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September 23, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

九州に於ける初めての登山となる大崩山でのハイキングでは散々な目にあった私が、次に選んだのは祖母山だ。例の百選にも名前が挙がっている事から知名度こそ高いのかもしれないが、当たり前に登り下りしても、その難易度は私の一方的な基準に照らし合わせると「中の下」といったところだろう。

延岡に宿泊している私に最も都合がいいと思われる北谷登山口からのいくつかのコースを検討した結果、比較的難易度が高いとされる「風穴コース」で山頂に達してから障子岳や親父山を経由して黒岳まで縦走し、そこから登山口目指して下山するコースなら歩きごたえがありそうだ。ガイドブックに記載された標準コースタイムを元に、所要行動時間は最大でも九時間ほどと見込んだ私は、八時に登山口を出発できるように七時前には延岡を出発した。


途中、ガソリンが切れかかったりして、結局、登山口に至る林道の入り口に着いたのは八時少し前だった。林道に進入してニ〇分も車を走らせると、路肩に車を止めて山登りの準備をしている初老の男がいた。何だってこんなところに車を止めてるんだ?

私は車を止めて窓を開け、登山口の駐車場は満車なのか?と聞いた。男は空いていると言う。そうですか、なら何だってあんたはこんなとこに車を止めてるんだ?とお聞きしたいのを我慢して、礼を言ってさらに進もうとした私は、すぐにそこが黒岳に続く登りコースの入り口である事に気づいた。それはつまり夕方には私がそこに帰って来るべき地点なんだが、男は黒岳のピストンにでもチャレンジするつもりだろうか?


登山口の駐車場に着くとそこは広々としていて、先客が五台ほど停まっていたが、私の車をそこに停めるのに何の支障もなかった。車を降りて一通り周囲をブラブラ歩き回っているときに見かけた、「千間平コース」はともかく「風穴コース」は安易に登るな、といった趣旨の案内書き。





私が着替えを済ませて準備運動をしているそばから、服装からして大して山慣れているようにも見えない若いカップルが「千間平コース」を登って行った。ふむふむ、無理はしない方がいいね。登って行ったと思ったら男の方が忘れ物を取りに戻って来た。何だって九州のハイカーの連中はどいつもこいつも駐車場に忘れ物をして出発するんだ?


さらに私が脚のストレッチなどしていると、駐車場の手前に車を止めていた例の初老の男が足袋姿で「風穴コース」の方へと歩いていった。うへー、って事は彼も私と同じ周回コースを辿るって事か?しかも足袋を履いて?

思えば心なしかその足取りや無駄のない身体の動きからもベテランの貫禄を感じさせる人物だった。私は彼に無断で、彼の事を「仙人」と名づけた。


〇八時四〇分、駐車場の少し先の「風穴コース」入り口から行動開始。





雲ひとつないとは言わないが予報通りまずまずの好天だ。


気分よくスタートを切った私は踏み跡を頼りに進んで行って沢を渡り、そして早速踏み跡を見失った。くそったれ!何で九州のハイカーどもは所構わずニセの踏み跡をつけやがるんだ!?


大崩山と違って周囲を見渡してもニセのテープはない代わりに本物のテープもまるで見当たらない。必然的に地面を睨み付けながら先人の踏み跡を頼りに正解のルートにたどり着くしかないが、私がその付近で見つけた踏み跡やそれらしき痕跡は全てまがい物だった。素直に沢を渡り返し、限りなく入り口近くまで戻ってやり直す事にする。


戻りで記念に撮っておいた肥溜めみたいなセメントの器。踏み跡を辿って行って脇にこいつが出てきたら「ハズレ」。





正解の渡渉地点にはちゃんと分かりやすい目印がある。ここで無駄にした時間はニ〇分。





そこからは暫く平和な山歩きだ。どこかの山と違って案内板や正しいテープが頻繁に現れて心強い。


風穴手前の案内板にたどり着いたのは〇九時四五分。ロスタイムを考慮するとほぼ標準コースタイム通りのペースだ。





ハシゴを登ると風穴の入り口がある。単なる風の通り道かと思っていたら、れっきとした洞窟らしい。




面白そうじゃないか。早速パックを下ろしてシュアファイヤーを取り出し、中に入ってみる。


狭い洞窟の入り口をゆっくり一段下りてみると、暗闇の中に斜めに下って行く滑り台のような岩があって、とんでもなく頼りないトラロープが一本その暗闇の中へと垂れている。シュアファイヤーで照らして見てもその先がどうなってるかなんて全く見えない。

