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September 25, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

鹿児島でのビジネスを昨日のうちに終わらせた私は、今日はOFFにして開聞岳に登る事にする。

開聞岳は例の百選にこそリストアップされてはいるものの、標高は一〇〇〇米にも満たないばかりか登山コースは一本しかない。あまりにも簡単に登れてしまいそうな事実に対するせめてもの抵抗として、一般的な二合目からの登山ではなくちゃんと一合目から登る事にしよう。

照國神社近くのホテルから登山口まではだいたい車で一時間といったところだった。まずは多くのハイカーがそこに車を停めるであろう二合目手前の駐車場まで行き、小便をすませてから中学校の脇にある一合目の標柱まで戻る。車は例によって「そこに停めても誰にも怒られなさそうな」ところをセンスよく見つけて停めさせてもらう。


着替えを済ませたら歩いて一合目の標柱まで移動し、いよいよハイキングスタートだ。





時刻は一〇時五〇分。通常ならありえないスタート時間だが、開聞岳に限っては手元のガイドブックによれば二合目からの登りの標準所要時間がニ.五時間、下りは二時間だ。一合目から二合目の往復時間を加算しても私の行動時間が六時間を越える事はないだろう。


クソ暑い車道を五分も歩くと二合目駐車場に向かう車道を右手に見送り登山者用の遊歩道に入る。





遊歩道の途中にもトイレがあったので念のために立ち寄り、最後の一滴まで搾り出してから二合目へ。


一合目をスタートしてから、放尿に要した時間も含めて僅か一五分で二合目に到着。

想定してたのよりあまりにも近い。





二合目からは暫くありきたりな登山道が続く。木々に遮られて基本的に展望はない。

一五分ほど歩くと三合目。





三合目を過ぎたあたりで早速二人組みのハイカーに抜かれる。健脚そうなハーフパンツの男とその連れの男といった感じの二人組だ。年のころは六〇そこそこってとこだろうか。


その先で見かけた、岩の上に置いて行かれた靴底。





二つ同時に剥がれたって事か?楽しい想像は膨らむ。


三合目から一五分で四合目。




この辺りでも次々と後続のハイカーに抜かれる。クラブ活動のトレーニングにでもやって来た風の学生らしき若い男四人組と、ソロのハイカー二人ほどだ。

基本的に私は登山道で前のハイカーを抜き去る事はあっても、私を抜いて行くハイカーというのはあまりお目にかからない。なのにこの山ではさっきから私は抜かれる方専門だ。何だってこの山にやって来る人々はそんなに足が速いんだ?


だいたい一五分単位で一合ごとの案内板が現れるので、そろそろ五合目かな、と思ったあたりで、最初に私を追い抜いて行った二人組に追いつく。どうやらハーフパンツでない方の男の足が早くも音をあげたようだ。たぶんハーフパンツのペースに合わせて無理をしてしまったんだろう。

ハーフパンツの方も少しペースを加減してやるべきだったんだろうが、まぁ最終的には山ではどんな泣き言も通用しない。


予想通り四合目から一五分で五合目の案内板と、それからちょっとした休憩所みたいなスペースが現れた。





そこは展望台のようになっていて、私を抜いて行ったソロハイカーのうちの一人がちょうど休憩している所だった。五〇歳には満たないと思われる見るからに体力の塊のようなそのハイカーは、私がアクエリアスなど飲んでると話しかけて来て、彼が登山口から車で三〇分足らずのところに住んでいる鹿児島県民である事が判明した。

この山には何度も登ってるのか、と聞くので、私は東京に住んでいてビジネスのついでに今回初めてこの山にやって来た事を説明すると、彼は私とは違って登山が趣味なわけではなくて、ただ体力作りのために毎週登りに来てるのだ、と答えた。道理であんなスピードでも涼しげな顔をして登って行けるわけだ。

私は、あなたはそれ以上体力をつけなくてもいいでしょう、と答えた。


彼は最後にこの先のコースについて私に簡単な説明をしてくれてから山頂へと向かった。つまり山頂の展望はあまり彼好みではない事、七合目だか八合目だかの展望スペースは海が見渡せて彼好みである事、そこでは空気が澄んでいれば屋久島まで見える事、などだ。へぇ、そいつは素晴らしい!


五分ほど休憩してから出発。まもなく正午だ。休憩している間に二人組のハーフパンツの方が私を抜いて行った。どうやら相棒を置き去りにして前進する事にしたようだ。

きれい事を言うつもりはないが、あんまり一緒に登りたくないタイプだ。


そこを出て割りとすぐ見かけた、またしても底が剥がれた靴。





なぜこの山にやって来るハイカーは靴の点検という当たり前の事を前の日にやらないのだろう?


五合目から六合目も、六合目から七合目もだいたい一五分だった。

七合目の先で見かけたマダラチョウ。





七合目から五分ほどで親切なハイカー氏が教えてくれた海の見える展望台が現れた。なるほど、たしかに屋久島や種子島が見えると案内図にも書いてある。





残念ながら今日は氏のおっしゃる「空気の澄んだ日」ではないようだ。





山伏がこもったとか言う仙人洞は素通り。

七.一合目から八合目、八合目から九合目もやっぱりだいたい一五分。


九合目を越えると次第に展望が開けて来る。





登りも徐々に厳しくなって来て、木段を登ったり、ちょっとした岩場登りにも挑戦しなければならない。

この辺でハーフパンツ氏に追いついた私は、ハーフパンツ氏がそれらをゆっくりとやり終えるのを後ろで待つ。彼は明らかにバテてしまってるように見える。


一三時一五分、山頂に到着。一合目から登り始めても二時間半かからなかった。


山頂はニ〇人を越える人々で賑わっていた。親切なハイカー氏は、私を驚異的なスピードで追い抜いていった若者四人組と談笑していて、私を見かけるとこちらにやって来た。私は、屋久島が見えなかったのは残念だけど秋から冬にかけて来たらさぞ絶景でしょうね、と言った。

氏は私と少し会話をして四人組の方へと戻って行った。私はひとまず岩場の一画を占領し、荷物を下ろすと同時に汗でびしょ濡れになったシャツを脱いで日にあて乾かす事にした。

半裸で岩に腰かけおにぎりをパクついていると、私がそうしているのを見たからかどうかは知らないが、若者四人のうちの一人もシャツを脱いで半裸になった。いかにもアスリートといった風に無駄な脂肪が一オンスもついてないバッタのような身体をした若者を見て、私も昔はあぁだったのに、と過ぎ去った無情な時間に私は思いを馳せた。


いつもなら適当に記念撮影でもしてさっさと下山するところだが、狭い山頂に人が多すぎて私の気に入るような記念写真が撮れそうになかったので、私は彼ら全員が下山するまで粘る事に決めた。私が最後に山頂に着いたんだから私が最後まで山頂に居座るのは当然の事だ。そうだろ?

そして一人また一人と下山して行き、例の親切なハイカー氏も四人組と一緒に下山の準備を始め、それから四人のうちの一人のスマートフォンを持って私の方にやって来て、写真を撮ってくれないか、と私に頼んだ。

私はハイカー氏が五合目で私にそうしたように山頂でも見知らぬ四人組にフランクに話しかけて仲良くなったもんだとばかり思っていたが、どうやら彼らは元々知り合いらしかった。私は頼まれもしないのにいちいちアングルを変えて四、五枚撮影し、スマートフォンを持ち主の若者に返した。彼らは私に礼を言って山頂を後にした。


私を含めて山頂には三人しかいなくなった頃に、私を追い抜いていったもう一人のハイカーが私が占領していた岩場の方にカメラを片手にやって来た。年季の入った皮製の登山靴に短パン姿で、日に焼けた太い腕がタンクトップから覗く何やらマッチョなハイカーだ。年は私とそう変わらなそうだ。

私が占領していた岩場は周囲より一段高く、そこからは海側がとてもよく見渡せたので、彼はそこで写真が撮りたいんだろう、と私は快く場所を譲った。さぁ、さっさと写真を撮ってすぐにでも山を下りてってくれ。

するとそのマッチョなハイカーは私に何やら話しかけて来たので、私はそれに適当に応じたのだが、話の流れで私がつい先日「大崩山」に登った話をした途端に彼の何かにスイッチが入った。彼は突然わざわざ自分のパックを持って来てスマートフォンを取り出し、私に見せるためにそれに保存された取っておきの写真を探し始めた。


彼の事は「ホワイトベアー」という仮の名前で呼ぶ事にしよう。「ホワイトベアー」は福岡から仕事の休みを利用して車を飛ばしてここまでやって来た、と言い、九州の山はあらかた登ってしまって今日はついに一番遠い「開聞岳」まで駆けつけたのだ、と言った。そしてそんな彼にとって「大崩山」は一番お気に入りの山だった。

