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File No. 0005:一夫一妻制は全ての人々を幸せにするのか
小鳥のつがいの仲睦まじい姿は私たちの目を和ませてくれますが、およそ三〇パーセントの個体は「浮気」をすると言われています。オスの個体だけではありません。メスの個体も同様に「浮気」をするのです。

少なくない数の人間の男性が嬉しそうに主張するように、一般的に、高等生物のオスが一匹でも多くのメスと関係を持てるように努力を惜しまないのは、少しでも多くの子孫を残すために彼らに植え付けられた「本能」に基づく行動特性です。一部の「積極的な」オスの小鳥が、巣の中で健気に卵を暖めているメスの目を盗んで、せっせと他のメスへの求愛を試みる事は、むしろ生物として実に「あっぱれな」振る舞いなのです。

ですが、メスが「浮気をする」という事実の合理性を、今述べたような理屈で説明する事は出来ません。メスの「浮気」の合理性を考察するなかで、私たちが「常識」として教え込まれている人間社会のルールが、実はそれほど説得力を持つロジックに基づいたものとは言えない、むしろ脆弱な理屈のうえにかろうじて成り立つ、半ば虚構に近いものである事実が垣間見えて来ます。
 


多くの高等生物が採り入れた生存システムのあり方に反して、今日の人間社会に於いては、ほとんどの国家もしくはコミュニティーにおいて「一夫一妻」制を採り入れています。その背景には、一般論として、人間のメスが、−もちろんオスもそうなのですが−単独で子育てをするだけの十分な能力を必ずしも有していない事実が挙げられます。小鳥の「育児」が、親の一方が卵を暖めるか巣を守っている間に、もう一方の親が餌を集めて来るという役割分担のもとに成り立っているのと同様に、オスはメスに産ませっぱなしでその後の育児には関知しないでさっさと次のメスを探しに旅に出る、というやり方では、人間は優良な子孫を確実に残して行くことが出来ない生き物なのです。

この事は、おむつ替えや保育園の送り迎えをする事だけではなく、労働によって賃金を得て家族の衣食住を保障する、という行為もまた立派な「育児」である、という、なぜか昨今忘れ去られがちな当たり前の事を再確認する契機になると共に、複数のメスに産ませた子供すべてを養育できる能力、つまり人間の場合、あからさまに言ってしまえば相応の「財力」を持つ「オス」が、そうする事を批難したいのであれば、「一夫一妻」制の有する、それとは異なる次元の「普遍的な」正当性が提示されなければならない事を意味しています。

ではそれに該当する何か強力な論拠はあるか? おそらく「ノー」です。感情論や宗教的な価値観といった個人の主観に基づく「願望」はいくらでも提示され得ますが、ロジックとして反論の余地のない、普遍的で、絶対的な正当性を「一夫一妻」制に認めうる論拠が提示される事はないでしょう。であれば、一人ひとりの多様な価値観が尊重されなければならない成熟した民主主義社会において、全ての人々が「一夫一妻」制を受け入れる事を強制されるような「ムード」は全く適切なものではないのです。
 


法律をはじめ、その他の手段を駆使して「一夫一妻」以外のあり方を徹底的に排除する事を試みる人間社会の取り組みは、必ずしもその社会の継続にとって良い効果をばかりもたらすとは限りません。例えば少子高齢化で社会の存続が危ぶまれてすらいる日本に目を転じた場合、「一夫一妻」という制度の呪縛のなかにあって、子どもを産む意志や能力を持っているにも関わらず、いつまで経っても結婚できず、子供も持てない女性が溢れ返っています。

彼女たちはもちろん、既に妻のいる男性との間に子供をもうける事については激しい拒否反応を示すでしょうが、それは彼女たちが生まれながらに「一夫一妻」という制度の存在を刷りこまれているからに過ぎません。彼女たちは、当たり前に「一夫多妻」のシステムを採用する社会に生まれていれば、その制度に自然に身を委ねる事で、何の抵抗を感じることもなく、今ごろは立派な子供に恵まれていたかもしれないのです。