もちろん私はそそくさと外に引き返した。


「風穴」から先は笹薮を切り開いたような道が続く。そいつを三、四〇分も歩くと稜線に乗り上げる。その手前で最後に登りが急になって来たところで四人組のハイカーがもたついている現場に出くわす。

四人のうち一人は私と同じ年代くらいだろうか。あとはみんな老人だ。その若いハイカーが私に気づいて道を開けるようにメンバーに指示を出すと、全員が敏速に道を開けてくれた。統率のとれたパーティーというのは見ていて本当に清清しい。


稜線に乗り上げると視界が開ける。さらに一五分ほど歩くと、主に東側がすっぱりと切れ落ち展望に恵まれた「二面岩」だ。さっきの四人組に追いつかれるまで一五分ほど小休止。





ただし二面岩からちょっと山頂方向に歩いた先には小広場があって、わざわざ二面岩によじ登って少々危ない思いをしながら景色に見入らなくても、そこでなら安全に、二面岩から見るのと全く同じ景色を堪能できる。


さらに一〇分ほど歩いてあっけなく山頂に到着。





時刻は一一時一〇分。

ガイドブックによれば登山口から山頂までの標準コースタイムは二時間四五分とあったが、一番始めのロスタイムと風穴や二面岩での寄り道を考えると、実質的な歩行時間は二時間足らずといったところだ。いい調子じゃないか。

時間に余裕が出来ていい気分になったところで早めの昼食。山頂にはアマチュア無線の使い手や四、五人組のグループに混じって「仙人」の姿もあった。「仙人」はグループのハイカーたちに何か質問をされたらしく、いかにも仙人らしい鷹揚な態度で彼らに何事かをレクチャーしていた。

昼食のおにぎりを平らげた私は、彼らの姿が写り込まず、逆光にもならず、そして絵になるスポットを見つけると手早く三脚をセットして記念撮影をし、一一時三〇分にはそこを後にして早々に周回コースへと向かった。ここまではただの足慣らしに過ぎない。さぁ、いよいよここからが本番だ。


障子岳方面へと続くコースはザレ場下りから始まった。その後ハシゴやロープのかけられた急峻な岩場を下って行くが、何だったら私はそれらを使わなくても下りていけそうな感じだった。大崩山のツルツル岩に比べれば、それらの登り下りは全然たやすい。

途中、ハシゴ場に差し掛かったところで下から登って来る一人のハイカーがいて、私は道を譲った。少々身体の大きなそのハイカーはパックの負い紐にGPSまで括り付けていて、それなりにベテランのハイカーにも見受けられたが、完全に息があがっていて、私が一声かけても返事が声にならない様子ですらあった。

一般コースを登って来てこのざまなんだとしたら、ただ身体が重たいだけのうすのろハイカーという事になるだろう。でもひょっとすると彼は私が今から辿ろうとしている周回コースを私とは逆回りしてここまでたどり着いたのではあるまいか。だったらスタミナを使い尽くしていたとしても何の不思議もないし、むしろ敬意を表するべき素晴らしいハイカーだ。私は彼の辿って来たコースが気になったが、本人はとても尋問できる状態ではなかったのでそのまま後姿を見送るしかなかった。


さらに行くと、またしても笹薮を切り開いた風の道に変わった。前方に何かいるな、と思ってそちらに歩いていくと、驚いた事に例の「仙人」がコース脇の木を背もたれにして、私の通り道を横切るように堂々と足を投げ出してカレーを食っているところだった。何てこった!やつは一体いつの間にこんなとこまで来てやがったんだ?

