい挨拶をしてくれた。それはそれで立派な事だと思うが、それって私も一人でいちいち一五〇回、挨拶を返さなきゃならなかったって事なんじゃないか?


(悪気はないにせよ)私のペースを乱す周囲のハイカーたちのほかにも私を苦しめたのは、「よく整備された」などと謳われる登山道にはありがちな「階段」だった。一体どこのどいつがハイキング中にそんなものを見つけて喜ぶのかまるで想像がつかないが、少なくとも私にとってそいつは甚だ迷惑な障害物でしかない。考えてみてくれ、斜面を登るだけなら足裏を斜め上にスライドさせれば済むものを、なまじ階段なんてものがあるばっかりに、その分よけいに足を上げなきゃいけなくなるじゃないか。

それに私は登りの道中、腕に着けたスントの高度計をずっと睨んでいたが、ほぼ一五分ごとに一〇〇米は高度を稼いでいた。つまり一時間で四〇〇米、合戦小屋までの二時間と二〇分でほぼ一〇〇〇米だ。そこは私にとっても決して楽なコースではなかったが、さほど体力があるように見えない周りのハイカーたちにとっては猶更の事だったろう。


合戦小屋と、その前の広場では多くのハイカーたちが休息をとっていた。そして彼らの殆どが、名物とされるスイカをさも美味しそうに平らげていた。私たちもそこで初めてきちんとした休憩をとることにしたが、先を急ぐ事もあってスイカは遠慮した。


一〇時四〇分に合戦小屋前を出発、同五五分に合戦沢ノ頭に到着。

そろそろ見晴らしがよくなって来た。





そこでも一〇分ほど休憩してから出発。その先は緩やかな登りだとガイドブックには書いてあり、たしかにそれは事実だったが、同時にそのあたりから私の左脚の四頭筋が悲鳴を上げだした。間違いなくあのクソ忌々しい階段のせいだ!

後から思うに、水分補給にはそれなりに気を遣っていたが、塩分の補給にはまるで無頓着だったのもよくなかったかもしれない。私はトミーに、次のハイキングには携行食としてシシャモの目刺しを持って来る!と半ばやけくそ気味に宣言しながら、何度も立ち止まってはストレッチの時間を要求した。

こうなったら多少面倒でもしっかり脚をケアしておく事が重要だ。万がひとつにも私のせいで私たちが山頂を踏めない事態になりでもしたら、明日にもトミーがこれ見よがしに仲間内でこんな風に言いふらすだろう。

全くとんだオカマ野郎をハイキングに連れて行っちまったぜ!


そうならないようにいつもより丹念に「ストレッチ」を繰り返しながら、私は脚の異常を騙し騙し歩き続けた。その甲斐あってほぼ一二時ちょうどにようやく燕山荘前の広場に到着。


目前に迫る燕岳山頂。





そして一気に開ける展望。

中央に見えているのはもちろん槍ヶ岳だ。





トミーはここで放尿のために燕山荘への立ち寄りを主張する。そのためにはわざわざ一度シューズを脱がなければならないので私はパス。

トミーが小便ついでに小屋のスタッフから「冒険コース」の現状に関する情報収集に勤しんでいる間、私は無邪気にもイルカの背中に跨ってハッスルしている姿をセルフ撮影するために小屋裏へ。ひょっとするとよく知られた事実なのかもしれないが、何とイルカの周辺は立ち入り禁止だった!





一二時二〇分に山荘前を出発。小屋のスタッフからの入念な聞き取り調査の結果、トミーがもたらしてくれた最新情報によれば、「冒険コース」は通行不可能という事はないらしい。つまりそのコースの事を分かっているハイカーなら「道に迷う事はない」というのが小屋のスタッフの言い分だった。そんなの当り前じゃないか!