私が東京から来ていて、これから鹿児島市内のホテルに戻る事を伝えると、彼も鹿児島市内に寄り道をしてそこで夕食をとるつもりだ、と言う。私たちは知り合って三〇分も経たないのに今日の夕食を一緒にとることで合意した。


一時間以上「ホワイトベアー」と話し込んでいるうちに山頂にはほかに誰もいなくなってしまった。「ホワイトベアー」は着替えがてら二合目の駐車場近辺にあるとか言う登山者用のシャワーを浴びたい、というので先に下山してもらい、私は一人で心ゆくまで記念撮影にしゃれ込む事にする。

「ホワイトベアー」は印象深いセルフ写真を考案するセンスに長けたハイカーで、私は彼が下山する前に私にカメラを渡して私に撮らせた写真の構図とポーズのアイデアをそのまま失敬した。ただひとつ違ったのは、私は山頂に着いてからずっと半裸だった事だった。





半裸でポーズをとってからシャッターのタイミングを確認するためにカメラのランプを振り返ると、今ごろ山頂に着いたどこかの四人組のハイカーが私を見て笑っていた。


一五時に下山開始。

歩き始めてまもなく一人の初老のハイカーが登山道に大の字になって寝そべっているのを発見。山頂を目前に暑さのせいか何かで歩けなくなったらしい。

社交辞令で一声だけかけておいて先を急ぐ。私は実力に見合わない登山に挑んでしまったハイカーに対して徹底的に冷酷だ。その後ヘリコプターが飛んでいたので彼を拾い上げに来たのかもしれない。


時折現れる滑りやすい砂利道に悪態をつきながらも脇目もふらずに登山道を下る。二合目には一時間で着いたが「ホワイトベアー」には追いつけなかった。


その後、私たちは合流し、それぞれの車で、海の向こうに美しい三角錐の開聞岳を望めるという「番所鼻」に向かう。





やはりこの山は秋から冬にかけてが狙い目のようだ。


せっかくなので夕陽を鑑賞してから鹿児島市内へ。





まず「ホワイトベアー」が私を連れて行ったのは「ざぼんラーメン」。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/ざぼんラーメン 与次郎店]


だが彼が鹿児島市内に立ち寄りたかった本当の理由はこっちだった。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/天文館むじゃき]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。







September 24, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

延岡から宮崎市内に戻った私は、午後の鹿児島でのビジネスに備えて特急列車に飛び乗る前に「さといも」で早めのランチだ。

特製大盛、七五〇円。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/らーめん本舗さといも]


特急列車の車窓からぼーっと海の方を眺めていたらピラミダルな山が見えて来たので、明日登るつもりの開聞岳かと思っていたら、突然山腹からもくもくと煙が上り出して私は唖然とした。

なまじ開聞岳を知ってる県外のハイカーは、私と同じ間違いを犯しても全く不思議ではないと思う。つまりどっちの山もスタイル抜群で「美しい」。


ビジネスを終わらせて夕食に向かう頃には夜の一〇時を過ぎていた。豚とろと迷ったが、新しい店も開拓してみようと「小金太」へ。





美味いラーメンだと思うが比べる相手が悪かった。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/ラーメン小金太]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 23, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

九州に於ける初めての登山となる大崩山でのハイキングでは散々な目にあった私が、次に選んだのは祖母山だ。例の百選にも名前が挙がっている事から知名度こそ高いのかもしれないが、当たり前に登り下りしても、その難易度は私の一方的な基準に照らし合わせると「中の下」といったところだろう。

延岡に宿泊している私に最も都合がいいと思われる北谷登山口からのいくつかのコースを検討した結果、比較的難易度が高いとされる「風穴コース」で山頂に達してから障子岳や親父山を経由して黒岳まで縦走し、そこから登山口目指して下山するコースなら歩きごたえがありそうだ。ガイドブックに記載された標準コースタイムを元に、所要行動時間は最大でも九時間ほどと見込んだ私は、八時に登山口を出発できるように七時前には延岡を出発した。


途中、ガソリンが切れかかったりして、結局、登山口に至る林道の入り口に着いたのは八時少し前だった。林道に進入してニ〇分も車を走らせると、路肩に車を止めて山登りの準備をしている初老の男がいた。何だってこんなところに車を止めてるんだ?

私は車を止めて窓を開け、登山口の駐車場は満車なのか?と聞いた。男は空いていると言う。そうですか、なら何だってあんたはこんなとこに車を止めてるんだ?とお聞きしたいのを我慢して、礼を言ってさらに進もうとした私は、すぐにそこが黒岳に続く登りコースの入り口である事に気づいた。それはつまり夕方には私がそこに帰って来るべき地点なんだが、男は黒岳のピストンにでもチャレンジするつもりだろうか?


登山口の駐車場に着くとそこは広々としていて、先客が五台ほど停まっていたが、私の車をそこに停めるのに何の支障もなかった。車を降りて一通り周囲をブラブラ歩き回っているときに見かけた、「千間平コース」はともかく「風穴コース」は安易に登るな、といった趣旨の案内書き。





私が着替えを済ませて準備運動をしているそばから、服装からして大して山慣れているようにも見えない若いカップルが「千間平コース」を登って行った。ふむふむ、無理はしない方がいいね。登って行ったと思ったら男の方が忘れ物を取りに戻って来た。何だって九州のハイカーの連中はどいつもこいつも駐車場に忘れ物をして出発するんだ?


さらに私が脚のストレッチなどしていると、駐車場の手前に車を止めていた例の初老の男が足袋姿で「風穴コース」の方へと歩いていった。うへー、って事は彼も私と同じ周回コースを辿るって事か?しかも足袋を履いて?

思えば心なしかその足取りや無駄のない身体の動きからもベテランの貫禄を感じさせる人物だった。私は彼に無断で、彼の事を「仙人」と名づけた。


〇八時四〇分、駐車場の少し先の「風穴コース」入り口から行動開始。





雲ひとつないとは言わないが予報通りまずまずの好天だ。


気分よくスタートを切った私は踏み跡を頼りに進んで行って沢を渡り、そして早速踏み跡を見失った。くそったれ!何で九州のハイカーどもは所構わずニセの踏み跡をつけやがるんだ!?


大崩山と違って周囲を見渡してもニセのテープはない代わりに本物のテープもまるで見当たらない。必然的に地面を睨み付けながら先人の踏み跡を頼りに正解のルートにたどり着くしかないが、私がその付近で見つけた踏み跡やそれらしき痕跡は全てまがい物だった。素直に沢を渡り返し、限りなく入り口近くまで戻ってやり直す事にする。


戻りで記念に撮っておいた肥溜めみたいなセメントの器。踏み跡を辿って行って脇にこいつが出てきたら「ハズレ」。





正解の渡渉地点にはちゃんと分かりやすい目印がある。ここで無駄にした時間はニ〇分。





そこからは暫く平和な山歩きだ。どこかの山と違って案内板や正しいテープが頻繁に現れて心強い。


風穴手前の案内板にたどり着いたのは〇九時四五分。ロスタイムを考慮するとほぼ標準コースタイム通りのペースだ。





ハシゴを登ると風穴の入り口がある。単なる風の通り道かと思っていたら、れっきとした洞窟らしい。




面白そうじゃないか。早速パックを下ろしてシュアファイヤーを取り出し、中に入ってみる。


狭い洞窟の入り口をゆっくり一段下りてみると、暗闇の中に斜めに下って行く滑り台のような岩があって、とんでもなく頼りないトラロープが一本その暗闇の中へと垂れている。シュアファイヤーで照らして見てもその先がどうなってるかなんて全く見えない。

もちろん私はそそくさと外に引き返した。


「風穴」から先は笹薮を切り開いたような道が続く。そいつを三、四〇分も歩くと稜線に乗り上げる。その手前で最後に登りが急になって来たところで四人組のハイカーがもたついている現場に出くわす。

四人のうち一人は私と同じ年代くらいだろうか。あとはみんな老人だ。その若いハイカーが私に気づいて道を開けるようにメンバーに指示を出すと、全員が敏速に道を開けてくれた。統率のとれたパーティーというのは見ていて本当に清清しい。


稜線に乗り上げると視界が開ける。さらに一五分ほど歩くと、主に東側がすっぱりと切れ落ち展望に恵まれた「二面岩」だ。さっきの四人組に追いつかれるまで一五分ほど小休止。





ただし二面岩からちょっと山頂方向に歩いた先には小広場があって、わざわざ二面岩によじ登って少々危ない思いをしながら景色に見入らなくても、そこでなら安全に、二面岩から見るのと全く同じ景色を堪能できる。


さらに一〇分ほど歩いてあっけなく山頂に到着。





時刻は一一時一〇分。

ガイドブックによれば登山口から山頂までの標準コースタイムは二時間四五分とあったが、一番始めのロスタイムと風穴や二面岩での寄り道を考えると、実質的な歩行時間は二時間足らずといったところだ。いい調子じゃないか。

