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July 21, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

沖縄滞在五日目のランチはキングタコスの与勝店だ。本店には訪問済みだが、メニューに大きな違いはない。

夏の沖縄のじめじめした暑さと昨晩までの暴飲暴食のせいか、胃腸の働きが決して好調とは言えない私は、皿に溢れんばかりに盛られるタコライスは敬遠して「タコサンド」を一個だけ注文した。





たったの二〇〇円だが、一般ピープルの昼食としては、これ一個で十分過ぎる位のボリュームがある。


そこから目的地の「宇堅(うけん)ビーチ」までは車で二〇分ほどだ。





ウミガメが産卵に訪れる自然のままのビーチとか何とかいう触れ込みだったので敢えて遠出をしてみたってのに、そいつは真っ赤なウソだった。ウミガメの行(くだり)は知らないが、そこはどう好意的に評価しても、これ以上のものはないという位の人工ビーチだった。

そして多くの場合、私は人ごみを避けるように、人々に「穴場」と呼ばれるようなスポットに好んで出かけるが、そのビーチは「穴場」過ぎて地元民のたまり場の風情だった。別に地元民に何か著しい問題があるわけではない。問題なのは、そこに洗練された水着を着こなす美しい尻をした女性の海水浴客がただの一人もいなかった、って事だ。真夏のビーチにわざわざ出かけて行って、それとカキ氷のほかにいったい何の楽しみがあると言うのか。


夕食は「丸長食堂」で中身汁。ライスとバターが付いて(バターライスにしろ、という事らしい)六〇〇円ぽっきり。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/丸長食堂]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




July 20, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

国際通りにある「牧志公設市場」では、一階の鮮魚店で買った魚を二階の食堂で調理させ、その場で賞味する事が出来るらしい。観光客向けの胡散臭い商売の匂いがしないでもないが、東京から合流したうちの一人がどうしても行きたいというので乗り込んだ。

ヤミ市から始まっただけあって、とんでもなく狭いスペースにいくつもの店がひしめくその市場に私たちが足を踏み入れた時、それほど混雑していなかったのは幸いだった。私は勝手に魚市場を想像していたが、そこには精肉から青果まで一通りの店が揃っていた。


早速、連れの一人が鮮魚店の親父に掴まった。キャッチセールスは例外なく法律で取り締まればいい、と思っている私は、はじめは知らんふりをしていたが、親父の熱心な商品説明に「うんうん」と頷きながら、それらの値段を知ることにビビってるようなので、私はついにしゃしゃり出てそこにあるほぼ全ての魚の値段を聞き出した。





「オジサン」は六〇〇円。





「アバサー(ハリセンボン)」は八〇〇円。





伊勢エビは二〇〇〇円だと言うのでそいつも購入。参考までに、と食い下がって聞き出そうとしたら「(高過ぎて)値段を口にするのも気が引ける」と親父が謙遜していた最高級のセミエビ(かなり巨大なやつだ)ですら、わずか八〇〇〇円だった。いったい東京で客に出されるエビ料理の原価率は何パーセントなのか。


総額(たったの)四五〇〇円ほどの支払を済ませた私たちは親父に導かれて二階へ。通されたのは「がんじゅう堂」という食堂だった。

私たちのほかに観光客らしきアベックが後ろに座っていて、ちょうど彼らのもとに、大皿に山のように積まれた唐揚げが運ばれて来たところだった。何の唐揚げかは分からないまでもとても美味そうな唐揚げだったが、私には彼らがそれらを全部平らげる事が出来るとは到底思えなかった。


私たちの席の方にまず供されたのは、たしか七〇〇円の「刺身の盛り合わせ」。

※伊勢エビは別料金





一番手前は「イラブチャー(アオブダイ)」だ。コバルトブルーのその奇妙な魚は、調理すると色が変わってしまうらしい。とても残念なことに他の魚の名前は忘れてしまったが、それらの魚はもちろん例外なく美味かった。


次に「オジサン」のバター焼き。





ご親切に巨大な「イラブチャー」の頭までサービスで付いて来たのでもう全員が腹いっぱいになった。あれ?そう言えば「アバサー」はどうなったんだ?さっきの刺身の中にでも入ってたのか?

中国人と思しきアルバイト店員を掴まえて聞いてみると、アバサーが既に提供されたのかどうかは分からないが(それでも店員か?)アバサーを生で食うことだけはありえない、と言う。嫌な予感がしたところに、例のアベックの席に差し出されたのと同じものが私たちのテーブルにも届けられた。





何ともご丁寧なことに、こちらにも巨大な「イラブチャー」の頭がサービスされている。最後に伊勢エビの味噌汁が出て来る事を知っていた私たちは、それを持って帰る事は出来ないので、潔くたったいま提供されたばかりの大量の唐揚げを全て持ち帰るためのプラスチックパックの提供を店員に依頼した。

「調理代」は本来一人五〇〇円。なぜか私たちは三人で九〇〇円しか請求されなかった。たぶん調子に乗って食いきれないほど買い込んでしまった「上客の」私たちに、あの親父が恩情ある配慮をしてくれたに違いない。