口ぶりからするにトミーはまだ「冒険コース」に未練があるようだったが、残された時間と、それから夕方には雨が降るという気象予報を冷静に考えればそいつはやめといた方がいいだろう、というのが私の考えだった。


それはそうと稜線に出てしまってからは、私の脚に何の問題も起きなかったのは幸いだった。恐らく今日は山荘泊まりなんだろう、空身で山頂に向かうハイカーやハイカー未満にしか見えない人々を何組か抜き去りつつ、ところどころ砂利で滑りやすい道を二〇分ほど歩いた私たちは、何なく山荘直下の岩場に到着した。


ひとまず槍ヶ岳の見える方に一枚だけ壁のようにそびえ立つ岩によじ登って記念撮影。





そして早速の昼食。私はいつもの「特製ラーメン」の材料と一緒にアマゾンの通信販売で入手したばかりの満タンのガスボンベとストーブを取り出した。もちろん八海山のときと同じヘマはなしだ。当り前じゃないか。

昨日のうちに自宅で点火テスト済みのそのセットを手際よく組み上げて水を満たしたコッヘルをゴトクの上に乗せ、私は点火スイッチをカチッと鳴らした。カチッ・・・!カチッ・・・!何だよ、今度は風のせいで火がつかないじゃないか!!


見ればトミーも点火に苦戦している。八海山ではかろうじて麺をふやかす事が出来たので何とかそいつを食うことが出来た私も、さすがに生麺をそのまま食うのはごめんだ。だが忘れてはいけない。慈悲深い神がいつだって私を見守って下さっている事を。

私は私の皮膚に食いついたヒルを火あぶりにしてやるためのライターがパックの中に入っている事を思い出した。ガス栓をひねって流出させたガスの前でライターを点火してみると、私のストーブセットはいつもの激しい音とともに勢いよく炎を噴き出した。なるほど、ストーブなんて不具合で点火不能になってもゴトクの機能さえあればそれで事足りるってわけだ。こいつはいい事に気が付いたな・・・。


無事に「鹿児島ラーメン(マルタイ製)」のスペシャルバージョンが完成。角煮はもちろん別売りだ。





カップ麺を持参していたトミーに角煮を分けてやったら彼は大喜びした。


昼食を終え、いつの間にか山頂を占有していた、登りで追い抜いてやった例の中学生集団と思われる連中が姿を消してから記念撮影。





一四時一五分、帰路につく。さすがのトミーも、もう「冒険コース」の事は口にしなかった。


山頂から燕山荘へと続く稜線。東側はすっかりガスに覆われてしまった。





一四時三五分、燕山荘前。ここで槍ヶ岳ともおさらばだ。





燕山荘を後にして合戦尾根に入る。もういい時間だというのに登山道を登って来るハイカーは跡を絶たない。そして誰もがまるで異国のジャングルを彷徨う敗残兵か何かのような疲れ切った表情を浮かべている。あぁ、わかるとも。数時間前の私も似たようなざまだったに違いない。

私の予想に反して合戦尾根を下って行くハイカー、つまり私たちと同じように日帰り行程で行動しているハイカーは殆どいなかった。たまに見かける下りのハイカーたちもまた一様に疲れ切っていて、私たちが追いついてしまった初老の夫婦のご婦人などは、私たちの目の前で派手にすっころんで岩場にドスンと尻もちをついた。本人が大丈夫だと言うので私とトミーは何事もなかったかのように彼女を置き去りにした。


一五時一〇分に合戦沢ノ頭を通過し、二〇分には合戦小屋に到着。行きで立ち寄ったときほどではなかったが、それでも小屋には相応の数のハイカーたちがまだ寛いでいた。

私たちもたっぷりと休憩をとってから、一五時四〇分に小屋前を出発。


一五時五五分に富士見ベンチ、一六時二五分に第三ベンチを通過。一六時四五分に第二ベンチに辿り着いたところで体力の限界に達したのだろう、トミーは休憩を要求するや否や、荷物を全て放り投げてベンチに倒れ込んでしまった。

まぁ当初懸念されていた雨が降りそうな様子もないし、ここまで下りて来てしまえば五分や一〇分程度のタイムロスに目くじらを立てる事もないだろう。私は笑いをこらえながらトミーが「くたばってる」様子を何枚も写真に撮り、それからゆっくりとベンチに腰掛け、トミーが起き上がって来るまでの時間を、ぼーっと周りの木々など眺めて過ごした。

その後トミーは起き上がって身支度を整え第二ベンチを後にしたが、そこから一五分も歩かないうちに辿り着いた第一ベンチでも休憩を要求した。私たちがようやく登山口まで辿り着いたのは一七時四〇分の事だった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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