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November 23, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

「花やしき」に行く前に立ち寄った甘味処のあんみつ。





この一品だけで世界遺産にも相当するだろう。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/梅むら]


「花やしき」は日本最古の遊園地とされているが、設置されている遊具の数々はなかなかどうして侮れない。初期の遺物とされる「ビックリハウス」なんて、それが何なのか知らずに中に入った私はその素晴らしい発想に感動すら覚えた。

結局、閉園間際まで滞在。





浅草寺を抜けて地下鉄の駅へ。

昼間の人ごみは忌々しいが、ライトアップされる五重塔はなかなか見ごたえがある。





もっともいま建ってるのはレプリカだ。よく出来たプラモデルみたいなもんで建造物として歴史的な価値はない。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




November 1, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今年こそ西穂高に登ろうとトミーと話をつけて十月の中旬に予定を組んでいたが台風がやって来てお流れ。気が変わった私たちは三〇日から二泊の予定で槍ヶ岳を目指す事にした。

条件さえ許せば大キレット経由で行きたいところだが、もういつ雪が降ってもおかしくないので今回はおとなしく槍沢ロッヂに泊まって東鎌尾根経由で登る事にしていたら、案の定、前日はかなり強烈に雪が降ったらしい。

私は前日ライブカメラを見ていて、今回はコースに関わりなく山頂に行く事すら無理かもしれない、と思った。


出発当日、あろう事か寝坊をしたトミーは三〇分遅れで私の自宅までご自慢のアウディで迎えに来てくれた。一〇時前に沢渡のバス停に着き、バスに飛び乗る。


上高地のバス停を一〇時五〇分に出発。この時期は紅葉目当ての観光客はいくらでもいるが、もうハイカーなんて殆どいない。

穂高の方を見上げると完全に雪山だ。





ヘルメットやピッケルまで背負ったいかつい姿で一般の観光客に混じって歩く。アイゼンや山小屋で快適に過ごすための着替え一式も含めて荷物はニ〇キロオーバー。





一一時四〇分に明神館前を通過し、一二時ニ五分に徳澤園の食堂に到着。

悪くないペースだ。





食堂で昼食。山菜そば、七五〇円。





トミーはいつものようにあれもこれもと注文する。


一三時には食堂を出発。五〇分ほど歩いて横尾山荘。





手ぶらでやって来て喉が渇いた人々を襲う厳しい現実。





一般の観光客とはこのへんでおさらばだ。とは言っても、この辺まで足を延ばせる感心な観光客は本当に数えるほどしかいない。

そこから先は少しばかり荒れてはいるものの登山経験者には親切な山道が続く。





一四時四〇分に一の俣を通過。沢沿いにつけられた一部ガレた道を五分ほど行くと、冬が近づくと敷板を外されてしまうことで知られる二の俣橋だ。

平家の伝説で有名な「かずら橋」なんて足を踏み外してもせいぜい脛をすり剥くか悪くしてもタマをぶつける程度のもんだろう。

この橋はマジで落ちる。





雨が降り出したのでパックにカバーだけかぶせて先を急ぐ。

一五時一五分、ようやく槍沢ロッヂに到着。





男女交替制の風呂には四時から入れるというので濡れた身体でブルブル震えながらその時を待つ。案内された「りんどう」という美しい名前がつけられた薄暗いカイコ部屋には先客のハイカーが一人寝ていた。

時間が来たので早速風呂へ。先客のハイカー氏は既に湯船に浸かっていたが、湯が熱くて全くリラックス出来てないようだ。私は熱い湯も平気なので喜んで湯船に入る。先客のハイカー氏と言葉を交わし、彼は松戸からやって来たことを知る。


六時に夕食。





食堂に集まった今日の泊まり客は私たち二人と松戸のハイカー氏、それから仙人のような雰囲気を漂わせる二人組の老ハイカーの合わせて五人だった。

私は当初その場の会話の中には加わらず、一心不乱に出された食事を貪り食っていたが、それとなく聞き耳を立てていてすぐに分かったことは、私たち以外の三人は槍ヶ岳どころか日本中のあらゆる上級山岳を何度も経験済みのベテランハイカーで、私たちはまるで場違いな輪の中にいるという事だった。

実際、会話の流れで私たち二人が今回初めて槍ヶ岳にアタックしようとしていることをトミーが白状したとき、何とも言えない変な空気が食堂を包み込んだ。朝方の天狗池に映る逆さ槍を撮影するためにやって来て既にその日のうちに現地を偵察済みだった松戸のハイカー氏は、そこより上の方は凍結していて私たちには荷が重いといったニュアンスの事を言ったし、私も素直にそうだろうと思った。

