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October 20, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

三年前、私がビジネスで青森に出かける事が決まったとき、私は「松見の滝」という、片道三時間以上を歩かなければ辿り着けない秘境の滝があるのを知り、その滝を見に出かける計画を立てたことがあった。インターネットで情報を収集する限り、そこに辿り着いた本当に数少ない人々は、そのスケールの大きな滝に一様に感動を覚えたようだった。

ところがなぜかその年、東北地方では山林に出かけた地元の人々が熊に襲われるという事故が相次ぎ、私は周囲の人々の反対に遭ってその計画を断念しなければならなかった。


山の中に足を踏み入れるとは言っても滝に至るコースは基本的に作業用の林道だ。当時の私はまだ登山を趣味としていなかったので、一人で三時間も山道を歩くというのはそれだけでとんでもない冒険のように感じられたが、いまの私にとってそんなのはもはや単なるちょっと長めのお散歩って感じだろう。ただ滝に行ってもつまらないので、少々寒いなか私が「滝に打たれている」証拠のビデオを録って来ることにして、多少の新しい情報収集と三年前の計画時の資料を元に作成した地図の用意を済ませた私は、投宿している弘前のホテルから十和田へと車で向かった。


弘前から十和田に向かうには八甲田の山域を走り抜けなければならなかったが、ちょうど紅葉シーズンでもありその界隈には全く迷惑な観光客連中が殺到していて私はイラついた。つまり奴らは平気な顔をして車道を占領して写真を撮っていたり、車から紅葉を眺めたくてノロノロ運転をしたりする。私は様々な方法で奴らを威嚇しながら道を急いだ。


十和田の温泉郷に入り、北側から一〇二号線へと進入するとまもなく右手に「株式会社コバヤシ十和田事業所入口」と書かれた標柱が現れるので、そちらにハンドルを切る。





ゲート前の駐車場には五台ほど車が停まっていた。小雨がパラつくなかそんなに多くの人々がその滝を目指しているというのはちょっと想定外だ。

私が車を降りて着替えなどしていると、ゲートから老夫婦が出て来て私の目を盗むようにこそこそと逃げて行った。何だ?胡散くさいやつらだな。


私が装備を整えてゲート前に立ったのは一〇時五〇分。うーん、八甲田でたむろしていたクソどものせいで予定よりかなり遅いが仕方ない。私の腰周りに色々とぶら下がる登山用装備では左手の「歩行者通用口」を通り抜けられないので、私は右手から柵を乗り越えて進入し、行動を開始する。





しばらくは右手に黄瀬川を見ながら平坦な林道歩き。





途中、雨合羽を着込んだ爺さん一人とすれ違う。もう滝を見に行って帰って来たんだろうか。


三〇分ほど歩くと吊橋。これは渡ってはいけない。

落書きの日付が何を意味するのかとても気になる。





吊橋からニ〇分ほどで三叉路に到着。こいつを右に折れるのが正解だ。インターネットで見かけた真っ直ぐ行ってしまったうっかり者は結構悲惨な目に会っていた。





この辺りで自転車のハンドルに鎌をぶら下げた爺さん一人とすれ違う。ゲート前で会った夫婦のように、私が挨拶をしてもこそこそと逃げるように去っていく。ははーん、あの鎌で山菜か何かをこっそり盗み取って来やがったんだな。


三叉路を折れてすぐ「黄瀬橋」という橋を渡る。





橋を渡ると少し傾斜が出て来る。

林道脇には立派なシダがこれでもかと生い茂っている。まるで(恐竜の住んでいた)白亜紀みたいだ。





スタートしてから一時間、そろそろ傾斜が急になって来てつらい。

この辺りで滝を見た帰りと思われる何人かのカッパ姿とすれ違う。私は暑がりなのでタンクトップだ。


ふと前から駆け足で降りてくる二人組がいたので私は思わず足を止めて道を譲った。六〇歳は超えてそうな夫婦と思しきカップルだ。足取りはしっかりしていて山慣れているようにも見える。トレイルランでもやってるつもりなんだろうか。