時間に余裕が出来ていい気分になったところで早めの昼食。山頂にはアマチュア無線の使い手や四、五人組のグループに混じって「仙人」の姿もあった。「仙人」はグループのハイカーたちに何か質問をされたらしく、いかにも仙人らしい鷹揚な態度で彼らに何事かをレクチャーしていた。

昼食のおにぎりを平らげた私は、彼らの姿が写り込まず、逆光にもならず、そして絵になるスポットを見つけると手早く三脚をセットして記念撮影をし、一一時三〇分にはそこを後にして早々に周回コースへと向かった。ここまではただの足慣らしに過ぎない。さぁ、いよいよここからが本番だ。


障子岳方面へと続くコースはザレ場下りから始まった。その後ハシゴやロープのかけられた急峻な岩場を下って行くが、何だったら私はそれらを使わなくても下りていけそうな感じだった。大崩山のツルツル岩に比べれば、それらの登り下りは全然たやすい。

途中、ハシゴ場に差し掛かったところで下から登って来る一人のハイカーがいて、私は道を譲った。少々身体の大きなそのハイカーはパックの負い紐にGPSまで括り付けていて、それなりにベテランのハイカーにも見受けられたが、完全に息があがっていて、私が一声かけても返事が声にならない様子ですらあった。

一般コースを登って来てこのざまなんだとしたら、ただ身体が重たいだけのうすのろハイカーという事になるだろう。でもひょっとすると彼は私が今から辿ろうとしている周回コースを私とは逆回りしてここまでたどり着いたのではあるまいか。だったらスタミナを使い尽くしていたとしても何の不思議もないし、むしろ敬意を表するべき素晴らしいハイカーだ。私は彼の辿って来たコースが気になったが、本人はとても尋問できる状態ではなかったのでそのまま後姿を見送るしかなかった。


さらに行くと、またしても笹薮を切り開いた風の道に変わった。前方に何かいるな、と思ってそちらに歩いていくと、驚いた事に例の「仙人」がコース脇の木を背もたれにして、私の通り道を横切るように堂々と足を投げ出してカレーを食っているところだった。何てこった!やつは一体いつの間にこんなとこまで来てやがったんだ?

そんな事よりも、やはり「仙人」も私と同じコースを辿るつもりでいる事が明らかになった。そのコースを選ぶハイカーなんて一人もいないだろう、と高をくくっていた私にとって、それは安心感を得られると同時に少々残念な知らせでもあった。ハイカーにとって、誰にも邪魔されずに大自然を独り占めしながら歩くってのは気持ちのいいもんだからな。

それにしたって昼飯にする場所のチョイスも只者でなければ、そこで「カレー」を食ってるってのも凡人ハイカーとは一線を画している。初めて見たときから薄々感じてはいたが、やっぱりやつはとんでもない爺さんだぜ!私は「仙人」に軽く会釈だけすると、彼の足を遠慮なく跨いで先を急いだ。


それから五分もしないうちにひょっこり現れた曰くありげな案内板。





何だ?そんなものガイドブックには載ってなかったし、インターネットで事前に情報を集めていたときにもそんなのは見かけなかったぞ?だが「展望台」とこれ見よがしに書かれてしまっては素通りするわけにも行かない。

結論から言うと、その「展望台」の案内板は残りのコース上でも何度か現れた。そしてその度に私はコースを外れ、往復一〇分から一五分ほどかけて律儀にそれを見に行った。そしてどの「展望台」でみた景色も、山頂で見た景色と大して変わらなかったので、私はその度にムカついた。


黒金コースとの分岐には一二時三〇分に到着。





何度もくだらない寄り道をしている割には、標準コースタイム通りに進んでいる。


さらに五分も歩くと現れる「天狗岩」への道のりを示す案内板。





見方がよく分からなくて暫く悩む。

そこから一〇分ほどかけて「天狗岩」のてっぺんと思しきところまで登って、それまでに見たのとさほど変わらない景色に失望して早々に縦走路に戻る。

ところで天狗岩に登るのは「危険だ」というハイカーがいるようだが、何が危険なのか私にはちっとも分からなかった。それってひょっとして私は最後までちゃんと登らないで、楽なところだけ歩いて途中で引き返して来ちまったって事かい?次の機会があったらもう少しちゃんと情報を収集してから行くようにしなければ。


コースに戻って途中の天狗岩がよく見えるスポットでセルフ撮影などしながら一〇分も進むと素晴らしい展望の岩場が現れた。私は荷物を下ろしてベビースターをパリポリつまみながら絶景を独り占めできる幸運を神に感謝したが、私の行き先である「障子岳」と思しき山がまだまだ遠くにある事に気づき、かなり大きな声で毒づいた。

すると私が歩いて来た道からひょっこり「仙人」が姿を現したので、私は少し恥ずかしい思いをした。


岩場からの展望。現地で見たときデコボコの山は大崩山だと思っていたが、実は傾山らしい。





「仙人」に丁重に挨拶をして先に出発。そこから一〇分ほどで、今度は「烏帽子岩」の案内板。





こっちはてっぺんまで五分もかからない。


「烏帽子岩」から眺める祖母山の山頂。





縦走路まで戻って一〇分もかからないうちに障子岳山頂を囲む鹿避けのフェンス前にたどり着く。





率直に言って今回は事前の情報収集がかなり甘かったとしか言いようがない。このフェンスの存在すら知らなかった私は、フェンスの外に踏み跡がないかを探し回るという無駄な作業に没頭する羽目になった。もちろんそんなものはどこにもない。

元に戻ってよく見るとフェンスの扉は施錠されてるわけではなくて、緑の紐でフェンスに結び付けられているだけだ。私は「ははーん」と閃きそこからフェンスの中に侵入した。

それにしても、その緑の紐は前に通ったハイカーが結んだものなんだろうが、必要以上に複雑な結び方をしていたので、そいつが私の前に姿を現したら、私は「おい、お前。相手は鹿だって分かってんのか?」と一言言わずにはおかなかっただろう。


一三時五〇分、障子岳山頂に到着。木々の隙間から祖母山も見える。





五分ほど休憩してすぐに行動開始。


親父山への縦走路は、基本的には笹薮を刈り払っただけの道だが、一部に有志の人々がコースの整備に着手し、そしてすぐに諦めたような痕跡もある。

足をとられるだけでちっともありがたくない整備跡。





とは言えアップダウンは殆どないので、まだ体力を消耗していない私には概ねとても快適なコースだ。


障子岳山頂から噂に聞く米軍機墜落地点までは一五分ほどの距離だ。





たしかに下り側の斜面の木々は何者かになぎ倒されたように見えるが、それが墜落機の仕業かどうかは分からない。


親父山には一四時ニ〇分に到着。障子岳からは二五分といったところだ。

味も素っ気もない山頂。





素通りして先を急ぐ。


親父山から黒岳までのコース上に、行く手を遮るように二つの巨岩が落ちている事は事前にリサーチ済みだ。

親父山から一五分、まずひとつ目が現れる。





左側に回り込めばロープがかけてあるので、そいつを使って乗り越える。


乗り越えたらすぐにふたつ目。右側に回りこめば抜け道がある。





正面にロープがかけられているが、見上げてみると何とも頼りない枯れ木の切り株にかけられているので私は遠慮する。





岩の横を通り抜けて五分も行けば下山道(北谷登山口)への分岐が現れる。





もちろん少し先まで歩いて「黒岳」の山頂に立ち寄る。

ロープを登り、ちょっとした藪を漕いで進んで行くと五分ほどで黒岳山頂だ。





写真だけ撮ったらさっさと分岐まで戻る。この先は国土地理院の地図にも取り上げられてない「裏コース」だ。今日のハイキングの中で最も注意を要する行程だ。

分岐を登山口側に入ると、まず分かりやすいやり方で正しい下山コースへとハイカーを導くリボンとロープが現れる。





それらに従って進んだハイカーを待ち受けるのは「藪漕ぎを要する」急な下り道だ。どれくらい急な下り道かというと、残念ながら写真ではその急な下りっぷりを伝えられない。





とにかくなかなかお目にかかれない程度に急な下り道だが、私は気力にも体力にも何の心配もない最高のコンディションでいまここに立っている。どんな難関でも私の全ての知性と技術を以って越えてみせようじゃないか。

笹ってやつは本当に想像を絶するような繁殖力で山道だろうが何だろうが所構わず生い繁る全く苛立たしいやつらだが、とにかく引っ張っても簡単には抜けないので場所と条件によってはこの上なく頼りになる「ホールド」になる、というのが、私のこれまでの山歩きの経験を通して構築されたセオリーだ。こんな急な下り坂にわんさか生えてるなんて「どうぞ私たちを好きなだけ掴んで下りて行ってください」と言ってるようなもんじゃないか。