率直に言って私は山頂には特に拘っていなかった。それよりは明日はちゃんと晴れてくれて、青い空と白いかそうでないかはともかくその名峰をバックに私がポーズをとっている美しい写真をトミーに撮ってもらう事の方が重要だった。そういった趣旨の発言をしたところ、それまで静かに話しを聞いていた仙人のひとりがおもむろに口を開いた。


私はそのとき彼のことを勝手に「槍仙人」と名づけた。槍仙人は、その日の気象情報から判断するに日本海上にある低気圧の発達度合いによって明日の天気は決まるといった専門的な話を突然切り出したので私はびっくりした。

よくよく話を聞くと、食事の前に彼が談話室で日記か何かを書いてる姿を私は目撃していたが、彼はそこで日記を書いていたのではなくて、ラジオから流れてくる気象情報を元にお手製の天気図を作成していたのだった。全く以って彼のような人物にこそ「仙人」の名はふさわしい。


少しばかり聞きかじった気象予測に関するつたない知識を総動員して私が槍仙人にある質問をすると、彼はその質問がお気に召したようで、それから山岳気象に関する様々なためになる話を私に聞かせてくれた。他の三人がうんざりして部屋に帰って行っても私たちの会話は終わる事はなかった。あまりに二人の会話は長く続き過ぎたので、二人はとうとう小屋主の親父に食堂を追い出された。

松戸のハイカー氏は写真を撮ったら帰ると言っていたが、仙人のコンビは私たちと同様に明日山頂を目指すと言うので、私たちは縁があれば、と再会を誓った。たぶん彼らはその経験とスキルを以ってしていともた易く山頂まで辿り着くだろう。私はまだ私たち二人がそこに辿り着けるかどうかについて懐疑的だった。


ところでもう一人の仙人は頭髪の特徴と、かけてるサングラスや、そのちょっとワルっぽい風貌から「亀仙人」という名前にした。いやもう本当にその名前がぴったりだったんだ。


翌朝、六時前に目覚めるともう松戸のハイカー氏はいなかった。私たちが寝ぼけ眼で食堂へ行くと既に仙人コンビがそこで朝食をとっていて、私たちは互いの健闘を誓い合った。山慣れたベテランハイカーにふさわしく彼らは手早く用意を済ませてさっさと出発して行った。私たちは私がのんびりクソをしていたせいで〇七時四〇分にようやくそこを出発した。


天気は申し分なく私はひとまず安堵した。あとはコースの凍結や積雪具合だ。出発して間もなく下山して来る松戸のハイカー氏と出くわした。話し振りから察するに、彼はどうやら満足の行く一枚を撮影することに成功したようだった。

彼の情報によれば、登山道の凍結は思ったほどでもない、と言うことだった。仙人の二人もそっちに向かっている事だし、どうやら東鎌尾根ではなくそちらのコースをとれば山頂はともかく肩の山荘までは辿り着けそうだ。私たちは礼を行ってハイカー氏と分かれた。


ロッヂから三〇分ほどでババ平を通過し、さらに三〇分ほど行ったところで真っ白になった稜線が見えて来た。

ひとまず記念撮影。





私とトミーは歩きながらどのコースを辿るかについて話し合った。つまり、山荘に到着することを優先して通常の槍沢コースを行くのか、少しのリスクをとってでも常に見晴らしのいい稜線歩きが期待できる東鎌尾根を行くのか、についてだ。

いよいよ東鎌尾根コースへの分岐まで来たとき、三〇〇米ほど前方に仙人コンビの姿が見えた。彼らについて行くべきなのか否か。私たちは荷物を下ろして最終的に決断するために双眼鏡を取り出してコースの状況を視察した。

東鎌尾根コースつまり「水俣乗越」への直登コースには全く雪が積もってない。乗越までは間違いなく行ける。東鎌の稜線上にも雪は積もってないように見えるが、北側がどうなってるか下からは分からない。北側には日も当たらないから雪が積もってる可能性は高い。

率直に言って山荘まで辿り着く事も稜線から景色を楽しむ事も、どちらも同じくらい私には魅力的な事だったので、私は判断をトミーに委ねた。トミーは稜線に行きたいと言った。進むべきコースは決まった。行けるところまで行ってみて、無理だと思ったら引き返してロッヂにもう一泊すればいい。


