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June 28, 2014


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

猛暑のなか屏風道経由で山頂を目指して散々な目にあった記憶も醒めやらぬうちに、私とトミーは性懲りもなく八海山の八つ峰を踏破するために新潟へと向かった。もちろん今回は満を持してロープウェイの力を借りることにしよう。


今回の山行メンバーにはもう一人、新進気鋭の若手ハイカーが加わった。以前、高原山に登った際に初めて行動を共にした男で、私の古くからのよき友人でもある、私やトミーよりも一回り近く年下の彼は、高原山ではその驚異的なスタミナで私たちを驚かせたが、何より 120ポンド(≒55kg)足らずの身軽な身体でどんな難所もひょいひょいすばしこく動き回るので、そのとき以来、私はこっそり彼のことを「ヤギ男」と呼んでいる。

「ヤギ男」には私たちよりもかなり年を喰ったベテランハイカーの友人がいて、これまでにその人物と様々な山に登って来たようだったが、宿泊を伴うような山行や、三〇〇〇米級の山岳へと出かけた経験はまだないようだった。念のため私は事前に、今回、私たちが目指す、ビギナーには少々危険とされる鎖場だらけの岩山についての情報を彼に流しておいたが、そいつを見た彼は尻尾を巻いて逃げ出すどころか「とても面白そうだ」と言った。


私と「ヤギ男」を回収し終え、始発のロープウェイに間に合うように早めに東京の地を後にしたトミーのアウディは、〇七時四五分には山麓駅の駐車場前に到着した。今回の想定コースは、山頂駅から八つ峰を踏破した後、三角点が設置されているらしい八海山の最高峰とされている「入道岳」まで足を延ばし、その後「迂回路」を辿って山頂駅まで戻るか、最終のロープウェイに間に合いそうになければ「新開道」を下るというものだ。

万一後者のコースを辿る羽目になっちまったら、私たちがアウディの元に辿り着いた頃には既に駐車場のゲートが閉められてしまっているだろう。私がトミーにそうアドバイスをすると、彼はゲート前にあるバスの転回場のような広場にアウディを止めた。


山麓駅の駐車場から見上げる八つ峰。





駐車場から見上げると、八つ峰から右に外れて一段低く見える丸山が「入道岳」らしい。


私たちが身支度を済ませて山麓駅まで向かうと、そこにはすでに一〇組ほどのハイカーたちが始発便の出発を待ち受けていた。翌日はもう「山開き」で、つまり既に登山適期を迎えた頃だというのに、そこは私が思っていたほど混雑していなかった。私たちは座れこそしなかったが、スペースにゆとりのあるゴンドラに運ばれてあっと言う間に山頂駅へ。


私が山頂駅の便所でのんびり放尿などしているうちに何組かのハイカーたちは出発して行った。私たちも〇八時二〇分に行動を開始する。


早速、小遣いでもせびるかのようにポストのようなものと共にお出ましになる八海山の神。





私が「ヤギ男」にいくらかチップをはずむように提案したが、彼はやんわりと断ったので、私は間違いなく彼に何かの祟りがあるに違いないと言うと、彼は心から嫌そうな顔をした。


前回、千本檜小屋からの帰路で通った登山道は、その時と変わらず、まずまず快適な道のりだったが、強い陽射しのせいで予報に反して高い気温が全くもってストレスだった。私はいつものように、歩き始めて二〇分も経たないうちに、私が不快な思いをしながら山道をてくてく歩かなければならない事実を罵った。そんな私をなだめなければならないのは、いつだって私と山行を共にする人々の宿命だ。


〇八時四〇分には大倉口への分岐を通過し、〇九時一五分に女人堂に到着。

快晴に恵まれ、展望は申し分ない。刈羽三山(左から黒姫山、米山、八石山)をバックに記念撮影。





この日は佐渡島まで見渡せた。


五分ほどの休憩の後、行動を再開する。一〇分ほど歩いて祓川。





私は水場を見つけるとよくやるように、早速帽子を取って顔をじゃぶじゃぶ洗った。ふんだんに流れ込んだ雪解け水が熱気を帯びた顔にひんやり冷たく生き返った心地がする。私が歓声をあげると、黙って見ていたトミーとヤギ男も私のまねをして顔を洗い始めた。私はそれだけでは飽き足らず、帽子を水に浸けてたっぷり水を吸い取らせてからおもむろに頭から被った。ひゃー、何て気持のいい!