私は早速、右手で笹を掴んで左足を大きく前に一歩踏み出し(その方が右足を出すよりも次のステップで遠くにある笹を掴む事が出来るからだ)、今度は左手で笹を掴んで右足を踏み出すという動作でこの下り道を踏破する事を決断し、機械のような正確さでその動作を実践し、顔色ひとつ変えずに実に安定したフォームでそれを繰り返しながらずんずんと道を下り、足を滑らせて尻もちをついた。

「尻もちのつきどころが悪かったので」私は経験した事のないような痛みを尻に感じて、山中に響き渡らんばかりの声で「くそったれ」と言った。


あまりの尻の痛みに顔を歪めながら、私はもう一度そのやり方で道を下り始めた。私は尻の痛みに耐えながら、そのやり方を一時間続けてでも下り切る覚悟だったが、「藪漕ぎを要する」急な下り道はほんの一〇分で終わったので拍子抜けした。


そこから先はひたすら枯れ沢のようなザレ場を下る。要所には案内プレートが木の幹にくくりつけてあるほか、コース上には適宜ケルンが積まれているので、テープと合わせてよく確認していけば道迷いの心配はないだろう。

終盤になると何度か沢筋を離れて沢沿いにつけられた道を歩き、渡渉を繰り返して最後は笹ヤブの中を走る踏み跡を辿る。

一六時ニ〇分、林道に到着。





「仙人」の車は、もうそこにはなかった。私があちらこちらに寄り道している間に私を追い抜いてさっさと帰ってしまったらしい。


駐車場までたどり着くと、そこには私の車以外に一台の車すらいなかった。周回コースをとったのは私と「仙人」くらいだろうから、それも不思議な事ではなかったろう。普通に登り下りするだけなら、技術的にも時間的にもそれほど大変な山でもない。





私はうららかな日差しの中、私のほかには誰一人いない駐車場でゆっくりと着替えを終え、車の助手席に座ってダッシュボードの上に足を投げ出しながら「ベビースター」の残りをパリポリと平らげ、そのまま暫く目を閉じて鳥の鳴き声や風の音に耳をすまし、それに満足すると車のエンジンをかけてその場を後にした。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 22, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

昼どきに立ち寄った「直ちゃん」は長蛇の列で、そこに並んでまでチキン南蛮にありつきたいとは思わなかった私は、延岡界隈で他に気になる店もないのでドライブがてら一〇号線沿いを大分方面に。


昼食に選んだのは佐伯の美絆(メイチェン)ラーメン。

清潔で小洒落た店内に入るとメガネをかけた若奥様とIKKO似で姉御肌風の女性がカウンター越しに「いらっしゃいませ」と言った。通し営業なので中途半端な昼食の時間でも開いているのは実にありがたかったが、ほかに客は一人もいなかった。

かなり私好みな若奥様の方が注文を取りに来たので私は「チャーシューメン」をオーダーした。給水器に水はセルフサービスである旨の貼り紙がしてあるのは分かっていたが、どれだけ暇そうでも二人がコップに水を注いで私の元に持って来る事はなかった。


あまりに静かな店内に少々居心地の悪い思いをしていたところに運ばれて来た「チャーシューメン」。





かなりクリーミーでマイルドに仕上げた豚骨ラーメンといった感じのそれに、強烈に匂い立つ胡椒が振りかけられている。チャーシューは私が「チャーシューメン」を名乗るからにはクリアしていて欲しい厚みには達していない。

そのスープが美味いか不味いかと聞かれれば間違いなく美味い。ただどことなく安っぽい美味さというか、どちらかと言うとインスタントラーメンに通じるスタイルの「美味さ」だ。美味い事に変わりはないが、「うへー、こいつはマジで美味い!」とベタ褒めしたくなるほどの美味さじゃない。

最終的に私はこの店のラーメンが気に入ったのかそうでないのか自分でもよく分からないまま店を出た。ただひとつ言える事は、若奥様は間違いなく私好みだった。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/美絆ラーメン]


次に向かったのは、大分市内とは言いながら限りなく辺鄙な海沿いに店を構える「関の瀬」だ。良心的な価格で関アジや関サバを提供する店としてインターネット上では高評価を博しているようだ。


事実、七時過ぎに私が駐車場に車を入れるそばから二台の家族連れを乗せた車が駐車場に滑り込んで来た。私はやつらに先を越されないように大急ぎで受付へ。

店内は満席だったが、カウンターには客が一人もいなかった。なので私はすぐに入店でき、家族連れの皆さんはお帰りに。


店頭にはこの店の主が正直者である事を匂わせる貼り紙。





関サバとはある特定の海域で釣り上げられ、さらに特定の漁港に水揚げされたサバの総称だ。つまり関サバとされるサバと同じ親から生まれて同じように育ち一緒に泳いでいた個体でも、水揚げ場所が違うだけで「関サバ」を名乗る事は許されなくなる。だから「豊後サバ」だからと言って「関サバ」より味覚が劣るとまだ決まったわけじゃない。


そんな理屈で自分を納得させながら、私は「関サバ」の切り身なんて一切れも乗ってない「関サバ御膳」をオーダー。しめてニ五〇〇円。




刺身の皿だけ見ると値段の割りにせこい盛り付けだ。おまけの小皿たちはもっと質素でいいからもう少し値段を勉強できないものだろうか。


口にしてみるとサバの鮮度自体はたしかに悪くないが、何分ひと切れひと切れのボリュームはたかが知れてるので、ちっとも感動がこみ上げて来ない。むしろ小皿の料理の方が、いかにも職人がこさえた一品という感じで私には美味に感じられた。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/活魚料理処 関の瀬]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 21, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

昨日、九州に於ける初めてのハイキングで散々な目にあった私がホテルに戻ってインターネット上の気象情報のサイトにアクセスすると、今日の予報がそれまでより少しばかりいい方向に変わっていた。あれこれ考えた末、私は明日に予定していた祖母山へのハイキングを明後日に延期して、今日もう一度「大崩山」の山頂を目指してみる事にした!

私のガイドブックにある、九州では大崩山に登って初めて一人前のハイカーだ、なんてフレーズがそこまで私を駆り立てたと言ってもいいだろう。だいたい延岡なんて辺鄙な街に上陸するのは私の人生の中でもこれで最後かもしれない。何としても今日こそ大崩山の山頂に立たなければ!


昨日の失敗を教訓に、食糧や飲物は前日のうちに用意して車に積み込み、万一に備えて昨日より二時間も早起きをした私が登山口に着いたのは八時過ぎの事だった。つまり私は、九州の独特な山岳事情のおかげで昨日のようなひどい目にあっても次善の策がとれるように、一〇時間程度の行動時間を確保して今日の大崩山ハイキングに臨んだってわけだ。そいつは、ある意味忌まわしい九州の独特な山岳事情に対する私なりの精一杯の敬意の表し方でもあった。

登山口前の車道に車を停めていると、ちょうど四人の若者が登山口から歩き始めるところだった。それほど山慣れた感じには見えなかったが、大崩山に挑戦しようというその意気込みが素晴らしいじゃないか。私が一声かけると、彼らは礼儀正しくそれに応えて山道を登って行った。


〇八時三〇分に登山口を出発した私は一〇分ほど歩いたところで一人の若いハイカーとすれ違った。何だってこんな時間に登山口の方に戻ってるんだ?私が事情を尋ねると、若いハイカーは「忘れ物をしてしまった」と言い、「全く最悪ですよ!」と半分泣きそうな表情で答えた。

まぁそれは全て本人が悪いのだが、それにしても私もそうだし昨日この辺りですれ違った二人組もそうだが、本当にこの大崩山って山には邪悪な神か何かが住んでいて、そこを訪れるハイカーに試練を与えては一人でにやにや喜んでいるのではないか、と思わずにはいられない程、誰もがスムーズに山頂に辿り着けないでいるようだった。


山荘前を〇八時五五分に通過、渡渉点には〇九時ニ〇分に到着。

渡渉点には例の若者四人組がたむろしていた。ひょっとしたら三人だったかな?例の「うっかりハイカー」が大事な忘れ物を持って戻って来るのを待っていたのかもしれない。とにかく彼らは沢を渡る事に全く関心がないようだった。

悪いが私には時間がない。また昨日のような目に合わない保証はどこにもないからな。若者たちに軽く会釈だけした私は、昨日そうしたようにロープの垂れた対岸の岩にさっさと取り付こうとして沢を覗き込み、困惑した。

昨晩の雨のせいだろう、昨日より明らかに水位が上がっている。昨日は何の苦もなく渡ったはずのポイントの水面からは、いかにもそいつに足を乗せたが最後、つるりと足を滑らせてしまいそうなスベスベ岩がちょこんと顔を出していて、そいつを踏み台に無事に渡れればいいのだが、間違って足を滑らせちまったら全く困った事態になりそうだ。