ところで私たちが分岐点だと思って立ち止まったところはトミーご自慢のGPSによれば本当の分岐点を一〇〇米ほど通り過ぎたところだった。尾根へと続く同じように急な登りのガレ道がその辺には何本もあった。仙人たちを見送って引き返すと、正解の分岐点の道の反対側、つまりロッヂ側から見て左手には目印にちょうどいい真四角の岩があった。





ただしその岩が永遠にその場所にあり続けるかどうかについて、私はもちろん一切責任を負うことはできない。


水俣乗越へはひたすらガレ道を登り詰める。





一〇分ほど登ったところにペンキで印がしてあって、そこで左に折れなければならないようだ。直進してしまったらどうなるのかは知らないが、ペンキの指示に従えば稜線に出られる事は確かだ。





稜線に出るまで一時間一五分かかった。少しばかり休憩してすぐに出発。時刻は一〇時三五分。

乗越からの歩き始めはこんな感じ。





登山道はすぐに稜線の北側へと入る。案の定、雪は積もったままだ。

最近ハイカーがそこを通りがかった痕跡はまるでなくて、代わりに何かの哺乳類の足跡だけが雪の上に続いていた。





まさか熊じゃないだろうな?


間もなくお待ちかねの槍ヶ岳が現れる。

ほほぉ、こいつはいい眺めだ。トミーのチョイスはいつだって正しい。





本当に必要かどうかはともかくコース上には何段もの梯子が現れる。





稜線上から槍沢方面を見下ろす。遠くにババ平が見える。





「核心部」と言われるちょっと急な梯子を下る。

下りきると両サイドのすっぱり切れ落ちた幅が五、六〇センチほどの道が待っていて、しかも凍結している。明らかに梯子なんかよりそっちの方がヤバい。





その辺りで何人かのソロ・ハイカーが私たちを追い抜いて行った。それはとてもありがたい事だった。これで彼らの足跡を追いかければよくなる。

稜線の南側を歩いてる分には何の問題も感じないが北側はこんな感じだ。そこに踏み跡がなかったら私はすぐにでも帰りたくなっていただろう。





一二時ニ〇分、風避けにちょうどいい岩場を見つけて昼食にする。





ロッヂで買い受けた「ちまき弁当」。





さっさと平らげて一二時五〇分に移動開始。一三時一五分に「ヒュッテ大槍」に到着。

ヒュッテ前は格好の展望ポイントだ。





ずっと見えてるんだがなかなか辿り着かない。





ひと休み。





その辺りで私たちをさっき追い抜いて行ったハイカーの一人が戻って来るところに出くわした。どうやら山頂を踏み終えて帰るところのようだ。軽装だったから昨日泊まったテントか山小屋に帰るんだろう。そいつはともかく、彼が山頂まで行けたという事は、もちろん私たちも山頂まで行けるだろう、ということだ。私は必ず今日中に山頂を踏む、とトミーに宣言した。


一四時四五分、ようやく槍ヶ岳山荘に到着。山荘前にいた、私たちを追い抜いていった別のハイカーと歓談していると、「おーい」と言いながら槍仙人が二階から手を振っていた。


山荘に荷物を置いて少しばかり休憩してから、必要なもの−私の場合は三脚とカメラとピッケルとヘルメットくらいだが−だけを持っていよいよ山頂にアタックだ。

当日の穂先はこんな感じ。





もしも岩が凍結していたらどれだけ時間がかかろうと氷をピッケルで削り取ってでも山頂を踏む決意でそのミッションに臨んだ私だったが、ちょうど一人の見知らぬハイカーが下りて来る様子を見て、そんな煩雑な作業は必要ない事を確信した。そして私はあれよあれよとそこを登って行って、たった一五分ほどで山頂に着いてしまった。

積もった雪は一部で凍結していたが、過剰なまでに鎖や梯子が整備されたそこを登って行くのはとても楽ちんなことだった。むしろ、たぶん普段は何も難しいことはないのであろう鎖も梯子もない箇所では集中力を必要とした。冷たい風がびゅうびゅう容赦なく吹き付けて来るので、バラクラバと軍用パーカで完全武装してそこに臨んだのは実に賢明だったと私は思った。


山頂の祠と OPS-CORE の珍しいツーショット。





西側に広がる豪快な雲海。頭一つ抜けて見えるのは笠ヶ岳だろう。





東鎌尾根方面を振り返る。中央奥は常念岳で、手前の雪の稜線が西岳から大天井岳へと続く喜作新道だろう。





私は三〇分近く山頂から見える景色にはしゃいで写真を撮りまくっていたが、遅れて登って来たトミーが寒いから下りたいというので山荘に戻る事にする。下りは三〇分以上かかった。