礼節を重んじるトミーとヤギ男は、そこまではしなかった。


すぐそばには、醜い体型のハイカーを励ます案内板。





ここからいよいよ本格的な登りが始まる。


と言っても、標高差はせいぜい三〇〇米かそこらだ。そう大した道のりでもない。

ちょっと長めの鎖場を越えて、一〇時ちょうどには薬師岳に到着。千本檜小屋と地蔵岳が目前に迫る。





一〇時一〇分、千本檜小屋に到着。休憩時間まで含めても標準コースタイムより一時間ほど早く着いてしまった計算になる。ありがたい。どうやら新開道を下るなんて惨めな苦行を味わう羽目にはならずに済みそうだ。

荷物を下ろして小屋の前のベンチで休憩。私は携行食として持参した「ベビースターラーメン」をパリポリと平らげる。正面を越後駒から駒ノ湯側へと下る稜線が横切り、その背後、はるか向こうには毛猛山、浅草岳を始めとする様々なC級山岳が見渡せる。





一五分ほど休憩し、いよいよ前回はただ指を咥えて眺めるだけで帰路に着くほかなかった八つ峰へのアタックを開始する。


五分ほど歩いて「迂回路」との分岐を左へ。





ロープや鎖をたよりに露岩帯を登り、縦走路を右手に見送って地蔵岳山頂へ。分岐からの所要時間は五分ほど。





縦走路に戻って二つ目のピークは不動岳。地蔵岳から一〇分とかからない。





不動岳の下りあたりから「霊山」の名に恥じない立派な鎖場が登場。





私たちはそこから先、先行のハイカーが鎖を登り終えるか下り終えるまで待機したり、写真撮影に興じたりしながら、ちんたら進んで行った。

釈迦岳(白川岳)を下って一一時二五分、「迂回路」へと下る分岐を通過する。





摩利支岳への登りは梯子。まぁ、どうって事はない。





最後の大日岳への登りも梯子。

ようやく山頂に辿り着いたハイカーたちの前に糞(クソ)のようなものを手に現れるタマネギ頭の神。





到着は一一時五五分。小屋の前を出発してからだいたい一時間半ってところだ。

山頂では七、八人のハイカーが寛いでいたが、私たちにとってそこは単なる通過点に過ぎない。五分ほど休憩して先を急ぐ。


大日岳から入道岳側への下りは一〇米ほどの鎖場。





先に下りて鎖場初挑戦のヤギ男の下り方を観察していたら、股下から下の方を覗きながら足掛かりを探しつつ両手で鎖にしがみつくようにして下りている。そしてその長い鎖場を下り切ったヤギ男は、もう両腕が限界だ、と私に泣き言を言った。

私は彼に鎖場の適切なこなし方、つまり足場は振り向いて背中越しに探す方が楽だとか、足場さえしっかりしていれば鎖は保険代わりに片手で軽く握っておけばいい、とか、そういったささやかなアドバイスをしておいた。


そこから先、入道岳までは、ところどころ滑りやすい砂利の斜面があるほかは至って快適な稜線歩きだ。





二〇分ほど歩いて山頂と思しき地点に到達。右手の藪の中に墓のような石碑を発見するが、もう少し先まで歩いた地点の方が若干高いような気がして、私はトミーとヤギ男を置いてそちらまで偵察に行く事にした。

向かった先で見つけた、砂利敷きの小広場に置かれた「丸ヶ岳」の石碑。たぶんこっちが山頂だろう。





私はわざわざ二人を呼びに戻るはめに。


三人揃ったところで荷物を下ろして記念撮影。


八海山/最高峰・入道岳(丸ヶ岳)山頂にて記念撮影



石碑は見た目よりも重かった。


さぁ、バカなまねはそれくらいにしてお待ちかねの昼食だ。


今日の私のメニューはいつもの「熊本ラーメン」に卵のセット、それから実験的にパック詰めの「豚の角煮」を入れてみる事にする。

自宅で点火テスト済みのガスとバナーを取り出し、いつものように水を満たしたコッヘルを乗っけて火をつける。ガスはもう何度も山行に持参しているのでそろそろ切れてしまってもおかしくない頃ではあったが、事前のテスト結果は良好だった。懸念点があるとすれば、麺を茹でる前に「角煮」のパックを四、五分湯煎しなければならないことだ。その事は、今日の調理に於いては、これまでの山行で一度の食事のために消費された量の実に二倍以上のガスが必要になる事を意味していた。

まぁ、最悪私のガスが切れてしまっても、頼れるトミーもまたいつものようにガスを持って来ている事だろう。そいつを借りればいいだけの事さ。実際、トミーがカップ麺を食うために、その日もガスとバナーを持参していたのを見て私は安堵した。そして彼が点火を試みた瞬間、トミーのそれはプスリとも反応せず、彼は「ガス切れだ」とつぶやいた!!