とは言っても他に安全な渡渉ポイントはないように見える。暫く思案した私は、私が一歩目を踏み出す安全な足場を構築するために、その辺にある手で運べる範囲で大きめの石を次々に渡渉ポイントに投げ入れるという作業を開始した。私が間違いなく安全に渡る事ができると判断を下すまで、私は一〇分近くも延々とそのくだらない作業に従事する羽目になった。


若者たちの何人かは私の作業の様子を何かを期待しながら遠巻きに観察しているようだった。後にして思えば、彼らは「うっかりハイカー」の仲間でも何でもなくて、ただ単に沢を渡る事が出来ずにその場に停滞していただけだったかもしれない。でもそいつは私にとってはどうでもいい事だ。ただひとつだけ、一〇分近くの貴重な時間を私がそこで浪費した、という事実は、やはりどこかに隠れているに違いない「邪悪な神」に対する、私の対決心を煽るのに十分だった。


〇九時五五分、昨日、私が致命的なミスを犯した「運命の分岐案内」を通過。





一〇時を少し過ぎた頃に雨がパラつき始めた。天気予報では昼過ぎまでは持つはずだったが少し早い。

大して雨足が強まる気配はなく、「様子見」の判断をして特に何の対処もせずにそのまま歩いていると、前方にカップルのハイカーが現れた。四〇代半ば位の夫婦だろうか、慌ててバックパックからレインウェアを取り出しているようだ。男の方が何となくアップル創設者のスティーブ・ジョブに似ていたので、私は勝手に彼らの事を「スティーブ夫妻」と命名した。夫妻は後ろから近づく私に気づいてすぐに道を開けてくれた。


ありがたく先を行かせてもらった私だったが、結局、雨足が少しばかり強くなって来たのでパックにカバーだけでもかけておくために立ち止まった。すると早くもスティーブ夫妻が私に追いついたので今度は私が夫妻にそそくさと道を譲らければならなかったが、歩き出すとすぐに私はスティーブ夫妻に追いついた。


結局、一〇時五〇分、私が先に袖ダキに到着。昨日とは打って変わって何も見えない。





軽くおにぎりなど頬張っていたら、五分ほどでスティーブ夫妻が到着。昨日一度は景色を堪能している私と違って初めて訪れた夫妻は何も景色が見えない事をぼやいた。

聞けば夫妻は福岡から日帰りの予定で高速を飛ばしてやって来たらしい。行きの渡渉点に橋がない事を不思議がっていた事から推測する限り、夫妻はかなり古い情報を元に大崩山ハイキングに挑戦しているようだった。

雨のせいで増水して帰りは渡渉出来ないのではないかとしきりに心配しながら、彼らは私を置いて出発した。


私は一一時ちょうどに出発。まず現れる案内板。





この板の言う事は嘘っぱちだ。黄色とか白のテープも追いかけないと正解のルートにたどり着く事は出来ない。

ニ〇分ほど歩いて私はついにスティーブ夫妻の後姿を捉えたが、彼らは「下和久塚」と近道の分岐を近道側に進路をとった。





「和久塚」にわざわざ登ってもろくに景色すら見えないので山頂への到達を優先する事にしたのだろうか。賢明な判断じゃないか。私はもちろん「賢明ではない」方へ。


ハシゴ登りから始まる「下和久塚」へのコースには随所にロープが現れる。足場なんてないツルツルの岩をよじ登るためのロープだ。





目の前に立ちはだかる元々ツルツルなうえに雨にまで濡れてる巨岩をこんな頼りないロープに掴まってよじ登るなんて生まれて初めての経験だ。始めは「おいおい、冗談じゃねぇぜ」と思ったが、実際にロープに取り付いて色々やってみるうちに、接地面積を最大化出来るように常に靴底を岩の表面に対してフラットに置く事を心がけていればスリップの心配はない事を私は学習した。


そこから先、無数に現れる雨に濡れた岩の難所にぶつぶつ文句を言いながら下和久塚のてっぺんと思しき地点と中和久塚のてっぺんと思しき地点をほぼ素通りして(何も景色が見えないからだ!)上和久塚の取っ付き地点にようやくたどり着いたのが一二時ニ五分。

もっともそこにたどり着いたとき、私はすぐにその場所が上和久塚の取っ付き地点だと気づいたわけではなかった。上和久塚と思しき岩峰が左手にあるのにそいつに登る方法が分からなくてきょろきょろしながら歩いていたとき、私はまず例によって何と書いてるあるのかちっとも分からない案内板をコース脇に見つけて立ち止まった。





何と書いてあるのかはまるで分からないが、この山ではどんなに小さなサインであっても決して軽んじてはならない事を私はもう知っている。こいつはこいつで何か意味があるに違いない。私はすぐさま周辺の捜索にとりかかった。

案の定、私の後方、それまで左手に見ていた岩峰のコースから見て裏側の地面に、もう一枚の案内板がポトンと落ちているのを発見。





全くどこまでも余計な頭を使わせる山道だな。またひとつパズルを解いて頭のキレるところを大崩山の神に見せつけてやった私は早速、前半戦最後の難所「上和久塚」に取っ付いた。


岩と岩の隙間を縫うように登っていった私を迎えてくれた、例によって真っ白な展望。





五分ほど休憩して下まで降りると例の若手ハイカーたちがいた。彼らもスティーブ夫妻同様「近道」ルートを辿ってここまでやって来たらしかった。だが私の遥か前方を歩いていると思われる夫妻と違って彼らは私よりもかなり遅いペースで移動していた。

この時点で既に一三時近くだ。私は彼らに別れを告げて先を急ぎながら、はたして彼らが彼らのペースで日没までに下山出来るのか気になった。


五分ほどで「りんどうの丘」の分岐に到着。





ここからちっとも面白くない山道歩きが始まる。まずガレ道。





退屈な山道。この辺りで帰りを急ぐスティーブ夫妻と遭遇。山頂は近いようだ。





スズ竹の藪。たまに道に覆いかぶさるように生えてるやつがいてムカつく。





一三時四五分、ようやく山頂に到着。

噂には聞いていたが山頂自体はまるで面白みがない。





おにぎりを頬張って記念撮影を済ませてから早速下山にとりかかる。一四時ちょうどに山頂を出発。

坊主尾根方面への分岐までは山頂から引き返してニ〇分ほどで着く。崩壊した案内板。





一五分ほど歩くとさらにもうひとつ。ちょっとふざけてるとしか思えない和久塚コースと違って至れり尽くせりだ。





さらに一五分ほど行くと「小積ダキ」との分岐。





この時点で「小積ダキ」が正しいのか「小積タギ」が正しいのかも知らないし、そもそもそれが何なのかを分かってない私はそいつを無視して坊主尾根方面へ。次に行く事があったら何としても「小積ダキ」には立ち寄らなければ!


かなり濃い笹ヤブに心底ムカつきながら一五分ほど歩くと「カラビナ推奨」の例の岩場に。





もちろんその手順は省略して手でワイヤーを掴む。

登り下りと同様に横切るときも靴底を岩の表面にフラットに置く事を心がけてさえいればまず安全だ。


何段かのハシゴを下りつつ少し進むと、またツルツル岩にロープ。そろそろうんざりだ。





崖の下が見えて高度感を味わう事が出来れば少しはスリルを楽しめるんだろうが、見渡す限り真っ白いガスしか見えないので、今となってはただ前に進むために淡々とやるべき事をこなしているだけの感じだ。

そんな私の退屈な心の叫びに応えて下さるかのように、大崩山の神は、私が松の木の根元までロープをよじ登ったときに恐ろしい二匹の巨大なスズメバチを私の周りによこしてくれた。もっとうんざりだ。


飛び回る神の使者を適当にやり過ごしてからさらに進むとロープの先にちょこんと下りのハシゴが見えて来た。私のガイドブックに、ロープからハシゴに移らなければならない岩場があって、そこが坊主尾根の「核心部」だと書いてあったがたぶんそれだろう。





ガイドブックにはロープで確保してもらうのが望ましいとまで書かれていたので、どれだけの難所なのかと内心ビビってたんだが、とにかく下の様子が見えないのでちっとも恐怖心が沸かない。私はその「核心部」も淡々と処理するしかなかった。