もちろん私が言いたいのは、だから日本は「一夫多妻」制に移行するべきだ、という事ではありません。私がここで指摘しておかなければならないのは、あまりにも当たり前な事として、つまり多くの人々にとって「常識」として、絶対的に「正しい」ものとして受け入れられているシステムや考え方も、実はそれほど「正しい」ものでも何でもなく、むしろ時として大きな負の側面をすら持っている、という事です。
 


「一夫一妻」制度がもたらすもうひとつの負の側面とは、親になる資格のない個体が親になるケースです。「一夫多妻」社会においては、きわめて初歩レベルの数学的な理由により、相応の数のオスがあぶれます。自然界に置き換えて率直に表現するならば、彼らは同種間における生存競争において淘汰されるべき個体、あるいは、まだ子を持つには未熟な個体、という事になります。つまり「自然界の」ルールに則れば、少なくともその時点では、次の世代に遺伝子を引き継ぐべきでない「劣った」個体とも言えます。

「一夫多妻」の社会であれば、そのようなオスを「選ばなければならない」メスは理論上「いない」事になります。ですが「一夫一妻」の社会に於いては、一般的に優秀なオスは同じく優秀なメスによって既に確保されていると考えられ、つまり、あまり優秀でないメスは、本来淘汰されるべきオスを選択せざるを得ない、という事になります。

例えば人間社会において有能なオスとはどのようなオスなのか、ここでは「必要とされる程度の快適な生育空間をメスや子どもに与える事が出来る」オスという事にしましょう。何も大金持ちである必要はなく、もちろん物質的な豊かさも多少は必要ですが、むしろ精神的な豊かさ、安心感のようなものもまた、そこでは重視されるべきです。

「一夫多妻」の社会においては、少なくともルール上、身近にいる「有能な」オスを選ぶ権利が全てのメスに与えられますが、「一夫一妻」制度においては、「メス」同士の争いに敗れれば敗れるほど、敗れた「メス」は「無能な」オスとペアを組まなければならない状況に追い込まれて行きます。だめなメスにはだめなオスがお似合いだ、と言ってしまえばそれまでですが、それらの問題が必ずしも「淘汰されるべき」男親によってのみもたらされる結果とは言えないまでも、私は例えば親から「虐待」を受ける子どもや、親の都合で「捨てられる」子どもや、パチンコ屋の駐車場で命を落とす子どものニュースを耳にする度に、その事を考えずにはいられません。
 


話を小鳥に戻しましょう。「浮気」をするメスの真意は、「一夫一妻」という、育児を行ううえで必要なシステムには参加しつつも、より優秀なオスの遺伝子を受け取るチャンスを簡単には放棄しない、という強い意志です。人間の言葉に置き換えれば、「私はあなたに餌を運んでもらう必要があるの。でもごめんなさい、あなたの遺伝子では不足だわ」という事です。

もちろんオスはその事実を知らないのでしょう。そしてそのメスによる、一見、不道徳のお手本のような、あまり物事を深く考えない人間たちが顔をしかめたくなるようなオスへの背信行為は、決してメス自身のために行われているものではありません。それは、厳しい自然を生き延びていかなければならない彼女の「子供たち」に少しでも生存適性を持った遺伝子を遺してあげたい、という、彼女なりの精一杯の「親の愛情」なのです。

「一夫一妻」制の敷かれた人間社会において、ある母親がメスの小鳥と同じ事をしたならば、たちまち激しい非難中傷の的になるでしょう。ですが、少なくとも生物学的にその行為は「正しい」行為なのです。「一夫一妻」制度は、それらの「正しい」行為を倫理や道徳の名の下に意図的に排除する事で初めて成り立つ制度です。一見、社会の秩序のためには合理的に見えこそすれ、目を凝らしてよく見てみると、結婚できずに子どもが持てない女性や、良質な親に恵まれない可哀そうな子どもたちの犠牲の上に初めて成り立つ、何とも不完全で残酷な制度なのです。


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