充実した食事を終え、そこで購入した食材の質もさることながら、過剰なまでの「サービス」に十分過ぎるほど満足した私たちは、ひとこと礼を言うために、あの親父のいる鮮魚店を再訪問した。礼のついでに私はその偉大な親父の写真を撮らせてもらう事にした。

私はそのとき親父に、その写真は私のブログに掲載されるだろう、とは一言も言わなかったが、それはつまり私の親父に対する心からの感謝のしるしでもあるし、親父の魅力をぜひ世界中の人々に知ってもらいたいという願いの表れでもある。あの素晴らしい公設市場の永続的な発展のためにも、親父はその事を恥ずかしがったり嫌がったりするべきではない。





※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/湧川鮮魚店]


その後、夕方、涼しくなる頃合いを見計らって「新原(みいばる)ビーチ」へ。





まる一日以上経って私は気づいたのだが、シャツを脱いでくんくん嗅いでみると、どうも私の体臭がとんでもない事になっているようだ。例の山羊の刺身の仕業だろう。

私は山羊肉の臭いなんて全く気にもかけずにペロリとそれを平らげたが、もしいま私の肉にどこかの捕食動物がありついたとしても、その臭いを嗅いだだけで顔をしかめて黙って立ち去ってしまうだろう。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




July 19, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

沖縄滞在三日目のランチは、インターネットで頗る評判のいい「すーまぬめぇ」で「スペシャルそば」だ。六五〇円とまずまず低価格ながら、ソーキに三枚肉にテビチまで盛られた豪華な一品だ。





まずそばが手元に供され、随分時間が経ってから笑顔の素敵な四十がらみの女性が「忘れてました」と薬味と骨を吐き出すための器を持って来た。そのとき私はまだテビチには全く箸をつけてなかったのでちっとも問題はなかった。一旦テビチを口にしたが最後、それを完食するまでに吐き出さなければならない骨の数は、スイカに含まれる種の数より多いか、限りなくそれに近い。

ところで「すーまぬめぇ」の「スペシャルそば」は、私の基準によれば、限りなく最高ランクに位置づけられるべき「沖縄そば」である事が判明した。あらゆる肉がほろほろで、たっぷり含まれる脂分は私好みであるうえに、ダシ汁が上品なので、その脂濃さがまるで気にならない。

薬味として供された「フーチバー」は山羊の刺身に添えられていたやつだ。大葉を見たらそうするようにまるまる一枚を口に放り込んで、それこそ苦い思いをした私は、それを手で細かく千切って汁に浸ければいい事を学習した。沖縄県民の誰一人としてそうはしなかったとしても、私はそれこそが正しい方法だ、と主張し続けるだろう。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/すーまぬめぇ]


夜は東京から新たに合流した二人を連れて、また ジャッキーへ。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




July 18, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

東京からやって来て現地合流した若いのと昼は ジャッキーへ。ビジネス絡みの所用を無事に終わらせて、夜は何がいいかと聞いたら、山羊はごめんだが沖縄料理の店がいいというので昨日訪問したわらじ屋へ。

出発前にホテルで「スチカー」とか「ジューシー」とか沖縄料理の難解な料理名について少々予習をしていると「イラブ汁」という料理名に出くわした。滋養強壮によろしい海ヘビの汁モノ料理らしい。何でもその沖縄近海に生息するコブラ科の海ヘビにはハブの八〇倍もの強さの毒があるそうだ。そういう無駄に他を圧倒する能書きは嫌いではない。

いざ「わらじ屋」に到着すると例のおばさんはもちろん私を覚えていた。今日「山羊の刺身」を注文したならば、おばさんは私たちに快くそれを提供したに違いなかったが、若いのは断固として拒否した。

何気なく昨日のボードを見てみると、昨日は(そもそもその意味が分からなくて)全く気にもかけていなかったのだが「イラブ汁 ¥ニ〇〇〇」とはっきり書いてあった。私がそれを注文しない理由はどこにもなかった。





山羊にあれだけ激しい拒否反応を示した若いのは、この料理には少しばかり興味を示していたが、運ばれて来た丼に輪切りにされた巨大なヘビの肉片が浮いているのを見て顔をしかめた。私がそれを箸でつまんでヤコブ病患者の脳みそを思わせるその断面を見せてやったときの反応は、もちろん私の期待通りのものだった!