下から見るとこんな感じだ。





ハシゴが岩にべったりくっついているので、ハシゴにかけた足が爪先立ちになってしまう点には注意が必要だ。


そこからさらに岩と岩の間をくぐり抜け、ハシゴを下り、ロープを頼りに岩を下っていくと、橋と共にまた現れるワイヤー。





あまりにもロープとワイヤーが多すぎて私のグローブに穴があいてしまった。


そこから五分も歩かないうちに見えて来た、坊主尾根の名前の由来になったとされる通称「坊主岩」。ガイドブックには「米岩」と書かれていたが同じものらしい。





この時点でほぼ一六時。その後は私の感覚が麻痺している事もあって、特に印象深い難所もなく一六時ニ五分、林道分岐に到着。

そこからいよいよ本格的な下りが始まる。





三〇分も下ると沢が見えてくる。やっと帰りの渡渉点か、と安心するのはまだ早い。見えて来た沢が祝子川(ほうりがわ)の本流と合流する地点が渡渉点だ。

沢沿いの木々には、まだ沢を渡らずにこっちへ来い、という強いメッセージ性を感じさせるテープが大量にぶら下げられている。それを頼りになかなか現れない渡渉点にブツブツ文句を言いながら私がようやくそこにたどり着いたのは一七時ちょうどの事だった。





やりやれ、どうやら日没までには登山口に帰り着く事が出来そうだ。一安心した私は急に尿意を催したが、そこで私がどのような行動に出たかなんて誰も知る必要はない。


記念撮影などしながらそこでニ〇分ほどゆっくり過ごしてから、私は沢を渡った。

スティーブ夫妻が気にしていたそこの水位はまるで問題なかったが、仮に少々水位が上がって飛び石伝いにそこを渡る事が出来なかったとしてもちっとも構わなかった。私のシューズは水の中をじゃぶじゃぶ歩いても気にならないほどに、とっくに雨や汗のせいでずぶ濡れになっていた。


私がそこを出発してから実に九時間半ぶりに登山口に帰りついたのは一八時少し前の事だった。既にそこに車は一台もなく、スティーブ夫妻はもちろんのこと、例の若者四人組ですら私を置いてさっさと帰ってしまったようだった。

その頃には登山道はとっくに薄暗くなっていて、その事は昨日、一〇時一五分なんてふざけた時間に歩き始めた私が、もし道に迷う事なく山頂を目指してずんずん前に進んで行ってしまっていたならば、日没までに下山できずに真っ暗な山の中で野宿をする羽目になっていた事を意味していた。八海山でも似たような事があったな。結局、どうも私は山々の神に気に入られているようだった。


私の当初の計画は一日遅れで無事に達成された。雨のせいで何の景色も見えなかったそのハイキングに不満を感じるか、雨という悪条件にも関わらずそこを踏破した事に意義を見出すかはそのハイカー次第だ。早く風呂に入りたくてホテルへと車を飛ばしながら、少なくともこの山には後者を選択するだけの価値が十分にある、と私は思った。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 20, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

私の手元にある九州地方の山岳ガイドブックに「九州ではこの山に登って初めて一人前のハイカーだ」なんて洒落た事が書いてある「大崩山」を前にして、私がそいつを素通りするわけがない。延岡駅前のホテルを出発した私は登山口目指してレンタカーをかっ飛ばしたんだが、いきなり私の計画にケチがついた。


延岡駅前から三〇キロメートル弱のところにある登山口まで一件たりとてコンビニがないという事実は衝撃的だ。山間のホテルからの道のりじゃない。駅前のホテルだぜ?そこを出発して五分も走ると住宅街を抜けて川沿いの田舎道に入る。いやな予感がしたがそのまま車を走らせてしまった私はすぐに後悔した。


結局、駅前まで戻ってコンビニで食糧を調達した私は三〇分以上の時間を無駄にした。登山口に着いたのはほぼ一〇時ちょうどの事だった。登山口前の車道には既に五台ほどの車が停められていた。ほぅ、みんな頑張ってるじゃないか。

準備を済ませて一〇時一五分に出発。登山道の入り口には、よくあるヘボハイカー向けのものとはまるで次元の違う親切な警告の書置き。





ガイドブックによれば、三つの「和久塚」を経由して山頂を目指し、帰路は「坊主尾根」を下る王道コースの標準所要時間は八時間といったところだ。八海山で少々「日没時刻」に関する見通しの甘さを反省する羽目になった私だったが、まぁ仮にも九州なんだから一八時までに下山出来れば全く問題はないだろう。

途中、夫婦と思しき二人組の老ハイカーとすれ違う。まさかもう山頂まで行って帰って来たわけではないだろうから、実際に歩いてはみたものの自分たちのスキル不足を痛感して引き返して来たのかもしれない。いいねぇ、そういう実力者向けコースのハイキングは大好きだ。


大崩山荘前を一〇時四五分に通過。いい調子だ。





小屋前の坊主尾根との分岐を見送って和久塚方面を目指す。分岐の案内板には「三里河原」と書かれてある方角だ。


この山の登山道は、つるつるの岩の上を平気で歩かせる傾向がある。たまに谷側に傾斜していたりして、雨で濡れているときには絶対にその上を歩きたくないようなやつもある。





一一時〇五分に和久塚への分岐に着く。祝子川(ほうりがわ)の渡渉ポイントがすぐに現れる。

渡渉ポイントの全景。





つまりこの水に濡れたツルツル岩を渡って向こう岸の岩に垂れてるロープに取っ付けという事らしい。





そいつは不可能ではないだろうが、もう少しハイカーに親切な渡らせ方が出来ないものだろうか。


その先は概ね木の枝にぶら下げられたテープを目印に進む。踏み跡は必ずしも一本に統一されてないので、私は注意深くテープを探して、それに忠実に進む事を心がけた。


渡渉してからニ〇分ほど歩いたところで、私は珍しい案内板を見つけた。





何かの際には岩の下にでも潜ってろという事らしい。どうも九州の登山事情というのはこれまで私が経験して来たそれとは若干ズレているように感じる。


もう少し行くと、今度はこんな案内板。





読めない。

たぶん「山頂」という文字と左を指す矢印がうっすらと見えるような気はするが、率直に言って案内板としての役目をまるで果たしてない。右側は岩に阻まれて行き止まりで左側に踏み跡があるからいいようなものの、この山は本当に私がこれまで経験して来た山々の中でもとりわけハイカーに対する思いやりに欠けた山だ。


少し歩くと左手に巨大な滑り台のような岩が現れた。この「滑り台」は沢の一部になっていて、その上を水が流れている。





さすがにあの上を歩かせられちゃたまらないぜ!とか何とか思いながら、引き続きテープを目印に進む。


どんどん道が荒れて来る。





う〜ん、やはり九州の山ってのは一味違う。相変わらず要所にはぶら下げられているテープを目印に、どうもさっきから私にまとわり付き始めたように思えるスズメバチの羽音を気にしながら進んでいたとき、突然耳元で「ブオッ」という、これまで耳にした事のないような低音の羽音がしたような気がして、私は思わず「ホワット(何だ)!?」と叫んでそっちを見た。

それは昆虫やその他の動物の羽音でもなければ私の耳元で発せられたものでもなかった。私の目線の先、一五メートル程向こうに、たぶん私の姿に身の危険を感じて大慌てで逃走を図る二匹の子連れの母イノシシの姿があった。あれは羽音ではなくて、母イノシシがかわいい子どもたちに向けて発した警戒音だったのだ!ハイキングコースに野生のイノシシだって!?おいおい、九州の山ってのはちょっとヤバ過ぎるぜ!


さらに進むと、巨大な岩峰に両側を挟まれた枯れた沢底にたどり着いた。先の方にいくつものテープがぶら下げられてるのがはっきりと見える。うひゃー、今度はこいつを登って行くのかい?





結論から言えば、私は通常なら「何かおかしい」と気づかなければならない事態に陥っても、それは九州の山がそもそもおかしいのだ、と勝手な推測をしたばかりに、それに気づくまでに少しばかり時間をかけ過ぎた。その沢底を一〇分ほど登った私はついに岩峰に行く手を遮られた。





間違いなくテープはぶら下がってるが、何度見てもその先は行き止まりだ。この沢底はそもそもハイキングコースなんかじゃないと判断せざるを得ない。

登りにかけたのと同じ位の時間をかけて下って沢底のスタート地点に戻ってみると、全く違う方角にぶら下がってるテープが目についた。何だ?あっちが正解か?ニセのテープをぶら下げて置くなんてマジでふざけた山だな。私は正解のテープの方向へと歩き始めた。


いやいや、そいつも正解でも何でもなかった。途中でそれ以上テープを見つけられなくなったばかりか踏み跡らしきものすらまるで見当たらなくなった。地図を取り出して今さらながら周りの地形から現在地を判断しようかと試みてみたが、まるでちんぷんかんぷんだ。

くそっ!登山道なんてものは全国どこでもテープを信頼すればそれでいいと思っていたが考えが甘かったようだ。時刻は一二時五〇分。正しい道に復帰する事が出来ても日没までに山頂に行ってさらに帰って来るのはさすがに不可能だろう。この山は是非一度踏破してみたかったんだが仕方がない。男は諦めが肝心だ。


