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ICHI
	【 Data 】 長崎県大村市東三城町7-9 富士ビル1F [MAP] TEL：− 営業時間：11：30〜24：00（L.O.23：30） 定休日：水曜日 最終訪問：2013.04
大村駅ロータリーの右斜め前ブロックにあるラーメン屋だが、事前情報なしにそのエリアを歩いていても、その外観からそこがラーメン屋であるとは全く分からないだろう。地図と簡単な店のプロフィールまで記したメモを片手に訪問した私ですら、始めはそこを通り過ぎてしまった位だ。果たしてそこが正解なのか半信半疑で引き戸をガラガラと開けると、左手にある病院の受付のようなスペースで静かに読書に耽っていた店主がびっくりしたような顔をして私を迎えた。 午後七時という格好の夕食どきであるにも関わらず客は一人もいなかった。テーブル席に座った私の下に水を持って来たルパン三世を思わせる風貌の店主は、すごく丁寧な態度で「黒だれ豚骨醤油」がお勧めなんです、と言った。たまに店側の都合でやんわりと私の選択肢を狭めるような提案をして来る接客係がいるが、私はそんなものは屁とも思わない。だが店主が私に勧めたものは事前リサーチの結果、私がチョイスする事に決めていたものと一致していたので、私はやや頬骨の浮き出た礼儀正しい店主の提案を快く受け入れた。 凝った内装は私のような凡人には理解できないようなアーティスティックな仕上がりで、店主がその道に造詣がある事を示唆していた。カウンター席の上方にはブリキで作ったような「屋根」があり、テーブル席の椅子は子供のときに学校で座っていたようなパイプと木で出来た懐かしさの漂うモデルだった。入口に掲げられているミッキーマウスの肖像画と思しき油絵の版権が気になったが、そいつにはあの立派な耳がなかったので、当局に追及されたらそれはミッキーではないと言い張るいい根拠になっただろう。 カウンターには端から端までびっしりと本が並んでいた。それらは漫画ではなく小説や文芸書の類で、ラーメン目当てに来た客がそれを読むのに没頭するとはとても思えなかった。選書にもかなり偏りがあった。つまり、何かの理由で村上春樹が大嫌いな客がそこに並んだ本を目にしてしまったら、怒ってラーメンを丼ごと店主に投げつけていただろう。 私が全く退屈する事なく店内をきょろきょろ見回しているうちに店主が奥の厨房から「黒だれ豚骨醤油」を持って来た。「黒だれ」は別容器になっていて、それを少しずつ足しながらお召し上がりください、と店主は物腰柔らかに説明してくれた。そうしているうちに立て続けに客が三組入って来た。店主はそちらの客の注文を捌くために奥の厨房へと消えて行った。 その「黒だれ豚骨醤油」の見た目は私を満足させるには少々薄味でパンチが弱い事を予想させたが、いざ箸で麺をすくってツルツル啜ってみた瞬間に私は「黒だれ豚骨醤油」の虜になった。何というかひどくあっさりした食感であるにも関わらず豚骨の風味が豊かなスープには大そうコクがある。熊本ラーメンを彷彿させる木耳と程よい太さの麺がさらに私のツボを刺激する。しっかり燻されて香ばしい薫りのするチャーシューは箸でつまめばたちまち崩れてしまうほどホロホロで、ルパン氏の「黒だれ豚骨醤油」には全くどこにもケチのつけようがなかった！やや腹を空かせて入店した私にはちょっとボリュームが物足りなかったが、そんなのは替え玉を頼めばすむ事だ。 私は率直に言って長崎界隈のラーメンには大して期待を抱いてなかったが、そいつはとんだ間違いだった。一人で店を切り盛りしている店主は、一定数の客が来ると厨房にこもり切らなければならないので、私は自分の「黒だれ豚骨醤油」を完食してから支払いを済ませるまで二〇分ほど待たなければならなかったが、そんな事はまるで気にならなかった。私が合図をすれば、店主は例のうやうやしい態度ですぐにでも私の下にかけつけただろう。だが私はそうはしなかった。私は彼の仕事を邪魔したくなかったし、またそうしてはならないと思ったからだ。 店主の仕事にようやくひと段落ついた頃合いを見計らって私は店主に合図をし、替え玉一玉分と合わせて七〇〇円を払って店を出た。翌日のビジネスに備えて佐世保に移動しようとした私は、大村駅の時刻表で、私が店主の手が空くのを待っている間に列車が一本出てしまったので次の列車が来るまで四〇分近く待たなければならない事を知ったが、ちっとも腹は立たなかった。
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