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August 16, 2013 やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。 米子を訪れたついでに私は石見銀山まで足を延ばす事にした。途中、出雲大社に寄り道する事にしよう。 臨時駐車場に車を止めてシャトルバスに乗り込むと、バスは「古代出雲歴史博物館」まで私たちを運んでくれた。そこから出雲大社までは歩いて五分もかからないのだが、その博物館もなかなか面白そうだったので、私は参拝帰りに立ち寄る事にした。 「松の参道」を歩いて行くと左手に手水場が現れるがこのざまだ。 神には悪いが私は手洗いを省略した。 鳥居をくぐるとすぐ目の前にある拝殿には参拝客が殺到していた。たぶんそれでも正月の参拝客に比べれば控えめな方なんだろう。炎天下にも関わらず私は辛抱強く私の番が来るのを待ってから、コインを木箱に投じて形ばかりの参拝をした。 周りの参拝客を観察してると、どうやらここでは四回も手を叩くのが流儀らしかったが、そんなものは無視だ。 参拝を終わらせて建物の裏側に回ると、そこでも別の建物の前で参拝客が列を為して自分の番を待っている。後から調べて分かった事は、わたしが始めに参拝した建物は「拝殿」と呼ばれる建物で、その裏に神がおわします「本殿」というのがあるという事らしい。 おまけについ先日まで、そこの神はその「本殿」の改修のために本来の神の家を離れて「拝殿」の方に滞在していて、いまはやっぱり元の棲み家に戻っているらしい。で?結局どっちで参拝すればいいんだ? 私は一応「本殿」の方でも形ばかりの参拝をした。こう言っては何だが、私にとって「参拝」という行為は、例えばクリスマスの夜になるとみんなでケーキを食べるのと同じようなものだ。それをやったから良い人生を送れるわけでもないし、実際、神がおわすとされている聖なる空間には空気しかないと分かっていても、それはちょっとした旅の記念のイベントとして実施されるべきものだ。 私はそういう科学的なスタンスを重視する人間なので、たぶん神に本気でいろんな願い事をしているからか、いつまでも手を合わせて拝み続けてるような参拝客を見ると、本人は信仰心が厚いゆえにそうしてるつもりなんだろうが、私にはただの欲深い人間にしか見えない。 参拝を終わらせてから境内を一周していくつかの歴史的な建造物を鑑賞し、最後に「おみくじ」。出雲大社の「おみくじ」は吉だの凶だのといった分かりやすいランクのようなものは書かれていない。私が引いたのは「第二十五番(内容はインターネットで検索すれば出て来るだろう)」。 その後、博物館に移動して出雲の国の歴史を勉強する。この博物館、かなり内容が濃い。真剣に観覧した場合の所要時間は二時間。 今でこそ人口は流出する一方で社会の発展から完全に取り残されてしまった感がないでもないこの地域も、「青銅器文化」の栄えたニ〇〇〇年以上前には非常に大きな勢力を持つ部族が支配していたと思われる事が近年になって判明し、従来の九州や近畿が当時の文化の中心を担っていたとされる通説は覆されつつあるようだ。 この地域は、ただ単に「縁結びの神様」がいるというだけではなく、もっと歴史的、文化的側面からその価値を広く認知されなおす必要があるだろう。ただ何でもお願いしに来ればいいってもんじゃない。 腹がへったので「出雲ぜんざい」を賞味するため神門通りへ。猛暑のなか、お目当ての店には何組かの行列が出来ていたので即座にパス。大鳥居の目の前にある「おくに茶や」という店はすぐに入店できるというのでそこにする。 おくに茶やの「冷やしぜんざい」。 お代は六〇〇円。もちのサイズが目を引くが、それだけに留まらず、小豆の風味がほどよい甘さに抑えられていて、なかなか私好みだ。 ※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/おくに茶や] シャトルバスで駐車場まで戻って、いよいよ石見銀山へと移動。 まずは「世界遺産センター」へ。一七時三〇分閉館だと言うが出雲の博物館で思いのほか時間を食ったので、私がそこに着いたのは一六時過ぎ。 少し遅かったか、と思ったが余計な心配だった。展示の内容があっさりしていて、観覧は小一時間で終了。 坑道の中を見てみたかったのだが、メインの坑道、つまり江戸時代初期に銀山奉行として名を馳せた長谷川長安の名前にちなんだ「長谷川間歩」に立ち入るにはガイド同行のツアーに事前に予約をしておく必要があると言う。予約なしで中に入れる「龍安寺間歩」というのもあるが、そこは受付が一七時までであるうえに「遺産センター」からはほどよく離れた場所にあって間に合いそうにない。 そうなると私がとるべき道はただひとつだ。たぶんもう誰もいないであろう「長谷川間歩」の入り口まで赴き、あわよくば SUREFIRE のライトを片手に「侵入する」。 「長谷川間歩」の探検ツアーの集合場所とされている駐車場まで車を走らせると、案の定、車は一台もとまっていなかった。そこから山道をニ〇分も歩けば「長谷川間歩」のようだ。 その先は(私にとっては)踏み跡も明瞭でサンダル履きでも何の問題もない「親切な」山道だ。いくつかの史跡の前を通り過ぎつつ、汗だくになりながら登っていくと、やがて前方に怪しい霧かもやのようなものが見えて来た。「長谷川間歩」だ。 坑道から冷気が漏れている。事実、坑道入り口の前に立つと入り口から何とも冷たい風が吹き付けて来て涼しいどころか寒い位だ。 入り口は南京錠で施錠されていた。私の技術ではそいつを破って侵入するのは無理だ(もちろんそんな事を実践するのは犯罪だ)。 いい塩梅に涼んだところでさらに先へと行くと「釜屋間歩」がある。岩に直接彫りつけられた階段で有名なスポットだ。 手元の案内図によれば、もう少し先まで行くと「石銀集落」というのがあるらしい。先人の暮らしの痕跡が伺い知れるような貴重なスポットだとしたら、そいつを目にしないでは帰れない。私はまた山道を登り始めた。 そこから先の山道はあまり人が踏み入ってないようで、草で覆われていた。自然生物に対して無防備極まりないサンダル履きで登って行くには少々勇気がいるシチュエーションだ。さらに登って行くと、あろう事かスズメバチが一匹、私を威嚇するように私に向かって飛んで来た。ミツバチが百匹単位でかかって行ってもかないそうにない巨大なやつだ。 おいおい、スズメバチの巣の前を通り過ぎてまで見に行かなきゃならないほどその集落は素敵なスポットなのかい? 立ち止まって様子を伺っていると、スズメバチは道のわきの葉っぱに止まって何やら仕事を始めた。そいつを千切ってって新しい巣でも作る気だろうか。少なくともやつは私にはもう興味がないようだ。私は何事もなかったかのようにまた山道を登り始めた。 そこから「集落」までは三分もかからなかった。案内板によれば、たしかにそこには銀山の運営に関わったひとびとが暮らしを営んでいた痕跡を示す数々の出土品があったらしい。 だが今はただの更地だ。写真か何かで見れば十分で、危険生物が出没する山道を汗だくになって登ってまで見に行かなければならないものではなかった。 私はやっぱり帰り道でも例のスズメバチに追いかけ回されながら、逃げるようにその地を後にした。 米子まで戻った私のディナーは「一番軒」の塩ラーメン。 もやしとネギのたっぷり入ったスープがほどよいコクを感じさせる私好みの一品だ。叉焼も柔らかくて言うことなしだ。並は五〇〇円で大盛は七〇〇円。 ※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/一番軒] 何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。 以上だ。 |
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