そうは言っても日没までにはまだ時間がある。落ち着いて行動すれば少なくともどこかのマヌケなハイカーみたいに真っ暗な山中で計画外の野宿をするような羽目にはならないだろう。そこまで切羽詰った状況なんかじゃないさ。私は少しばかり後ろ髪を引かれる思いをしつつ山頂踏破の計画を放棄する事を決断し、私がこれまで目印にして来たテープと、それから私が今日つけてやったばかりのほやほやの足跡を頼りに下山を開始する事にした。


結局、正しい登山道らしきものに復帰できたのはそれから三〇分後の事だった。行きでは見かけなかった山頂の方向を明確に示す案内板を見つけた私はとりあえず、どこかの救援組織に探し回ってもらって助けて頂くような、ハイカーとしてとんだ「恥晒し」に合う危機を脱した事は理解した。





そのままふてくされてホテルに帰ってもよかったが、まだ行動できる時間はあり余ってる。何年後の事になるか分からないが、次に来た時のためにもう少し先まで行ってコースを偵察しておくか。

袖ダキという名前の展望所までなら一時間足らずで行けそうだと踏んだ私は、そいつを目指して正しいコースを歩き始めた。そこから先は、私が迷い込んだ謎のエリアとさほど変わらないくらい荒れた山道がところどころに現れたものの、テープと踏み跡をしっかり追跡していけば迷いそうなポイントはなかった。

五〇分ほど歩いて「袖ダキ」と書かれた案内板を発見。





ロープを掴んで岩を登ると、花崗岩で生成されていると言う、ガイドブックに写真で載っていたのと全く同じ岩峰の姿が視界に飛び込んできた。こいつはなかなかの奇観じゃないか!





私は袖ダキで遅めのランチを貪りながらそこでの見晴らしを堪能し、ニ〇分後には帰路についた。


結局、私が何を間違えて山頂踏破の計画を台無しにされてしまったのかは帰路で判明した。私は、案内板の表示が読み取れないと思った時でも、目を皿のようにして案内板を凝視しなければならない事を学習した。

矢印らしきマークの左側の先っぽが尖がってるからって、そっちが進むべき方向とは限らないって事もだ!





もちろん、たとえ「右側は岩に阻まれて行き止まり」に見えたとしてもそれは変わらない。





そしていくら左側に踏み跡があったって、それは私と同じような目に合った悲劇のハイカーたちが残していったものかもしれないって事も忘れてはならない。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 19, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

昨日に引き続いて宮崎でのビジネスを全て片付けた私は、明日の大崩山ハイキングに備えて延岡へ移動した。

ディナーのために訪問したのは延岡駅の目の前にある「とんちゃん」という名前の大衆居酒屋だ。入り口には一人でも遠慮なく入店してくれ、といった内容の貼り紙がしてあったが、既に大勢の客で賑わっている店内に私が一人で入店すると、その場にいた店員たちが一様に困惑の表情を浮かべたような気がした(気のせいかもしれない)。


カウンター席に通された私がざっとメニューを見て、近くを通りがかった、ちょっと太った目つきの悪い女に注文をとってくれないかと尋ねると、他の客の注文とりに呼ばれているらしく、ちょっと待ってくれ、という。ところがその女は、ひとつの仕事を終わらせるとほかの事は全て忘れてしまう頭の持ち主なのか、それっきり手が空いてもこちらにやって来る気配がまるでない。

かわいい顔の店員だったら私はもう一回声をかけただろうが、全くこいつは何の取り柄もない女だな、と私は心底むかついた。


程なくしてアルバイトらしき青年が注文をとりに来てくれた。私はひとまず「とんちゃん」という店の名前と全く同じ名前のメニューを注文した。それからもちろん生ビールもだ。





率直に言って「とんちゃん」は、かなり牛のクソの臭いがこびり付いたままのホルモン煮だったんだが、まぁ許容範囲だ。


私は続けて「焼串盛合せ」を二人前(一〇本)と、昨晩、宮崎でその美味さに舌鼓を打ったばかりの「地どりのもも焼」を注文した。

串焼きは割りとすぐ到着。





量が多い・・・。


つまりその盛り合わせにされた串焼きの一本一本は、串に刺された状態で大手の産業用食品メーカーの工場から冷凍車に積み込まれて出荷されるようなチープな串焼きではなくて、恐らく生の状態で仕入れられた素材を、この店の仕込み担当の従業員か、或いは流通経路の途中のどこかに携わる関係者が一本一本手差しでこさえ、その状態のままこの店の焼き台の上に乗せられた上級の串焼きだっただろう。流通過程で脂が逃げる事なく客に提供されるので、当然そのボリュームは安物のそれより数割増しになる。


・・・って事はこの串焼きは美味いに違いないって事だ!私は、この後運ばれて来るであろう「もも焼き」まで無事に完食できるだろうか、という不安をそっと心の隅に押しのけて目の前の串焼きにかぶりついた。くそったれ!こいつは確かに美味いじゃないか!


しかし串焼きが半分もなくならないうちに「もも焼き」が到着。





こいつも「丸万」に負けず劣らずのいい出来だ。残念だったのは、とにかく私の胃袋の容量は一般的な人々のそれよりはやや大きいだろうが、そうは言ったって限度があるって事だった。


それでも私は私に出された料理は何があっても残さない。この店でとても美味しい鳥料理を堪能し尽くした私は、最後はもう本当にしばらく鳥料理なんて目にもしたくないと思いながら店を出た。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/とんちゃん]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 18, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ビジネスのために宮崎にやって来た私はさっさとそいつを片付けて「丸万焼鳥」へ。

本店だと思って入店した店は実は支店だったようだがどっちだっていい。カウンター席に座って早速「もも焼き」をオーダー。





この表面は真っ黒で身は半生の異様な風体の料理こそ宮崎風の焼き鳥の姿に相違ないらしい。右端のまるで焼けてない部分を紙でくるんで手に取り、さらにフォークを巧みに操りながらかぶりつく。

骨の周囲はほとんど生だが、これがまた柔らかく、鳥の脂の風味と胡椒のスパイスも相まって何とも美味だ。





ペロリと完食。





続いて「たたき」を注文。ポン酢とネギと一味が振りかけられていて、こっちは箸で食えばいい状態で供される。





もちろん添えて出される骨にこびりついた生肉にかぶりついても構わない。私がそうしているとなぜか女性の店員に礼を言われた。


〆は茶漬け。





何がいくらだったのかはよく分からないが、あとは生ビールを一杯つけて会計は三三〇〇円だった。私は大いに満足して店を出た。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/丸万焼鳥 支店]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




September 14, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

九月も後半になればアルプス界隈をうろちょろするハイカーが少なくなって来る頃合いだ。山小屋だって適度に空いてるだろう。私は来月のどこかで西穂高岳にでも登らないか?とトミーに連絡をとった。

トミーは快諾したが、何でもトミーは六月のある日、バトミントンを楽しんでる最中に足首を捻挫してしまって暫く山に登ってないらしい。そこで私たちはトミーのリハビリがてら、以前からトミーがそこに登る事を切望していた新潟の「八海山」に日帰りのハイキングに出かける事にした。


一般的なハイカーなら、ロープウェーで尾根まで登って八つ峰を往復するだけの「楽ちんな」コースを歩こうとするだろうが、そんなのは私たちのような「健脚」ハイカーにはちっともふさわしくない。私はトミーに「鎖場」がそこら中に現れるという屏風道を一五〇〇米ほど登り切って千本檜小屋まで行き、そこから八つ峰を縦走して新開道を下る「一一時間コース」のハイキングを提案した。

だいたいトミーが「八海山」に魅力を感じたきっかけは八つ峰コースに連続すると言われる「鎖場」だったので、もちろんトミーは私の予想通り、屏風道コースの概要に気分を良くしたようだったが、そのコースの標準コースタイムを知ると、暗くなる前に下山できるのかを訝った。私は一九時まで山道を徘徊していた私の最近のいくつかのハイキングの例を引き合いに出して、それは全く問題ない、と言い切った。そして私たちは朝の七時三〇分には登山口の駐車場に到着した。

駐車場には四台の「先客」がいた。土曜日なのにたった四台だ。しかも何台かは、その持ち主が千本檜小屋に泊まるために前日からそこに停められてる車かもしれない。どれだけ一般的なハイカーに敬遠されるか、或いは存在すら知られていない「通好みの」ルートなのかが分かるってもんだ。そうだろ?