ところが二人をやり過ごしてまもなく同じようにカップルが駆け足で降りて来た。こっちはさっきの二人ほど歳は行ってなさそうだが二人ともまるで足の回転が下り坂の重力に追いついてないように見える。無様にこけてしまわないのが不思議なくらいだ。

結局彼らは四人グループで、バスか何かの時間にでも遅れそうになったんであんな下り方をしてたんだろう。私は、特に後ろの二人のどちらかが顔を地面にぶつけて鼻の骨でも折らないように祈った。


噂の「コバヤシゲート」には一二時ニ〇分に到着。





注意書きから察するに、やはり美味しいキノコか山菜の類が密生していて、こっそり盗っていくやつが跡を絶たないらしい。


ゲートから少し行ったところでマウンテンバイクに乗った若い男が向こうからやって来て私は驚愕した。ほぉ、このコースはそういう楽しみ方もあるのか。

だが地面はあまりにぬかるんでいて、彼はバイクを上手くコントロール出来ているとは言いがたかった。


その先に交互に現れるやや狭い道と開けた道を前進して行くと、色とりどりのレインウェアに身を包んだ四人組が向こうからやって来て、先頭を歩いていた私好みの年増女が私の姿を見て「あなた寒くないの?」と言って笑った。私は、自分が暑がりであるという事実を彼女に説明し、そして今から滝に打たれに行くところだ、と言いかけてやめた。さっきから思ってたんだが、滝に打たれるにはさすがの私と言えども今日は少々気温が低すぎるんじゃないだろうか。


松見の滝へは、いま歩いている林道のあるポイントで左に折れなければならない。事前に地図をよく見ていれば分かることだが、仮にそのポイントを見落として通り過ぎてしまった場合、すぐに大きく右に曲がるカーブが現れる事に私は注目していた。ゲートを過ぎてニ〇分ほど経った頃、前方にやや右に曲がるカーブが現れ、私は思わず立ち止まったが、まだ左折ポイントには到達していなかった。私のその判断はコンパスを持参していたからこそ自信を持って下せた判断だった。やはりこの三年近くの間に蓄積した私の登山経験は間違いなく有用だった。


「コバヤシゲート」から三〇分、ようやく左折ポイントに到着。結論から言えば、そこは見落としようがなかった。そこでは三〇人はいそうな団体が思い思いに木陰に隠れて雨を凌ぎながら昼飯を食っていた。私はそこに辿り着くことを夢見ていた三年という月日の間に、その滝が秘境でも何でもなくなってしまった事を理解して失望した。


まぁせっかくここまで来たんだから黙って滝を見に行くとしよう。そこから先は噂通り急な下りを笹を掻き分け掻き分けして下りて行かなければならない。笹の葉っぱが雨に濡れてるせいで、そこを通り抜けたとき私は帽子から靴の中までずぶ濡れだった。





もちろん雨でその急な下り斜面はぬかるんでいて、いくら山で鍛えてると言ってもそれだけ悪条件が揃えば苦戦を強いられる。

偉大なるハイカーである私ですら、そこを下りきるのに三〇分もの時間を費やした。


そしていよいよ滝とのご対面。





それは私が想像していた通りスケールの大きな滝で、私は感慨のあまり呻き声をもらした。ただ私はここに辿り着くまでに幾つもの山々を練り歩き、この世のものとも思えない素晴らしい絶景を見渡す機会に幾度となく恵まれて来た。三年前にそれを目にしていたなら、たぶん私はもっと感動していただろう。だが残念な事に、その滝の眺めは私が思っていたほど私の心を揺さぶるものではなかった。


ところでもう誰もいない河原に降り立つや否や、私は寒さのあまりレインウェアをバックパックから取り出して着込んだ。手首に巻いたベクターの温度計には一一度と表示されていた。滝に打たれるって?どこのどいつがそんなバカな真似をするんだい?