そんな事よりも、やはり「仙人」も私と同じコースを辿るつもりでいる事が明らかになった。そのコースを選ぶハイカーなんて一人もいないだろう、と高をくくっていた私にとって、それは安心感を得られると同時に少々残念な知らせでもあった。ハイカーにとって、誰にも邪魔されずに大自然を独り占めしながら歩くってのは気持ちのいいもんだからな。

それにしたって昼飯にする場所のチョイスも只者でなければ、そこで「カレー」を食ってるってのも凡人ハイカーとは一線を画している。初めて見たときから薄々感じてはいたが、やっぱりやつはとんでもない爺さんだぜ!私は「仙人」に軽く会釈だけすると、彼の足を遠慮なく跨いで先を急いだ。


それから五分もしないうちにひょっこり現れた曰くありげな案内板。





何だ?そんなものガイドブックには載ってなかったし、インターネットで事前に情報を集めていたときにもそんなのは見かけなかったぞ?だが「展望台」とこれ見よがしに書かれてしまっては素通りするわけにも行かない。

結論から言うと、その「展望台」の案内板は残りのコース上でも何度か現れた。そしてその度に私はコースを外れ、往復一〇分から一五分ほどかけて律儀にそれを見に行った。そしてどの「展望台」でみた景色も、山頂で見た景色と大して変わらなかったので、私はその度にムカついた。


黒金コースとの分岐には一二時三〇分に到着。





何度もくだらない寄り道をしている割には、標準コースタイム通りに進んでいる。


さらに五分も歩くと現れる「天狗岩」への道のりを示す案内板。





見方がよく分からなくて暫く悩む。

そこから一〇分ほどかけて「天狗岩」のてっぺんと思しきところまで登って、それまでに見たのとさほど変わらない景色に失望して早々に縦走路に戻る。

ところで天狗岩に登るのは「危険だ」というハイカーがいるようだが、何が危険なのか私にはちっとも分からなかった。それってひょっとして私は最後までちゃんと登らないで、楽なところだけ歩いて途中で引き返して来ちまったって事かい?次の機会があったらもう少しちゃんと情報を収集してから行くようにしなければ。


コースに戻って途中の天狗岩がよく見えるスポットでセルフ撮影などしながら一〇分も進むと素晴らしい展望の岩場が現れた。私は荷物を下ろしてベビースターをパリポリつまみながら絶景を独り占めできる幸運を神に感謝したが、私の行き先である「障子岳」と思しき山がまだまだ遠くにある事に気づき、かなり大きな声で毒づいた。

すると私が歩いて来た道からひょっこり「仙人」が姿を現したので、私は少し恥ずかしい思いをした。


岩場からの展望。現地で見たときデコボコの山は大崩山だと思っていたが、実は傾山らしい。





「仙人」に丁重に挨拶をして先に出発。そこから一〇分ほどで、今度は「烏帽子岩」の案内板。





こっちはてっぺんまで五分もかからない。


「烏帽子岩」から眺める祖母山の山頂。





縦走路まで戻って一〇分もかからないうちに障子岳山頂を囲む鹿避けのフェンス前にたどり着く。





率直に言って今回は事前の情報収集がかなり甘かったとしか言いようがない。このフェンスの存在すら知らなかった私は、フェンスの外に踏み跡がないかを探し回るという無駄な作業に没頭する羽目になった。もちろんそんなものはどこにもない。

元に戻ってよく見るとフェンスの扉は施錠されてるわけではなくて、緑の紐でフェンスに結び付けられているだけだ。私は「ははーん」と閃きそこからフェンスの中に侵入した。

それにしても、その緑の紐は前に通ったハイカーが結んだものなんだろうが、必要以上に複雑な結び方をしていたので、そいつが私の前に姿を現したら、私は「おい、お前。相手は鹿だって分かってんのか?」と一言言わずにはおかなかっただろう。


