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File No. 0001:専業主婦志向の高まりは何を意味するのか
先日、私はとても興味深い新聞記事を見かけました。それまでは減少の一途だった「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」と考える人の割合が全ての年代で増加し、再び過半数を超えたというのです。かつて「男女差別の象徴」とされていた、性別による役割の固定化に肯定的な人々が増加しているのです。

まず、この考え方が「正しい」という事は、成熟した民主主義社会の中では絶対にありえません。唯一の正解は「その夫婦が自由に決めればよい」です。世間一般の夫婦の役割分担のあり方について「こうあるべき」というひとつの解を求めようとするのは、多様な価値観が尊重されるべき社会の中にあって正しい態度とは言えません(あなたは妻となって家庭を守りたいですか?という設問にイエスと答えるだけなら問題はないでしょう)。

ただ、その事は私が今回ことさら取り上げたいテーマではありません。それよりも私がこの結果を受けて是非見てみたいのは、ジェンダーフリーを唱えて性別による役割分担を社会から一掃する事に心血を注いで来られたフェミニストの皆さんのマヌケ面です。人々はようやく彼らの主張や存在価値を否定する方向へと舵を切り始めたと考えてよいのではないでしょうか。
 


おそらくフェミニズムの意に反して、若い女性の間では専業主婦志向が高まっているようです。それが意味する事は歴然としている、と私は考えています。フェミニズムが全ての女性によかれと必死に戦って獲得して来た「女性の権利」が、いまや一定の割合の女性たちにとっては迷惑で押し付けられたものでしかない、という事です。権利を得る事は出来ても、それを行使するには努力や覚悟や忍耐や、時には苦痛をも伴わなければならない事に誰も気づいていなかったとしたら不幸なことです。

若い女性の専業主婦志向の高まりから見えて来るものとは、率直に、彼女たちの「外で働く」事への意思や覚悟の欠如と言ってしまっても差し支えないでしょう。誤解を招きたくないのですが、私は「全ての」女性がそうだ、と言っているのではありません。あくまでそういった層の女性も間違いなく存在している事を指摘しているに過ぎません。

そしてもちろん私は、そのような女性たちの生き方や考え方を否定するつもりもありません。外では働かない。代わりにしっかり家庭を守る事に専念し、全うすべき役割を追求して幸福な家庭を築く事に貢献する。ひとつの立派な選択だと私は思います。ただ、そのような生き方を自らが選択したのであれば、夫が家事を手伝わないなどという、どう好意的に解釈しても図々しい不満を持って欲しくはないのですが。
 


私は常々「賢者」は幸福な人生を送り、そうでない人々は、最後は不満や後悔を抱えたまま死んで行くものだと考えています。そしてフェミニズムに傾倒する人々は後者だとも。フェミニズムは女性の権利獲得にばかり目を奪われる一方で、男性が女性を、女性が男性をお互いにそれぞれ尊重し合いながら関係を築いていくことの重要性にまで思慮が至りませんでした。「賢者」であればその論理的欠陥に気づくはずだし、性差による役割分担のよい側面にも目を向ける事が出来たはずです。それを全部なくしてしまえ、なんて主張は愚者のたわ言ですし、それが実現できないからと怒っている人々を見ると、私は哀れみすら覚えます。

最後に、私はもちろん女性の社会進出を否定しているのではありません。私は、有能で、そしてここが重要なのですが、働く事への「強い意志や覚悟を持った」数多くの女性たちが立派に社会進出を果たして来た事、そして今もそのような多くの女性たちが社会で活躍していることに、心から敬意を覚えます。ですが、彼女たちは、そこにフェミニズムなどという欠陥思想が存在していなかったとしても、その立派な偉業を成し遂げていただろう、と私は考えています。「権利」はただ要求するものではなく、それに付随する「義務」や「責任」を果たして自ら「勝ち取る」ものです。「賢者」にはその事が理解できるでしょう。フェミニズムは、その事が理解できない一部の女性たちに、ただ中途半端な権利意識を植え付ける事以上のいかなる結果をももたらす事は出来なかった、というのが私の結論です。


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