とにかくそこは寒かった。私は滝を眺めながら昼食代わりの大福餅を平らげ、手早く写真撮影を済ませると大急ぎで帰り支度に取りかかった。


例のぬかるんだ坂道を登りきると、三〇人の団体は跡形もなく姿を消していた。さっきは気づかなかったが、左折ポイントには立派な木の案内板がぶら下げられていた。





左折ポイントからニ五分で「コバヤシゲート」に到着。ゲートを越えた私は困惑のあまり呆然とした。行きでは全く気づかなかったが、そこはY字路になっていた。あれ?私はどっちの道から来たんだっけ?





結論から言うと正解は右だ。そこがY字路になってる事実は国土地理院発行の地図にも載ってない。そこでは九州の山々で鍛え上げられた、地面を注意深く睨みつけて正しい踏み跡を探し当てるスキルが役立った。分岐からニ〇ヤードほど先で見つけた例のマウンテンバイクのタイヤ痕が私の判断を決定づけた。


「コバヤシゲート」からニ五分で黄瀬橋に着く。行きは四〇分かかったが帰りは下り道だから速い。


黄瀬橋から駐車場までは四五分。その間は平坦なので所要時間は行きも帰りも大して変わらなかった。駐車場にはもう私の以外にただの一台も車はなかった。

私が相変わらず小雨の降る駐車場に着いてブルブル震えながら着替えを終え、車のシートに座ってほっと一息ついた瞬間に、地面に叩きつけるような雨が降り出した。私はもう少しで滝に打たれるのと同じくらいひどい目にあう処だった。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




October 19, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

今日は岩木山にハイキングに出かける事にする。手元のガイドブックによれば岩木山神社から山頂までの登り所要時間が四時間四〇分、下りが三時間一五分、往復でほぼ八時間とある。休憩その他まで考慮すると一〇時間程度は行動時間を確保しておく必要があるだろう。

大崩山のハイキングで散々な目にあった私はまじめに早起きして七時には岩木山神社を出発できるよう六時半にはホテルを出発した。


カーナビを睨みながら車を走らせていた私はふと車窓から見える岩木山を見て愕然とした。あれ!?山頂付近は雪で真っ白じゃないか!





紅葉など堪能するつもりで呑気な計画を立てていた私は全くの軽装しか準備していない。あれじゃ山頂まで行けないかもしれない。とんでもない事だ!


結局、神社の駐車場に到着したのは七時過ぎ。一般の観光客は何人かいるようだがハイカーは私一人のようだ。根性のないハイカーのなかにはスカイラインを走るバスで八合目まで登ってしまうようなのもいると聞く。そんなの山登りでも何でもないじゃないか。

着替えや小便を済ませて大きな鳥居をくぐった頃には既に予定の七時をニ五分も過ぎていた。鳥居からかろうじて見えるやっぱり雪の積もった山頂。





岩木山神社の境内まで階段を上がって左にそれ、砂利道を一五分ほど歩き、車道を跨いで芝生敷きの公園を突っ切る遊歩道を五分ほど歩くとスキー場のレストハウスにたどり着く。標柱の案内に従って従業員の通用口みたいなところを遠慮なくくぐり抜ける。