屏風道コースはその途中にトイレがひとつも設置されてない事を知っていた私は、駐車場の然るべき一角の藪に向けて放尿を済ませた。それを見たからかどうかは知らないが、トミーも駐車場の入り口の方へ行って放尿を始めた。

すると突然、老人を満載したハイエースが駐車場に進入して来たので、トミーのご自慢のペニスは何人かの老人の好奇の目線に晒される羽目になった。教訓:放尿する場所と方向はあらゆる事態を想定して慎重に選ばなければ。


私たちは〇七時五〇分、「2合目」と書かれた案内板のある屏風道コース入り口から、私を先頭に山頂へと移動を開始した。





スタートしてすぐ最初の渡渉点が現れる。水位にはまるで問題がないので、残念な事に、増水時に備えて設置されてある立派な「渡し籠」の出番はない。





そこから先は普段からあまり人が歩かないからだろう、トカゲやヘビがそこら中を這い回る少々エキセントリックな山道だ。トミーは早速トカゲを一匹捕まえて嫌がらせを始めた。

ところどころ藪も濃くて、タンクトップで歩いていた私の腕が何かの葉っぱに触れた途端、激痛が走った。たぶん毛虫にでもやられたんだろう。このコースは色んな意味でなかなか手ごわい。


その後も何度か渡渉を繰り返しつつ、清滝小屋には〇八時五五分に到着。





清滝小屋は登山道から少し外れていて山頂を目指すだけなら立ち寄る必要はないが、小屋の前を通り過ぎて少し行くと、私のお目当ての「水場」がある。





水を汲み終えて登山道に戻ろうとすると四人組の老ハイカーがやって来て私とすれ違った。おや?彼らはあのトミーの神々しいチンポを拝む幸運に恵まれた例のハイエースの人々じゃないのか?ハイエースには七、八人は乗ってた気がしたが、残りはどこに行ったんだ?

私は彼らをやり過ごし、それからトミーが彼らをやり過ごして私に追いついて来るのを待った。トミーは彼らと少し会話をしていたようだったので、残りの人々がどこにいるのかを聞き出せたのかと思ったのだが、トミーが彼らから得た情報とは、彼らは清滝小屋への道を「登山道」だと思って間違って進んで来てしまった事だけだった。

随分と事前の情報収集の甘い連中だな、と私は思ったが、それにしてもあの場で彼らとすれ違ったという事実は、彼らは私たちと同じか、或いはそれよりも少し速いスピードであそこまで歩いて来た事をも意味していた。何てこった!あの爺さん婆さんたち、全くタダもんじゃねぇぜ。


ところで清滝小屋が登山道から外れている事実は事前に把握していた私だったが、では山頂へと続く道がどこにあるのかはその時点では把握してなかった。来た道を戻りつつ付近にあるはずの分岐を注意深く探していたら、ハイカーたちの死角を突くように、ほぼコースから「直角に」左折(清滝小屋側からは右折)する分岐があった。もちろん案内板のようなものは何もない。これじゃあ誰だって気づかないで用もないのに清滝小屋まで歩いて行っちまうんじゃないのかい?

要するに当局のこのコースの整備担当者は、本当に最低限の整備しかしていない。それは経験値の浅いハイカーの目には、とんでもなく不親切なことのように映るだろう。刺激や緊張感を求めるタイプのハイカーの目にはさぞ魅力的なコースに映るに違いない。


分岐を折れて一〇分もしないうちに最初の「鎖場」が現れた。





正直に告白すると、私はその「最初の」鎖場がどんなだったかなんて全く覚えてない。そこから先、無数の鎖場が現れるのだが、少なくともそれらの鎖場のいくつかと比べてひどく印象の薄い鎖場だった事だけは間違いない。

つまり印象深い鎖場って言えば、例えばこんなやつだ。





こっちは鎖すらなかった。全く楽しいじゃないか!





ところで私は既に五合目を過ぎたあたりから、このハードな難路と暑さのせいでへばってしまって、年老いた山羊のようにどうにも自分の意のままには歩けなくなって来た。私はいつしか私の前を歩くようになったトミーに何度も休憩を懇願した。

そうしているうちに例の老ハイカー集団が私たちに追いついた。私がそこら中を飛び回っているスズメバチに対する不満を声高にトミーに主張しているのを耳にしたらしき先頭を歩いていた初老のハイカーが「ハチが飛んでるのかい?」と私に聞いて来たのをきっかけに、私たちは彼らといくらか会話をした。

彼らは千本檜小屋泊まりのプランを立ててこのコースを登っていた。それならもう少しゆっくり登ってもよさそうなもんだが、言い換えれば余裕をしっかり持たせた実に賢明なプランニングだった。それからハイエースに乗っていた他のハイカーたちは、清滝小屋に着く前の段階でこのコースの難路に恐れをなして退散してしまったらしかった。つまり今そこにいるのは、あのハイエース軍団の中でも粒ぞろいの精鋭ハイカーたちというわけだ。実に頼もしい人たちじゃないか!やれやれ、それに比べて全くこの私と来たら・・・。


精鋭たちに先を譲った後、一一時三〇分にようやく七合目を通過。さらに一〇分ほどで、噂の「横へつり」に到着。





こいつは大した事はない。いつも通り鎖すら使わずにクリア。

足を滑らせるハイカーより、むしろ横に伸びた木の枝に頭をぶつけるハイカーの方が多いはずだ。もちろん私たちはどちらでもない。


さらに一〇分も行った地点からは枯れた沢底を登る。





それは別に構わないんだが、この沢登りは途中でほぼ直角に右に曲がって登山道に復帰するのが正解だ。

そうとは知らない私たちは、厳密に言うと先に沢底の岩に取っ付いた私は、登山道への入り口を通り過ぎて延々とハードなロッククライミングに挑んでしまった!

その難易度の高さに(登山道でも何でもないんだから当たり前なんだが)私が思わず「おいおい、こいつの一体どこが登山道だってんだ!?」と罵ってるのを耳にしたトミーが、それをきっかけに他に道がないかを探し始め、そして間もなく正解を見つけた。

つまりトミーは私の罵り声に助けられ、そして私は今度は今しがた登らされたばかりの登山道でも何でもない岩壁を「降りる」という厄介な作業に取り組まなければならなかった。


そんな感じで、よろよろになって足が進まないうえに全く無駄な作業に時間を浪費した私がその事態に大きく貢献した事は間違いないが、私たちがようやく「八合目」と刻まれた石柱が倒れたまま放置されている地点に辿りついたのは一二時四五分の事だった。標準的なコースタイムによれば、既に小屋には着いてなければならない時間だ。

恐らく当初想定されていたコースを歩き切る事自体は可能だろうが、その場合、日没前に新開道を下り切るのはたぶん不可能だろう。私は持って生まれた「柔軟な」思考力に基づく賢明な判断により、少なくとも私はロープウェーで下山する事をトミーに提案した。八つ峰の鎖場をずっと以前から楽しみにしていたトミーはまだまだ体力があり余ってる風なので、トミーがどうするかは彼自身の判断に委ねる事にしたが、トミーは「もう鎖場は十分楽しみましたから」と言い、私と共にロープウェーで下山する、と答えた。

そいつが本音かどうかは分からない。だいたい私が余計な事を言い出さずに素直にロープウェーで登るコースを選択していれば、今ごろトミーは念願の八つ峰を踏破して山頂でランチを楽しんでいたかもしれないってのに、それでも彼は私に気を遣ってそんな風に答えたのかもしれない。何てナイスガイなんだ、トミー!


結局、私たちが千本檜小屋に着いたのは一三時五〇分の事だった。駐車場を出発してから既に六時間が経過していた。私たちは小屋の前のベンチを占領してランチを貪り、水場へ水を汲みに行ったりそこから見える景色を写真に撮ったりして一時間近くそこで過ごし、それから最終便のロープウェーを逃さないぎりぎりの時間と思われる一四時四〇分にはそそくさと出発した。


一六時三〇分にはロープウェーの「山頂駅」に到着した私たちは、最終便の一本前のやつに乗って麓まで下り、山麓駅の駐車場から一時間近くかけてスタート地点まで歩いて戻った。結論から言えば、私が登りコースでへばってしまった事が結果的に二人を救った。私は経験則から一九時までに下山できれば問題ないと本気で思っていたが、八海山は西日本のどこかの山と違って一八時には十分に暗かった!


それから私たちは近場の露天風呂へと車を走らせ、お互い生まれて初めての「混浴風呂」で山歩きの疲れを癒すと同時に、お婆さんがちゃんと前をタオルで隠して風呂場に入って来る事に感心し、ディナーに向かった「欅亭」で私がニ〇〇グラムのステーキをオーダーしたらサービス精神旺盛な料理長は四〇〇グラムはあろうかという特大ステーキを焼いてよこしたので、一緒に頼んだオムライスはゆっくり味わうまでもなく無理やり腹に詰め込む羽目になり、そして私より調子に乗ってたくさん注文してしまったトミーは私の正面でナイフとフォークを両手にうめき声を上げていた。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/欅 亭]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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