山荘では五時にはもう夕食。疲れ切った身体に嬉しい健康に悪そうな唐揚げ。





食堂には私たち二人と例の仙人二人組、それからトミーが聞いたところでは山形からやって来たというお爺さんと息子、ほかにあと二人ハイカーがいた。そのうち一人は北鎌尾根を一人で踏破してしまう恐ろしい人物で、雪が溶けてるはずもなかろうに、明日は大キレット経由で下山する、と事もなげに言い放った。

その後、私と同年代くらいの感じのいいカップルが随分遅い時間にやって来たので、その日の泊まり客は合計一〇人だった。六〇〇人以上収容できるとされているあの槍ヶ岳山荘にたったの一〇人だ。もちろん私たちはそれを狙ってこの時期に入山していた。


その日、槍仙人は食事が終わると早々に部屋に戻って行った。代わりにトミーが食堂に残って私との時間を過ごした。二人の狙いは無料で飲み放題のお茶と暖かいストーブだった。そこはニ〇人も入れないような狭いところだったので、繁忙期にはどうやって客を回転させているんだろう、とトミーは不思議がった。私はそこはただの喫茶スペースで、本当の食堂は地下にあることをそっと教えた。


翌朝はもちろん六時前に起きて御来光を拝む事にする。

両手の指がちぎれそうなくらい寒いなかを三〇分近く粘っただけの事はあった。本当に素晴らしい御来光だった。





朝食と準備を済ませて山荘前で記念撮影。





私たちが装備を整え終えた頃、二人の仙人がまさに山荘前を出発するところだった。実は私の自宅の最寄り駅からたった二駅の街に住んでいた「亀仙人」の方が私の元にやって来て、ご近所同士これからも頑張ろうじゃないか、といった内容の言葉で私を激励した。二人の仙人は最後まで私のような若造にも気さくでとても気持ちのいいベテランハイカーだった。


カップル以外のハイカーがみんな出発してしまった〇八時ニ五分、私たちも後を追うように山荘を出発した。私の他とは違う変てこりんな装備に目をつけた山荘の若いスタッフにお褒めの言葉を頂きながら、私たちはその場を後にした。


先行したハイカーたち−二人の仙人とお爺さんと息子−全員が雪の積もった槍沢コースをつぼ足で下りて行ったってのに、私とトミーはどうにもつるつる足を滑らせてすぐに音を上げ、いそいそとアイゼンを装着した。そのコースはたぶん多くのハイカーが行き来したせいで雪が踏み固められた状態で凍結していて、少なくとも私たちにとっては稜線上よりも危険だった。久しぶり過ぎてアイゼンの着け方を忘れてしまった私が記憶を辿りながら格闘していると、私たちより後から出発したが始めからアイゼンを着けていたカップルの二人が私たちを追い抜いて行った。


〇九時一五分にヒュッテ大槍への分岐を通過。そこから少し行ったあたりで登って来たハイカー氏にその先にはもう雪がない事を教えてもらってアイゼンを外す。


水俣乗越の分岐で休憩していた仙人二人に最後の別れを告げ、一〇時四〇分にババ平、一一時〇五分には槍沢ロッヂを通過する。

行きでは雨に降られて気づかなかったが、青い空をバックに葉を黄色くしたカラ松が美しい。





一二時一〇分、横尾山荘前に到着。お爺さんと息子が休憩中だった。


これまた青空をバックに堂々と聳える横尾大橋。





横尾山荘の食堂を覗いてみるとメニューにラーメンというのがあって私は大いに興味をそそられたが、偉大なるトミーは「ラーメンはラーメン屋で食べるものです」と私の提案を即却下。


さらに五〇分ほど歩いて、行きと同じく徳澤園で昼食。

今度はカレー。八五〇円。





さらにプリン。五〇〇円。





最後にコーヒーで〆る。五〇〇円。


槍ヶ岳ハイキング/みちくさ食堂(徳澤園)・〆のコーヒー



ひき立てだからか、ハイキングで疲れていたからかは分からないが、そのコーヒーはとにかく美味かった。私がこれまでの人生で味わったどのコーヒーよりも美味かった。


そしてたっぷり五〇分ほど寛いだ私たちは一三時五〇分に食堂を出発し、一五時ニ〇分に相変わらず観光客の溢れる上高地のバス停に到着して、その素晴らしいミッションを無事に完了した。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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