レストハウスを抜けると悠然とした岩木山の山容が一望できる。





砂利道を直進し、途中で左に折れて林の中に入るとまもなく登山口が現れる。八時ちょうどに到着。





そこからしばらくは本当につまらない山道歩きだ。

すぐに「七曲」の標柱が現れる。





つまらない、つまらない、と文句をたれながら登って行くと、三〇分ほどで「鼻コクリ」の標柱。





「鼻をこするほど」急な坂なので鼻コクリと言うらしいが、まるで口ほどにもないと言うか、その坂が「鼻コクリ」なんだったら世界中のエスカレーターが「鼻コクリ」だ。


その先で道の上にスズメバチを発見。しばらく睨み合ったが弱ってるのか何なのかまるで飛び立つ気配がない。

珍しいので記念にアップで撮影。





いつも私の快適なハイキングの邪魔をする憎たらしいやつなので踏み潰してやろうかと思ったが、別にこいつにハイキングの邪魔をされたわけではないので許してやる事にする。


「鼻コクリ」から三〇分ほどで「姥石」。女人禁制時代の名残だ。





男向けの登山道はちょっと険しい。





溶け残った雪が地面に散見されるようになった頃に「焼止りヒュッテ」に到着。時刻は〇九時四〇分。

夏山装備のハイカーは帰れ、と言わんばかりに立派な雪ダルマが置いてある。





ここまでの標準コースタイムが二時間四〇分。七時ちょうどに出発する予定だったから遅れは取り戻したって事だ。気分をよくして暫く休憩。

これまでは展望もクソもなくてちっとも面白くない山道歩きだったが、ヒュッテ前の眺めはなかなかだ。





そこから先は手元のガイドブックによれば百沢コースの「核心部」とされる大沢だ。

足元の悪い枯れた沢を登り詰めていく。





先人の踏み跡を頼りに滝になってる箇所は迂回しながら沢道を登る。

普段は枯れ滝らしいが、雪解け水が落ちて来る。





前半戦でそのコースのつまらなさにずっと文句をタれていた私を岩木山の神様はお見過ごしにはならなかった。

「大沢」はただでさえ険しいガレ道なのに、溶けた雪で岩が濡れて滑るので私は極度の神経戦を強いられた。何もヒントがなければどこをどう行けば安全なのか見当もつかないので、先人の踏み跡がなかったら私は諦めて帰っていたかもしれない位だ。





そして偉大なる先人の踏み跡を辿っているうちに、それは笹薮のトンネルの中を流れる沢そのものへと続いていたので、私は一度はそのトンネルへと進入しておきながら全く信じられない思いで、それが本当に正解である事を確かめるために引き返す事にした。

そのとき私はいつものように「信じられない!」「クレイジーだぜ!」と罵り声をあげながら引き返していたので、いつの間にか私に追いついていた後続のハイカーとトンネルの入り口で鉢合わせたときに恥ずかしい思いをした。





私がそのベテランの風格漂う初老のハイカーに、どうもこの足元を水の流れるトンネルをくぐって行かなければならないようだが、そいつは正しい道なんだろうか、と意見を求めると、彼は事もなげに「そうでしょう」と言ってすたすたと行ってしまった。

私はその回答にうんざりしたが、そのハイカーは頼もしく見えたので、彼と同じルートを歩いて行けばいいという事実に安堵感を覚えた。


私がトンネル手前で少しばかり休憩しているわずかなうちに、その野ウサギばりに俊敏な初老のハイカーは姿が見えなくなってしまったが、立派な踏み跡を残して行ってくれたので、私はそれをただ追跡した。


完全に「雪山」と化したコース上に続く立派な踏み跡。





そうは言っても踏み跡を辿って登っていくうちに、雪山用の装備を何も持たないで帰りにこの道を下って行くのはどうにも無謀な行為のような気がして来た。たしか八合目にバス停があったな。帰りはそっちに逃げようか。

そんな事を考えながら登っていたとき、澄み切った青空をバックに一人で下って来るハイカーを見つけて私は仰天した。ストックこそ持ってはいるが、その他は私の装備と大差ないじゃないか!


彼がいよいよ私とすれ違うとき、私は、本当にこの道を下って行く気か?と彼に尋ねた。私と同年代と思しきその爽やかなハイカーは笑いながら、そうだ、と答えた。ひゃー、何ともイカれたハイカーだぜ!