ヤギ男はトミーになけなしの握り飯をひとつ献上する羽目になった。


私のガスボンベは角煮パックを何とか加熱し終えた頃にその短い生涯を閉じた。私は慌てて角煮パックを脇にどけて麺と卵をコッヘルに投入した。余熱だけで何とか麺をふやかす事が出来たのは不幸中の幸いだった。卵は限りなく生のままだったが食用には差し支えない。しかし結局のところ、私が初めてこさえたその豪華な角煮入り熊本ラーメンは、総合的に評価すれば恐ろしく不味かった。





空も曇り始めた一三時三〇分に下山を開始する。もちろん最終のロープウェイには十分間に合うと思われるので、プランBの「新開道下り」はなくなった。

一五分ほどで大日岳直下の鎖場下まで戻って来た私たちは、その鎖場にわざわざ登ってまた下りる姿を互いのカメラで撮り合ったりして、そこで一〇分ほどの時間を無駄にした。そうしているうちに一組のパーティーが大日岳側から下って来たので、私たちはそこを切り上げる事にした。つまり彼らが私たちの写真撮影を邪魔しに現れなけば(一般的には私たちの方が邪魔モノなのだろうが)、私たちはそこでもっと多くの時間を浪費していただろう。


そのパーティーの先頭を行く、年の頃は五〇から六〇といったところのリーダー格の男は、只者ではなさげなベテランの風格を漂わせながら他のメンバーにてきぱきと指示を出していたので、私はヤギ男に、彼はおそらく熟練のハイカーだから、彼が鎖場を下りる様子を観察して今後の参考にしてみてはどうか、と提案した。ヤギ男は是非そうする、と言い、私とヤギ男はリーダー氏が鎖場を下りる様子を熱心に観察していたが、リーダー氏は私が期待したほどヤギ男より優れたやり方でそこを下りてくれなかったので、結果的に私は少しばかり恥をかいた。

もっともリーダー氏の次に下りて来たケツのでかいご婦人はもっとヘタクソだった。私たちは早々にその場を後にし、「迂回路」へと向かった。


一般的に「迂回路」とは、八つ峰の岩場、鎖場を避けて目的地へ「楽に」到達するためのコースだと考えられているだろうが、そのような甘い認識で「迂回路」に足を踏み入れたハイカーは、すぐに自分の愚かさを後悔する羽目になるだろう。

そこを訪れたハイカーたちを待っているのは、岩場をトラバースするようにつけられた、ほぼ足幅分しかない足場の続く、ちっとも快適とは言えない、かなり不親切なコースだ。





もっとも、谷側にはそれなりに樹木が茂っているので高度感はそれほどでもない。場所によっては手すり代わりの鎖がいい具合に打ち付けてあったりもする。岩場を好むハイカーたちには全くストレスを感じさせないだろう。


一〇分ほど歩いて左手に新開道を見送りつつ、先を急ぐ。五分もしないうちにちょっとした雪渓を横断し、さらに五分も進んだところで今度は少し大きめの雪渓をトラバースする。その雪渓を登って行った先が釈迦岳(白川岳)を下ったところにあった分岐へとつながっているようだ。


さらに二〇分も歩いて、行く手に私のペニスのようにそそり立つ立派な岩塊(「花立岩」というらしい)が見えて来れば千本檜小屋は近い。





迂回路に足を踏み入れて五〇分後の一四時四五分、千本檜小屋に到着。そこにはもう誰もいなかったので、鎖場で見かけたパーティー以外のハイカーたちは皆、私たちに先んじて下山の途を急いでいるようだった。

私たちも小屋の前で一〇分ほど休憩してからすぐに出発する事にした。一五時三〇分に女人堂、一六時ちょうどに大倉分岐を通過した後、私たちは一六時一五分には山頂駅へとたどり着いた。


一六時二〇分発のロープウェイで山麓駅に着いた頃に突然、土砂降りの雨が降り出した。鎖場で出会ったハイカーたちが恐らくずぶ濡れになっている事を少しだけ気の毒に思いながら、私たちは駐車場に隣接する土産物屋の庇を借りて着替えを済ませ、トミーのアウディで前回と同じく混浴の温泉風呂へと向かい、男の客しかいない事に憤慨してから「欅亭」に向かった。前回のステーキを教訓として、私は控えめに「ポークソテー」を注文したら、今度はソフトボール大のブロック肉が運ばれて来て、またしても私は唖然とした。





何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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