一三時五〇分、障子岳山頂に到着。木々の隙間から祖母山も見える。





五分ほど休憩してすぐに行動開始。


親父山への縦走路は、基本的には笹薮を刈り払っただけの道だが、一部に有志の人々がコースの整備に着手し、そしてすぐに諦めたような痕跡もある。

足をとられるだけでちっともありがたくない整備跡。





とは言えアップダウンは殆どないので、まだ体力を消耗していない私には概ねとても快適なコースだ。


障子岳山頂から噂に聞く米軍機墜落地点までは一五分ほどの距離だ。





たしかに下り側の斜面の木々は何者かになぎ倒されたように見えるが、それが墜落機の仕業かどうかは分からない。


親父山には一四時ニ〇分に到着。障子岳からは二五分といったところだ。

味も素っ気もない山頂。





素通りして先を急ぐ。


親父山から黒岳までのコース上に、行く手を遮るように二つの巨岩が落ちている事は事前にリサーチ済みだ。

親父山から一五分、まずひとつ目が現れる。





左側に回り込めばロープがかけてあるので、そいつを使って乗り越える。


乗り越えたらすぐにふたつ目。右側に回りこめば抜け道がある。





正面にロープがかけられているが、見上げてみると何とも頼りない枯れ木の切り株にかけられているので私は遠慮する。





岩の横を通り抜けて五分も行けば下山道(北谷登山口)への分岐が現れる。





もちろん少し先まで歩いて「黒岳」の山頂に立ち寄る。

ロープを登り、ちょっとした藪を漕いで進んで行くと五分ほどで黒岳山頂だ。





写真だけ撮ったらさっさと分岐まで戻る。この先は国土地理院の地図にも取り上げられてない「裏コース」だ。今日のハイキングの中で最も注意を要する行程だ。

分岐を登山口側に入ると、まず分かりやすいやり方で正しい下山コースへとハイカーを導くリボンとロープが現れる。





それらに従って進んだハイカーを待ち受けるのは「藪漕ぎを要する」急な下り道だ。どれくらい急な下り道かというと、残念ながら写真ではその急な下りっぷりを伝えられない。





とにかくなかなかお目にかかれない程度に急な下り道だが、私は気力にも体力にも何の心配もない最高のコンディションでいまここに立っている。どんな難関でも私の全ての知性と技術を以って越えてみせようじゃないか。

笹ってやつは本当に想像を絶するような繁殖力で山道だろうが何だろうが所構わず生い繁る全く苛立たしいやつらだが、とにかく引っ張っても簡単には抜けないので場所と条件によってはこの上なく頼りになる「ホールド」になる、というのが、私のこれまでの山歩きの経験を通して構築されたセオリーだ。こんな急な下り坂にわんさか生えてるなんて「どうぞ私たちを好きなだけ掴んで下りて行ってください」と言ってるようなもんじゃないか。


私は早速、右手で笹を掴んで左足を大きく前に一歩踏み出し(その方が右足を出すよりも次のステップで遠くにある笹を掴む事が出来るからだ)、今度は左手で笹を掴んで右足を踏み出すという動作でこの下り道を踏破する事を決断し、機械のような正確さでその動作を実践し、顔色ひとつ変えずに実に安定したフォームでそれを繰り返しながらずんずんと道を下り、足を滑らせて尻もちをついた。

「尻もちのつきどころが悪かったので」私は経験した事のないような痛みを尻に感じて、山中に響き渡らんばかりの声で「くそったれ」と言った。


あまりの尻の痛みに顔を歪めながら、私はもう一度そのやり方で道を下り始めた。私は尻の痛みに耐えながら、そのやり方を一時間続けてでも下り切る覚悟だったが、「藪漕ぎを要する」急な下り道はほんの一〇分で終わったので拍子抜けした。


そこから先はひたすら枯れ沢のようなザレ場を下る。要所には案内プレートが木の幹にくくりつけてあるほか、コース上には適宜ケルンが積まれているので、テープと合わせてよく確認していけば道迷いの心配はないだろう。

終盤になると何度か沢筋を離れて沢沿いにつけられた道を歩き、渡渉を繰り返して最後は笹ヤブの中を走る踏み跡を辿る。

一六時ニ〇分、林道に到着。





「仙人」の車は、もうそこにはなかった。私があちらこちらに寄り道している間に私を追い抜いてさっさと帰ってしまったらしい。


駐車場までたどり着くと、そこには私の車以外に一台の車すらいなかった。周回コースをとったのは私と「仙人」くらいだろうから、それも不思議な事ではなかったろう。普通に登り下りするだけなら、技術的にも時間的にもそれほど大変な山でもない。





私はうららかな日差しの中、私のほかには誰一人いない駐車場でゆっくりと着替えを終え、車の助手席に座ってダッシュボードの上に足を投げ出しながら「ベビースター」の残りをパリポリと平らげ、そのまま暫く目を閉じて鳥の鳴き声や風の音に耳をすまし、それに満足すると車のエンジンをかけてその場を後にした。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。
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