私は「そいつはすげぇ!」という思いを表す精一杯の反応をして見せて彼を見送った。何だよ、それじゃぁバス停の方に逃げちまったら私はまるでオカマみたいじゃないか。


一一時ちょうどに「種蒔苗代」に到着。完全に凍結している。





私は汗かきなのでタンクトップ姿でここまで登って来たが、雪山をバックにその格好で写真に写ったらいい記念になるじゃないか、と思い、荷物を下ろして三脚をセットしていると何組かの後続ハイカーが姿を現した。どうも神社前のバス停から登り始めた同じバスの連中らしい。

先頭を歩いていた若いソロのハイカーが私に声をかけて来たので、私は、まったく忌々しい雪だ、と言った。すると彼は火でもついたかのように彼がいかに苦労をしてここまで辿り着いたかを一気にまくし立てた。何でも東京からやって来た彼は、その日どうしても山に登りたくて、天気のよくない関東地方の山に見切りをつけて急遽、青森まで駆けつけたらしい。


私は、彼が随分と熱心なハイカーである事に敬意を覚えたが、彼は私に伝えたい事が多すぎて、それをずっと聞いていたタンクトップ姿の私は身体が芯から冷えてしまった。彼は実に三〇分ほど私に色んな話をしてから「では失礼」といった感じで先に行ってしまった。私は写真を撮る気力もなくして呆然とした。


タンクトップ姿を諦めて上に一枚着込んで山頂を目指す。避難小屋(鳳鳴ヒュッテ)の前でスカイラインを八合目までバスで登って来た連中が合流した。ほとんどはスニーカーとかローヒールなんかを履いた観光客くずれのような連中だった。彼らに前を歩かれるという事は私にとってハイウェイを自転車で横並びになって走られるようなものだった。そして普通のときでさえ邪魔な彼らが歩いているのは雪が積もった山道だった。


たぶんそいつらのせいでかなり時間をロスしているはずだが、一一時五〇分、山頂に到着。





雪に覆われた山頂は大勢の人々で賑わっていた。三〇人はいたと思うが私と同じコースを辿って来たハイカーは一〇人もいなかったろう。

腰を下ろすのによさげな所は全て先客に占領されていたが、一段小高く岩が積み重なった所の雪には足跡ひとつついてない。私が慎重に足元を探りながらその小高い岩場の一番快適な所まで歩を進めて陣取ると、これ幸いと何人もの見知らぬ連中がその足跡に続いて岩場に侵入して来た。


ここは私が一番始めに見つけた休憩スポットだぜ、って態度で、やつらの撮影の邪魔になろうがまるでお構いなしに、私は三脚をセットして思う存分に記念撮影。





澄み切った青空の下には右手の下北半島はおろか、遠く北海道の山並みまで見渡せる。こんな素晴らしい展望に恵まれたのは初めてだと言ってもいいくらいだ。

私は昼食や撮影がてら山頂で一時間以上ものんびり過ごしてからようやく重い腰をあげて下山にとりかかる事にした。


山頂直下の急坂は登りではそう気を使う必要はなかったが、そこを下って行くのはなかなか骨の折れる作業だった。アイゼンとまでは言わずせめてストックだけでもあれば少しは違ったかもしれなかったが、今さらそんな事を言っても遅い。

私はバランスをとりながら出来るだけ慎重にそろそろと下って行ったが、途中で思い切り足を滑らせ、身を反転してうつぶせの姿勢で雪を掴もうとしたとき、一番初めに着地した右手の親指一本で一瞬だけほぼ全ての体重を支える羽目になった。私の親指は通常とは反対の方向にぐにゃりと曲がった。こいつはマジで痛い!