そのヘビの肉片は、見た目はともかく口に入れてみると、ニシンそばのニシンを思わせるような薫り豊かな一品で、「試し食い」に挑んだ若いのもその風味にまんざらでもない様子だったが、とにかく小骨が多くてそれを取り除く作業は面倒きわまりなかった。だがよく観察すると骨の付き方はワンパターンなので、無造作にそれを口に放り込む前に箸で丁寧に骨を取り除く作業をやっておけば、身に混じった骨を舌で選り出しながら一本一本吐き出すような煩雑な作業からは解放されるだろう。

皮の食感は秀逸だ。ちょうど「くえ鍋」のくえの皮のように、いかにもコラーゲン繊維をたっぷり含んでそうなプリプリ皮だ。ややとろみがかった濃厚なスープには、ほかによく味の沁みた大根や昆布なんかが放り込まれてあった。私は、こうした手間を惜しまない手作りの料理を提供できる日本中の料理屋が、私が訪問するいつかその日まで一日でも長く営業を続ける事を祈らずにはいられない。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/わらじ家]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




July 17, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

ビジネスのために那覇に下り立った私は、いつもなら ジャッキー に直行するべきところを、気分を変えて郷土料理の店に入った。

注文取りのおばさんにミミガーやラフテーを注文した私がふとカウンターの奥に目をやると、ボードに「山羊の刺身 ¥一二〇〇」と書いてある。ほぉ、面白そうだ。おばさん、山羊の刺身もひとつだ、とおばさんに告げると、おばさんは私にそいつを食った事があるのか、と聞いて来た。

もちろんないのでそう答えると、そいつは非常に好き嫌いの分かれる食べ物だ、と、そいつが私の口に合わない可能性をやんわりと指摘する。私は好き嫌いのない男である事を丁重に伝えたら、まず半人前だけ持って来ると申し出てくれた。そいつはいい提案だ。万一おばさんの警告がハッタリではなかったりしたら、出された料理は必ず完食する主義である私にとって、そんな危険極まりない料理は少なければ少ないほどありがたい。





運ばれて来た料理は、私の予想とは少し違って、獣の皮に少しばかりの生肉がこびりついた感じの「刺身」だった。酢と生姜とスダチを使うとより一層美味い、と、親切なおばさんは去り際に教えてくれた。

私はその通りにして一切れ目を口に放り込んだ。美味いぞ。しかし醤油をつけた方がさらに美味いだろう。二切れ目からはそうする事にして、一切れだけは、蕎麦にうるさい連中がよくやるように「薫りを楽しむために」何もつけずに口に入れた。普通に美味いじゃないか!

肉の風味よりは皮のこりこりした食感を楽しむ料理のようにも思えたが、いずれにしても私は何の支障もなく「半人前の」山羊の刺身をペロリと平らげた。おばさんがやって来て「本当に全部食べてしまったのねぇ」と呆れたように私に言ったが、私にはおばさんが何をあれほど懸念していたのか最後まで理解出来なかった。つまりそれほど美味かった。

もちろんおばさんは過去にこの素晴らしい料理の何かが気に入らなくて、それを注文した事を後悔する羽目になった哀れな客を何人も目にして来たゆえに、私が同じ目に合わないで済むように気遣ってくれたのだろう。私がおばさんに教えを乞うたところによれば、地元の人々ですら、その料理に対する反応は人によってまるで違ったものになるらしい。私にとってはまるで不思議な事だが、私はその事実をおとなしく受け入れるしかない。


※詳細 → プッシー大尉烈伝 [美食編/わらじ家]


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。




July 10, 2013


やぁ、諸君。私がプッシー大尉だ。

富士山に徹夜で登って日の出を堪能し、山小屋には泊まらずそのまま下山する「弾丸登山」が大流行しているそうだ。私も富士山の登山は 経験済み だ。あんなのろのろ登山のどこが「弾丸」だって?まぁそれはいい。

その「弾丸登山」とやらが「危険だ」という理由で当局は自粛を呼びかけているらしい。まことに馬鹿げている。

私はむしろ富士山でいま営業している各山小屋に「宿泊する」事の方を自粛するよう登山者たちに呼びかけたい。何も私の泊まった山小屋の味噌汁が四〇〇円もした事を根に持っているわけではない。その就寝環境の劣悪さで体調を崩す登山者こそ、未知の高地で「危険な」目に合わせられる人々に他ならないからだ。

世界中どこでもそうだろうが、世界遺産への登録に熱をあげる自治体の動機は「経済効果」だ、というのが私の断定的な推測だ。経済効果?深みのあるいい言葉だ。平たく言うと「金」だ。

登って降りるだけの登山者はほとんど金を落とさない。「ほとんど」と言うのは、仮に小屋には泊まらなくても、登山者たちは富士山で便所を使うときには強制的に「チップ」を徴収されるからだ。その「チップ」は登山者たちのクソや小便に富士山の美しい自然を冒涜させないための必要経費であって、誰かの利益になるものではない。

話は戻るが、「弾丸」たちは自治体の目論見通りに金を落とさない代わりに、あの山小屋の劣悪な環境がそれ以上劣悪にならない事には少しだけ貢献する。この事は誰にも否定できない動かしがたい事実だろう。私は、誰も山小屋に泊まらなければ山小屋はどんどん潰れて、跡地にもっと立派なのが建つだろうから今ある山小屋には泊まるな、とは言ってない。私は思った事を何でも口にするほど思慮の浅い人間ではない。


何か質問は? OK。諸君の健闘を祈る。

以上だ。



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