1:04 2013/03/17
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File No. 0012:原発の再稼働はそれほど悪いことなのか
選挙の結果、与党が安定多数の議席を確保しました。国民は概ね安倍政権を支持する判断を下しました。最も国民の支持を取り付けた勢力によって政権が運営される決まりである以上、そのことについて今更とやかく言うことはあまりフェアーな態度とは言えません。

最終的に国民は、ある勢力が政権を担うと決まってしまったら、たとえそれがおよそ有能とは思えない前近代的で的外れな政権であっても、彼らが進める政策を理解し、おそらく引き起こされるであろう(ろくでもない)結果を予測したうえで、どう自分は立居振る舞うべきか、を考えて行動するしかないのです。

ですがそのことは、決して人々の投票行動を注意深く観察し、その意味するところについて懐の深い考察をくわえてみることの意味を否定するものではありません。
 


原発のある地域では軒並み原発推進派である与党候補が当選しました。その選挙区の多くの投票者たちは原発の再稼働を熱望し、自らの意思で推進派に清き一票を投じたことでしょう。そのことはつまり、彼ら多くの有権者たちは、原発が引き起こしうる最悪の事態を想定したうえで、そのリスクも受け入れたことを意味しています。

しかしこれは私の推測ですが、おそらく彼らの思考能力では、いざその「最悪の事態」が起きてしまって彼らが住みなれた土地を追われることになったとき、それが過去に犯した自分たちの誤った選択がもたらした必然の結果であるという事実にまでは考えが及ばないでしょう。

もちろん何事も起きなければ、彼らのうち一定の割合の人々は「原発マネー」の恩恵に預かって、原発がいつまでたっても稼働できない場合よりいくらかいい暮らしができるかもしれません。ですから私は彼らの投票行動を否定も肯定もしません。ただ、もし彼らの人生を一瞬にして大きく狂わせるような「最悪の事態」が起きてしまっても、もはや彼らに同情の目を向ける必要などない、ということをよく覚えておけばよいのです。
 


福島の災害は私たちに多くの教訓を与えてくれました。まず、原子力発電は低コストであるという主張は妄言であったこと、日本の電力会社のもつ技術力は原発を「絶対安全」に稼働させる水準になど遠く及ばないこと、そのような大きな負の側面をもつにも関わらず利権がらみでどうしても原発を稼働させたい勢力が存在すること、そして原発が1基も稼働しなくても必要な電力は十分まかなえること、などです。

ですが原子力発電という発電方式は、それが安全に行われているうちはクリーンで効率的な発電方式であることもまた事実です。その技術を無駄にすることなく大いに活用し、さらに起こりうるリスクを許容することは、大局的な地球環境の保全という視野にたてばあながち間違った選択ではないのかもしれません。

むしろ私たちは、あれだけ危険な発電施設を喜んで引き受けてくれるという(ゴミまで引き受けてくれればさらによいのですが)地方の人々の声に、もっと真摯に耳を傾けるべきかもしれません。もちろんそれは彼らの意思であり、何が起ころうとも結果責任は彼らにあります。私たち都市部の電気ユーザーは、それに見合った電気料金を払ってさえいればいいのです。

都市部に放射能が降り注ぐという「本当に」最悪の事態さえ起らないのであれば、私たちは、たとえこの国のどこかで海のものとも山のものとも分からないような技術者たちの管理の元で商業用濃縮ウランが日常的に核分裂を起こしているという事実に向き合うときでさえも、さほど神経質になる必要はないのかもしれません。
 


日本中が騙されていたのと同様に騙されていた福島の人々はともかく、これから先、もしもまたぞろ同じような被害にあう気の毒な「田舎者」が現れたとしても、もうそのときは誰が「被害者」で、誰がそうでないのか、私たちは冷静に見極めるべきです。

もし都会で使う電気のために自分たちが犠牲になった、なんて主張する「田舎者」がいても、それはまやかしです。彼らはちゃっかり都会の人々が支払う電気代の一部を、直接的か間接的かを問わず懐に入れていた立派な「利害関係者」なのです。

原発に近い地域の住民のなかには、端から原発には否定的なスタンスを取り続けた人々もいることでしょう。私たちは彼らの怒りや悲しみを共有する事はできるかもしれませんが、それでも最終的に彼らの矛先は、発電方法は問わず電気さえ使えればそれでいい都市部の電気ユーザーではなく、もっと身近にいる多数派の「リスクテイカー」にこそ向けられるべきなのです。

先にも述べたように、私は原発の至近距離に定住していながら原発推進派に票を投じた人々の選択を否定も肯定もしません。ただひとつだけ、見え隠れする彼らの本質を言い当てるとするならば、何よりも安全な故郷を求めて投票行動に移した沖縄の人々とは違い、結局のところ彼らはすなわち、未来の住み慣れた美しい故郷を目先の金で売り渡してしまった浅ましい人々なのです。


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