今日から暫く右手では何も掴めない気がしながら避難小屋(鳳鳴ヒュッテ)前、種蒔苗代と通り過ぎ、一人の山ガールがこんな時間によたよた虫の息で登って来るのを見つけて全く信じられない思いで彼女を見送ってから先を急ぐ。

下りは常にいい眺めだが、足元が心配でそれどころじゃない。





登りでは気づかなかった錫杖清水(しゃくじょうしみず)。

真夏だったら早速にでも顔を洗って生き返った心地を味わうところだが今日はちっともありがたみがない。





行きでは積もっていた雪が日に当たってどんどん溶けてしまったんだろう、帰りは本当に川の中を歩いているようなものだった。

飛び石伝いにぴょんぴょん行って足を滑らせるくらいだったら私は堂々と水の中を歩く。





一四時三〇分に焼止りヒュッテに到着。相変わらずなかなかの眺めだ。





後はひたすら例の「つまらない」山道を下る。一五時四〇分に登山口に到着。

スキー場まで歩いて振り返ると、明らかに朝方よりも雪は溶けてしまっていた。





そして一六時ちょうどに神社前の駐車場に到着して私の岩木山ハイキングは終わった。


いつもならささっと車の中で着替えてしまうところだが、神社への参拝客の車が溢れている駐車場でそれをやるのも気が引けるので、私はたぶん車なんて殆ど停まってないスキー場の駐車場まで移動することにした。

駐車場から車道に出てふとバス停を見ると、例の東京から駆けつけたとても熱心なハイカー氏がバスを待っていた。私は今度は彼に見つからないようにそそくさとその場を後にした。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




October 18, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

青森にやって来たついでに今日は OFF にして、駅前でレンタカーを借りたら津軽海峡経由のドライブとしゃれ込む事にする。


昼過ぎに現地に到着。早速「津軽海峡亭」というそのままの名前の食堂で腹ごしらえだ。海峡丼、一五〇〇円。





光輝くイクラ。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/津軽海峡亭]


腹も膨れたところで龍飛岬まで移動する。

駐車場に車を置いて坂道を展望所まで上り詰めると素晴らしい景観が広がる。





だが北海道を望む方角には目障りなレーダー基地がある。

当然ながら一般人は入れない。





人がいないのをいい事に三脚を立てて記念撮影。

もちろんカモメを見つめながら泣いている事が重要だ。





まだシーズンではないので凍えそうにしてるのは一羽もいなかった。


車ですぐの所に例の歌の歌碑がある。





手前の赤いボタンを押すと例の歌が大音量で流される。ただし歌詞に地名が出て来ない一番はすっぱりカットされている。

先客の老夫婦が聞き終わってその場を後にしてから、改めてボタンを押して一人静かに聞き入る。何気に「あー」だけでニ小節稼いだ阿久悠は偉大だと感心する。


すぐ近くに「青函トンネル記念館」というのを発見。まるで予定にはなかったが飛び入りで入場する。





ちょっとした展示物で青函トンネルを開通させた先人たちの苦闘の歴史を勉強し、それからケーブルカーに乗って実際に一四〇メートル地下にある「作業坑」まで下りていく。

「作業坑」とは作業員がそこを通って作業現場に向かうために掘られた坑道だ。たぶんトンネルなんて本番用を一本掘って終わりだと誰もが思っているだろう。実際には一般人が列車に乗って通り抜けるトンネルは三本あるうちの一本に過ぎない。


ケーブルカーの終点からはガイドの女性の誘導に従って徒歩でトンネル内を散策する。

スタート地点はこんな感じ。





散策コースにも所狭しと先人の苦闘を偲ばせる数々の展示物が現れる。





トンネルひとつ掘り終えるのに決して安くない代償が支払われた事実に思わず足を止めてしまう。





そして明日の岩木山ハイキングに備えて弘前の宿泊先へ。

ディナーはインターネットでは評判のいい「しぶたに」でチャーシュー麺。





店は年増の女将が一人で切り盛りしていて、女将は私好みだったがチャーシュー麺はインスタントラーメンとそう変わらなかった。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/しぶたに]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




October 17, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ビジネスのために青森までやって来た私は、いつものようにそいつをさっさと済ませて三年ぶりに「おさない」でディナー。

全く何度目にしても美しいほたてフライだぜ!





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/お食事処おさない]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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